与えられたテーマは「生きることについて」です。皆さんが生きることについてといった場合に、如何に生きるか、生きることかという様にあるいは受け取られるかと思います。ところで如何に生きるべきかということではなくて、生きることっていう状態というのはどういうふうに理解したらいいのだろうかというふうに今日の演題を解釈とお呼びしましてお話を進めたいと思います。
そして、もし生きることについて共通の理解の場所をといったようなものが得られるならば、今日のお話の目的っていうのは達せられたっていうふうに考えます。
まず、生きることについてどういう理解の仕方が成り立つかという場合に、生きることについて自体ではなく、死ぬことについて、或いは死についてどういうふうに理解するかというところから入っていきたいと思います。
死について、日本の歴史の中で一番切実に考えられた時代っていうのは、平安朝の末期から中世にかけて、つまり戦乱時代にかけて日本に浄土の思想というものが大きくクローズアップされてきた時代があるわけですけれど、その時に浄土教、浄土宗あるいは浄土教の思想っていうようなものが、生きることについて、それから死ぬことについて一番切実に、そして今考えましても一番徹底的に考えた時代だっていうふうに思います。
例えば栄花物語なんていうものをみますと、藤原道長っていう当時の太政大臣で栄華を極めた人がいるわけですけど、その人がやっぱりそういう人達でも死にかかったり臨終間際になると、その時、死んだ後でもなお生きたいわけで。生きたいっていうことは浄土へ行きたいということで、浄土に生まれ変わりたいっていうことで、それでやはりそういう描写が出て来ますけど、その時その時代の浄土教の教えの一般的な考え方では、仏像がありますと、仏像といいましても阿弥陀如来なんですけど、それに五色の紐といいますか糸といいますか、布をかけまして、それで臨終の床でその端っこをつかんでいって、そして臨終するとそのまま浄土へ行けるみたいなそういう描写があるように、だいたい臨終ということ、つまり死ということがあった場合に、その死からどうして跳躍するかっていう場合に、その時に死に際して、念仏を一ぺんでも十ぺんでも唱えれば、あるいはその時に浄土っていうようなものの姿っていうようなものを想像力によって思い浮かべるとか、或いは今言いましたように、仏像に五色の紐をかけてそして浄土を念ずるみたいなことをすると浄土へ行けるっていうそういう考え方が非常に流布されたわけです。そしてそれは上は太政大臣から下は普通の庶民に至るまでそういうことを信じて止まなかったっていうわけです。
その時に多分人間が生きることっていうのはどういうことか、或いは死ぬっていうことは生きることが終わるっていうことはどういうことか或いは生きることが終わった後でどうするのか或いはどうなるのかっていうようなことについて最も切実に考えた時代だというふうに思うことができます。この日本における死についての考え方をとことんまで進めたといえばそれは僕は親鸞という人だと思います。
例えば親鸞という人と一遍という人がまあ非常にとことんまで生きることはどういうことか、或いは死ぬということはどういうことかということを考え 詰めたと思います。
例えば一遍という人はどういうふうに考えたかといいますと、もしも生きながら、つまり生きていながら、ようするに無一物になることができたならば、つまりあらゆる無一物になることができたならばということは、つまりあらゆる執着っていうようなものを現世に対する執着みたいなものを全部取っ払うことができたならば、そうすれば生きながら死ぬことができるというふうに考えられる。つまり生きるよりも死っていうことを、つまり今の言葉で言えば同じ水準同じレベルにもっていく為にはどうしたらいいか。
その場合一遍という人は例えばあの要するに生きながら無一物になり、そして無一物になることによって無執着になればそうすれば生きながら即ち死ぬことができる。
言い換えれば生きながら浄土に生まれ変わることができるっていう考え方を一遍なんかは採ったわけです。
これに対して、つまりこの考え方っていうのはつまり生きることと死ぬことっていうようなものをあのー生きる次に次にじゃなくて生きた果てに死ぬっていうことにじゃなくて生きることと死ぬことを同じレベルにどうやったらもっていくことができるか。つまりそういうようにもっていくことによってどうやって生き続けることができるかというようなことを考えた挙句つまりこれは生きることにまつわるあらゆる物質的及び精神的な執着っていうのは全部取っ払ってしまって、生きながら死んじゃえばいいんだって全部放棄しちゃって無一物になっちゃえばこれは孤独・独一であって、、これはすなわち死なんだ、だから生きながら死ぬことができるんだ或いは生きながらつまり浄土に行くことができるんだ、生まれ変わることができるんだ、っていうふうな発想をしてそれをまあ自分で実践したわけです。
だから一遍なんかはどっか一か所に住居を定めたりというようなことは絶対にしてはいけないし、自分はしなかった人です。
それで、しょっちゅう旅に出たり、あらゆるものを放棄しろというような考え方を採って、それで絶えず生きることを生きることは即ち死であるというような、そういう所に自分の身を置くということが、如何に生きるかということについての或いは如何に死ぬかについての一遍の解決の仕方だったというように思われます。
これに対して、対照的に親鸞なんかを考えますと、親鸞なんかの考えはそうじゃなくて、ようするに、臨終して浄土にいくっていう考え方はダメなんだっていうふうに考えたわけです。それから、臨終のときに念仏を唱えたら、阿弥陀如来が迎えに来て浄土に往くことができるみたいな、そういう考え方もダメだ。
どういうことかっていいますと、臨終なんていうものを待つことはいらないし、もちろん、阿弥陀如来が来迎してくるなんていう考え方はとるべきじゃないし、またとる必要もない。ただ、浄土を信ずるっていうことが自分の中で決定したときに死が決定するんだ。あるいは、往生、つまり、生まれ変わりが決定するんだっていうふうに、そういう考え方を親鸞なんかはとったわけです。
だから、たとえば弟子に念仏を唱えたりなんかしても、浄土へいきたいという気が少しも起こらないのはどうしてなんだっていうふうに聞かれて、それはおれだってそうだ、自分だってそういう気は起こらない、なぜならば、執着すべき苦悩の故郷っていうのは、なかなか捨てがたいものなんだ。また、どんなに安らかなところでも、まだ見ない浄土には、なかなかいきにくいものだから、ひとりでに死ぬべき時がきたら、それでいいんだっていう考え方を親鸞なんかはとっていたわけです。
この考え方は、たいへん仏教の教理というものを日本的に置き直しているわけですけど、しかし、仏教っていうのは何かといいますと、非常に根本的にどの宗派でもどの仏教的な思想家であろうと、その帰するところはただひとつなんです。
その帰するところは何かっていいますと、これは、インドで発生した古代的な思想なわけですけど、仏教っていうのはそうなわけですけど。インドにおける古代的な思想っていうのは、根本的に何かっていいますと、それは根本的には輪廻っていう、つまり、生まれ変わりっていう考え方があるわけです。
生まれ変わりっていう考え方は、どういう考え方かっていいますと、人間っていうのは繰り返し生まれ変わるっていう考え方です。この生まれ変わりっていう考え方に対して、生まれ変わりっていう考え方自体は、もちろんインドにもありますし、それから、ニューギニア諸島みたいなところにもありますし、また、アラスカとか、カナダとかの、インディアンだかのそういう考え方があります。
つまり、どういうことかっていいますと、生まれ変わりっていう考え方自体は、これは未開社会でのある普遍的な考え方です。つまり、多少の相違があっても、生まれ変わりっていうのがある考え方は、これは未開社会における考え方として、非常に普遍的な考え方なんです。仏教っていうのもやはりその例にもれないので、仏教の根本思想にあるもの、つまり、バラモンとか、ヒンズーとか、そういう仏教以前のインド思想のなかにあるものも、生まれ変わり、あるいは輪廻という考え方です。人間は死ぬことはできないという考え方です。つまり、繰り返し生まれ変わっていく考え方です。
仏教っていうのが、それに対して、どういうことをしたかっていうふうに考えますと、仏教は、人間は生まれ変わるんだっていう考え方をひとつ継承するわけですけど、ただ、価値観を変えたと思います。どういうふうに変えたかっていいますと、生まれ変わることはよくないことなんだっていうふうに、価値観を仏教は変えたわけです。つまり、生まれ変わりには違いないんだと、しかし、どういう手段をとるかは、それぞれあるとして、ある手段をとって悟りの境地に達すれば、もはや生まれ変わらないで涅槃に達することができると、涅槃に達することができれば、もう生まれ変わる必要はないので、生まれ変わってまたあまり楽しくない、楽でもない、この世に生まれてくるとか、あるいは、ほかの動物に生まれてくるとかってことを繰り返し、繰り返しやるっていうことは免れる。だから、そのために悟りの方法っていうのをつかまえていけばいいと、それだから、輪廻っていう、あるいは生まれ変わりっていう思想は、やはり同じなんですけど、仏教は生まれ変わりっていう考え方に対して価値観を変えたと思います。
だから、むしろ生まれ変わるっていうことは、悪いことばっかりしているから、だから、生まれ変わりを繰り返して、あんまり面白くもないこの世に生まれてくるっていうようなことになってしまうんだ。だから、そこのところを、修練あるいは修行によって悟りをひらけば、もはや一回きりで涅槃にいったとすると、無に達することができる。そうすれば、生まれることもないし、死ぬこともない、そういう生まれ変わりっていうのはそこで断ち切られる、あるいは、死を迎えてしまうという考え方を、仏教は根本的にとったと思います。この考え方が、日本の仏教の根本的な考え方になっていくわけです。
これは非常に重要なことなんですけど、生まれ変わりの考え方っていうのは、先ほど言いましたように、未開社会というものに固有なものです。つまり、未開社会のどこでもありうる考え方です。
ところで、仏教のように、これに対して価値観を変えるっていう考え方は、人間の歴史の中でどういう段階で出てくるかっていいますと、未開社会を人間が脱して、原始的な社会、あるいは原始的な社会の次に考えられる社会をアジア的社会っていうふうにいいますけど、原始社会がアジア的社会に、つまり未開社会を脱する過程で、仏教的な考え方っていうものが、人類の歴史のなかで初めて出てくるわけです。
その根本にあるのは、生まれ変わりっていう考え方が、アジア的社会っていうものは残されるってことがいえます。このことが仏教の考え方の根本的なところを司っている考え方だっていうふうに思われます。ところで、生まれ変わりっていう考え方に対して、具体的なそういう実例っていうものを挙げている本があります。
これはアンダーソン(スティーヴンソン)っていう人の『前世を記憶する20人の子供』という本がありますけど、それは、インド、アラスカ、カナダっていうようなところの地域で、これは現代の話ですけども、やはり生まれ変わりの例っていうのを捜しているわけです。生まれ変わりの少数例っていうのを捜して調査している記録なんですけど。
どういうことかっていいますと、たとえば、インドのある女性の大学の先生がいると、それで、その大学の先生は、自分が習ったこともない昔の踊りっていうものを踊ることができ、それから、自分が習ったことない言葉で歌を歌うことができる、そういう話があるわけです。
