1『注文の多い料理店』と入眠幻覚の問題

  今日私に与えられたテーマは宮澤賢治の童話についてです。私の悪い癖は、童話とは何かというふうに最初に言わないと気が済まないという点がありますが、今日は最初から童話というものに入っていきたいと思います。私は年齢にしますと16歳ぐらいから21一歳ころまで宮澤賢治に凝りに凝ったという経験があります。当時は戦争中でした。
 宮澤賢治が生前出版した唯一の童話集は『注文の多い料理店』という童話集ですが、『注文の多い料理店』に関連して宮沢賢治はふたつの重要なことを言っていると思います。ひとつは自分の童話は自分の心象、つまり心の世界の中にその当時実在したもののスケッチであるということをひとつ言っています。それからもうひとつ重要なことは、自分の作品は、青少年期の終わりからアドレッセンスの中庸に至るまでの年齢の人たちに対する文学としてあるんだということを言っています。このふたつのことは非常に重要なことではないかと思います。
 それでは宮澤賢治の言う心象スケッチの世界はどういうところから入っていったのかを考えてみますと、私のいまの考え方、感じ方では、ひとつは入眠幻覚の問題が基本的にあると思います。岩手遠野の民話、説話を集めた『遠野物語』が柳田國男の編集でありますが、あの『遠野物語』にもたくさんそういう例が説話あるいは言い伝えとして伝えられています。たとえば山人あるいは杣人、つまり樵とか炭焼きとか狩人が山の中に入っていくわけです。山の奥に入っていってしまうと夢か現かわからないような、ぼんやりした白日夢の精神状態にしばしば襲われるという体験を、『遠野物語』は非常に多く記載しています。
 目が覚めてみたら、あるいはハッと気がついてみたらとんでもないところにいた。あるいは夢か現かわからないところでとんでもない体験をしている。たとえば鼻の尖がった天狗みたいなものに出会ったとか、動物でいうと狐に化かされて、いつの間にか変なところに行っていたとか、そういうことは説話とか民話だけではなく、実際に山の中に入って炭焼きをしたり、猟をしたり、樵をしたりという人たちはしばしばそういうことは体験します。それからそういうことはそういう人だけはなく、ごく普通の人でも、たとえば私などでも山登りか何かに行って非常に疲れてしまった。そういうときにぼんやり歩いていると、そこの歩いている道はいつか自分は来たことがあるという感じに襲われるとか、歩いているところに展開する風景が、どこかで見たことがある。自分はどこかでこの風景を見ているという体験に襲われることは、ごく普通の人でも非常に疲労している場合とか、精神状態があまりよくないときにはしばしばありえます。
 宮澤賢治の『注文の多い料理店』というものの性格を非常に多くのところで規定しているのは、彼がイーハトーブと呼んだ岩手県、つまり遠野村は岩手県ということですが、岩手県にばら撒かれているさまざまな伝承とか民話がありますが、そういう民話のうち主として山人の民話、山人の民話のうち特にいま申し上げた入眠幻覚、山の中でしばしば白日夢に襲われる。そしてハッと気がついたときには自分がぐるぐる同じ道を回っていたとか、とてつもないところへ行っていたという体験がありますが、そういう体験がおそらく宮澤賢治が童話を書くに際して最初の非常に基本的な、奥底にある性格を規定していると思います。
 もちろん素材としても岩手地方に流布されている民話を素材にして書いています。たとえば風の三郎は、宮澤賢治の中では『風の又三郎』になっていますが、そういうものとかざしきぼっこ、ざしきわらしはテーマとしても選ばれていますが、テーマそのものというよりももっと奥底のほうで宮澤賢治が童話を書くモチーフを規定しているのは、山人がしばしば山の中で体験する白日夢の世界、ふとぼんやりして、しかし自分がいままで体験しているように思ったとか、自分がとてつもないところを歩いていたとか、いくら歩いてももとのところに来たとか、猟師とか山の人たちが体験する幻想性、幻覚性が非常に基本的なところにあると考えられます。これはおそらく宮澤賢治の心象スケッチと呼んだものの根底にあると考えられます。

