現代を読む

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    群馬県前橋市の書店
    煥乎堂により、
    「煥乎堂文芸講座」として
    開かれた講演会。
    客席録音だが、比較的クリア。

  • 講演日時:1991年10月20日
    主催:前橋市・煥乎堂
    場所:煥乎堂音楽センター3階ホール
    収載書誌:弓立社『大情況論』(1992年)




「現代を読む」という場合の、
「現代」と「現在」とを区別してみることは、
僕の考え方ではたいへん重要だと思います。
僕の理解のしかたでは、日本の社会が
「現在」に入った兆候を見せたのは、
1973(昭和48)年頃です。
わかりやすい象徴をいいますと、
そのとき札幌ビールが「天然水No.1」を発売しました。
いわゆる名水、水をはじめて売り出したのが
この73年です。
マルクスのように興隆期の資本主義を
分析した人がいうところでは、
水とか空気はたいへんな使用価値があるが、
交換価値はないということになります。
ところが天然水を売るというのは、
水に交換価値が出てきたことを意味します。
それは、経済の段階で資本主義が
一段階上にいったということです。
初期の興隆してゆく資本主義分析の
基礎になっている考え方が、
やや通用しがたくなった兆候が、
日本社会では1973年前後にさまざまなところであらわれ、
そのとき以降日本社会は
「現在」に入っていったと考えられます。
それは、社会が未知の段階に入っていったということです。