1 親鸞に訪れた3つの転機

 ただいま、ご紹介にあずかりました吉本です。今日はお招きあずかりまして、親鸞について、いくらか書きましたものですから、著書とかがございますので、今日はそのご縁でお招きいただいたんだと思います。
 で、今日も親鸞について、もう何回も話したり、書いたりしたことがあるのですけれど、今日もまた、親鸞について話してみたいと思います。で、自分としましては、親鸞について話をするたびごとに、いくらかずつ、新しい視野みたいなものが開けてきまして、いくらかずつ、ほんの少しですけれど、新しいこともいうことができているんじゃないかっていうふうに考えています。今日もまた、親鸞についてお話しするんですけれど、いくらかは、いままで話したり、書いたりしてきたことに、新しい見方っていいましょうか、視野ってものが付け加えられるんじゃないかっていうふうに、自分では思っております。で、これは自分で思ってるだけで、ほんとにそうかどうかはまったくわからないですけども、今日もまた、親鸞についてお話ししてみたいと思います。
 で、親鸞のいちばんのおおきな著書『教行信証』っていう著書なんですけれど、『教行信証』のなかで、親鸞が、「自分は生涯、3回考え方が変わっていった転機がある」っていうふうに語っています。
それで、その3回の転機っていうのは、なにかっていうことから、お話ししてみますと、まず、一等初めは親鸞の比叡山に修行僧として、若いときに入って行ったわけで、その時から、その当時の仏教とか、仏教的な考え方の一般的な考え方によりますと、自分が母体変更をおこして、思いを浄土にかけて、生きる死ぬっていうことを超えようとすると、そうすると、そういうふうに念ずると、臨終のときに、阿弥陀如来がやってきて、そして、大勢の仏様を連れてやってきて、かならずその人を浄土へ連れてってくれる。
そういう考え方が一般的にありまして、また、親鸞もそのように、叡山で修業を積んで、非常に厳しい修行を積んでいけば、自分もまた、そのようにして、寿命が終わった時に、阿弥陀如来がやってきて、自分を浄土へ連れてってくれる。そういうことが、目の当たりに見ることができるっていうことが、いってみれば当時の仏教、宗教で、いちばん大きな修行の眼目であり、そして、そこへ到達しようとして、修行を積んでいって、親鸞もそういうなかで、同じように修行をしていったわけですけれども。
それを、親鸞は途中で、その考え方をやめてしまう。やめてしまったわけです。どうしてかっていいますと、そういう修行の仕方によって、つまり、修行し、そして善行を行い、そして臨終の時に仏が迎えに来て、それで自分を連れてってくれる。そういうところまで、自分も修行して突き詰めていくっていうことは、いまの言葉でいいますと、自分の心、精神を統一して、そして、ある精神の統一の仕方と、それから、あるやり方をしますと、仏様っていうものの像を、目の当たりに見ることができるっていう、そういう目の当たりに見ることができるそういう修行をするってことに、本当の意味で、意味があるんだろうかってことを、親鸞が疑ったわけです。
そこで、親鸞は第一の転機が訪れるわけで、その契機を転機にして、親鸞は叡山を出てしまいます。それで、出てって法然のところに行くわけです。法然のところへ100日間通うってことが、親鸞の主要な眼目になっているわけで、法然のところに通うわけです。
で、法然のところに通った時も、通い始めた時の親鸞の考え方は、どういうふうに変わっていったかっていいますと、これは『無量寿経』でいえば、阿弥陀如来の四十八願っていうのがあるわけですけれど、そのうちの二十願っていうのにあたるわけですけれど、それはどういうことかっていうと、阿弥陀如来の名号を聞いて、そして浄土へいこうというふうに考えて、つまり、そういう心をおこして、そしてたくさんの功徳を積んでいけば、そうすれば、功徳を積んで、たくさんのいいことをしていきながら、さまざまな仏教的な修行を積んでいけば、かならず浄土へいくことができんだと、また、かならず浄土へ連れていってくれるというふうに、阿弥陀如来は誓ったんだっていう、そういう二十願っていうのがございますけど、つまり、たくさんのいいことをして、そして、たくさんの修行をすることによって、そこを積んでいって、名号っていうものを聞けば、自分は浄土へいけるんだ、あるいは、浄土へ連れてってくれるんだっていう、そういう考え方を、今度は信じて、そして親鸞は法然のもとに通うわけです。で、それが親鸞の2番目の考え方の変わり目であるわけです。
で、もういちど、親鸞は最後に考え方を変えていきます。その考え方を変えて、最後に到達したところは、どういうことかっていいますと、なにはともあれ、阿弥陀如来というものの誓いといいますか、なにはともあれ信じて、そして、その名号を十遍でもいいから称えた人間はかならず、人をかならず浄土へ連れていくというふうな、これは『無量寿経』でいえば、十八願っていうわけですけれど、十八番目の願っていうわけですけれど、十八番目の願に書かれているそれが、いちばん最後に信じられるところだってことで、親鸞はあらゆるほかの、いい行いをするとか、それから経を読んで修行をするとか、それから、極力功徳を積んでいくとか、そういうあらゆる考え方を全部、最後には捨ててしまいます。
そして、心から、阿弥陀如来の本願、十八願っていうものを信じて、そして名号を称えるっていうこと、それ以外なにもいらないし、なにもすることがないんだっていうところに、最後に親鸞は到達していくわけです。そして、最後には十八願というものの、心のどこか信仰して、それで信じて、そして名号を称えることによって、人間はかならず浄土へ連れてってくれるという、それだけのことだけを信ずるっていう行為に、親鸞自身は最後には到達していってしまったわけです。

2 修業はしなくてもいい、お経も大したことない

 これは、浄土教の方でいえば、親鸞の三願転入っていう、つまり、3つの転換の仕方を生涯にしたっていうことなんですけども。三願転入っていうふうにいわれているもので、親鸞が最後に到達したところは、あらゆる修行もいらないし、あらゆるいい行いをすることもべつにいらない、あらゆる徳を積むこともいらないと、ただ名号を称える。つまり、阿弥陀如来の名号を称えることだけでいいんだ。それでいいと、そしたら、かならず人間を、かならず浄土にいくことができるんだっていう、最後に親鸞は、非常に簡単といえば簡単なんですけれども、そういうところに到達していくわけです。
 で、それを三願転入っていうわけですけれども、その三願転入ってことはどういうことかってことが、非常に大きな問題になります。現在考えて、それはどういうことなんだ、どういう意味をもっているんだってことが、たいへん大きな意味になります。
よく考えますと、これは当時の仏教のお坊さんの常識からしましても、あるいは、現在の常識からしても、そうかもしれないんですけれど、親鸞がだんだんと自分を、修業を積むことからも、お経を読むことからも、全部それをやめていってしまって、ただ名号を称えることだけだっていうふうにいくわけです。また、あらゆるどんな戒律っていいますか、仏教でいう戒めですけども。つまり、お魚を食っちゃいけないとか、肉を食っちゃいけないとか、さまざまな戒めがあるわけですけれど、その戒めも一切いらない、やめてしまうわけです。
 で、ただ名号を称えることだけに、親鸞は最後に到達していくわけですけれども。それは、当時の仏教の常識からしましても、あるいは、今の仏教の常識からしましても、それはどういうことかっていいますと、少なくとも、見かけ上からすれば、あの坊さんはだめになったっていうことに、あの坊さんは修行もしなくなったし、お経も読まなくなっちゃった。つまり、外から見ますと、まったくお坊さんとして、僧侶として、堕落していってしまった。だめな坊さんになってしまったっていうふうにしか見えないわけです。
 それで、事実、そういうふうな言われ方もしているわけですけれども。親鸞がたどっていった道っていうのは、そういうふうに考えていきますと、あらゆるお坊さんがやるべきこと、つまり、修行もしないし、学問もしない、それからお経も読まないと、それから戒律も守らない。あらゆることをしない。結局、念仏だけを称えるということですから、それは外側から見ると、お坊さんとして、まったくお坊さんの常識から、まったく外れていくことを意味したわけです。また、見かけ上からみますと、いちばんなまけもののお坊さんっていうふうに、だんだんなっていったわけです。
 ところで、いちばん大切なことは、見かけ上からみますと、お坊さんとしていちばんだめな人間になっていくっていう、見かけ上からそうなっていく、そういう親鸞の考え方の転換のなかに、実は心の問題といいましょうか、精神の問題からいきましても、それから、仏教っていうものの教えの問題からいきましても、非常に重要な転換の仕方が、そのなかに含まれているわけです。
 しかし、含まれている転換の仕方っていうのは、外側からはけっして見えない転換の仕方です。外側からは堕落したお坊さんであり、お坊さんとしての資格もないというふうなかたちに、自分自身を引っぱっていくわけです。その過程が、親鸞の三願転入っていう過程にあたるわけです。
 その過程を、いまの言葉でいろいろ考えてみますと、ひとつは、人間の想像力とか、それから、心を統一して、頭の中で思い浮かべることによって、仏様の姿を描くだとか、あるいは、浄土の荘厳な姿を思い描くっていうような、そういう想像力とか、頭の中で精神を統一して、頭の中で仏様の姿とか、それから、浄土の姿が思い浮かぶような、そういう修練をするっていう、そういう考え方をやめてしまって、つまり、それを否定してしまって、それをだめだ、そういう考え方はだめなんだ、そのようにして思い浮かべられる仏様の姿とか、それから浄土の姿とか、そういうのは全部だめだ。
つまり、いまの言葉でいえば、それは妄想なんだっていう考え方だと思います。そういうのは妄想にすぎないので、お坊さんたちがやっている修行っていうものは、つまり、肉体を痛めつけたり、精神を痛めつけたりして、やっていって、修行して、修行の果てに浄土の姿を思い浮かべたり、仏様の姿がちゃんと目の前に思い浮かぶように、そういうふうに修行して、そういうふうになるっていうことは、ほんとは何の意味もないんだってことが、非常に重要な考え方として、親鸞のなかにあったっていうことがわかります。

