吉本です。今日はここ1年か1年半ばかり自分がやってきたことがどういうものであるか、どういうふうにはじまってどういうことがやりたかったかということをお話ししてみたいと思います。それは僕の書いたものでは、まだ終わってはいないんですが、ハイ・イメージ論ということでやってきた問題です。
ハイ・イメージ論でやってきた問題は、自分としてはどういうモチーフがあってやったかといいますと、ひとつは前に僕は文学の理論的な考察として『言語にとって美とは何か』という仕事をしたんですが、それは文学というものを言葉の芸術として扱った場合に、どういう問題が出てきて、どういうことが言えるかをやったわけです。そういうことをやってきた後で結局何が変化してきているかというか、変化してきているものは何かと考えてみると、ひとつは言葉というものが基本にあって、あらゆる芸術の分野の表現が行われているという考え方を取ると、言葉は人間に付随したものだから理論的な考察ができると考えてきたんですが、少しその考え方を変えて、文学を言葉の芸術と扱わないようにして、文学も音楽も絵画も、その他デザインでも何でも、映像から画像に至るさまざまな分野の芸術の表現の中のひとつとして文学の表現を扱うという扱い方をしたらどういう扱い方になるだろうかということが、どうしてもやってみたかったわけです。
われわれの年代と現在は多少年代的な相違があって、いまの若い人は文学を基盤に考えるというよりも、文学も絵画とか映画とかその他のさまざまな分野の芸術表現の中のひとつと考えるほうが非常に考えやすいし、そういう考え方をしているような気がするんです。文学も絵画とか映画という映像の分野と同一の次元、同一の考え方で扱える扱い方がどうやったらできるだろうかというモチーフがあります。
そうすると一種のイメージとして、言語の芸術あるいは言語の表現として文学を考えるのではなくて、イメージの表現として文学を考えるという考え方がもしできるならば、文学もほかの映像諸分野も画像の諸分野も同じ論理構成というか、同じ考え方で相対的に扱うことができるんじゃないかというモチーフがあって、それを何とかやってみようということがひとつあったわけです。
もうひとつは、イメージの分野で一種の究極イメージが技術的につくれるようになったというのが、僕の頭の中に非常に引っかかってきたことです。究極イメージというものを一種の念頭において、そこを基盤にして、イメージの理論として文学も一緒にはめ込んだまま全般的に芸術の分野を扱えないかどうかということが、僕の非常に大きなモチーフでした。まだ終わってはいないんですが、ここ1年か1年半の間、そういうことを展開しようとしてやってきたわけです。それではどうやったら発端から全般的にイメージとしての文学、あるいはイメージとしての芸術諸分野を扱えるかということですが、その発端のところからお話ししますと、ひとつはいま言った究極イメージというものがあります。
究極イメージというのはおかしな言い方で、本当に究極かどうかわからないんですが、現在考えられる限りの究極イメージを考えてみますと、わかりやすく言えば、たとえばみなさんがはめている時計は、たぶん時計としてはすでに究極時計というものができています。つまり、これ以上いい時計は要らないし、もし時を測るという意味で言うならば、1年で10秒ぐらいしか違わない時計が安く、1000円とか2000円で手に入ってしまいます。時計はすでに究極時計と考えていいわけです。そうなってくると装飾品としてどうするか、どう時計を使うかということが問題になるだけです。
カメラも僕はよくわかりませんが、たとえばミノルタα7000とか9000はたぶん究極カメラに近いものであって、これを使うと素人も玄人もそんなに違わないように撮ろうと思えば撮れると思います。カメラは日本の製品がいちばん先端を切っているんでしょうが、たぶん日本のカメラは究極カメラというものをほぼ実現している、あるいは実現しかかっていると言えると思います。
僕はそれと同じような意味で究極という言葉を使いますが、究極イメージでは究極映像というものが考えられます。僕が究極映像を見たのは今年か去年か、つくばの科学万博で富士通館がやっていたもので、たぶん究極映像をつくっていたと思います。それはどういうふうに言えるかというと、要するに建物のドーム型の内壁全部をスクリーンにしてあって、座席が映像内部に存在するようにつくられています。それで色差式のめがねをかけると立体映像が入って前後左右に飛び交うんですが、全ドームスクリーンでそれを映して、しかもそれを見ている自分、つまり観客が立体映像の内部に入ってしまっているというつくり方をしています。
スクリーンに立体映像が映って、偏光めがねをかけると画像が浮き上がってくるぐらいのことは前からありますが、そうではなくて全天周をそういうふうにして立体映像が飛び交ってきます。しかも、その映像の内部に自分がいると感じさせるように見る人と見られる映像の間がつくられていて、言ってみれば4次元ぐらいの意味合いの映像が出現するわけです。
その種の試みは3つぐらいやっていましたが、ほかのところはスクリーンとか、向こうが指定する視野だけを見ていれば確かにそう感じられても、ちょっと視野を移すと現実空間がすぐに見えるものですから、そこですぐに1次元だけ空間の次元が低くなってしまいます。試みとしてはそれをやっているけれども、手を抜いているものですから、ちょっと視線を移すとそこに現実空間が見えて、その現実空間が裂け目になって1次元だけ映像次元が低落してしまいます。
富士通館はそれをうまくやってあって、少なくとも作為的でない限りは、どこを見渡しても立体映像が飛び交ってくるようになっています。しかも自分がその映像の内部にいるようにしつらえられています。映像を見る者と見られる物の関係がそうしつらえられていますから、「これは四次元の世界にいなければ絶対に見られない」という映像がそこに出現していたと言えます。
だからたぶん現在のところは、去年富士通館が出現させた映像が究極映像です。つまり、それ以上次元の高い映像は可能ではないし、大げさな言い方をすると、人間がかつて見たことのない映像を富士通館が見せていたわけです。僕は、それは非常に画期的なことだと感じましたし、究極映像という考え方が可能になったと考えました。たぶん見物に来ていたおじさんたちも同じように感じたし、子どもたちもそう感じて、みんなそこしか行かないというか、そこだけが満員になっていました。
つまり論理的にどうだということはわからなくても、かつて見たことのない映像だということだけは確実に感じたと思います。それは本当にそうで、かつてわれわれが見たことのない映像の次元がそこに出現していたと言えます。それは僕にとっては大変刺激を受けた体験で、究極映像という考え方は可能だというふうに考えました。だから僕はそのときに、究極映像という考え方をどうしても使ってみたいというか、やってみたいと思いました。
ところで、この究極映像を原始未開の時代から実現していると言われている事柄がたったひとつだけあります。それは何かというと、死に瀕した人、つまり死に損なって病気が治った人がしばしばそういう体験をしたと語っている事柄です。要するに死にそうになったら自分の視線が宙に浮いてきて、たとえば部屋の2メートルぐらい上のところから、自分が死にかかっていて、周りで医者とか看護婦が飛び交ったり、近親が泣きべそをかいてそこでとりすがったりしているのが自分の目で見えたということが、瀕死者の体験の中にしばしば記載されます。
なぜそういう映像が可能かということは、それ自体大変興味深いことです。なぜかというと宗教、特に東洋の宗教は、死後の世界を体験するとか、曼荼羅の世界とか、修練によって自分が体験することができるとか、密教みたいなものがよく主張しています。あるいは修行するのはそういう修練の仕方で、生きながらにして死ぬときの視線を獲得するというのが密教の修練、仏教がやってきた修練ですが、その手のことは宗教だけではなくて、しばしばごく普通の死に損なってまた生き返ったという人の体験の中に出てきます。
自分が宙に浮いてきて、寝ている自分が自分で見えた。看護婦などが騒いでいるのも非常によく見えた。生き返ってそういう話をすると「お前はどこでそんなことを見ていたんだ」「どうしてわかるんだ」と言われたという体験がしばしばあります。
