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時間
187分
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音質
群馬県高崎市の文化振興に取り組む
高崎哲学堂が月1回著名人を招いて
開く催しでの講演。
この年は宮沢賢治の生誕百年。
周辺のノイズが入っているが
比較的クリアに収録されている。
司会の最後の挨拶の途中で
テープが切れる。
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講演日時:1996年5月11日
主催:高崎哲学堂
場所:群馬県高崎市 高崎ビューホテル
収載書誌:未発表
講
演
よ
り
子どものいじめの世界は、
宮沢賢治の童話が描いているなかに
ぜんぶ入ってしまうと思います。
その範囲を出てしまういじめというのは
ちょっと考えられないのではないかというくらい
用意周到に描かれています。
これは宮沢賢治の宗教意識にもよりますし、
いじめた経験はないけれどもいじめられた経験はある、
ということにもとづいていると思います。
宮沢賢治のなかでは、僕らが考えているよりも
ひと回り大きく精神の範囲がとられていて、
そのなかで考えているから、
救いが出てくるということになるのではないかと思います。