ご紹介にあずかりました吉本です。今日は、「「受け身」の精神病理について」という演題を、こちらがそういうふうにしてくださいと申し上げたわけですけど、「受け身」ということをすこし最初に説明させていただきます。
さきほどご紹介いただいた方も言っておられたように、精神医学のまったくの門外漢で素人なんですけど、ただ素人というだけで済ましておられないので、ここ十数年来、二十年来の間、この人は少し違うんじゃないかという人から電話がかかってきたり、そういうことは絶えず、いつでも3人とか、4人とかいう方がおられるわけです。それをどうしたらいいのかということが、よくわからない点もあります。あんまり面倒くさいときには、知り合いの精神科のお医者さんの病院の名前を言って、そこへ行きなさいとか言ってしまうわけですけど、いずれにせよ、しょっちゅうそういうことが身辺にありまして、だから、それにまつわる様々なことは考えてきたことはきたわけです。素人なりに考えてきたわけです。
そこのなかで、じぶんがそういう人たちに、直にお会いした人もいるし、お会いできないでいまもいる人もいますけれど、ぼくが電話を通じたり、お会いしたりして、ぼくが受けた印象というのを、まずひとつの言葉で要約してしまいますと、どうしても「受け身」じゃないのかなというふうに思えるわけです。
「受け身」ということを、もうすこし付け加えますと、善意であり過ぎるとか、優しすぎるとか、度外れにといいますか、法外に、依存心といいましょうか、依頼心が強いんじゃないかなというふうに思えたり、いずれにせよ、「受け身」ということのなかに、さまざまな属性といいますか、つきまとうわけですけど、ぼくが20年くらい、電話やなんかで付き合っている、そういう方たちのなかで、攻撃的な人というのは一人だけなので、おまえぶっ殺すぞというふうにしょっちゅう言う人は一人いるんですけど、それでもちょっとほんとうをあれしていくと、どうもそうじゃないんじゃないか、やっぱりどうしても「受け身」なんじゃないかとか、やっぱりいい人すぎるんじゃないかとかいうふうな感じをどうしても受けるわけです。
ですから、「受け身」ということが、全部を要約すると、どうもぼくが付き合っている人達は「受け身」ということがいちばん要約しやすい言葉じゃないかと思いまして、今日は「受け身」ということを演題に選んだわけです。
ぼく自身も受け身なんですけど、物事に対して受け身なんですけど、「受け身」ということが個々の人達の生涯で、どんな人でも受け身だったという、そういう時期というのは、つまり、これは胎児であったときと、それから、乳児であったとき、お母さん、母親のお乳を飲んでいたときというのは、いずれにせよ、どんな人にとっても受け身だった時期なわけです。
そうすると、ぼくの理解の仕方では、受け身の人の一種の病像というものを関連づけられるとすれば、どう考えても、人間どんな人でも受け身だった、胎児であった時とか、乳児だった時、つまり、母親のお乳がなければ死んでしまう、栄養が取れないで死んでしまうとか、じぶんもまだ歩くのが不自由なものだから、歩くこともできないから、あらゆる生活ができないという、そういう乳胎児という時の時期というのと関連付けるのが、いちばん関連付けやすいんだというふうに、どうしても考えられます。
そうすると、「受け身」の乳胎児の時の人間というのは、いずれにせよ、いま言いましたように、「受け身」である以外に方法がないわけですけど、これをちょっとエロス的にといいますか、性的にいいますと、この受け身の時期というのは、たとえ男の乳児だろうと、女の乳児だろうと、いずれにせよ、母親に対しては、どうしてもじぶんのほうが、しいていいますと、性的には女性的な時期であるわけで、これは男であろうと、女であろうと変わりなく、乳胎児の時期におけるそれぞれの人間というのは、いずれにせよ、女性的であって、そのときに母親はたぶん女性なんですけど、同時にきわめてパッシブといいましょうか、積極的なんです。ある意味ではエロス的には男性の役割を母親がしている、唯一の時期であるというふうにいえば言えるとおもいます。
この時の受け身の処遇のされ方のなかに様々な問題があるということが、まず第一に、人間だれでも生まれたときのいちばんのやむをえざる過失というものが、第一番にそこらへんにあるんだと思われるわけです。つまり、乳胎児の時に、母親から非常に慈しまれて大事にされて、ちゃんとおっぱいを飲まされて、ちゃんと皮膚接触をされてというふうに育っていると、かなりな程度もつんじゃないかというふうに、つまり、どんなきつい世の中でももつんじゃないかというふうに思われますけど、たいていはそうはいかないので、じぶんも父親だからわかりますけど、たいていはどんな母親でも80%ぐらいはそのときうまくやったというふうに言える人はいても、100%うまくやったというふうに、ちゃんとじぶんはじぶんの子どもをお乳で育てて、ちゃんと待遇したし、かわいがったというふうに言える母親は、ほとんど、100%言える人はいないわけで、だいたいうまくいったって7,80%ぐらいはそうだって言えても、後の2,30%というのは後ろめたいところがどうしても残るという、つまり、かわいがっているふりして、ほんとうはこんな子はいないほうがよかったとか、こんな子は売っちゃいたくなったというふうなことを考えながらお乳を飲ましちゃうということは、誰にでも思い当たる節があるわけです。
永続的になんらかの個人的な環境でもって、あるいは、夫婦の仲が悪くてとかいうことで、つまり、永続的におっぱいを飲ませたんだけど、絶えずこんな子は早く死んじゃったほうがいいとか、こんな子はぶん投げてやりたいと思いながら育てたというような期間がある程度続いた人というのは、たいへん弱いということが言えるとおもいます。つまり、様々な精神的な衝撃に弱いということがいえるんじゃないかなというのが第一に考えられることなわけです。
ところで、ぼくが二十年来、付き合ってきた、ぼくらのような素人のところにそういう電話をかけてきて、どうだこうだというふうに、相談にのってくれとか、どうしたらいいんだと言ってくる人たちというのは、具体的にいいますと、ぼくは学生さんとよく付き合っていた時期がありますから、そうなんですけど、たいていは学生運動みたいなことをしていて、一種の挫折感をもったとか、それから、いずれにせよ、ぼくなんかには政治思想的な体験が絡み合っている人が多いわけですけど、たいていは、具体的に一種の病像という形になったきっかけは、いずれにせよ、そういう政治運動に挫折したとか、いろいろ社会的な運動をやったんだけど挫折したとかいう人が多いわけです。つまり、具体的なきっかけとしては、そういう人が非常に多いわけです。
しかし、少数の部分はそうじゃなくて、両方の人がいます。そういう社会運動とか、労働運動とか、学生運動とか、そういうのに挫折したというのと同時に、やっぱり女性との関係で挫折したというふうに、両方の人もおります。それから、もうひとつは、ほんとうは女性との関係で挫折したんだけども、それを主張するときには、そうじゃなくて学生運動みたいなもの、あるいは、社会運動みたいなもので挫折ということが、いってみれば、現象的にはそれが表面に出てくるという、そういうタイプの人もいます。
いずれにせよ、きっかけといいますのは、乳胎児期に主に母親との関係でどうだったかということとは、いっけんすると、まったく関係のないことをきっかけにして、現在のさまざまなきつい場面、あるいは、きつい事柄にぶつかったことを契機にして、病像というのをじぶんで手に入れているわけですけど。だから、いっけんすると、現在の社会的な人間関係の中での錯綜があって、そこから、病像をじぶんが手に入れたというような、そういう人が多いわけですけど、そういう人が大部分なわけですけど、しかし、そのことと、ぼくの考え方では、「受け身」の病像というのは、どうしても乳胎児期ということにこだわりを、または、かかわりをもつと考えるわけで、そうすると、乳胎児期における、そういう病像の獲得の仕方という、つまり、じぶんが無意識に獲得してしまった獲得の仕方というものと、それから、その時々の社会情勢のなかで、ある挫傷感をもったとか、事件にぶつかって病像を獲得したということのなかには、いったいどういう関係があるのだということが、たいへん、ぼくにとっては深い関心をもつ事柄であるわけなんです。
乳胎児期の時に何かがあったという言い方は怪しいという考え方も、もちろんする人もいるわけですし、もちろん、専門家のお医者さんの書かれたものを読んでも、そういうことは関係ないことだというふうな主張をされるお医者さんもおられるわけで、そこでなにも確信をもっていうことができないのですけど、ぼくにはどう考えても関係があるような気がするのです。乳胎児期の母親との関係の仕方と一種の病像というものが、どうしてもじぶんが長じて社会的な挫折感みたいなものを契機にして病像を獲得するという、その獲得の仕方とは、どうしても関係があるとしか思えないわけなんです。
そうすると、どうして、それが、関係があるというふうに、つまり、関係があるとすれば、どういうふうに考えたら、それは関係づけられるのだろうかということは、じぶんなりに色々よく考えたことなんですけど、それでもってぼくが考えたことは、結局、もし、子どもの時の母親との接触の仕方というものの失敗というものと、それから、現在の社会的な行動の中での挫折が病気の病像を獲得するという、病像を手に入れるということと関係があるとすれば、それは「受け身」になった人が、つまり、病像を獲得した人が、じぶんの心の中では、あるいは、心の深層のところでは、社会的な行動における人間関係とか、社会的な圧力というものと、それから、じぶんの母親との関係で獲得した抑圧感とか、苛立ちとか、そういうようなものとを、じぶんの中では同じものだとしてしまっている、そういう人たちが病像を獲得するんじゃないか、つまり、その人の心の中では、ふたつは決して別のものじゃないというふうになっているのじゃないかというふうに考えるのが、いちばん考えやすいと思うわけです。
それは同時に、今日おしゃべりしてみたいことのひとつなんですけど、それは個人の母親との接触の失敗とか、接触の仕方を乳胎児の時期にやった、つまり、「受け身」の形でやった時期というものは、人間の社会の歴史というものと、あるいは、共同体の歴史というものと、対応づけるとすれば、ある時期と対応づけられるのではないかと、そうするとわかりやすいんじゃないかというふうに、逆に考えることができると思います。つまり、病像をじぶんが手に入れてしまった人たちの心の奥の底のほうで、社会的な構造における挫折というものと、それから、母親との乳胎児のときの接触の仕方の挫折とが、一緒になっちゃっている、つまり、同一視されちゃっているとすれば、逆に今度は共同体がある段階にあった時と、それから、そういう人間が乳胎児期に「受け身」の形で母親からお乳を飲ませてもらったり、オムツを替えてもらったりした、そういう時期とを関連付けるということが、対応づけるということができるのじゃないかというふうに、逆に考えることができるというふうに思います。
それでもって乳胎児期にもっぱら「受け身」の形で、もっぱら女性的に、じぶんが女性として授乳を受けた、あるいは、様々な世話を焼いてもらったというような、そういう時期というのを、もし人間の歴史の、共同体の歴史の段階に対応づけるとすれば、非常にわかりやすい目安でいいますと、それはいわば、氏族の共同体が、つまり、原始共同体と古代的な共同体の半ば頃、あいだ頃から、はじまると思うのですけど、氏族の共同体は、共同体のメンバーの人たちに対して、外婚制といいますか、他の氏族の共同体の人と婚姻してはいけないというような禁制が設けられていた、そういう段階があるわけですけど、つまり、氏族の内婚制というのがあるわけですけど、内婚制というのをとっていた時期があるわけですけど、その時期に対応づけると非常に対応づけ易いと考えるわけです。