つまりこの種の体験が何であるかということは別として、本来ならば横たわっているところにあるべき視線がひとつあって、もうひとつ上のほうからそれを見ている視線があるという、その視線のあり方をよくよく解析すると、これは割合に高次な次元の映像というか、視覚像だということがわかります。
これは僕の理解の仕方ですが、意識の減衰の仕方というか、衰え方というか、つまり意識がなくなる直前まで意識を持っていくことが可能だとすれば、そのときに割合に体験できる映像のあり方だと思います。
宗教はそうは言わないので、「そうじゃない。これはあの世がある証拠だ」と言うかもしれませんし、そう言う人もいますが、僕はそうは思っていなくて、意識が非常に減衰してほとんどなくなりかけるところまで修練によって意識を持っていけたら、必ずその体験はできると思っています。
いずれにせよ、死後の世界はどうだということは別の論議として、唯一高次の映像体験として人間が体験したこと、あるいはしていること、それは可能だと宗教とか体験者が言っている体験はそういうものです。この体験は割に高次な映像体験で、これとほぼ同じことが富士通館で実現していたと言っていいと思います。
これを理論化していこうとすると、どういうことが言えるかというと、この種の高次映像とは何かをよくよく分析してみると、こういうことに帰します。人間の視覚ということで言えば、地上数10センチとか2メートルとか、そういうところにある人間の目の高さで地面に平行な視線をひとつ考えます。もうひとつ、それに対して直交するというか、垂直な真上からの視線を考えて、そのふたつの視線をもし同時に行使することができたら、たぶん現在考えられる究極映像がつくれることになります。
だから究極映像の体験とは何かというと、理論的に分析してしまえば、要するに地面に平行な視線を想定して、もうひとつそれに対して直交する真上からの視線を想定して、それを同時に行使したところに出現できるイメージが、現在考えられる究極映像だと言うことができると思います。そのように分析すると、水平視線と垂直視線の交点を同時に行使したときに出現するものが、たぶん究極映像と言われているものだと思います。
われわれは、生のままの視線ではそういう体験は実際的にはできませんが、僕らが絶えず行使している視線、つまり座高の高さとか背の高さで地面に平行な視線の中で行使している視線に対して絶えずもうひとつ、それに垂直に上から来る視線を自分が想像することができたら、たぶん想像力の中では高次映像を考えることができます。
実際にそれを出現させるのは、技術的手段によるか、それとも死に損なうか、どちらかでしかそれは体験できないと思います。しかし体験できなくても、イメージすることはできると思います。絶えず自分が地面に水平な視線を働かせて、風景とか何かを見ているときに同時に上からの視線があるということを自分の中で想定できれば、たぶんイメージとしてはそういう映像のイメージを描くことはできると思います。まったく描き得ないイメージではないと思います。
僕らが文学、芸術の諸分野をイメージとして統一的に捕まえようと考えた場合、そこがいちばん基本的な考え方になります。要するに地面に水平な視線と垂直な視線の交点のところに描かれるイメージが非常に重要で、それがうまく描かれるならば、それは究極イメージだと考えていたわけです。理論的な骨組みをつくるのは、そこのところでだいたい可能になったと僕らは考えました。
あとはどこまでやれるかということを具体的に展開していって、細部の問題でいろいろなことに気づいていくということが問題になります。たとえば文学の理論でいくと、もうひとつ問題があります。言葉の表現とはどういう表現なのか、つまり文学作品とはどういう表現なのかと考えると、ただ単にこれを映像表現と言うだけならば、映画とか絵画とかデザインに及ぶべくもないのであって、たとえば「絵画とか映画に出現している映像を、言葉で同じものを出現させろ」と言われたら、それは大変むずかしいことになります。
だから言葉というのは、本来映像的あるいはイメージ的に使われるものではないはずです。言葉はあくまでも概念として使うものであって、それをどうして映像の表現に置き直すことができるかということがひとつ問題になります。
そこで僕らは、どうしたら概念というものを映像に転換できるかということをしきりに考えたわけです。その転換ができるならば、概念として表現されているものも本当は映像の表現と同等に、あるいは等価に扱えることになります。どうやったら概念の表現を映像の表現に置き直せるかということが、とても問題になってきます。
七面倒なことは抜きにして、たとえば家なら家、建物なら建物という言語がありますが、建物という言語は、建物という概念が明確になったときに成立するわけです。個々の建物は視覚映像で見た場合にはそれぞれ違いますから、具体的な建物から、無数のそれぞれ違う視覚映像の建物から建物という概念がどうやってつくられるかということを高速度写真的に言ってみれば、ひとつは抽象化作用です。
つまり、さまざまな異なる建物の中から、共通の建物というものを抽出できたときに、それが建物という概念になります。だから建物という概念は、ひととおりの意味では具体的な映像、イメージは全部消えてしまっています。個々具体的な建物、無数にありうる具体的な建物の中から、何か知らないけれども共通のあるものを抽出して、建物という概念がつくられています。
そのときに何が共通に抽出されているかが問題になります。これはヘーゲルという哲学者に負うわけですが、無限にありうる具体的な建物の視覚イメージから理念の生命というもの、もっと簡単に言ってしまうと建物の生命になるもの、中心になるもの、あるいは核になるもの、芯と名づけても何でもいいけれども、とにかくその中に建物の本質がちゃんと含まれている、ある芯が抽出できたときに建物という概念が成り立つと考えます。概念が成り立てば、建物という言葉が成り立つわけです。
ところが「中心になるものは何なのか。諸々の建物の中の、建物の中心になる何かとは何なんだ」と考えたときには、建物というひとつの理念でありながら、イデオロギーなどの理念と違って理念の中の命、芯になるものだけを抽出できたときに建物という概念が成り立つと考えたわけです。
映像的、イメージ的に言うと、こういうイメージを浮かべるといちばんわかりやすいんですが、建物という概念として抽出された芯の中に、建物という生命の糸みたいなものがたくさん折りたたまれているというイメージを浮かべると、そのイメージが概念に相当するだろうと考えます。
たとえば文学作品の中に「私は今朝6時半に起きた」という表現があったとすると、たいていわれわれはすぐに概念の意味として受け取って、小説の中でそういう表現があれば、6時半に起きたという事実を言葉で語っていると受け取ります。
しかし同時に別の受け取り方をすることができます。朝といっても夏の朝とか冬の朝とか無数の朝があり得ますが、抽出された生命の芯になるようなものが朝という言葉の中に含まれているというイメージの浮かべ方をすると、それから7時半というのも今日の7時半もあれば明日の7時半もあるし、昔の7時半もあって、その中から7時半という生命の糸みたいなものが抽出されたときに概念が成り立っていると考えれば、「私は朝7時半に起きた」と小説の中に書かれている文章は、単に意味として受け取るだけではなくて、いわば概念の糸がたくさん絡まって含まれているものが、ある順序に従って並べられている、あるいは展開されているというふうに同時に受け取ることができます。
つまり同時にそういう受け取り方をしていくと、文学作品はイメージとしての表現に翻訳できるだろうと考えたわけです。この概念とイメージとのかかわり合いがはっきりすると、文学作品も同時にイメージの理論として、つまりイメージの分野のひとつとして扱うことができると言えます。
ただ、文学作品はいま言ったように概念の表現が主です。ときどきイメージを鮮やかに浮かべさせるところはありますが、それはあくまでも副次的なことであって、概念の表現が文学作品の命です。それを映像表現、イメージの表現に置き直すためには、朝という言葉、7時半に起きるという言葉にも全部生命の糸が折りたたまれて含まれているというイメージを同時に思い浮かべます。そうすると、文学作品を全部イメージの表現で置き換えることができます。理屈上はそうなります。
