吉本です。今日、ぼくが与えられたのは、「漱石・鷗外から見た東京」というテーマです。すこしぐらい因縁がないこともないです。ぼくは、鷗外は近くに住んで、いまも近くだといえばいえるところに住んで、だから、場所柄はたいへん因縁が深いのですけど。どこから始めようかとおもったのですけど、結局、ぼくが考えてみますと、鷗外と漱石の東京に対する見方というのを、どこで決めているかというと、二人とも留学したことで、なんとなく決まってしまったという気がいたします。
ちょうどいま20世紀の終わりに近づいて、21世紀間近という、そういう声があるわけですけど、ちょうど鷗外が留学したのは明治17,8年頃ですから、19世紀末です。世紀末です。それで、漱石が留学したのは、明治33年、つまり、15,6年遅れてだとおもいますから、これは文字どおり、19世紀のどん詰まりから、20世紀初頭ですから、一等初めの頃、留学しているわけです。鷗外はベルリンに留学しているわけです。それから、漱石はロンドンに留学しているわけです。
このときの留学の仕方というのは、公正にいいますと、30分、15分ずつにならないといけないから、うまくいくかどうかわからないですけど、鷗外のベルリン留学の体験というのは、すこし読み直しをしなきゃいけないのですけど、『舞姫』という鷗外の処女作といわれている作品の中に、太田豊太郎という主人公に象徴されて表現されています。長々というわけにいかないので、要約して申し上げますと、そのときに、ベルリンという都市は、パリとかに匹敵するヨーロッパの大都市のひとつなわけです。そのところに、まだ封建の影が色濃く残っている日本から留学していったわけですけど、鷗外はベルリンという都市の一種の自由さというものに魅かれて、自我の目覚めといいましょうか、一種の目覚め方をするわけです。
それは『舞姫』を読みますと、象徴されていますけど、どういう自我の目覚め方をしたかというと、もともと衛生学、いまでいうと衛生保健学だとおもうのですけど、そういうものを学んでこいという官命によって留学しているわけですけど。ヨーロッパのベルリンの雰囲気に触れて、一種のある解放感があって、ようするに、なんとなく衛生学みたいなものをやるということで、じぶんが満たされなくなっていくわけです。
鷗外はそこでもって、非常に該博な文学に対する知識なんですけど、そういう一種の自我の目覚め方、ベルリンという都市に触れて、ヨーロッパの大都市に触れて、目覚め方のひとつの形として、文学とか、歴史とか、そういうものに惹かれていくわけです。もちろん、内向的になっていきますから、なんとなく官僚としてといいますか、官命によって、留学務めを全うして官途に帰ったらついてという、偉くなってという、そういう疑いをもたないでやってきた自分の生き方というのが、ちょっと違うんじゃないかとおもいだしたわけです。それで、文学とか、演劇とか、同時に、鷗外は盛んに一生懸命になって、そういう専門の、あるいは官命の留学のほかに、そういうことに一生懸命になって深めていくわけです。深めていくだけじゃなくて、精神的にも非常に内向的になっていきまして、じぶんは官吏なんていうのは、官僚なんかには向かないんじゃないかというような疑いを自分でもち始めるのです。
その疑いを漏らすことができないのですけど、ただ、小説の中ではその疑いをぶっちゃまけているわけですけども、ほんとうの鷗外はぶっちゃまけたわけじゃないので、ただ、ようするに、そういう疑いを生じた、ちょうどそのことに該当するといいますか、匹敵するわけですけど、つまり、対応するわけですけど、ベルリンの東京でいえば下町なんですけど、ベルリンの貧民街をウロウロすることが、だんだん好きになっていくわけです。そのときに、あるとき、汚いアパートの前で泣いているドイツ人の女の子がいるわけです。どうして泣いているんだというと、とにかく、お金に困ってどうしようもなくなっているんだということを、どうすることもできないんだということを鷗外に訴えたわけです。あるいは、小説でいえば、豊太郎に訴えるわけです。それで鷗外が、あるいは豊太郎がなけなしの金をエリスというドイツ人の女の子に与えて、これを使ってしのぎなさいというふうに言って帰るわけです。そこから、エリスという、これは小さなオペラみたいなものの踊り子なんですけど、劇場の踊り子なんですけど、鷗外がその踊り子と仲良くなっていくわけなんです。
