1 司会・挨拶(太田修)

2 良寛をとらえる枠組み

……前に良寛詩の思想、僧としての良寛ということで、良寛の思想性ということと隠遁した僧侶としての生き方について、良寛の作品を介しながらお話ししてきたわけです。
 今日は隠遁者としての良寛ということで、けっきょく前二回で自分にとって通りやすいところを通ってしまって、どういうふうに理解したらいいのかいちばんわかりにくい良寛の作品、作品を介しての内面性の構造ということが、最後に残ってしまったということなんです。
 ふつう、良寛ということで考えられているのは逆であって、ぼくなんかがいちばん難しいと思って残してきたことが良寛という名前に最初につきまとうイメージだと思うんだけれども、ぼくにとっては逆なんです。隠遁者としての良寛といいましょうか、詩で言いますと山川草木、花鳥風月に託して自分の内面性を述べたという詩、そういう詩に託された良寛というのがいちばん最後に残ってしまいました。そこのところを、内面性のなかに入り込む糸口をつけてみたいということが、前二回終わってから二年半、頭のなかで理解の手がかりをどこにもっていったらいいのかということを考えてはやめ考えてはやめしてきました。今日、なんとかひとつのとっかかりをつけて、ぼく自身にとってもそう簡単に終われる人ではないですから、自分なりに良寛についてまたこれから考え方を深められたらと思っています。
 最後のいちばんむずかしい良寛をどういうところでつかまえたらいいのかということを、まず枠組みみたいなものとして考えてみました。すると隠遁者、隠遁詩としての良寛の詩というものをどこでつかまえたらいいのかと言いますと、やはりどうしてもヘーゲルの言い方で言えば、アジアの原理は自然なんだという言い方で言うのと同じように、自然性あるいは自然というのが、隠遁者としての良寛というのが大きな枠組みを決めていると考えればいちばんいいのではないかと考えました。そして良寛の隠遁詩、自然詩というものをよく読み込んでいきますと、いくつかの主題の違い方にわけることができると思います。
 全体の枠組みを自然性ととりますと、その枠組みのなかでそこに図式的にしますと、全体の枠組みとしての自然のなかで、自然のなかの自然、あるいは自然に対する自然性と言いましょうか、そういう表現が良寛の詩のなかにあります。自然という原理のなかの自然性というものが根柢的なところにあって、その比喩で言えばその少しうえのところに自然性のなかの生活というものがそのうえに想定されます。
 自然性のなかの自然というものと自然性のなかの生活というのとはくっきりと境界がついているわけでもつけられるわけでもありませんから、それは重なりあうわけです。そしてまたそのうえ、抽象性の少し高いところで、あるいは観念性の高いところで、自然性のなかの倫理という枠組みを考えることができると思います。またそれも決して生活性と倫理性とは境界があってきっぱりと分けられるということではないのですけれども、やはり生活性より抽象的なところで自然性のなかの倫理性というものを想定することができると思います。そのうえにもう少し抽象性、精神性の高いところで、自然という原理のなかの宗教性というものを最後に考えることができると思います。宗教性と倫理性は良寛のなかでわけることができるものではなく重なりますけれども、もう少し観念性の高いところで宗教性というのを考えることができると思います。
 いま言いました自然のなかの自然性、自然のなかの生活性、自然のなかの倫理性、自然のなかの宗教性という、いくつかの区分というものを考えにいれますと、良寛の隠遁性の思想の構造に分け入っていく手がかりがえられるんじゃないかと考えました。
 それで、いちおうそういうふうに全体としての自然という原理のなかでの四つの区分けを考えて、そこで良寛の隠遁性の構造がなっているか、それが詩の表現のなかでどういうふうにあらわれているのかということをひとつひとつ考えていったら考えやすいんじゃないかと思ってそういう分け方をしてみました。
 で、こういう分け方が正統であるかどうかは問題ではなく、どういうとっかかりを持てば良寛の隠遁性の構造、良寛に置ける自然という原理に入っていけるかということが重要です。とっかかりを介して良寛んお曰く言い難い心境、境地に、言葉で理解しながら入っていければいちばんよろしいわけです。そういう分け方をして入っていってみます。

3 自然のなかの自然

 まずはじめに、良寛の生き方、詩の表現、思想性というものぜんぶをひっくるめた大きな枠組みとして良寛を規定しているのは自然という原理、思想です。その思想のなかでの自然というものがどういうふうにあらわれているかということをまず考えてみたいと思います。
 自然性のなかで自然というものがどういう意味を持つかというと、自然が自分で自分を区別するというところで、良寛の自然性のなかの自然、あるいは自然のなかの自然性というものが出てきていると考えればよろしいと思います。つまり良寛のなかで、自分の生き様とか境地、そういう全体を規定している自然というなかで良寛がことさら自分でそれを自然として区分けしよう、差異をつけようというふうに内面で考えたところで、自然のなかの自然というものが、良寛のなかで表現となって出てきていると考えます。
 たとえば、詩にひとつの作品をあげています。良寛の自然という生き様の原理のなかで、自分が自然というものをどういうふうに区分けしているか。あるいは自分がどういうふうに自然に対して自然という差をつけているかということの第一の要件というのは、ここには〈行動する自然〉というふうに言っておきました。それは、日常の生活をしながら遭遇している自然だと考えてみればいちばんわかりやすいと思います。
 
  秋夜偶作■■■■……

すると、ここでは自然そのものが歌われているわけですけれども、それはどういうことを意味するのでしょうか。良寛の全体の雰囲気、生き方のぜんぶの枠、世界すべてを規定している自然というなかで、自分が選んだ自然、なぜ選ばれるかと言いますとそのことが自分に引っかかってくる、あるいは矛盾をきたすからそういう自然を選んで表現するわけです。だからここで表現されたものは、自分のなかで自然という生き様が自分にもたらした一種の違和感、心に引っかかって、触ってくるもの、それがこういう作品のなかにあらわれてくると理解したいと思います。
 そうすると、ここで良寛が、夜中に眼が覚めて杖をついて庵の外へ出て行った。そうしたら秋の虫が鳴いているし、落ち葉が木の枝から落ちてくる音が聞こえる。また、谷が遠く深く、水の声がする。自分は夜中に外へ出て何か口ずさんでいて、時久しく経つと、露が自分の衣を濡らしている。そういう、良寛が現にどういうありさまで自然というものに相対しているかが彷彿とするわけです。
 それはなぜそういうふうになるかと言うと、良寛が自然が好きだから自然の詩をつくったんだと理解したり、良寛が花鳥風月に対して自分の心境をあらわそうとしたからこういう詩が出来たという理解の仕方をとらないで、良寛を全体の雰囲気として生き様から気分、詩の表現、すべてをつつんでいる自然性のなかから、自分が自然として自分に触ってきたもの、違和感をもたらしたもの、あるいは自分に差異をつける自然として自分のなかに浮かびあがってきたもの、それを表現したものが、いま言いました詩だと理解するのがいいのではないかと思います。
 そうしますとここで、この詩をよく読みますと、良寛が夜中に杖をついて暗い外へ出て、虫の声や落ち葉の音とか、谷の水音とかそういうものに耳を傾けながら何か口ずさんでじっとしている。そして衣が露に濡れてしまうという光景が彷彿とするわけですけれども、それはべつに境地だとか心境だとか、そういうふうに自然を愛しているからそうしているというよりも、何か自分のなかに触ってくる、違和感をもたらしてくる自然というものを、自分が詩の表現としてとりだしているというふうに理解されると、良寛が夜中に起き出して外へ出てという行為をするなかで自然に対面している対面の仕方、自然と矛盾している、あるいは自然と自分との差異、対立というものに身を置いている良寛というものが、浮かんでくるんじゃないかと思います。こういう理解の仕方をしたほうがいいのではないかと思います。

4 自然の自己差異の表現

 で、自然というものは、こういう言い方をしますと、外の風物とか景色と考えてくださってもいいわけですけれども、自然というものは絶対に同じものなんだ――たとえば木は木そのものであって、海なら海の水は海の水そのものであるということで絶対的にそのもの自体であると理解するか、あるいはそうでなければまったく逆に、自然というのは絶対的な区別、差異なんだと理解するかどちらかです。
 つまり、自然の樹木、木というものと、海の水というものは、絶対に同一ではないということは、誰がどのように理解しようと、どこから眺めようと、どういう考えの人がそれを見ようと、それは絶対に区別があるものです。ですから自然というものを全体として理解する場合には、これは絶対的に同じものだ。海は必ず海で、樹木は必ず樹木だ。自然のなかでは必ずそうで、全体性として自然はぜんぶ同じだ。つまり自分に同じものを、自然と理解されるか、あるいは逆に自然というのは絶対的に区別されているものだ。海と樹木とは絶対に同じにはならない。海が樹木になってみたり、樹木が海になってみたりすることはできない。人間ならばそういうことはありうるわけです。自分が他者になってみたり、他者が自分になってみたりということがありうるわけですし、また自分の心を他者のなかにおいてみたり、他人の心を自分のもののように理解してみたりということは、人間においてはありうるのです。けれども、自然においてはそういうことはないのです。樹木は樹木であって、海は海であって、樹木が海になり樹木が海になるということは絶対にありえない。そういうものが自然なんだと理解されるか、どちらかの理解の仕方しかないと思います。
 ここでぼくが言いたいことはそういうことであって、良寛の自然のなかの自然、自然詠、山川草木そのものを歌っている詩というものをどう理解したらいいかというと、絶対的に自分を区別するもの、絶対的に自分のなかに区別として起こったものが、良寛の詩としては自然詠と言いましょうか、花鳥風月詠と言いましょうか、山川草木詠と言いましょうか、そういうものであって、そう理解するのが妥当な理解のしかたじゃないかというふうに思います。
 そうでなければもうひとつの理解の仕方があるので、それは良寛のなかの自然詠というのが、自然の風物、景色を媒介にして自分が自分に区別をつけようとしている――つまり自分をことさら意識しようとしているとか、自分と自分が違うところを、自然の景色を媒介にして表現しようとしていると理解されていくとよろしいんじゃないかと思います。そうすると少し、漠然と良寛の研ぎすまされた心境を読んだものだとか、良寛がどんなに自然を愛していたかを詠んだものだとか、漠然と理解しているもののなかに、もっと微細に分け入るための手だてが得られるんじゃないかと思います。ですからむしろ良寛の自然そのものを歌っている詩というものは、絶対に同一である自然、あるいは絶対に差別である自然というものを媒介にして、自分と自分とが違うところを表現しようとしていると理解されていくと、良寛の内面のなかに分け入っていく手だてというものが得られていくんじゃないかと思います。

5 良寛の「自然」の特性

 で、もうひとつそういう言い方で、自然のなかの自然という良寛の隠遁の構造ですけれども、もうひとつあげてみます。いま言いましたように、自然が自分と自分とを差別しようとしているというところ、あるいは海が絶対に海であって、樹木はどんな人が見ても樹木ではなく海であって、というふうに、自然が自然自身を区別している区別に対して、自分がどういう場所を占めようとしたかということがもうひとつあります。
 例をもうひとつあげてみました。

  寒炉深撥灰■■■■……

 このなかでみなさんが何を感ずるかというとふたつあると思います。ひとつは、炉端の炉が燃え尽きようとして、灯火も消えようとして暗くなりつつある。ひっそりと静かになって夜中を過ぎて、ただ遠い谷の水の音が聞こえるというだけのことです。それだけのことでふたつのことがあります。ひとつはいま言いましたように、自然のなかの絶対的な区別と言いましょうか、谷の水の音は谷の水の音であって、灯火は灯火であって、灯火が暗くなっているということはそのこと自体である。ただそういう、自然が持っている絶対的な区別、差異ということをここで言葉に表現しようとしているということが、ひとつあります。
 もうひとは何かというと、そういうことを表現することのなかで、自分が自分に対する区別をなくそうとしていると考えられます。自分が自分に対する違和感、差異感、対立感があるとすれば、絶対的な差別である自然を媒介にして、今度は自分の差異、違和感というものを逆に溶かそうとしているということがあります。これはたぶん良寛の自然のなかの自然という場合の手がかり、とっかかりだと思います。良寛の自然のなかの自然という内面構造にとっかかっていく場合の手がかりだと思います。この場合には自然という絶対的な差別、違いのあるもの、それに対して自分が自分に感じる差別、対立感、違和感というものを、それを媒介にして溶かそうとしていると理解されると、この手の詩というものは理解する手がかりが得られるんじゃないかと思います。
 そうすると良寛が自然という枠組みのなかで別けても自然というものを取り出そうとしている表現のなかで、良寛が何をしようとし、どういう内面性を披瀝しようとしているかということを考えてみますと、いま言いましたように自然を媒介にして自分の差異、自分の自分に対する矛盾というものを明らかにしようとする場合と、自然の絶対的な差異を媒介にして自分のなかに残っている違和感、本来存在している違和感、存在感の不調和性というものを逆に溶融しようとしていると理解することができます。それが良寛がことさら自然性のなかから自然というものを取り出そうとしている表現のなかで、良寛の内面性をつかもうとする場合の非常に大きなとっかかりになると思います。
 このふたつのとっかかりを手がかりにして、良寛の詩のなかに分け入っていきますと、微妙な違い方のなか、微妙なん内面の流れ、ニュアンスというものをつかまえるとっかかりが得られるというように思います。