だけど本当の文学作品にみなさんが当たってみればすぐにおわかりになるように、極端に言うとふたつの傾向があります。ひとつは概念の意味だけで、強烈に読む者に表現を打ち込んでくるように見える文学作品です。それからこれは作家の資質によりますが、この文学作品を読んでいると、言葉の概念の表現だけど実に鮮やかにイメージを思い浮かべさせる箇所があるという作品です。
極端に言いますと、ひとつの文学作品はイメージを鮮明に浮かび上がらせる箇所と、イメージは浮かべさせないけれども概念の意味をどんどん打ち込んでくる箇所と、そのふたつから成り立っていることがわかります。
しかし本当は、いま言ったように概念の意味で読者に迫ってくる場所であっても、イメージに翻訳して、生命の糸が絡まっているものがどんどんこっちに打ち込まれていると考えれば、それは同時に全部イメージの表現に置き換えることができます。本来的に言って文学作品というのは、言語表現、概念表現でありながら鮮やかにイメージを思い浮かべさせる箇所と、そうではなくて意味の強さとか意味の選択力で迫ってくる箇所と、そのふたつの箇所を含んでいることがわかります。
しかしいずれにせよ、概念とイメージとの基本的な関係をたどれれば、われわれが文学作品をイメージとして読む手立てと、それを概念の意味として読む場合の手立てと、ふたつの手立てを両方とも手に入れたことになります。あとは具体的な個々の文学作品の鑑賞になっていきます。
人もみんなおもしろいと思ったんでしょうけれども、僕が最近読んだ作品の中でおもしろかったものを挙げてみましょうか。たとえばひとつは村上春樹の『パン屋再襲撃』という短編集が出ていて、それがおもしろかったです。それから村上龍の『POST』という、12、3枚の短編を集めた作品集で、このふたつはちょっとおもしろいと思って読みました。
このふたつを比べてみると、村上春樹という人の小説の特徴は、いわゆる文学作品ですから概念の表現なんですが、ものすごく鮮明なイメージを思い浮かべさせます。つまりイメージを思い浮かべさせるのが大変得意な作家だと思います。
これに対して昔の村上龍はそうじゃないですけど、いまの村上龍の作品は、ほとんどイメージを浮かび上がらせないで、ただ非常に強い強烈な選択力が文体の中にあって、その強烈な選択力で、概念の意味だけでどんどん速く、しかもナタでバッと割っていくように力強い文体を展開させるのが特徴です。
言ってみれば、村上龍のほうが文学の特質をよく使っていると思います。だから村上龍の作品は、いまの作品でもそうですが、比喩はほとんど使いません。村上春樹の作品は、みなさんお読みになればわかりますが、メタファーの使い方がものすごくうまくて、ものすごく鮮やかな使い方をします。詩にしてもいいような、見事なメタファーの使い方をしています。そういうところに特徴的に表れているように、イメージを鮮明に思い浮かべさせるのが得意な作家だと思います。
たとえば『パン屋再襲撃』という作品では、新婚間もない夫婦が夜中におなかがすいて目が覚めてしまって、冷蔵庫を開けても何もなくて、どうも物足りなくて眠れないというときに、主人公のだんなのほうが「こんなとき、こんな体験をしたことがあった。パン屋を襲撃したことがある」と言って、奥さんが「その話を聞かせてくれ」と言います。
自分は友だちとふたりでパン屋を襲撃して「パンをよこせ」と言った。そうしたらパン屋の主人が「俺がいまかけているレコードを終わりまで聴いてくれたらパンはただであげる」と言った。ワーグナーの序曲集か何かで、ふたりで終わるまで聴いて、パンをもらって帰ってきた。強奪ではなかったけれども、とにかく行くときには襲撃して強奪してやろうと思って行った。だけどくれたから、それをもらって帰ってきた。
そういう体験があるという話をします。新婚間もないわけですが、奥さんのほうが「そのとき、そういうことをして何か変わったことがあるか」と聞くと、「それを契機にして何となく自分の運命が変わったような気がする。だからあれは自分にとっては重大な事件だったんだ」と言います。そうしたら奥さんのほうも「あんたと結婚したら、どこかがおかしい気がする。そのときのことが、まだ呪われているんじゃないか」と言うわけです。
つまり、この小説で表現したいことは何かというと、目立たないように、微妙に、どこといってさして不満とか違和感はないけれども何となく違う感じがするということが人間の体験の中にありますが、たぶんこの作品はその体験の問題を言いたかったんだと思います。
奥さんのほうが「それじゃ、もう一度パン屋を襲撃しようじゃないか。そうすれば、きっとこの奇妙な気分がなくなるんじゃないか」と言って、深夜ふたりで、起きているハンバーガー屋さんへ行って襲撃して、脅かしてビッグマックを30個ぐらいつくらせて、それをもらって帰ってきて、どこかの駐車場でそれをふたりで食べてしまう。
そういう短編ですが、結局言いたいイメージは何かといったら、そういうことだと思います。つまり人間の中にしばしばある「どこといって不満はないけれども、あるいはどこといって変わったところはないけれども、いざ言いだすと何もなくても、どこかがおかしい。何かそぐわないものがいつでもある」という体験を文学作品として定着させたかったんだと思います。
この作品の中で、非常によくイメージを喚起する場所があります。これはしばしばそうですが、この作品の場合はイメージを非常に鮮明に喚起する場所自体が作品の非常に重要な入り口になっています。
純文学と言われている作品は、しばしばそういう構造を持っています。つまり、その作品の中で鮮明なイメージを思い浮かべる箇所がクライマックスであり、同時に作品の入り口であるということです。作品の入り口とは何かというと「その入り口がなければこの作品は書く必要がなかった。作家は何かモチーフがあるからその作品を書いている」という場合のモチーフに該当するものです。純文学の作品は、しばしば「モチーフを鮮明に表明した箇所が最も鮮やかなイメージを浮かび上がらせ、同時にそれが作品の入り口になっている」という構造を持っています。
入口があれば必ず出口があります。入口で提出したモチーフを必ず出口で解決するというか、解決のイメージを与えるというか、一応そこでモチーフが終わったということをイメージとして思い浮かべさせるか、あるいは概念として思い浮かべさせるところがあって、それが作品の出口にあたります。
そういう言い方をすると、文学作品には序曲があって、本番に来て、だんだんクライマックスに来て、減衰して終わっていくという見方もできます。入口があって出口があるという見方をすることもできます。そういう見方をして、気をつけて作品を分析すると、ここが入口だ、ここが出口だということがすぐにわかります。しばしば概念の意味で入口を示している場合もありますが、村上さんのこの小説みたいに鮮明なイメージで、だれの目にもそれがこの作品のクライマックスだとわかるようなところが入口になっている場合がとても多いと思います。
このことは、特に純文学と言われている作品の非常に大きな特徴だと思います。そこのところで作品を考えていくと、文学作品の構造が非常によく見えてくるところがあります。また入口のイメージと出口のイメージがそれぞれあって、それをはっきりさせると、その作品の全体が非常によく捕まえられるということがあります。
だから文学作品をイメージとして映画や絵画と同等な扱い方をする場合、概念とイメージの関係を非常によく、鮮明に考えるということと、作品の入口と出口のイメージをはっきりさせていくと、ひとつの文学作品が示しているイメージが鮮明になってきます。イメージとしての文学作品が鮮明になってきます。
ところで村上さんの場合はそういうことがやりやすいんですが、村上龍みたいにイメージを喚起するような描写をほとんどしていない、ただ選択力が強いために非常に有能な小説に見える、優秀な小説だと言えるという作品もあります。その場合にはどうなんだろうかということがあると思います。