氏族内婚制の時代には、氏族のメンバーというものは、氏族の共同体が決めた氏族の内部の女性としか結婚することができないわけです。しかも、どの女性とも結婚できるかというと、必ずしもそうじゃなくて、このメンバー、この親族とはいけないとか、この親族とはいいんだとか、母方の親族とはいいんだけど、父方の親族とはいけないんだとかというような、そのなかでも色んな禁止があるわけですけど、大枠でいいますと、氏族の共同体の中のメンバーでなければ結婚してはいけないというふうな禁制が、共同体によって設けられていた時期があるわけです。
そのような時期に、たとえば、もし氏族の外でたまたまどこか狩りに行ったとか、猟に行ったとかいうところで、たまたま他の氏族の女性と出会って、あの女性はきれいだといって、あの女性と一緒になりたいとおもったとすれば、どういうふうにするかというと、ようするに、氏族の共同体には内緒でもって、どこかで会うより以外にないわけです。しかも、会って帰ってきて、共同体のチーフ、つまり、長に対しては、おれはどこにも行かなかったというふうに言わざるをえないわけですし、また、追及されたら、おれはそんなことはないというふうに言うより以外にないわけです。
もし、そんなことをしたということになりますと、共同体の掟を侵犯したということで、追放されてしまうということになるわけです。ですから、そんなことおれはしたことがないというふうに、他の氏族の共同体の女性と関係したことなんかないというふうに言い張る以外にないわけです。
しかし、その言い張り方というのは様々あるわけでして、これは神話の中でしばしば神婚神話というのがあるわけです。つまり、神さまと結婚したという、そういう神話があります。古事記の中にも2つか、3つくらいあります。
そのひとつをあげてみますと、たとえば、崇神天皇の時代に疫病がたくさん流行ったという、それで宮の神さまにお祈りしてあれしてもらったら、おれの係属、つまり、神さまの子である大田田根子というのがどこかにいると、それを捜してこいと、捜してきて、そいつにじぶんを祀らせれば、そうすればこの疫病は治るみたいなお告げがあるわけです。
捜させるといるわけです。それを連れてくると、大田田根子という子どもがいるわけです。それは神さまの子どもだということになっているのですけど、それはやっぱり部族の中の女の人が神さまと結婚して産んだ子どもだということになっているわけです。
どうして神さまだということがわかったかというと、『古事記』をみると、そういうことが書いてありますけど、その男がおまえは子どもを妊娠しちゃったけど、その子どもの父親は誰だというふうに親から追及されるわけです。そうすると、これはきれいな美男子の男が毎夜忍んできて、また帰っていくんだと言って、そうすると親は、それじゃあ、こうしておけとか言って、そこに土をいっぱい撒いて、針に麻の糸を通して、男が忍んで来た時に、男の着物の袖のところに針を通しておくんだ、そうすると、男が帰っていくわけですけど、麻の糸をたぐっていくと、宮山の神社の中に消えていった。だから、あれは神さまの子どもなんだというふうに、その男は神さまなんだということになるわけです。
ところで、神さまだということは、ほんとうは何を意味するかといいますと、氏族内婚制でもって、氏族の外のやつと結婚したり、関係を結んだりすることは禁止されているという、そういう段階では、外の男、あるいは、外の共同体の女と関係した時には、神さまと関係したんだという以外にないわけです。つまり、言い逃れる術がないわけです。
だから、神婚説話というのは、いずれにせよ、氏族内婚制といいましょうか、氏族内でなければ結婚してはいけないという強固な掟が氏族共同体の中に敷かれていた時代の婚姻ということを物語っていくわけです。
それで、神婚制といいますか、神さまと関係したんだという人間が大勢、共同体の半分以上になってしまえば、その共同体の内婚制というのは崩壊してしまうわけです。そうすると、その次の段階に氏族外婚制というのが敷かれる段階に入っていくわけです。
いずれにせよ、内婚制の段階というものが、授乳期に母親と乳児の関係、あるいは、乳胎児との関係というのをちょうど共同体の歴史というものと、つまり、人間の個人の精神的な歴史、あるいは、心の歴史というものと対応づけるとすれば、氏族内婚制の時代の共同体の段階と非常に対応づけやすいんだというふうに考えられます。
その時代には、氏族内婚制というのはもちろんですけど、そんなかで近親婚ということの禁制がまだ半分ぐらいしか通用しないというような段階だというふうに言うことができます。そうすると、このところでの男と女というのは、いずれにせよ、バイセクシュアルといいましょうか、両性具有的でといいましょうか、近親間というものと、つまり、近親の兄弟姉妹、あるいは、親と子というものとの関係というのが、まだ厳密な禁止になっていないところがありまして、それが、逆にいいますと、氏族の内婚制というのを支えていた面がありまして、だから、氏族内婚制時代の男又は女というのには、いずれにせよ、近親相姦的な性的な傾向というのも同時にあったというふうに考えることができます。
たとえば、フロイトがパラノイアの特徴について、非常に鮮やかなことを言っていることの特徴のひとつに、乳胎児期の母親との接触の失敗、つまり、じぶんが男であれ、女であれ、女性的であった時代、受け身であった時代に障害がある人間がかかりやすいパラノイアという病像があるわけですけど、そのパラノイアの病像のひとつには、必ず、同性愛的な傾向がつきまとうということをシュレーバーという症例を例にして詳細に述べております。それは非常にフロイトの鮮やかな点だというふうにおもいます。
パラノイアの病像にかかりやすい人には、同性愛的な傾向があるという言い方にも、精神医学者の中にはそんなことはないというふうに否定する人もおります。しかし、これはいわば精神の現象としてみますと、たいへんわかりやすくて、たいへん鮮やかなものだなというふうに素人には感じさせる、フロイトのいちばん見事な点だと、ぼくなんかには思われます。
男性でも女性でもそうですけど、同性愛的な傾向というのが、どうして生ずるか、たとえば、シュレーバーというのも、症例の記述の中で、幻覚の中でじぶんが男なんですけど女性になって、神さまと性行為をしたみたいな幻覚を抱くところがあるわけですけど、そういうことというのは、なぜそういうことになりやすいかといいますと、それはフロイトが同性愛的傾向ということで指摘していることなんですけど、それは近親間があまり禁止になっていないということと、それから、氏族内婚制時代の外の人と結婚する時には、神さまと結婚したんだと、男じゃなくて神さまなんだと、見知らぬ神さまがやってきて、性関係を結んだんだというふうに、弁解する以外になかったその時代の病像というのをフロイトはよく症例の中で分析していまして、根本的にいいますと、そういう時代に障害感をあたえられた、つまり、人がかかりやすい病像のひとつは、やはり同性愛的傾向というものとかかわりがあるんだというふうに指摘しているわけです。
ぼくはそのことにあまり賛成がないにしろ、反対であったにしろ、それはかかわりなく、それは共同体のある段階というものと、それから、精神的な病像というものの、ある病像のあり方というものと対応づけようとする場合に、たいへん考えやすいといいましょうか、対応づけやすい考え方になるんじゃないかというふうに思われます。
ですから、さまざま社会的な人間関係のなかでの挫折とか、衝撃とかによって、あるひとつの病像を獲得していったという、その病像の獲得のされ方というのは、その病像を獲得した個々の人の中では、じぶんの生涯の乳胎児のある時期というものと、それから、人間の歴史の社会のある段階というものとを同一視してしまう、だから、社会的な行動と、じぶんの性的な処遇のされ方とが、同一であった時期ということに、じぶん自身の精神を還らせてしまう、あるいは、退行させてしまうということが、そういう具体的な病像を生みだす、あるいは、その病像をじぶんが獲得してしまう、あるいは、逆にいいますと、その病像をじぶんが獲得することによって、じぶんの心は、つまり、社会的な行動と、それから、じぶんの精神的な傷、あるいは、無意識の傷というものが、同じであったそういう時期にまで、じぶんを還してしまうということが、そういう病像を逆に獲得してしまう原因なんだというふうに考えますと、非常に考えやすいんだというふうに、そうしますと、ぼくらがどうして具体的には学生運動の挫折であるとか、労働運動の挫折とか、社会運動の挫折とかが、どうして病気と関係しちゃうんだと、その病気というのは、どう考えてもご本人が意識していない時代、意識できない時代における、親あるいは親につぐ重要な人間とのかかわり方のなかに、非常に根本的な原因があるというふうに考えられるのかということを説明する場合に、つまり、考える場合に、非常に考えやすいというふうに、ぼくらは考えてきたわけです。そういうことが、あくまでも図式的ですけど、図式的に考えられるようになりまして、ぼくはずいぶん色んなことが納得しやすくなったということがあります。
ぼくらの周辺にいつもおりまして、電話とか、あるいは直に訪ねてきたりしてやってくる、そういう人間から受け取る、一種の「受け身」というような人間像というのを考える場合に、非常に考えられやすいと、じぶんなりになんとなくあるスッキリした感じといいましょうか、なんとなくわかったぞというような、一歩わかったぞというような感じというものを得たきっかけになったわけです。
ですから、ぼくは非常に強引ではありますけど、人間の病像を獲得する第一義的な要因になっている、乳児・胎児という時代からの母親、あるいは、それに代わる重要な人間との接触の仕方の中に問題があるという、その考え方を敷衍していって、どこまで敷衍できるかというようなことを色んな面で考えていきたいわけで、それをよく考えられたら、じぶんなりに納得のできる対処の仕方といいますか、乳胎児期の母親あるいは母親に代わるような人間との接触の仕方のなかの対応というものを、できるだけ緻密に詰めていきたい、対応づけていきたいみたいなことを色々な意味で考えてきたわけです。そのことを、もうすこしだけ、具体的に、あるいは詳細にといいますか、細かく申し上げてみたいと思います。
これは、サリヴァンみたいな人がそれなりによくやっていることなわけですけど。これは、段階はいくつも人によって想定することができるとおもいます。先ほど乳胎児期と言いましたけど、胎児および誕生といいましょうか、分娩といいましょうか、そういうことを契機にして、赤ちゃんというのは、母親との外界からの接触がはじまるわけなんですけど、そのときは、先ほど申し上げましたとおり、母親のお乳をもらうということ、お乳をもらえなければ死んでしまうわけですし、だから、お乳をもらうということに対して、あくまでも、赤ちゃんというのは「受け身」のまま、それをいただいているわけです。
