山田 |
糸井さんに取材させていただいたときは、
まるでお菓子の家にいるみたいでしたよ。
あれもおもしろい、これもおもしろい、
どこを食べてもおいしい。
あんな人も、まあ、めずらしいです。
糸井さんも、ここまでに
いろいろあった人ですからね。 |
ほぼ日 |
あんな、カッコいいふうに
描いていただいて、
「ほぼ日」スタッフはみんな、
感激して読みました。 |
山田 |
糸井さんの美学というものを見ていると、
「情けは人のためならず」
という言葉を思うんです。
人をよろこばせたら、必ず戻ってきます。
でも、みんなは、自分のやったことが
直接返ってくると思うから厄介なんですよ。
そうじゃなくて、
これがああなって、こうなって、
あいつのところへいって
それにオレは助けられているのかもしれない、
という、そのくらいわかりにくい
変形した長距離やわらかブーメランのような
返り方なんです。
あのね、ぼくは
人形町生まれの江戸っ子なんですけど、
やせがまんが大好きなんですよ。 |
ほぼ日 |
やせがまんが。 |
山田 |
もう、だっい好き!
腹が減ってるのに、
「オレは腹は減ってねぇからおめぇが食え」
と言うのが好きなんです。
江戸っ子って
金がないのにおごるんですよ。
「また、しょうがねぇな、カッコつけやがって」
「いいんだ、いいんだ」
あの「やせがまんの美学」を
もっと大事にしたらいいと
ぼくはこのごろ、思うんですよ。
「クレクレクレクレ、私を認めてクレ!」
という暮らしをしている人は、
まわりのエネルギーは吸うわ、
「どうせ私なんか」と言い出すわ、
タイヘンなんです。
これをどうにかする方法はないものか、と
ぼくはずっと考えていたんです。 |
ほぼ日 |
愛に飢えたスパイラルを解決するのが
やせがまんの美学、ということなんですね。 |
山田 |
「オレはいいからよぉ」
というのを、演じてみろ、と言いたい。 |
ほぼ日 |
まずは「演じる」から、なんですか。 |
山田 |
演じるといったって、苦しいと思います。
でも、そこをがんばって、
「オレなんか認められなくたっていいんだ、
おめぇがすげえ!」
と言ってみろぃ。 |
ほぼ日 |
(山田さん、口調がどんどん江戸っ子に‥‥)
その文化は、たしかに、
考えてみると、なくなってますね。 |
山田 |
みんな、奪い合いですよね。
誰が儲かった、あっちが得した損した、
そんな話ばかりでしょ。そこに
「いや、オレがいちばん儲かってない!」
って、よくねぇ?
「なんなら自分の取り分もおめぇにやるよ」
そんなふうに生きていく。 |
ほぼ日 |
しかしいま、そうしようとすると
いろんな危険が口を開けて
待ち受けている気がします‥‥。 |
山田 |
いやいや、
そんな大げさなことじゃなくていい、
ささいなことでいいんです。
しょうもない例でいうと、そうだな、
「ごちそうがこれだけあります、
何個分しかありません、
あんたの分はありません」
という状況のときに
「あ、オレはいらねぇや、
さっき食ってきたからさ」
これくらいでいいんです。
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ほぼ日 |
あ、そのくらい(笑)。
わかりました。
保証人になりまくる、とかではなくて。 |
山田 |
そういうんじゃない、そういうんじゃない。
言葉でいいんですよ。
「すごいね、かわいいね」
これだけでいいんです。
「愛情クレクレタコラ」の人は、それは言えない。
人をほめることができないんですよ。
いやんなっちゃうのは、
評価があがったら、今度は
ねたみもついてくるということなんです。
誰かが認めたら、
つぶしたがる連中も同様に現れる、
というこの生き方は、ぜったいに楽しくないよ!
リスペクトマン糸井重里の美学は、
このスパイラルを止める性質があるんです。
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