たとえば『POST』の中に「救世主」という作品があります。それは簡単な10枚ぐらいの作品で、主人公はテニスが好きな人で、どこかのテニスクラブから「これから開場式をやるから遊びに来てくれと」いう招待状が来て、そこへ行くわけです。テニスクラブのコートでテニスをやって休憩していると、そばにひとりの男がいて、新聞を読んでいて、話しかけてきます。
いいかげんに対応していると、その男の人が「ちょっと待っていてくれ」と言って、どこかへ行って、ひとつのリストを持ってきます。そのリストを見ると東洋人の女の人の顔がたくさん掲げてあって、「これはどうですか。ひとついかがですか」と勧められます。「自分には全然そんな気がない」と断るんですが、「なぜあなたはこういう東洋人の写真ばかり掲げて、こんなことを職業にしているんですか」と聞くと、「白人の女性と黒人の女性はもう家をつくる気がなくなっているから、こんなことでは国が滅んでしまう。東洋人の女性だけはいいから、自分は東洋人の女性を世界中に勧めようとしている」と言うわけです。あきれかえって顔を見ると、ご当人のほうは非常に大真面目です。それで主人公は、自分が救世主だと思っている男に何を言ってもしょうがないと思って、何も言わないで行ってしまうという、ただそれだけの小説です。
この場合に入口に該当するのは、たぶん新聞を読んでいた男がどこかへ行って、東洋人の女性の写真が掲げてあるリストを持ってきて「いかがですか」と勧めたところだと思います。この入口のイメージは、概念の表現だけれども、かなり鮮明です。その場合の鮮明という意味はこうなります。つまり概念の意味として非常に強烈で、作者の中に強烈なひとつの女性観があってそれが強烈なのか、それとも描写自体の中に含まれている概念が強烈なのか、どちらかが強烈なはずです。
その強烈さが読む者の中に強烈な概念の意味として入ってきただけだったら、イメージは思い浮かばないはずですが、文学作品の中には、しばしば一種の無限反響みたいなものがあります。
作者が描写している概念の意味があって、それが強烈で、読んだ者は概念の意味を受け入れて、強烈な衝撃を受けます。鑑賞した人は自分の中に自分なりの体験とか内面性があって、その受けた衝撃を、受け取った強烈な概念の意味を、もう一度自分のイメージに置き直して、それをまた外に放出します。いまの作品で言えば、東洋人の女性の写真のリストを持ってきたという、そこの問答のところに、受け取った概念で自分がつくり上げたイメージをもう一度返します。
そうすると作品のほうからまた同じ強烈な概念で、しかし多少変形された違う意味を伴って、もう一度こっちに入ってくるということがあります。そしてこちらでそれを受け取ったときに、自分の体験に即して一種のイメージを付加して、また作品の場所に返す。そうすると、またちょっと違う反応で概念の意味が自分の中に入ってくる。そういう、いわば無限の往復作用があります。
その往復作用の過程で、たぶんはじめに作者は概念の意味だけで作品の意味を伝えようとしたのに、それがついにひとつのイメージとなって浮かび上がってくる。何回も往復作用をやって、読む側のイメージが固有につくられていって、それが作品に跳ね返って、読んでいくとまたちょっと違う意味を帯びて、その箇所がこっちに返ってくる。そういう過程を何回もやることが文学作品の鑑賞の中に含まれていて、たぶんしまいには概念の表現にしか過ぎないものが、つまり単に朝7時半に起きたとか、6時半に起きたという描写に過ぎないものが、ある作品のまとまったイメージとして浮かび上がってくる。そういうことがありうると思います。
文学作品というのはひととおりの意味でイメージを喚起してくる場所と、ただ概念の意味だけを伝えてくる場所がありますが、「それらをこちら側が自分なりの体験のイメージに引き換えて、それを外に出していく。それで読むと、その作品が少しだけ違うように読めてくる。そして、またこちらに返ってくる」という過程を何回も繰り返すことで文学作品ができていると思います。
そう考えていきますと、文学作品をイメージとして捕まえていくことは、まず原則的には可能になってきます。これをよく展開していくということは、それ自体は文芸批評の実行行為になりますから、うまいやり方も下手なやり方もできてしまうし、その人なりの力が出てきてしまいますが、そういう考え方で文学作品をイメージとしての文学作品として解析していくことができると思います。
僕は、そのことは重要だと思います。なぜかといいますと、その扱い方ができれば文学作品も、映画や絵画その他の映像表現と同じ次元で同じように扱うことができるからです。つまりひとつの総合的な扱い方の理念がそこで可能になるからで、それが自分なりに基本的にできるようになったときに、「文学作品をほかの映像表現と同じように扱うことは可能だ」ということだけは確かめられたように思います。
そこで今度はイメージ固有の表現になっていきます。これは何を使ってもいいんですが、僕らは差し当たってなんでそれを確かめようとしたかというと、一種の都市論で捕まえようとしたわけです。どこの都市も同じですが、都市をどう捕まえたらいいかというと、都市論というのはさまざまな人の好みと立場と、さまざまな考え方によって自由にやっています。
それはそれで意味がありますが、都市について僕らがいま言っているのはそういうこととは違って、都市についての一種の普遍理論を考えています。だから文学をイメージとして思い浮かべるということも、文学についての普遍理論をどう出そうかということが問題です。どういう好みで、どういう立場で、文学をどう見るかを考えようとしているのでは全然なくて次元が違います。
都市論も同じです。都市論はさまざまなかたちで、さまざまな立場と好みからなされていますが、ここで僕らがやりたかったことはそうではなくて都市についての普遍理論です。これはどう可能かというと、「目の高さあるいは座高の高さで地面に水平な視線と、それに対して天空から垂直に地面に向かって、あるいは地面の下からでもいいけれども、垂直に下りてくる視線がある。こういうふたつの視線から都市をとらえた場合に、どうすれば都市を普遍的にとらえられるか」という問題が立てられます。
僕らの考え方では、これは4つあります。世界中のどの都市でも同じですが、垂直視線と水平視線の交錯するところとしてその4つの系列を考えれば、現在の都市はとらえられると考えています。
まず第一に、京都でも東京でも同じですが、東京で言うと下町にあたるところは、地べたに民家が建っていて、その脇とか前に道路があってという地域があります。垂直視線と水平視線の問題に還元して、その地域の映像、イメージはどうやってつくれるかというと、垂直な視線と地べたに平行な視線がストレートに交わっている地域と考えると、この地域がとらえられるわけです。
地べたがあって、民家があって、前とか脇とか後ろに道路がある場所は、東京で言えば下町の民家があるところですが、そういうところは垂直からの視線と水平視線が生のままというか、ストレートに交錯したところで描ける場所です。すなわち民家の地域は視線のイメージとしては、そういうふうにとらえることができます。
それをたとえば1の系列とすれば、もうひとつの系列があります。これは極端な系列ですが、東京で言うと高島平という団地があるところです。よく飛び降り自殺者があるところですが、高島平団地には広い関東平野にポツンと高層マンションとか建て売りの民家があります。どうして自殺したくなるかというと、建物の中にいるときと外にいるときの隔たりがあまりに甚だしいからです。
たとえば建物とか家屋の中では非常に温かい雰囲気で、室内装飾もあって、人間は和気あいあいとやっているということが可能です。ところが極端なことを言うと、1歩でも外へ出てしまうと建物の中にあったぬくもりとか団欒の雰囲気が全部いっぺんになくなってしまいます。この急激さは類を絶するわけですね。
これは何かが間違っていると考えますが、何が間違っているかというと、もしも大平原の中にこういう人工的な高層マンションを建てたとするならば、その周辺にそれよりもやや人工性が少ないけれども大変人工的な地域をつくらなければいけないだろうと思います。いわばしだいに人工性を減らしていくということをしなければ、この都市のつくり方はだめで、臨時的には成り立つけれども永続的な都市としては成り立たないと思います。