2 民話性の反転――「雪渡り」と柳田国男『遠野物語』

 そこがおそらく宮澤賢治の童話の民話性あるいは説話性で、それも南方説話ではなく、日本人でも北方説話、北のほうの説話です。北のほうの説話と宮澤賢治の童話の作品は類似することができる点があると思われます。宮澤賢治は実際に花巻の農民の肥料相談をやったりして役立っていますが、農民に関する童話は意外に少ないことがわかります。むしろ山人、杣人の体験とか、そういう人たちが山の中でしばしば遭遇する出来事、近くの出来事自体もしばしば山の中で夢中になって、あるいは夢か現かわからなくなって体験する。そういうような体験のしかた、幻覚の体験、あるいは白日夢の体験が非常に多く使われていると思われます。それが宮澤賢治を日本の中でも北方の民話・伝承とそのまま関連づけられるかというと、宮澤賢治の心象スケッチだけをモディファイしたものかというと、実は民話そのものをそのまま下敷きにしたものは意外と少ない。いわば民話というのを反転している。しばしばひっくり返して使っています。
 たとえば『遠野物語』などに出てくる現象で、山人の白日夢の体験はたいへんリアル、非常に現実的な日々の生活体験の中で当面する問題です。樵さんにしても、炭焼きにしても、狩人にしても、そういう山人たちの日常生活はたいへんきつい仕事です。そのきつい仕事はしばしば夢を見させる。そういう中でのきつさがもし恐怖というものに変形するなら、そういう恐怖というものはいわば白日夢になって出てくる。そういう白日夢の中では狐は人を化かしていますし、狸もまた人を化かします。鹿もまた追いかけていくと、とんでもない山の中に迷わせてしまい、しばしば立ち往生させてしまう。つまり狩の対象としている、自分の職業の対象としている動物そのものがしばしば恐怖であり、動物以上の生き物の能力を発揮して人間をだましたり、人間をごまかしたりということをするものだと、本気になって信じているし、また信じざるをえない山人の必然性、生活の必然性みたいなものがあるだろうと思います。
 そういうものに対して宮澤賢治は、たとえば『雪渡り』という作品がありますが、狐が山人をだますものなら、いい意味で大人になる。山人が生活の必然から伝承として生み出したものをしばしばネガティブに、反転して童話を構成している。そういう意味では民話と結びつけられるといっても、あるいは地方性というものと結びつけられるといっても、素直に結びつけて考えていいかというと、そういうような問題ではなく、そこに宮澤賢治の独特の趣が隠されていて、民話はしばしば反転されている。ですから猟師たち、あるいは炭焼きたち、樵たちにとっては生活のきつさが、恐怖が、山が人を化かし、動物が人を化かすという伝承体験として保存してきたものをしばしば逆にひっくり返し、動物は、山はいいものだと並べている。そういう作品を形成していますから、ストレートに民話性というものと結びつけると間違うことになるのかもしれません。またそれをひとつひとつでんぐり返すところに、宮澤賢治の童話についての思想があったのかもしれません。
 専門の人のご意見でも、一種の宗教性というのは出てきています。人は人を殺していいのか。自分が殺そうと思ってもいないのに、卑しいと思ってもいない人間を殺したりするくらいなら、自分が死んだほうがましだという宗教性は、ごく初期からポツリポツリと表れていますが、そういうものを考えに入れないとしても、山人の山の中での幻想とか幻覚は非常に初期の作品から、宮澤賢治の童話形成を規定しているように思われる。これがどういう方向に行くのかということが、自分の作品は心象スケッチだと評した晩年に至るまでの童話を解いていくひとつのキーポイントになるのではないかと思えます。