そうすると、アメリカの社会宗教学者ですけど、そこへ行きまして、調査しているわけです。できるだけ偶然性とか、怪しいところを排除しながら調査しまして、それで、その人に直接会いまして、その踊りと歌っていうのをやってもらうわけです。それをやるわけです。自分が前世は何々という人の妻だったっていうふうに、その女性のインドの大学教授が言うわけです。それで一緒にその村に住んでいたと、そうすると、そこに訪ねていきますと、やっぱり、この人が自分の夫だった人だっていうふうに、ちゃんとこれらの人が全部家族だった人だ。自分の夫だった人と暮らしていたとき、どういうことがあったっていうことを逐一述べますと、それは非常によく一致するっていうことで、そういう事例をたくさん集めたわけです。
もうひとつあげますと、たとえば、三歳か、四歳くらいの子供がいると、自分の前世は近くの何々という村の何々という人の妻だったっていうようなことを言うわけです。そうすると、それが評判になるわけですけど、そこへ訪ねていって、その子供にインタビューしまして、子供と一緒に村へ訪ねていきます。訪ねていきますと、やっぱりこの人がじぶんの前世での夫だというふうに言うと、言っている方の子供は三歳か四歳なんですけど、言われている方は四十歳ぐらいの男であったりするわけです。ところが、その男の人のほうも、その子供に対する言葉遣いや態度とかっていうものが、自分の細君に対する態度みたいな、そういうような態度をちゃんとします。もちろん子供はあそこに何々があったとか、こういう時にこういうことがあったとかっていうのを、それは逐一符合するっていうような事例を20例ばかり集めた本があります。
これをまとめた社会学者は、これは生まれ変わりっていうものの実際例というふうにそれを理解して、そのように調査の結果を発表しているわけです。そうすると、このことは何かっていうことなんですけど、そういう言葉はないんですけど、しいて言いますと、これは、現在の考え方ですれば、「既体験」ということになると思います。
みなさんでもそういう体験はあるかと思いますけど、非常に疲労したりしたときに、たとえば、歩いている道が初めて通る道なのに、いつかこの道は通ったことがあるっていう感じにおそわれることが、ふつうの人でもよくありうるわけですけど、ぼくはこの調査の例で、これが現代の例なんですけど、この調査の例で、自分が前世に何々の妻だったとか、前世で誰それの夫であったかっていうふうに言うその事例は、たぶん、現在の理解の仕方でいえば、「既視体験」というのと同じであって、あらゆる体験が、かつて自分が体験したことがあるように思われるっていうような、そういう一種の錯覚なんですけど、あるいは幻覚なんですけど、その幻覚というふうに考えるべきだと思います。つまり、そういう例として理解することができると思います。
これは、この調査をしている人は、そういうふうに理解していないので、文字どおり人間は前世から生まれ変わって、この世に生まれてきたんだっていうふうな、その少数例として、それを挙げているわけですけど、たぶん、われわれが理解する解釈の仕方では、つまり、近代的な、現代的な解釈の仕方では、一種の精神病理現象であって、それはこのような体験をかつて自分が体験したように見えるとか、思えるとか、あるいは、どのような風景も、かつて自分がそれを体験したように思えるっていうような、そういう既体験、あるいは既視体験っていうものと近いものだっていうふうに理解することができると思います。
ところで、マリノウスキーっていう民俗学者がトロブリアンド諸島の、いま現在でも未開的な社会をかたちづくっている、そういう地域で、人間っていうのはどうやって死ぬのか、どうやって生きるのか、生まれてくるのかっていうことについて調査した結果があります。
その調査をみますと、やっぱり、トロブリアンド島では、人間っていうのは死ぬと霊になって、あるひとつの島にいって、その島で霊として生活している、たまたま霊として生活している霊が海の上の海藻とか、海の浮遊物とか、微生物とか、そういうものに乗っかって、トロブリアントの海岸にたどり着いてくると、海岸にたどり着いてきて、海岸で水浴びをしている女の人にくっつくことがあると、そうすると、その女の人は妊娠してお腹が大きくなって、それで子供が生まれる。そういう場合もあるし、また、海岸にやってきて、そして違う霊に導かれて、女の人の頭の毛の中に憑りつくと、そうすると、女の人は頭が痛くなって、それから、吐き気をもよおして、それから、女の人のお腹から生まれてくるっていうような、そういう一般的な考え方をトロブリアントの人達がしているっていう例をあげています。
これもその場合に、もちろん、どんな霊がどういう女の人にくっつくのかっていう場合に、それは必ず同じ氏族、あるいは同じ氏族の枝、そういう女の人にだけ、霊はくっつくんだっていうふうに、そういうふうになっている。これも生まれ変わりの例であって、この例はたとえば、現在の考え方で、これをそれはちょっと精神病理学的な現象であるというふうに言えないわけです。
なぜならば、そこのトロブリアントの社会では、それが全部、氏族共同体の中で、全員によってそのことが信じられ、全員によって、そのように理解されているから、これを精神病理的な現象というふうにいうならば、全部が精神病理的な現象っていうことになってしまいます。
だから、これを精神病理的な現象というふうに見ることはできないのであって、これはあきらかにひとつの、人類が未開社会にあったときに、人間は生きることと死ぬことをどういうふうに考えていたかっていうことのひとつの例として、これを理解することができると思います。
先ほど挙げました、現代において、インド、アラスカっていうところで調査して、そういう生まれ変わりの人がいる、あるいは、生まれ変わったと言っている人がいると、それは事実に符合する、そういう例が一種の病理的な現象として考えられるのは、それが少数例であるからです。
現在においては少数例であるから、病理的な現象というふうに理解することができるわけで、しかし、本質的には少しも変わってないし、同じ問題であって、いずれも、未開的な社会における人間の生きることと、死ぬことっていうような問題は、そのなかで、いまも生きている、ひとつの例というようなふうに考えることができます。
このような社会というものを考えますと、生きることと、死ぬことっていうのはどういうふうに理解されているかっていいますと、氏族の共同体の中で、あるひとりの人間が死んだ時に、個人の死っていうものは存在しないっていうことなんです。つまり、個人の死っていうものはありえないと考えられているわけです。氏族共同体の中である個人が死にますと、すぐに霊が集まっている島から霊がやってきて、その氏族の誰か女性の人に憑いて、そして、生まれてくると、生まれてきた人に対して、名前も死んだ人と同じ名前、あるいは、同じ姓を付ける、そうすると、共同体としての個人の死っていうものは、補充されてしまうわけです。
つまり、明らかに、未開の氏族共同体の中では、個人は死ぬことができないので、あるいは、死ぬことはありえないので、つまり、いつでも、個人が死んでも、個人の死として受け取られることはないのであって、それは共同体のひとつの欠如っていいますか、ひとつの穴が空いた、そうすると、共同体として、その穴を埋めるってことになります。
それを埋めるっていうことはどういうことかといいますと、それは、氏族の共同体の霊がやってきて、ある同じ部族に属する女の人に住みついて、そして生まれる。そうすると、それは同じ人が生まれてきた、同じ人の生まれ変わりであるという考え方がございますから、ここでは個人っていうものは死ぬこともできなければ、滅びることもありえないわけです。
これがたぶん、未開社会における生まれ変わり、あるいは、仏教が本質的な問題として引きずっている輪廻、生まれ変わりっていう考え方の根底にある問題だっていうふうに理解されます。つまり、そのような社会では、もしも、生きている人間が死者っていうものを思い浮かべるとすれば、あるいは、死者の世界っていうものを思い浮かべるとすれば、死者の世界は、すぐ自分の想像力の隣のところに、つまり、現世のすぐ隣のところで、想像力によってすぐに思い浮かべることができるというふうに、死の世界というものは考えられていたっていうふうに思われます。つまり、その世界では、死者の世界も生者の世界も一緒になって、ひっくるめてそれがひとつの社会だっていうふうに理解されていたっていうふうに、そういうふうに考えることができます。
これが未開社会における生まれ変わりっていうこと、人は死ぬことができない。人が生きるっていうことは何かっていうことの非常に根本的な問題っていうようなものがそこにあるというふうに考えられるわけです。
だから、仏教っていうものを、たぶんに未開社会における考え方っていうものを根本に引きずっているわけですけど、そこのところで、いわば価値観っていうものを変えたっていうことが、非常に重要なところだっていうふうに思われます。
だから、先ほどの中世の仏教家でも、一遍にもそういうところがありますけど、死ぬっていうことのほうが価値あること、価値ある生き方なんだ。つまり、死に近づいていく生き方っていうようなのが、価値ある生き方、あるいは、もっと極端にいいますと、早く死ななきゃいけないっていうような考え方に、どんどん中世の浄土系の思想家っていうのは、どんどんそこに突っ込んでいってしまいます。
つまり、それはなぜかっていいますと、いまみたいな仏教的な考え方でいきますと、生まれるっていうことよりも、死ぬっていうことのほうが、いわば非常に価値観があるっていうことに転倒されているからです。たぶん、仏教の根本的な考え方の段階っていうものを、我々はたぶん原始的な社会からアジア的な社会っていう段階で想定することが、つまり、考えることができるんだっていうふうに思われます。これは、たとえば、いま申し上げましたのは、死についての近代以前の考え方をお話したわけですけど。
近代以降における死についての考え方っていうものは、どういうふうに考えられているかっていうような例を挙げてみます。そうすると、みなさんの知っている思想家ばっかり挙げますと、たとえば、マルクスのきょ友であるフリードリッヒ・エンゲルスっていう思想家がいます。エンゲルスが死についてどう考えていたかっていうことを申し上げますと、これは『自然弁証法』の中に出てきますけど。エンゲルスの根本的な考え方っていうものは、死っていうものを含まない政治学っていう考え方は無意味だっていうことを言っています。
つまり、「生」っていうのは、今日の演題に近づけていえば、生きるということのなかに、生きるということの否定が含まれているんだっていうこと、つまり、生きるということのなかには、そのまま、死っていうものが含まれているんだ。これがいわば、人間における弁証法っていうものは、そういうふうに成り立っているっていう言い方をしています。
たとえば、人間の細胞っていうものは、死ぬ細胞があるかと思うと、新しくできあがる細胞があるっていうふうに、日々毎日、あるいは刻々に、物質代謝が自然との間に行われていると、だから、必ず生まれてくる細胞もありますし、死んでいく細胞もある。そのことに停止っていうことはない。だから、いつでも流動している。そういうことも一例であるけど、つまり、人間が「生きる」ということ、「生」っていうことを考える場合には、「生」の否定というものがそのなかに含まれていると考えるべきだっていうふうに、エンゲルスは言っています。