これを極端な系列とすれば、ひとつはこういうところがあります。たとえばつくばの学園都市も同じです。あそこは研究者で自殺する人がよくいます。みなさんも新聞などでご存じだと思いますが、それは当然です。建物の中とか喫茶店とか催し物の中にいると、それはそれで結構いいんですが、1歩でも外へ出たらそれまで中でやってきたことが全部パーになってしまうというか、全部ご破算になってしまうぐらい全然違います。
つくばにも公園みたいなところがちゃんとできています。だけど、この公園のつくり方も間違いであって、だだっ広い関東平野の真っただ中につくっていますから、周りにもボチボチある潅木みたいなものをただ寄せ集めてきて、さくをして、それで「公園だ」と言っています。
ところがこれは意味をなさないのであって、もしつくばでも公園をつくるならば人工的な公園をつくらなくてはいけないわけです。きわめて人工的な公園をつくることのほうが自然だからです。たぶんこれは予算が足りないか、都市理念を間違えているか、どちらかだと思いますが、自然主義的な自然に人間を放り出せば森林浴とか緑の何とかで憩いを持てると錯覚していると思います。
そんなことはないのです。大平原の中に高層ビルで学園都市をつくってしまって、その周囲に学園都市をあてにした喫茶店とかいろいろなものがありますが、ものすごく人工的な、超モダンな建物をつくってしまっていますから、これに該当するというか、これに見合う自然というのは大変人工的なものです。つまり、まず人工的な自然をつくるべきです。
だから公園でも、散らばっている緑をこんなところに寄せ集めて柵をしても、そんなものは公園にはなりません。これはビル街の真ん中の広場に緑を持ってくるのとは意味が違うのであって、こういうところではものすごく人工的な公園をつくらなくてはいけないので、超モダンな建物に見まがうほどの人工的な超モダンな公園とか、建物とか、催し物場をつくって周辺を固めなければとても都市にはならないわけです。
予算が足りないか、何か錯覚しているか、そこまで手が回らないのか知りませんが、こういうところでたちまち意義深いことをやったり、大変重要なことが決議されたりしても、いったん外へ出たらみんなパーになってしまう、だれの頭からもすぐに消えてしまうという、そういうところです。
つくばもそうですし、高島平も極端に言えばそうです。そういうところに人が住めるわけはないし、そういうところが発展していくわけはありません。それはたぶん都市理念が間違っていて、地べたに民家がある地域と、大平原の中に超モダンなビルを建てた場所とは同じように見えてまるで正反対のところだということが言えると思います。
もうふたつ系列を考えればいいんですが、もうひとつの系列は何かというと、東京でもたとえばビルの6階ぐらいに日本庭園みたいなものができてしまったり、日本料理屋さんができてかなり正式の茶室があるというところがよくあります。これは京都にもあるかもしれません。それからビルの3階に室内プールができているというところもしばしばあります。本来的に言えば茶室とか日本庭園は地べたにつくられるべきものですが、地べたにつくられると思われているものがビルの内部につくられてしまっているところがあります。
これはとても重要なことだと僕には思われます。つまりこういう箇所は一種の矛盾です。「本来あるべきところとまるで違うところに、本来あるべきものが存在する」ということですが、そういう箇所が都市の中に必ずあります。その場所はとても重要な気がします。
都市の展開の仕方をよく見ていく場合に、こういう箇所に注目することはとても重要だと思われます。特に日本みたいなアジア的な地域の都市は、大都市になっていく過渡的なところで、本来あるべきでないものがビルの中にあるという場所にしばしば遭遇します。それは非常に重要な、矛盾した場所であって、その場所は都市の発展のテコになっています。つまり非常に重要な契機になっている場所だから、こういう場所がどう増えていくか、あるいはどういうあり方でつくられていくだろうかということに注目することが大変重要だと思います。
もうひとつ重要なところがあります。それは先ほどから言っている高次映像の場所です。視線に還元してしまうと、目の高さで地面に水平な視線と、上空からの垂直な視線が同時に交差しなければ到底できないような高次映像を喚起する場所が都市の中にあります。これも大変重要な場所だと思います。これはどういうところにできるかというと、たとえば旧来の都市の中心街、ビル街みたいなものがあって、時代の必要に応じて変貌したいけれども変貌する空き地もなければ余地もないという場合、そのビルディングは一種の継ぎ足しをやったりします。
古いビルの上に新しい現在風のビルを継ぎ足したり、脇に出っ張らせて継ぎ足すところがありますが、そういういわば古い空間と新しい空間が重なり合ったようなところに高次映像を喚起する場所があります。これも大変重要な場所だと思います。そこに着目していると、都市の展開の仕方を、どこでどうやるかというものを見ることができます。
都市をこれからの問題、これからの展開と考える限りは、いま言った大変矛盾を喚起する場所、矛盾を与える場所と、高次映像を与える場所があります。この高次映像を与える場所は、みなさんがうんと気をつけてご覧になると必ず見つけることができます。瞬間的に見つけてあっと思ったらもうだめだったということになるかもしれませんし、ここへ行けば必ず見られるという場所が見つかるかもしれません。どちらもあり得ますが、こういう場所は必ずあります。
ビルの中へ行ってみたり、屋上へ行って隣のビルの窓の中を見てみたり、その向こうに鉄道の線路があって、列車が通って、その窓から人が見えたという意味合いで、空間が重なり合って非常に高次映像を喚起する場所あるいは瞬間に必ず出会うことができます。
それはとても重要な箇所だと思います。つまり、それは古い空間と新しい空間が重なっている場所であったり、都市が偶然の展開の仕方をして、偶然にできてしまった映像の場合もあります。どちらかの場合もありますが、都市というのはその箇所と、いま言った矛盾をきたすような箇所と、そのふたつの箇所を中心にして展開していくと思います。
いま言った4つの系列を考えれば、都市を理解する場合の基本点はそれで尽くすことができると考えます。だからその四つの系列について追究すれば、少なくとも都市についての普遍的な追究はできるわけです。
京都なら京都という都市、あるいは東京なら東京という都市は一体何だ、どうなっているんだということをとらえる場合に、自分はここの地域が好みだからここについては詳しいとか、ここについて調査するというのではない。自分の好みや立場でとらえるのでもないということです。「俺は都市は嫌いだ。田舎が好きなんだ」という立場で都市を見るのと「都会が好きで好きでしょうがないんだ」という立場で見るのでは違ってしまいますが、一切そういう次元ではなくて、都市について普遍的に見ようとするにはどこで見ればいいかと考えた場合には、いま言った4つの系列のことをそれぞれに追究していけば、現在の都市、あるいは現在の世界都市をとらえることができると思います。
それが僕らの理論的な考察の仕方を都市について適用した場合のひとつの成果です。つまり、その4つの系列をとらえればいいということがひとつの成果だったわけです。
もうひとつ問題になってきたのは、上空からの垂直な視線ということで、僕らはこれを世界視線と名づけていますが、世界視線とは一体何だということが問題になります。現在は航空機ができたから、たとえば高度1万何千メートルとか2万メートルから真下に都市を見下ろすことができるようになりました。体験としていいますと、高度2千メートルのところからの垂直視線はどうなっているかを見ることができるし、イメージとして思い浮かべることもできます。
ところで世界視線というものの中には、さまざまな理念がつかまっています。たとえば人間主義というか、ヒューマニズムを映像に直してしまうと何だろうかというと、要するに座高の高さないしは人間の目の高さで行きかっている視線のイメージがつくるものがヒューマニズムです。