3 アドレッセンスの文学という意味

 それからもうひとつは先ほども申しましたとおり、宮澤賢治は、自分の童話は少年・少女期からアドレッセンスの中庸の時期に対しての文学の形式をとっていると言っています。この意味はいったい何なのか。少年期の終わりから思春期、青春期の中庸期までに対する文学とはいったいどういうことなのかということは、おそらく宮澤賢治の童話を解くカギになってくるのではないかと思われます。つまりその時期は何かということが問題ですが、その時期を直接的に規定することはたいへんむずかしいのではないかと思います。
 ただ、少年・少女期の終わりから青春期の中頃までと、宮澤賢治が考えている時期は、自分の文学はそういう時期に対する文学の形式をとっているという場合の時期は、子どもの世代が親の世代に対立し、それを超えようと思う、しかし自分にどういう方法があるのかわからない。それからまた、いままであたかも自分と非常によく調和し、あるいは無意識のうちに調和しているように見えた自分以外の世界、それから自分以外の人間が急に対立的に見えるようになる。その対立的に見えるということは、自分がそういうものの世界からぷっつりと逸脱させられているということと同じことを意味します。そういう時期に差し掛かる直前の状態、あるいは萌芽の時期に差し掛かる状態というふうにその時期を規定することができると思います。
 その時期をもう一歩踏み込んでいってしまえば、たとえば親に象徴されるけれど、自分よりも前の世代は自分にとってはどんな意味も持っていない。あるいは自分にとってはそういう親を中心に形成されている家なんていうのはまったくぬるま湯につかっていて、欺瞞であってどうしようもないんだというふうになっていて、その対立から自分自身が親の世代を自分なりに越えていき、また越え方を考え出していくという時期にすぐに入ってしまう。その入ろうとする直前のときにもうひとつの世界が現れる。それは言うまでもないことですが、性、セックスの世界が同時に現れてくる。いままで高みにいたように思えた親、あるいは親の世代がつまらなく見えたり、自分のほうが優位に見えたり、あるいはそういうものの世界が我慢ならないように見える。そういうことと同時にセックスの世界が現れてきます。
 そのセックスの世界は、自分に対して自分と他の一個の人間との関係の世界が非常に屹立した、非常に先鋭なかたちではじめてそのときに出現します。セックスの世界は決して狭い意味での性的世界ということではなく、自分と自分以外のほかの人の世界を意味しています。自分と自分以外の大勢ではなく、ただひとりの自分以外の人との関係の世界、それを広い意味ではセックスの世界と呼ぶことができるわけです。そういうものの世界は突如としてでは決してありませんが、非常に大きな重要な要素としてはじめて出てきます。そのときと同時に親の世代に象徴される自分よりも前の世代に対する対立感を持ちながら、しかし自分がどうしていいかわからない。そういう世界がセックスの世界と同時に大きな迷路で現れてくるということがあり、そこで生涯における最初の大混乱のときがそれぞれの意味合いで必然的に訪れてきます。
 宮澤賢治が、自分は青少年期の終わりからアドレッセンスの中庸に対する文学と定義するという場合も、その時期は言うまでもないことですが、その直前までの状態ということをおそらくは意味していると思います。そういうことを言いたいのだろう、つまり言っているのだろうなと考えられます。

