糸井 |
淀川長治さんに薦められて観た中で
覚えてる映画とかありますか? |
淀川 |
「砂漠は生きている」とか。 |
糸井 |
あ、ディズニーのドキュメンタリーですね! |
淀川 |
あるいはディズニーのアニメーションとか、
そういうのですね、さすがに。
それで、小学校で映画とかやったりすると
大概わたし、もう、観てるんです、 |
糸井 |
すでに。 |
淀川 |
やなやつだったんです(笑)。
「あ、これ、観た!」みたいな、 |
糸井 |
英才教育ですからね。
大人の映画をそんなふうに
叔父さんと観たっていうのは
ありますか? |
淀川 |
あんまり一緒には観てないんです。
試写会のときは、母親と行ってました。 |
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糸井 |
そうか、先に叔父さんが観て、
「行ってもいいよ」
っていうことなんですね。 |
淀川 |
そうなんです。
叔父はヒッチコックが
すごく好きだったんですね。
それで、わたしがちっちゃいとき、
「ヒッチコック劇場」っていうのが、
テレビで放映されていたんです。 |
糸井 |
はい、ありましたね! |
淀川 |
あれはもう一家で
観なくちゃいけないんです。
テレビの前に座って、
おまけに電気を消して! |
糸井 |
(笑) |
淀川 |
それはもう毎週、毎週、
かかさず見ていましたね。 |
糸井 |
「ヒッチコック劇場」だとか、
「世にも怪奇な物語」とか、
「アウターリミッツ」とか、
そういうこう、怖くって、
テレビで映画代わりの娯楽を
楽しめるような番組が──、 |
淀川 |
ありましたね、昔はね。 |
糸井 |
「ヒッチコック劇場」は
熊倉一雄さんの声でしたね。
あれ、よく作ってたなと思うんですよ。 |
淀川 |
必ずヒッチコック本人が
どこかに出てきててね。 |
糸井 |
そうそうそう。
あの「ヒッチコック劇場」は
「日曜洋画劇場」よりも前ですよね。 |
淀川 |
前ですね。 |
糸井 |
「スーパーマン」をテレビで
やってた頃ですよね。 |
淀川 |
あ、そうかもしれないですね。 |
糸井 |
天皇陛下が「スーパーマン」がお好きだって
いうのはニュースで見ましたよ。 |
淀川 |
あ、そうですか!
叔父は、今の天皇陛下が皇太子殿下の時代に
話をした事があり
それでそのときに陛下は
「ベニスに死す」がお好きだと
おっしゃっていたと、
ちらっと言っていました。 |
糸井 |
おお! そうですか! |
淀川 |
それから「ローマの休日」。 |
糸井 |
そうですね、そうそうそう! |
淀川 |
娯楽が当時はあまりなくて、
映画を観てらっしゃったんですね。 |
糸井 |
何て言うんだろうな、
雲上人と言われた人たちが
映画みたいな娯楽を受け入れている、
ということが、淀川長治さんには、
ものすごく支えになったんでしょうね、
きっとね。
多分、淀川長治さんがお若いときには
映画を観るのは不良だった、
ぐらいなんじゃないですか。 |
淀川 |
どうなんでしょう。
自称ですから、分からないですけど、
「映画館で生まれた」って(笑)。 |
糸井 |
(笑)。 |
淀川 |
映画を観てるときに‥‥、 |
糸井 |
産気づいて? |
淀川 |
家に帰って生まれたっていうのが
自慢だったんですよ。
どこまでほんとかどうか(笑)。
祖母もすごく
映画が好きだったのはほんとうです。
わりと映画が好きな一家だったんですね。 |
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糸井 |
それだけ揃った映画ファンの一家って
ちょっとないですよね。
一人、濃い人がいますしね。 |
淀川 |
ええ(笑)。 |
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(つづきます) |