3 三願転入の意味

 それに比べれば、なにがいいのかって言った場合に、親鸞は、結局は、いまの言葉でいいますと、〈言葉〉がいいって言ってると思います。つまり、〈言葉〉がいいんだと、あれでいえば、称名念仏ですけども。つまり、名号を称えるってことですけども。名号を称えるってことのなかに、すべてが含まれるわけで、名号を一生涯のうちに十遍でも称えた人間は、かならず浄土へいけるっていう、そういうすでに仏様の、阿弥陀如来の誓いがある以上は、その誓いを信ずる限りは、かならず十遍でも名号を称えれば、浄土にいけるんだっていう、そういう考え方に転換して、変わっていくわけですけれども。
 そのことは言ってみれば、信じられるのは〈言葉〉だけじゃないか、つまり、〈言葉〉で何か言うことだけで、〈言葉〉で名号を称えるっていう、それだけが信じられるので、あらゆる修行も信じられないし、お経を読んで努めることも信じられないし、また、いわゆるいい行いをするっていうことも全部信じられない。そういうことをすれば浄土へいけるっていう、そういうことは全く信じられないと、それで、ただ信じられるのは〈言葉〉で、十遍でもいいから念仏を称えるってこと、それだけはとにかく信じられる。
なぜならそれは、仏の四十八願のなかの十八番目の願目に明瞭に記されてあり、そして、それに記されていることが真実である限り、かならずそれだけで浄土へいくことができるんだっていう、そういう考え方に親鸞が転じていったっていうことを意味します。
 それから、それを違う言い方もすることができます。それは自分の力で、なにかいいことをしたり、あるいは、いい行いをしたり、徳を積んだり、それから、もちろんお経を読んだり、そういうことっていうものは、大したことはないんじゃないか。つまり、自分の力でできることっていうのは、いずれにしろ人間が自分の力でできることっていうのは、それほど大したことじゃないんじゃないか。つまり、それほど大した規模のものじゃないんじゃないか。
その規模に比べれば、なにかわかりませんけれど、浄土の宿主である阿弥陀如来っていうもののもっている規模の大きさの方が、はるかに大きいんだっていう、この規模の大きさに比べれば、人間が行いうる善であるとか、人間が行いうる悪であるとか、それから人間が行いうる修行であるとか、あるいは、自分が信じられる意味での自分の力っていうのは、まったく大した規模のものじゃないと、大したものじゃないと、だから、こういうものは、あんまり信じない方がいいんじゃないかと、もっとなにかわかりませんけれど、浄土の宿主がいうところの善とか、悪とか、慈悲とか、そういうことの大きな規模を信じたらいいのであって、それを信じている限りは、小さな善であるとか、小さな悪であるとか、人間が行いうる、自力で行いうる、さまざまないいこととか、修行とか、そういうものは、そんなに大きな問題でない、あるいは、大きな規模のものじゃないっていう考え方を、つまりこれは、自力っていうこと、人間の自力でできることっていうことに、あるひとつの見切りのつけ方をするっていいましょうか、それを放棄するっていいましょうか、見切りをつけたっていうことを意味していると思います。
そして、まったくなにかわかりませんけれど、これは、仏教の概念でいえば、浄土の一種の宿主なんですけど、浄土の宿主が、人間に対してもっている、慈悲とか、大きな規模の善とか、大きな規模の悪とか、そういうものに一切を任せようじゃないかと、それに任せようじゃないかと、それで、小さな意味での人間の善とか、悪とかいうことは、それほど大きな意味をもたないっていうことをよくわかって、そして、全部任せることにしようじゃないかっていう考え方に親鸞が変わっていったっていうことを、意味していると思います。

4 念仏とは何か-貞慶の批判

 こういう考え方っていうものは、みなさんがお聞きになればわかるように、そんなこと言ったって、それは詭弁じゃないのか、あるいは、なまける為の口実じゃないのか、あるいは、いいことをしたくない、善行を、いい行いをしたくないためのいいわけじゃないかっていうのは、たえず、そういう外からの目とか、そういう外からの批判とか、そういうものをたえず、いつでも呼びおこす考え方なわけです。
 極端にいえば、念仏さえ称えていれば、あんまりいいこともすることもないし、人のためになにかやってやることもないし、また、修行して自分を高めようなんて、あんまり考えなくていいんだっていう考え方に、いってみればなっていきますから、これは外からみると、なまけものの口実じゃないか、あるいは、悪いことばっかりしている奴の口実じゃないかとか、たえず、そういう意味合いの批判っていいましょうか、たえず、そのことをいつでも呼びおこす考え方であるわけなんです。
 もちろん当時でも、天台宗の最も偉い坊さんだって言われている解脱上人っていう坊さんがいるわけですけれども。その解脱上人、貞慶っていうんですけれども。解脱上人は、すぐに、そういう考え方で宗派を開いた、法然上人ですけれども、法然の書いた考え方を、すぐに批判しています。それは、『興福寺奏状』っていう文書のなかにありますけども。興福寺のいちばん偉い坊さん、解脱上人っていうのはいちばん偉い坊さんだったわけですけれど、それが法然の書いた『選択本願念仏集』っていうものに批判をくわえて、そして、それを朝廷に差し出すっていうようなことをしています。
 その批判を書いたものを読みますと、どういうことが書かれているかっていいますと、いま言いましたように、途方もないことを、法然とその弟子たちが言いだしたものだから、各所で、念仏のほかやることはないっていうことを言いだすのがたくさん出てきて、これはもう、仏教のおしまいだって、仏教も、こんなこと言うやつがいっぱい出てきたっていうのは、仏教もおしまいなんだっていう言い方をしているところがあります。
 で、いくつかの悪い点をあげて、批判しているわけですけども。そのたくさんの批判というものはともかくとして、そのなかで、非常に今考えても、当たっている批判っていうのもあります。当たっている批判っていうのは、どういうことかっていうと、いま申し上げましたところに、集約されるわけですけれど、つまり、法然と弟子たちっていうものは、念仏を称えるだけでいいというふうに言っていると、しかし、法然や親鸞などが言っているその念仏っていうものは、本当の意味の念仏ではないって言ってるわけです。
つまり、本当の意味の念仏っていうのは、まず、人間の心のなかに、一種の念ずる心、菩提心みたいな念ずる心があって、それが言葉になってあらわれるっていう、それがあらわれて名号を称える、あるいは、念仏称名するってことになってあらわれるのだと、だから、おおもとは、それぞれの心のなかにおおもとがあって、そして、おおもとに念ずる心とか、あるいは、菩提心とか、慈悲心とか、そういうものが人間の心のなかにあって、それが外にあらわれて、はじめて念仏の称名の言葉になるんだと、ところが、法然とか、親鸞とか、法然の弟子たちが言っていることは、そうじゃないじゃないか。
つまり、あの人たちが念仏といっているのは、ただ〈言葉〉で名号を称えればいいって言ってるだけじゃないかと、〈言葉〉で名号を称えさえすれば、誰でも、わけへだてなく浄土へいけるみたいなことを言ってると、しかし、それは、〈言葉〉で名号を称えるってことと、ほんとの仏教でいう念仏とは違うんだと、仏教でいう念仏っていうのは、心のなかに、まず、念ずる心とか、菩提心とか、そういうものがあって、そして、はじめてそれが言葉になってあらわれてきたものを、念仏というのであると、もし、法然や親鸞や、そういう人たちが言うことが正しいならば、口先だけで名号を称えていれば、もうそれでいいってことになるんじゃないか、それは仏教としては、堕落の極地である、堕落以外の何ものでもないっていう批判の仕方をしています。
解脱上人の、その当時いろんなことが起こったことに対する批判はともかくも、念仏っていうことに対する批判っていうものは、ある意味ではたいへん、よく当たっていることであると思います。

5 念仏は、口先だけで称えればいい

 ところで、法然や親鸞は、名号と称えればいいって言ってる、その名号のことを念仏というふうに考えてっていうことは、本当に解脱上人がいうような意味合いで、ただ口先だけっていうことだろうかっていうことが問題になるわけです。
 それは、人によってさまざまな考え方がありましょうが、ぼくの考え方では、そうだと思います。つまり、口先だけで名号を称えればいいと言ってると思います。法然、とくに親鸞はそう言ってると、ぼくはそう理解します。
そこまで徹底して、法然や親鸞は、名号を称えること自体を念仏と言っているわけであって、心のなかに念ずる心があって、菩提心があって、そして、名号がはじめて言葉になって出てくるっていうふうには考えてないと思います。とくに、親鸞はそう考えてないと思います。
 なぜかと申しますと、もし心のなかに菩提心があるとか、菩提心が起こってとか、念ずる心が起こってとか、念仏を称えようって自分も、念仏を称えようって心が、もし、あって念仏が出てくる、名号が出てくるって言うんだったらば、いわば心のなかに念ずるものがあるってこと自体が、それは自力っていうことを意味します。
 つまり、それはやっぱり、自力を頼んでいるってことを意味しています。心のなかに念ずる心が、菩提心が生まれるってことを、なにかやっぱり、最後には認めてるってことを意味します。
 ところで、法然、とくに親鸞のいう他力っていうものは、全然そんなもの認めていません。いないとぼくは理解します。ぼくの理解の仕方ではそうなります。だから、心のなかに菩提心があるから、あって、そして、それが、名号を称えることになって出てくるっていうふうに、親鸞は考えていないと考えます。
 それから、そうじゃないと、心のなかに何があるかどうかってことは、問題にならないと、そういうことは問題にならない、そんなことを大切だと思っちゃいけないっていうふうに、親鸞は言っていると思います。だから、言葉で名号を称えればいいというふうに言ってると思います。
 で、その〈言葉〉っていうことのなかに、さまざまなものが多く含まれるわけであって、けっして、人間の心に、なにかのもとがあって、そして、名号が出てくるっていうふうに考えるべきじゃないっていうふうに、親鸞は言ってると思います。
 ですから、そういう意味合いでは、解脱上人の、そういう批判の仕方っていうのは、当たっていると思います。鎌倉時代の古い仏教の考え方からすれば、解脱上人の考え方のほうが正しいっていうことになります。
 それから、その方が、お坊さんとして、僧侶としては、当然、考えやすい考え方であって、当然の考え方であって、少しでもなんかいいことをしようっていうふうに考えてる人にとっては、その方が考えやすいわけです。
 ところが、法然、とくに親鸞は、それをまったく否定していると思います。そのことは、たいへん重要な大切なことだと思います。親鸞は、それをまったく否定していると思います。だから、心のなかで、いいことしようみたいな心が、あるいは、念仏を称えて、菩提の心を起こそうなんて、心のなかで思ったら、ふつうの常識からいえば、その人はいいことを考えたんだっていうふうになりますけども、ぼくは、親鸞はそういうことを認めていないと思います。そんなことは問題にならないと言っていると思います。
親鸞の考え方はそうじゃないと思います。心のなかに、いい行いをしようと思おうが、また、実際にしようが、そういうことは、あんまり大したことないんだってことを言ってると思います。だから、言葉で名号を称えればいいんだ、それでもって浄土へいけるんだっていうふうに言ってると思います。だから、そこのところは、親鸞が、当時の仏教の考え方から、自分がはみ出していった理由でもあります。
 また、今でも、そうであるかもしれません。今でも、仏教の常識から、親鸞がはみ出しているところだと思います。親鸞は、その意味では本当に、徹底的にっていいますか、極端にっていいますか、最後のどんづまりまで、仏教をはみ出していってるのであって、ある意味では、親鸞にとっては、仏教っていう教えが、ある枠をもって、枠があって、その枠の中で考えられている、その枠自体を、親鸞自身は、あんまり信じてないし、認めていないと言っていいくらい、当時の仏教の常識からはみ出していっています。
 だから、ある意味では、親鸞はただ、言葉だけ、そうか言葉だけかと、おまえが信じてるのは言葉だけかっていえば、そうだ、そのとおりだと、おれは言葉だけを信じてるっていうふうに、親鸞だったらば、たぶんそういうふうに答えるだろうっていうくらい、親鸞の考え方は、徹底していたというふうに考えます。
 で、親鸞のこのような考え方っていうのは、もちろん当時も徹底し、また今でも、徹底した考え方として、通用する考え方なんですけれども。つまり、親鸞が最後に到達した阿弥陀如来の四十八願のうちの十八願っていう、つまり、心の底から、阿弥陀如来を信じて、そして、名号を十遍でも生涯のうちに称えるならば、かならず小乗の位につく、そして小乗の位につけば、かならず浄土へいけるんだっていう、そういうふうに、それは確実なんだって、そういう考え方自体に、親鸞が最後に、この十八願のところに到達するわけです。
親鸞自身は『教行信証』の中では、乃至往生っていうふうに、そのことを言っていますけども。最後には自分は、乃至往生ってところに自分はとうとう到達したんだっていうふうに、到達することができましたってことを、『教行信証』のなかに言っていますけども、それは、第十八願ってものに自分は、一切を帰依するっていう考え方に帰着していくと思います。