どういう仲良くなり方をしたかというのは、色々なことがあるわけですけど、それよりも小説でみますと、そういうことが日本にも噂になってきまして、小説によれば太田豊太郎は官費留学生というそれを解かれてしまう、官吏としての資格を停止しちゃうわけです。どうしようもなくなって、豊太郎の親友が外務省かなにかにいまして、その斡旋でもって、日本の新聞の特派員だという名義をもらいまして、ここで豊太郎はむこうの新聞の記事の抜粋みたいのを翻訳して、日本の新聞社に送るみたいなことをしながら、生活をしのいで、エリスと共同生活といいますか、そういう生活に入っていくわけです。
実際の鷗外はそれほど熱中したわけじゃないですけど、それは事実ではあるわけなんです。ぼくは豊太郎と鷗外を交錯させますけど、豊太郎はそこで、だんだん自分は、エリスといわば仲良くベルリンの貧民街で暮らして、ここで欧州の大都市の真っただ中でぽつんとしながら、ここで朽ち果てるという気持ちになるわけですけど、ところが、親友の相沢というのですけど、親友が外務省の大臣と一緒に、大臣の訪問といっしょにやってきたときに、おまえはそういう私生活上の乱れといいましょうか、素性の知れない女の子と同棲というのをおまえがやめれば、また元の官吏としてのあれを獲得できるのだけど、それはどうしてもそのためには女の子との関係を断ち切るべきだ、断ち切らなければいけないということを言われるわけです。豊太郎はそこでおおいに悩むわけなのです。豊太郎の悩みのいちばんどん底のところまで探っていきますと、結局は、19世紀末のベルリンという西欧の大都市の中で、ひとりの異邦人として、何もないわけですけど、踊り子と一緒に孤立していく自分というのが、ものすごく怖いということがあったとおもいます。それが根底にあったとおもうのですけど、なんとなくエリスという女の子と別れて、じぶんはまた官途に再びつくという、それをなんとなく親友の相沢にも、一緒にやってきた大臣にも言ってしまうわけです。言ってしまうのだけど、どうやってそれをエリスに告げていいかというのが、どうしてもできなくて、そこで非常に悩むわけですけど、しかし、豊太郎というのは、そこでやはりエリスに打ち明けてしまうと、そうすると、エリスは子どもを妊娠しているわけですけど、鷗外の子を妊娠しているわけですけど、それを聞いて発狂してしまうわけです。『舞姫』を見ますと、パラノイアに罹ったというふうに書いてあります。ですから、そういうふうに精神異常をきたしてしまうわけです。それで豊太郎は留学期間を終えて、国に帰っていくわけです。
鷗外は相沢という親友が、好意的にじぶんを助けてくれたということは確かなんだけど、しかし、ある面からいえば、そういうふうに愛していた踊り子を捨ててきちゃって、それで発狂させちゃったということが非常に豊太郎の心に引っかかって、相沢という親友のことも恨みたい気持ちもどうしても残ったのだというのが『舞姫』の結末なんですけど、鷗外の場合にはそれほど、つまり、官途を断たれて、学芸記者になってというようなことはなかったのです。ちゃんと相勤めて入ってきたわけですけど、エリスとの関係はほんとうで、エリスが鷗外を追っかけて日本へやってくるわけですけど、鷗外の親類縁者が防波堤になって、説得して帰してしまうというのが、これが鷗外の場合であって、この場合は発狂せしめてしまうというのが『舞姫』の結末になるわけです。
この鷗外のベルリンでの対処の仕方、ベルリンというものの解放感というものは、鷗外の文学的情勢を決定しているというふうにいえばいうことができます。ですから、鷗外の代表的な誰でもが知っている作品というのは、たとえば、『青年』とか、『雁』とかいう作品なんですけど、それから、その他の作品をとってもそうなのですけど、鷗外の東京に対する関心というのは、文学的にいいますと、一種の紅灯の巷といいましょうか、いわゆる素人じゃなくて玄人筋の、玄人筋的なエロスというものに対する関心というのが、鷗外の東京に対する関心のいちばん根底にあるものじゃないかというふうにおもいます。違う言い方をすれば、封建的な、旧時代的な、しかも娼婦的な女性といいましょうか、あるいは、芸者的な女性といいましょうか、あるいは、お妾さんといいましょうか、そういう旧時代的であるような女性とのかかわり合いということが、鷗外の主要な小説作品をぬって歩いている大きな特徴だとおもいます。
それは、たとえば、『青年』という代表的な作品ですけど、『青年』の小泉純一という主人公は地方から上京してきて、東京で小説書きになるんだというふうに、家には家産があって、つまり、財産があって、生活には困らなくて、それで東京にでてきて、小説家になるんだというふうに設定されている青年なわけです。