6 自然を規範として見る

 それからもうひとつ、良寛の自然のなかの自然、自然のなかで良寛がことさら自然性ということを際立たそうとしているときもうひとつ言えることは、ここに規範としての自然としてきたことです。規範と言いましょうか、広く社会的に言えば法律のような決まりです。規範というものに対して良寛がどういうふうに自分をて名づけようとしているか。あるいは良寛がどういうふうにして自然というものを規範、規則、法則、あるいはこういうふうになっている法則というようなものとして良寛がどういうふうにとらえようとしているかということがひとつあります。
 詩の例をあげてみます。

  客中作■■■■……

 ここで何が問題なのかというと、たぶん、表面的な詩の規則ということのなかで、全体性の枠組みとしての自然というものを、規則、規範として考えた場合、良寛のなかで自然というものはどういうふうに存在するか、どうなっているかということがあらわされていると思います。ここで良寛にとって大切なのは、自然という枠組みを規範として見るという考え方です。規範として自然というものを見るということが、良寛にとっていちばん重要なことなのであって、この種の詩というものも、良寛の詩、自然詠のなかでかなりの数あります。
 このかなりな数の自然詠のなかで良寛にとって大切なのは、自己の内面の流れでもなければ、また自分の内面性から見た場合に自然というものがどういうふうに存在しているかということでもなく、自然というものがひとつの規則、決まり、法則というものとして自然というものがどういうふうに自分にとってあるのかということが良寛にとっては非常に重要なことになっていると思います。
 つまりこれはたぶん、良寛が持っている、詩の歴史で言っても、良寛が影響を受けた同時代に流布された詩があるわけですけれども――たとえばアンソロジー的に言えば儀の時代の詩、唐の時代の詩、宋の時代の詩が良寛に大きな影響を与えていると思いますが、その影響のなかで良寛が自在な意味あいで得ている影響ではなく、詩の規範、言葉の規範として受けている影響というものは、たぶんこの種の詩を見るといちばんよくはっきり出てくるのではないかと思います。
 また良寛が個人の詩としていちばん影響を受けているのは寒山の詩だと思います。その影響の受け方は、寒山の生き方があまり規範的ではないですから、規範としての影響はあまり受けていないと思います。ですからこの手の詩というものは、魏の時代の詩、唐の時代の詩、宋の時代の詩とかそういう時代の詩というものからの影響の受け方というものが非常によく出てきていると思います。それはなぜかと言いますと、すでにもとになっている中国の詩のなかに、中国的な意味での規範というものが自然に対して抱かれていて、その決まりはかなりな程度言葉のうえで緻密に規定されている。良寛の影響の受け方というのはそういうなかでは比較的自由な影響の受け方をしているのです。けれども、漢詩ということ自体が中国に起源を持つ、自然を規範としてみるという考え方がひとりでに起源として含まれていますから、良寛のこの種の自然詠のなかでは規範として自然を見るという見方が非常に大きく作用していると思います。
 この作用の仕方が、詩の作品として見ますと、いちばん興味は少ないものじゃないかと思います。そうじゃない詩のほうが、自由で奔放で、勝手なことを言っていて自由になっていると思います。「秋夜偶作」のような、具体的に自分がそう言う行為をしたということを前提としなければ到底できないという詩のなかのほうが良寛らしい自在さはよく出ていると思います。けれども良寛が自然を詠んだ作品、あるいは良寛が自然のなかで自然をことさら際立たせようとした隠遁生活のなかで、隠遁ということが規範、法則、規則、あるいは僧侶として、世を捨てた人としてありうべき生活のかたちであったという意味あいで言えばこういう詩はやはりそれなりにたいへん重要な意味を持っています。こういう規範がある意味では良寛の長い生涯の隠遁生活の繰り返しというものを支えているわけです。
 自然を規範としてみる見方が良寛にまったくなかったとしたら、やはりたいへんな生き方で、侘しい生き方でもあるし厳しい生き方でもあるし、また病弱でもあったわけですし、人に接することも少なく孤独にも耐えねばならぬし、たいへんな生活ですから、良寛でも生涯の隠遁生活を貫くことができなかったかもしれないと思います。
 つまりこういうことは、規範として自然を見る、隠遁生活はこういうものだと決まっているからそういう生活をするということを抜きにして考えてしまって、一から十まで自由極まる生活というものを想定したら、良寛にとってだけではなく、誰にとっても生涯というものは貫くに難しいものだと思います。やはりそういう意味あいでは自然を規範としてみる、隠遁の生活はこういうものだと規則、規範として見る見方は、重要なことのひとつになると思います。
 また良寛の詩のなかで面白みということから見たら、面白みは少ないかもしれないんですけれども、こういう種類の良寛の詩の重要さ、存在の理由というものも自ずから別のところにあって、こういうものが良寛の隠遁生活の反復、繰り返しを支える大きな力になっていたと思われます。

7 「生活」がどこまで風景になっているか

 それから今度は、自然のなかの生活ということに入っていくわけです。生活というものは、自然のなかの自然性ということとやや違ってきます。それはどうしても自分がご飯を食べ、用事を足し、誰かと話を交わし、また帰ってくるとか、どうしても人と人との世界のなかに自分の気持ちを関わらせていかなければ生活というものは成り立っていきません。生活というものは自然のなかの自然という、純粋に内面性と自然の問題ということだけではなくて、一種の社会性と言いましょうか、人と人との関わりあいというものがそのなかに入ってきます。その生活という場合でも、良寛のなかでいちばん大きく外側から規定しているのは自然性ということであって、良寛の生活という概念、考え方がなりたっていただろうと思います。
 そうすると、良寛の自然性というなかでの生活という考え方がどういうふうになっているのか、どういうふうにそのなかで良寛の内面性というのが流れて移っていっているのかということを見つけていくとっかかりになるいくつかのことを区分けしてみますと、まず最初に「生活がどこまで風景になっているか」ということです。逆に「風景がどれだけ生活になっているか」という言い方をしてもまったく同じことだと思います。
 つまり、主観と客観を逆にすればいいので、「生活がどこまで風景になっているか」あるいは「風景がどこまで生活になっているか」ということが、良寛の自然のなかの生活性ということに分け入っていくひとつのとっかかりになると思います。
 ここでは、例をあげてあります。

  柳娘二八歳■■■■……

 ……良寛も立ち止まって見ていたから綺麗な娘さんだったんでしょうけれども、その光景をものすごく見事に彷彿としてくるわけですけれども、そういうふうに眼に止めているところで良寛の生活というようなものを思い浮かべてくださればいいわけです。たとえば自分が、自然のなかの風景のなかで、綺麗な娘さんが花を持ってやってきて、誰かを待っているみたいにゆっくりゆっくり歩いているのを見た場合の自分の気持ちというものがどういうものであるかという理解の仕方でもいいと思います。そうしますと良寛の生活性というものははっきりと思い浮かべられると思います。
 これはいい詩だと思います。こういう詩は、中国の詩でも、宋の時代の詩くらいにならないと、こういうリアルで何気ない風景をうたうということはできないわけです。たぶん良寛自身、非常に力量のある人ですから、奔放で自由な詩のつくり方がこれだけリアルな作品を生んでいるわけです。あたうかぎり漢詩はこうあるとか、中国の詩はこうだからこうつくらなきゃいけないという規範を壊していって、非常に奔放につくっているということもあるわけですけれども、もし影響云々ということでしたら、宋代の詩になりますと、名所旧跡を詠んだり、山水画に描かれるような風景を詩につくるというようなことを辞めにして、ごく何気ない風景というものを詩につくれるようになりました。十一二世紀以降でしょう。
 良寛は宋代の詩をよく読んでいて、影響もずいぶん受けただろうと思われます。もし影響ということを考えないならば、自然のなかで良寛の生活がどうあったか、良寛の生活のなかで自然ということが、どういうふうにさりげない自然というところまで身近に迫って感じられていたかということが、こういう詩を詠むと非常によくわかると思います。
 これは良寛のなかで、自然というものがどれだけ身近なところまで近づいていたか。名所旧跡の綺麗な風景、旅で見た綺麗な風景ではなく、どこにでもある風景に眼を止められるということは、良寛のなかで自然がどれだけ身近に迫っていたかということが非常にわかる詩だと思います。生活のなかに自然が迫ってくる迫り方ということが、良寛の隠遁の内面性を探っていく場合に非常に大きな手がかりになると思います。
 それはたとえば、現在のぼくらだったら、子どもの頃はかなり身近にあった自然がいかにいま遠ざかりつつあるかということがテーマになるわけで、それとは逆に良寛の場合には、名所旧跡や名だたる風景ではなく、いかに身近な道ばたの風景が自分の眼に止まってくるということですから、自然というものが自分のなかに迫っているかということをよくあらわしていると思います。

8 「生活」がどこまで自然生活になっているか

 そのことをもう少し微細化していきますと、生活どこまで自然生活になっているかということは、生活のなかに自然の風景がどこまで身近になっているかということの次の手がかりと理解されてもいいと思います。
 また例を引きます。

  行々投田舎■■■■……

 ……風景として見れば、さっきあげた、娘さんが花を持って山を下りてくるのに出会ったというのと少しも変わらない風物なんですけれども、ここで良寛は自分の生活の感じ方というものに歳とった農家の人と出会ってお酒を飲みましょうと言われて、お酒を飲んで陶然としたということのなかで、自分が自分の生活ということのなかに、単に風景が生活になっているか、生活が風景になっているかということではなくて、生活のなかに風景を呼び込んで、それが是と非は知らないという言い方で――是と非を知らないということは、是と非を問題にする気持ちにはなっているわけで、そこまで生活を自分のほうに引き寄せようとしているという意味あいでは、前にあげました詩に比べて生活ということに対しては気持ちの内面性を、一歩引き込んでいるということが言えると思います。
 この種の詩も、前の詩と同じように数多くあります。これは一例に過ぎないのですけれど、これも良寛にとって非常に重要な鍵になる考え方です。
 で、ここのところでは、詩の作法、つくり方は非常に自由なつくり方、感じ方をしていて、実際確かに道を通っていて、お百姓さんに出会って用事ないなら家に来なさいと言われてお酒を飲みあって、奥さんが摘んできた菜っ葉を洗って肴に出してくれたという、実際に生活のなかでそういうことがなければこれだけリアルに、自在に、漢詩のなかで詩をつくることはできないと思います。
 これなんからは生活のなかに自然が、風景がどこまで迫ってきているかということではなくて、生活のなかに自然がどこまで、瞬間的な一コマの風景ではありますけれども、入ってきたかというところまで行き届いたものがこの種の詩のなかに表現されていると思います。この種の詩も良寛のなかで非常に大きな重さと数を占めるということができます。
 これは生活という概念が隠遁という概念と関わってくるわけで、これは二回目のときにそういう話が出ましたけれど、僧侶ということは何かということは、僧侶のあり方、隠遁のあり方というものが、どうしても村里の共同体というものとどういうふうに関わっていくかということが大きな意味を持ちます。そういう関わり方のひとつとして、こういう詩に託された自然の引き寄せ方、引き込み方が良寛のなかであったということが言えると思います。それは良寛のなかでたいへんに重要な部分を占めていると思います。

9 「生活」がどこまで自然になっているか

 もう少し今度は、自然のなかの生活が良寛にとってどういうものだったかということをもう少し微細に分け入ってみます。
 ここれに例があげてあります。

  一路万木うち■■■■……

 これもそうとう詩としての規範、規則は破っていますから、これは実際に自分が日常のように体験していることに基づいてつくられた詩だと思います。だから籠を持ってキクラゲをとりに出かけて行ったときのことを詠んだんだと思います。
 確かに良寛の隠遁生活、日常生活の一部分なんですけれども、ここでは人と人との関係と言いましょうか、村里との関係という意味あいでの生活は入り込んでこないわけです。入り込んでいるのは自然と自分の生活との関わりだけなわけです。自分と自然とがどういうふうに直接接触しているかあるいは直接区別されているか、自分と違うものと考えているかということが表現されていて、その中間に、歳とったおじいさんがいるとか、花を持った娘さんがいるとかいうように、中間に人間の関係があって生活がなりたっているという生活ではなく、直接に自分の隠遁生活の日常のありさまがなんの媒介もなしに自然そのものと直に接触して、キクラゲをとったり野の水を汲んだりしているという自然自体との接触の仕方を述べていて、これが隠遁生活の核心にあるいちばん重要な部分で、村人の生活から見るとわかりにくいところの生活だと思います。
 村里の生活でももちろんキクラゲをとりに行ったり、水を汲みに行ったりすることはあるわけですけれど、人と人との接触があったり、何かを買いに行ってという一コマとしてあるわけで、この場合では隠遁生活の核心、中心部分で自然とどう直に対面しているかという問題が描かれていると思います。
 ここのところに行きますと、たぶん良寛が個人の詩として言えば、いちばん影響を受けている寒山の詩の世界に近くありますし、またたいへん大きな影響を受けていると思います。これがたぶん隠遁ということの核心にある生活の仕方です。
 ただここでは隠遁の核心にある生活自体を読んでいるのであって、その生活に対する、また自分の内面の流れ方というものを詠もうとしているわけではありません。ただ隠遁生活の核心にあるそのものを詠もうとしていると言うことが出来ます。