6 なぜ、第十八願はすぐれているのか-法然の差別論

 この第十八願っていうものなんですけれど、第十八願というものは、どういうものなのか、これをどういうふうに受け取ったらいいのか、あるいは、どうしたら十八願っていうものを信ずるっていうところに、どうしたらいけるのかっていうふうな、そういう問題っていうなのが、親鸞の思想にとって、一番最後の問題であるわけなんです。
 親鸞が十八願っていうものをどういうふうに受け止めたか、あるいは、それをどういうふうに、これをどういうふうに信じたらいいのか、あるいは、どうすればこれが信じられるのか、つまり、名号さえ称えれば、生涯のうちに十遍でも称えれば浄土へいけるっていう、どうやったらこんなことを信ずることができるんだっていうような、そういう問題についての、めぐっての、親鸞の考え方っていうのがあるわけなんです。
 その考え方が、親鸞の最後に到達した、大きな思想であるわけです。この十八願というものの理解の仕方というものをめぐりまして、親鸞がどういうふうに考えていったかってことを申し上げてみたいんですけども。
これは、たとえば、いちばんわかりやすいのは、親鸞の師匠である法然ですね。法然と親鸞とが、十八願に対して、どういう考え方の違いっていいましょうか、考え方、ニュアンスの違いをしているかってことを比較してみますと、いちばんわかりやすいと思いますので、ちょっと比較してみます。
法然の第十八願に対する理解の仕方っていうなのは、『選択本願念仏集』っていう、法然のいちばんの著書ですけども。もちろん、お弟子さんたちが、法然のいいつけで書きまして、それで、法然が最終的に、自分が取りまとめたっていう、著書なんですけれど、法然のいちばん主な著書なんですけども。そのなかに、十八願に対する法然の考え方、あるいは、浄土教の、日本における浄土教の一般的な考え方といっていいわけですけれど、法然の考え方が書かれています。
法然の考え方っていう考え方は、2つに分けて法然は言っています。ひとつは念仏を称えることとそれ以外のこと、修行ですね、それ以外の仏教の修行とどちらが優っているか、どちらが劣っているかってところからの、比較っていうことがひとつあるっていうふうに、法然は言っています。そうすると、念仏の方が、それ以外のものの、仏教上の修行とか、教えとか、そういうものに優れているっていうふうに言っています。
どうしてかっていうと、名号っていうもののなかには、名号っていうものは、浄土の宿主である弥陀の名前を、ただ称えるってことだけをするわけですけれど、その弥陀の名前っていうこと、つまり名号ですけれど、名号っていうことのなかには、弥陀の徳とか、それから救いとか、それからもちろん光明とか、教えとか、そういうもの一切が、そのなかに含まれていると、だから、名号を称えることが優れたものであって、名号を称える以外の仏教のさまざまな修行っていうものは、それに比べれば劣ったものだと、それは主なものじゃないと、やっぱり、念仏を、名号を称えるっていうことが、最も優れたものであり、それ以外の修行っていうものは、それに比べれば優れたものじゃないというふうに言うことができるということを言っています。
それから、もうひとつ、法然がなぜ十八願が、名号を称えれば浄土へいけるっていう、摂取するっていいましょうか、そういう十八願がなぜ優れているか、また十八願に則って、名号を称えることがなぜ優れているのかという、もうひとつの比べ方があると、そういうふうに言っています。
もうひとつの比べ方っていうのはなにかって言いますと、それは、むずかしさ、やさしさってことだっていうふうに言っています。つまり、念仏、名号っていうようなものは、称えやすいってことを言っています。称えやすいんだと。そのほかの諸々の修行っていうものは、なかなかむずかしいんだと、諸々のむずかしい修行に比べれば、念仏は称えやすいし、行いやすいんだと、そこが優れているっていうふうに言っています。
法然はここで、つまり、むずかしい、やさしいっていう言葉で言っているわけですけれども。それはもっと、さまざまな意味合いを含んでいます。それは一種の差別論っていうことを含んでいると思います。
法然のむずかしさ、やさしさってことを分けていきまして、法然がいくつかあげているわけです。それは、ひとつは貧しさっていうことと、富んでいるか、金持ちってことですけれども、富んでいることの違いっていうことが、念仏を称えることの行いのなかでは、その差別っていうのがなくすことができるんだっていうことを言っています。だから、優れているんだってことのひとつにあげています。
たとえば、富んでる人、お金持ちの人は、仏像をつくって、それを寄進したり、あるいは、塔を建てて、それを寄付したりってことをして、それで浄土へいけるための御利益にあずかるってことができるだろうと、しかし、貧しい人は、仏像をつくって、それをお寺に寄付するとか、御塔を建てて、お寺に寄付するってことはできないだろうと、そうしたらば、もし、仏様の仏像をつくって、それを拝んだり、それから、塔を建てて、それを拝んだりっていうことの方が、浄土へいきやすいっていうならば、それじゃあ、お金を持っている、富んでる人の方が、浄土へいきやすいってことになってしまうじゃないかと、だから、そうしたらば、貧しい人は浄土にいきにくく、それで、富んでる人はいきやすいってことになってしまうじゃないかと、そういうふうに言っています。
ところが、念仏、名号っていうものは、貧しい、貧しくない、富んでいるってことにかかわらず、だれでもが平等に、それは称えることができる、称えた限りは、それは、十八願によって、かならず浄土にいくことができるっていうふうに出ているのであるから、だから、念仏の方がいいんだっていうふうな言い方をしています。
それから、もうひとつ、まだあります。まだ、一種の差別論があります。もし、知恵が優れている人間、あるいは、知識がある人間の方が、浄土へいきやすいっていうならば、知恵がない人間っていうのはいけないってことになるじゃないかと、ところが名号っていうものは、そうすると、知恵がある人だけが浄土へ近づきやすいとか、仏に近づきやすいって言うんだったらば、知恵のある人だけが浄土へいけるってことになってしまうじゃないかと、そうすると、名号を称える者は、だれでもが、浄土へいけるっていう十八願を眼目とする限り、それを信ずる限りは、知恵があるか、ないかってことは、あんまり、浄土へいけるか、いけないかってこととは、あんまり、かかわりがないんだってことになるじゃないかと、また、知識がある、それから、さまざまな見聞をしている人、それから、さまざまな判断がよくできる人、そういう人が浄土にいきやすいっていうんだったらば、そうだったらば、物事について、あまりよく知らないっていう、そういう人は浄土にいけないっていうことになるじゃないか、また、仏にも近づくことができないってことになるじゃないかと、そうだったらば、それはおかしいことじゃないかと、だから、あんまり、そういうことが、念仏、名号を称えることは、そういうこととはかかわりなく、だれでも浄土へいくことができるのであって、それは、見聞が多いとか、たくさんのことを知ってるかとか、そういうこととはかかわりなくくる、それはだれでもが平等に、そこに到達できるんだっていう、いくことができるんだってなると、こういうことが、念仏称名ってことの、あるいは十八願を信ずることの、非常にいいことなんだ、いい点なんだってことを言っています。
それから、これは、またお坊さんに限定されるわけでもないんですけれど、いろいろな様々な戒めを守り、道徳を守り、それから、悪いことを行いっていうようにして行わないようにすることは、その方がもし、浄土に近づきやすいっていうならば、悪をなした人は、やっぱり、悪をなしたり、さまざまな戒めを守らなかったとか、破ってしまったとかいう人は、またこれは、浄土へいけないってことになるじゃないかと、ところが、念仏を称える者は、十遍でも生涯のうちに称える者は、だれでも浄土へいけるっていうふうな、十八願っていうものを信ずる者はだれでもいいんだっていうならば、これはべつに、悪い行いをしたからいけないとか、往生できないとか、あるいは、いい行いをしたから、より多く往生できるんだとか、そういうこととは一切かかわりのないことなんだと、だから、それが、念仏名号を称えることのいい点なんだっていうふうに、法然はそのように、『選択本願念仏集』のなかで言っています。
そういうふうにあげていきますと、十八願っていうものは、十八願を一生懸命信じて、名号を十遍でも称えて、弥陀の国へいきたいっていうふうに思えば、思うならだれでも、かならず摂取して、そこに往生せしめるっていう十八願の仏の誓いっていうのを信ずることが、いちばん仏教のなかで優れているんだっていうふうに、法然はそういうふうに『選択本願念仏集』のなかで言っています。