ところが、赤ちゃんのお乳のいただき方というのは、赤ちゃんのほうには、格別いただくほかに術がないわけですけど、母親のほうにとっては、ただ、いただかせているだけじゃなくて、様々な思いをしながらいただかせているわけです。つまり、いただかせながら、旦那との仲がどうしてこんなに悪いんだろうということを考えているかもしれませんし、どうしてこんな子を産んじゃったんだろうというふうに思っているかもしれませんし、また、目に入れても痛くないというふうに思いながら、お乳をやっているかもしれないのです。このことは、お乳をやっているということのなかで、赤ちゃんのほうにはひとつの態度しかないのですけど、母親のほうの態度は、それは千差万別でして、千差万別の態度をお乳をやるというひとつの行為の中に、ぜんぶ込めているわけです。ですから、この行為は母親のほうからいえば、非常に重層的なものだとおもいます。
そして、これを受け取る受け取り方は、乳児のほうは、これを受け取っているのですけど、受け取っていてもこれを意識して受け取ることはできていないわけです。だから、これがやがて無意識の形成に大きな役割をするわけですけど、しかし、もっと大きくなってから思い出しても、けっして思い出すことはできないのです。思い出せるときはもっと大きくなってから、4,5才になってから以降のお乳を飲まされた思い出は思い出せるでしょうけど、乳児の時にお乳をどういうふうに飲まされたかということは、その人にとっては思い出すことができないわけです。
だから、母親だけしか、それはわからないわけですけど、しかし、そこはたいへん大きな問題があるわけで、様々な個性とか、様々な性格とかいうのをもし形成される第一要因があるとすれば、そこのところで、まず始まるというのがいえるわけです。
それから、もうひとつあります。誕生したばかりのときには、自我といいますか、じぶんというものは、あまり外界との区別がついていないわけです。ところが、お乳を飲ませられるその時期に、だんだん母親のお乳を飲みながら、じぶんというものと、それから、じぶん以外の外部のものがあるんだというようなことを、おぼろげながら、だんだん、じぶんの中で固めていくというのがだいたい乳児の時期だというふうに思います。
この時期は、たぶん、人間の共同体の社会的な歴史の中で、共同体の歴史ということを考える必要がない時期だとおもいます。つまり、この段階では、たぶん、原始共同体からほんのちょっとだけ進んでいる、そういう段階を想定すればいいので、そこでは、共同体の意志というのと、個人のその中のメンバーとの意志とが、まだ矛盾をきたしたり、分離をきたしたり、特にメンバーの側から共同体に対して違和感をもったりということの段階がなかった段階というふうに想定すればいいわけだとおもいます。
その誕生の時期を過ぎまして、あとどういう時期を想定すればいいかといえば、やっぱりそれは小児、子どもにはならない幼児という時期を想定すればいいと思います。幼児という時期は特別にあれがないように思いますけど、しかし、これは母親のおっぱいを対象としていた時だけでも、まだ、様々な態度がありうると申し上げましたけれども、それだけでも、様々な反応をじぶんの側から提出することができるわけで、幼児というのは、たとえば、じぶんが嬉しそうにおっぱいを飲んでいたら、母親もまたその顔を見て嬉しそうにしておっぱいをくれたとか、母親がおっぱいを邪険に取っちゃった場合に、じぶんが奇妙な顔をしたら、母親のほうも奇妙な顔をしたとか、そういう意味あいで、幼児が母親に対して様々な反応ができるようになった時で、それで、幼児が、じぶんが満足していると母親が満足していると、母親が満足しているとじぶんも満足するというような、そういうことのなかに一種の察知の能力みたいなものが形成されるというのは、たぶん、そういう時期の体験というのがどこかに挟まっていて、それが作用するのだと思うのですけど、そういう幼児の時期に、一種、察知の能力というものを、つまり、母親が喜んでいるとじぶんも嬉しそうにお乳を飲むことができるとか、母親が邪険にしていると、じぶんもなんとなく、お乳を飲んでいてもおもしろくないという感じになるとか、あるいは、逆にじぶんが楽しそうにお乳を飲んでいると、母親も笑顔になるとかいうふうに、そこで母親とじぶんとの心的な交流というもののなかに、ツーカーで通じるみたいな感じというのを獲得するのは、たぶん、そこいらへんのところで、また長じて、じぶんは察知の能力があると、つまり、遠くのほうで起こったことを、じぶんは知ることができるとか、遠くで起こっている風景を思い浮かべることができるというふうに言う人が、たくさん世間にはいるわけですけど、そういう人たちは、たぶん、そういう幼児期の察知の能力の時期の心の体験というものを非常によく保存しているものじゃないかというふうに思われます。つまり、遠隔のことが超能力でわかるんだと言ってみたり、目隠ししたって何書いてあるかわかるみたいなことを言う人というのはたくさんいるわけですけど、そういう人は、たぶん、それが嘘かほんとかということは別にしまして、幼児期の母親との察知の交換といいましょうか、わかっちゃうというような感じというのをもつわけですけど、両方とも、母親ももつわけですけど、子どものほうももつわけです。つまり、無意識のうちにもつわけですけど、この時期の体験というものを非常によく保存している人というのは、後年、じぶんは察知の能力があるというふうに、あるいは、遠隔を思い浮かべることができるというふうに言い張る人というのは、たぶん、この時期の心の体験というものを大事に保存しているとか、あるいは、無意識のうちに保存してしまったというような、そういう人なんじゃないかというふうに思われます。
この段階をどういうふうに超えるかということが、たぶん、共同体というものと共同体の個々のメンバーというものとが別なんだと、つまり、共同体の意志と、それからまた、個々の人間の意志とは、また別なんだという、つまり、それは別々の問題なんだ。たしかに別々の問題であって、まだ共同体から様々な強制力をあたえられると掟には従わなくちゃならないというふうになっているわけだけど、しかし、共同体の意志と、個々のメンバーの意志とは、ぜんぜん違うものなんだと、違うものをどこで掟によって合致させるかということの問題なんだというふうに、共同体がある進歩した段階になりまして、そういうことがおぼろげに問題となってきて、それならば、個々の人が氏族の外の共同体の人と結婚したいんだと、あそこの共同体のあの女の人と結婚したいんだというような意志をもった場合には、それは共同体の意志とは必ずしも無関係じゃないけど、しかし、それとは同じじゃないんだから、じぶんは氏族の外の共同体の女の人と結婚しちゃうとか、男の人を迎え入れてしまうとかいうことが、ある程度成り立ってきた段階の共同体というものと対応づけることができるんじゃないかというふうに思われます。
この段階になりますと、共同体と個々のメンバーとの意志のあいだの分離といいましょうか、違いというもののなかで、ものを言ってくるのは、たぶん、人間にとって、様々な言葉であるわけです。言葉というのが、たぶん、意志を表示する場合の非常に大きな役割を担って登場してくるということが出てくるというふうに思われます。
また、個々の赤ちゃんみたいな場合でも、言葉とか、図形みたいなものを媒介にして、母親との意志というものも、言葉や絵とか、形とか、そういうものを媒介にして、母親との関係があるんだということを、ある程度、意識しだすことができる段階だというふうに言うことができると思います。だから、そこでは母親の意思も働き、母親との意思の疎通とか、意思の調和が、赤ん坊にとって重要なことなんですけど、しかし、それは直接の、母親がこう思ったらすぐわかっちゃうとかいう直接の察知のわかり方、推察したわかり方じゃなくて、ある程度、言葉を媒介にしたり、それから、ある形を媒介にしたり、ある物を媒介にしたりして、母親との意思を疎通していくということが、ある程度できる段階が、人間の小児、子どもの段階で、そういう段階に入っていくんじゃないかとおもいます。
この段階も様々な形がありうるわけなんですけど、それはよくよくあれしますと、やっぱり、人間の築いてきた社会の共同体の組み方というもの、とくに共同体と個々の人との性的な組み合わせ方との段階があるわけですけど、そのこととある対応をつけることができるとおもいます。この対応のつけ方というのは、できるだけ緻密にといいますか、厳密に詰めていったほうがいいので、現在なされているような詰め方の段階よりもっとうんとよく詰めていって、これは歴史みたいなものもそうですけど、社会の歴史みたいなもののあり方としてもそうですけど、人間の生涯の母親との接触の仕方というものの詰め方でも、いまよりももっと厳密に、あるいは、もっと緻密に詰めていって、具体的なイメージが浮かんでくるぐらい厳密に詰めていくというふうになされたら、非常にぼくらは楽だなといいますか、ありがたいなという感じをもつわけです。
小児の時期を過ぎてしまいますと、まだ、さまざま言うことができますけど、まず学校に入る学芸期みたいな時期に、児童みたいな時期に入っていくわけです。児童みたいな時期というのが何なのかということが問題になるわけですし、また、それ以前の母親との離れ方がうまくできていないと、学校に行くのがきつくてしょうがないということが、どんな子どもでもありますし、ぼくもそうだったんですけど、小学校に行くのが嫌で嫌でしょうがなくて、息苦しくてしょうがなかったということを覚えています。じぶんなりの解決法は、授業時間は遊んでいてといいますか、あまり熱心にやらないで、遊び時間に一生懸命遊ぶといいましょうか、つまり、遊び時間のために小学校にいくというふうに、じぶんなりに解決して、息苦しさというのを、じぶんなりに逃れたといいますか、そういう経験があります。
だから、それ以前の母親との接触の仕方というのに、どこかにうまくふっ切れないところがありますと、学校に行くのがものすごくつらいというふうになります。ものすごくつらいということは、相当、いじめるとか、いじめられるとかいうことと、ぼくは関係があるというふうに思っています。だから、これはかなりきつい段階で、これをしいて段階として分ければ、学童期ということになるわけです。
学童期というのをしいて言ってしまえば、サリヴァンがいうように、じぶんと同じようなやつと組をつくる、集団をつくるという、はじめての場面だというふうに言ってしまえば、つまり、じぶんと同じような年齢であるし、同じような顔をしているし、同じような服を着ているしというような人たちとの仲間というものを初めてつくる時期が学童期なんだというふうに考えれば、そういう意味づけはできるとおもいます。
たぶん、これはある共同体の中で、男組とか女組、男組が組をつくって、一緒に当番で狩りに行くとか、猟に行くとかいうような、そういうきまりを共同体内部で男組をつくり、女組をつくりというような、女組はどうするかというと、女組はやっぱり組をつくって、浜辺で海藻を採ってあれしていくんだとかいうふうに、男組・女組みたいのをつくって、共同体の中で小さなそれなりの自立した集団というのをつくる時期が共同体の歴史のなかにありますけど、つまり、男組、女組みたいなある機能を発揮するみたいな、そういう共同体の段階みたいなものと、ある対応づけをすることはできるんじゃないかというふうに思われます。
この段階は、いまいちばん、いじめということでいちばん問題になっているのは、この段階のことが問題になっているとおもいます。つまり、この段階で男組・女組とか、あるいは、じぶんと同じような顔をしたり、同じ年齢で、同じようなことを考えているやつとの組のつくり方というのが、うまくつくれないんだとおもいます。
なぜうまくつくれないんだということは、非常に様々でありましょうけど、簡単に言ってしまえば明瞭なことであって、母親との関係の仕方がどこかで問題だったわけでして、そのことを抜きにしたら、ほんとうをいうと、いじめの問題みたいなものは、学童いじめの問題とか、学校暴力とか、そういうような問題というのは、ほんとうは解けるはずがないので、だから、少なくとも、これは二世代に渡って、二世代を集めてやったほうがいいとおもいます、ぼくは。そういう問題のようにおもいます。