10 「生活」がどこまで生活の否定になっているか

 そうだとしたら、この問題はもう少しだけ内側のところまで入っていくことができると思います。
 良寛の詩の表現から辿って行きますと、生活がどこまで生活の否定になっているか、と言ってあります。自然生活がどこまで生活の否定になっているか、と言ってもいいわけですし、自然生活がどこまで自然生活の否定になっているかと言ってもよろしいですし、また自分が生きていることが自分にとってどれだけ否定になっているかという言い方をしてもいいだろうと思います。ただ、自分が生きていること、自分が存在していることが、どれだけの自分の否定になっているかということも、直接の否定ではなく、生活を媒介にして自分の存在、あるいは自分がどれだけ自分の否定になっているか、自分がどれだけ自分を否定することとして生きているかということだと思います。
 ことにそれは良寛の場合、隠遁生活のもうひとつ奥にある精神状態ですから、生活と自然との直接の対面のもっと奥にあると解しないと仕方がないのです。もうひとつ奥にあると解すると、奥にどういうふうに辿って行くのかという行き方のとっかかりが得られると思います。
 例があげてあります。もっといい例はあるんですけれども、長くなっちゃいますから短いやつをあげています。

  冬夜長■■■■……

 そうすると何が問題かというと、詩の表現の仕方から入って理解する仕方があるでしょうけれど、そんなことよりもひとりぼっちで山の奥かなにかに自分が住んでいて、真冬で人なんか訪ねてくるわけもない。そこにたった一人で小屋掛けして住んでいる自分を想像したほうがわかりがいいと思います。するとちょっと堪え難い生活だということがわかります。これを一生やるのは、堪え難い状態の自分が詠われているわけです。
 そうすると堪え難い自分の状態が、堪え難いというふうに肯定されているとすれば、それは別に詩につくらなくていいわけです。詩につくるということは何かというと、堪え難いところの自分の生活を、自分の意志でもって、あるいは隠遁生活の本質として良寛は選んでいるわけですし、青春時代、つとに自分はそういうことを覚悟のうえで出家しているわけですから、それは自分が意志でもって選んでいる孤独さで、それはどうしようもないわけです。しかしどうしようもない自分の生き方というものを、もう一度自分が自分に対して否定するというものがあるから、こういう表現が出てくると考えたらよろしいと思います。
 これは冬の夜の孤独な生活の心境を述べていると理解されないで、そうではなく自分の意志で自ら選んだ山中の孤独で、寒くて灯火も消え、炉端に炭もなくなったというときに、なぜおれはこういうことをせねばならんのだ、こういうことをして何になるのだ、誰もそれを認めてくれるわけでもないし、認められるためにやっているわけでもないですし、こんなことしたからと言ってどうってことないわけです。いちばんよくて自分が死んでしまうというだけです。けれども意志して自分が選んだことですから、そういう生き方を選んでその通りになっていたら不服はないだろうということで、不服がないなかでもう一度自分を否定するんです。なぜ自分はこういう生き方、生活をしているのか、何になるのか、何のためだ、そういうふうには言わなかったでしょうけれども、ぼくが俗っぽく理解すれば、自分が選んだ生活に対する否定の意志が起こったときにこういう作品が出来てきているので、決して自分の隠遁生活を肯定する心境が詠ったのがこういう作品ではないのです。
 そうではなく自分の選んだこういう生き方に疑いを生じた――これをもう一回否定したいというところでつくられている詩と理解されると、もうひとつ良寛の隠遁生活の中側に入っていくとっかかりが得られるんじゃないかと思われます。
 こういう理解の仕方は、それに固執しますととたんに良寛の内面状態から逸れてしまうということがありますから、固定してはいけないわけです。けれどもただ、これは決して自分の隠遁生活を肯定してその心境の寂漠さ、深さが描かれていると理解されないで、むしろその逆で自分の隠遁生活に対する否定性が出てきたときにこういう作品が生まれたと理解されたほうがいいと思います。そのほうが理解にかなっていると思います。   
 そうしますと一瞬ですけれども、良寛の精神状態がなんとなくつかめた気がしてくるんです。けれども次の瞬間にはつまらない詩じゃないかという気がします(笑)。灯火に火がなくなった、炉に炭がなくなって、雨の声を聴いていたというのの何が面白いんだ、月並みの詩じゃないかとなるんです。けれどもある瞬間に、おれがそういうところにいたらそういう瞬間にどうだろうなというところから入っていきますと、それは否定性だ、自分に疑いを生じて、こういう生活は何のためだとなったときに、そういうときにことをつくったものだということが、ある瞬間ですけれども非常にリアルに思えてくるわけです。
 だからその瞬間の気持ちで言えばそういう読み方が正しいだろうと思います。次の瞬間になってしまうと、非常に月並みな詩に思えてしまう。そういうときには言葉が死んで見えるわけです。とくに時代は隔てていますし、漢詩ですから、死んだ言葉に見えます。ある瞬間の言葉の切り結びを逃がしちゃいますと、月並みな詩でやりきれないとなってしまいます。我々は現代に住んでいますから、ストーブはあるし、つまらないよこんなのはとなってしまします。
 これはある意味でやむをえないことです。詩の様式が隔たって我々にこういう詩をつくれと言ったって出来ないですから、仕方ないわけです。ただ、良寛を読む、良寛を理解する、隠遁者としての良寛の内面性を理解するということは、詩のある瞬間におけるここのところだ、ということが、わかる感じになったときに、良寛と切り結んでいるわけで、その時だったら現代に生きて生活様式が違っていても、瞬間をとらえることは誰にでもできるんじゃないかと思います。
 瞬間以上のことでとらえようとしたら、言葉がみな死んだ言葉としてしか映ってこない。特にぼくらの時代だったら、こんな漢語を並べた詩なんてどこがいいんだということになってきます。ある瞬間で出会えたら、言葉がぜんぶ生きているというふうにとらえられて、わかったよ、これは否定の仕方だよ、良寛が自分の生活を否定しようとしているんだよということがわかると思います。たぶん良寛の隠遁生活の奥の奥の奥の方までたどったときの良寛というものは、ここがとば口じゃないかと思います。
 それからだんだん行って行きますけれども、今度はもう少し……

司会:途中で申しわけありませんが、講演が長くなりそうですので……

11 出家隠遁の「倫理」がどこまで自然の側にあるか

 次にあの、三番目の、自然という原理の中で良寛が持っている倫理性というものが、どうなっているかということです。それを少しだけ微細に折り目をつけてみます。
 まず一番目に、出家隠遁の倫理がどこまで自然の側にあるかという言い方をしてありますけれど、自分が出家隠遁しているということの意味がどれだけ自然ということのなかに引き寄せられているかということの度合いという意味に理解してくださればいいと思います。
 これも例をあげてあります。

  東風吹時雨■■■■……

 秋夜長しという隠遁生活のなかで生活がどこまで生活の否定になっているかとさきほど申し上げましたけれども、そのことを表にあらわにしたものが、いま読みました詩のなかの倫理になって出てきていると思います。ここでは否定性ということは、ただ自分の内面に帰って行くだけで、内面のなかに帰って行くからこういう表現が出てきたということなんですけれども、これを自分はなぜこういう生活をしているんだということがもう少し外側に出てきてしまえば、この場合、はじめのほうには自然の風景に対する描写があり、道で行き会ったご老人に対して、あるいはどこかの家の子どもに対して、そういう村里の人の生活、生涯を勘定に入れたうえで自分の生活の否定性というものを表に出していったときに、良寛における倫理があらわれてくると思われます。その倫理の言葉は、それぞれの人はそれぞれの生き方をしているし、折々は少しもとどまることもなく四季はめぐっていく。人はそれぞれすることがあって生きている。それじゃ自分は何のために生きているのだろうか。自分はただ故郷で隠遁の草屋を守っているということだけをしているだけだという言い方になっていると思います。
 それぞれの人はそれぞれの生活をして、何か意味ありげなこと、役に立ちそうなこと、意義深くありそうなことをやりながら生活をしている。しかし自分は自然もまたそれぞれとどまることなく巡っている。それなのに自分は何をしているのだろうか。自分は隠遁の小屋を守ってそこにいるだけなんだ。そういうことを言っていると思います。その場合に他者も自然も意味ありげな生き方、流れ方をしているけれども、自分は少しも意味があるようなことをしていないという言い方でもって、自分の隠遁ということの場所、意味に対して、少し探りを入れているということになると思います。
 僧侶とか隠遁ということは、いわば世を捨てることですから、いいことをするわけでも役にたつことをするわけでもない。また曹洞禅というのは、人の役に立つことをするとかしないとかいうことが問題ではなく、良寛流の言い方をすれば古い仏があったがごとく坐り、古い仏があったがごとく自然と直に対面する、そういうことが目的で、それ自体が生で、何の役に立つか、何のために生きているのかということは意味をなさないのですけれど、しかし村里の行き会う人の生活や、自然の巡り方と比較した場合に、そこではじめてどういうあり方があるのかという問い方がなりたっていると思われます。
 ですからこういう内面の否定性が押し込められたうえで詩の表現がされているよりも、自分と異質な生き方をしている人とか自然とかとの対比のうえで自分の生き方の違い、差異というのが詠われていますから、差異が詠われている詠い方自体のなかに、倫理が含まれていることになります。
 この倫理はそんなに自然の側にあるわけではなく、自然と村里の人の生き方のはざまにあって、自分の倫理が問われている。まったく自然の側によっているわけでもないし、村里の人の生き方と四季をめぐる自然の生き方とのあいだに挟まれた自分の生き方がいったい何なんだということを問うところで、倫理がどこまで自然の側にあるか、あるいは自然の側にありきらないで、途中のところにあるかという問題が、こういうところにはっきり出ていると思われます。

12 「規範」がどこまで自然になっているか

 もう少し良寛の持っている倫理というものを表現から区分けして行ってみてみましょう。そこでは「規範がどこまで自然になっているか」という言い方をしてあります。これは先ほどの規範としての自然という感じ方と同じです。ある意味で良寛の日常生活の繰り返しを支えている枠組みがあります。その枠組みがあるから、日常生活が繰り返される。その規範というのがどこまで自然の近くにあり、遠くにあり、隔たっているかという問題として考えることができると思います。