この青年は初音町のあたりに借家を借りまして、そこに住んで、そこを本拠地にしてといいましょうか、東京の芸術青年の仲間とか、小説家志望者の仲間とか、あるいは、小説家とか、そういう人たちの世界の中に首を突っ込んでいくというのが、青年のテーマなんですけど、そのところでいちばん大きな場面というのは、どういう場面かといいますと、小泉純一という、鷗外をある意味で彷彿とさせるような青年が、文学仲間あるいは芸術仲間の同郷の青年と一緒に文学者の懇親会みたいなものにでているんじゃないかと言って、柳橋の亀清楼というところで懇親会が行われている、そこのところに出ていくというところが、とても『青年』という小説のなかで重要な場面のひとつであるわけです。
それから、もうひとつ、『青年』という小説自体がどういう結末をとるかといいますと、新時代をある意味で象徴する名物の大学教授の若い未亡人がいて、その未亡人がいまでいう有閑的なマダムであるわけで、遊びまくっている有閑マダムなんですけど、それとイプセンかなんかの翻訳劇を観る劇場で会いまして、それで、家に本がたくさん、死んだ主人のがあるから見に来なさいみたいに言われて、根岸かどこかに、その未亡人は坂井というのですけど、住んでいて、そこへ本を借りに行って、関係を生ずることになるわけです。関係を生ずるというよりも、むしろ、年上の未亡人に誘惑されたと言ったほうがいいくらいで、遊ばれたという感じで関係するわけです。その遊ばれたということのなかに肉体的性ということと、自分の中にある内面的な性といいましょうか、そういうものとが自分の中で分裂していく、そういうことに悩む青年というのを描いているわけです。
同時に新時代というのを、年上の遊んでいる有閑マダムというものに、鷗外は新時代を象徴させていって、そこに青年がどういうふうに関わっていくかということを描きたかったわけです。
結末は、遊ばれているということが、たとえば、箱根に遊びに行くから、もし時間があったら、暇があったらやって来なさいみたいに言われて、なんか引っかかっていて、躊躇もするのですけど、なんとなく箱根へ出かけていくんです。そうすると、未亡人は、一人画家が一緒にやって来ていて、なんとなく三者あいあったときをみてみると、なんとなく自分は、ただの未完成で小説志望家の青年にすぎないのに、むこうは絵描きさんで、マダムがなんとなく、むこうに重きを置いているというような感じをもって、そこで小泉という主人公は傷ついて別れるというような、そういう結末になっていくという小説なんですけど、その小説の本来的なモチーフのなかに、重要なモチーフのひとつのなかに柳橋で遊んだときの芸者さんの青年に対するからかい方とか、性的な関心の寄せ方とか、誘惑のされ方とかということがひとつ大きなテーマになっているわけです。
鷗外というのは、存外、そういう意味では不健全な性に執着をもっている人でして、そういう意味でいいますと、たとえば、『雁』という作品も、末造という金貸しのお妾さんが、不忍池を上がったとこですけど、無縁坂の中途のところに住んでいて、そこのところを岡田という本郷の学生さんなんですけど、本郷に下宿をしている学生さんがいつも散歩にきて通るわけです。
そのときに、ある偶然が二つ重なるわけですけど、お玉さんの旦那である末造というのは、毎日のように夕方になるとやってきて、一晩泊まらないで帰っていくということを繰り返して、金貸しであれなんですけど、終いにそれが細君にばれちゃって、諍いが絶えなくなってくるわけなんです。そういう諍いが絶えないという雰囲気を振り切って会いに来るというような、そういうことがだんだん雰囲気としてお玉さんにわかってきて、お玉さんのほうも、これではじぶんはどういうふうに振るまったらいいのかというと考えちゃうわけです、内省しちゃうわけです。じぶんはいままでは旦那さんに尽くすだけだったんですけど、だんだん自分らしさというのに、お玉さんというのが目覚めていくわけです。
そのとき、毎日のように通る学生さんが、末造が持ってきてくれた鳥かごのところにヘビがつっかかっていて、鳥がバタバタして、どうしようもなくなったところに、ちょうど岡田が通りかかって、ヘビを逃がしてといいますか、追っ払って、鳥を助けてやるんです。それを契機にして、お玉さんが岡田という主人公の学生さんに惹かれていくわけです。岡田のほうもだんだん関心を寄せるようになっていくわけなんですけど、それがお玉さんにしてみれば、あるときにそういうふうになってから、いつかの学生さんに声をかけて家へあがってもらって親しくなろうと考えるわけです。