7 法然・親鸞とほかのお坊さんは何が違うのか

 これに対しても、先ほど解脱上人も批判していますし、それから、明恵上人っていう、これも、当時の名高い、修行を積んだ高僧なわけですけれども、明恵上人も『摧邪輪』っていう文書を書きまして、本を書きまして、それで『選択本願念仏集』に対して、批判を加えています。
 法然上人は、自分は偉い人だ。偉い坊さんだ。優れた坊さんだと思って、いうこと、やることに対して、何も批判がましいことを言ったこともないし、言わないでやってきたと、しかし、『選択本願念仏集』っていう著書をつくったと、それで著書を読んでみて驚いたと、そうしたら、これを、法然のいうことを信ずるならば、それは、仏教はおしまいだってことになると、さまざまな、だめな悪い点があるけれども、その本のなかに悪い点があるけれども、いちばん悪い点はやっぱり、さきほどの解脱上人とおんなじような問題なんですけれども。
つまり、まず菩提心を起こすってことが、自分のなかで浄土へいこうとか、自分を高めて浄土へいこうとか、人のためになろうとか、そういうふうな気持ちっていうものを起こすっていうこと、とにかくそれを起こすっていうことが、仏教の根本問題であって、それに比べれば、念仏、名号を称えるっていうことは、べつにそれに比べれば、大したことじゃないなんだと、それなのに法然は、菩提心なんかあちらこちらにすっ飛ばしてしまって、ただ名号念仏を称えればいいって、それは大量のもんだってなことも麗々しく言ってると、しかし、とんでもないことで、仏教をまったく誤るもんだって批判の仕方をしています。
 もちろん、ある意味で、それは確かに仏教を誤るものである、そういう要素をたくさん含んでいるわけですけれど、それはもとより、古い枠で考えられている仏教っていうようなものは破れてもいいと、法然もまた、親鸞も、そういうふうに考えているから、そうしているのであって、そういうふうに考えたわけであって、もちろん、古い仏教、伝統的な仏教から比べれば、本当に、それはとんでもないことを言っている人たちだってなるのかと思います。
 しかし、法然、またその弟子たちの考え方によれば、そうじゃないんだということになると思います。そうじゃないんだっていう根本のところに、法然なんかの根本のところにあったのは、そういうことはちっとも言っていないんですけれど、いま申し上げましたところからわかるように、お坊さんたちは仏教の修行を積むってことをすると、修行を積むと称しながら、本当はあんまり修行を積まないで、それで、いわば堕落したかたちになってると、それから、そうじゃなくて、お坊さんと関係のないたくさんの人たちが、しかし、やっぱり、生きていることのなんていいますか、中世ですから、鎌倉時代のはじめですから、武家階級が興ってきて、戦乱が絶え間なくある。それから、疫病は流行る。それから、飢餓がっていいますか、飢饉が起こって、あんまりものを食べることができなくて死んでいく人がたくさんいると、そういうなかで、一般の人たちが、こんな生きてる世の中っていうのを、これでもって終わっていいんだろうかとか、このままで自分たちは飢えたり、黙って死んでいったり、あるいは、疫病にかかって死んじゃったり、そういうふうにしていいこともなにもなくて、こういう状態でいいんだろうかっていう考えを、どこかで、みんな、ごくふつうの人たちが、もつようになったっていうことを意味していると思います。
 つまり、そういうことをごくふつうの人が、べつに学問の知識があるとか、仏教の知識があるとか、そういう人だけじゃなくて、ごくふつうの人が、こんなことでいいのかしらって、たちまち何かがあるとすぐに侍に殺されちゃうし、それから、何かがあるとすぐに飢えてしまうし、飢えて死んでしまうと、何かがあるとすぐ疫病が流行ってばたばた死んでいっちゃう、こういう状態で生涯をおくっていいんだろうかっていう疑問が、どんな人たちにも起こってきたっていうことが、時代の背景としてあったっていうふうに思います。
 つまり、背景としてあったそういう、ごくふつうの人たちのそういう悩みといいましょうか、疑いといいましょうか、生きてることに対する疑いとか、そういうものに対して、どう答えたらいいかっていう問題がたくさんあったんだと思います。仏教はどういうふうにそれに対して答えていったらいいのかっていう問題に対して、たとえば、法然や親鸞は、それに対して、なんとかして答えようって考えていったんだと思います。
 つまり、そこだけが当時の偉い坊さんである解脱上人とか、明恵上人とか、名高い高僧ですけども、そういう人たちとどこが違うかっていうと、たぶん、そこだけが違うと思います。違ってたと思います。明恵上人も解脱上人も、一般のごくふつうの人たちが、どうもこんな生き難いってところに、現世に生きているってことにどんな意味があるんだろうかみたいなことに悩み始めたっていうことに対しては、直接、なにか自分の考え方のなかに、直接入れていって、自分の仏教に対する考え方を開いていくっていうことは、解脱上人も、明恵上人もしなかったと思います。
 やはり、まず自分が修業して、自分が菩薩になりっていいますか、仏になり、自分のそういう感化力でもって、ごくふつうの人々を教化しようっていうふうには、考えたかもしれないんですけれども、ごく一般の人たちが、どういうふうに考えて、どういうことを悩み始めたんだとか、どういうことを考え始めたんだとか、どういうことをつまんないことだと思い始めたかっていうことを、自分の考え方に、あるいは自分の仏教の修行のなかに、入れていって、そして、考え方を変えていくとか、考え方を開いていくってことはしなかった人だと思います。
 ですから、明恵上人も、解脱上人も、書かれたものを読めばわかりますけれども、たいへん優れた坊さんだってこともわかりますし、たいへん優秀な坊さんで、また、修行を積んだ坊さんだってこともわかるんですけども、なにが法然あるいは親鸞と、なにが違うかっていいますと、いまのそこのところが違うと思います。
つまり、自分以外の者の陰っていいましょうか、自分以外の者の陰、あるいは、なにも考えないとか、なにも仏教についても考えない、学問とか知識についても考えない、そうやってとにかく生まれ、家をもち、子どもをもち、そして、老いて死んでいくっていう、そういうごくふつうの人たちの陰が何を考えているか、それが何を考えているかっていうことを、それを考えたか、考えないか、自分の仏教の教えといいましょうか、思想のなかに繰り入れて考えることができたか、できなかったことだけが、法然あるいは親鸞と、ほかの当時の優れた坊さんとの唯一の違いだと思います。そのほかのことでは、さして違わなかったと思います。
 つまり、法然もそういう意味では秀才ですし、当時でいいますと、秀才の坊さんですし、また、親鸞は秀才ではないのですけれど、ちょっと天才的なお坊さんですし、優れた人には違いないんですけれども、優れた坊さんには違いないんですけれど、ただ要するに、そういうところが違うと思います。つまり、なにも物事を考えないような人でも、考えざるを得なくなっている、そういう社会のあり方ですね、当時の国内の戦争です。侍たちの戦乱です。それから、疫病とかたくさん起こるわけ、それから、飢えとか、そういうことが起こるわけですけれど、そういうことで物事を考え始めた、あるいは、現世を疑い始めた、そういう人たちに対して、どういうふうに答えられたか、あるいは答えようとしたかっていうことが、そこだけがやっぱり違うと思います。

8 人間は「煩悩具足の凡夫」である-親鸞の考え方

 今度は、法然と比較して、親鸞の十八願に対する考え方は、どういうところが違うかっていうことになっていくわけです。親鸞の十八願に対する考え方っていうものは、親鸞が90歳くらいで亡くなるまで、一生懸命考えてみて、なかなか考え方が微妙でして、微妙に変わっていきますし、また、微妙に深められていって、なかなか今の言葉でうまくこれを言うことはむずかしいんですけれども、しかし、いくつかのことをあげながらいきますと、もしかすると、それをうまく言えるかもしれませんし、また、うまく言えないかもしれません。
それをうまく言うことが、親鸞を論ずるとか、親鸞について語ることの最後の望みなんですけども。なかなかこれは、何遍やっても、うまく言えないですね。うまく言えたためしがないということなんで、うまく言えるかどうかは今日もわからないんですけども、また、いくつかの言い方をして、いままで言いました法然の考え方との違いっていうようなものを頭に浮かべながら聞いてくださるといいと思います。
 で、親鸞の十八願に対する、あるいは、称名念仏に対する考え方の眼目がいくつかありまして、そのひとつの眼目はなにかと言いますと、まず、人間っていうのは、ことごとく煩悩具足の凡夫であるっていうことなんです。十八願っていうのは、やさしいから、称えやすいから、どんな人でも称えやすいから、これがいいんだっていうわけでもないし、また、ほかの修行に比べて、念仏を称えることが優れているから、だから念仏を称える、あるいは、十八願がいちばんの眼目になるんだというのともちょっと違うんです。
つまり、優劣の比較とか、ほかの修行よりも、あるいは、ほかのことよりも、これの方がいいことだから、いい行いに属するから、念仏の方がいいんだっていう考え方は、親鸞のなかではないのです。
ないので、はじめから、この第十八願っていうのは、そもそも煩悩具足の凡夫を救済、救い出して、これを浄土へ摂取しようという浄土の宿主の悲願っていいましょうか、それから出たものであるから、だから煩悩具足の凡夫にとって、これがいちばんいいんだっていう言い方をしているわけです。