  秋夜々正長■■■■……

【テープ交換】
……先ほどの詩と同じで、良寛のなかでかなりな数あると思いますけれど、しかしこの詩は割合にフォルムが決まっている詩です良寛の詩としてみればありきたり、月並みな詩だと言うことができると思います。良寛らしい表現はありますけれど、これは漢詩はこういうふうにつくるものだという常道的な表現が大きく作用していると思います。しかし良寛らしいところはあることはあるわけです。しかしそんなに自由奔放な表現ではないと思います。だから、よく漢詩のなかにある心境性とか境地とかがよく守られた詩だと思います。
 しかしそういう詩のなかで、どこまで自分が自然の側に近づいて行けているのかということが問題なので、そうするとやはり虫がしきりに鳴いているとか、雨が止んで滴がだんだん細っていくとか、自分は誰も哀れんでくれないで一人住んでいるとか、そういうことは言ってみればありきたりな漢詩のなかの心境の表現です。そういう批判からそんなに遠くないと思います。それかrあそれが非常に重要なものとしてこの詩の枠組みを決めていると思います。
 しかしそのなかで、眠れないまま雨の音を聞きながら夜明けになてしまったというところで良寛の隠遁生活のなかにあるありきたり性というものがどれだけ自然に近づいているのかということが、この詩の眼目だと思います。自然のところにまったく近づいていってしまうとか、同化してしまうと、ありきたり性というものも消えてしまうわけです。
 ありきたり性だけということになってくれば、それは村里の人のごく日常の生活おちうのがいちばんありきたりの生活と考えれば、良寛の隠遁生活のありきたり性というのはその中間のところにあるわけです。そうありながら、どこまで良寛のありきたり性というものが自然の近くにあるかということを、この詩から浮かび上がらせ、見つけ出すことができたらこの詩を読んだことになるんじゃないかと思います。
 この詩はなんなんだと言ったら、規範的、ありきたりな心境というものを表現しながら、それがどこまで自然の近くにいけているかということが見つけたられたら、そこのところが思い浮かべられたら、この詩を読んだことになるのではないかと思われます。
 一行一行辿ってみればよくわかります。秋の夜が長いというのはありきたりな表現で、ありきたりなことであるし、その次の寒さが自分のしとねを侵しているというのも物珍しい表現でもなんでもないと思います。六十に近い自分が隠遁生活をしているのを誰が憐れんでくれるだろうかというのもありきたりの表現です。
 その次の雨止んで滴り漸く細りというのもありきたりの表現です。ただ、良寛は耳が非常によいか悪いかどちらかだと思います。雨の表現がたくさんあり、気にしているところがあって、よく耳についてきます。この表現もありきたりなんですけれど、雨がやんで滴りが細ってくるというのはかなりありきたりでない近づき方のような気がします。
 その次の「覚めて言に寝ぬる能わず」というのはありきたりそのものです。眠れなくて目が覚めて枕によりながら夜を明かしてしまった、ありきたりな詩の表現ですし、珍しい心境の表現でもないと思います。
 このなかで生活のありきたり性、心境のありきたり性、隠遁のありきたり性というもの、あるいは詩の表現の言語的なありきたり性というものが、どれだけ自然になっているかということを測る眼目は、「雨止んで滴り漸く細り」という表現のなかにあるような気がいたします。そこを中心にしてこの詩のイメージをつくれたらこの詩を読んだことになりますし、この詩のなかで良寛がいかにありきたりの隠遁生活から、自分独自の仕方で自然に近づこうとしている近づき方の度合いとか性質が吐かれるんじゃないかと思います。
 それはたぶん、まだこっちよりも向こうのほうがいいように思いますけれども、目が覚めたような意味あいで、一瞬すばらしく読める瞬間が思い浮かぶとすれば、こちらのほうがはるかに自然に近くにいるように思います。しかしそうではなく、言葉は言葉だというところで言うならば、やはり向こうの詩のほうがこの詩よりもはるかにいい詩ですし、向こうの詩のほうがはるかに規範が自然に近くなっていると言えばいえるように思います。しかしそう言うとそれほどのことはなくて、五行目ですか、「雨止んで滴り漸く細り」という状態の良寛を思い浮かべることができて、それがたいへんリアルに感じられたら、感じられたその瞬間のイメージというものが、たぶんこの詩のなかでありきたり性から脱出している個所だと言えるかと思います。

13 「欲望」(本能)がどれだけ自然になっているか

 倫理というものをもうひとつあれしてみますと、三番目に、「欲望あるいは本能がどれだけ自然になっているか」とあります。逆にこんどは、どちらの言い方をしてもいいように思います。自然がどれだけ良寛にとって欲望になっているか、という言い方をしても同じだと思います。これはどちらの言い方がいいのかということは、たぶんそうとう問題じゃないかと思われます。ぼくはどちらの言い方をしても同じじゃないかというところで見ていきたいと思います。欲望がどれだけ自然になっているかという言い方をしても、あるいは自然がどれだけ欲望になっているかという言い方をしても、そういうことが良寛の倫理の問題を呼び起こすということだと思います。

  秋日過一行■■■■……

 そうすると、一見するとこのなかで何が欲望か、本能かということはどこにも何も書かれているわけではありません。ただ涙がモスソを潤したということが、唯一良寛の欲望や本能がどうなってたんだということを象徴している個所です。良寛の涙は何なのかと言った場合、それは本能的な欲望、欲求があり、それが涙になって出てきていると思います。
 もし欲望というものが言葉にあらわして言えるんだったら、言葉にあらわして表現されたでしょうけれど、良寛のなかで欲望がどこか自然のなかに溶けてしまっているところがあって、わずかに欲望を象徴するものとしてはこの場合、涙ということだけで、どういう涙かということはわからないわけです。ただそういう風景を見て、お堂でもってすごい風がふいてきた夕暮れで、涙が落ちたということだけです。ただその涙が本能的な欲望であるということだけは言えるわけです。どんな本能的な欲望かということがあるわけですけれども、それは良寛のなかで自然のなかに溶けてしまっている部分、あるいは自然のなかに押し込められてしまっている部分があって、わずかにその涙が良寛の本能、欲望になっているということだと思います。
 だからこの涙を、風景を見て悲しくなったとも理解できるでしょうし、一行上人のことを思い浮かべて涙を流したと理解することもできるでしょうし、また自分の境涯、隠遁生活そのものを顧みてそれが涙になって出てきたとも言えるわけでしょうし、またそういうなんのためでもなくなんとなく心細くなって涙が出てきたというふうにも解釈できるわけでしょうけれども、そういう解釈の多様性ということが重要であるというよりも、ここのところで欲望とか本能というものが良寛のなかでどれだけ自然に溶けてしまっているか、あるいは自然のなかに同一化してしまっているかということが重要なことのように思います。
だから、そこのところで、わずかに最後の行の涙ということだけが、自然のなかを歩いている自分とか、お堂で風の音を聞いている自分の描写ということと、涙ということだけが異質で対立しているわけですし、涙というところで本能というものがどれだけ良寛のなかで自然のなかに入ってしまっているのか、あるいは入っていないのかということをあらわす度合いというものが決まるということになると思います。
 涙というのは、なかなか日本人というのは難しいんです。涙と自然の同一性とか違いというのは、日本人の場合には難しいような気がします。たとえば中国の詩だったら、人と別れる、別離の涙というように、具体的なことがあって流れる涙だということになると思います。こういうふうに、どこまで自然のなかに欲望が隠されているかとか、どこまで倫理が隠されているかという涙とか、ただ涙が出ちゃったという意味あいの涙とか、それは改めて言葉で理解、解釈、表現してみなければ、その涙があなんであるかということは後からじゃないと言えない涙というのが、日本にはあります。
 たとえば、源氏物語とか物語作品を見てもそうですけれども、登場人物は何かと言えば泣くわけです。風の音を聞いちゃ泣き、月を見ては泣く。それはたいへん難しいことのような気がします。これは異常なほど、花を見て泣くとか、虫を聞いて泣く、月を見て泣くというように、物語作品でも歌のなかでは日本ではよく出てきます。
 これはたいへん特異な気がします。かなりな程度虫の声とか、月の光、四季の移り変わりとか風の音、風の冷たさ、そういうものを意味として感受する感受性が非常に大きいような気がします。
 だからこの場合の涙というのはほんとうの意味ではわかりません。一行上人のことを書いたんだから、一向上人のことを思い出して、夕暮れで風はふいてきて悲しくて泣いた、その涙のように受けとれるんですけれども、そういう受けとり方をしてもそれまでの描写が山はむなしく、グミの実は赤く、とかいうことを描写してきての涙ですから、それだけでは満たされなく思えます。そうするとこの涙はたいへん象徴的なことになります。
 それは何の象徴かと言えば、隠れている象徴だと思います。何が隠れているかわからないけれども、それは欲望だろう、本能だろう。それが隠れていて、どこまで隠れているかということの象徴だろうと理解すると座りがいいような気がします。その涙ということがなければ、これは自然描写になってしまうわけです。
 この涙というところで、辛うじて良寛の自然のなかの倫理、自然に対してどれだけ近づいているか、近づいていて最後のところで近づけていないかということの倫理性というものが良寛のなかではじめて出てくると言えそうに思います。

14 村落社会の差異化

 で、その次に宗教家としての良寛としては最後の問題になるわけでしょうけれども、自然の中の宗教性ということが、いちばん抽象的な問題として――隠遁者または僧侶としての良寛の宗教性が、残ってくると思います。
 大雑把なことでふたつにしてしまえばいいことで、村落社会との違い方ということで、二回目のときに僧としての良寛ということで僧としての存在が何かということが、僧侶にとっては重要なことです。それは村里の共同体とどういう場所で関わるかということにかかってくるという問題だと思います。それを先に申し上げてしまいます。

  春気梢和調■■■■……

 この言い方は、村里の社会に対して自分は僧侶としてどういうふうに関わっていくのかということの心境を表現していると思います。これは村里の社会と僧としての自分、自己自身というものとの違いというものを明瞭に取り出しているという詩だと思います。その違いということは、どこで脈絡がつくのかと言ったら、食を乞うていくと言いますか、托鉢に行って食べ物を乞う、そのことで村落社会と自分とはつながっているし、それ以外につながり方はないんだといことを言っていると思います。そこでつながることが重要な意味を持つということを言っていると思います。

15 自然との差異の消去

 もうひとつの問題があります。それは良寛の宗教性としては最後の問題です。良寛の宗教の問題は、一般的に仏教の問題でもあります。もっと広く言えば、東洋の宗教は何かという問題になると思います。もっと範囲を漠然としてしまえば、東洋の世界とは何なのかという問題と同じことになると思います。
 それは、自分の存在、人間の存在というものと自然というものとの差異、対立をどこまで消せるかということだと思います。ぜんぶ消すのが、曹洞禅における直接の教義だと思います。禅の本質というのは、自然と人間の自己存在との差異というのを消してしまうことだと思います。 もちろん、第なり小なり仏教の理念というのは、自然と人間存在との違いを消してしまうことです。そこにどうやって到達するかということでそれぞれは違ってきますが、それが東洋における宗教の目的です。
 禅者としての良寛にとってもそれが最終の目的になっていて、自然と自分との差異を消してしまうか、同化してしまうかという問題になってくると思います。そこが宗教性としての最後に目的としたところだと思います。そこでの消去の仕方がうまくいかないということの問題が、涙やさまざまな問題になって表現のなかに出てくると思います。
 決して代表作でもなんでもないですけれど、適当な長さなので引いてみました。

  静夜虚窓下■■■■……

 最後の二行は、詩だからこういうふうに表現がありますけれども、打坐してというところで言えば、その前までで終わりなわけです。前までで、自然との差異を消すという消し方が、どの程度消されているか、消されていないかという問題は、終わりの二行の前までで、表現が尽きるわけです。後の二行というものは、それを改めて詩の言葉の表現に打ち出したときに、改めてそう言っているだけです。自然と自分との違いを消し去ろうとしているということとはまた違うことです。そのことの状態をただ説明しているのであって、終わりの二行は詩だから付け加えられたのでありますし、そういう付け加え方をして止めるというのは、一般的に漢詩の方法のかたちのなかにひとつあるわけだから、それを踏んでいるという意味あいも含むと思います。そういう意味だと思います。
 これは自然との差異を消去している状態が詩の表現そのものとしてちゃんと出来ているという意味あいではいい詩ではありません。ただ、そういう状態を自分がやっている状態を説明している意味では適切だからこの詩を引用したんです。この詩自体が、自然との差異を消去しているという表現ではありません。そういう意味あいではこれは決していい詩ではありません。
 しかし、自然との差異を消去するという良寛の宗教性、禅の宗教性をいちばんよく詩で説明しているから例にあげました。けれども詩の表現自体が自然との差異の消去自体の写しになっているものが、宗教性としてはいちばんいい作品になりますけれども、そういう意味あいでは決していい作品ではありません。けれどもわかりやすく説明しているからこれをあげました。
 それがたぶん、良寛の宗教性のなかでいちばん最後に到達できる宗教の問題としてあったと思います。