だいたい上空1万メートルのところならば、人間はヒューマニズムの視線が体験できますから、ヒューマニズムの視線をそこまでは拡張できるわけです。上空1、2万メートルぐらいだったら、すでにその視線を体験していますから、それもヒューマニズムの中に入れてもかまいません。
しかし最も生々しいヒューマニズムというのは、地上1メートル半とか2メートルの高さで行きかっている視線がつくるイメージ、ヒューマニズムの視線です。だから世界視線として見たら、ヒューマニズムは地上2メートルぐらいのところの視線しか行使していないわけです。このへんで立場上けんかをするとすさまじいことになってしまうのは、なぜかといったら、せいぜい二メートルぐらいの高さの視線、イメージで相手の思想とか立場を見ているからです。
これはいいことはありはしなくて、ヒューマニズムの値打ちがだんだんばかにされたりしてくる傾向があるのは、世界視線から見たら2メートルぐらいの高さしかないからです。その視線の範囲でつくったイメージで相手のことを考えたり、相手のイデオロギーを考えたりしてやっているから、だいたいそういうことになるというのがヒューマニズムの視線のイメージです。
もっと上空に行くと、たとえば1、2万メートルだと、あそこは建物だとか、あそこは民家だとか、あそこは畑だとか、あそこは山だというあたりまでは見ることができます。その後は想像して、建物の中には男と女がいて、子どもがいて、いまご飯を食べているんだなとか、建物についても想像力を働かせるだけの見え方をします。
ところで現在のいちばん有能な世界視線はランドサットの映像です。これは80万キロぐらいだったか、相当高度です。近似的に言えば「無限遠点の上空から」と近似をしてもいいと思いますが、そういうランドサットの映像が可能になりました。
この視線はある意味で非常に重要です。なぜならば、僕らが高次映像と言っているものを解体・分解していくと水平視線と垂直視線になると言いましたが、この垂直視線は本当は無限遠点からのものでなければ近似的な扱いにしかすぎないからです。これは相当高い近似で、無限遠点からの垂直視線を提出することができますから、ある意味で非常に重要な映像です。
ただ、この映像で見るとヒューマニズムというものは消えてしまいます。人間はまるで消えてしまうし、もちろん人間の建物がここにあるんだなという問題も消えてしまいます。これは大阪地区で、このへんはきっと大阪の中心街だと思いますが、この赤いところがあるでしょう。もちろん民家もそうですが、田んぼもこういう赤い反映の仕方をします。反映の仕方が同じになってしまうので、大阪の中心街が建物街だということを見るのは大変むずかしいことです。
道が線になったようにきれいに通っているから、ここは街中だろうとわかりますが、これを見た限りでは建物とそうでないものを見分けることはできません。言ってみれば人間らしさというか、人間がどうであるかということはどこにも出てこないわけです。だから、これは人間主義なんていうものは全然入ってこない視線です。人間らしさがわずかに出てきているのは何かというと、埋め立て地みたいなものが割合にすっきりした格好をしているでしょう。こういうものは天然の土地ではないので、人工的なものだと想定できる。そういうことぐらいしか、この中に人間のにおいは入ってきません。
もうひとつ、強いて人間のにおいがあるとすれば、人間は海岸へりの平地のわずかなところにしか住んでいないことがわかります。世界中のどこを取ってきてもそうですが、人間は海岸へりの平地のわずかなところにしか住んでいないということがとてもよくわかります。これが喚起する人間らしさというか、人間の影はそれだけです。生物と無生物も、同じ生物でも人間とほかの生物の区別も全然ついていないので、そのことと、こういうところが割合にすっきりしたかたちで埋め立てられているということしか想像できません。
2千メートルとか2万メートルだったら建物、民家が見えますから、あの中に人が住んでいると想像できるけれども、これは本当はそういう意味合いの想像を許さない映像だと思います。こういう映像を人間がつくるようになったということは、非常に重要なことのように思われます。
もうひとつ、低いところではとてもわからないようなところがあります。それは何かというと、これは和歌山県の紀ノ川、吉野川筋ですが、川が流れていて、その沿岸地域の平地にそれぞれ町や村が展開しているということが想定できます。もうひとつ想定できることは、航空機の写真だったらそういうことはなかなか言えないんですが、これは筋があって地質学的な割れ目です。中央構造線と言うんだと思いますが、それだということがとてもよくわかります。
高いところで見ると、これがあります。これは単なる川べりの町筋ではなくて、ここで地質が割れているという感じを持たれると思いますが、この感じはランドサットの非常に高空からのものでないとわからないと思います。これはとても大きな特徴です。
これは中央構造線がこういうふうに通っています。これは四国ですが、地質的な割れ目だと思います。これは九州で、阿蘇山のところだと思いますが、これも上下に割れ目があったと思います。単なる川の沿岸ではなくて地質的な割れ目だということがわかります。それはひとつの特徴で、人間の目が関与している範囲の上空ではそういうことはわかりにくいわけです。専門家はわかるでしょうが、われわれが見たらわかりません。
超高空からの世界視線で見ると、そういう地質上の割れ目みたいなもの、遠い昔ここは割れていたということもわかります。その代わり代償として、人間的なにおいはほとんど全部消えてしまいます。そこが世界視線というものの映像が喚起するとても重要な点だと思われます。
こういうことについて僕らがどういうことをしてみたかったか、またできるかというと、逆にこういうことができます。これは現在のランドサット映像です。たとえばいまから千年前、2千年前、3千年前の映像はどうなっていたのかを知りたい場合には、これは奈良盆地ですが、こういうところの地質学的なデータをランドサット映像の数値として入れてあげれば、たとえば千年前にどうだったか、2千年前、3千年前にどうだったかということがわかります。大阪地域もそうですが、そういう映像がつくれます。
日本でやっているのは東海大学と筑波大学です。僕らがそういうモチーフを持ってもどうすることもできないんですが、たとえば奈良盆地がいまから3千年前にどうだったかということがわかるとしましょう。
そうすると奈良盆地で海抜4、50メートルぐらいのところは弥生時代には湖だったということがわかります。それから縄文時代、いまから3千年か3500年ぐらい前でしょうか。そのころは奈良盆地のふちになる、海抜70メートル線というのが岸辺で、あとは全部湖ないし海で水だったことがわかります。
そうすると、ものすごくおもしろいことがあります。どういうことかというと、僕らが関心を持ったのは、3千年前の奈良盆地でも大阪平野でも、それがわかっていると日本の神話の地質学的な考察が可能になるということです。神話によると神武天皇が九州のほうから来て、中国地方を岡山県あたりまで転々として、そこから船に乗ります。このへんは相当海が入り組んでいますが、ここから上陸しようとしたら土地の豪族に撃退されてしまって、こういうふうに回って、こっちのほうから上陸してこっちへ入ってきます。
そういう神話になっていますが、その神話に出てくる吉野のほうの人とか、侵入してくる軍隊に対して盛んに抵抗する土地の豪族たちがいて、その人たちの住まいの名前が20近く出てきます。それはたいてい縄文線の海岸っぺりというか、湖のへりというか、そのへんの土地になっています。決してただひとつの例外もなく、縄文時代の末期に水の中に入ってしまっている土地は一切出てきません。
そういう意味合いで、神話の地質学的信憑性を問うことができます。そうすると神武統制みたいな神話が何を象徴しているかということは、さまざまあり得ますが、ある考古学者が言っているように、弥生文化が大和盆地に入ってきたときのことを象徴すれば、縄文時代の海岸っぺりの地名が出てくるし、そこにいる豪族が出てきますから、地質学的な映像とは非常によく一致します。