あるとき、ちょうど旦那のほうはやってこないということがわかって、下女のひとを、今日は家へ帰って遊んでいなさいと出して、それで岡田が通りかかるのを待っているわけです。ところが、そのときちょうど、岡田と、小説では「僕」というふうになっているんですけど、「僕」という岡田の友だちなんですけど、その友達が不忍池のところで雁をとっちゃって、それをひねって食っちゃおうというようなことで、そこを4人連れで通りかかるわけなんです。岡田だけだったらお玉さんは声をかけようとおもって、門口に待っているのですけど、4人いてどうしても声をかけられないで、名残惜しそうにしているのだけど、そのままになっちゃって、それで岡田はそれから留学するということになって、そのままになっちゃったという小説なんですけど、その場合のお玉さんと末造という旦那さんとの関係の描き方というのは、鷗外の小説の中で最も小説らしい小説だといえるくらい見事な描き方をしています。
つまり、鷗外というのは、存外、紅灯の巷的な、封建的なエロスというものが、お妾さんとか、芸者さんとの関係ということに、たいへん関心が深かったということがわかります。つまり、主な小説の中で一貫して貫徹しているというふうに言うことができます。つまり、別なことをいいますと、鷗外の東京というのは何かといったら、そういう紅灯の巷的な女性というのに対する関心というのが、たぶん、鷗外の見た東京の中でいちばん大きな要素だというふうにおもいます。
ところで、鷗外は先ほど言いましたように衛生学で留学しているわけです。衛生学が専門で陸軍の軍医になるわけですけど、もうひとつ、鷗外が専門の衛生学というものから見た東京論というのがあります。東京論といわず都市論というのがあります。その要旨を申し上げてみますと、一般的にいって、都市には2つのタイプがあるということを言っています。
それは近心式という言葉を使っていますけど、いまでいえば、中心的ということです。それから遠心的な都市と、中心的な都市いう2つの型があると、たとえば、パリというのは中心的な都市だと、ロンドンというのは遠心的な都市だ。これはどういうことを言っているかといいますと、中心的な都市というのは、つまり、政治の中心である官庁街とか、商業の中心であるビル街とか、それから、商店の消費街とか、娯楽街とか、そういうようなものは、いってみれば、ひとつの箇所に寄り集まってしまっている、そういう都市というのを中心的な都市、つまり、鷗外の言葉でいえば、近心的な都市、近心式の都市というふうに言っているわけです。そういう型の都市というのは、交通は便利になるし、政治と経済との連絡も便利になるし、たいへん良い面もあるのだけど、悪い面があるというふうに言っています。
悪い面は何かといいますと、つまり、それを中心的に、官庁街も、経済的中心も、商店の中心も、それから、娯楽の中心も一か所に集まってしまっているために、そこを中心に繁華な街が一か所だけ形成されて、その他にはそうじゃない、賑やかでもなければ、富んでもいない、つまり、貧困な家というのが、その周りにいっちゃって、真ん中のほうはそうじゃない、比較的、消費関連も発達してるし、消費する能力もあるというような、経済能力もある、あるいは、官吏であるとかというように、そういうものたちが中心に集まっちゃって、周辺に貧困な家庭、家族というのが、人達の生活、住宅というのが、周辺に追いやられる。そうすると、その格差というのは非常に大きくなるばっかりになっちゃうというのがあるんだと、だから、中心的な都市というのは、利点もあるけど、あまりよくないなということを言っています。
これに比べて遠心的な都市というのは、いってみれば、商店街の中心はAにあり、それから、政治の中心、つまり、官庁街はBというところにあり、それから、株式会社みたいな、工場みたいな、本社みたいなのは、つまり、経済的中心はCという場所にあると、それから、娯楽はDというところにあると、そうすると、こういうふうに分散していくと、そういう意味合いでの貧富、あるいは、消費生活の格差というものはなくなってくると、あっても少なくなるんだと、だから、遠心型の都市のほうがいいんだということをひとつ言っています。
それから、もうひとつ言っていることは、これは衛生学の専門家の立場からいっているのですけど、不衛生な場所というのは、ようするに、貧民街というのは不衛生な場所だと、だから、都市から貧民街を追放してしまえばいいんだと、つまり、どこかへ追いやってしまえばいいんだという論議はしばしば行われるし、また、その種のことを法律によって規定しようというような考え方というのもずいぶん出てきていると、しかし、それは間違いであるということを言っています。