16 自然との差異を消去した状態の表現

 それじゃあその、良寛の宗教性、自然と人間存在との違いを消去してしまうという状態で何が起こるのかということは、禅の修練に属するわけでしょうし、禅の修練をした人が同時に言葉で説明し、表現してくれれば、それはいちばんわかりやすいでしょう。禅の修行をしている人は、逆に表現の仕方をしらないですし、表現をするとだいたいまずいです。曰くそれは言い難いんであって、やってみなけりゃわからないということになります。そうでなければわけのわからない言い方しかしないわけです。そのこと自体はなかなか説明してくれないんです。禅の修練をしている人自体は、なかなか自然との差異を消去しているという状態で何が起こっているんだということを説明してくれないですし、逆にぼくらみたいのが言葉でもって何でも説明してやろうという欲求を持っている者にとっては、禅の修行をしている状態はどういう状態になっているのかということはわからないですから、説明しようがない。
 ただ、枠組みとして言えることは、自然と人間との状態を消去しちゃうことなんだろう、その状態にもっていくことなんだろう。人間がありさまざまな状態を思い描き、ということがあると、だんだんそれは人間の状態から動物の状態みたいなところへ持っていて、動物にもまだ意識もあれば感情もあるから、植物の状態に意識をそういう状態にもっていっちゃう。それでもまだなんか生臭いから、もっと意識の状態をもっていくと、岩とか石とか無生物の状態まで意識の状態をもっていけるみたいになったとき、自然との違いがだいたい消去されたという比喩しかできないわけです。
 ほんとうの自然の状態ということとか、どういう意識状態になっているのかとか、何がどうなるんだということは、なかなか外からはわからないんです。うちからやっている人は、それをなかなか言葉で説明してくれないです。
 良寛という人もかなりなそうだと思いますけれど、かなりな程度良寛はよくそれを説明しているはずなんです。たまたまこちらのほうがそれを読み切れないわけです。ほんとうを言いますと自然との差異の消去の状態は詩のなかで表現されているはずで、それは微細にこちらの読み方をよくすればたぶん読めるはずなんです。
 しかしかつてそれをやったものをぼくは見たことがありません。一般的にはそれはなされないんです。この状態は外からはわからないんです。内の人はそれは表現できないのです。やってる人、やった経験のある人、やってあるところまで意識の状態をもっていった、これこそ古物の意識状態までもっていったという名僧、高僧は、えてして言っていることはつまらないことを言うわけです。絶対わからないような禅問答的なことしか言っていないんです。そこが問題なんです。
 たぶん良寛は、両方のあれをもっているわけだから、この状態はかなりな程度表現された作品のなかを微細に分け入るとその状態をちゃんとつかんで表現できる、こういう状態だというところまでもっていけるはずなんですけれど、残念ながらぼくらの読みがないからそれができないんです。また仏教の本質的な自然との差異の消去ということの実感的な体験を持っていないからできない。その両方が相まってそこまでいけないわけです。
 だから今日申し上げたことは、わずかにいくつかのとっかかりを申し上げているだけで、それはだいたい自然との差異を消去する、それを微細に見つけ出して言葉にすることができるはずです。しかしぼくらは残念なことにそういうものにお目にかかったことはありませんし、これからみなさんがさまざまな方法を模索されながらそこへ行くよりしょうがないんじゃないかと思われます。それはわずかに糸口みたいなとっかかりがあればつかんでいくみたいなことをして、少しのとっかかりはやりましたけれど、もっとどんどん微細に入っていって、ほんとうに言葉にしていかなければ誰もする人がいないんです。
 日本でも名僧知識というのはたくさんいるわけでしょうけれども、言葉に表現するのは馬鹿馬鹿しいことだと思ったり、つまらないことだと思うわけでしょうし、そんなものは禅にとってはくだらんことだと思うから言ってくれないわけです。たまたま言うと、つまらない言い方しかしません。つまらないことしか言ってくれないからつまらないんじゃなくて、ひとつ曰く言い難い意識状態にもっていくという状態を言葉にしにくいから、言葉にしようとするとつまらなくなっちゃうということです。
 だから決して馬鹿にするわけではありません。つまらないことしか言わないからそのお坊さんはつまらないんじゃないですけれども、どうしてもその状態はやってる人からはそうなっちゃいますし、ぼくらみたいなやつはその状態がほんとうにわからないんです。そうするとたまたま良寛のように両方を兼ね備えた人の表現というものを、ほんとうの意味でよくよく読み込めたら、完全にそれがわかるというところにいけるはずなんです。ただぼくらに読みが出来ないということです。
 ですからぼくが今日申し上げていることは、わずかに何か手がかりをということで、浅い手がかりを羅列しているということしかほんとうはないと思います。ほんとうはいけないので、もっとほんとうに言い切れないといけないんですけれど、そこまではなかなか辿れないというのが現状だと思います。

17 良寛の書とは何か

 で、そこのところで、書というのがぼくにはまったくわからないし、書が下手なことはご覧のとおりですから、駄目なんですけれども、言葉ですから、良寛の書というものにできるだけ言葉で近づいていってみたいと思います。そうすると良寛の書はいいんだ、というとどこがいいのかいってくださいといろんな人が書いたものをみても、何も言っていないんです。ただすばらしいと言っているだけで、そうとうな書家であって、言葉に巧みなヨシノヒデオみたいな人が良寛の書に言っても、ただいいって言ってるだけじゃないのというだけにしか過ぎないということがあるんです。
 だけれども書というのはかなりな程度、良寛の宗教性とか意識の微細な状態とか、色合いとか、匂いとか、音とか、そういうものをちゃんと言葉にするための手段としては、良寛の書はかなりな程度有効なんじゃないかと思います。
 良寛の書とは何なのかということの枠組みについてはできるだけ言葉を費やしてみたいと思います。まず、良寛の書には、まず丁寧に書いた楷書があります。そうかと思うと草書があります。自分のつくった漢詩や何かを……
【テープ反転】
……それから仮名書きと、仮名書きだけの美麗な書もあります。それから仮名書きと交えた流麗な書もあります。概して言えば良寛の書とは何なのかということを見る場合には、楷書というものと、草書化された漢字の両方を見ればいいんじゃないかと思います。これはいい加減なことを言っていることになるかもしれません。ぼくは良寛の書というものを、一冊に集めて片っ端から見たとか、いちどに集めてあるのを見たということはないものですから、もしかしたら間違うかもしれなくて、平仮名だけの文字が重要なことになるのかもしれませんけれども、そういう意味あいでは知識教養の面からは間違うかもしれません。

18 書の背景としての自然性

 その場合に、何を良寛の書という場合に、基本形と言いますか母型と見るかという場合には、楷書を基本形として見るべきだと思います。良寛の楷書、お経なんかを写し書いたものを、良寛の書のいちばん基本にあるものだと考えて、そこをまず問題にしていけば入りやすいのではないかと思われます。
 その場合に申し上げたいことは、それでは良寛の楷書というものを見た場合、何をどう見たらいいのかということになるわけです。一般的に、たぶん書を見る場合には、まずこういうふうに見て欲しいわけです。つまり、この書のバックグラウンドになっているものは何なのかと考えた場合、こういうふうに見てほしいわけです。この書のなかで、書の背景になっているものを、自然と考えた場合――紙なら紙を自然と考えた場合――自然というバックグラウンドのなかで、どこまで自然がひとつの世界としてみれるかというように見て欲しいのです。
 バックグラウンドになっている自然性というものがどこまで同一と考えられるか。同一と考えられるバックグラウンドは、このなかでどこまでか考えて欲しいわけです。どこまで、という意味あいは非常にメタフィジカルな意味あいです。つまり、ここまでという意味あいはありません。書を見た場合、バックグラウンドになっているものを自然性と考えて、自然性というものが、同一という意識で見られるのはどこまでかなと考えて欲しいわけです。
 ある書を見て、書の背景になっている白地、紙というものを自然性と考えたとします。そこに良寛なら良寛が字を書いている。するとこの字を見ていると、一般的には良寛の書は音楽性があるとかなんとか、いろいろ言うけど、言ったらおしまいで、そういう言い方は結果なんです。そういう言い方をしたらどこまで結果だけしか言えないんです。良寛には音楽性があって流麗と流れていくとか、ぜんぶ結果論なんです。そういうふうに考えてはいけません。
 だから、バックグラウンドを自然性と見て、そこに良寛の書が書かれている。このなかで自然性が同一だ、ここまでは同じ自然性だと考えられている世界がどのくらいあるかなというふうに考えて欲しいわけです。そのどのくらいという度合いが、良寛の自然性の枠組みと同じ意味あいをもちます。それがどこまでそうかなというふうに、良寛の書を見ながら、どこまでそうかなというふうに、バックグラウンドになってる自然性というものが、どこまで同一の深さ、厚みをもっているのはどこまでかということが浮かび上げられるならば、それは非常に重要なことです。そういうふうに見れば、結果論じゃなくなる可能性があります。
 そしてその同一性として見られる自然性の世界の厚みというものが、直感的に見てそのなかに良寛らしい字が浮かんでいる、と見て欲しいわけです。その浮かべられた字というものは、自然性のなかにおかれたひとつの意味形象です。ひとつの意味をもったかたちなわけです。ですからそれが浮かべられている。
 そうするとそれは、自然性のなかに一種の差異を打ち込んでいることになるんです。概念の意味がある形象でもって、自然性の世界の厚み、深さのなかに、ひとつの差異、異和を打ち込んでいるわけです。するとその異和はどういうふうに打ち込まれているかというふうになるわけです。そのときにはじめて音楽性がなんとかという問題が出てくるのです。

19 書の母型――楷書

 それでは良寛の場合、楷書の場合に、どういうふうに打ち込まれているかといったら、まず概念をあらわす文字形象としては、良寛の書はほとんど骨格だけで出来ていると言えるわけです。ここでピッと点を押さえてとか、流してとか、情念をこめることはあたうかぎり少ないと言えるわけです。それが良寛の書の特徴です。これは楷書でない場合も特徴です。概念をあらわしうる形象であるかぎり、最小限の骨組みだけでできていると言っていいくらい、力が均質で、思い込みをこめるということがないと考えられるのです。それは非常に大きな良寛の書の特徴だと思います。
 それじゃ、すぐに思い浮かべられるでしょうけれど、活字だってそうじゃないか、活字とどこが違うんだということになります。骨組みだけで出来ているという意味では、活字とそんなに違わないでしょう。けれど大違いなわけです。
 何が違うのかと言ったら、ひとつひとつの字が骨格だけで出来ているくらいですけれど、しかしそれだったら活字とは正反対に違うということが言えます。この、概念をあらわすかぎり最小限の骨格のまわりには、目に見えない最高度に緊張した肉体があるということです。それが良寛の書の特徴だと思います。どんな書家でも、骨組みのまわりには、それなりの肉体、肉付けとか、情感が出てくるわけですけれども、良寛の場合はその骨格のまわりに目に見えない肉体があるわけです。その肉体が最高度に緊張しているということです。
 現実の自然性としてある人間の肉体よりも、もっと緊張した肉体です。極端に言いますと、すぐれた舞踊家に、決まった踊りの格好があるでしょう。そのときの肉体のかたち、格好というのは、やはり美だと思うでしょう。そういう意味あいの、目に見えない肉体が、字の骨格のまわりに存在するというように、自然の同一性をバックグラウンドにして、自然の形象ある文字が打ち込まれているということが、良寛の書の特徴だというふうに思います。
 それで、もう少しぼくでも言えることがあります。うまいというのは当たり前で何も言っていないと同じです(笑)。
 ひとつひとつの字を見ますと、骨格だけでできていて印刷とちっとも変わらないじゃないかというふうに思えながら、たとえば仏という字があるでしょう。この人篇とのあいだの空間とか、人間とこっちのドルとのあいだの空間は、造形性がものすごく見事なんです。それはちょっと怖いくらいです。
 たとえば、概念をあらわす骨格だけで出来ている形象が自然性の世界に打ち込まれている。そしてしかもその骨格のまわりには最高度に緊張した目に見えない肉体があると言っただけでは、ぼくらもまだ良寛の書の特徴を言っていないじゃないかということになります。もうひとつだけぼくらでも言えるところで言えば、ひとつひとつの線と線の配置の決まり方がじつに良く出来てピチッと決まっているということなんです。それが特徴だと思います。
 そうして、それだけを漠然と思い浮かべて良寛の書というものを見て欲しいわけです。そうするとぼくは書なんてぜんぜんわからないし、理解することが出来ないのですけれども、書ということに言葉を与える――どうしていいのか、どうしていいと思うのか――ようとする場合には、そのような見方をしてくださることが前提であると思います。書をよく知っている人だったら、そのような見方をしてもっと微細に言えるはずです。ぼくらには言えないだけであって、もっと言えるはずです。
 何かを言えるような見方をしていけば、書について、理解が深めれば深まるほど、もっと微細に言えるはずということのためには、どうしてもある見方がいるわけです。いつでもそういう見方をつくりながら見てくださらないと、ほとんど意味がないと思います。そういう見方をしてくだされたば、もっと先まで良寛の書を見ていくことができるのではないかと思います。

20 空に字を書く

 ぼくは、良寛の書について書いたものをそんなにたくさん読んだことはないのですけれども、高村光太郎が言っていることのなかで、ひとつだけ面白いなと思ったことがあります。高村光太郎という人は書をよくわかる人です。書の造形性がわかる人ですけれどもやはりいいものをいいと言っている、動議反復の部分がたいへん多いです。だからそんなに書の論としてそんなにいいものではありません。
 良寛という人は、中国の書家についても日本の書家についてもたいへんよく手本にしてならっていろんな書家の書風を知っていてよく修練している人です。それから書に自身のある人だと言っています。
 それからもうひとつぼくが感心したのは、この人は絶えず、空に、空気中に字を書いて練習していたと言っています。空に書いているという意味あいで言っています。高村光太郎という人も優れた書を書いた人ですが、そういうふうに言っていることは面白いと思います。バックグラウンドを自然性として見るという見方からしますと、空に書いて練習したという言い方はたいへん面白いわけです。実際の空に、字を書いているという意味あいは、自然のなかで同一と考えられているところがどこまでで、そこのところにわずかに意味のある字をつくることが、わずかに同一性に対して差異を表現しているということになります。その表現の仕方が良寛の場合、あたうかぎり力こぶを入れていないわけです。
 同一性として見える自然に対して力こぶを入れない打ち込み方をしているということは、良寛の精神状態の特徴です。あるいは意識の流れ方の特徴です。これは良寛の宗教性にもつながっていきます。それをもっといい言葉で微細に言うことができたら、良寛の書についてたくさんのことを言うことができるはずです。それから良寛の詩が表現している宗教性についてももっと微細なことが言えるはずだと思います。ただぼくらには力がなくてそれができないんですけれども、こういう見方をしていけば、もし言葉が蜜からならばこういうことを言うことができるぞという余地を残しながら書を見ていってくださるのがいいと思います。良寛の書というのはそうとう本質的なものですから、内面の流れ方に対しては重要な意味を持つと思いますから、いつでも言葉がそこに入り込める余地を残す見方を書についてもしてほしいと思うわけです。

