『遠野物語』の意味

  • 時間

    93
  • 音質

    『遠野物語』80周年を記念して
    開かれたシンポジウムでの講演。
    音源は客席録音だがクリア。

  • 講演日時:1990年8月26日
    主催:『遠野物語』発刊80周年記念事業実行委員会/遠野常民大学
    共催:岩手県/遠野市/遠野市教育委員会
    後援:岩手民俗の会/NHK盛岡放送局/岩手日報/岩手放送/テレビ岩手/エフエム岩手/朝日新聞社/毎日新聞社/読売新聞社/河北新報社/岩手東海新聞社/遠野商工会/遠野市観光協会
    場所:岩手県遠野市・水光園
    収載書誌:至文堂「国文学 解釈と教材」56巻3号(1991年)/新潮文庫『遠野物語』(1992年)




植物と動物のあいだ、動物と人間のあいだには
境界線がない──「中間はいつでも連続しているんだ」と
いうことをひとりでにいっていることは、
柳田国男のとても大きな特徴だと思います。
柳田国男にとって、稲を持って来た人たち(平地人)と、
それ以前に住んでいた人たち(山人)の区分は、
はじめから終わりまで関心の的になっていました。
ここでたぶん「中間は連続する」という考え方のスタイルは
生まれてきたと推測することができます。
『遠野物語』の中核に理念を与えるとすれば、この
「中間は連続している」という論理だと思います。
この中間についての論理は、柳田国男の場合は
論理というよりも、文体の実質の力で
ひとりでにやってしまったと思います。
これは、他の古典物語と比べて比類のないほど長い
多様な時間を包括していることとともに、
『遠野物語』が問いかけてくる問題に違いありません。