そうすると、エンゲルスによれば、「死」っていうことはどういうことかっていうと、2つ考えられるわけです。ひとつは、「死」っていうことは、有機体の消滅だと、有機体というものは全部、その人の化学的な成分である蛋白質とか、脂肪とか、そういうようなものに全部分解されてしまうと、それで自然の要素になってしまう、それがいわば死であるっていうふうに考えられることがひとつだっていうふうにエンゲルスは言っています。
もうひとつのことをエンゲルスは言っています。もうひとつのことは、もしも、人間の生命原理っていうもの、生きるということの原理、あるいは別の言い方をして、それは「魂」と言ってもいいわけですけど、「魂」というものが残存すると考えるとすれば、その「魂」っていうものは、人間だけではなくて、あらゆる生物の死別よりも、もっと先まで残るだろうというふうに考えられることがひとつであると、エンゲルスは、いわば死っていうことをどういうふうに考えられるかというと、そのふたつのことが考えられるというふうに言っています。
つまり、みなさんは、エンゲルスは唯物論者だから、いま言いましたひとつのほうで、つまり、死んだら肉体は死滅しちゃって、分解して、消滅して、科学的な成分に還ってしまう、これだけしか言っていないっていうふうにお考えになると、そうじゃなくて、そういうことは確かにひとつなんだけど、もうひとつのことを言っています。
生命原理っていうことを考えうるならば、それが残るとするならば、それは、人間の死滅よりも、消滅よりも、あるいは、あらゆる生物体の消滅よりも、もう少し先までそれが生き残るというふうに考えられることがひとつであるというふうに言っています。これは、エンゲルスの死についての考え方です。
もうひとつだけ挙げましょうか、たとえば、サルトルの夫人であるボーヴォワールっていう女性の哲学者がいるわけですけど、ボーヴォワールは『老い』っていう本のなかで、やはり「死」について言及しています。
じぶんが「死」っていうものに対する悲しみっていうものを幾分かでも和らげられたのは、じぶんが「死」っていうものを世界における「不在」だというふうに考えられるようになってからだっていうふうに言っています。
たとえば、自分たちは日々、「不在」を体験している、この「不在」は、かつて友達であった人間が亡くなってとか、かつて父親であったとか、母親であったとか、肉親であった人が亡くなって、いまや「不在」である。また、かつて自分がいった土地に二度と行くことがない土地も、じぶんにとって「不在」である、このように考えていくと、人間の存在っていうものは、世界における「不在」っていうものを絶えず体験しながら生きているようなものだ。そして、いわば、その「不在」っていうものが、すべてを覆い尽した時に、それが「死」なんだっていうふうに考えるようになって、じぶんは「死」とか、「老い」とかいうものに対して、恐怖とか、悲しみっていうものを和らげられるようになったっていうふうな言い方をしています。これは現代における典型的な哲学者のひとつの考え方です。
もうひとつ挙げてみますと、ミシェル・フーコーっていう哲学者、フランスの哲学者ですけど、やはり、死について言及しています。これは、『臨床医学の誕生』の中で言及しています。「死」っていうことは何かっていうことについて、何千年来、やはり考えられてきていると、しかし、その考え方っていうものをよくあれしてみると、人間っていうのは、あるとき突然、病に冒される、病に冒されると病の果てに「死」っていうものがやってくると、そうするとひとつは、我々はどういうふうに考えてきたかっていうと、健康っていうことを基準にして、その次に、健康の次にやってくるのは病気であり、病気の果てに考えられるのは「死」であるというふうに、ひとりでに、生物体の生き方、つまり、生きることっていうものと、それから、病気っていう、生きることの欠陥ですけど、病気っていうことと、それから、「死」っていうものを、いわば、時間的な連鎖として、知らず知らずのうちに我々は考えてきていると、歴史的に言ってもそう考えてきている。
しかし、ほんとうはそうじゃない。「死」っていうのは何かっていえば、「死」っていうのは、「病」っていうものと、それから、人間の「生きる」という、つまり生命の原理ですけど、「生きる」ということを、いわば底辺とすると、その頂点に「死」っていうものが絶えずあって、そして、その頂点における「死」っていうものから、絶えず照らし出されることによって、我々は生きているっていう言い方をしています。
だから、「死」っていうものは、いわば、生きていることを分析する場合の最大の分析者なんだ。我々がもし、分析哲学っていうものを考えるとして、分析哲学っていうものは、必ずしも最大の、あるいは究極的な、人間の観念の働きに対する究極的な分析者ではないんだと、それはいずれにせよ相対的な分析者であると、しかし、「死」っていうものを頂点として、そこから照らし出された人間の「生」、「生きる」っていうことと、それから、「病気」の原理っていうものと、それを考えていくと、そこではじめて、人間の「生きる」ってことは十全に照らし出せるんだっていう言い方をしています。だから、「死」っていうものは最大の分析者として考えられるわけです。
「死」っていうものによって、我々は「生」の構造、つまり、「生きること」の構造っていうものをはっきりと捉まえることができるようになったのです。捉まえることができるようになったっていうことが、個々の人達の考え方として捉まえられることができるようになったっていうことじゃなくて、いわば、人間の「生きる」っていうことを分析するための道具としての「死」っていうもの、それが考えられるようになった。
だから、この考え方によれば、いわば「死」っていうものが頂点にくる、ひとつの三角形というものを考えて、そこで照らし出されてくるものが、人間の「生きる」っていうものの透視された構造なんだっていうような言い方をフーコーはしています。
この考え方っていうものは、我々が生きている果てには「病」があり、「病」の果てには、闇のような向こうに「死」があるっていうふうに、我々は無意識に考えていくわけですけど、この考え方をいわば、ピタリと断ち切る考え方を示している。生の原理を照らす、いわば、原理としての死っていうような、そういう考え方をとっているという意味で、非常にユニークで、そして、非常に新しい考え方だっていうふうにいうことができます。
そうしますと、いま3つの例を、近代以降の「死」についての考え方の例を挙げました。それで、皆さんが聞いていたら話が違うと思われるかもしれませんけど。つまり、これらの思想家っていうのは、「死」について真っ正面から考え方を提出しているっていうことが言えます。
たとえば、いま挙げました例でいえば、エンゲルスがそのはしりであるわけですけど、このことの意味は何かっていいますと、先ほど言いました、未開社会から古代社会、アジア的な社会っていうものでつくりあげられた思想ですね、たとえば、仏教の思想っていうもののなかには、もちろん、生死についての考え方も含まれますし、それから、いかに生きるべきかっていう考え方もそのなかに必然的に含まれているわけです。それで、人間がどうやってできあがったのかって考え方も、もちろんあるわけです。それから、もちろん、人間以外の動物、あるいは無生物っていうものがどうやって生成したのか、もっと極端にいいますと、宇宙っていうものはどうやって生成したのか、どうやってできあがったのかっていうような考え方ってものも含めまして、いわば、ひとつの古代的、あるいはアジア的思想っていうものが、そこのところで完結したひとつの思想の世界っていうものをつくってしまったわけです。
皆さんはそう考えないかもしれないですけど、人間の歴史っていうものは、だいたいにおいて重要だと思われることは、古代社会が終わったところで、だいたいにおいて考え尽されています。大体そこまでで人間っていうのは、大切だと思われることはたいてい考えています。
もし、近代以降の考え方っていうものが、古代的な思想っていうものに対して、違う考え方を出そうとした場合に、いわば、一種の緊張感っていうものが、いま言いましたエンゲルスであり、それから、ボーヴォワールであり、フーコーであるっていうような、そういう思想家が真っ正面から「死」っていうような、つまり、我々の観念でいえば陰気臭くて、眼をそむけたくなるような課題に対して、真っ正面から挑んでいるそのエネルギーっていうものは、なぜ出てくるかっていいますと、それはいわば、古代思想として完成されてしまった思想、たとえば、ギリシャ思想もそうですし、仏教の思想もそうです。または、儒教の思想もそうですけど、あるいは旧約のキリスト教的な思想、ユダヤ的な思想っていうのもそうですけど、そういう完結された古代思想の、一種の偉大さっていうものがあるわけですけども。偉大さに対して、いわば別の原理を提出しようっていう迫力みたいなものが、いわば、そういう「死」みたいな、つまり、一見すると目を背けたくなるような、そういう問題に対して、真っ正面から挑ませている理由だと思います。
だから、これらの人の死に対する考え方は、それぞれニュアンスが違いますけど、しかし、とことんまでっていいますか、徹底的に考えられているっていう意味合いでは、徹底的に言い切られているところがあります。つまり、それなりに考え方が言い切られているところがあります。このことが、非常に、これらの思想家の「死」についての考え方っていうものを根本的、あるいは根底的にしているし、また、ある意味で非常に重たくしているっていう理由だっていうふうに考えます。
じゃあ、我々っていいますか、今日の問題は何なのか、問題はどういうふうに考えたらいいのかってことになるわけですけど、ぼくはこう考えます。つまり、それならば、古代的な、あるいは近代以前の「死」についての考え方、それは、「生きる」ってことについての考え方なんですけど、近代以前の「死」についての考え方っていうものと、それから、近代以降のいま言いました「死」についての考え方の間に橋を架けるとしたらば、どういう橋の架け方が可能なのか、それから、それはどういう仕方で橋が架けられているのかっていうような、あるいは、架けることが問題なのかっていうようなことになると思います。
先ほど言いましたように、じぶんが前世から生まれ変わった人間なんだっていうような言い方ですね、そういう言い方のなかに含まれている一種の異常さ、つまり、我々の理解の仕方でいう、現代の理解の仕方でいう異常さっていうものを考えますと、その種の生まれ変わりとか、輪廻とか、そういう仏教なんかにおいて、あるいは仏教以前の考え方においては、非常に重要な考え方のひとつである、つまり、その考え方のなかに、いかにして人間は生きるのかっていう考え方が必然的に含まれていくようになります。
つまり、いかに共同体の一員として生きるのかとか、いかにこの世で立派に生きるのかとか、立派に死ぬのかっていうことが含まれているような輪廻っていう考え方を、言ってみれば、現代の、あるいは近代以降の考え方に翻訳してしまいますと、単なる心理現象っていうものに翻訳されてしまうわけです。つまり、翻訳されてしまうところがあるわけなんです。
そうしますと、近代以降の思想っていうようなもの、あるいは、一面では古代的な思想っていうようなものは、すべて迷妄じゃないか、つまり、人間が生まれ変わる、生き変わるっていうものは迷妄じゃないか、つまり、非科学的な迷妄じゃないかっていうところで、いわば片づけられてしまうわけです。片づけられること自体が真理でもあるわけです。
しかし、そういうふうに片づけて、なお解き得ないものが残るわけですけど、その残るものは何かっていいましたら、先ほど言いましたように、輪廻っていう思想は、古代仏教思想のひとつの中核として、非常に重要なものであり、そのなかには、人間がいかに生きるべきか、古代人がいかに生きるべきかの考え方っていうような重要な問題がそこに含まれているわけです。