4 童話性の世界

 そういう世界に対して文学の形式がそれ自体として存在しうるのであろうか。それからまたひとりの人間がそういう世界を拡たいしたまま、あるいはその世界を拡大してとどまったまま生涯を送ることができるのであろうかという問題は当然に生じます。それはおそらく個々別々でありうるのでしょうけれど、私は少なくともそういう時期に差し掛かったときに、凝りに凝った宮澤賢治の世界を捨ててしまったと思っています。
 捨ててしまったということは、またどういうふうにして蘇えることができるだろうかと考えますとはなはだ心許ないのであって、おそらく私が今日呼ばれているのも、昔、凝りに凝ったという名残を聞くという話になっているに違いないと思うのですが、この世界、つまり青少年期の終わりからアドレッセンスの中庸におけるまでの時期が宮澤賢治にとってなぜ重要であったかを逆に言い換えますと、それは個々の人間にとって二度と帰らない世界だからだと思います。非常に一回性の世界だからこそ、それが重要なのだと、私には思われます。
 しばしば海千山千、何とかに長けた人が「たまには童心に帰って」というような言い方をしますけれど、私はそういうことをまったく信じていない。童心なり、あるいは童話性なるものは再び帰ることができない。どのような人の生涯にとってもそれを表明するか否かは別として、あるいは宮澤賢治に童話としてその主張をさせるかどうかは別として、童話性の世界は、個々の人間にとっては生涯のある時期に必ず通過することは間違いないことのように私には思われます。だからこそそこに普遍性というものがあるのだろうと考えます。だれでもが通過するに違いない。しかし再びそれを体験することは不可能であろう。
 どのようなもがき方をしても、それを再び自分の世界として呼んでくることは可能性がないだろう。そしてまた通俗的な意味で言われている童心に帰るとか、子どもを相手にしているんだという意味合いの帰り方は、ひとたび通過した人間にとってはおそらく再現することはできないだろうと考えられます。つまり帰れない世界にあるからこそ、それが重要であり、帰れない世界だからこそ、童話性としての文学というものが非常に貴重な、あるいは重要な内容を持って存在しうる。逆に言えばそういうふうに考えられます。

5 橋についての白日夢

 宮澤賢治の童話作品はあとになるに従って、初期にわずかな要素としてあった宗教性が非常に色濃くなっていくというふうに移っていきます。宗教的要素は晩期の作品になればなるほど増していきます。宮澤賢治にとって宗教的というのは日蓮宗ですが、宗教的な説教の代わりに童話を書いたとまで言えなくもないような作品もないことはない。それほど宗教性の要素はあからさまに、そしてますます濃くなっていきます。しかし宮澤賢治の晩年の童話作品をそういうところで切り刻んでいくと間違えるのではないかという気がします。
 それはどういうところでつかむことができるかと考えますと、初期の山人の白日夢の世界、入眠幻覚の世界は民話の世界を借りてきた世界ですが、そういうものとの関連で単純化して申し上げてみると、そういう白日夢の世界と現実の世界との接合、つなぎ合わせる方法がおそらく宮澤賢治の晩期の作品を根底から規定しているのではないかと考えます。それを別の言葉で言ってしまえば、現実の世界と他界というものを非常にスムーズにつなげるひとつの思想があります。それがおそらく宮澤賢治の晩期の世界を根本的に規定しているのではないかと要約できそうに思われます。
 これを民話の言葉でいうと、『遠野物語』などにもよくそういう例が出てきますが、それは橋、ブリッジです。橋についての白日夢の世界というのがあります。もちろんそれは白日夢ではなく、夜の夢の世界でもいいです。あるいは想像力の世界でもいいのですが、伝承の中に現れる場合でも民話の中に現れる場合でもどういうパターンで出てくるかというと、それは非常に簡単に見せられる。
 たとえば瀕死の重病人がいた、その重病人が重症の床で橋の夢を見た。橋の向こうにはすばらしい世界があり、そこできれいな衣装を着た人が手招きをしている。この橋を渡ればたいへんすばらしい世界があるに違いないと思って橋の途中まで渡っていくけれど、どうしても橋の向こうまではいけないで引き返してしまう。そういう夢を見て目が覚めた。そのためにその重病人は助かった。そういうのが橋の白日夢あるいは橋の夢についての非常に一般的なかたちです。
 これはもちろんタイプにおいてはさまざまな話があります。つまり橋を渡り切ったけれど、引き返してきたというバリエーションとか、橋があって向こうの世界がすばらしく見えたけれど、自分は橋を渡ろうとしなかった。そうしたら目が覚めた。それで自分は生き返ってしまった。意識不明から目が覚めたという体験です。そういう場合に白日夢の世界、あるいは瀕死の状態で見た橋の夢で、橋の向こうですばらしい世界があって、手招きによって橋の世界の向こうに渡ってしまったら、その人間は死ぬわけです。つまり意識を取り戻すことなく死んでしまうということは、その種の説話の中に、あるいは民話の中には無意識のうちに含まれています。つまり瀕死の状態で、意識不明の状態でそういう夢を見て、橋の向こうに渡れない、渡らないで引き返した途端に意識が明瞭になって助かったというパターンは、逆の意味で言うと、そこを白日夢の世界で向こうへ渡ってしまったらもうアウトです。渡ってしまったら、その人間はもう生き返らない。他界へ行ってしまうということを、その種の民話は無意識のうちに、あるいは潜在的に暗示しているわけです。

