山元町と手をつなぐ。

05 山下駅、朝9時。──スコップ団 1

「スコップ団」は、おもに
週末を使って、津波による被害を受けた家の
片づけや掃除をしています。
活動は山元町が中心で、
メンバーが集まるのも、現在のところ、
「土日の朝9時、山元町の山下駅」となっています。

糸井重里がTwitterを通じて
知り合いにならせていただいたこの「スコップ団」に、
まずは「取材」というよりも
「参加」をさせていただこうと思い、
事務局に問い合わせてみました。

「土日の朝9時に山下駅集合。
 それだけが決まっています。
 スコップするお宅はそのときによって違うので、
 駅前にいる“SCHOP DAN”の
 紺色のTシャツを着た人たちに声をかけてみてください。
 持ちものは、長靴、マスク、タオル、軍手、
 暑さ対策、飲みもの、昼食、着替えです。
 ボランティア保険に入ってきてください」
そう教えてもらいました。

5名の「ほぼ日」乗組員
(西田、佐藤、甲野、田口、菅野)は、
教えてもらったとおりの準備をして
日曜の朝9時めざし、山元町の山下駅に向かいました。

不通となっている山下駅の線路には
草が生い茂っていました。
駅の事務室の中はあの日のまま、
ときがとまっているかのようです。

駅前にはほんとうに“SCHOP DAN”の
Tシャツを着た人がいて、
「スコップ団に参加、ですか?
 今日はあちらのお宅をやりますから、
 ついて来てください」
と、声をかけてくださいました。

現場のお宅に到着すると、
スコップ団の人たちはさっそく
大きな家具を運び出したり、
危険な窓やドアを取り払っていました。

我々もスコップを受け取って家の中に入りました。
しかし、しばし、
何をやっていいかわからない状態。

見よう見まねで、
家に入っている泥を
スコップですくいあげました。

泥は水分と塩分を含み、ずしんと重く、
少量をすくい上げるだけでも
ずいぶん力が要りました。
2〜3回、泥をすくい上げ
ちりとりにあけた段階で、情けないことに
「今日一日もつかな」と心配になりました。

しかし、スコップ団の団長の平了さんが
「俺も、春まではすごい“なで肩”でしたから」
「重いものなんてなんにも持てなかったよ」
と遠まわしに励ましてくださいました。
よし、がんばりましょう。

家の中はまるで、ずいぶん昔から崩れ
時間をかけて泥が入り込んでしまったように
見えてしまいます。
また、街自体、すでに大きな漂流物は
片づいていますので、
一見すると
以前から閑散とした場所だったかのようにも見えます。
当たり前ですが、そうではありません。

何もないように見える土地は、
あの日に、海が流してしまった場所です。
この家にある泥はすべて
あの日に、海からやってきた津波が
残したものです。

我々はとにかく家の中から外へ、
泥を何度も掻き出して運びました。
いくら運んでも、
泥はどんどん出てきます。

トイレのタンクは泥でいっぱいにつまり、使用不可能。
洗面所の扉を開けた奥の奥まで、
津波のもたらした泥は入り込んでいました。

そして、ある「線」以上は
家がきれいであることに気づきます。

その「線」から上は、
この家のお孫さんが貼ったポスターも
はがれず、濡れずに残っていました。

波をかぶらなければ、
台所の食器も、ピアノも、本棚の本も、
きちんと整頓されていたのでしょう。

すべてが整えられた部屋で、
明るい電灯の下で、
この家の人たちが寝て起きて
暮らしていたのでしょう。

家のおじさんは
「出てきたものは
 みな捨てちゃっていいんだ、いいんだ」
とおっしゃっていました。

けれども、泥のなかからは
いろんなものが出てきます。
台所道具、洋服、食器、財布、洋服、
文房具、写真、トロフィーや寄せ書きや、
いつか描いた絵。

棚から、大事そうに
箱にしまってあった絵が出てきました。
家のおじさんのところへ行って、
これを捨てるかどうか、たずねました。

「ああ、これは、孫のだな。
 孫がいつだったか、描いたんだ。
 大事かどうだか、わからないけど、
 一応とっておくかなぁ。
 孫はいま、大学3年で、街に住んでんだけど、
 この家を見たくないっつって、
 もう寄りつかないんだよ。
 ぜーんぜん、だめ。寄りつかないの」

同じようなことを、
スコップ団の人たちからも聞きました。

「津波に遭った方の中には、
 自分の家を見ることができない、
 家に近寄ることもできない方が
 たくさんいらっしゃいます。
 それは、あの日のことを
 思い出してしまうからでしょう」

一瞬にして、我が家がこうなった。
大事な誰かと会えなくなっていた。

このスコップ団に参加する前に
団長の平さんのブログ
スコップ団のサイト
事務局から送っていただいたメールを
みんなで読んでいきました。
書いてあったことで最も印象深かったのは
「正直なところ、きれいにしても
 住めるようになるかどうかはわからない」
ということでした。

漂流物や泥で
いっぱいになってしまった場所は、
あのときまで
家族の団欒の場所であり、
その人の生活の基盤になるところだった。

そこを呆然と見るしかできない、
あるいは
近づくことも恐ろしいと感じている。
家のあらゆる場所に詰まった
おびただしい量の泥、
変貌した部屋、過ぎていく時間。
茂る草、はびこる虫、朽ちはじめる床。
自力ではどうすることもできない。

そこから、漂流物をなくし、
泥を掻き出して、
その家の人が大事にしている
思い出の品だけにできたら。

泥に埋もれた家を前にたたずむと
きれいになった家を前にたたずむのでは、
もしかしたら、何かが違うかもしれない。

まずは自分の家をぱっと見たとき、
「きれい」であるだけでいい。
それで気持ちが半歩でも
進むことができるのなら、やり続けたい。

そういうことが、スコップ団のサイトや
団長のブログ、
事務局からいただいたメールに
書いてあったのです。


(スコップ団のこと、次回につづきます)

 
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2011-09-13-TUE
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