地質学的に一致することと、現実問題として一致するかどうかは少し別なことになります。しかし地質学的に言えば、そういうことをランドサット映像でつくると、とてもはっきりします。そうすると地質学や考古学で縄文時代の遺跡が出てきて、同じところに弥生時代の遺跡が出てきて、また古墳時代の遺跡、つまり古墳みたいなものがあるという地域を探すと、たぶんそれは非常に古くから発達した町、または国家の中心点だったと言えます。
そういうところはいくつかの箇所がありますが、ひとつは樫原地方にあり、ひとつは三輪山山ろくにあります。それは縄文時代から弥生時代、古墳時代の遺跡が全部同じ箇所にありますから、かなり古くから発達している町または村落共同体です。だから割合に初期の国家の中心地域をなしたところだと言えます。
そういう神話の地質学的な対応性は、世界視線からの映像が可能になったために、ものすごく可能になってきたと思います。それは専門家はやっているのかもしれませんし、やられようとしているのかもしれませんが、少なくとも僕らが目をつけたときには、これはいまのところやられていないと言われていました。だけど僕は、やがてやられるだろうと思います。
先ほど、さまざまな思想やイデオロギーがここにつかまっていると言いましたが、世界視線の映像ができたということ、かなり高度から可能になったということは、逆に言って世界視線が地面と衝突しないで過去の地面、つまり地質層と衝突するというイメージも同時に可能になったことを意味しています。
千年前の地質がいまの地質よりも下にあったとすれば、具体的には掘らなければなりませんが、映像視線から言えば、世界視線をここまで浸透させればいいし、架空に地面と平行な視線を想定すれば、ここでつくられる映像は千年前の地質映像になります。2千年前だったら2千年前の地質データをランドサット映像をつくる場合に入れていけば、2千年前の地質映像が、世界視線というのがそこを浸透して可能です。それは過去の地質映像が可能になったことを意味しています。
もちろん未来の地質映像も可能です。細かく10年前、7年前、5年前という映像のデータがつくられていたとすれば、そのデータを入れていけば15年後はこうなるだろうという映像を現在からつくれます。同じように過去の地域の地質データがあれば、2千年前、3千年前の映像も映像としてつくることが可能です。
言ってみれば考古学と神話の地質的な対応性が非常に明瞭になります。そうすると神話のうち何が事実に近いか、事実であるか、あるいは何が象徴であるか、何がでたらめであるかということが、とてもよくわかるようになると思いますし、きっともうすぐそれがやられるんじゃないかと思います。
僕は地質データじゃなくて論文データで、勝手にこのへんを水にしてつくってしまいましたが、本当はちゃんとしたデータを入れると、かなりちゃんとした地質映像ができると思います。そうしたら神話学は相当大きく進歩するんじゃないかと思います。それは僕らがハイ・イメージ論で世界視点という概念をどう捕まえるかということをやってきたところで出てきた結果です。
時間もありませんから、もうひとつだけ都市の問題で申し上げておこうと思います。それは人工都市という問題です。逆に言えばユートピア都市でも同じです。ご承知のように、歴史を見れば明らかなように、農村で農業と一緒に家内工業的に工業を営んでいたのが、歴史のある段階でだんだん分業が発達してきて、農業をやる人と道具をつくる人、あるいは細工物をする人、設備をつくる人などが専門家として分かれざるを得なくなってくる。それが地域的にも分かれざるを得なくなるというところから、だんだん都市ができてきます。
そして工業が発達するにつれて、都市が工業を周辺に集めて大都市になっていくという発達の仕方をしてきたのが、歴史がつくってきた都市です。こういうふうにできてきた都市を自然都市と名づけるとすれば、現在は何が可能になってきたか、何が問題になってきたかというと人工都市です。これを想定して、または設定してつくるのが理論的に可能になってきたということを意味します。
自然都市が発達して、大工業が発達して、農村と都市の対立が起こる。都市の内部でも労働者と資本家、経営者の対立が起こるという体制がなっていったときに、19世紀から20世紀初頭にかけての初期の社会主義者というかユートピア主義者たちは、理想の都市は何かと考えたわけです。
その場合に一様に考えたことは、ひとつは「どんな人でも農業をやりたい場合には農業をやることができるし、工業とかほかのものに携わりたいときには、同じところにいてそれも可能である。つまり農業と工業が地域的、階級的に分裂しているのではなくて、同じ地域で農業と工業ができる中ぐらいの都市を理想都市としてつくる。人間は平等に、やろうと思えば農業も工業もできる」という体制と都市です。これをつくるというのが20世紀にかけて、あらゆる種類のユートピア主義の人たちが描いたユートピアです。
その描き方は何が問題なのかというと、都市を歴史が自然に発達させたものという前提で考える限りは、そういうユートピアを描く以外にないことです。どんな人でも農業もできれば工業もできる。平等な区画に住んでいて、平等な賃金をもらって、農業でも工業でもやりたいことができるし、工業の中でもやりたいことができる。言ってみれば歴史が自然に発達させた都市、農村と分裂させた都市を考える限りは、どういう立場から描いても、そういうユートピアを描くのが当然ですし、また必然です。
ところで現在は、たぶん問題がふたつ出てきています。大都市を中くらいの都市にしてしまって、あらゆる人が農業にも工業にも携われる。はたしてこんなことが可能なのかというと、ひとつはこの可能性がだんだん薄れてきたということがあります。なぜ薄れてきたかというと、僕の考え方では、たぶん自然主義が危なくなってきたからだと思われます。自然主義イコール人間主義だという考え方は19世紀から20世紀にかけてユートピア主義者たちが一様に拠った基盤ですが、それが危なくなってきたということがあると思います。
つまりどこでも中都市をつくって、だれでも農業もできれば工業もできるところをつくるということは、どこにも実現の可能性がないし、たぶん実現されないし、実現が危なくなってきたということがあります。その根底には自然主義、人間主義が危なくなってきたということがあると思います。
それでは何が都市について可能かというと、人工都市は可能だということになります。きわめて理想的な分布と、理想的な設計、緑地、農業の可能性を都市の中に包括させて、それを人工的につくってしまう。人が集まるから都市ができたという歴史が自然につくってきた都市とは違って、まず都市を人工的に、理想的につくってしまって、そこに人が来るようにしたり、入れたらどうか。そういう都市は可能ではないかということが目前の問題になってきたと思います。
なぜこういうことが可能になったかというひとつの基本は、天然、自然がつくってきた自然が唯一の最上の自然だという考え方は違うということが、だんだんはっきりしてきつつあるからだと僕は思います。つまり天然、自然が偶然と必然をもってつくってきたものよりも、もっといい自然がつくれるということです。
極端な例を言うと、僕は植物学は知りませんが、たとえばこういうところに杉の森林があって、その隣に、何か知らないけれども松の森林があったとします。それが松と杉にとって最適な生存条件かどうかはまったくわからない。天然、自然の残した山林にそういうところがあるのは確かだけど、それが松や杉にとって最適な条件なのかどうかは、まだわからない。
いまもそんなことはわかっているのかもしれませんが、植物学が発達してきて、松の隣には違う木を持ってきたほうが両方の生育にとっていいということがわかれば、人工的に変えてしまえばいいわけです。
そういう意味合いで、天然、自然に残っている自然が最良の自然だという考え方は危なっかしいのであって、自然よりももっといい自然がつくれる。あるいは歴史的に自然につくってしまった都市よりも、もっといい都市が人工的につくれるということが可能になってくれば、たぶん人工都市ということが問題になってきます。そして言ってみれば、それがユートピア都市ということになります。
だからユートピア都市を描いてつくることができると思いますし、一生懸命考えてエイッとつくったら、それができるはずだというところまで来ていると思います。なぜそういうことが可能になって、またそういう問題が起こってくるかというと、それはたぶん自然主義的な自然観が危なくなっているからです。