ところで、近代以降の、これは心理学の問題ではないか、心理学、あるいは超心理学、あるいは異常心理学の問題じゃないかっていうふうに我々が理解する場合には、いかに生きるべきかっていう問題がそこから必然的に除外されています。
除外されてひとつの心理現象、あるいは異常現象、あるいは、この人間は病理的な人なんだっていう、精神病理的な範疇に入ってしまうんだっていうようなところで片がつけられるっていうふうになります。
だから、輪廻、生まれ変わりっていうものは、そういうものとして理解されてしまう、そうすると、それは一面では真理であるけど、一面では古代思想のもっている大きさっていうものが、非常に小さな規模の単なる心理学の問題、あるいは単なる精神病理学の問題に還元されてしまうっていうような、一種の欠陥をもつわけです。
だから、問題はそうじゃなくて、その橋の架け方じゃなくて、もう少し適切な、いわば古代以前の思想っていうようなものと、それから、近代以降の「死」についての思想の間に、もっと適切な橋の架け方を少なくともしなければならないってことが、あるいは、することが重要なんだ、あるいは、大切なんだっていう問題がどうしても提起されてこなくちゃならないっていうふうに考えられるわけです。
たとえば、レヴィ・ブリュルっていう人が『未開社会の思惟』っていう本のなかで、死んだ体験をした人の聞き書きを書きとめています。そのなかで、死んだ体験をした未開社会の人なんですけど、その人はどういうことを言ってるかっていうと、こういうこと を言っています。
じぶんは死の体験をした。じぶんは死ぬっていうことが怖くなかった。そして、死んだらどうしたかっていうと、死んだら自分の死体のそばに自分は立っていた。つまり、自分は自分の死体を見ていたってことですね、そしたら、その死体に対して、お呪いの印をつけたり、そばの人が印をつけたり、それから、横たえたりしていた。そのうちに3日、4日すると、じぶんは昼か夜かわからなくなったっていう、そのうちに苦しくなったので、周囲に対して何か食べさせてくれっていうふうに自分は言った。そうしたらば、周りにいる人たちが何か食べ物を火の中に投げ入れた。それで、食べ物を火の中に投げ入れたら、じぶんは空腹が満たされた。で、じぶんは死んだ時にいた家を離れたくないなっていうふうに思っているんだと、しかし、周りにいる人たちは、じぶんの死体を家から運び出そうとした。じぶんは人が火に投げ入れてくれた食べ物を食べたら、お腹がきつくなったってことで、じぶんは死んじゃったんだなって思った。だから、死の世界にいくのもやむをえないと思って、家にとどまっていたかったんだけど、運ばれたままになった。で、運ばれたままになっていたんだけど、5,6日していくうちに自分は生き返ってきたっていうふうに、「死」の体験を語ったっていう記録をしています。
この種の体験っていうものは、いわば未開社会における、あるいは、未開人における死後の世界の姿っていうものを、如実にそれを語っているわけです。しかし、もし現代の我々がこの未開人の体験談っていうものを、ぼくらが理解するとしたら、それは離人体験というふうになってしまうわけです。
つまり、自分が自分を客観視できるとか、自分が空中、あるいは自分の眼が空中に浮きあがり、そして、じぶんを見ているっていうような、そういう体験みたいな、あるいは、自分を自分が客観的に見ることができるっていうような体験を、いわば、精神病理学的にいって、一種の離人体験っていうふうに名付けますけど、それじゃあ、これを死の体験っていうふうに理解できますのは、言っているものは、我々の現代の概念でいえば、これは離人体験じゃないか、つまり、一種の異常現象じゃないかっていうふうになってしまうわけです。
だから、そうすると、やはりひとつの、未開人にとって、他の世界、死後の世界っていうのは、死者のいる世界っていうものに自分が入っていって、そこを見て、それで帰ってきたっていうような、そういう未開人のリアルな体験っていうようなものは、我々からみれば、それは精神病理学的な問題なんだっていうふうに、離人現象だっていうふうに理解されてしまう。
理解されたところで、問題は終わりかってことになりますと、そうすると、未開人がそのことのなかに託した、生きることの敬虔さとか、死ぬことの、死の世界を如実に見たことの歓喜とか、その生き甲斐とか、そういうものが全部、そこから全部排除されてしまって、単なる病理現象っていうふうになってしまうわけです。
だから、この思想っていうようなものは、単に異常現象にすぎないっていうふうに理解されてしまったところで、問題は終わるのかっていったら、決して終わることはない、そこで終わらせては、問題は少しも進んでいかないっていうような問題をここに含むわけです。
だから、このことが、いわば近代以降の「生きること」、それから「死ぬこと」についての思想と、近代以前の「生きること」、あるいは「死ぬこと」についての思想に対して、どのように我々が橋を架けるかっていう問題のいちばん根底的な問題っていうものは、そこにあるということがいうことができます。
今日のお話をもうひとつ極端におしすすめていきたいと思います。極端におしすすめるに非常にふさわしい本がアメリカの精神病理学者によって書かれています。それは、『死ぬ瞬間』っていう本ですけど、『死ぬ瞬間』っていう本のなかでどういうことがされているかっていいますと、いわば、癌とか、その他重病でもって、再起不能の重病によって、死期が近く、かつ必然であろうっていうような、そういう人達に対してインタビューした、そういう記録なわけです。記録を書きとめたわけです。
このインタビューした記録っていうものは、やはり凄まじいものだっていうふうに感じます。しかし、凄まじいものですけど、我々の認識に対して、何かを加えていないかっていうと、決してそうではないです。加えているところがあります。
死に瀕した患者たちとのインタビューで、どういうことが出てきているか、どういうことを見つけ出し、どういうことを考えてきているかっていいますと、人間がもはや死をまぬがれないってなったときに、どういうふうに考え方が変わっていくか、転化していくかっていうようなことについて、ひとつの共通性、あるいは法則性といってもいいんですけど、共通性っていうものをつかみだしています。その共通性っていうものは、5つの段階っていうものに区分けすることができます。
その5つの段階に区分けされている第一の段階っていうのは何かっていうと、もしそういうふうに死が必然的だっていうふうに思われてきたとき、あるいは、そのように宣告されたときには、その患者さんはどういうふうに考えるかっていうと、ほとんど例外っていうものはなしに、そんなことはない、つまり、その事態、事柄についての否認っていいますか、否定っていいますか、それがまず第一段階にやってくる。そのことについて、例外はほとんどないっていうふうに言っています。まず第一段階として否認っていうのがあって、じぶんはそうじゃない、そんなはずはないっていうふうに、第一段階がやってくるっていうふうに言っています。
第二段階で、その段階が過ぎていくと、どういう段階にいくかっていいますと、一種の憤りとか、怒りとかっていうものが、患者さんのなかにやってくるっていうふうに言っています。これもほとんど例外なくそのことが訪れてくるっていうふうに言っています。怒りとか、憤りってものの根本的なモチーフは、なぜ自分だけがこんな、つまり、死に目にあわなくちゃならないんだ、なぜ自分だけがこういう病気にかからなきゃならないのかっていうことが根本的なモチーフだっていうことを著者は述べています。これが憤りとか、怒りとかっていう第二の段階にやってくる非常に根本的な問題だっていうふうに書いています。これについても、ほとんど例外なくそのことはどの瀕死の患者さんでもそれがやってくるっていうふうに言っています。
第三段階になりますと、どういうことができるかっていうと、そういう言葉を使っていますけど、延命っていうこと、命を延ばすっていうこと、あるいは、取引きっていう言葉を使っていますけど、取引きっていう段階がやってくるっていうふうに言っています。
その取引きっていう段階はどういうことかっていいますと、もしも自分に、あと何日、あるいは何か月、あるいは何年か生きさせてくれるなら、じぶんはどんなことでもするというような形でやってくるっていうふうに言っています。これは、患者さんの対象はアメリカの社会ですから、宗教的にいいますと、キリスト教っていうことになるわけですけど、だいたいにおいて、第三段階において、延命または取引きっていうものは、だいたい神を相手に行われるっていうのが、ほとんど大多数の場合だっていうふうに言っています。
神を相手に、もしあなたが私をもう何か月生きさせてくれるなら、あるいは、もう何年生きさせてくれるならば、わたしはあなたに一生を、生涯を奉仕する、神であるあなたに奉仕するっていうふうな、そういう取引きの交換の仕方っていうものとして、第三段階はやってくるっていうふうに言っています。大多数がそうであって、これにもほとんど例外がないっていうふうに言っています。
この段階はいわば、昔ならばきっと牧師さんを相手にそういうふうに告白がなされ、そして、誓いがなされ、そして牧師さんだけがそれを自分の胸に秘めて、その人は神の信仰を獲得して死んだっていうことになるのだろうけど、そういうことになってるだろうけど。そのことをいわばあからさまに、真っ正面からあからさまに、そのことをちゃんと追及して突き詰めていくと、そうすると、それは、いわば神、あるいは敵対者っていいますか、その者との交換条件、あるいは取引きっていう言葉を使っていますけど、取引きをして、第三段階っていうものがやってくると言っています。
その取引きっていう段階が過ぎますと、第四段階で憂鬱とか、抑うつとか、いわば悲嘆とか、そういう段階がやってくるっていうふうに言っています。この抑うつとか、悲嘆とかいう段階っていうのは、2つに分けることができます。
そのひとつは、たとえば、じぶんは思い残したことがたくさんあるのに死ななきゃならないのかっていうような、そういう悲嘆っていうものとしてひとつはある。つまり、たとえば、じぶんはここで死んで、恋人と別れなくちゃならないとか、家族と別れなくちゃならないとか、まだ借金がたくさんあるのにそれも払えないで死ななきゃならないのかとか、そういう現実的な条件があって、これに対する抑うつとして、ひとつはあらわれてくるって言っています。
しかし、もうひとつの抑うつはそうでなくて、死に対する予備的な悲嘆、悲しみとして、抑うつの段階っていうものがやってくるというふうに言っています。この段階においては、もはや、あらゆる言葉っていうものの、そばにいる人の言葉とか、言葉による慰めとか、言葉による激励とかっていうようなものは、なんら役に立たない、つまり何も役に立たない段階なんだ。だから、その段階がわかるっていうこと、つまり、その段階がわかっているってことがわかっているってことが、傍らにいる人がそのことをわかっているんだってことが、患者さんにわかるっていうことだけが、患者さんにとって救いになるので、その他のあらゆる言葉による激励とか、言葉による慰めとかっていうものは、ぜんぶ意味をなさないっていうふうに、それを説いています。