それは、何かと言いますと、いま言いましたように、学童期という問題になりまして、この時にはじめて、男組・女組というのをつくって、我ながら、ある共通のことをやる場面に限っていえば、じぶんは共同体の絆からいっさい解き放たれていると、つまり、男組あるいは女組だけの意志決定でもって何かやっちゃっていいというような、そういうふうな気分になれる初めての段階なわけです。
これはやはり共同体がある段階で、形態は様々でありますけど、必ず遭遇していると言っていいのです。ですから、たぶんそれは、もし機械的な対応であるということを我慢しさえすれば、学童期というものは、そういう共同体の段階と対応づけることができるんじゃないかというふうに思われます。
この共同体の、この段階を過ぎていった場合に、あとは問題とするのは、たったひとつしかないのです。それは思春期に入りかける時期です。あるいは、思春期の初期でもいいのですけど、思春期に入りかける時期なのです。
思春期に入りかける時期というのは何かといいますと、これはさっきの病像と反対なことになるわけですけど、社会的な行動というものと、じぶんの中にある母親から無意識のうちに習い覚えた性についての行動ですけど、性についての行動というものとが分離される時期です。
逆に言いますと、社会的な行動のほうが、わりに重要なことなんだということを、じぶんにとって重要なことなんだということに、はじめて気がついていく時期でありますし、同時にじぶんのエロス的な行為・行動、あるいは、エロス的な心情というものとが、はっきりとある程度、分離できる時期にあたります。この時に、人間は異性というものと、どういうふうに出会うかという出会い方がわかるわけですし、同時に共同社会というものと、それから、じぶんの個人の性愛の行動というものとは別なんだということ、あるいは、別の次元なんだということを初めてはっきりした形で、じぶんが獲得する時期にあたっているというふうに思います。
こういうふうになりました時には、共同体の段階でいいますと、この共同体はいつでも共同体を統合しまして、部族の共同体、つまり、その上の共同体、いってみれば、はじめの国家なんですけど、国家の最初のかたちなんですけど、国家の最初のかたちを作ることができるという段階に、共同体の歴史としては該当するというふうにおもいます。つまり、対応するというふうにおもいます。
これはヨーロッパとアジアとはまた違うのですけど、個々の家族の集団、あるいは、親族の集団というものと、それから共同体とは、はっきりと次元が違うものだということが、はっきりさせられる時期であります。こういう時期になりました時には、共同体は国家を作ろうと思えば作ることができる。つまり、甲の共同体と乙の共同体の大将たちが寄り集まって、国家を作ろうじゃないかと言えば、作れるという段階になったということを意味しています。
このときになりますと、個々の人間の性愛の行動というのを決定するとか、性愛の行動を規定するのは、つまり、規制したり抑圧したりするのは共同体ではなくなってしまって、たかだかそれは家族であったり、家族の家父長であったりとか、大家族の父親であったりとかいうような、つまり、家族ないしは親族というものの意思というようなものが、個々の人間の性愛の行動、つまり、こういう結婚とか、男女の仲という関係とか、そういうようなものに対して影響力を及ぼすことができるのは、親族とか、家族とかいうものに限られるわけです。
この限られる段階というのは、アジア的な社会ではわりあいに最近までといいましょうか、明治以降でもなかなか、つまり、近代でもなかなか払底できないくらい大きな影響を及ぼして存続したわけです。これはアジア的な社会の特徴なわけですけど、これはもしかすると、皆さんのところでもまだ、親の意思とか、親族の意思が、個々の男女の結婚ということに大きなある作用を及ぼしているのかもしれませんし、それだから悪いとかいいとかいうこと以前に、アジア的社会ではそういう段階が非常に長く続いてきたわけです。
これもまた人類がある歴史の段階で必ずたどった時期なので、その時期の力が大きく残っている社会というのはアジア的な社会といいますけど、アジア的な共同体の社会というのは、そういう時期が大きく残ってきたということなので、残ってきたのは悪いことかいいことかというふうにいうと、これは一概にいえないので、そのほうがいいこともあります。つまり、悪いこともあります。だから、そんなことはいい悪いと言う前に、ただ残ってきちゃったんだということ自体は非常にはっきりしているので、ほんとうをいいますと、これはかなり前に、日本でもそうですけど、国家が初めてできた、その頃に近い頃には、すでに国家が個々の男女の結婚を、おまえはこいつと結婚しちゃいけないとか、いいとか、そういうことを言うことはなくなっちゃっているので、せいぜい、親族とか、家族とかが規制して、個々の男女の結婚に指図をするということになったのは、千年ぐらい前からそういうふうになったといえば言えます。それがまだ、いまでも残っている地域があるかもしれません。また、そんなことは完全になくなっちゃったっていう、そういうところもあるわけです。つまり、大きな都会なんかで一人住まいしている人たちにとっては、そんなことはぜんぜん問題にならないわけで、そういうふうになっているところもありますけど、地域によってはそれが残っているところもあるかと思います。
つまり、この段階はやはりいずれにせよ、共同体の歴史のある時点と非常に大きな関係をもっているわけですし、また、この時期の問題が個々に大きく残っているということが、個々の人間の心の歴史のなかでも、非常に大きな作用を及ぼしていくわけです。
青春期に入る前の時期を過ぎてしまいますと、もはやそれは大雑把な意味での現在ということになるわけで、その段階では本来的にいえば、個々の人の性愛の行動といいますか、性の行動といいますか、男女の仲の行動というものは共同体とも関係ありませんし、それから、個々の家族の意思とも関係ありませんし、それから、親族の意思とも関係がないというのが、いってみれば本来的なあり方の条件なわけです。本来的にはそういう条件になっているわけです。
そしてまた、具体的にはなかなかそうはいかなくて、さまざまな、親とか、兄妹とか、親族とかの意思もすこしは考えないといけないみたいになっているかと思いますけど、厳密にいってしまえば、そういう段階は過ぎちゃっていて、男女は個々の合意さえあれば、一定の年齢以上になれば婚姻することができるということに、建て前はそういうふうになっています。
それは個々の人間の心の歴史でいえば、思春期に入りまして以降というものは、そういうふうになってしまっているわけです。ここでは病像といいますか、心の病気の姿というもののイメージというのは、思春期以降の問題、あるいは、社会的な段階でいえば、現在以降の問題については、なにか病像の問題を打ち立てることができないわけです。病像の問題というのを考えることができない、いままで申し上げました意味では病像を考えることができないわけです。つまり、人間の心の無意識の中に入ってくる、どこかに傷とか、どこかに衝撃とか、そういうものがあって、それが人間の病像を作るんだという意味あいでは、思春期以降には、あるいは、社会的にいえば、現在以降では、全然そこに平等の要因というのを考えることができないというふうに思います。
だから、ここで病像にかかわりあることが言えるとすれば、まったく違うことじゃないかというふうに思います。その違うことというのは無意識に入ってくる問題ではないというふうに考えられます。これは、ひとつは、明瞭に社会における男女の性愛の行動というものと、それから、いわば社会構造というものとのかかわりあいの問題というところで、もし病像に入ってくる問題があるとすればあるので、これは無意識に入ってくる問題ではなくて、うまく言葉がないのですけど、システムに入ってくる問題だというふうに思われます。
システムに入ってくる問題として、もし、心の病像と関係が付けられる、あるいは、対応づけられる、現在におけるシステムの対応性というのを考えるとすれば、いくつか考えられると思うのですけど、いちばん大きな要因は、ぼくの理解の仕方では、先ほど一等最初に、パラノイアの病像みたいなことで言いましたような、個々の人間の中で、じぶんの中における社会的な行動と、それから、じぶんの性愛の行動というようなもの、じぶんの最も秘められた性愛の行動というものの原動力というものと同一視するということが、つまり、結び付ける絆というものがまったくなくなってしまったということが非常に大きなシステムの問題としていえるのじゃないかというふうに思います。ですから、病像というようなものをつくりようがないということだと思います。
つまり、個々の人間にとって病像をつくりようがない、もし、現在及び現在以降の問題を考えて、社会的な構造というものと、じぶんの精神的な、心理的な構造というものとの対応づけを考えようとするかぎりは、つまり、社会的な構造と心理的な構造というものとを対応づけて、それを同一視する、あるいは、同一視することによって、病像をじぶんが獲得するということは、もはや不可能になっているというふうに考えるのが、いちばんいいんじゃないかというふうに思われます。
病像をつくることが不可能になってきているということが、とても重要なことのように思われます。どうして重要かといいますと、これから以降、病気になる人というのはたくさんいるわけですけど、その病気というのは、ぼくは理論的にのみといいますか、つまり、架空にのみいいますけど、原則的にのみだけいいますから、決してこんなことほんとうにそうだと思わないで聞いてください。つまり、原則的にだけいいますけど、これから起こる心の病気の病像というものは、もしあるとすれば、全部が病気だというふうになるか、あるいは、じぶんの病気というのを、じぶんに関係づけられないというふうになるかというふうな、そういう病気が新しく発生してこないと、嘘なわけになるわけです。
つまり、論理的にだけいえば、そういう病気は必ず発生しますよと、つまり、皆がかかっちゃったっていう病気か、皆がどこかでかかってるんだという、そういう病像か、そうじゃなければ、それはシステムの病気なのであって、その人の個人の心の歴史というもの、殊に母親との、乳幼児期以降の母親とのかかわりあい、あるいは、母親に代わる人とのかかわりあいのもとにおける障害が、なんらかの意味で、第一次的要因となっているような病気というようなものを、いってみれば、過去に追いやってしまうといいますか、押しやってしまうことというのが、考えられるというふうにおもいます。
そういう病気のあり方、つまり、本来ならば、それがあるがために病像が成り立っていた、その病像をぜんぶ過去に押しやってしまうというような、そういう社会的なシステムのあり方というものも出てくるようにおもいますし、もし、新しい病気が起こるとすれば、たぶんそういう、システムの病気なのであって、その人の無意識のどこかに奔騰するもの、滾り立つものがあったり、短絡するものがあったり、また、個々の人の心が崩壊して、先ほど言いました原始共同体を少し出たときの、まだ自己を編成できないみたいな、世界とじぶんとが区別がつかないで、無茶苦茶に荒れまくっているというような、そういう病像をつくろうとしてもつくれないというような形になりまして、たぶん、新しい病像というのが、もし、現在以降の病気というのを考えれば考えられるんじゃないかというふうに理論的にはおもわれます。