自然を守れ、守れと言いながら、だんだん追い詰められていく以外に何もないということがありますが、たぶん無意識の転換というのが要るわけです。「自然よりももっといい自然が人工的につくれる」というところでその問題を解いていかなければいけなくなって、たぶん人工都市という問題が出てくると思います。十九世紀から二十世紀のユートピア主義者はたいてい社会主義者ですから、本来ならば人工都市というのは総評みたいなものがやればいいんですが、これがだめなんですね。(笑)
本当は、人工都市をつくるというのは社会主義者、あるいは社会主義的な人たちがやるべきことです。なぜならば、すでに現在は自然主義的なユートピア都市の可能性がなくなっていますから、人工都市というのがひとつの大きな目標になるわけで、少なくともそういう系譜にあると自称している人たちがやるべきなんですが、なかなかそういう頭がない。
そうすると今度は逆に資本家、経営者の中で、割合に脱資本的な考え方を持つ資本家がやろうとします。たとえば大阪の「つかしん」がそうです。これから高度資本主義社会がどんどん発達していきますが、資本家の中でも脱資本とは何かということをよく知っている人、そのときに資本主義がどう変わらなければ存続できないか、あるいは存続して反映するためにどう変わらなければならないかということがよくわかってきた資本家もいます。そういう資本家は一種の脱資本という理念を持っていますが、そういう人たちが一種の人工都市をつくろうという試みをしています。
「つかしん」に行ってみると、その試みがとてもよくわかるようにできています。不徹底なものですから、どこかから商売っ気のにおいが出てきてしまってそんなに良くはないけれども、(笑)やろうとする気持ちがよくわかるようにはできています。
そうじゃなくて、本来的にはそんなことは労働金庫か何かが自分でやればいいのに、(笑)むしろ脱資本的な理念を持った資本家がまず手をつけて試みているということがあります。行ってみればわかるように、実現としてはそんなにうまくできているわけでもないし、理想的でも何でもないんですが、考え方はよくわかるし、よくここまでやったなということは言えると思います。それはとても重要なことで、本当は逆にやられなければならないわけです。
それからもうひとつ、そういうやり方をしているところがあります。それは一種のニュータウンですが、非常に優秀な建築家に設計を依頼してニュータウンをつくっているところがあります。頼まれた建築家は優秀ですから、緑とビルディングとショッピングの均衡が取れて、農業がどのへんでできて、畑をどのへんにつくってというのを理想的に設計するわけです。
藤沢みたいに、そういうものをつくっている箇所もあります。それはそれでいいんですが、何がだめかと言ってしまうと、要するに地方自治体でしょう。地方自治体の利益というか、京都市でも藤沢市でも何でもいいけれども、たとえば市の当局が自分の市の利害を優先的に考えてしまうと、単に新しい土地で、割に目新しい優秀な建築家に頼んで、そういうふうにつくって拡張したという意味しかありません。
そのニュータウンを一種の人工都市、あるいはユートピア都市に近づけたいというんだったら、それを依頼した地方自治体自身が、自分は予算は出しても地方自治体の利害のために予算を出すのではないという、つまり脱行政ということを持っていない限りはユートピア都市にはなりません。いかにうまく設計されても、藤沢市なら藤沢市のニュータウンの域とにおいをどうしても出ないわけです。
京都市がそれをつくっても、京都市のニュータウンしかできやしません。脱京都市というか、京都市がどうかというのは問題ではなくて本当にユートピア的な人工都市をつくるんだという観点を持って、予算は出すけれどもそんなことは京都市の利益のためにやるんじゃないという理念があれば、たぶん相当できると思います。
現在何がいちばんむずかしいかというと、そういうことです。脱資本理念を持った資本家がたくさん出てくれば、それが徹底的に人工都市をやれば、かつて社会主義者たちが描いたユートピア都市を脱資本理念を持った資本家がつくってしまうかもしれないし、地方自治体がつくってしまうかもしれません。それはわからないことですが、そのためにはどうしても脱という理念に徹底的に徹することが重要だと思います。
地方自治体を離脱するという理念。資本家は資本家を離脱するという理念。総評は労働者を離脱した理念を持った労働者。つまり党派ではなくて、自分が市民社会の主人公として主要な部分を占める場所に来つつあるという自覚を労働者自身が持てば、脱労働という理念を持った労働者であるという人たちが出てくればやりようがあります。
そうしたら労働金庫みたいなものがつくろうとするかもしれません。いずれにせよ現在のところ、何がむずかしいかというと脱ということです。これはとてもむずかしいです。たいていはそうじゃなくて、俺は反体制だとか、体制だとか、労働者階級の何とかかんとか言っているけれども、そんなものは全然役に立たないし、資本家だって資本主義ばかり言っている奴は全然だめだと思います。脱資本主義の理念を持ってなお資本家としてとどまっているというほうが、ちょっとおもしろいと思います。僕は、そういう人はこれからはちょっといいんじゃないかと思いますね。
それから脱労働という理念を持った労働者、自分らが社会の大半を占めている主人公だという労働者が増えてくればいいと思います。
また政治理念的に言えば、アメリカとソ連と両方の国でつくっている核体制を変えさせなければいけないという政治運動家が出てくればいいと思いますが、そういう人はあまりいないんですね。僕らが見て、世界中でそういうことが言えている人はただひとりです。フランスにフェリックス・ガタリという人がいて、その人が書いている『自由の新たな空間』という本がありますが、それだけが唯一できています。あとは全部だめです。僕はそう思っています。
それは脱ということができていないんですが、それはどうしようもないというのが僕の考え方です。それは人工都市という中で非常に重要な問題になってきます。「だれがいちばん最初に人工都市をつくるだろうか。ユートピア都市として19世紀から20世紀に人類史の比較的良心的な思想家たちが考えた人工都市をだれが実現するだろうか」ということが、これからの大変な課題になると思います。その実現競争の中では、別に労働者が有利なわけでも、進歩的政党が有利なわけでもないし、社会主義国が有利なわけでも何でもありません。
みんな同一平面上というか、同一水平面上に並んでいるだけであって、だれが先にそれをつくってしまうかはだれにもわからないと僕は思っています。いずれにせよ脱という理念を非常に大きな問題として自分の中に抱え込んで、それを徹底的に突き詰めることができた者が最初にそれを実現するだろうというふうに僕には思われます。
だからその問題は、人工都市の問題としてとても重要になってきます。たぶんそれは自然観の問題と一緒に必ず出てくる。僕は自然主義的な自然観が危なくなっているということが、たぶんあると思っています。19世紀から20世紀にかけてのユートピア主義者たちは、だいたい大都市は没落すると考えていますが、僕はそう思っていません。自然的に歴史がつくってきた都市は没落しないだろうと思います。
ただ可能性としてユートピアを考えるならば、それは一種の人工都市として可能性があるのであって、その人工都市はどういう条件でどうやればつくれるかという問題をとことんまで突き詰めていったほうがいいし、だれがそれを最初にやるかはよくわからなくて、一線上に並んでいると僕は理解しています。
僕はハイ・イメージ論で、究極映像という問題を念頭に置いていままでやってきました。まだ決して終わっていないので、これからも最後までやっていきますが、基本的な考え方として僕らが達したことは、だいたい今日お話ししたことに尽きます。これから相当細かいところをやっていかないといけないと思いますが、大ざっぱなところは、その考え方はいまのことでお話しできたと思っています。これが何らかの意味でみなさんのご参考になれば結構だと思います。一応これで終わらせていただきます。(拍手)