── | 本日、山口さんにうかがった 「技術とは、磨くほど 透明で見えなくなっていくようなものだ」 というお話、たいへん納得しました。 |
山口 | ああ、よかったです。 |
── | はたまた、ルーベンスさんの 「絵がうますぎて、誰も見てない」の件も なるほどなあ、おもしろいなあと。 |
山口 | そう言っていただけて、ホッといたしました。 |
── | で、お聞きしていて、ひとつ思ったんですが、 「まったく写真のような絵」だと 魅力がない‥‥ということなのでしょうか? |
山口 | うーん、一般化できる法則ではないでしょう。 ただ、テクニック的なことで言いますと わたくしの場合は すこし「くどい」くらいに表現していますね。 |
── | くどい? |
山口 | はい。 |
── | それは「わかりやすくする」という意味ですか? |
山口 | ひとつには「要素を多くしてあげる」こと。 たとえば 「家の壁にガス管が1本、這っている」光景が おもしろいなと思ったとします。 |
── | ええ、ええ。 |
山口 | でも、その「おもしろさ」を表現するのに 正直に、写真みたいに、 「ガス管を1本だけ」描いたとしても わたくしが感じたおもしろさは、伝わりづらい。 その場合は、5本くらい描いちゃいます。 |
── | あまりにふつうの光景だと、引っかからない? |
山口 | やはり、これまでのお話と同じように 「目が行くようにしてあげる」ということです。 「え、配管の先、そこ潜ってくの?」みたいな、 ちょっと妙な感じに捻じ曲げちゃうとか。 |
── | なるほど。 |
山口 | そうすると、 「あ、ガス管って意外とおもしろいんだね、 家に対する異物感として」 とか、思ってもらいやすいといいますか。 逆に、あんまり当たり前に描いてしまうと ふだんの光景と変わらず、 注意を向けてもらえなくなるんでしょうね。 「収まりが、よすぎちゃう」んです。 |
── | あまりに巧みすぎて「違和感」を喪失した ルーベンスさんのように。 |
山口 | ですから、ほんの少しだけ 「収まりを、わるくしてあげる」のが 細かいことですが テクニックと言えば、テクニックです。 |
── | 絵を描く仕事ではないですが なんだか、すごく参考になるなと思いました。 ちょっとだけ「収まりを、わるく」とは。 |
山口 | そのための方法は、いろいろあると思います。 冒頭、お話に出た会田誠さんの場合でしたら 「つたなく描く」ということで 「引っかかり」や「違和感」を出しています。 |
── | 山口さんの「ちょっとだけ、過剰に描く」のと 同じような効果を持つ技術である、と。 |
山口 | 逆に言えば、まだ画学生だったころには 意図しないところに 意図せず「引っかかり」や「違和感」を 出してしまっていました。 |
── | そこが「プロとの違い」なんですね。 |
山口 | 見てほしい場所とはぜんぜん違うところへ、 見る人の目を、導いてしまっていた。 それは、自分自身で 技術をコントロールできていないことの あらわれですよね。 ただ、反面、プロになった目からすると その「暴走」が新鮮でもあるんですけど。 |
── | 本日、何度も戻ってきている場所ですが やはり「本当に表現したいこと」を キュッと見せるのが 技術であり、プロの仕事なんですね。 |
山口 | そうだと思います。 |
── | そのような「技術」というのは、 あるていど「修練」で身につけることが‥‥。 |
山口 | できると思います。 |
── | おお。 |
山口 | とくに、絵の技術のひとつの太い柱である デッサン力というのは、 修練で、確実に身につけることができます。 |
── | それは、いいこと聞いたという感じです。 |
山口 | 他の世界と同様、 絵も、先達の「模倣」から入りますから。 そもそも 絵描きの世界は世襲制だったわけですし。 |
── | それは「狩野派」みたいなことですか? |
山口 | ええ。西洋でも、長く「工房制」でした。 つまり「芸術」というより 「家内制手工業」に近かった時期が長い。 |
── | もともと 「伝承可能なもの」としてあった、と。 |
山口 | その時代の絵描きは 大げさじゃなく「絵の具を練る」ところから、 もっと言えば「絵の具をつくる」ところから、 教わっておりました。 |
── | なるほど、なるほど。 ‥‥でも、絵の具って 絵を描く人が「つくって」いたんですか。 |
山口 | ええ、そうなんですよ。 鉱石とか、土とか、酸化させた金属とか‥‥。 |
── | そのようなものから、絵の具を? |
山口 | 「焼いた骨」とか。 |
── | 骨!? |
山口 | アイボリーブラックという黒は、骨由来です。 つまり「アイボリー」なので 本来は「象牙」だったんでしょうけれど さすがに希少ですから、骨で代用したんです。 |
── | 具体的には、どうやって黒い色を? |
山口 | 骨を焼くと、黒くなりますよね。 そこへ、樹脂油など混ぜて練るんです。 それが初期の「黒」でした。 |
── | はー‥‥。 |