その段階が過ぎますと、最後の段階、最後に受け入れっていう、受容っていう言葉を使っていますけど、受け入れっていう段階がやってくると、この受け入れっていう段階は何かっていいますと、これは周囲のあらゆることについての関心がだんだんなくなって、狭まってきて、もはやそういうことについての関心っていうのはなくて、ただひたすら自分の中に入って、ひたすら眠りたいっていいましょうか、つまり、幼児の眠りっていうものと反対の意味での、幼児の眠りに似た眠りっていうものを患者さんは欲しがるわけで、そんなところで、言葉も何も意味はないし、むしろ激励っていうものは煩わしいだけで、意味はないっていうのは、患者さんのあれであって、患者さんはそうなってきた時に、受け入れの言葉っていうものを吐きだす。つまり、もうこのくらいで精一杯ですとか、夏目漱石が臨終のときに言ったっていう言葉があるんですけど、「もう泣いてもいいよ」っていうふうに子どもに言ったっていう話が伝わってますけど、つまり、そういうふうに死の受け入れっていう段階がやってくる。その受け入れっていう段階が言葉によってやってきたときには、だいたいにおいて、二十四時間以内にたいていは死ぬっていうようなことを言っています。
この種の死についての、死に近づいたところから、死の受け入れってところまで至る段階っていうものに、あるひとつの共通の段階があるっていうことを、いわば、インタビューによって掴みだしたっていいますか、それを明らかにしたっていう、ロスという人ですけど、ロスっていう人の仕事っていうのは、たぶん、死についての考え方を、従来の考え方っていうものを一歩進めた意味をもつっていうことを言うことができると思います。
そうしますと、我々の観念では、実に残酷なことをするっていうふうになるわけですが、残酷なことをヨーロッパ人っていうのはやるもんだっていうことになるわけです。しかし、逆の面からいいますと、やっぱりヨーロッパ人っていうのは、とことん目を背けたいこと、あるいは、そのことにできるならば触れないで済ましたいことっていうのは、たくさんあるわけですけど、人間にはたくさんあるわけですけど、生きることの中にもたくさんあるわけですけど、しかし、そのことに対して、真っ正面から掴みかかろうっていう姿勢があるんだっていうことを感じます。
こういう調査とか、こういう研究っていうものは、マルクスでいえば、これは一種の精神的な生体解剖ってことになってしまいます。また、精神的な生体解剖と誤解されかねないところがたくさんあります。
しかし、ロスっていう人達の、一門の人達は、いわば医者と宗教家と、それから本人みたいな精神医学者と、そういうような人達が、そのことを真っ正面から取り組むことによって、最後に患者たちの共感っていいますか、誰もそのことにいままで触れてくれなかったことを、あなたたちは触れてくれたっていうような患者たちの気持ちっていうものを最後には引き出すところまでいっちゃっています。
だから、もしもこれが失敗したら、あるいは、これを中途でやめてしまったら、それはとてつもない精神の生体解剖ってことになるわけですけど。しかし、こういうふうに真っ正面から取り組むことによって、いわば最後には、誰もそれを触れなかったことを、ご本人に納得させるし、ご本人からそれを感謝するっていうところまで、そういうところまでもっていっています。
いってみれば、かつて死に瀕した人間が死に至る過程において、誰もが避けて通り、誰もが空虚な激励の言葉でごまかし、そして、まかり間違えば、誤魔化しあいが医者と家族の間に毬のように投げ渡されて、それで死んでしまうっていうような、従来そういうふうに問題があったものを、非常に明瞭に取り出して、明瞭にそこまで突き詰めて、そして、患者っていうものの究極的には感謝っていうものっていいますか、共感っていうものを引き出すところまでいっています。
そのことと、そういう人間の瀕死から、死の決定から死を受け入れるまでのそういう期間で、人間というものがどういう心の過程を通るかっていうことに対して、共通の段階っていうものをそこで掴みだすことができています。
そのことがいわば、先ほど申しました近代以降のエンゲルスであり、ボーヴォワールであり、そしてフーコーである、そういう個々の哲学者たち、あるいは思想家たちが、それぞれのかたちで言い切っている「死」についての認識、言い換えれば「生」についての認識なんですけど、「生きるということ」についての認識なんですけど、そのことと共鳴するところまで、いわば、対応するところまで、その問題を実際にもっていっているということが言うことができると思います。
だから、そういうふうに考えていきますと、いわば「死」っていうものの段階を、病気になり、年をとり、そして死に至るっていうふうに、考えていた認識っていうものを、まるで180度ではなく90度だけ変えまして、いわば「死」っていうものの段階から照らし出された「生」の姿、「生きること」の姿っていうものによって、はじめて「生きること」っていうものが十全に照らし出されるっていうところまで、「死」っていうものの認識をもっていってるってことがいえると思います。
つまり、我々が生きていく場合に、「いかに生きるべきか」ってことに様々な見解があろうとも、「生きていくこと」っていうのは、一般的に我々は片道切符だっていうふうに考えています。つまり、15歳の者が5歳になることはできないし、60歳の者が40歳に元どおりになることはできないっていうふうに理解しています。
この理解っていうものに対して、もし、60歳の人が、40歳のこと、あるいは15歳のことをよく知りたいとか、振り返りたいと考える場合には、2つの方法があります。つまり、記憶の思い出に頼るってことがひとつと、それから、もうひとつは、人間の人類の歴史的な遺産としてある記述、つまり、小説であり、文学であり、芸術であり、そういうようなものの助けを借りて、60歳の人間が20歳の人間を理解するとか、あるいは、20歳のじぶんっていうものを内在的に理解する、そういう助けとするっていうような、そういう方法が2つあります。
しかし、もうひとつの方法っていうものを考えられるとすれば、それは「死」っていうものから、逆に「生」の姿を照らし出し、そして透視しますと、そこで演じられている様々な段階っていうものは、「生」の段階っていうものを非常に最大のかたちで象徴しているってことを言うことができると思います。
というのは、みなさんが、たとえば、主催者の人達はだいたい文学研究会の方々ですし、みなさんもたぶん、文学がお好きな人が多いだろうと思いますので、文学の話にそのことを結びつけてみますと、つまり、いま瀕死の人が死を受け入れるまで、5つの段階があるというふうに申し上げましたけど、この5つの段階っていうものは、よくよく考えますと、よく考えてみますと、私たちが生きているときに様々なむずかしい事柄にぶつかります。事件とか、むずかしい様々な事柄にぶつかります。ぶつかったときに、私たちが生きる過程で演じている心の過程っていうものが、いま死の段階で得られました、この5つの段階ってことをよくやっているってことがわかります。
つまり、私たちがある非常にむずかしいこと、目を背けたいようなことに、たまたま遭遇したとします。そうすると、私たちはまず、こんなことおれは知らないんだっていうふうに、まず、私たちはこれを否認するってこと、そして次に、なぜおれだけがこんな不幸な目に遭わなくちゃならないのかとか、おれだけがどうしてこんなむずかしいことに、難事件に出遭わなくちゃならないのか、おれが出遭って、あいつが出遭わないのはどういうわけかっていうふうに、まずそういうことが起こるでしょう。
それからまた、それでもなおかつ、事柄が非常に困難な事柄であった場合には、神頼みって言いますけど、もしも、この事件を自分から取り去ってもらえたら、じぶんは何でもするんだけどなっていうふうな、いわば取引きの段階っていうものも、私たちの中にあるでしょう、生きている過程の中にあるでしょう。
それはやっぱり段々とどうしようもなくなって、避けることもできないその事件が、難事件であった場合には、私たちは限りない抑うつ、憂鬱に陥るわけです。悲しみに陥るわけです。そして、抜け道がないっていうことまで、悲しみを追い詰められていくと、そして最後に、しかし、それでも抜け道がなかったら、そのことを受け入れるより仕方がない。その場合に、受け入れた人間っていうのは、我々は死んでしまうかもしれませんし、死ぬことからまぬがれて、また、息を吹き返すかもしれません。
つまり、そのことは、様々でありうるとしても、もし、私たちが生きている段階でぶつかる、様々な出来事のぶつかり方っていうものが、いま「死」の5つの段階があると言いました、5つの段階っていうものを、ことごとく小さな規模で毎日のようにぶつかって、毎日のように、その5つの段階を私たちが繰り返しているってことは、みなさんもおわかりだと思います。
このことをギリギリの極限で演じているものが、死に瀕するものだし、それを追及したものは、いまの死の5つの段階だとすれば、この段階の中に、人間の生き方っていうものの問題が全部含まれていることがわかります。つまり、我々がむずかしい事件、むずかしい事柄に、日々生きていく中でぶつかったときにどうするかっていうような心の動き方は、まったくそのように動いているってことがわかるでしょう。つまり、そのことが最大規模でなされているってことが、死の認識っていうものの問題の最大の意味だっていうふうに理解することができます。
ところで、この問題は、文学あるいは小説、ことに詩じゃなくて散文なんですけど、小説文学っていうものの根本っていうものは、やはり同じことです。つまり、根本にある構造っていうものは、そこにあることがわかります。つまり、みなさんは様々な近代文学でもいいんですけど、近代文学の様々なタイプの小説、作品っていうものに、みなさんがぶつかるわけでしょう。しかし、この様々な作品っていうものの中核のところで、根本のところで成り立たせている要素っていうものは、いまの5つの段階だっていうことがわかります。
つまり、あらゆる作品の中に、必ずこういう、ふつうの言葉でいいますと、山場があることがわかります。つまり、この山場っていうものは、通俗的な小説では、波乱万丈の主人公が様々な事件にぶつかって、こうしたああしたっていうような、そういう筋書きとしてあると思います。
それから、もちろん、純文学作品とか、芸術的な作品のなかから、主人公のぶつかる事件はそれほどじゃなくても、心の動き方として、内面の動き方として、やはり、同じような心の動き方をしているっていうような、描写でぶつかることができます。
それから、みなさんの読まれる小説のなかで、非常に超モダンな小説っていうものを考えますと、超モダンな芸術小説には、一見してこの種の劇的な場面、つまり、人間が根本的に事件にぶつかったときにどういう心の動き方をするか、どういう態度をとるかっていうふうな問題が、一見すると作品のなかに全然あらわれてないというような作品にぶつかることが、みなさんもあると思います。しかし、その場合はどういうことかっていいますと、その場合には、様々な5つの段階のうち、3つの段階が除かれているわけなんです。つまり、3つの段階を故意にっていいますか、作者が意識して抜いているわけなんです。
だから、みなさんがある文学作品を読まれる場合に、いまの今日お話しましたこの問題を根本に踏まえて読まれますと、お読みになると、作品の読み方っていうものは違ってくるかもしれませんし、また、うまく読めるかもしれません。つまり、どのような作品にも必ずその5つの段階を必ず含んでいます。それは、心の内面性の動きとして含んでいるか、事件の筋書きとして、つまり、物語の展開の仕方として含んでいるか、それは様々でありますけど、また、筋書きとしても、心の動きとしても、含んでいない作品もあります。その場合には、その5つの段階の3つぐらいは抜いてあったとか、4つぐらい抜いてある、つまり、それは故意に抜くわけですけど、逆説的に抜くわけですけど、故意に抜いちゃうってことがわかります。