21 草書の特徴

 それから、楷書的なものを母型としますと、流れるような草書化ということが良寛にはあります。
 草書化ということの特徴は何なのかということを申し上げてみます。これはいろんな人が言っていることだからどうってことはありません。ひとつは、こういうふうに字を流して書いていった場合には、概念をあらわす最小限の骨格が溶けていってしまっているということが言えるわけです。草書では誰でもそうであって、同一性と考えられる自然に対して、意味をあらわす形象を溶かしていってしまうことですから、良寛の場合の溶かし方の特徴というものは、概念が最小限に自分のなかに保たれていればそれでいいというくらい、溶かしきってしまうということだと思います。
 溶かしきったものを、字は字ではないかという字らしさをどこでとどめているかということを見てみますと、それは文字形象ではなく一種の絵画形象が概念をあらわす骨格でさえあれば、そこまでは文字形象は溶かし込んでいいんだということが良寛の書の特徴であるように思います。
 それは良寛の書についてどなたが書かれた書でも言ってあります。たとえば、ここに、雨という字がこれだけになってしまっています。本来的に言えばこうあるべきなんで、良寛の場合にはこういうところまで文字形象としては溶かされてしまっています。そうするとこれだけ単独で取り出して雨と読めと言ったらそれは読めないだろうと思います。
 雨という字の漢字形象の起源を考えていった場合、雨という字はどう考えたって、雨という字がこうなった起源はせいぜい考えてこんなところであって、こういう省略というのはどんなに直感的にいったとしても漢字の形象文字の起源というところにはいかないわけです。つまり漢字の形象文字は何かと言ったら、起源には自然物の形象化がはじめにあって、それが段々抽象化、規範化されて、雨という漢字形象ができているわけです。ですからさかのぼっていってしまえば、雨がポツポツ振っているということが元にあるわけです。ここから出てきているから、起源にさかのぼればこういうかたちになっている。
 これを雨と読ませる、書くということはどこから出てくるかと言ったら、雨という文字形象をもう一度自然のなかに溶かし込んでいるのであって、しかも自然の同一性に溶かし込んでいるのであって、良寛のなかでは雨という文字概念は頭のなかにあって、それが出てきた場合にこういうかたちに出てきている場合です。
 このかたちは起源に近づくということではなく、雨が降っていたということが漢字の起源としてあるからこれでいいじゃないかというふうにしているのではなく、この雨という文字形象を濃淡とか単純な線とか点に溶かし込んでしまったらどうなるかという意味あいで、雨という字がこういうかたちで出てきているわけだと思います。ですからこのかたちは決して起源には近くないのです。起源からすればますます遠ざかっているかたちになります。ふつうの漢字の文字形象よりもっと起源からは遠い。
 しかしなぜ起源から遠いような文字形象がこの草書のなかで許されているかと言えば、あまりの点というものがバックグラウンドであり同一性として考えられる自然のなかに溶かし込まれてしまっているから、これが雨と読まれることが許されるんです。つまり良寛のなかで、自然に対する差異の意識が、この雨をこれだけにしてしまうという差異として残されていると言うことができると思います。それが、雨という字がこのように残されている大きな理由だと思います。
 これは、自ずから自分の自だと思います。

22 書の論じ方

 この、これは、自という、自ずからという、自分の自だと思います。自分の自ですけれど、ここで書かれている……鳥のかたちにしかなっていないですけれど、自分の自であるわけです。そうするとこれを単独でなんと読むかと言ったら、これを自と読むことは難しいので、自と読んだっていいでしょうけれど、百とも読めるし白とも読めます。これ単独でとりだしてこれを自と読めと言ったら、そういうふうには読めないよというところまで、良寛は草書化を押し進めています。押し進めているということは何かと言ったら、それはこうまでこれを押し進めていってしまう残りはバックグラウンドである自然性のなかに溶かし込んでしまう。このかたちは何か自分の自という字が、濃淡とか線とか点で省略して書いちゃうとすれば、これでいいじゃないか。これを書いているときには良寛のなかにはこういう字があって書いているんだけれども、書かれてある字はこういうふうになっているわけです。
 そうしたら、この残りの部分は自然のなかに溶かし込まれちゃっている。良寛が心のなかで自然性の世界だと考えている深さ、厚みのなかに溶かし込まれちゃっていると理解することができます。
 もうひとつここにありますからあげてみますと、乞食の乞だと思います。乞という字はすでに良寛のなかでこういうふうふたつの線になっちゃっているわけです。これも同じで、これを乞と読めと言ったって誰にも読めないでしょう。しかし前後の続きというものと、このなかで何がどれだけ溶かし込まれて、どれだけ残っているのかということには、良寛には原則があって、このかたちが濃淡または線分、または点というもので省略できるならば可能なかぎり省略しちゃっても、自分の中に乞というものがあるならば、これは乞と読めるということが良寛のなかに最小限度あると思います。そこまで草書の崩し方を良寛はやっちゃっていると思います。
 これはたとえば町という字も、どういう字かもともとぼくはわかりませんけれど、誰がみてもわからないと思います。そこまでやっちゃっています。そうすると良寛のなかで同一として考えられる自然性という世界、それに対してどれだけ文字形象でもって差異感、違和感を打ち込めるかということが、良寛の詩のなかで非常に大きな意味を持つということが言えると思います。
 一般的に書というものの世界というものは、だいたいそういうところで見ていくと言葉になるんじゃないかと思います。わかっていて言葉に出来ないというのではなく、わからなくても言葉にできるというほうがよろしいのです。性格じゃないけど言葉にできる。どんどんそれは正確に正確に言葉にできるとして、どんどん微細に微妙に言葉にできると考えていきますと、書というものがもつ重要な意味あいが伝わってくるし、またそれを解明していくことができるのではないかと思われます。ですからほんとうに書というものがわかる人、あるいは自分でやっておられる人が、良寛の書について何か論じてくださると非常にすごい問題が出てくるように思います。
 ぼくらがいままで見てきたものですと、だいたい結果のことしか論じていないんです。書の論じ方はどうしてもそうなっちゃうので、そのことはどうしても避けなくちゃいけないので、過程の問題と言いますか、プロセスの問題として書を見ていったとき、いつでもそこに言葉を埋めることができるし、いつでも良寛の本質的な心境性、内面性の流れのなかにいつでも入っていける、大きな意味あいをもって浮かび上がってくるんじゃないかと思われます。
 だいたい先ほど申し上げました通り、ぼくにとってわかりにくい良寛について触れてきたわけですけれど、わかりにくい良寛というものについて、少しでも手がかりがあれば……いちおうこれで終わらせていただきます。
(拍手)

23 司会

24 質疑応答1
(質問者)
 禅ということを≪音声聞き取れず≫個々の詩のなかの≪音声聞き取れず≫良寛さんは坊さんの修行もしたと考えまして、曹洞宗でいらっしゃいますから、良寛さまの目標は道元禅師であったと思います。道元禅師が一生かかってお書きになりました『正法源蔵』の章に「生死の巻」というのがあります。
 そのなかにはこうございます。「身も心もはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、なんのちからをもいれず、こころをもつひやさすし、生死をはなれ、仏となる。」とおっしゃっております。この身も心もはなちわすれて、仏の家に投げ入れて、そうすると仏のほうから行われて、これに従いもてゆく時、なんの力もいらず、心も労せずして生死を離れ、仏になるとおっしゃっておりますが、この仏から守られた力でこれに従っていくというのが、良寛さまの詩のどのなかにも、自然を自然のままとしてご覧になっている良寛さまの本質が流れているように思われてなりません。自然を自然のままとして、仏のかたよりおこなわれた自然のままとして、良寛さまは受け取っておられるのではないかと思われてなりませんがいかがなものでしょうか。

(吉本さん)
 そのとおりなのかもしれませんけど、ぼくらには至りつくせない場所だから、ほんとに実感的な意味ではなかなか僕にはわからないことのように思います。同じことは、たとえば、道元と同じ時代にいた、これは浄土門ですけど、親鸞がやっぱり、至心に信心して、そして、念仏をすると向こうのほうから接収されるので、こちらから計らってどうということはないので、ということは親鸞なんかも眼目にしているように思うんですけど。そこがぼくらには一番むずかしい、つまり、向こうからというのが一番むずかしいことで、おっしゃるとおりなのかもしれませんけど、ぼくにはよくそこはわからないところだと思います。実感できないところだと思います。

(質問者)
 この詩のどれを見ましても、自然を自然のままとして良寛さまは受け取っておられますか。その自然のままとして受け取っておられるのが、仏の故意とじぶんのあれとして、むしろ自然を自然のままとして受け取っておられる。親鸞にしましても自然法爾という言葉を申しておりますが、そこいらがこの詩をおつくりになる根本の中に、良寛さまはそれ自体が仏の道に入っておる詩の表し方が、自然に従って、仏に従って、仏のかたよりおこなわれた自然のままそのままな見ているように思われてならないのでございます。
 だから、詩の裏に一本、仏性といいますか、仏から賜った力というものが良寛さまのどの詩にも一本ながれておると私は思われてならないのでございます。

(吉本さん)
 そうなのでしょうと思いますけど。そこが一番むずかしいところでわからないところです。これは道元の場合でも親鸞の場合でも一番そこがむずかしいところのように思います。だから、ぼくはあまり実感的にそれがそのとおりなんでしょうというふうに、ほんとうは実感を離れてあまり言葉が出てこないですけどね。

≪テープ切れ≫

(吉本さん)
 自然というふうに解されても、それはちっとも構わないと思いますけど。それらをすべて包括していると考えてくださっていっこう構わないです。だから、あまり定義が問題にはならないような気がします。