山口 | ちなみに白は、鉛白(えんぱく)と言いまして、 鉛のサビを使用していたようです。 鉛につくサビって 鉄サビみたいに赤くなくて「白い」んです。 |
── | サビの白から、白い絵の具を。 |
山口 | けっこうな猛毒で、危険らしいですけどね。 |
── | はー、絵の具が「毒」ですか。 |
山口 | へたに取り扱ったら 鉛中毒になってしまうほどの危険物です。 ですから、昔の絵描きは かなり 危なっかしいものを扱っていたんですね。 「銅のサビ」である緑青なども、 昔は毒性があると考えられていましたし。 |
── | あの、話が逸れるかもしれないですが。 |
山口 | どうぞどうぞ。 |
── | なぜ、焼いた骨とかサビとかまで持ち出して いろいろ工夫して、 ときに危険な目にあってまで 絵を描こうとしたんだと思われますか、人は? |
山口 | ‥‥やはり、見えちゃうから、でしょうねぇ。 |
── | 見えちゃう。 |
山口 | 見えちゃうと、再現したくなっちゃう。 |
── | 現実が見えてしまうから、人は絵を描く? |
山口 | たぶん、われわれ人間の創造力って 現実よりも ずっと「軽やか」なんだと思います。 |
── | と、いいますと? |
山口 | 大むかし、かの有名なラスコーの洞窟には 黒と赤くらいしか、色がなかった。 でも、 「こんどは、オレンジ色で描いたら どうだろう?」 「あ、このマラカイトを砕いたら 緑色の絵の具が、つくれるかもしれないぞ」 そういう創造力の積み重ねで 人間は、 絵を描く手立てを発達させ、 絵を描いてきたのではないかと思うんです。 |
── | はー‥‥。 |
山口 | 多くの人々の創造力を積み重ねていくことで 人間全体の 絵にたいする受像機の感度が上がってゆき、 また誰かが 他の人とは違う何かをキャッチすると、 その創造力が原動力となって 現実を、さらなる高みへ引っぱり上げてゆく。 そして、引っぱり上げたところに立ったら また受像機の感度がよくなって、 また違うものが見えてきて‥‥ということを わたしたち人間は ずうっと 繰り返してきたんじゃないでしょうか。 |
── | そう思われますか。 |
山口 | 絵描きとしての実感からは、そう思いますね。 |
── | 先日、ラスコーよりもさらに古い壁画を はじめて撮影したという ヴェルナー・ヘルツォーク監督の映画を観たんです。 |
山口 | ええ。 |
── | そうしたら、黎明期の人間の営みとして 絵って、すでにあったんだなと、あらためて思って。 |
山口 | すごいことですよね。 |
── | 画家という職業が成立するずっと前から 人間は絵を描いてきたんだなあと まるきり小学生のような感想を持ちました。 |
山口 | いえいえ、小学生でいいと思いますよ。 だって、たぶんね、はじめて絵を描いた人も 不思議でしょうがなかったんですよ。 |
── | 不思議? |
山口 | つまり、脳の図像認識の力‥‥と言いますか、 専門的なことはわかりませんが、 簡単に「丸描いてチョン、チョン」とやれば 「人の顔」に見えるじゃないですか。 |
── | ええ。 |
山口 | それって、とっても不思議なことですよね。 丸とチョンだけで、顔に見えるって。 そんな、ある種の「イリュージョン」に わたしたち人間は 魅せられてきたのかもしれないなあ、とね。 |
── | なるほど‥‥。 最後に、ひとつ、おうかがしたいのですが。 |
山口 | はい、どうぞ。 |
── | 「技術」とは、いつまでたっても 「満足いかないもの」なんでしょうか? |
山口 | ‥‥北斎もね、同じようなことを。 |
── | あ、そうですか。 |
山口 | それも、90歳を超えて すっかり、おじいちゃんになってからです。 あと10年、いや、あと5年でいい、 俺に寿命をくれたら もっとまともな絵描きになれるのになあと 言ってるようでして。 |
── | そうなんですか‥‥。 |
山口 | 人間の目には現実が10割、見えています。 わたしたち絵描きは、 その現実へ少しでも近づけよう、近づけようとして 一生懸命、絵筆を動かすわけです。 |
── | はい。 |
山口 | でも、現実の10割を描き切ることなんて どうやったって、できません。 いつも7割とか6割、 ヘタすると、5割で終わってしまったり。 |
── | ご自身のなかでは、ということですよね。 |
山口 | 自分では5割にも届いていないのに 絵を見る側の人にとっては 絵描きの見ている「10割」はわかりませんから 「5割の絵」を その人の100パーセントとしてごらんになって 結果「すばらしい絵だ!」と 褒めてくださることも、あると思うんです。 |
── | ええ。 |
山口 | でも、絵描きからすると、 その絵は「5割足りないもの」でしかない。 |
── | ‥‥つまり、満足しない? |
山口 | ‥‥しないですねぇ、満足。 |
四天王立像「持国天」 2006 カンヴァスに油彩、水彩、墨 194 x 97 cm 撮影:木奥恵三 © YAMAGUCHI Akira Courtesy Mizuma Art Gallery |
<終わります> |
2013-04-19-FRI |