つまり、文学作品っていうものを成り立たせているものの根本は、やっぱり我々が「いかに生きるか」ってところでぶつかる先ほどいいました5つの段階っていうものを、人間はどう対処するかって問題が、いわば文学作品の根底にある、根本にある構造だっていうことが、必ずおわかりになると思います。
この構造には様々なバリュエーションがありますけど、しかしまた、意識的な回避っていうもの、意識的にそれを引き抜いたってこともありますけど、それはどこで意志的に引き抜かれているかってことも含めまして、作品をお読みになると、作品の読み方、あるいは、文学作品の読み方についてのある根本的な態度っていうものは、あるいは根底っていうものは、掴めるのではないかっていうふうに考えます。
その問題は今日お話したことのなかに、つまり、「死」の認識っていうことのなかに、非常に鮮明な形であらわれているってことがいうことができると思います。今日は「「生きること」について」っていうような演台なんですけど、どうでしょうか、最後に多少そのことにつながったかもしれないというふうに思います。これで終わらせていただきます。(会場拍手)
(質問者1)
<聞き取れず>
野上と申しますけど、精神科医をしておりますけど、「生きること」について「死」を中心としてお話していただいたんですけど、フロイトの言いました「死」のことについてと、先生が今日言われました「死」ということのお話は関連があるのかどうか、あるいは、未来社会における「死」と近代社会における「死」の差というものが、近代的な自我の確立ということと関係があるのかどうか。そんなことについて、もうちょっとお伺いしたいように思います。
(吉本さん)
最初の方の幻聴っていうことなんですけど、幻聴っていうことに様々な理解の仕方っていうのがあると思うんですけど、そのことと青年期、思春期の悩み、ご自分の悩みっていうことと、両方ひっかかるようなところでの理解の仕方っていうのをあれしますと、やっぱり幻聴っていうのは、他者となったじぶんの声だっていうふうに思うんです。
そのじぶんの声っていうのは、どうして幻聴として出てくるんだっていうと、ぼくはわからないけど、いまの人の悩みとも関係があるのだろうと思うんですけど、だいたい2つぐらいの段階の問題があって、まずひとつの問題は、いまの方の問題は、たぶん、生まれる直前と直後の問題だというふうに思うんです。
つまり、お袋さんのお腹のなかにいるときと、お袋さんのお腹の中からでてきて、そこのところで何かあったんじゃないでしょうか、何かっていうのは具体的にいうことができませんけど、それはお袋さんから冷たくあしらわれたとか、お袋さんが見てくれる暇もなくて、そこで十分なあれがなかったとか、たぶん、生まれる前と、お腹にいる時と、お腹から出て少しの間です。そこのところの問題があると理解します。
それから、もうひとつのあれっていうのは、いまの方は27っておっしゃっていたけど、14,5のところであるんじゃないでしょうか、何か問題があったのではないでしょうかっていうふうに思います。
ぼくは、いまの方は人生経験がないからっておっしゃったけど、ぼくも人生経験がないわけです。ないから、今日も正面切って「いかに生きるべきか」、「うまく生きるにはどうするか」っていうおしゃべりを正面切ってできなかったのはそのためですけど、つまり人生経験がないからです。つまり、語るに足る経験がないものですから、また、語るに足る生き方をしてないものですから、それだからそうだったんですけど、たぶん、いまの方だって、悩みのなかでそういう部分があるっていうふうに理解すると、それは幻聴うんぬんっていうことから、ぼくはそういう理解の仕方をするんですけど、そうしたら、何が重要なのかっていったら、ぼくが言える唯一のことは、そこのじぶんの27歳までの生涯のなかで、たぶん、その2つの時期に問題があったんだと思いますけど、そこのどんな問題があったのかっていうことについて、よく知るっていうことが、重要なんじゃないかなって思うんです。
つまり、悩みっていうのがあると、その解決法っていうのは、一般的にでてくるものじゃないのですけど、つまり、自ら解決する以外にないっていう、しかし、悩まなくてもいい部分とか、わかれば、わかるかということが悩みを超えることだっていう面もあると思うんです。だから、その面だけははっきりさせてしまうってことが、重要なんじゃないかなっていう、そのくらいのことは言えそうな気はするんです。
だから、それでいいかどうかわからないんですけど、後の方の問題に入ってしまうわけですけど、それじゃあ、今日のお話に即していえば、近代以降の「死」についての理解の仕方、あるいは、「死」についての理解の仕方を通じての「生きること」についての理解の仕方と、古代思想として完結された「死」についての理解の仕方、あるいは、「生きること」についての理解の仕方の間に橋を架けるべきなんだ。
つまり、一方を迷妄であり、一方は病理現象にすぎないってところで問題を立てたら、たぶん、それは未来性じゃないんじゃないかっていうふうに、ぼくはそういうふうにお話したと思うんですけど、ぼくの考え方は、これからの問題のひとつは、どう考えたらいいのかっていう問題の鍵っていうのは、やはり依然としてそこの問題にあると思います。
たとえば、仏教なら仏教というものを例にあげますと、仏教の考え方っていうものは、だいたい、アジア的な段階、あるいは古代的な段階、人間の歴史が、アジア的な段階、つまり、原始時代から古代に移り変わる過渡的な段階のときに、完成された思想だと思うんですけど、そうすると、この思想は何かっていいますと、この思想は、その時代において、つまり、人類の歴史が原始時代から古代的な社会に移っていく、その途中の段階では、この仏教の思想っていうものは、たとえば、単に東洋に流布されたってだけじゃなくて、それは世界思想として意味があったんです、その時代において。
だけれども、その時代に意味があったってことなわけですけど、その思想のなかに、現代において考えると、迷妄さってことが、ひとつ含まれています。現在の考え方からすれば、それは、迷妄な考え方が含まれているじゃないか、あるいは、それは単に精神病理学的な現象に還元できるような考え方がそもそも含まれているんじゃないのかというふうな点があると思います。
しかし、同時に、そのなかには、もはや現代では人間が考えることのできなくなってしまった重要な考え方、それは、死の世界を大切にすることによって、生きることを大切にするとか、共同体の中で一人の人間が死んでしまうときっていうのは、それを共同体のあらゆる人がそれを補ってやる、それは形而上的な意味でも補ってやるし、もちろん、物質的な意味でも補って、欠落を満たすっていうような、そういう相互扶助みたいな感情みたいな、現在ではまったく失われてしまった。しかし、だけれども、それは重要な考え方があったものもあるわけです。
この迷妄であるっていう問題と、しかし、いまでは失われてしまったけど、しかし、人間にとって非常に重要な感情であったとか、情緒だとか、相互扶助の行為であったとか、そういうようなものっていうものも、現代以降にどうやって生かすことができるのかっていう問題を考えていくっていうこと、つまり、そのような考え方でもって、古代に完結した思想と近代以降の思想との関連をつけていくってこと、その課題自体は、ぼくは、未来っていうことの問題のように思います。
つまり、未来ってことの解く問題、きわめて大切な問題であるように、ぼく自身は考えています。だから、ぼく自身は、同時に迷妄であり、同時に欠陥であり、同時に失われた、重要な感情であるっていうような、そういうものを現在に通じた生き方っていうのは可能なのかどうか、可能でないのか、ぼく自身の主観では、そのことを考えることが、解決することが、たぶん、未来ってことに問題を受け渡す、非常に重要な鍵じゃないかっていうふうに、ぼく自身は考えているわけです。
(質問者)
63歳です。男性です。質問は「生きること」とか、「死ぬこと」とか抽象的なことじゃないです。政治的なことで聞こうと思っています。憲法のことで、我々は旧憲法と新憲法と色々にまたがっており、新憲法になって、新憲法に対して嫌悪しているわけじゃないんです。新憲法というのが生まれたわけです。戦前よりも立派なっていうふうに、私はすばらしいと思って新憲法に感謝しているわけですけど、しかし、我々よりも若い世代、私どもは憲法に対して全然批判的じゃないんです。実質的なことを言っていますから、いまの憲法はいいことの証明になると思うんです。しかし、いまの若い人のように、絶対ではないんですけど、絶対不可侵な問題であると、神聖であるというような考えは私はもっていない。我々は、いまの新憲法は新約聖書で、絶対不可侵なものでならない。この間も息子とケンカしたわけです。いまの憲法を立派にするためには、修正する必要があるんじゃないか、軌道修正です。いまの政治家は、いまの憲法について修正しようという人は誰もおられないです。わたしはこれは修正する必要があるんじゃないか、旧憲法を知っているから、新憲法の悪いところもわかるわけです。軌道修正する必要があるんじゃないか、もしも軌道修正しなかったら、日本はえらいことに陥るんじゃないか、そういうものがいま微妙な経験として出てきているんじゃないか、ちょっとこれは具体的な問題で、「生きること」の題目の○○でございますけど。そのへんをひとつお願いいたします。
(吉本さん)
ぼくは憲法の専門家でないです。それから、もうひとつは、ぼくは政治的な権力者、また、その周辺にいる人間じゃないです。ただほんとに一回か二回眺めたことがあるみたいなふうにしか、新憲法というのを知らないんですけど、だから、何かお答えできるようなあれはないんですけど、ぼくはあなたのおっしゃる新憲法っていうのは、そんなに立派じゃないっていうような、でも、立派じゃないと思っているところは、あなたとぼくと違うかもしれないと思うんです。
ぼくが立派じゃないと思っているのは、天皇が国民統合の象徴であるっていうような箇所があるでしょ、ああいうところは立派じゃない、なくなったほうがいいと、そういうふうに思ってます。いちばんひっかかってしまうのはそこのような気がします。それ以上のことは専門的な論議になります。ぼくはそれを追及しないから、そんなところでぼくはその点では不満をもつっていうふうに、これはずっと以前から不満をもっているそういう頭であるってぼくは思っています。
それから、もうひとつ、今日の話にからめて、ぼくはあなたのおっしゃる憲法の論議が現実的、あるいは具体的で、今日の話は抽象的って、ぼくはそう思ってないんです。もうひとつ、今日の話にひっからめて言えることは、ぼく自身がそうであるように、じぶんが見本であるように、だいたいふつうの人は、あまり関心がないでしょう、憲法を改正することは、保持するとか、どうやって決めるかとか、そんなことにだいたい関心が少ないんです。少ないと思うんです。ぼくの考えでは、少ないということには根拠があるというふうに思っているわけです。
根拠はたくさんあるんですけど、今日の話にひっからめていいますと、アジア的な社会っていうのでも、無関心っていうことと、つまり、政治的な上層とか、権力が何かしているとか、何かこうやったとかっていうことは、遠いむこうのほうでやっていることのように見えるっていうのは、アジア的な社会の非常に特徴なんです。
それから、もうひとつの特徴は、アジア的な社会では、ふつう我々が日常生活をしている部分的な社会なんですけど、部分的な社会とか、部分的な共同体なんですけど、そういうものが、政治的な制度とか、権力というものに抵触しないかぎりは、なかなかそこまで隅々まで権力の意志を浸透させてこないっていうのを、ほっとくっていうのが、アジア的な社会の特徴なわけなんです。権力とか、政治的な事柄っていうのは、そういう意味で、遠いところでやられているっていうふうに、選挙のときは、多少違うのでしょうけど、どうせそういうところでやられていて、誰がやったって変わり映えがするわけがないっていうふうに思うっていうような、そういうことはアジア的な社会の特徴なわけです。