6 民話的伝承として残されること

 この橋の夢というものは日本だけにあるのではなく、どこの国にでもある。どこの国でも橋というものがこの世とあの世とをつなぐ媒介であるというのは、そういう夢を見たり、伝承があったり、白日夢の世界があったりすることは万国共通なところがある。もちろん宮澤賢治などの東北、岩手の遠野のほうの伝承、たとえばローマあたりの中で見ますと、その中にもいくつか挙げることができます。しかもそれはわりあいに普遍的な白日夢の世界です。それからいろいろなことがあり、たとえば里人、農民の世界と山人の世界、あるいは農村と農村を取り巻く山とをつなぐ橋であるとか、さまざまな意味合いがつけられますが、それは日本だけではなく、普遍的である白日夢の世界があります。
 民話や伝承というものが記載しているのは、いま申し上げましたとおり、それを引き返したらその人間は瀕死の状態であるけれど、意識が明瞭になって病気が快方に向かったという人がごく一般的な程度です。私が考えても、橋の向こうに渡ってしまったとか、橋の向こうにすばらしい世界があるとか、すばらしい建物があるとか、すばらしい人間がいる。それでついつい向こうへ行ってしまったという民話とか伝承があるとすれば、その伝承は個人が死んでしまったことを暗示します。
 ですからもし自分がそういう夢を見たという体験を持った人がそれを人々に伝え、だれかに言ったり、それからだれかがまただれかに伝えということで、海外でああしたらこういう夢を見たということは伝承として流布されている限りは、必ず橋の向こうまで渡り切ってしまわないで、こっちへ引き返してくる。そういう伝承しかありえません。そうでなければその人間が死んでしまうわけです。死んでしまったらその人間が、自分はこういう夢を見たということを人に言うわけにいきませんから、必ず引き返してくる。非常に誘惑の大きい世界できらびやかな世界だけれど、そこから引き返してくるというのは、その種の伝承のパターンです。
 向こうへ行ってしまったという民話は、仏教的なイメージで、自分はこういう夢を見て向こうに行っちゃったんだという伝承が、それを聞いた人から聞いた人へ伝えられ、それが地方における伝承として流布されることは絶対にありえない。なぜならば行ってしまったら、その人はもう死んでしまうわけです。それを人に語ってみたり、それがまた少し尾びれ、背びれをつけて、また次の人に語った。それがいわば伝承になったというかたちの伝承、橋の向こうへ渡ってしまったという伝承は成り立ちようがない。それが成り立つためには、それを支えているもの、つまり死後の世界みたいなもの、極楽浄土みたいなものを仏教がやっているように地獄、極楽の世界みたいな理念としてしか提示できない。
 ですから民話的伝承としては、どうしても橋からこっちへ引き返してきてしまう。そういうことでしか伝承されようがない。もう向こうまで行ってしまったという夢を見た人は、それを人に語ることはできない。なぜならば死んでしまうわけですから語ることはできない。ですから必ず引き返してくるものが伝承として残されています。
 それ以外ですと、だれでもがそう言うように宮澤賢治のいちばんいい作品だと思う『銀河鉄道の夜』という晩期に属する作品がありますが、この作品の世界は読んでみると、主人公のジョバンニが、母親の牛乳が来ていないので牛乳屋へ行くわけです。牛乳屋へ行って、その牛乳屋であともう少したってから来てくれと言われ、ちょうど星祭りの夜ですが、祭りへは行かないで小高い丘の上に入る。そして下に星祭りをやっている町の灯が見える。さらに騒音が聞こえる。音楽が聞こえる。そういう丘のところでジョバンニが非常にスムーズなかたちで幻想、白日夢の世界に入っていきます。その入っていく世界の有様が『銀河鉄道の夜』の非常に主要なモチーフになっています。