9 法然と親鸞の違い

 ほとんどおんなじような言い方のように、法然の言い方と親鸞の言い方は、ほとんどおんなじのように見えるかもしれませんし、信じていることは、おんなじ十八願を眼目としているわけですから、おんなじように見えるかもしれませんけれど、何が違うかっていうと、いま申し上げましたところでは、なにか物事を比較して、こっちが優れているっていう言い方は、ほとんど、親鸞のなかではないということなんです。ほとんど、それがふっ切られちゃっているってことなんです。だから、もともとそうだということなんです。
 だから、もっと極端な言い方で、親鸞は言っていますけれど、要するに、今度は逆にいいことをしようと思ったり、それから、いいことをしようと思って努めたり、それから、修行をしようと思って努めたりする人間は、本当の浄土にはいけないって言っています。
 そういう人たちがいけるところは、本当の浄土、つまり報土っていいますけど、その報土ではなくて、それは化土だ、化けるって字に土ですけど、それは化土にしかいけないって言っています。つまり、自分の力でいいおこないをしようとか、自分の力で修業をしようとか、そういうふうに考えて、そうする人たちは、ほんとの浄土にはいけなくて、化土にしかいけないって言っています。そういう人たちがいけるところは化土である。化土に一度いって、なお、そのうえで努めなければ、本当の浄土にはいけないっていうふうに言っています。
 こういうふうに言えば、法然の言い方と、相当違うってことがおわかりいただけると思います。つまり、法然の場合には、少なくとも念仏の方が優れているから、あるいは、称えやすいから、これがいいんだっていう言い方をしています。
しかし、親鸞はそう言っていません。むしろ、逆であって、優れているか、劣っているかじゃなくて、優れていようが、劣っていようが、自分でもって善を行い、そして自分でもって修行を積んで、そして浄土にいこうなんて、そういうふうに考えている人間は、坊さんであれ、そうでなかろうと、そういう人は本当の浄土にはいけなくて、かならず化土へいくってことになってるっていうふうに言っています。
 だから、むしろ逆な言い方をしますと、そんなことをする人はいけないよ、つまり浄土へはいけないよっていうふうに言っています。言っているわけです。ずいぶんをそこは違うだろうと、法然とは違うだろうということがあると思います。
非常に微妙なんですけども、微妙な違い方なんですけども、微妙な違い方は、考え方によっては、たいへんな違い方です。むしろ言ってみれば、俗っぽく言ってみれば、いいことしたやつは浄土にいけないって、こういうふうに言ってるのとおんなじことです。
だから、いくら言い直して、きつい言い方をしても、どうしても親鸞が言ったようにはならないのですよ。どういったらいいんでしょう、なんて言ったらいいんでしょう、理屈で、言葉で、要するに説明じゃないんですよね。説明じゃないもんだから、それを理解することはできるんですけど、それをこうなんだっていうふうに、こっちを通過してこうなんだっていうと、ちょっとだけ嘘になっちゃうんですよ。かならず、ちょっとだけずれちゃうっていうんです。なかなかうまくそれが言えないんです。

10 第十八願の志向性

 で、もっとまた違う言い方をしてみますと、あんまり言葉にこだわらないで聞いてくださるといいんですけど、やつはなんか言おうとしてるんだけど、うまく言えないんだと思って聞いてくださればいいんですけど。もうひとつ、違う言い方をしますと、仏教でいうと、仏教外も使いますけど、浄土の宿主である弥陀っていうものは、四十八の誓いを立てたと、衆生を救うための誓いを立てた。その十八願もまた、一般の人たちを、現世の人たちを救おうって誓いのひとつなんだと、それはとにかく、念仏を生涯のうちに十遍、自分を信じて、十遍でも称えた人間はかならず浄土へちゃんと連れてってやるって、こういう誓いなんだと、そうすると、その誓いのなかには浄土の宿主である弥陀の誓いの、いまの言葉でいえば志向性ってことなんですけど、誓いがどこを向いているかっていう方向があるだろうと、方向がそこにあるんだと、つまり、誓いの方向ってもの、あるいは、また光明でもいいんですけども、光明っていう光ですね、光明がとにかく、十八願の言葉のなかにあるんだ。
つまり、十遍でも称えた人間は、かならず浄土へ往生せしめるっていう、そのちょっと言ってみましょうか。「もし我れ仏を得んに」、仏を得るのにですね、得たとして、自分が、「もし我れ」っていうのは、浄土の宿主である阿弥陀如来ですね。もし私が、つまり阿弥陀如来です、私が仏を得たとして、仏になり得たとして、「十方の衆生」だから、諸処方々のあらゆるところにいる衆生です、人たちです。人たちが「至心に信楽し」っていうんだから、心を至して、心からってことでしょうけど、心から信じて、「我が国に生れんと欲い」っていうんですから、自分の国、つまり浄土です。浄土に生まれようと思って、「乃至十念せん」っていうんだから、まあ十遍でも念仏を称えたとしようと、もし、その称えた人が浄土に生まれなかったならば、自分は悟りをとらないっていうふうに言ってるのが十八願なんです。
だから、もう一回言いますと、「もし我れ仏を得るに、十方の衆生を、至心に信楽して、我が国に生まれんと欲い、乃至十念せん、もし生まれねば、正覚を取らじ。」ってなるわけです。そういう誓いのなかには、浄土の宿主である阿弥陀如来からさしてくる光が、光が向いている方向があるっていうふうに、そういうふうに親鸞は考えるわけです。
今度はこれに対して、この誓いを、人間のこちらの方ですけど、もしこの誓いをこちらの方で信じようっていうふうに、もし考えたとすると、このあれを信じようっていうふうに考えたとすると、信じようと考えて、心の底から考えて、十遍でも一遍でもいいんですけど、念仏を称えたとすると、その時に、一般の称えた人の方から今度は、一種の志向性なんですけども、一種の光がさしていく方向があるわけです。あるんだと。そして、こちらからそれを称えたときに、さしてくる光といいますか、志なんですけども、志と、それから十八願の浄土の宿主からの志の光とか、どっかでかならず出会っちゃうんだっていう、出会うっていうことがあるから、かならず、それを称えた人はかならず浄土へちゃんといけるんだっていうのが、親鸞の考え方なんです。
だから、信じて念仏を称えたら救われるって言葉でいえば浄土へいけると、言葉でいえばこれだけのことなんですけど、気持ちからすれば、そこがいちばん難しくて、微妙なとこなんですけど。言葉でいえばそれだけなんですけど、気持ちからいえば、その時に、そういうふうに、心から信じて、念仏を称えるっていう、その気持ちになったときの気持ちっていう、心の状態ですけども、その心の状態っていうことは、この状態っていうのは極めて、どういったらいいんでしょう、自然だとしたら、つまり自然にそういうふうになれたとしたら、それはかならず、浄土の宿主の方からさしてくる、本願の力からさしてくる、その光とかならず出会えるんだっていう考え方だと思います。
そのときの心の状態のなかに、たとえば少しでも、はからいって言葉を親鸞は使っていますけども、少しでもはからいがあって、つまり、俺はこれを称えて、こうやって信じたんだし、これを称えたら俺は浄土へいけるんだみたいな、そういうちょっとでもそういうはからいみたいなものがあったり、たぶんそういうふうになった状態では、たぶん、だめなんじゃないかってことを言っているわけです。
そのはからいみたいなものが入ってくるってことは、なにを意味するかっていうと、それは自分の、人間のはからいとか、考えとか、そういうことと、浄土の宿主の考え方をどっかで比較しようとか、どっかでそれは似たようなものだとか、そういう考え方がどっかにあるから、はからいみたいなものが起こるので、なんかそのはからいのない状態で、それを信じられて、信じて、そして念仏を一遍でも称え、十遍でもいいから称えるっていう状態は、もし、そういうふうな心の状態になれたとしたら、かならずそれは、本願の摂取力っていいますか、浄土の宿主の摂取力にかならず摂取されることができるっていうふうに言ってると思います。
で、こういうふうに言うとまた、すこぶるつまんねぇことを言ってるような気になるし、つまんないことを説明しているような気がしてしょうがないわけなんです。だから、これもどっかやっぱりだめなんです。つまり、この説明の仕方っていうのも、どこかだめなんです。ところが、どういう説明の仕方をぼくらがしても、ちょっとうまくできないんですよ。それは非常に微妙だからやれないってことと、それから、相当よく考えられているんです。

11 世界的大思想家・親鸞

 親鸞はインドから始まり、中国へ渡り、そして日本に渡ってきた、一種の大乗仏教の思想的な流れっていうのがあるのですけれど、その流れのなかで、浄土っていうのがあり、浄土教っていうのがあり、浄土教的な流れがあるわけですけれど、その流れっていうものを、親鸞っていうのは最後に集大成した人です。
 集大成した人ですから、当時の仏教でいえば、とくにインドとか中国とか、日本とかでいえば、一種の世界思想ですから、世界思想の一種の浄土部門ですから、それを集大成者にあたります。だから、親鸞というのは思想家として当時、世界的な思想家であった人です。
世界的な思想家であった人ですから、相当よく考えられているんですよ。相当よく考えられて、相当よく突きつめられていまして、これを理解することは、かならずしも、むずかしいことではないのですけれど、ただ、これを再現するって、つまり親鸞が考えたとおりに再現するってことは、たいへんむずかしいんです。
それを再現することができたら、あらゆる親鸞の研究家とか、浄土教の学者とか、そういう研究者とか、あるいは信仰者っていうものの最後の願いでありましょうけれど、それがなかなかそれぞれにむずかしくて、むしろいま申し上げました、ぼくは口で説明的にっていいますか、解説的に申し上げましたけれど、解説的にじゃなくて、そういう心の状態っていうのが、ひとりでに、自分で、できちゃっているっていう、そういう人の方がきっと、親鸞の思想っていうのは掴みやすいんだっていうふうに思います。
 ですから、そういう人の方が掴みやすいので、ぼくらみたいなのはどっか知識から入っていって、こうしようって思って、知識から入ってこういうふうにしてって、非常によくきざんでいって、そして微妙にきざんでいって、最後の米粒よりも、もっと細かくきざんでいって、それでこうだっていうふうに言えたらなって思って、そういう方向からいこうとしてやるわけですけれども、なかなか米粒までいけるかどうかはわかりませんけれど、豆腐ぐらいの大きさならいけるかもしれないけど、なかなか米粒、そのつぎ砂粒まで、ちゃんと砕いて、もどすことが、ちょっとできないんです。なかなか、むずかしいんです。
 そういうつかまえ方をしなくて、違うところからすーっと、そういう心の状態で、念仏の一遍もしようかっていうふうに、気持ちに、もしなれたら、その時の方が、よくつかんでるってことになるかもしれません、ないのかもしれません。ただ、ぼくらは末世の信仰の打目がない人間ですから、なかなかそういう心の状態から、そこへ到達して、親鸞の思想の核心に到達することができないわけです。
ですから、知識からいこういこうっていうふうに、知識からいって、どんどんそれを砕いていったら、最後に砂粒ぐらいのところまでは砕けるんじゃないかみたいなふうに考えるわけですけれど、なかなかそれがいけないってことで、どうしても最後のところがうまくかえっても、なんか少しずつ違う、違うなぁ、おもしろくないなぁっていう、言いながら、われわれはおもしろくないなぁって、おもしろくないこと言ってるなぁっていうことの感じがどうしてもつきまとうわけです。