鷗外は、都市の衛生問題の改正というのは、貧民街というものに、あるいは、それに道路を広げるために避けるとすれば、それに対してどういう完全な補償ができるか、つまり、この貧民街の人達をどういうふうにするかということは、都市衛生のいちばんの眼目なんだということを鷗外は主張しています。
それから、もうひとつ、鷗外の主張で非常に特徴的なのは、またもう一方に街路樹をたくさん増やして、緑をたくさん作ればいいというような論議があると、しかし、それは素人の論議だ、一方では都市のばい煙というのがあって、空気が汚れているということがあって、それでもって、なまじのところに街路樹なんかたくさん植えようものなら、すぐに枯れちゃうものなんだと、それから、もうひとつは、都市には地下にガス管とか、水道管とか、たくさん走っていると、たとえば、ガス管が少しずつガスを漏らしていたりすると、それもまた、街路樹を枯らすことの根源になるのだと、だから、そんなに簡単にいかないのだ。つまり、街路樹をたくさん植えたらいいというような、そんな簡単なものじゃないんだということを、それは素人なんだということを鷗外は主張しています。この鷗外の主張というのは、東京という街に対する鷗外の大きな見方のひとつなんです。
ところで鷗外の専門の立場からする、つまり、衛生学からする東京の見方、あるいは、東京がどう変わったらいいかというような見方というものと、それから、鷗外の小説にある東京の見方、つまり、わりあいに、紅灯の巷の人とか、冒険的な情愛にある女性とかのかかわりとか、そういうことにたいへん関心の深い鷗外とは、いってみれば、東京に対する見方というのは…。
それから、鷗外の小説にあらわれた東京、つまり、わりあいに紅灯の巷みたいなものは、好き好んで描かれているわけですけど、そういうものと青年とのかかわりあいというものが大きな小説のテーマなんですけど、それとは一種の空隙があるわけなんです。
この空隙というのを鷗外がどういうふうに埋めたんだろうかというふうに考えますと、好意的な言い方がただひとつだけできるので、それは鷗外が終始一貫、じぶんの専門は衛生学であり、じぶんは軍医局長であるといいましょうか、あるいは、軍医総監であると、そういう、つまり官僚であると、文学というものは、自分にとっては一種の趣味でもないのですけど、一種の遊びだという観点を鷗外は崩していないとおもいます。だけど、その遊びは、なまじの専門の文学者よりも遥かに高度な遊びの文学なのです。しかし、鷗外の態度をみますと、やっぱり文学に対する態度は、そういうふうに非常に明瞭に意識しているようにおもいます。つまり、文学というのはじぶんの趣味だとか、遊びだとかいう形で、かなり意識的に鷗外は終始しているようにおもいます。そうでなければ、晩年の現職は軍医総監で、それで小説家で、そんなことは両立できるわけがないのでして、一方を趣味だというふうに鷗外は決めているとおもいます。ある意味で決めていると、だから、かろうじて成り立ったんだというふうに思われます。
これが、鷗外が文学のなかでの東京への関心、つまり、紅灯の巷的なものへの関心、あるいは、そういうものへの性的な関心、エロス的な関心という文学的な定石と、それから、軍医総監あるいは衛生学の専門家としての鷗外の都市に対するひとつの形式というものとを、いわば調和していた要にあるものだというふうに思われます。
しかし、これは高次的な解釈でありまして、鷗外の中では、じぶんの専門は専門なんだ、それから、文学は文学なのだって、しかも文学は趣味的なものなんだというふうに、じぶんの中ではこうだというふうに、いわば両方を使い分けていたと思われます。つまり、決してそれらが総合的に統一されてということは、鷗外の中ではなかったというふうにおもいます。
そこらへんから漱石の問題に、漱石のほうが好きだから、漱石の留学というのは、ご承知のように、『文学論』の序というところを見れば非常にはっきりしているわけです。二つありますけど、ひとつは、おれはロンドンにいるあいだ、じぶんはむく犬のように、乞食みたいな恰好をして、お金もなしにロンドンの街をほっつき歩いていた、それで、西欧の大都市の真ん中で、もともと紳士であるわけでしょうけど、英国紳士の間に入って、じぶんはあたかも一匹のむく犬みたいなもので、乞食みたいな恰好をしてほっつき歩いていた。おれは不愉快でしょうがない、つまり、ロンドンにいた何年かは自分の生涯の中で最も不愉快な年数だったということを言っています。