それから、もうひとつは、どんどんどんどん、人間の心の病像というふうに考えられている様々な症状があるわけですけど、そういう病像の人たち、あるいは、そういう病像のシステムというものをどんどん過去に追いやってしまう、無関心のところに追いやってしまうというような傾向、そういうような傾向はどんどん大きくなってしまうんじゃないかというふうに思われます。
そうすると、それはたぶん、心の病像というのは、なかなか払底することができないわけですけど、その病像というのにとっては、とても大きな問題になっていくような気がします。重要な問題になっていくような気がしますし、よほどうまく、これからの病像といいましょうか、これから生まれるだろう病像というものと、関連づけといいましょうか、関連づけをよほどうまくできないと、何かそれを過去にどんどん追い払われてしまう、無関心のところに追い払われてしまうということが、ぼくはこれから以降とても大きな問題としてやってくるんじゃないかというふうに思われます。
これは、ほんとうは、どういうふうになっていくのかわかりませんし、また、それに対して、どういう対応の仕方が成り立っていくのかわかりませんですけど、ただ、原則的にいう限り、共同体の歴史的なあり方というものと、それから、個々の人間の心の歴史というもの、つまり、母親との関連から育まれてきた心の歴史というもの、その心の歴史、そして、それが、病像の原因であるわけですけど、それとのかかわりあいというようなことを対応づけていくかぎり、どうしても、そういうような考え方に至らざるをえないので、これから後の問題というのは、いずれにせよ、まったく新しい未知の病像にぶつかっていくか、あるいは、遭遇し、当面していくか、また、いままでの病像というものを、どんどん過去に押し流されてしまうというような、そういうことにぶつかっていくか、そのどちらかの面にぶつかりながらいくんじゃないかというふうに、どうしても考えざるをえないところがあります。
これ以上のことは、ぼくはわかりませんけど、ぼくなんかが、じぶんがごく少数でなじみ深い人たちなんですけど、20年くらい付き合ってきました少数の人たちを、「受け身」の姿というものを通して、じぶんなりに考えてきましたことから結論といいますか、あるいは、対応づけられることは、だいたいこういうようなところに、筋道としていえば尽きるのではないかというふうに思われます。もし、また後で討論みたいなことで起こってきたらお話ししたいとおもいます。いちおうこれで終わらせていただきます。
(質問者)
吉本先生にお尋ねしたいんですけど、スプーン曲げ等の超能力ですね、いわゆるそういうものについて、直接そのことではないとおもうのですけど、そういう関係のことにつきまして、幼児期の母親との意識といいますか、言葉とかそういうものではなくて、気持ちだけの交流が、成長してそういうことになったんだということをお話されたかとおもうのですけど、そういう能力につきましては、吉本先生はどのようにお考えかをお尋ねしたいと思いまして。そういう能力を是としているのか、否としているのか。新聞等で、スプーン曲げとか、そういう超能力的なものが世間で評判になったことがあると思うのですが、結果としてそういう形であらわれると、大人になったら。そういうものが是と考えておられるのか、否と考えておられるのか、教えていただきたいと思いまして。
(吉本さん)
それはべつに是とか否とかということではないのではないでしょうか。そういう人がいるということじゃないでしょうか。つまり、いるということであって、おまえは信ずるかどうかということですか、いってみれば、おまえはそういうやつを信ずるのか。そうじゃなくて、それはいいことか、悪いことか。
(質問者)
病理に結びついているのか、それとも病理に結びついていないのかということかとも思うのですが。私も、いま現在、乳児期の子どもがいまして、そういう面で関心がないこともないものですから、その点、どういうお考えかなと思いまして。質問しましたところです。
(吉本さん)
そういう場合、申し訳ないんですけど、ぼくは文芸批評家ということになっているんですけど、文学という立場からいっちゃいますと、立場に還ってしまうといいますか、そこに究極にはいっちゃうわけですけど、そこでは、あまりないんですけど。病気とか、病気でないとかって、もっと別なことをいいますと、善とか、悪とかいうのも、あまりないといいますか、あまり区別もないし、あんまりなくなっちゃうんですけど、なくなっちゃう立場になってしまうのですけど。
どうもあなたの聞きたいことは違うんじゃないかとおもうのですけど、どういうふうに言ったらいいか、つまり、その人にとってはいいわけですよね、いいことしているわけだとおもうのです。そういうことじゃないですか。それで、じぶんが困ったとおもう場合と、いいことしているとおもう場合とあるんじゃないでしょうか。それ以上に何かないんじゃないでしょうか。
いいとか、悪いとかいうことは、ぼくはないような気がします。そういう存在があるわけで、それは、いいことか、悪いことかといったら、いいとか、悪いとかいうことは、ぼくはないと思います。ただ、おまえは超能力的なことを信ずるか、信じないかといったら、合理的な解釈といいますか、論理的な解釈ができるかぎりは信じないというふうにおもっています。たいていはできるんです、合理的な解釈ができるとおもっていますから、あまり特別な人だとはおもっていないです。そんなのでいいでしょうか。
(質問者)
吉本先生にお伺いしますけど、さきほどから、母親と乳幼児についての関係を説明されて論を展開されておられましたけど、私、先生の、10年くらい前に、『共同幻想論』を読んだことがあるんですけど、そのなかに「対幻想」という言葉が出てくるのですけど、「対幻想」というのは夫婦間のことを「対幻想」というふうに規定されて書かれていたようですけど、それと乳幼児の関係はどうなるのかという点です。
母親と子どもの関係というのは、一方のほうは、重層的に社会的な問題とか、家族の問題とかを抱えた幻想をもっていると、片一方のほうはぜんぜんおっぱいをくわえているというような感じで、意識が存在しているのか、存在しないのかという形になっているのですけど、そういう場合は、どういうふうに吉本先生は対幻想の関係を規定していくのか。今日のお話との中で、もうすこし、そこらへんのところを掘り下げてお話を聞きたいのですけど。
(吉本さん)
それは非常に簡単なことで、そのときにも、よく読まれたらそういうふうに書いてあったんじゃないかなと思うのですけど、「対幻想」というのは、いちばんあれした定義をいってしまえば、ひとりの人間とじぶん以外の他のひとりの人間との関係というのが「対幻想」なんです。
家族というのは、母親と子ども、もちろん乳幼児の間にも、ようするに、母親と男の子の間にも、女の子の間にも、もちろん、父親と男の子の間にも、女の子の間にも、兄弟姉妹の間にも、対幻想はあるわけです。それは実際の性行為を伴うか伴わないかということは、別なんですけど、伴うのは夫婦だけが性行為を伴う対幻想なんですけど、家族の中では。だけど、それだけかといったら、対幻想の関係はそうじゃないのです。
家族というのは、非常に面倒くさいのでして、面倒くさいことは、あなたが具体的にあなたの家族を考えれば非常によくわかるとおもいますけど、ようするに、母親と息子の間にも、母親と娘の間にも、父親と娘・息子の間にも、それから、お婆さんと孫の間にも、それから、兄弟と姉妹の間にも、対幻想というのは、つまり、エロスというのはあるんです。ただ、実際の性行為を伴わないのだ。性交行為を伴わないけどもあるんです。だから、そのなかで性交行為を伴うのは夫婦だけでしょう。だけど、それだけかといったら、そうじゃなくて、家族というものの定義自体が、重層した対幻想というのが家族なんです。それでいいんじゃないですか。
もっとほんとうに定義しちゃえば、ひとりの人間とじぶん以外の他のひとりの人間との関係の仕方というのが「対幻想」なんです。そういうふうに定義するわけです。それは、あなたとぼくの関係の仕方でもいいのです。とにかく、ひとりとひとりだったら、それが対幻想なんです。それは三人とは同じじゃないのです。それから、大勢とも違うのです。必ず、ひとり対ひとりの関係というのは違うのです。男と男であろうと、女と女であろうと、男と女であろうと、そんなことには関係なく、ひとり対ひとりの関係というのは、これはひとつの特異な次元を要求するわけです。人間の心のレベルの中で、特異な次元を要求するものなのです。そういうふうに定義したんですけど。
(質問者)
吉本先生のおっしゃることは、いつも本を読んでみてもむずかしすぎて、よくわからないのですけど、共同体とかかわっていくときのかかわり方のところが、対幻想から発生して、家族ができて、家族から地域社会ができて、共同体が進んでいく、国家論まで先生の論は展開されていくんじゃないかとおもうのですけど、そこらへんで新しい病像の獲得ということがさっき出てきたんですけど、この新しい病像の獲得というのは、私なりに考えてみれば、ひとつの管理社会みたいなことがでてくると、そうなると、たとえば、この部屋ならこの部屋にたくさんの人が集まっておられますけど、空調なら空調をストップすれば、みんなある程度病気になるというような、管理された社会というものを考えてみていいのでしょうか。吉本先生の病像が出てくるシステムというもの、システムの内容がもうちょっと具体的な病像というのを聞かせていただくといいんじゃないかと思いますが、そうすると、『共同幻想論』にでてくる共同体のイメージと重なってくるんじゃないかなというふうに考えているのですけど。
(吉本さん)
ぼくがポイントだと考えていることは、ひとつはさっき申し上げましたとおり、社会の制度のあり方といいましょうか、社会のあり方、あるいは、構造というものと、それから、個人の心理構造といいますか、心理的な構造といいましょうか、そういうものとの対応づけがまったく不可能である、まったく対応づけられなくなってしまうだろうなと思うことがひとつ重要だとおもいます。
対応という代わりに何かが代わるわけだと思うのですけど、それは、あなたのおっしゃる管理というのも、そのひとつのような気がするのですけど、そういう具体的な言葉じゃなくて、もうすこし抽象的な言葉で共通点を要約したほうがいいと思うのです。管理という言葉は非常に具体的な言葉なんだけど、そうじゃなくて、もうちょっと抽象的な言葉で、共通であり、普遍なということを掴んだほうがいいと思うのです。それがひとつあるんじゃないでしょうか、あるような気がするんですけど。
もうひとつは、ぼくが考えるのは、もっと病像はたくさんあるんですけど、新しい病像の要因になるのはそんなにないんです。もうひとつ、しいて考えれば、ぼくは、無意識の形成というのは均一化しちゃうということじゃないでしょうか。つまり、あなたの無意識の傷とか、タイプというのも、他の人のタイプも変わり映えがないというふうに、だんだんなっちゃうような気がします。そこで出てくる病像というのがあると思うのです。