もちろん、日本でもアジア的な社会の、神道の構造が残っていますから、これは、戦前も戦後も残っていますから、だから、そんなものは知ったこっちゃないよっていうふうにいう無関心っていうのは、やっぱり、ぼくはアジア的な社会の特徴だといって、無関心にはいい面と悪い面があります。つまり、無関心のために、すべての政治的なあれは馬鹿にされて、どうでもいいよって思われてしまう面が、政治権力者がやりづらい面になっていて、横暴ができなくなっていく面もあります。それから、逆にその無関心っていうことが、横暴を許しているところがあります。だから、ぼくは憲法を改憲すべきでないっていう、そういう論議にもっていかないっていうことのなかに、ぼくは弱点だけを補えばいいんです。つまり、それのなかに特徴があるんです。
アジア的社会っていうのは、みんなそうです。たとえば、中国で6億の人間がいると、6億の人間の中で、政治に関心をもっているとか、いまの毛沢東の味方かそうでないかとか、四人組がなんとかとか、そんなことに関心をもっているやつは、せいぜい数十万だと思います。もう少し拡大しても100万ぐらいだと思います。しかし、6億の人は全部関心がないと思っています、ぼくは。ただいいことをしてくれればいいわけです。しかし、そうじゃないことは関心がない。これはやっぱり、中国におけるアジア的な社会の特徴だと思います。我々がたとえば、中国の四人組がどうなって、誰がどうなってとか、こう言われるとなんか大騒ぎしているように報道されますけど、そんなことは、中国の6億の人間の中にほんとうに関心をもっているのは数十万人、あるいは、せいぜい数百万人です。6億人っていうのは全部関心ないと思ったほうがいいと思います。
そういうものはアジア的社会での特徴なわけです。特徴っていうのは、いい意味での特徴でもあるし、悪い意味での特徴でもあります。なぜなら、無関心なため勝手なことができるっていうのはありますから、それから、勝手なことをやると、すぐに受け入れちゃうってこともありますから、それは特徴ってことは、欠陥でもありますけど、しかし、それは特徴だっていうことは、それはアジア的な主張っていうのと同じで、そのことはよくわかっているほうがいいと思います。
ぼくはあなたと違うところがあるとすれば、もちろん憲法に対する考え方も突き詰めていけば違うかと思いますけど、そのことよりも、憲法論議に関心をもたないことが必ずしも欠陥じゃないっていうふうに思っているところがあります。そういう関心をもたないとか、それにのってこないっていうことが美点でもある。同時に、もちろん弱点でもある。勝手なことをされちゃうっていう弱点でもある。そういう二重性をもっているんだっていうふうに、ぼくは理解しています。
それが今日の話にからめた、あなたのご質問に対する、ぼくの精一杯の答えなわけですけど。それ以上は、ぼくに言われても、明瞭に憲法の一行、一行を検討してあれしたことはないものですから、ぼくが気に食わないのは、天皇は国民統合の象徴であるという、そんなものはなければいいということを思っています。その後のことは、それほどひっかからないです。そのくらいが、ぼくの精一杯のところなので、もし、もっと勉強せいとおっしゃるなら○○。
(質問者)
死を宣告された患者に、心の動きとして5つの段階があるとおっしゃいましたけど、東大の宗教学者で、癌を宣告されて、それこそ感謝して死んでいった宗教家があったと思いますけど、それは単なる受け入れというかたちではなかったんじゃないかと思います。5つの段階どれもなかったんじゃないかと思うんですけど、ああいう人はどういうふうに我々は理解したらいいのでしょうか。それがひとつ。
それから、もうひとつは、5つの段階が含まれていない文学、たとえば、立原道造の詩なんかありますけど、あれはだいたい24,5ぐらいでなくなったんじゃないかと思いますけど、憧れを夢見て、「生」を謳歌して、短い命を遂げていった気がします。そういう5つのものが含まれていない文学は、結局、つまらない文学なのか、文学の根本にその5つが含まれているそうですけど、そういうものが含まれていない文学はたいした文学じゃないということになるのか、これがふたつめです。
それから、もうひとつは、たとえば、杜甫とか、西行とか、芭蕉とか、あるいはサントウ、そういう人生の生涯を生きた者、ああいう生き方はどういう理解をしたらいいのか。この3つのことについてお伺いしたいと思います。
(吉本さん)
最初の、宗教的な信仰をもっている人が、癌になったっていうことを感謝しながら死んでいったっていう例をあげられたわけですけど。ぼくは、先ほど申しました5つの段階っていうものは、時間的な順序でいく場合も、もちろん同時に重なってくる場合も、具体的には、実際的には、あるいは、受け入れがくる場合に、様々なことが、具体的にありうるわけですし、そういうありえた例っていうのもあげられています。
だから、いまのおっしゃった場合には、感謝をしながらなくなられたっていう、それは宗教的な信仰をもっておられる方なんでしょうけど、そうおっしゃるわけですけど、ぼくは感謝をしながら、なおかつ、もっとそれを微細にみていけば、そのなかに、感謝を否定していたり、感謝をためらってみたり、じぶんがこういう目に遭うってことは、ほんとうなのだろうかっていう疑いを挟んでみたりっていうような、内面の過程っていうものはあったに違いないと、ぼくはそういうふうに理解します。
だから、もちろん、そんなものもなかったかもしれないのですけど、もっと微細に「感謝」っていう言葉に含まれている、「受け入れ」って言葉に含まれている内容を、もっと微細に選り分けていって考えることが、その人の死を理解する理解の仕方じゃないかって考え方をぼくはとりたいと思います。
それから、2番目が、立原道造のような詩人の場合っておっしゃったんですけど、2つのことがあると思うんです。つまり、ぼくが今日言いましたように、5つの過程の段階があるっていうのは、これは、そういう言葉でいいますと、ドラマとか、物語とかっていうものの構造に関わるわけです。
詩っていうものは、そのすべての段階を、べつに必須条件としないわけです。だから、詩は除外して考えたほうがいいんじゃないかなと思うんです。でも、立原道造の詩に対する理解の仕方っていうようなものは、多少、ぼくなりにもってますけど、立原道造の詩のなかにも根本にあるドラマ性っていうのはあるわけです。根本にあるドラマ性っていうのは、あるいは物語性っていうのはあると思います。
そのひとつは、結局は、たとえば、「はじめてのものに」とか、「のちのおもひに」っていう作品なんかは典型的にそうですけど、あれはやっぱり信濃信州ぐらいにあれして、そこにいる娘さんとの淡い感情っていいますか、感情の交換っていうものが、ドラマとしてありまして、もちろん、これだあれだとか、きわめてきわどい形ではないのですけど、非常に淡いかたちですけど、それが立原道造の抒情詩の根本にあるひとつのドラマだっていうふうに思います。
このドラマは、よく抒情詩を読んでいきますと、そこにべつに具体的な名前が出てくるわけでもなんでもないのですけど、ある娘さん、女性っていうものに対する感情の起伏っていうものが自然体の中に存在するっていうことがわかります。
それがしいていえば、今日言いましたドラマ性の5段階っていうもののドラマ性、あるいは物語性ってものだと思います。それから、もうひとつのドラマ性っていうものが、立原道造の詩の中にあると思います。そのドラマ性は、ぼくの考えでは、○○じゃなくて、自然との交換の仕方、つまり、自然とのやりとりの仕方、つまり、心のやりとりの仕方っていうのが、いま言いました5段階、5段階全部あるかどうかは別として、そのドラマ性、あるいは物語性っていうものがあるとすれば、その自然とのやりとりっていうものの中にあるっていうふうに理解します。
だから、立原道造の詩のなかに、もし、今日お話したこととひっからめて言えることがあるとすれば、その2つのドラマ性、つまり、なにかにぶつかったときに、人の心の動きがどうなるかっていう問題は、その2つの意味あいで、立原道造の抒情詩のなかに含まれているっていうふうに、ぼくはそう理解します。
それから、3番目の芭蕉とか、西行とかの生き方っていうもの、それから、その作品っていうものを含めてなのでしょうけど、そういうもののなかに何があるのかっていったら、たぶん、西行は西行なりにですけど、中世の初めに武家を捨てるっていうことなんですけど、なぜ武家を捨てたかっていうことのなかに、原因っていうのはあまりないのですけど、つまり、様々なことが言われているわけですけど、しかし、ぼくが、武家を捨てた、しかもかなり武家階級としては特権的な地位にあった武家なんですけど、その武家を捨てたモチーフの中に、明瞭に「いかに生きるべきか」っていう問題は、明瞭にあったに違いないっていうふうに、ぼく自身は理解します。
それをなんらかの意味で超えようとしたかたちで、隠遁っていうのがあるわけだと思いますけど、隠遁の過程でつくられた作品のなかでは、たぶん、その問題は自然っていうものとの、やっぱり交換の仕方の問題、やっぱりドラマ性っていいますか、物語性っていいますか、なにかにぶつかったときに、人間の心の中に起こる起伏っていう問題は、そこに含まれているだろうと思います。
芭蕉は、これは時代が下るわけですから、べつに西行的な意味では、生涯の中のドラマっていうのは、なかったかもしれないですけど、たぶん、芭蕉の中で最大のドラマっていうのは、芸術家としてのドラマだろうっていうふうに理解します。
つまり、芭蕉の俳句っていうものを、その時代、同時代またはそれ以前の時代、つまり、滑稽に俳諧っていうものを加味した、そういう俳諧性、俳句性っていうものに対して、それをなにかの意味で超えようとしたところ、超えるような作品形成をしたところの、そこのところに、たぶん、芭蕉の最大のドラマ性っていいますか、物語性っていうことは、内面が何かにぶつかったときの問題っていうものは、含まれているんじゃないかっていうふうに、ぼくはそういう理解の仕方をとりますけど。
(質問者)
今日、先生のお話を伺いまして、先生のおっしゃる、死というものが人生の終着駅みたいに、あるいは、生きた結果としての予定された死、そういうような印象を受けたのですけど、たとえば、この死を仮に消極的な死と名付けるとすれば、消極的な死がある一方で、積極的な死というのがあると思うんです。たとえば、積極的な死というのはどういうことかというと、かつて、三島由紀夫先生が、彼は日本刀を置いて、日本刀を引っぱる腕は人を斬らねばならぬ、また、日本刀を抜いて人を斬ったならば自決しなければならない、こういうことをおっしゃった三島先生はそのとおりに自分の人生をまっとうされました。これもひとつの自分の人生をまっとうする上では積極的な死のあり方だと思います。
それから、たとえば、医学的な分野におきましても、癌の末期症状っていうのは、非常に患者が苦痛を訴えるわけです。そういう意味あいで行き当たった場合に、医師の側とすれば、可能性としての問題ですけど、苦痛を軽減する代償として、死を提供するということも考えられるわけです。そういう死の提供の仕方、これも積極的な死のあり方だと思います。
あるいは、もうちょっと拡大して言い方を変えるとすれば、自殺、よく失恋を苦にして自殺をしたとか、あるいは、借金を苦にして自殺をしたとか、こういう死のあり方というのも、じぶんの人生、現状を打開する、そういう見方をすれば、あるいはこれも積極的な死といえるかもしれません。