12 なぜ、第十八願を信じられるのか

 しかし、親鸞が晩年に弟子に語って、その弟子の聞き書きした〈自然法爾〉っていう、『自然法爾章』っていう文章は、短い文章なんですけれど、親鸞の思想的な到達点といわれる文章があるわけですけれど。
いま言いましたように、浄土の宿主の方からくる光明の光っていうようなもの、そういうものと、それからこれを信じて、そして一遍でも、自分でなんらはかることなしに、一遍でも念仏を称えるって状態に、ひとりでになっていった、そういう状態に人々がなった時に、その両方の光といいましょうか、志といいましょうか、それがうまくいき会って、そして、いき会った時には、かならず浄土へいけるんだっていう、そのいき会ったときの、自然っていいますか、自然な状態っていうようなものを親鸞は〈自然法爾〉っていうふうに言っているわけです。その状態を〈自然法爾〉っていうふうに言っているわけです。
ですから、親鸞の第十八願に対する理解の仕方っていうものは、いわば〈自然法爾〉の状態に人間がなれたら、かならずそれが十八願に、十八願の中身に、ちゃんとぶつかっているんだっていうのが、十八願に対する親鸞の考え方であります。
また、少しだけずらして、同じことを説明してみますと、そもそも人々が、人間が、ふつうの人が、十八願を信じて、念仏のひとつも一生のうちに称えようっていうふうに、どうして、人間がそういうふうになれるのかってことになるわけです。そこがまた、親鸞の微妙なとこなわけです。どうして、それじゃなれるんだろうかって、こういうふうになるわけです。
これは、ぼくらみたいなものにいくら、おまえなれって言ったって、ぼくはなれないですから、なれませんって、はじめから、あきらめをつけるわけですけれど、しかし、誰もがなれないかっていうと、そうではなくて、どうしたらなれるのか、なぜ十八願を信じて、一生のうちに念仏のひとつでも称えようっていうふうに、どうしてなれるのかっていうふうなことに対する親鸞の回答、答えは、ただひとつなわけなんです。
それは、なれる人はなれんだって言ってるわけです。なれる人っていうのは、その時に、その人は意識してないけども、それはちゃんと、なれる人はちゃんとその時に、弥陀の、つまり、浄土の宿主の本願の光明っていうようなものに、ちゃんとぶつかってるんだって言ってるんですよ。ぶつかってるから、この人は、こういう信ずる気になれるんだっていうふうに言ってるんですよ。
だから、なれる人はその時に、それはぶつかっているからなれるんだと、ぶつかってねぇ人はなれないと、こう言ってるわけです。つまり、ぶつかってない人はなれないだろうって言ってるわけです。そうすると、なにがこの言い方はおかしいかっていうと、それは、にわとりが先か、たまごが先かって言ってるのと同じじゃないかと、まず信ずるって心がこっち側にあるから、本願の力っていうものが目の前に、切実に迫ってくるっていうのが、一般の考え方だってことになるわけです。
一般には、こっちの方で多少でも信じてみようかなって気持ちになるから、むこうから、浄土の宿主の光明が、むこうからやってくるんだと、あるいは、本願の十八願の力が、むこうからやってくるんだと、こういうふうに考えるのが、ごく一般の物事についての考え方の基本になるわけですけれど、親鸞は微妙にそうでないという言い方をしています。
微妙にそうじゃないと、なれる人はなれるんだろうと、なれない人はなれないだろうと、しかし、なれる人はどうしてなれるのか、それは、なれる人はちゃんとその時にもう、ちゃんと包まれているんだよっていう、ちゃんと浄土の宿主の光明力が、その人のところにさしてきているんだよって言ってるんです。さしてきてるんだよ、それだけれど、その人は、それを知らないんだと、しかし、なれる人は、なれる状態になっている人はさしてきているんだと、こう言っているわけです。

13 〈自然法爾〉のむずかしさ

 ここのところの考え方が、親鸞が〈自然法爾〉って考え方、つまり、親鸞の思想の最後の到達点のいちばんむずかしいとこです。いちばんむずかしいとこであるし、いちばん説明しにくいところです。説明でもっていくならば、かならず、そういうふうにならないんです。こっちに信ずる気持ちがあるから、はじめて十八願っていうのは、その人にとって非常に身近な問題になるんだよと、なるんだよっていうのが、知識の方からいう説明の仕方になります。
これは、みなさんが自分の心の動かし方っていうのを、物事にぶつかった時の心の動かし方っていうのを、かえりみてもらえば、非常によくわかるはずです。かならず、自分がそのことに関心をもったから、そのことが非常に切実に自分にみえてくるとかってことになるわけです。
ところが、親鸞の言い方はそうではありません。そういう、自分がそのことに関心をもったっていう心の状態に、なぜ、なるかっていうと、それは、むこうから光がさして、さしてきたから、そういう気持ちになったんだよって言い方をしています。
ここのところが、うまく、ここのところの問題が、うまく、理屈の問題じゃなくて、心の経験の問題として、これが理解することが、みなさんができるならば、ほかのことは別として、親鸞の考え方のいちばん中心のところを理解することができたってことを意味していると思います。
ぼくらがやろうとすると、かならず説明になります。説明になりますと、嘘だってことになっちゃうんです。つまり、そんなはずはねぇって、人間の方が、こちらの方が、ある事柄に対して、こちらの方が切実な関心を抱いたって時に、はじめて、そのことが切実になる。
たとえば、人間、たとえば男女のことなら、男女のことでいえば、人間っていうのは、ぼくならぼくっていうのは、どんな女の人を見ても、みんなほれちゃうわけでもなんでもないんです。それから、ほれちゃう人だって、寸前まではほれてなかったとか、そういうことはあるんだけど、なんかしらないけど、こっちがなんらかのきっかけで関心をもったから、これは美人だとか美人じゃないとか、いいとか、悪いとかっていうふうになるっていうのが、ごく一般のあり方のようにみえますし、また、それが一般の知識からすると、人間の心の説明の仕方であると思います。
ところが、親鸞の説明の仕方はそうではありません。たとえば、ある女の子を好きになったっていうことのなかに、まずはじめに、その人に関心をもちはじめたっていう場合ということがこっちになければ、好きになるもへちまもないじゃないかってことになるわけです。なるわけはないじゃないかってなるわけですけれど、親鸞の言い方は、そうじゃありません。その人に、あるいは、そのことに関心をもった時には、すでにその時にむこうの方から、いまの信仰の問題では、浄土の宿主の方からの光明がなかにちゃんと入ってるんだよ、入ってるからそうなったんだよって言い方をしています。
つまり、これが信仰であって、これは理屈であって、信仰と理屈っていうのは違うんだってことの問題であるのかもしれません。しかし、ぼくの考え方からいいますと、親鸞という人は、生きてる時には、そういうことをおくびにも出さなかった人なんですけども、自分が大学者であり、それから、浄土教の世界的な集大成者であるってこと、それで、そういう著書を自分は書いているってことを、おくびにも出さなかった、生きてるとき出さなかった人ですけども。親鸞という人は、あくまでも、そういう学者、研究者とか、あるいは、理屈を述べる人としても、たいへんな人です。当時の世界的な規模の思想家です。『教行信証』っていうのは、それだけのことをしているわけです。書いておいているわけですけれども、そんなことは、おくびにも出していないです。
だから、そういう言い方を少しもしていないんですけど、自分もそういう考え方をとってないんですけども、しかし、微細に理屈っていうことから、あくまでも、その問題に、どこまでも近づけるんだっていう道のつけ方っていうのを、親鸞自身がしているわけです。
だから、逆にいいますと、それがぼくらみたいな者にとっては、ひとつの誘惑であって、これは理屈っていいましょうか、そこの方からいって、親鸞の最後に到達した点にいけるに違いないって考えて、何度も何度もそれを試みるわけですけれども、すぐそばまでいってるつもりになって、つもりなんだけど、どうしてもおもしろくないんですよ。つまり、いくら言ってもおもしろくないんです。しゃべりながら、おもしろくなくてしょうがないっていうんです。俺はあほらしいこと言ってるみたいな感じがしてしょうがない。あほらしい説明をしているみたいな気がしてしょうがないんです。こんなあほらしいことなんで俺が説明せにゃならんのだとか、そういう感じにいつでも襲われるんです。
そのことは何かっていうと、換言すれば、言い換えれば、こちらの至らなさってだけのことで、どうってことないよって言われれば、それまでの問題なんですけれど、親鸞っていう人は決して、知識ってことは問題にしなかった人ですけども、知識の人でないわけではないんです。知識と人として、とにかく世界的な思想家であるわけなんです。
だから、筋道はちゃんとついてるんです、つけてあるんですよ。どっちからどっちにいくか、ちゃんと筋道はつけてあるとしても、なかなかそこをたどれないっていうのが、いずれも、知識の方からでの不満なわけです。
ですから、今度は逆に最後のところになってくると、親鸞の言い方はどうしても、そこを知識として言うことができないんです。説明することはできます。いまぼく、説明としては、かなりないい説明の仕方をしたつもりになってるわけです。つまり、ある事柄に対して、人間だろうと、浄土の宿主であろうと、それから、物事であろうと、そのことに対して、人間が関心をもち始めたっていう時には、すでにむこうからの何かが、ちゃんとこちらを包み込んでんだっていうことだと思います。やさしく一般的に直して言ってしまえば、今風に直してしまえば、そういうことを言ってると思います。それが、親鸞の最後の十八願がなぜ信じられるか、どうしたら信じられるのか、どうしたらこういう信仰をもてるのかっていうことに対する親鸞の回答だと思います。
で、親鸞は回答しているようだけど、本当は何も回答していないとおんなじじゃない、おんなじだとも言えるのです。つまり、信じられる人には信じられるってんだよってだけのことであって、信じられない人のところには、光明がさしていないってだけのことだ。こういうふうに言ってるだけで、なら、なにをどう、こんなものは信じられるのかって、いまどきこんなことがどうして信じられるのかっていうことに対する回答っていうのは、してないとおんなじことです。
しかし、してないとおんなじことと、してるとおんなじことだってことが、親鸞のなかではおんなじになっています。つまり、それで説明になってるんだよ、それで答えになってるんだよっていうことだと思います。
どうしてこれが答えになってるのかってことを、また、理屈で振り分けようとすると、また新たに、親鸞について語るとか、親鸞を論ずるとかってことが、はじまるわけなんです。そこで、何度も何度もはじまるわけです。それが、ぼくらみたいな信仰のない人間の一種の宿命のようなものであって、そこで跳ね返されては、同じようにそこをまたやってみる、で、また跳ね返されて、その都度、少しずつぐらいは間近まで接近しているような気がしているのですけれど、しかし、どうしても、おもしろくないっていう、だから、みなさん、とくにお年寄りの方はきっと、そんなところからいったらだめだと思うかもしれないし、また、全然そういうところからいかない方がいいのかもしれないのです。いかない方が親鸞っていうのはわかりやすい、つかみやすいかもしれません。だから、それは知識があるとか、ないとかってことには関わりのないことで、そんなことに関わらないで、よりよくつかめたことが、よりよく親鸞をつかめたことであって、それはいってみれば、どんな学問とか、理屈をどんなに学んでもそれは、だめなものはだめだってだけのことですから、それだけのことで、だから、つかむ方法はさまざまでありうるわけだと思います。
しかし、ぼくがそれしかできないのだから、何遍も理屈の方から近づいていくと、だいたい、なぜ十八願を信ずるのか、あるいは、なぜ十八願はいいのかってことに対する説明になっているようでなっていないようで、理屈を言ってるようで言ってないので、理屈になってるようでなってないので、非常に微妙なところになっていきます。しかし、最後の微妙なところになったところが、たぶん、親鸞の最後に到達した地点であり、また、最後にそこが親鸞の思想のいちばん中心に、核心にあるところが、そこのところにだいたい、帰着するんじゃないかっていうふうに思われます。