それがなんであるかということは、なかなか具体的なイメージをつくれないけど、しかし、そういうのは昔だったらそうでしょう、性格も違えば、教育も違う、環境も違うという、職業も違うという、そういう母親が子どもに対する態度も千差万別だ、それからまた、子どもが少ない時と多い時とは、母親の態度自体が違っちゃうとか、千差万別だったんだけど、だんだん、考えるに、だんだん、どの母親も変わり映えがしなくなってくるし、子どもの育て方も変わり映えしなくなる。子どもの人数、産み方も、変わり映えしないっていうふうになってくるし、まして、もうひとつ重要なことは、経済的環境が対して変わり映えしなくなっちゃって、ぼくらがよく社会のピラミッド型で、金持ちが少数いて、すそのに貧乏人がいてっていうのが、だんたん、樽型というふうにいうのだけど、樽型みたいになってきまして、そういうふうになってきて、ようするに、経済条件も変わり映えしないというふうになっていくでしょう。そうすると、必ず無意識が変わり映えしなくなっちゃうとおもうのです。それから、無意識の傷の受け方もあまり変わり映えしないというふうになりそうな気がするのです。それはひとつの病像を形成すると思うのです。
ところで、いまの病気があるでしょ、盛んに教育者が現代社会の病気だというふうに、たとえば、いじめであるとか、学校内暴力であるとか、現代社会の病像だといっているのがあるでしょ。それは、ぼくは違うとおもっています。厳密にいえば、それは過去の病像です。現在以降に起こる病像じゃないです。過去の病像を引きずっているのです。
過去の病像というのは簡単であって、いま、母親の世代というのの子どもの小さいときの育て方というところが、非常に問題だったんです。問題というのは、母親が悪いということじゃないんです。つまり、そこがある転換期だったんです。激烈な眼に見えない転換期だったんです。そこのところの問題がいじめとか、小学校上級生のいじめとか、高校生の家庭内暴力とか、それが出てきているというのは、そういうことの一世代後の表現であって、それはようするに過去の病像です。
あらわれているのは、現在、やっとあらわれてきたわけだし、また、これからもすこしの期間はあらわれるでしょうけど、それは現在、あるいは、これから以降にでてくる新しい病像ではないです。つまり、治る病像じゃないです。いずれにせよ、古い病像です。これのやり方というのは、少なくとも、原理的には非常に簡単なことだよね、簡単なことというのはわかっていることなんです。そんなむずかしいことは何もないです。ただ、やれるかやれないかは別問題ですけど、原理原則はむずかしいことじゃないです。よくわかっている病気だと、ぼくは過去の病気だとおもいます。
だけど、これから徐々に、ぼくは無意識の均質化ということが起こってくる気がしますし、そのときにあらわれてくる病像というのが、ぼくはあるような気がしています。あなたのおっしゃるように管理社会の管理ということも、そのひとつだと思いますけど、それでひっくるめることは抽象度が違うという気がぼくはしますけどね。
(質問者)
山口県の静和荘から来ましたミヨシと申します。吉本先生にお尋ねしたいんですけど、さきほどから個体の発達の段階ですか、そういういくつかの段階と、それから、共同体の発展形態というものを対応させた論理を展開されてこられたようにおもいますが、そのなかで、人間の思春期の初めごろというふうに、たしか言われたようにおもいますが、そういう世代に対応する共同体の形態として、たしか部族ということをいわれて、個人の意思には家族、親族のみが影響を及ぼす段階ということを言われたとおもうのです。そのときに、その部族は国家をつくろうと思えばつくれると言われた。ところが、その次に思春期に参りまして、急に現在になったような気がするのです。
そうすると、国家が成立される過程というものは、いったいどういうふうになるのだろうか、あるいは、国家の成立段階というのは、個人の発達段階においては、どういう部分に対応するのだろうか、あるいは、対応するというふうに考えておいでだろうかというふうに思うわけです。
『共同幻想論』を読んだときにも、ここの部分が非常にわかりにくいと、たとえば、モルガン、エンゲルスなんかと比べてもわからないわけです。エンゲルスなんかが言っていることのほうがずっとわかりやすいというふうに感じて、そこのところを先生のところにもう少し接近したいというふうに思いまして、そういう『共同幻想論』における対幻想から共同幻想への飛躍のところと絡み合わせて、お教え願えれば非常に嬉しいとおもいます。15年来の不安でございますので。
(吉本さん)
そういうことについても、ぼくはたびたび書いたり言ったりしているとおもうのですけど、氏族の共同体というのは、どういう共同体というふうに想定するかといいますと、家族がいて、家族の延長として、親族というのが、いくつも展開する、これは地域的にも、時間的にもそうなんですけど、展開できるわけですけど。親族がたくさん展開して、それが、それを一緒に統括する段階では、氏族の共同体というのが、それに該当するわけで、氏族の共同体というのは、少なくとも、中の内部構造を探ってみると、それは、家族から親族へ展開したものの連合した寄せ集めというふうに、だから、毅然としていえば、親族まで展開できれば、人間の集団が展開できれば、氏族の共同体というのはできるわけですけど。
国家、あるいは、部族の共同体というのができるためには、どうしても親族がどこまで多人数で展開しても、それから、広大な地域で展開しても、親族の次元でとどまっているかぎりは、どうしても、部族共同体、あるいは、部族共同体の一個または数個からできている国家、一等初めの国家ですけど、そういうものは、どうしても、そこまではいけないというふうに、ぼくは考えるわけです。
それは対幻想・共同幻想ということと関連付ければ、親族までは対幻想という考え方の延長線で理解することができるのです。ところが、その上の部族、あるいは、初源の国家といってもいいのですけど、部族共同体とか、部族共同体の連合である国家とかいうような次元は、どうしても、対幻想というのをどこまで広げていっても、どこまで地域を広範にしていっても、それは国家にはならないので、国家になるためには何かが必要なわけで、何かもっと次元が違うことが必要になってくるわけです。それは、対幻想から共同幻想へ飛躍するといいますか、跳躍する何か媒体が、どうしても必要なわけです。そして、それはその媒体ができて、跳躍できた時に、初めて氏族というのは、もうひとつ上の次元で集まろうじゃないか、つまり、上の次元で共同体を作ろうじゃないかって、その氏族が寄り集まって、一種の部族の連合体をつくり、それが国家として機能するということが成り立つわけです。
そうすると、対幻想と共同幻想のあいだに、それを飛び越える何かがなければならないというふうに思うわけなんですけど、それは何かといえば、ぼくは、それは禁止だと考えているわけです。タブーだと考えていますけど。つまり、ある展開されたAという親族と、Bという展開された親族の男女とは結婚することができる。しかし、Dという展開されたものとは結婚することができないんだというような、組み合わせの様々な禁止というものと、それから、可能な組み合わせというものとの、禁止ということがなければ跳躍できないのだろう、つまり、親族の体系からどうしてもそれ以上は展開できないということになるんじゃないかというふうに、ぼくは考えていますけど。
だから、どうしても、対幻想と共同幻想というものは、どうしても、対幻想をいくら量的に多くしても、それから、質的に精錬していっても、どうしても共同幻想にはならないということがあります。それと同じように、氏族共同体という次元までは、家とか、個々の男女とか、男女が家をつくり、家族になり、親族になり、親族がまた展開して氏族をつくりというふうにはできるけど、どうしても、それ以上の次元までは、親族の次元、対幻想の次元、あるいは、個々の男女から発する、その次元からはどうしてもそれ以上はいけないというような、それ以上の段階にいくには、どうしても何か要因がいるんだということが、ぼくの考えでは、それが共同幻想への跳躍になるわけで、それは禁止だろうというふうに、あるいは、禁止のある巧妙なる禁止と許可の仕方だというふうに、ぼくにはそう思います。
エンゲルスはわかりやすいですけど、エンゲルスはどういうのを国家というかという場合に、エンゲルスが第一等に考えたのは、いままでは、家族・親族の集合体である氏族というのは、そこまでは、他の氏族と喧嘩しなくちゃならないときには、よし、今日はここの若者が当番でやれというような、そういう次元で、同じ親族の中から人数を引っぱりだしてきて、それに棒きれでも槍でも持たせて、それでチャンバラして追っ払うとかというような、そういう意味で、いわば軍隊的な、防衛的な、攻撃的な、武器を持った人数というものは、同じ親族の中から若者を選んできてやったんだと、それで寄せ集まったやつでそうしたんだと、ところが、国家という次元になったら、ようするに、国家に固有な武力集団、固有に国家が雇っている、つまり、各部落からでてきた人じゃなくて、あるいは、各親族からでてきた棒きれを持った人じゃなくて、国家自体がつくって雇った防衛集団というのが、初めて、親族の防衛集団とは違う次元のところで出てくるんだというような、それが国家の非常に大きな要件だというふうにエンゲルスは言っているとおもいます。
そういう言い方というのもいいんですけど、そういう言い方をしちゃうと間違えるときがあるんです。あんまり具体的に予言しちゃうと、そうならなかったじゃないかというふうにいうことというのはありうるわけです。ぼくは、おまえの言うとおりにならなかったじゃないかと言われたくないから、非常に抽象的に言っているわけです。
だから、対幻想の次元は親族まではいけると、氏族までは共同体をつくれるけど、対幻想だけではそこが精一杯だよ、それ以上の次元、つまり、国家にまでなれるような部族の共同体、あるいは、その連合体というのをつくるためには、親族の対幻想の延長だけではいかないで、何か飛躍が必要だって、その飛躍が何かといえば、たぶん禁止と許可といいますか、特有なところからでてくる禁止と許可というのが必要だというふうに、そうすれば、部族、あるいは、部族連合である国家というのに集団がいけるというふうに、そういうふうに抽象的に言っているわけですけど、あんまり文句言われないようにそう言っているんですけど、中身はそんなに変わりないとおもうのです。
ただ、エンゲルスという人は、しばしば言い過ぎて間違えますから、損なんです。あんまり具体的なことを予言しないほうがいいんです。具体的な次元で予言すると、いろいろ偶然のことで変わっちゃったりするから、人間の歴史というのは、だから、あまり具体的には予言しない、原則的には予言するといいとおもうのですけど、そこはちょっとエンゲルスというのは、用心深くなくて、マルクスという人は用心深いから、ぜんぜん具体的な予言はあまりしなくてうまくやっているように思いますけど、だからできるだけうまくやりたいものですから、そんなに違うことじゃないとおもいます。
それでぼくは青春期以後には問題がないんだと、病像をつくる場合には、思春期以降は問題にならないんだと、つまり、病像をつくる要因というのはないんだと、ぼくは言ったとおもうのです。それから以降は、ようするに、現在、これからつくられる病像とは関係があるけれど、つまり、現在、こちらの地域の医療活動とか、運動をしている方の、対象として熱心にされている対象はぜんぶ過去の病像なので、過去からきた病像であるし、過去と対応づけられる病像であるし、それから、人間の乳幼児期と対応づけられる病気なんです。そこに現生の全部があるとはいいませんけど、重要なひとつがあるという病像なんです。それをどこかでなくならないかということで熱心にやっておられると、ぼくは理解するわけです。