こういう、いま3つ事例をあげましたけど、こういう積極的な死に方というのも、人間が人生をよりよく生きる、あるいは、まっとうして生きる、あるいは打開すると、そういったことから考えれば、逆説的ですけど、死ぬということが、よりよく生きることに当たるのではないかと思います。そういうことに対して、積極的な死という意味についてお答えいただければ幸いです。
(吉本さん)
いまの方の言われたことに、あんまり異論はないです。ぼくは親鸞っていうのが好きなんです。苦悩の郷里は捨てがたきっていうのが好きでして、いわば、力なくして終わるときに、浄土へいくべきであるっていうのが親鸞の考え方なんですけど、わりにぼくはそれが好きなんです。
だから、あなたのおっしゃる積極的な死みたいなものを、いままでの生涯、考えたことがないかっていうと、何回かありますけど、それから、そうじゃなくても、戦争で、これはとうていなんかいきたくねえって思いしれたときもありますけど、ただ、おまえ、いまの考え方はどうだっていったら、ぼくは親鸞的な、つまり、力なくして終わるっていう考え方が好きっていうふうに、でも、あなたのおっしゃったことにちっとも異論はないですから、それを積極的な死と考えていいわけです。
あなたは三島さんのことをあげましたけど、ぼくは最近でいいますと、最近っていうことはないですけど、近代でいいますと、対馬忠行さんの死なんていうのは、ぼくは自分は及び難いけど、やっぱり、心の中でお線香を立てたなって思っています。
つまり、対馬忠行さんっていう人は、経済学者ですけど、じぶんは施設にいて、病気で寝ておられて、これ以上、学問の研鑽っていうことも、これ以上できないっていうふうに、じぶんで思われて、病院を出られまして、去年ですけど、船の上から入水して自殺されたんですけど、ぼくらは、対馬さんの、ソ連邦社会主義論っていうのから、たくさんの感銘と、たくさんの示唆っていうものを受けた人間ですから、やっぱり、対馬さんのそういう死に方っていうのは、じぶんはちょっと及び難いなって思ったけど、でも立派だなっていうふうに思いました。だから、ぼくが例をあげると、対馬さんみたいな人を、あなたのおっしゃる積極的な死の典型にあげますけど、ぼくはあなたのおっしゃることに異議はないです。
(質問者1)
お話聞いていたら、やっぱり人間は死ぬんだということで、その死に対して、まず最初に否認すると、そして後で承認するという段階があるということで、人間は生きてきたんだけど、何の役にも立たんで死んでいくというような気がするんです。先生のお話を素直に考えると、何をやっても変わらないのだと、ただ死んでしまうんだと、もうひとつ考えると、何をやってもいいんだと、逆に、どんなことをやってもいいんだというような、2つの考えがあったんですが。
もうひとつは、お尋ねしたいのは、エンゲルスが化学的に死んでいったあと、もうひとつ残ると、なにかそれは魂みたいなものが、ちょっと時間をおいて残ったと言われたんですけど、その点について少し詳しくお聞きしたいと思います。
(質問者2)
現在、セールス的な仕事をしているんですけど、フリーの時間の中で、インドの伝統的なヨガ、瞑想の教師をやっているんですけど、5つの段階があるということで、最後に承認する、ぼくは、もうすこし進んだ時点で、それを抜けきった時点で、いちばん最初に出ました生きながらにして死ぬ、そういう例があったと思うんですけど、先生ご自身が、そういう生きている中で、生きながらにして死ぬ、そういった方法を定義する、そういうとき、ほんとうの「生」というものが満喫できる、ほんとうの自由みたいなものが満喫できるようなことだと思うんですけど、先生自身としてはこれから先、ないしは現在、どういった方法をお考えでいかれているのかということを聞きたいです。
(質問者3)
生と死という問題なんですけど、私の個人的な体験なんですけど、小学校の2年生の時に母を失いまして、そのときに突然の母の死に出遭って、死というものの恐怖にかられたことが小学校の2年生なんですけど、それ以来、死の恐怖というものが去らなくて、どうしようもなくて、小学校の5年生か6年生の時にキリスト教の教会へ、イエスの奇跡物語を一生懸命にみて、紙芝居でもって見たんですけど、そのなかで生きるっていうことをできるようになっていった。ある日、突然目を前にして、だんだんなっていった。そういうふうななかで、私は生きるっていうことのなかに、絶えず自分のいままでやった生活っていうか、過ぎ去っていくんだっていうことを、小学校2年生のときに、まざまざと見せられて、それまで母と暮らしていたそういう生活っていうのが、一瞬のうちに見せられるっていう、じぶんのいまある生活が過ぎ去っていくんだっていうことを、すごく小さい時に想ったんです。それから、生きるっていうことは、奇跡物語にすがるようにして生きてきたっていうか、そういうふうな威勢っていうのがあったように思うんです。そのことと先生がおっしゃっていました、死というものが疾患ということによるといったかと思うんですけど、それはある意味で積極的な生でもあると、積極的に生きるということと無関係ではないっていうふうに思うので、それは、生きる方法とか、いかに生きるかってことじゃなくて、生きているだけで十分なんだってことと、一日生きられればいいのだっていうことと、死というものと交換によって、じぶんの死期をよめないってことと、むこう側からくるものを自分で受け入れて生きていくことで十分じゃないか、そして、じぶんがどうしても行き詰まったときに、むこう側から与えられるんじゃないかっていう体験を絶えずしてきたので、死というものをそのときになったら与えられる何かであるんじゃないかというふうな、そういう考え方をしているんですけど、そういうことと関係して、生きるってことについて、先生は積極的な○○とおっしゃいましたけど、なにかあるんじゃないかっていう、なにかか細いけどあるんじゃないかっていう気が、あたしはしているんですけど。
(吉本さん)
いまの質問なんですけど、いずれも非常にむずかしくて答えられないと思うんですけど、たいへん大問題なんですけど、一等最初に言われたことからいいますと、どうせ死んじゃうんだとか、どういう生き方をしても同じなんだって、どういったことでも構わないからやればいいんだっていうふうに受け取れる、そういう面もあるとしますと、たぶん、かなりの程度、そういう考え方がぼくのなかにもあるんじゃないかっていう気がします。つまり、人間っていうようなものができることっていうのは、一生涯のうちにできることっていうのは、そういうふうにたいしたことないのかなっていう実感的感じっていうのは、ぼくにいつでも付きまとっています。
つまり、だから、そのことは、最初の方がいわれた、人間はたいしたことないよっていう感じを受け取るっていわれたことは、たぶんほんとじゃないのかな、全部ほんとだっていうふうには言いませんけど、ほんとうなんじゃないかなっていう気がします。つまり、どういう生き方をどういうふうにしても、そんなことはたいしたことないんじゃないかなっていう考え方っていうものはあるように思います。
だから、できる限りってことは、あまりでてこないんですけど、いかに生くべきかって問題を真っ正面に据えて生きて、いかに生くべきかってことで、じぶんが決めたそういうかたちを、真っ正面にとっていくっていうふうには、ぼく自身は生きていないし、そういうふうに生きようって思ったことはあまりないです。非常に小さい部分はあると思いますけど、それ以降は、そういうふうに思ったことはないです。
そういうふうに思うことによって出てくる一種の息苦しさっていいましょうか、一種の独立性っていうものを回避するように、拒否するように、じぶんは考えてきたと思います。
だから、先ほどの例でいいますと、同じ考え方でも、生きているものにすれば、生きながら死んでしまうんじゃないか、生きながら死ぬにはどうするか、つまり、執着をなくしてしまえばいい、つまり、物質的な執着、それから、精神的な執着、名誉への執着、それから、愛についての執着、そんなもの全部なくしちゃえばいい、それから、もちろん、無一物になっちゃえばいい、そうすれば、その状態ならば、生きながら死ぬっていう状態を具現できるんだ。それこそが、ほんとうに生きることなんだっていうふうに考え、そして、ここへじぶんを生涯もっていっちゃうっていうような生き方っていうのは、えらいと思うけど、やってるなって思うけど、ぼくはあまり好きでない。そういうふうに生きることによって、特殊性っていいましょうか、そのことを死守したいものがあって、そういうふうになってしまうところもある。だから、非常にご三人の方のご質問は要約すると、結局、どう生きたらいいのかっていう、おまえはどう生きているのかっていうこと、結局はそういうことに帰着してしまうと思いますけど、ぼくはそれに対する答えをもっていないっていうのが、ほんとうのことです。あるいは、もつことを拒否している、回避しているというふうに言ってもいいのかもしれない。〈テープ切れ〉
ですから、今日みたいなことになるので、いかに生くべきかってことを、こういうふうに生くべきだっていうふうに、そういうふうに正面切るというよりも、生きている状態っていうのは、あるいは、生きている仕方っていうのは、いったいどういうことになっているんだというふうに、むしろそういうふうに考えることは、ぼくはいかに生きることかっていうことから、一種のそれに伴う独善性みたいなものを回避できるものは回避できるっていうふうに考えます。
だから、いかに生くべきかっていう問いに、こう生くべきだって答えることは、ぼくには我が出る問題ですし、また、そう答えることもできないのです。ただ、生きている状態っていうのは、どういうことなのかっていうことを非常にはっきりと知るっていう、知っちゃうのがいいことじゃないのか、そのことのいちばんわかりやすい、掴みやすいことは、それは「死」っていうこと、つまり、もう後に時間がないっていうこと、そこから出てくる、それから、そこは最大のポイントなんだっていう、心の底から照らし出される問題として、生きている状態っていうのをわかるっていうことが、そのことが、ぼくにとってはいかに生きるべきか、おまえはどう生きているんだってことの答えになっている、ぼくはそう思っています。
だから、いかに生くべきかっていうことに対して、問いに対して、答えられる人っていうのは、たくさんいると思います。最後の女の方がいわれたんですけど、宗教家っていうのは、全部そういうことに対して真っ正面から答えている存在だと思います。それからまた、これを社会制度的にいうならば、そういうものはやっぱり、社会を殺すことが生きることなんだっていうかたちで、そのことについて正面から答えようとしているのかもしれません。やっぱり、そういういかに生くべきかっていうことについても、ストレートであるとか、直接的な答えっていうのは、ぼくはそういう人から求めてしまいませんかって思います。つまり、ぼくはそれは失格であるというふうに思います。
ただ、生きている状態っていうのは、どういう状態のことをいうんだよってことをできるだけはっきりさせたい。そうすると、いかに生くべきかって問うことによって、いかに生くべきかって問いを実行することによって生ずる、一種の息苦しさっていうものをできるだけ回避することはできるんだろうなっていうふうに、ぼく自身はそう考えていますから、せいぜいそのくらいのところでしか答えられないっていうのが正直なところだというふうに思います。そこいらへんで勘弁してもらえれば。
テキスト化協力:大司朋和さま(チャプター1)、ぱんつさま(チャプタ2〜17)