14 親鸞は、ふつうの人のように生涯を送った

 先ほど、ちょっと言いましたように、親鸞っていう人は、生きてるときには、いってみれば、法然の弟子のなかでも4番目とか、5番目とかに位するような人だったと思います。
そして、越後に流されてから、関東の方に来てしまって、関東の方で布教していたから、当時でいえば、一地方的なところで、布教をしたり、人を教えたり、教えたかどうかわかりませんけれど、たぶん、こんなふうなところに少し、村のうちのどっか広いところがあると、そこにいて、はじめのうちはどっかのお寺に居候してたのか、だれか名主のうちに居候してたか、そういうところにいたんでしょうけれど、いて、なにもしなかったんでしょうけれども、そのうち、近所の人で、なんか、あそこのうちのはなれに、都から偉い坊さんがいるらしいよみたいなことを聞きつけてきて、みんながなんとなく集まってきて、親鸞がなんとなくおしゃべりするっていうようなことに終始しただろうと、ぼくは思います。
 そういうことをやってて、そのうちにお弟子さんも何十人か関東にできたわけですけれど、その程度のことをしてたわけで、親鸞が、そういうところで、そういうふうにおしゃべりしながら、そういう存在でありながら、親鸞自身が、当時の浄土教の思想でいえば、世界的な『教行信証』っていう著書を書いて、自分は書いて、持ち出さないわけ、持ってるだけですけれど、そういうふうにしてたことは誰も知らない。
村の人は誰も知らないで、偉い坊さんだ、偉い坊さんだって言うけど、その偉いという意味合いを、叡山の僧正だとか、僧侶だとか、大寺院のお寺の弟子だとか、そういう意味合いでなくて、いわば、ちっとも偉くない、ごく当たり前で、坊さんだか、坊さんでないのだか、奥さんもいるし、子どももいるし、肉も食うし、魚も食うし、どうってことない人が、そこらへんでしゃべってるっていう、それだけのことでありますから、たぶん、強烈な、あれだけの思想家ですから、そんなふうに言ってたって、強烈な感化力はもってたでしょうけれど、決してそんなごくふつうの人のようにしてた、地方的な存在だったと思いますけれど。
しかし、そのなかで、非常に大きな思想っていうようなものが宿って、それが日本に住んで、だれも盗んだりっていうようなもの、全体をだれも捉えることができない。とくに、知識からは、なかなか捉えられない。つまり、死んでからはじめて捉えられるみたいな、そういうあれで、なかなか捉えられない。そういう存在だったと思います。
 しかし、親鸞っていう人の本格的な偉さっていうことは、そういうふうにでも、ぼくらは、まねすることができないのですけれども。そういうふうな存在でありながら、しかし、本当の意味合いでまた、道理を突き詰め、それから、浄土教の思想を突き詰めっていうようなことの、一方では、やっている。徹底的にやっているわけです。
 それで、しかもそのことは、知識に類すること、あるいは、理屈に類することっていうのは、おくびにも出さないっていうようなやり方をしながら、生涯を送った。いわば、地方的な存在として送った、ごくふつうの人みたいなふうにしまして、送ったふうな人だって思います。

15 逆説的な言い方でしか伝えられないことが
   込められた『歎異抄』

 この人がふだん、こういうところでしゃべっていた時に、どういうしゃべり方をしてたのかなっていうことを伝える、そのとおりじゃないんですけれど、片りんを伝えるものは、唯円が書いたっていいますか、聞き書きとして書いたり、自分の意見もありますけど、書いた『歎異抄』ってものが、それを読みますと、親鸞がだいたいこういうところで、どんな話し方をしてるのかなっていうようなことが、わからせ方っていうのか、わかり方っていうのか、してるのかなっていうのの、片りんをつかむことができます。
 それは、いままでのあれでいってみれば、親鸞の中心的な十八願に対する〈自然法爾〉っていう考え方が中心なわけですけれど、その考え方が、ごくふつうの、こういう実際の場面で、ごくふつうの人と接触する、接触のなかから出てきた事柄の片りんっていうのをうかがうには、それはいちばんいいわけです。それは、いまでいえば、たやすくだれでも言うことができますし、また、いまの言葉に訳したそういうものを見ることができます。
 だれでも見ることができるんですけど、そうすると、どういうしゃべり方をしていたかなって、しゃべり方を見てみますと、そこのところでやっぱり、たいへん見事なんだなっていうふうに思います。
 たとえば、そういうところで、いまの〈自然法爾〉の説明に対して、さまざまな説明の仕方をするわけですけれど、説明の仕方のなかで、念仏っていうものを信じられるのも、信じられないのも、それは、みなさんのおはからいであって、べつにどうってことはないんだっていうようなことを言っていて、自分は弟子っていうようなものは、ひとりももっていないんだ。
どうしてかっていうと、自分が自力でつとめて、いいことして、修行して、そして、こういう信仰に達したならば、弟子っていうのもうまれるだろうけども、自分は、そうじゃなくて、ただ、むこうからさしてくる光にはからわれて、それを信じてるに過ぎないのだから、弟子なんてのはもちようがないんだ。自分は弟子をひとりももっていないんだって、そういうふうな言い方をしてみたり、世の中の人たちは一般的に、悪人でさえ往生すると、いわんや善人はなおさら往生するんだ、往生できるんだっていうふうに言うけれど、自分はそうじゃない。
自分はそうじゃないと思うと、自分は、善人さえ往生できるんだと、だから悪人はなおさら往生できるんだっていうふうに、自分はそう思ってるっていうふうな言い方をしてみたり、自分は、父親とか、母親とか、そういう人たちの効用のためっていいましょうか、孝行のために念仏なんか称えたことは一度もないですっていうふうに、一度もないんだ、ただ自分はそうじゃないんだと、つまり、世々代々、念仏のしんに入った人は世々代々みんな父母兄弟なんだ、自分はだと思ってるんだと、だから、世々兄弟、念仏を語り継いで称えていく、それは、父であり、母であり、それで子どもでありっていうような、それはそうなんだ。だから、自分の父とか、母とかのために、自分が念仏したなんてことは、自分はないですよって言い方をしたり、地獄へいくか、極楽へいくか、そんなことはわからないんだっていう、もっとそれは、突き詰めていってしまえば、地獄みたいなのは、自分の住処なんだ、あるいは、人間の住処なんだっていうふうに決まってることがあるんですっていうふうな言い方をしたりします。
つまり、そういう言い方で出てくる、出てき方、しゃべり方っていうのは、逆といいましょうか、反語といいましょうか、反対のことを言っているように、聞く人には聞こえるわけなんですけれど、その反対のことを言っているように聞こえる言い方でしか言えないことがあって、そのところにきっと、さきほどの十八願の中心ってものがあるんだと思います。
つまり、これをまともに言おうとすると、どうしても解説になってしまうというか、説明になってしまうって、あるいは、知識になってしまう、だから、どうしても逆さまのことを言ってるようにしか、それを言うことができない。それを逆さまのことを言うようにしか言うことができないことで、相手に伝わっていくことっていいましょうか、伝わっていくことが、そこに中心があるみたいな、そのことを中心になるって言うためには、どうしても、そうするほかなかったみたいなことが、たとえばそれは、親鸞自身にも、そういうことがあったのかもしれないっていうふうに思われます。 