ところが、現在以降、青春期以降、個々の人間でいえば青春期以降、それから、社会でいえば現在以降です。それは現在以降もっと、日本の場合だったら、過去を引きずっているわけです。社会も引きずっていますし、もっと前から、千年前から言ったっていいのですけど、それ以降は未来の病像をつくる可能性というのは、あるというふうにおもいます。それと対応づけられるべきものが主要なものだと思います。だから、過去に重大な原因のひとつがある、そういう病像を如何にしてなくせるかという、あるいは、如何にしてそれが軽くなれるかとか、如何にしてそれを大事にできるかということをやっておられるんじゃないかとおもうのです。
ところが、現在というのは、いま申しましたとおり、制度的にいいましても、社会的に、構造的にいいましても、過去を忘れて、未来に対してはひとりでに病気をつくるシステムをもっていながら、じぶんが内蔵していながら、過去に対しては忘れさせうるといいますか、置き忘れていこうという要因が社会的要因としては非常に強いわけなんです。それがやっておられる人の、苦心しておられる所以なんじゃないかなって、個々の人も過去に原因する病像というのは、えてして忘れたいわけですし、忘れてしまうわけですし、社会もまた過去に原因があるような病像というのは置いてきたいわけです。もっと新しくいいことがあるぞみたいなふうに言いたいわけだし、いいことあるぞまで言えない場合でも、新しい病像について、なんかしているんだみたいなことを社会だって言いたいわけだと思うのです。
だけども、ほんとうは過去に誘因を、原因をもつ、あるいは、少なくとも、歴史の過去に対応づけられるような原因をもつ病像というのが、非常に現在、重要に残っていて、しかもそれは、カウンターカレントとしては、それを忘れさせようとか、忘れようとする風潮というのは、個々の人間の中にもあるし、それから、社会の中にもあるという、そういうなかで、過去に原因する病像というのを一生懸命、軽くしようとか、なくそうとか、ちっとは楽しくやろうじゃないかとか、そうやっておられるんだと、ぼくは原則的にはそうだとおもいます。青春期以降というのは、たぶん、これから以降の病像に関係があるという対応づけをしたほうがいいように、ぼくはおもいます。
(質問者)
ということは、国家の成立段階というのは、個体の発達でいえば青春期にもあたるわけですね。
(吉本さん)
国家という言葉は、近代以降に出てきた言葉なんです。だから、国家という場合には、近代国家というふうになっちゃうという、近代国家という意味は資本主義国家という意味になって、それはもう現在になっちゃうわけです。そうしておいて、逆に国家というのの構造は、近代国家の条件というのはどうなんだというふうに、逆に分析していって、そうだったら、古代のときに初期国家というのはここにあったじゃないか、それは部族共同体というのが成立したときには、少なくとも、国家の可能性があったというふうに、そういうふうに国家というのは定義づけられるじゃないかというふうに、そういうふうに遡っていったというのが、言葉からする国家の意味あいであって、だから、国家というと、だいたい近代国家以降という、つまり、それは人類の歴史でいえば青春期以降ということであって、でも、その条件をもっているだけなら古代のときにありましたよというふうになっていったとおもいますけど、出方がそうなっていったとおもいますから、それで、近代国家、つまり、資本主義国家というもの以外の国家とか、以上の国家というのは、いまのところはないのです。ところが、資本主義国家というのも、現在では非常に高度化してしまって、近代国家の要因ではちょっと未知であるぞという、わからないぞという要因が、少なくとも、先進的な国家では要因が出てきつつあるということがあるとおもいます。それは、新しい病像と対応づけられる問題になっていくんだろうなと思いますけど。
(質問者)
一ツ瀬病院のフジタニです。いまの答えになるかどうかちょっとわからないのですけど、先ほど質問された方が、今日の講演会が、差別・偏見について、精神医療の、そういった問題を取り上げるような、そういうことを期待されてきたという、ちょっとそこの期待とずれがあったというふうに言われたとおもうのですけど、我々としては、差別・偏見の問題とか、精神医療の問題とか、あるいは、治療の問題とか、あるいは、病像というか、病気の問題ですね。そんなに別々に考えてもいかんし、こんがらがってもいかんなというところで、まだ迷っています。
そして、先ほど吉本さんが言われたことは、今日、話されたことは、かなり、ぼくらとしてはわかりやすかったとおもいます。かなりわかりやすく、時々、個人の発達史の問題から病像をどう理解していくかという、病像形成の問題とか、あるいは、この病気の病像は精神分析で言われるものは、この原因は幼児期のこのときやっていう、病気の原因の当てっことか、そういう感じをいままでの精神分析なり、そういったものはやってきたわけです。
精神科医なり、精神病理学のなかでは、そういった精神分析に対して、そんな当てっこをしてもあかんじゃないかと、それは単なる予言、あるいは、仮設の問題やないかという一方で、ヤスパースという有名な精神科医なんかが口汚い言葉で精神分析を批判してきたという、そういうこともあるわけです。
だから、今日の吉本さんの話は病者といわれる人たちを、どういうふうにぼくらが、ぼくらというのは精神科医であっても、精神病院におる職員であっても、一般の人であっても、最初、みんな戸惑ったとおもいます。患者さんと向かい合ったときなんか、そこで、吉本さんも、じぶんの体験の中から、そういった戸惑いから、どう理解、あるいは、どう了解していったらいいのだろうかというところで、精神分析の病気の当てっこというか、原因の当てっこじゃなくて、どう考えたらいいんやろうという、そういう人たちの病像を、そのへんをスムーズに今日は話してもらったんじゃないかとおもいます。
ただ、もうちょっと、精神病院の現状は、あんまり楽観的になれない現状なものですから、素人の方に依存的になる面もあるのですけど、以前、吉本さんが家庭内暴力などで、病像をどう捉えるかじゃなくて、父親が一発引っ叩いたら治るんだということをどこかで言われたおったような気もするのですけど、そういった病像をもった人たちへの対処というか、知り合いの精神科のほうに行きなさいというふうに、吉本さんは言われているみたいですけど、そこでの対処について、あるいは、いまの精神医療というか、精神科医たちの病気に対する対処といいますか、そういったものについて、できたらちょっとコメントしてもらえないかなと、印象で結構ですので、どう考えておられるかというのをお願いしたいのですけど。
(吉本さん)
具体的にじぶんがどうしているかということ、じぶんが精神科のお医者さんとどういう関係の結び方をしているかということを、じぶんの体験を申し上げればいいのだとおもうので、それでどう感じているかということなんですけど、ぼくは、そういうふうに20年くらいお相手している人たちがいるのですけど、そういう人をもってきてもいいのですけど、ぼくの甥っ子も今日のあれでいえば、「受け身」の病気で、そのあれを申しますと、結局、甥っ子ですから、兄貴の子どもなんですけど、兄貴はもう死んでしまいましたから、兄貴のお嫁さんがいるわけですし、兄弟がいるわけですけど。
ひとつのことは、ようするに、じぶんで受けられる、親類でもありますから、相手をしていられたりする範囲内の限りは、そういうふうにしようと思ってやりましたですけど、どうしても、これはじぶんの時間的にも、生活的にも、手に負えないということがひとつと、それから、あまり、ぼくが甥っ子に対して介入することを母親は好まないといいますか、つまり、最後のところでどういうふうになるかというと、あまり、うちの子のことをそんなに構わないでくれと言われると、もうそれ以上はどうしても踏み込めないということなのです。親族であるとなおさらそうで、それは踏み込めない。
それじゃあ、その代わりに知ってるお医者さんのところへ行きなさいというふうに、そういうふうにあれして、知っているお医者さんのところに、いまも行かせて、行くようにしているのですけど、しかし、いずれにせよ、治らないです。つまり、ある程度までよくあれしてくると、甥っ子のほうで行きたがらなくなってしまいます。
行きたがらない口実として、あれはやぶ医者だからいくら行ったってダメだって、こういうふうに言うわけなんです。それじゃあ、そんな馬鹿なことはないと言って、また、説得して行かせようとすると、過剰介入になってきて、そのお袋さんに、つまり、ぼくの義理の姉ですけど、あんまり、そんなふうに構わないでくれ、そんなふうにまで構われる理由がない、根拠がないんだと、つまり、あなたに構われる根拠がないと、その甥っ子は本屋さんの小売店をやっているわけです。それもおあつらえむきに、学生運動の挫折体験で学校はやめています。それで、じぶんの家を本屋さんに改造しまして、本屋さんをやっている。お袋さんは同じ家で手伝ってあげているわけです。だから、そんなに構ってくれるなと、わたしが生きている間は、わたしがあれして、ちゃんとやっていけばいいのだから、あなたは余計なことをそれ以上してくれる必要はないと、こういうふうに言われるとそこが限界であって、そうすると、いまでは、ご本人は医者に行かないで、お袋さんが2週間に一度きなさいと言われて、2週間に一度いって、その間のあれを報告して、じぶんで薬を代わりにもらってきてということをやって、習慣的にやっているわけですけど。
ぼくの理解の仕方では治るとは到底おもえない、治るとは到底おもえないという場合に、誰に責任があるのかっていうふうになっていくと、どうもぼくには、第一番は母親が、つまり、ぼくの義理の姉ですけど、母親が一番いけないと、ようするに、母親のほうは家庭内暴力されても、なにをされても、治らなくても、とにかく無限にそれはじぶんが抱え込んでしまえばいいというふうに考えて、あと経済的な問題だけなのだから、じぶんが代わりに本屋さんをやれば、そうすればいいはずなんだから、見かけ上、どこにも矛盾はないわけだから、それでいいじゃないかというふうになっていくので、母親がいちばん悪いというふうにおもうわけです。
それ以上は、今度はお医者さんというのは何かということになるわけですけど、それは、フーコーなんかは病気を扱う僧侶だと、死を扱う坊さんじゃなくて、病気を扱う坊さんだって、こういうふうなことを言っていることがありますけど、お医者さんというのは何かというのを素人からみますと、お医者さんとか、法律家というのは、ようするに、素人がいくら頑張っても介入できないし、同等の知識と役割をもつことができない、数少ない現在での分野なので、そうすると、お医者さんというのは、ぼくは、精神科のお医者さんも同じであって、これは一種の聖職といいますか、聖なる職業だというふうに思えるわけです。これは、聖なるという意味あいは高尚なという意味あいも、もちろんあるのでしょうけど、ぼくは、どうしても素人が絶対に介入できないところにいるという意味あいで聖職だというふうにおもっているわけですけど。
ところが、この聖職といわれているお医者さんが、ぼくの甥っ子のあれを見ていればよくわかるのであるけど、一日に何十人と入れ替わり立ち代わりあれしているわけで、これを治せといったって無理じゃないかというのが、ぼくの理解の仕方なんです。
つまり、これをどうやったら治すのかというと、どこまでお医者さんが逆からいえば責任をもてるか、一日に二人か三人だったら、よしやれるというふうな確信がもてるかもしれないけど、何十人も扱って、治せるという確信がもてることのほうが、かえって超人的で考えられないから、これはお医者さんのせいでもないみたいなふうになっていけば、限界ははっきりしているので、つまり、精神科のお医者さんの数と患者さんの数が同じになれば、少なくとも、精神障害者はなくなるだろうということが、いちおう原則としてはいえるけど、いまは遥かに何十分の一ということでしょうから、また、潜在的なあれも含めれば、もっと倍率は多くなるでしょうから、これはお医者さんの責任でもないということになってしまいます。
