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時間
194分
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音質
笠原芳光氏が主宰する
森集会での講演。
音源は主催者提供。
講演より長い質疑応答も
全編収録。 -
講演日時:1993年1月23日
主催:森集会
場所:芦屋市民センター
収載書誌:春秋社『ほんとうの考え・うその考え』(1997年)
講
演
よ
り
「どこから見ても、そこが
普遍的真理の場所だというものを、
私たちが考えている領域のはるか向こうに
設定できるのだ」
というヴェイユの最後の到達点は、
たいへん私たちに希望を抱かせます。
そこはどこから行っても目指すことができる
領域のように思えるし、
党派、宗派独特の習慣儀礼に従わなくても、
「ただいかに真理に近づくか」
という考えだけがあればそこへ到達できる。
不可能だとしても到達可能性がいつでもある。
キリスト教的でもなければ、仏教的でもない、
あるいはどちらにも似ているといえば似ているし、
イデオロギー的であるようで
革命思想的でもあるように見える。
そういうことを介して
どこからでも行けるはずだという場所を
とにかく指差して見せてくれたことが、
ヴェイユの宗教としての
現代性のいちばん大きな場所じゃないかと考えます。
普遍的真理の場所だというものを、
私たちが考えている領域のはるか向こうに
設定できるのだ」
というヴェイユの最後の到達点は、
たいへん私たちに希望を抱かせます。
そこはどこから行っても目指すことができる
領域のように思えるし、
党派、宗派独特の習慣儀礼に従わなくても、
「ただいかに真理に近づくか」
という考えだけがあればそこへ到達できる。
不可能だとしても到達可能性がいつでもある。
キリスト教的でもなければ、仏教的でもない、
あるいはどちらにも似ているといえば似ているし、
イデオロギー的であるようで
革命思想的でもあるように見える。
そういうことを介して
どこからでも行けるはずだという場所を
とにかく指差して見せてくれたことが、
ヴェイユの宗教としての
現代性のいちばん大きな場所じゃないかと考えます。