(司会)
 人間の中にある自然という話もしていましたけど。

(吉本さん)
 人間の中にある自然といいますと、厳密にいうと身体性というのですね。身体性を自然に含めてもいっこう構わないです。

25 質疑応答2

(質問者)
 道元と親鸞の思想、○○とおっしゃったことがあると思いますが、あれでいきますと、良寛は○○ならなかった人だと≪音声聞き取れず≫。

(吉本さん)
 「僧としての良寛」というこの前のお話のときに、そういう考え方というのは僕も申し上げたんですけど。道元は修行して修行して、つまり、ひたすら座って、24時間すわって、極端にいいますと食べることもいらないし、飲むことも眠ることもいらない、とにかくひたすら座って、その姿から状態が実現できたとき、それは釈迦が実現した仏というのといちばん近い状態なんだからひたすら座ればいいんだというところで、ひたすら縦に超えよう超えようというふうに道元はおっしゃるとおり考えたと思うんです。
 親鸞は逆であらゆる修行というのは全部ダメで、修行をしようと思ったらダメだというふうに、だから、横に超えるより仕方がない。つまり、横に超える以外にないんだという考え方で、つまり、じぶんが修行して仏になろうとか、仏に至りつこうとか考えるのはまったく無意味だと考えて、横に超えるより仕方がないと、道元と比べればまったく180度違うように考えていたと思いますけど。
 良寛はおっしゃるとおり、道元、つまり、曹洞宗の僧侶でありますし、また、僧侶として印可を受けているわけですから、一通りの意味でいえば、曹洞禅的な宗教性を持っていたというふうには言えるんじゃないかと思いますけど。
 ただ、しいてそういう言い方をして、仏教的な言葉の範囲の中に良寛の生き方、それから表現というもの、詩の作品とかそういうようなものを全部しいて入れ込んでしまうとすれば、道元の『正法源蔵』なら『正法源蔵』の言葉の中の言い方のなかでいちばん近いのは、いわゆる「阿羅漢」という生き方であって、つまり、縦に超えて自分を仏にしようという修練から一歩退いて、自然の中に退こうという、それが少なくとも曹洞禅の、つまり道元の思想からいっても第2の策としてはそれがいいんだという考え方があると思うんですけど。
 しいて位置付ければ、良寛というのは一歩、じぶんを仏にする修行をしようというふうにもっていくよりも、道元なんかが好まなかった詩歌をつくり、自然の中に退いて、そこのところでならばどこかに超えられるということを考えたんだろうなと思うんです。
 だから、しいて仏教の言葉の中に入れていけばそうでありましょうし、また、中国的な、つまり南シナ、つまり南中国から出てきた中国的な思想、仏教とはやや違う思想のところまでもっていってしまえば、老子とか、荘子とか、そういう人にいちばん近かったという言い方もまたできそうな気がするんですけどね。
 だから、ぼくはあまりそういうところで、良寛の思想というのはこうだったから、あるいは、良寛の宗教が最後まで曹洞宗の印可を受けた僧侶としてのあれを全うしたかどうかというところに微細に分け入ってどうという気は少しもないので、また、そこから退いたかどうかというところも、あまり、実証して決めていくみたいな考え方はあまり僕の中にはないんです。
 大きな意味で東洋的な宗教とか、東洋的な思想の大きな特徴である自然性といいましょうか、これは人倫の人間的な意味での自然性であるし、また、天然自然という意味でも自然性でありますし、また、制度といいましょうか、政治とか、権力とか、そういうような意味あいでも自然性というのが、どうしても第一義的に残ってくる東洋的な自然性のなかで良寛がどういう意味をもつかという、そういうところから考えていきたいみたいなことがありますから、あまり僕には固執するあれがないんですけどね。良寛が宗教を持続したか、それは一般的に宗教性といえるものに過ぎなかったのか、あるいは、善悪みたいなのがあったのか、また、道元がいう阿羅漢生活といいましょうか、草案曹洞で自然とあい交わって悠々生きるという生き方は非常に仏に近い生き方なのだという、そういう生き方を守ったとしてみるべきなのかということの違いをそれほど深刻には僕は受け止めない。
 一般的にオリエントとか、東洋とか、アジアとか、そういうところにおける全般的な原理になっている自然性の枠組みのなかで、良寛がどうやって自分の独特な仕方をしたかということ、それから、もっと微細に入っていきますと、今度は文学・詩人としての良寛みたいな、どういう意識状態をもっていて、それをどういうふうに表現したか、そういうところから近づいていきたいみたいな気持ちが僕は多いんです。だから、おっしゃることはよくわかるように思いますけど。こうじゃないかというのは僕にはあまりないんです。

26 質疑応答3

(質問者)
 <聞き取れず>宗教性というものを分けて考えざるをえないだろうというような、そういうふうに理解してよろしいでしょうか。離れますと漢詩の理解はできないと私は思っています。良寛はどういう人間になろうというのは、良寛の詩や歌から機能的に論を結ぼうという考え方は自然だと思うんです。ところが、それぞれの分野から専門的になりますと、まるっきり違ったものに見えてくることがあるわけです。たとえば、詩にしましても、初期の詩と中頃と終わりの詩ではかなり良寛自身が変わっているだろう思うんです。ですから、晩年の作品を初期の良寛の考え方で理解はできないと思います。たとえば、高野山に行く前に自然におぼれて身を誤るというような詩がございます。そう考えてみると、自然そのものの中に同化するという詩が非常に多ございます。そうなると良寛の自然観というものは、長い人生を通じた中でかなり変質してきたんじゃなかろうかというのが、私がいきついた考え方なんです。自然観に関していいますと、良寛も<聞き取れず>、ですから、古代仏教にはほとんど自然観というのはなかったんでしょ。自然に対する考え方のはっきりしたものはなかったと私は思っているんです。そうじゃないでしょうか。

(吉本さん)
 そうではないんじゃないでしょうか。ぼくは仏教というのは一般的に自然宗教だという、自然ということを抜きにして成り立っていない宗教だというふうに、大雑把にそう思っています。

(質問者)
 それは原始仏教そのものが自然崇拝であると、それはわかるんです。言葉として説得力をもった考え方を示したのは、○○じゃないかなと私自身がするものですから、そういうひとつの論理をもっているのは、どこでどういうふうに良寛が変わったかというのが、詩を理解する場合に、ずいぶん違ってくるんじゃないかなということがございます。
 それともうひとつ、たとえば、かめだこうさいというのがいますね。<聞き取れず>自然に対しての○○な見方をしているんじゃなかろうか。疑問に思っております。良寛のもっている自然に対する成就の仕方というものは、<聞き取れず>していたと思うんです。<聞き取れず>。その上にさらに良寛というものがあるだろうと私は考えたんです。良寛の自然観に非常に興味をもっておりますので、なにかの機会にまとまったお考えをお示しいただければなあと。

(吉本さん)
 それは初めからぼくの任じゃないような気がするんですね。それはみなさんのほうでやってくだされば大変いいことなので、ぼくが接近できるひとつの方向があって、そこから接近していくよりしょうがないような気がしてるんです。だから、今日、ぼくがおしゃべりしたことが良寛のなかで一番わかりにくいところで、ぼくの力量ではどうしようもなく精一杯という感じがしているんです。だから、これ以上は、みなさんにしていただくよりしかたがない。

(質問者)
 隠遁者という<聞き取れず>良寛さまは非常に社交性をもっていると私は思っているんです。いろんな人と交わるという<聞き取れず>自然の中に同化するのが隠遁なのか、宗教から逃げることが隠遁するのか、そのあたりお考えをお示しいただければなと。

(吉本さん)
 自然の中に同化することと、それから、村里というものに対して、自分がどういう位置をとるかということが隠遁ということのいちばん大切な要のように思いますけどね。だから、村落に対するかかわり方というのをどうするかということは非常に大切なことがひとつ、隠遁ということも大切なことのように思います。そういうことと自然に対してどういうふうに関わるかということ、両方が隠遁という言葉を支えている2つの柱みたいなものになっているんですけどね。だから、良寛の隠遁というのを見ていく場合に、両方を見ていくと、いいんじゃないかなと、ぼくはそういうふうな考え方です。

(質問者)
<聞き取れず>

(吉本さん)
 さてそれはどうでしょうか、そういうことがあるのかもしれませんけど。ぼくなんかが良寛についてつっ込みを入れているのは、はるかもっと以前の段階のような気がします。そういう問題についてこうだというところまで僕は到底いっていないので、もっとずっと以前のことをしているような気がしています。

27 質疑応答4

(質問者)
 たいへんおもしろいお話をお伺いさせていただいたんですけど。最初の自然性の向上という最初のとっかかりがなかなかうまく理解できなくて、途中からおもしろくなってきたんですけど。自然、生活、倫理、宗教というのが、最初、自然というのが根底にあって、これが共時的に常に良寛の中で同じ部分をずっと占めていたものなんでしょうか。それとも生涯わたっていくうちに、この部分がだんだん大きくなっていくとか、先生の最後の親鸞のような、良寛はどこらへんが重要だったんでしょうか。

(吉本さん)
 ぼくがここでいう概念は、全然そういう理解は含んでないと思います。だから、良寛の伝記的な事実とか、良寛の詩の作品の初期と後期がどう違っていたかということも、あまりそういう概念をそのなかに含んでいないと思います。
 ただ、いずれにせよ、重なっていて共時的なものであって、だから、どこか境界線を引けばこれはこっちというふうに厳密に分けられるように作品の構造をあったというふうにはちっとも思っていないです。だけれどもしいて図式的にいえば、そういう重なり合いになるんだろうなということに過ぎないことなんです。
 基本にあるのはいずれにせよ、自然のなかの自然性というのが基本であって、それがどうなっているかということがいちばん基本なような気がします。つまり、自然に対して自分がどういう対立の仕方、差異のつけ方をしていたかということと、それから、もうひとつは良寛のほうは差異をつけようと少しもしようとしていないのにもかかわらず、良寛の取り出す自然が全自然とどういうふうに差異ができちゃっているか、それがいちばん基本なような気がします。
 だから、それがどうしても基本で、全体の枠組みがどうして良寛の場合、自然性かということは、これは詩人としての良寛とか、僧侶としての良寛、あるいは、思想としての良寛というのを、どういうのをとってきても、だいたい自然性という大きな枠組みというものを眼に見えない枠組みですけど、それを考えるのがいちばん良寛についてわかりやすいんじゃないか、つまり、つかまえやすいんだろうなというふうに思う、そういう意味あいで自然ということの枠になりますけどね。
 ぼくらはわりあいに、マルクスとかヘーゲルとか、そういう人たちの考え方の影響が強いものですから、そういう語彙としてはごくふつうなんですけど。こういう自然性とか、差異とか、同一性とか、そういうのはヘーゲル・マルクスの語彙なんですけどね。それは非常に大きな枠組みの意味での東洋の自然性といいますか、東洋の原理自体が自然性だということについての、たいへん抽象的でありますけど、たいへん有効な研究をされていますけど、非常に大きな枠組みで自然性という枠組みの中に入ってきちゃうんじゃないでしょうか。
 だから、良寛の作品の歴史的な流れとか、そういうようなのは、個々に実証的にやっていかないといけないような気がしますけど。

(司会)
 ヨーロッパ的な語彙という意味で自然性とかいう言葉を使ってらっしゃるんですか。

(吉本さん)
 ヨーロッパ的な語彙というよりも、東洋とか、西洋とか、第三世界とか、いろいろ言われている地域というのがありますね。地域の概念があります。そういうものは、とにかくヨーロッパも地域ですよね、ニーチェみたいな言い方をすれば、ヨーロッパもアジアのどこかから突き出た半島にしか過ぎないんだという言い方をしているけど、そういう意味合いではローカルな地域なので、そういう意味合いでは、ローカル性ではない世界性というもののなかに、東洋も、もちろん日本もそうですけど、そういうようなものを置き直したいという概念なんですけどね。

28 質疑応答5

(質問者)
 今回のお話のなかで感じたのは、一人の作家を批評するという感じを非常に受けたわけです。かなり微細に書から入っていかれたということで、なにかのお話の中で、たしかに良寛の時代というのは偉大な歌もできないし、偉大な思想もできない、そこからつながっていますから、現在もあまり偉大なことはできないのですが、そういうことで我々は軸としてこれを考えていっていいのか。現代の作家とか、思想家、哲学者に関しても、良寛に立てられた軸、すっきり方法として成り立ちうるのか否か、そのへんを聞かせていただきたい。