そうすると、どこに責任をもっていったらいいのか、もちろんご本人は、つまり、甥っ子自体は母親を恨めばいいわけで、おまえさんが子どもの時に私をちゃんと扱ってくれなかったから悪いんだと、こういうふうに、子どもはお袋さんを恨んで、家庭内暴力を盛んにやっていますけど、だけど、お袋さんのほうにしてみれば、いろいろ事情があるわけで、何も好き好んでそうなったわけじゃないのだと、そのときの経済的な事情がこうであって、そのときはここからここに引っ越して、こういう状態でとかっていえば、お袋さんのほうには様々な言いたいことはたくさんある、なぜ構えなかったかという理由はたくさんあげられる、そこにも、ほんとうをいえば誰が悪いかというと、お袋さんが比較的悪いようにみえるけど、お袋さんに責任があるかといわれたら、患者自身が指摘するほど責任があるとは到底思えない、どんな母親でも、どんな父親でも、大なり小なり、子どもに対しては後ろめたいところをもっていますから、そこを突かれますとどうしようもないという点は、どうしても、動揺を避けられない点があるわけです。誰でも、どんな親でももっているとおもいますけど、そう考えていくと、どこに治療をもっていっていいかわからないというのが、ぼくが抱いている正直な感想、あるいは、困惑している観想でありますし、それから、ぼくと付き合っているそういう人たちも、大部分の人たちはこのお医者さんのところにいってみたらどうですかというふうにいって、お医者さんに、ぼくがじぶんが面倒くさいし、専門家でもないし、かまえないものだから、それを押しつけているような、お医者さんに押しつけて、じぶんのあれを回避しているという感じが、大変、じぶんの気持ちのなかにあって、後ろめたくてしょうがないというのが、ぼくの感じ方です。
とくに、いつでも押しつけているお医者さんというのは、何人かいるわけですけど、特定のお医者さんがいるわけですけど、その人には悪くて、後ろめたくてしょうがないという感じをいつでも抱いていますし、また、お医者さんのほうにしても、どうしようもないんだよなという、つまり、一人二人じゃないんだから、どうしようもないもんなという感じは覆えないんじゃないか、そうすると、なんらかのかたちで、治らなくてもやれるという、それこそ、病気共同体みたいなものが作れれば、つまり、行政単位じゃなくて、無形のまま作れれば、いちばんいいわけですけど、その種の病気共同体というのは、それこそ「受け身」でしか作れないということがあると思うのです。
つまり、積極的な主張としてとか、積極的な行政単位として、病気村とか、病気町を人工的につくろうじゃないかと、それは独立した行政単位として、国家、あるいは、地域の行政官庁に申請して、行政単位でつくろうじゃないかというふうに、もしもそういう病気共同体というものを発想したとしたら、それはたちまちのうちにダメになるわけです。つまり、この種の病気共同体というのは、いずれにしても、受け身の形でというか、ネガティブの形でしか作れないし、ネガティブの形以外の形で、すこしでも社会思想的にとか、社会イデオロギー的につくろうとしたら、必ずアウト、ダメということはわかりきっているみたいな、そういう原理的にわかりきっているみたいなことがありますから、いつでも、一種の受け身とか、一種の空席とか、そういうものとしてしかつくれないことが、ぼくは病気共同体をつくって、患者さんの気持ちを平らかにして、お医者さんも平らかにしてというようになるためには、どうしても病気共同体というのをネガティブな形でつくる以外にないんだという感じがしてしょうがないのですけど。
それもすこしでも、それこそ小説に、剣術使いに、相手が打ち込んできたら必ず勝てるのに、じぶんのほうが先に打ち込んだらやられちゃうという、そういう剣術使いが出てくるのがあるんですけど、あるとき、相手が打ち込んでくる気配をじっと待っていて、気配が近づいたら必ず返して相手をやつけることができる名人なんですけど、あるとき、ふとした気の迷いで、じぶんのほうが打ち込んじゃうわけです。そして、斬られちゃうという小説があるのですけど、それと同じで、すこしでも、積極的にと考えたら、たぶん、それは成り立たないので、そこが非常にむずかしいところのような気がしますが、やっぱり、この場合には、精神科のお医者さんという人は、いずれにせよ、進むも地獄、退くも地獄というところにいるんだなという気が、ぼくはします。
それに比べれば、ぼくらのほうがずいぶん遊んでいるよなとか、ずいぶんいい加減な生き方ができちゃっているとか、ある時間をとって、うまくいい加減なことをやっちゃって、結構楽しんじゃっているよなというような気がします。それは、主観的には楽しもうとおもっても、一人で何十人も抱え込んでいたらそれはできないというのが現状じゃないかと考えています。
やっぱり地獄だというのが、ぼくの感想です。でも、積極性はどうしてももてない、つまり、積極的にやったらダメになっちゃうし、それを一種の政治思想とか、社会運動思想に結び付けたら、またすぐにダメになっちゃう、だから、非常に受け身な形でしかできない、受け身な形でやって、かろうじて、できるかもしれないというものだから、たいへん、それはむずかしいし、そこで理屈を作っていくというのもなかなか大変だなというのが、ぼくの感想なんです。
(質問者)
「受け身」の精神医療か、「受け身」の精神科医という、現状としては、いま言われた、我々も、病院も、そういうところに立っているということは認めざるをえないとおもいます。
(吉本さん)
ぼくらのほうがずっと楽だといいましたけど。ぼくらも本気になると楽じゃない、同じところがあるんです。つまり、本気になるとというのは、先ほど司会者の方が、ぼくは有名で素人でとおっしゃいましたけど、それは、ぼくはよく知らないのですけど、たいして、じぶんの本体を掴めていないのですけど。ただ、そうじゃなくて、本気になって、文学とか、思想とかいうのを押し進めようとしている、ぼくの中にもそういう部分があって、そういう部分でも雑誌を発行しながら、61年以降やってきているわけですけど、そういうすこしマジメな面でいいますと、ある意味でたいへん似ているところがあるんです。
つまり、昔だったらアングラにこもってシコシコとやっていて、社会全体はみんな敵だというふうに、社会秩序はみんな敵だとおもって、アングラのところにあれして、シコシコそこで雑誌をやっていたんだけど、だんだん社会構造の移り変わりというのがありまして、アングラというのが浮き上がっちゃってきているわけです。これは、あらゆるアングラ集団に共通な面なんです。浮き上がってきちゃっているわけです。
そうすると、そこで何ができるかというのを、つまり、アングラに代わるものは何なのかと考えていった場合に、どうも考えられるのは非常にネガティブな現在の社会構造の隙間といいますか、隙間というのはネガティブに必ず穴が空いているんです。社会構造は、管理ということを言われましたけど、管理がこういうふうに行き届いた高度な資本主義社会なのですけど、その社会は不可欠に一種の空隙といいましょうか、空隙というのを不可欠にもたざるをえないということがどうしてもあるわけです。
だから、その空隙というところでならば、まだ何かできるというふうに、ぼくらは考えまして、かろうじて、そこのところでしがみついているところがあるわけです。その空隙というのは、しかし、現在の社会秩序の有力者、つまり、権力者が、それを潰しちゃえとおもったり、もっと具体的にいって、ある街の中に空隙があったと、それを大家さんが空けてくれと言われれば、はい、そうですかと、頑張って籠城するわけにいかないので、はい、そうですかとそこを移転して、また違う空隙を求めなくちゃいけないことになるわけです。
そうすると、それがいまの、東京でいいますと、都会でいいますと、都市の小劇団というのがありますけど、小さな劇団活動をしている人はありますけど、小さな劇団活動している人たちが当面している、いつでもそうやっていますけど、つまり、街中の空隙のところ、質屋さんの倉庫なら倉庫みたいなところで芝居をやるわけです。地域の人はどんな芝居かわからんのだけど、ただ集まるのはおもしろいからというので、近所のおばちゃんなんかも一緒に見にくるのだけど、かなり高度な芝居なんですけど、それなりにおもしろいわけで、見ているわけです。
だけど、それは大家さんが空けてくれと言われたら、はいと、それは何も抵抗はできないのです。すぐに空けなくちゃいけない。空けたら、また次を捜してくるわけです。それじゃあ、アパートの下をくり抜いてやろうじゃないかと、そこで今度はやるというような、そういうかたちで、日本の小劇団というのは、そういうかたちでやっています。小劇団はときに個々の役者が表側に有名になって出てくるときがありますけど、ほんとにマジメにやるときはそういうところでやっています。それはかなりハイレベルです。つまり、深い演技水準になります。日本の演劇の世界では、たぶん第一級の水準にある人たちが、そういうところで平気でやっています。非常にネガティブです。べつに社会イデオロギーを主張しないし、立ち退いてくれと言われたら、籠城するぞなんてことはしないです。はいって移っちゃいます。そういう仕方で、しかし、かなり高度な演劇活動をしているというのが実情です。
ぼくらはそういう意味の空間はいらないので、ただ、高度資本主義社会というののまんべんなく張り詰めたシートのなかに、所々、隙間がありまして、その隙間というものにあるひとつの可能性の思想というのがそこにありうると考えて、そこにしがみつきながら、かろうじてやっているわけなんです。大部分は翻弄されているわけです。高度資本主義社会に翻弄されていますけど、日常からなにから思想から翻弄されていますけど、どこかで空隙のところでしがみついて、ここのところは考えようによっては、じぶんたちが如何様にも掘ったり、構造化することができるぞと考えて、そこのところで何かやったりしているわけです。
それはもう非常にネガティブなもので、潰せと言われたらすぐに潰れちゃうみたいな、そしたら、また違う空隙を捜さなくちゃいけないということを、はかないものでありますけど、しかし、正直なこといいまして、そういう形でしか、文学とか、思想とかいうことのあれはできないのです。だから、かつてあった60年頃にはまだ余地があったアングラというような場所というのは、現在は存在しないわけです。
だから、そういう形でしかできない、そこでネガティブな形でやるという、それで、そこで何か見つけていきつつあるというような、それがどこにつながるかということについて、さして確固たる見通しがあるわけでもありませんけど、そんなに見通しがないわけでも、また自信がないわけでもありません。やっていることはやっています。
それは、ぼくらだけじゃなくて、演劇活動みたいなのをやっている人たちは、みんなそういうやり方をしながらやっています。だから、昔の人のように、大劇団と小劇団と、それから、小劇団とアングラ劇団というような意味あいの区別は存在しないのです。空隙によって方々を漂流しながらとか、誘導しながらとか、そういうふうにしながら、結構、しかし、高い水準で活動していることがあります。だから、ぼく自身もまじめ腐ると、さして精神科のお医者さんと違わないところでやっている面もあるのですけど、しかし、他の面ではずいぶん楽をしているような気はしています。
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