7『銀河鉄道の夜』の世界

 ところでいまの橋のイメージ、白日夢というものに象徴される民話性、伝承性というものと関連づけて銀河鉄道の夜を考えてみると、非常にスムーズに母親の牛乳を買いにいき、もう少したったらと店の人に言われ、小高い丘の上にとどまる。そして伝承の世界の旅行とか汽車に乗る。そしてさまざまな体験をします。非常にスムーズに銀河を飛び行く軽便鉄道に乗り、非常にスムーズに白日夢あるいは伝承からハッと覚める。
 先ほどの橋の白日夢に関連させていうと、『銀河鉄道の夜』という作品の中の銀河鉄道の中にジョバンニが乗り、まず銀河の光景を描いている。その鉄道に乗っている世界は民話・伝承でいう橋なわけです。橋の向こうで非常にきらびやかな、この世の人間でないような人間が手招きをしている。そういう世界に架けてある橋の世界は、橋を歩んで向こうへ行こうとしている世界というのは、宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』で言えば、銀河鉄道に乗って車窓から銀河の風景を見ている。その世界はいわば橋を渡っているということに対応しているわけです。
 その場合に宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』は、いわば民話性、伝承性に対して非常に特異性を持っているとすれば、向こうまで非常にスムーズに行ってしまい、行ったところでふと気がついて、自分はこれから母親の牛乳を買い取って、わが家のほうへ帰らなければならない。そして自分も非常に力強い生き方をしなければならないと考えて、非常にスムーズに見えます。いわば向こう側へ渡ってしまって引き返したというのではなく、渡ったところで非常にスムーズにジョバンニの現実と接続されているということが言えます。
 この世界はたいへん見事なもので、先ほどから繰り返し申し上げているように、民話・伝承の世界では必ず橋の向こうまで通わなくて、引き返してハッと意識が覚める。引き返さなかったらアウトだし、引き返したら意識が覚めたというふうになりますが、宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』ではそういうふうに引き返したという感じ方、つまり幻想の世界あるいは白日夢の世界と現実の世界とは違うものだという感じを、『銀河鉄道の夜』は与えない。
 そのことは何かというと、銀河鉄道で橋のたとえ、比喩でいうと、橋の向こうまで渡ってしまい、スムーズにそこで現実の世界と接続されている。そういうところはたいへん特異な世界です。誇張して言うと、橋の向こう側で渡り切って目が覚めた。それで現実の世界に入る。そういう世界は民話・伝承の世界ではかつて表現されたことはない。かつて表現された民話・伝承の世界では必ず瀕死の人間が白日夢の世界で橋を渡ろうとした。必ず誘惑が多いのですが、引き返してきた。だから自分は助かったとか、目が覚めたというふうに、必ずそういうふうになる。
 渡り切ってしまった世界を想定するには、キリスト教でいえば天国の世界、つまり非常に理念的なものです。仏教でいってもそうでしょう。天国、地獄の世界で、理念として宗教性を考えるならば、そういう世界が描写されていないことはありませんが、それは宗教理念として設定しているのであって、そうではなく、現実の生活世界、たとえば『銀河鉄道の夜』でいえば、活版所でアルバイトしなければならないジョバンニが旅をする。それで非常にスムーズに伝承の世界、比喩的にいえば橋に代表する銀河鉄道に乗り、そこでさまざまな風景が展開し、体験もするということをして、またそのままスムーズに現実の世界に戻っていく。
 そういう世界はかつて民話の世界でも、理念の世界でも表現されたことはありません。そういう意味合いでスムーズに向こうに行ってしまい、つまり他界へ行ってしまい、そしてまた他界を超えて、非常にスムーズに現実の世界に接合される。そういう世界はかつて表現されたことはないので、そういう意味で非常に特異であるし、また、この人の持っていた宗教性が特異なものである。つまり深読みしますとたいへん深読みできる要素があるとわかります。宮澤賢治の童話の世界を初期から晩期に至るまでを非常に奥底のほうで規定しているのは、先ほど言いました山人みたいなものの入眠幻覚、あるいは白日夢の世界に対する異常な関心、あるいは民話・伝承に対する異常な関心から始まり、無意識のうちに民話・伝承性における橋を渡るか渡らないかという夢の世界、白日夢の世界に対してもっと総合的なかたちでひとつの思想を与えている。たとえばそれは『銀河鉄道の夜』なら『銀河鉄道の夜』に非常によく象徴されていますが、そういう世界に到達したというのは、宮澤賢治の童話を非常に奥底の流れのほうで規定している特徴ではないかと思われます。