(吉本さん)
 前提から申し上げますと、良寛のいちばんわかりにくい、一種の宗教性みたいな、境地みたいなのがある良寛の詩というのがいちばんわかりにくいというふうに思ってきたわけですけど。どこからそれをとっかかっていくかということを考えていった場合に、これはどこからどういうふうに境地を一般的に語っている、あるいは表現している詩、あるいは、自然に対する境地を語っている詩というのをどこから入っていくか考えていった場合に、どこをとっかかるかといった場合に、それをどれだけ微細なニュアンスということを含みながら、あるいは、微細な違いというのを含みながら解釈して突っ込んでいけるかということが、どうしても眼目になるように思って、どうしてもそこが今日の主眼点になってしまったんですけどね。これは現在の作家とか、近代の作家みたいなものを論ずるときには、ぼくらがしばしばやっているやり方でやっているわけです。
 大雑把にいうとどういうことかというと、批評、あるいは、作家論、詩人論でもいいですけど、論ずる場合に結局、その作品なら作品の非常に大きな特徴をもっと感覚的な言い方をすると、あるひとつの作品でいえば、その作品のなかでいちばん頂点のところ、あるいは、いちばん目立つところをまずつかまえて、そこを解いていくことで、解明していくところで、作家論、作品論をつくるとか、作家論の場合でも、初期があって中期があって後期があった場合に、どこかに頂点があって、頂点のところにいちばん特徴が現れてというふうに考えて、そこに現れてくる問題を作家論の眼目にするとか、あるいは、初期がいうなれば起源ですから、起源のなかには後年展開される要素が全部集中されて、点になってそこにあるから、そこを見ればあらゆる面がそのなかに含まれているという見方で、起源のところで論ずるとか、結局どこかに集約されたところで、作品とか作家を見るみたいなことを一般的にしちゃうわけですけど。
 ぼくがわりあいにここ数年の間で気がついたところ、じぶんの批評というところでダメだなというふうに気がついたところは、どうもそういうところで、あるひとりの作家の作品でも、あるいは、ひとつの作品でも、何気なくスッススッス読むと、スッスッはいってきちゃって、ちっとも感銘を与えないし、印象深いところじゃなくて、そうじゃなくて、スッススッスはいってしまうところがあるでしょ。
 たとえば、(テープ切れ)…あると、そんなところは7時半だろうが、8時半だろうが、あまりおかまいなくスッススッスはいっていっちゃって作品を読んでいくでしょ、作品の中にある頂点みたいな、そういうところがひっかかってくるわけです。これはまた感銘を受けるわけです。そこのところで作品をつかまえると、いちばんつかまえやすいことがあるでしょ。だから、誰でもそうしちゃうわけですけど。ぼくらもそうしちゃってきているわけですけど。
 ここ数年来、そうじゃないことが気になってきたわけです。スッス入っちゃってあまり感銘を与えるわけでもないし、印象深いわけでもない。それからまた、そこがひっかかって気になって仕方がないという箇所でもなくて、スーッとはいっちゃう箇所があるでしょ。そこのところが重要なんじゃないかという、そこのところを言葉にできるかどうかということは、批評にとって非常に重要なんじゃないかということを、数年来、考えてきまして、だから、良寛でも、わかりやすい、つまり、特徴的なところはたぶん一等最初にやっちゃっているような気がするんです。非常に良寛の特徴が現れているというのは、やっちゃっているんです、結局は。いちばんわかりにくいんです。虫が鳴いてどうしたとか、雨の滴りがどうかとか、いちばんようするにわかりにくいですから、わかりにくいという問題をどれだけ微細に言葉にできるかということは、結局、良寛の作品論としても、良寛論としても、結局いちばん重要なんじゃないかというあれがあるわけです。そういうのを言葉にできないかということが、批評の問題としてものすごく気になって、よく微細に見てくださると、ぼくのここ何年かの批評というのはそこのところを相当気を付けています。逆に言うと、物言いがそうとう誰でもわかるような、ズバッていうようなのが、だんだんなくなっているように思います。そういうことじゃなくて、サーッと入って、サーッと出ていっちゃう、あるいは、作品として少しも山場でもないし、特徴が凝縮しているところでもない。また、優れた描写の箇所でもない。そういうところでスーッと入って出ていっちゃう、それがほんとうは重要なんじゃないか。それがつかまえられないと、批評の本来的な、本質的な問題というのはダメなんじゃないかと思いだしてきたんです。
 だから、そこのところの問題だと思うんです。批評の問題にひっかけて、今日の問題でもひっかけていうとすれば、そこの問題のような気がします。数年来、ものすごく気になってきたんです。それができてない、山場ばかり、高揚しているところばかり、興奮しているところばかり、作品の中でも強調しているところとか、うまく盛り上がって感銘度が深いところばっかり、そこがつかまりやすいから、そこでもって特徴を論じてOKという感じできてたけれど、そうじゃないんじゃないか、それじゃダメなんじゃないか、それでもいいですけど、それじゃダメなんじゃないか、ほんとうの批評の問題というのはダメなんじゃないかと思いだしてきたんです。
 そうすると、何が問題になるかというと、スッスはいってきちゃって、もう一回、読み直さないとうまくつかめないという、スーッと読み飛ばすととスーッと入ってきちゃう、そういうところをおやっとあらためて読みかえすと、これは問題があるぜということになってきて、そこのところが言葉にできなければ、批評の問題としてはダメじゃないかなということを、ぼくは考えだしてきて、ぼくは自分ではそれを考えだして、うまくはなかなかできないんですけど、やり始めてからは、おれの批評はちょっとよくなったんじゃないかなと思っているんですけど。ただ、よくなったと言わない人もいるわけで、ぼくは、そう思っているんですけど。うまくいっていることはあまりないんですけど。それがあれしてきてから、ちょっとぼくは、自分は自分の批評というのは少し進んだと思っているんですけど。
 だから、前2回目のところだったら今日みたいなことは到底いえなかったんです。杖をついて外に出たら虫が鳴いていたという、なんだこの意味はとか、何が境地なのかとか、ひとつの詩の作品で何を言いたいんだとか、生き様として、生き方として何なんだとかいうことがまるでわからないよという、あるいは、わかるとしても、一般的に言われている、これは研ぎ澄ました心境であるとか、そんなこと誰だっていえることなので、そんなのなら何も言わないのと同じことだから、なんだろう一体これはという、どこからとっかかったらそれについて何かとっかかりができるのだろうかということは、ぼくが前2回を断続的ではありますけど、いろいろ考えてきて、現在の作家を論じている論じ方のなかから出てきた問題とか、それを敷衍してみたりとか、自分の中では結構やってきたんです。だから、ほんの少しだけ、外に出たら落ち葉が落ちていたとか、これはどういうことなんだというのは少しだけ言葉にできるようになったような気がしているんです。やっぱりこれじゃダメだということがよくわかっているんです。もっとやれるはずなんです。
 それから、坐禅とか、密教の修行とか、みんなそうですけど、そういうのは一種の体術の面があるでしょ、身体を自然とすると、身体の自然からいかにして意識を離してみたり、意識をそこから分離したような格好で膨らませてみたりとか、そういうことがいかにできるかということが一種の修練でしょ。あるいは、意識の状態をいかに低下させるか、身体の自然性よりも意識の内面性をもっと低下させて、もっと植物に近い状態にもっていくにはどうやったらそれができるかみたいな、そういう一種の体術の面があるでしょ。仏教の修練のなかには、その面は必ずあるはずなんです、それは良寛の曹洞宗の坐禅とか、そういうのがあるわけなんです。それを微細にやれないとダメだと思うんです。やれるはずなんです。
 ところが、つくられたものから、言葉の表現から、それも微細に分析していくというやり方はなかなか難しんです。なかなかできないんです。だけど、これだけの人ですから必ずできるはずなんです。ここのとっかかりからここのとっかかりへ、次はここにいってと微妙に組み立てていければ、必ずそれができるはずなんです。それをやると、詩の中に流れている内面性、自然の内面性というのは、もうちょっと微妙な言葉でそれができるはずなんです。良寛を論じられるはずなんです。それは究極なんだけど、なかなかそれができないんです。ぜんぶ外側です。つまり、結果です。結果になっちゃうんです。だから、それをいかようにして避けるというやり方をどこかでやっていかないと、微妙なところというのは、良寛の作家論となりうるところ、あるいは、詩人論となりうるところというのは、なかなか本格的にはできないんじゃないでしょうか。その問題を少し今日いってみたかったんですけど、そういう問題に帰着するような気がするんです。

29 質疑応答6

(質問者)
 良寛の問題を語っていただいたのですが、西行が中断してますね、私たちそのようなことから良寛のことでお願いをしたのですが、だいぶ横道に入られたみたいなのですが、西行についてはどんなあれでしょうか。

(吉本さん)
 いろんなことを試みるわけです。つまり、一種の方法づくり、雰囲気づくりというのをやるわけです。方法づくりというのは、なかなか思いどおりにいかないのですけど。雰囲気づくりというのはいろいろやるわけです。去年、一昨年あたりは『源氏物語』をやって、雰囲気をそういうふうにもっていこうというふうにしてみたり、今度は逆に柳田国男みたいに言葉をもっと現実のほうにリアルにもっていったらどういうことになるかという、それは地域地域によって、たとえば、良寛なんかは雪に閉じ込められたというのがよく出てきますけど、そんなのはほんとに地域地域であれしないと、ほんとによく理解できないんじゃないかという問題みたいなのは柳田国男のなかに大きく含まれているわけです。
 そういう問題で考えて、雰囲気は盛んにつくるんですけども、なかなかうまくとっつけないでいるわけです。方法論というのはとっつくつもりです。それは西行論としてではないんですけど、とっつくつもりなんです。雰囲気がなかなかつくれないといいますか。

30 質疑応答7

(質問者)
 前回の講演との関連でお聞きしたいのですけど、前回、良寛の最後に難解さがあるということで、良寛の詩の中には僧としての良寛を離れた良寛というご指摘があったと思うんですけど。ようするに、村落共同体内部につくられて生きている良寛というのがあるのだけれどという指摘があったのですが、それはどういうことで今回、位置づけて理解すればいいのか伺いたいのですが。

(吉本さん)
 お坊さんというのは、良寛も托鉢して食を乞うにはどういう心構えがあれなのか、文章の中で良寛もそのことを非常に強調しているわけですけど。僧侶というのはインドから始まって中国へきて、日本へ渡って、何千年も伝統があるわけですけど。そのなかで、僧侶というのは、いわゆる村里といいましょうか、村落共同体といいましょうか、農業の共同体というものに対して、どういう位置をもって関わったらいいのかということについては、非常に厳密なあれがあると思うんです。良寛の中にもどういう厳密なかかわり方の面が明らかにあると思うんです。そこは厳密に守っているところがあるんです。
 ところが、そうじゃなくて、良寛の中には僧侶としての自分からもう少し退いて、自然の中に退いちゃっているという面もあると思うんです。自然の中に退いちゃっている面が逆に村落の内部との交渉になると、おじいさんと会ったら酒を飲まないか、来いよと言ったら一緒に飲むというような、そういうことというのは僧侶としての良寛の位置から自然の中に退いているといいますか、退いたところから逆にきていると思います。
 僧侶というのはもう少しきちっと決まった場所だと思います。じぶんの命を養うだけ、つまり、薬と同じだけの食べ物を村落から喜捨をうけるということ、それが必須条件なわけです。それは良寛も必須条件として守っている。それをやめちゃうと、人々との関わり、つまり、衆行とのかかわり合いが保てないわけで、なくなってしまうわけです。それは、仏教大乗経が避けてきた問題で、究極的に確立したのはやっぱり避けないということなんです。かかわりをもつということ、食べ物を乞うという形でだけでもつという、そういう厳しいかたちなんです。
 それは良寛も批判していますけど、木食みたいな、荒行みたいなことを村の中、町の中に入って、そんなことをやってみせるやつは外道だと言っているわけです。厳しい修行をしているというような顔をしているやつは外道だと、仏教じゃないといっているわけです。というくらい仏教というのはそうとう厳しく、村落共同体、農業の共同体と、村里とどうかかわるかという厳しい位置があるわけです。
 良寛も守っている位置、場所がありますけど、同時に良寛の中には守っていない場所があるんです。それは、もっと自然の中に退いちゃって、そうすると村里とは緊張した関係をもたないという、そういうところを退いた面があるわけです。歌や詩のなかには、それがずいぶんある。
 それが逆に今度は村の中に入ってくると、子供と遊んだり、農家の人と会って一杯飲まないかと飲んじゃったりというふうに逆にあらわれます。それは良寛が自然の中に僧侶としてよりも、自然の中にもうひとつ退いた位置の場所というのを良寛が同時にもっていたということを僕は意味していると思っています。それだから、逆に村里とはのんきになっちゃうところがあると思います。
 ところが、のんきじゃない面もあります、良寛も。食を乞うとか、喜捨を受けるとか、なんかあったら我慢してお腹を空かして家にいるとかいうことに対して、かなり厳しいあれを守っていますけど。ただ、非常にのんきな面もあります。とうてい僧侶だったら、ことに曹洞禅の僧侶だったらそうはいかないよというくらいのんきなところもあります。
 だから、その両面があるんじゃないでしょうか、良寛のなかには。ただ、わずかに宗教性みたいなところだったら今日の話でも僧侶としての良寛というのはかかわるかもしれないですけど。ずいぶん関わらない面もありますね、僧侶以外の自然生活者みたいなところで、村の人たちと交わっているところがありますし、それは交わっているから、かえってほんとは村から退いているという面にあたるところがあると思います。その2つの面じゃないでしょうか。2つの面が詩の中に、ことに漢詩といいましょうか、中国の詩でしょうね、これに良寛が固執した意味というのはそこらへんが濃いのではないでしょうか。

(質問者)
 道元も親鸞も、知識の極みをもっている者だと思いますが、そうしますと、良寛の宗教性というのはひとつの極みのなかにあるとしても、かなり多面的なものだと。

(吉本さん)
 そうですね、多面的であるし、宗教者ではない面がかえって立派なんじゃないでしょうか。もちろん宗教者としてもあるけど、そうじゃない面が良寛は立派なんじゃないでしょうか。これは親鸞にも道元にもない面だと思うんです。道元というのは『正法源蔵』の中で、詩とか歌とかこういうやつはダメだと決めつけていますよね、そういうのはダメなんだと、親鸞もおおよそ縁がないです。詩歌とかそういうのはおおよそ縁がないです。詩には全然なっていないです、思想的要約ですから、縁がない人ですね。
 良寛はむしろ宗教者としての面よりもそういう面で、書家とか詩歌の人として、詩人として非常に大きな存在じゃないでしょうか。どのくらいに位置づけられるか知らないですけど、日本の代々のあれのなかでたいへんな位置をくっているんじゃないかなと僕は思いますけどね。代々の空海とか、そういう人たちも書家と言われているけど、そういうようなところで相当大きな位置をもっているんじゃないかと思うんですけど。ぼくにはよくわからないんですけど。

(質問者)
 若手の人に聞きますと、したたかな奴だといいます。

(吉本さん)
 単調な人じゃないです。執拗な人です。詩でもそう思います。自然に対する執拗で微妙なかかわり方というのは、これはやっぱり度外れていると思います。度外れた人だと思います。それが非常に微妙だから決してあくが強いというふうに見えないのだけど、そうとう微妙に執拗に自然に対してこだわっていく人のように思います。

テキスト化協力:ぱんつさま(チャプター24~30)