16 浄土へゆくことが、どうして切実だったのか

 こういうお話していると、ものすごく現実離れしてしまうわけです。だいたい、浄土っていうのはあるかどうかとか、浄土へいくっていうのは、どういうこったいったいって、そういう、現代では、そういう意味合いでは、信仰が薄れた時代ですから、そういう疑問っていうのは、さしあたって、そんな疑問はないとして、お話してきているわけですけども、そんなことは、まったく信じられないことであって、死んだら浄土へいくなんて、そんなことはだいたい、ほんとに信じられるかっていうような、そういうことの方が、はるかに現代は切実なのかもしれません。そのことに対して、答えられなければならないような気がします。
 しかし、そのことに対して、ぼくが答えることもいいんですけれど、そうじゃなくて、どうして、当時において浄土へいくってことが、どうしてそんなに、死んだあと浄土へいくとか、生きてるうちに浄土に信仰をもつとか、あるいは、親鸞の教義からいえば、念仏のしんに、十八願のしんに入った時に、その人間はすでに正定聚の位に達してるので、正定聚の位に達してるってことは、浄土に即座にいける位なんだっていうふうに言っています。
 ところが、浄土へいくっていうことは、どうしてそんなに、どうして切実だったんだろうかってことがあるわけです。それは、さきほどいいましたように、たぶん生きていくことが、ふつうの人にとって苦であったんだろうって思われます。今でも、生きていることは、苦でありますけれど、しかし、今よりももっと苦であったと思います。
 つまり、疫病が流行れば、すぐにバタバタバタバタ死んでしまうし、薬なんかだれも飲めないわけだし、死んでしまうわけですし、飢餓があれば、ちょっと飢饉があれば、どんどんどんどん死んで、ふつうの人は死んでいってしまうっていうようなふうになっているわけですし、また、侍たちが国内で、盛んに戦争をしているわけでして、とばっちりを受ければ、だれでもみんな、踏み荒らされたり、殺されたりしちゃうわけだし、そんなことが日常茶飯事のようにあれば、都に近ければ近いほどあれば、ほんとに生きてることは苦だよってふうにあったってことが、ひとつ確実にあったと思います。
それじゃ、生きていることは苦だと、死んだあともまだ苦なのかと、こうなった場合に、死んだあとは、せめて苦じゃないところにいけないんだろうかっていう考え方が、そういう意味合いから、当時の人たちに、盛んにうまれてきたってことも確かだと思います。
そのことは、先ほど申し上げましたとおり、それも確かだと思います。しかし、もうひとつあります。つまり、仏教っていうものの起源っていいますか、起こりの問題になってきますけども、仏教の起こりは、東洋における、インドでいいんですけど、インドにおける、東洋における古代の、あるいはもっと以前でいえば原始的な、原始的な次にいえばアジア的なっていう、そういう時代にうまれた一種の宗教的な考え方です。
これは、東洋、インドとか、中国とか、東南アジアとか、日本とか、それからニューギニアとか、フィリピンとか、ジャワとか、そういう多様にずっと流れている原始時代からの信仰っていうのがあります。信仰としては、共通なものがあります。
共通なものはなにかっていいますと、人間っていうのは死んでしまいますと、それは、地域によって少し違いますけども、たとえば、ニューギニアの方でいいますと、死んでしまった人の霊魂はどこにいくかっていったらば、それはだいたい、ニューギニアみたいなところは島ですから、そうすると、すぐ向かい側の島のところに、死んだら、人間の霊魂っていうのはみんな集まってくるんだと、村の人が死ぬとみんなそこに集まってくるんだ。
そうすると、集まって、そこが、村の人たちが、霊が集まるところなんだ。それで、今度はだれか、村の人でだれか新しい赤ん坊が生まれたと、赤ん坊が生まれたってことはどういうことなんだと、それは、そこの島に集まっている霊魂のだれかの霊魂が、つまり、その人の家の祖先、おじいさんとか、おばあさんとか、あるいはそれ以上で、そこの島にいるおじいさんとか、おばあさんの霊魂が波の上にのって、海岸に流れ着いて、それで、それを、たとえば、赤ん坊を生んだ村のおかみさんか、なんていいますか、海岸で水浴びしたり、魚を取ったり、洗濯したりしているうちに、その霊魂が、そのおかみさんのお腹のなかに入ったんだと、だから、それの生まれ変わりが、生まれた赤ん坊なんだっていう、たとえば、そういう人間の霊っていうのは、死んだらどっかに集まっていて、それがまた、だれかまた、村のだれかのところに入り込んで帰ってくるっていう、そういう信仰っていうのは、オセアニアとか、アジアとか、オリエントとか、そういうところに、わりあいに海岸っぺりにあれして、わりあいに共通にあった信仰なわけです。
 そうすると、その信仰を原始時代、またアジア時代に、そういう信仰を突き詰めていきますと、そうすると、もしたとえば、現世において、非常に生きていることは苦でしょうがないっていう、苦痛でしょうがないと、いいことなんかちっともないと、あんまりないと、生きてくことはただ苦であるに過ぎないっていうような、生涯を送っている人が、ごく普通の人たちがいたとします。
そうすると、そういう人たちにとって、この苦である生涯を、また今度は霊魂としてどっか集まって、また、だれかのところへ生まれ変わってきて、また繰り返すのかっていう、うんざりだっていうなふうになった時に、仏教っていうようなものは生まれたわけです。
インドで生まれたわけです。つまり、インドの一般大衆は、原始時代からの信仰によれば、何回だって人間は生まれ変わって、死ぬことは絶えることはないのですよ、何回だって生まれ変わってるんです。人間にも生まれ変わってくるけど、人間以外にも生まれ変わってくる。とてつもないものに生まれ変わってくる。
いずれにしても、何に生まれ変わったって、人間に生まれ変わったって、いいことなんか、貧しいだけで、いいことなんか何にもない、何もないんだ。現世は苦であるに過ぎないと、それでまた、永久にっていいますか、永遠無劫にわたって、生き返り死に変わり、苦を繰り返さなきゃならないのかっていうふうに、人々がだいたい、そういうふうに思いだした時に、仏教ってなのが生まれたわけなんです。

17 どうしたら苦を断ち切れるのか-仏教の成立

 仏教っていうのは、大丈夫だと、あるやり方をすれば、いっきょに浄土に生まれ、そこで次に生まれ変わらなくてもいいんだ。そこが史上最高のところで、そこでストップすることができるんだっていう信仰から、そういう考え方から、原始的な仏教ってなのは始まってるわけです。
 だから、仏教自体の考え方に生まれている、前世にいるってことは苦であって、この苦を何度も永劫にわたって繰り返すっていう、この苦痛をどっかで断ち切る方法はないのかっていうことは、仏教にとっては根本的な考え方であったわけで、だから、そこからもともと仏教っていうのは生まれていますから、とくに浄土教っていうようなものは、浄土っていうことを、浄土っていうのはどういうものなんだ、どういうあり方で、どうやったらそこに到達できるのかってことが、仏教のうちの、つまり浄土教の非常におおきな眼目でしたから、だから、あらゆる偉い坊さんたちは、こうやれば、浄土に生まれることができる、あるいは、こういう理屈になるんだってことを言ってるわけです。
だから、もともと苦である現世の生涯を来世も繰り返す、また繰り返すのはかなわないっていう、そういう民衆の要望に応えて、原始時代の末期に、仏教っていうのはインドで生まれているわけです。だからもともと、現世の苦をどうやったら断ち切ることができるかってことが、眼目であったわけです。
だから、それの信仰が中世の日本で、一般の人たちにも、非常におおきくそれが入ってきたってことは、日本の中世、鎌倉時代のはじめですけれども、鎌倉時代のはじめに、はじめてごく一般の人たちが、生きることっていうのは何なのか、生きることはどうしてこんな苦痛なのか、もっと楽しいことはないのかとか、もっと金を、富んで、だれもが富んで、そしていいものが食べられて、病気になったらお医者にかかれて、疫病になったらそれを治すことができてってことはできないのだろうか、そういうふうになるためには、どうしたらいいんだろうかと、それが、もしできないならば、死んだ後の世界ぐらいは、いいところに、楽しいところにいくことはできないのかっていう、そういう考え方は、ごく一般の人たちのなかに起こってきて、そこに仏教が、根本的な考え方が、原始時代からもってる考え方が、そこに合わさって、そして鎌倉時代に信仰はできたと思います。
それを、法然とか、親鸞とかって人は、そのことを非常によく考えて、考え抜いたと思います。もともとは、仏教は、それは、瞑想を続け、そして、修行を積んで、戒律を守り、女犯を避け、そして、肉とか魚とか、殺生を避け、それで修練を重ねると、そうすると、その果てにちゃんと浄土の姿っていうのを眼前に、出現させることができるし、仏さまの姿を出現させることができるって、そういう修練の仕方、修行の仕方っていうのが、親鸞とか、法然とか、日蓮とかが生まれる以前までの、日本の仏教の主流を占めていたわけです。
で、そんなの嘘だよ、そんなの虚妄だよ、修練っていうことは、たしかにいいこともあるんで、修練っていうことはたいへんなことだっていうのはあるけど、そんなことでやって、そういうふうに浄土の姿が思い浮かんだって、そんなのは虚妄にすぎない、嘘にすぎないよって、そんなことで、人間は救われるわけじゃないよってところで、法然や親鸞がものすごくよく考えて、それで名号ってことを、非常におおきな眼目だ、それが非常におおきな眼目で、おおきな意味があるんだっていうところに、最後に到達したと思います。
ですから、これは外観上からみますと、知識を捨てたことであるし、戒律も捨てたと、修行も捨てたと、いいことをやろうと、善行をすすめることも捨てたと、それから、坊さんってことのもってたさまざまな位、身分ってなものも捨てたと、それで、全部を捨てて、捨ててしまった、そういうふうにして到達したところはですね、外から見たら、ほんとに堕落した坊さんって以外になんでもないってふうにしか見えないって、しかし、内側から見れば、インドから始まった仏教の思想をもち、浄土部門の思想は、少なくとも、法然、親鸞のところまできて、ほとんど行き詰まりってところまで突き詰められて、行き詰まるところまで、たいへん高度なものに移り変わることができているってところまでしてしまったってことなんです。
ですから、これは内側から、信ずる信じないかは、信じないところからそこに近づこうとしても、それから、知識から近づこうとしても、どちらから近づこうとしても、これは、今でも、現在でも、依然として突き詰めていくに値するっていいますか、突き詰めるだけの、おおきな存在をもった考えだってことをいうことができると思います。
ぼくはそれほど考えて、何度も何度も親鸞について書いたり、語ったりしてきて、いつでも不満が残る。やっぱり、不満はどうしても残るってことを繰り返し繰り返しやってきたわけです。今日もそうなんで、おもしろくないなぁって気がしてしょうがないんですけれども、ただ、これは自分の至らなさって考えれば、これはもう致し方ないので、また、何度も何回も挑戦しては、考えては、またあれしてっていうふうにやるより仕方がないんで、またいつか、そういう時があったら、もっと今日より、うまくといいましょうか、よくお話することができると思いますけれど、今日せいぜいぼくがやれること、親鸞について語れることっていうのは、このくらいのものなんで、これでひとまず終わらせていただきます。(拍手)

 

 

 

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