それで、もうひとつ重要なことは、おれはここのところで、これは鷗外と同じなんですけど、つまり、英語学をやれと言われたんだけど、何のためにロンドンにきて勉強しているのかさっぱりわからない、つまり、英文学のいう文学という概念と、じぶんが素養としてもってきた東洋、つまり、漢文学というものにおける文学とはまったく違うのだと、そうすると、これはどうしても一種のジレンマであるというふうな、これを深刻に考えていったところ、じぶんは神経衰弱だと他人から言われたと、しかし、じぶんはどうも、文学とは何かということを突き詰めずにはどうしても国へ帰れないというふうにおもって、それで下宿に籠って、文学でもって文学とは何かと説くのはダメだと、社会学とか、心理学のところから、文学とは何かというのを突き詰めてみたいとおもい、それがテーマになったと、それで下宿に籠って、本を読んでノートをとってというのをやって、それで、それは未完成のまま帰ってきたと、その疑問というのは、じぶんの中にずーっとあるんだということを言っています。
漱石の文学論には非常に特徴があります。それは、日本で明治以降はじめて、文学論、あるいは、文学理論らしい文学理論なんですけど、そういう意味ではオーソドックス中のオーソドックスなものなのですけど、しかし、特徴がひとつあるのは、文学を社会学的に、あるいは、心理学的にと言っていますけど、社会学的にということはともかくとして、19世紀、あるいは、18世紀の英文学について論ずるときには、18世紀のロンドンというのはどうだったか、どういう街だったか、喫茶店とか、娯楽場とか、どういうふうにあったか、文学者というのはどういうところに集まって、おしゃべりしていたのか、文学者の社会的地位というのはどうだったのか、つまり、到底、日本の文学者というのはやりそうもないような、非常に広範な関心といいますか、社会的な関心というのをひとつ抱いて帰ってきています。
これは意外なことといえば意外なことなんですけど、漱石の文学理論というのは、いわば文学を文学として扱うとか、文学を都市現象として扱うとか、社会現象として扱うというような扱い方も含めて文学論を、あるいは文学理論を形成しているというのが非常に大きな特徴です。
それから、もうひとつは最終的な悩みである東洋でいうところの文学というものと西洋でいうところの文学というものは違うという、これはどうしても解かなくちゃならないジレンマだというふうに言っている問題というのは、やはり帰ってきてからも、もち越されているということができます。
だから、鷗外の青年という作品に匹敵するのは、対応するのは『三四郎』という作品ですけど、これはむしろ逆であって、漱石の『三四郎』が出たので、鷗外がきっとおれもいっちょうやってやろうとおもって、『青年』を書いたんだとおもいますけど、『三四郎』というもの、それから、『三四郎』の一種の続編でもある『それから』という作品、それから、『それから』の続編である『門』という作品、漱石の三部作みたいにいわれている作品をみますと、この作品の特徴というのは、どこでいえるかといいますと、ひとつは自然に対する関心ということです。もうひとつはやっぱり、一種の都会苦といいますか、文明苦といいますか、そういうものに対する関心です。それは一貫してあります。
それで、たとえば、『三四郎』のなかで美禰子という新時代の女性が、野々宮という三四郎の先輩と一種の許婚者といいますか、そういうような関係にあるのですけど、そのあいだがあまりうまくいかない、野々宮さんというのは科学者で、科学実験ばかりに没頭しちゃって、あまり顧みないので、うまくいっていないときに、三四郎に対して、鷗外でいえば坂井未亡人と同じように、一種の不可思議な接近の仕方をするわけです。その接近の仕方に三四郎も応じていくわけなんですけど、そのふたりが最初に仲が親密になっていくのは、美禰子という女性と三四郎と、それから、与次郎という三四郎の旧友と、それから、広田先生という先生とその4人で団子坂の菊人形を見に行くわけです。それで、混雑のあまり、美禰子と三四郎だけが、美禰子が気分が悪くなって、そこではぐれてしまって、団子坂を降りたところに、藍染川という川が流れていたわけで、川のほとりで二人は散歩して、それで、原っぱに出ていくわけです。その原っぱで腰をおろして話をするのですけど、そこのときにはじめて、 美禰子と三四郎が接近するわけです。