8 底流を流れる〈橋の思想〉

 私たちが宮澤賢治の童話にどうやって入ってきたかという場合に、別にそこのところで入ってきたわけではなく、たとえば自然に対する感じ方とか、対し方、あるいは人々が実在的に考えている部分もないこともない。また、風の中、空気の中でもたとえばこれが窓と思えば、これはひとつの思想の場であって、ここから大昔の化石を掘り出すためにみんな出る。いわばあると思えばある。ないと思えばない。常にそういうものである。人間の実在性というものも、自然の存在もそういうものだろうという一種の特異な世界とか、あるいは文体上でいえば比喩のしかたが特異だ。たとえば光の子が潜んでいたとか、光が微塵となって視野が云々とか、そういうような比喩の世界に潜んでいる特異性がある。
 そういうことが宮澤賢治の童話に入っていく最初の契機としてあったのかもしれませんが、そういうものの契機から入ってきて、そして成立しているものは何かといった場合に、それはいま言いましたように民話における、あるいは北方民話における山人の伝承性みたいなもの、あるいは橋の思想というか、死後、夢の世界は無事帰ってきて成立するわけです。そういうものに対する非常に特異な解釈と特異な存在というところに成立するのが、宮澤賢治の童話の非常に根本なところを規定していると思われます。
 私が、人間は自然の一部であるという言い方を教わったのは、16、7のときに宮澤賢治から教わった。生まれるときから、人間もまた自然の一部であるということを考えたのを覚えています。そういう考え方は、宮澤賢治の自然に対する考え方、宮澤賢治の宗教性ということを結び合わせると、宮澤賢治の童話の世界を民話の世界あるいは伝承の世界、特に南方ではなく、北方伝承の世界を見つめることができるという特異性の基になっているだろうと、僕には思えます。ただ、不思議なことは、僕らは避けたいわけです。及びがたいわけです。
 そういうことを避けたいと思うわけですが、ある種の文学者は聖化される。つまりひじりと化す要素を持っている文学者というのはまれにいます。宮澤賢治もそのひとりだと思います。宮澤賢治という人を信ずるよりほかない。キリスト教、仏教の信者であるというのと同じような意味で信ずるよりほかないというふうに、読者が受ける要素はある。聖化されてしまう文学者というものはまれにある。その問題はたくさんの問題をはらむのでしょうけれど、そういうふうに読まれやすい宮澤賢治の要素というものが、宮澤賢治の童話の世界あるいは詩の世界に近づく場合の一種の妨げになるということを警戒すればよろしいのではないかと思います。さまざまな観点からもまだまだたくさんの問題提起を残している文学者であると、僕には思われます。
 僕が16、7のときに凝りに凝ったときはそういうところに気がつかなかったけれど、読み直してみて気がついたことはどういうことであるかということで、今日お話し申し上げました。別にそういう考え方は普遍性があると主張するつもりは毛頭ありませんけれど、こういう宮澤賢治に気がついたというか、作品の底流にある部分を申し上げて、これで終わりたいと思います。(拍手)