作品の場面のなかで、主要だと思われる場面のところで、漱石は何をもってきているかというと、自然としての東京というのをもってきているわけです。つまり、自然の東京の風物というのを、そういう恋愛なら恋愛の場所としてもってきています。これは漱石の作品の大きな特徴です。
『それから』という作品でいえば、自然といえば自然なんですけど、これは複雑なんですけど、たとえば、『それから』の代助が堀端を歩いていくというときには、堀端のところに躑躅がいっぱい生えているという、花でもって堀端の景物を描写しているわけです。それから、桜というのは、江戸川とか、上野の夜桜とか、そういう花の典型でもって、いわば重要な場面の背景をつくっているわけです。
つまり、漱石の小説のなかにおける東京への視点というのは、一言でいっちゃえば「自然」だというふうに、つまり、東京を自然として見ているというふうに言うことができます。これは大きな一貫性です。
だから、たとえば、『それから』でいいますと、代助にとって花というのが非常に重要なわけなんですけど、たとえば、鈴蘭の花みたいなものは、代助がちょっと神経過敏になって悩みこんじゃうときに、鈴蘭の花を見てて、匂いにむせながら沈んでいくみたいな、そういう場面があります。それから、百合の花が出てくると、恋人といいますか、人妻であるわけで、親友の奥さんであるわけですけど、三千代という女性との関係の場面では、百合の花というのが象徴としてでてきます。
つまり、この場合の百合の花とか、鈴蘭の花というのは、いわば代助の内面の中における自然を象徴するわけですけど、景物としては堀端の躑躅とか、江戸川の桜とかというのが、しばしば、それからという作品の中に出てきます。
それから、もちろん、『それから』のなかには先ほど言いました文明苦といいますか、社会苦といいますか、あるいは都市苦といいますか、そういうものの描写も、代助が三千代という親友の奥さんに金を貸してやろうと、じぶんが無理して金をしつらえて、届けにいくときがあります。そのときに江戸川からまわって、伝通院のところにでてきたときに、伝通院の寺と寺のあいだに工場の煙突が見えて、そこからモクモクとばい煙を吐いている、そういう描写があります。
そのときに、代助は、これが貧弱な文明苦といいましょうか、都市苦といいましょうか、そういうものの象徴なんだということを代助が考えながらいくところがあります。この場面もかなり三千代とこれから親密になっていく糸口となる重要な場面ですけど、そのところで、いわば漱石のなかにもうひとつある、都市苦といいましょうか、文明苦というものがそこで象徴されてあらわれてきています。
もうひとついえることは、漱石の主要なる作品はいずれも三角関係というのに対する非常に大きな執着を示しています。この三角関係は、様々な解釈も理解もできるわけですけど、今日のテーマに即していいますと、これは一種の文明開化、あるいは、東京という都市の文明の部分、つまり、開化の部分というものの象徴を形成しているということがいえるとおもいます。
封建的あるいは近代初期においては、つまり、日本の近代初期においては、円満なかたちで、ある種の了解があれば、夫婦というのは成り立っていいという、しかし、そこのところで、もし第三者である男性、あるいは、第三者である女性というのがあらわれてきて、ひとしなみに好きだというふうに言いつのった場合には、どういう結果になるだろうか、どういうことになるだろうか、そのなかで、ほんとうにとことんまで恋愛感情でもって結ばれたというふうに、まだなっていない男女関係というのがあって、ある程度は文明開化に染まって、恋愛というのは個人対個人の問題だと、結婚もそうなんだというような自覚というのは相互にある程度までありながら、しかし、全面的にはそうじゃないんだと、家とか、環境とか、そういうようなものが作用している、そういう夫婦がいまあったとして、そこに同じ強さでもって、一人の異性があらわれたとしたらば、そのときにどうなるだろうか、そのときにどういう悩み方をするだろうかという場合に、漱石は一種の三角関係がにっちもさっちもいかなくなるというような形というのが、いってみれば、その時代の明治末年の日本の都市の文明開化の度合いと、それから、封建的なといいますか、前近代的な要素の残存している度合いとをちょうどよく象徴しているのだ。
もし、ほんとうに解放された男女が結びついているなら、結合して強固でありましょうし、逆にいえば、ほんとうの愛情というものをもった独立した男女があらわれてきたとしたら、第三者があらわれてきたら、それとより結びつくということはありうるけども、三者が三様に均衡しながら苦悩にさらされるみたいな、そういうことというのは、やはり文明開化がある程度までは進み、しかし、ある程度まではそうじゃないと、まだ前近代を引きずっているという、そういう明治の情況を中心とした都市のインテリゲンツィアといいましょうか、そういうもののもっている場所というのの一種の象徴になっているわけです。そういうふうに読むことができるわけです。
それは漱石のなかにおける文明苦といいますか、都市苦といいましょうか、そういうようなものに対する一種の理解の仕方がそういうふうなテーマを選ばせ、そういうふうなモチーフをたくさん様々なバリュエーションでもってこさせた理由じゃないかとおもわれます。
漱石の場合にも、東京という都市は自然なんだ、じぶんにとっては自然なんだという、あるいは、自然としての東京というのにいちばん関心があるんだという関心の持ち方と、それから、一種の漱石がもっている文明開化に対する全体的な理解といいましょうか、全体的な把握、それは否定的であることとの把握というもののあいだには、やはり、鷗外と同じように一種の分裂があります。つまり、空隙があります。この空隙の問題を、やはり漱石も十全に解いていたわけではないとおもいます。
つまり、漱石の作品の系譜をみますと、『それから』の後は、『門』という作品になるわけですけど、『門』の主人公である宗助というのは、『それから』の三千代というのと無理に結婚して、東京の山の手の崖の下の家に、長屋にひっそりと仲良く住んでいるというのが『門』のモチーフなんですけど、その宗助が言うところがあるんです、じぶんは東京に住んでいるけど、東京を見たことはほんとうはないと、つまり、勤め先と家とを往復しているだけで、いつでも東京を余裕をもって見たと思えないと、ちっとも考えられないと、宗助という『門』の主人公は言うところがあります。
そういう意味あいでいったら、漱石の東京に対する関心というのは、だんだん、自然というものを貫きながら、縮こまっていくといいますか、先細りになっていくというふうに考えれば考えられるわけです。だから、漱石のなかにおける文明苦としての東京というものと、それから、そういう自然としての東京というようなものとのあいだにも、やはり空隙があるといえば言うことができると思います。
漱石がそれをなんで埋めたのかということはとてもよくわかりません。漱石は埋められている作品で、最後に中途で死んでしまうわけですけど、たぶん、漱石は最後でそこの空隙というものを埋めることができなかったし、また、それをほんとうは埋めたかったんだけど、埋めたいんだというモチーフを最後まで持ち続けながら、しかし、それを埋めることができないで死んだというのが、たぶん、漱石の文学的生涯だというふうにおもわれます。
そこがまた、漱石を一種、偉大にしている理由であって、漱石はたぶん『明暗』まで降りたことがないのです。つまり、文学者として降りたことがない。東京の文明開化の拒否から、ずーっと大正時代までですけど、つまり、文明開化の発達の東京の過程というものに対するじぶんのかかわり方というので、漱石は文学的にいえば、一度も降りたことはないのです。つまり、『明暗』の最後まで降りなかったとおもいます。つまり、この降りなさというのは、日本の文学者のなかで他に類例がないくらい、漱石の大きな要素だとおもいます。漱石だけが晩年に至るまで、一度も降りなかったよといえるとおもいます。
鷗外はもちろん『舞姫』、『文づかひ』というようなあたりから、ほんとうはもう降りているんです。つまり、ディレッタントとしてのじぶんという自覚のもとに鷗外は優れた作品を生んでいくわけです。漱石は一度も降りていないとおもいます。漱石はしきりに当時の新聞小説のなかで、降りない試みをやりながら、『明暗』の中途で倒れたというふうにいうことができます。
しかし、この二人は日本の近代文学のなかで隔絶した存在ですから、いずれにせよ、両者両様の典型的なタイプを取りながら、明治末年から大正にかけて進展していく東京というのを、そのなかでの生活者としての眼というものと、それから、都市というものの進展に対する把握というものと両方の側から関わり続けたというふうに言うことができるとおもいます。
現在、東京が控えている問題はもっと違うことなんですけども、それはいつか、「ぼくが見た東京」というテーマをあたえられましたらやってみたいと思います。今日のテーマで、申し訳ないんですけど、時間が経過しましたので、早足で鷗外と漱石の東京に対するかかわり方をたどってみました。これで終わらせていただきます。(会場拍手)
テキスト化協力:ぱんつさま