吉本です。(会場拍手)
この前ここで、2年くらい前でしょうか、題は『「受け身」の精神病理』ってことでしましたですけど、それは共同体の、それは初期の共同体、あるいは、原始的なっていいましょうか、原始古代的な共同体の移り行きっていうのを、像っていうものと、それから、ぼくらの精神の病理っていうものがたどる像っていうのに、ある対応関係っていうのは、つけられるんじゃないかみたいなお話をしたっていうふうに思います。それは、もっともっとたくさん、細かく詰めていかないといけないわけですけども、今日はその続きと言ってもいいことなんですけど、続きで、結局、前の事と同じことを、違う視点から言うってことになるのかもしれませんですけど、自分が考えてきました要点をお話しできたらっていうふうに思います。
視点が、どこが違うかっていうと、これは今度、個人の、あるいは、個体っていいましょうか、個体の精神の発達史っていうのに、共同体の問題を移し替えたって、移し終えた時に、どういう問題が出てくるかっていうことを、視点にして、結局は、ぼくの考え方は、そんなに進歩もしないし、変わりもしないですから、それほど変わらないから、同じことを違う観点から言ってみたってことになるかと思いますけど、それをやってみたいっていうふうに思います。
人間の個人の精神の発達史っていうのは、0歳の時から、ずっとはじまる、死まで続くわけですけど、そのなかで、不可解なっていいましょうか、ちょっとこれは理解に苦しむっていう時期っていうのは、2つあります。その2つの時期が、たぶん、共同体っていうものの展開の仕方と、たいへん関係があることだと思います。
ひとつはどこかっていいますと、一般的に乳児っていうふうに云われている、0歳から1歳です。0歳から1歳っていうより、0、1歳、つまり、2歳に至るまでです。つまり、0歳のときから2歳に至るまでを乳児期っていうふうにいいますけど、これは、どんな、ここに表がありますけど、たいていの発達心理学者、あるいは、発達精神学者の考え方は同じだと思います。つまり、0歳ないし2歳の乳児期っていうのがありますけど、乳児期っていうのが、非常に不可解なわけです。
もうひとつ不可解なところがあります。それは、どこかっていいますと、思春期っていうのがあります。思春期はだいたい、ここに表がありますけど、だいたい10歳ないし11歳頃から数年っていうふうに考えるのが、一般的に、発達心理学の専門家の考え方のようであります。これも、1,2年出入りはありましても、それほど違わないで、決まっているところだと思いますけど、どこが不可解かっていいますと、幼児期っていうのが、その前にありますけど、幼児期を過ぎまして、思春期に至るまでの期間っていうのは、まったく不可解な、人間の個人の、個々の人間の発達史にとって、不可解な時期です。この時期と、乳児期っていうのに対しては、共同体の影響っていいましょうか、刻印っていいましょうか、人類の共同体の刻印っていうのが、色濃く出ているんだと思います。
たぶん、乳児期に対して、刻印しているのは、やっぱり、未開原始、古代の共同体の問題が、色濃く刻印していると思います。それから、幼児期が終わったときから、思春期に至るまでの、この期間っていうのに対しては、たぶん、古代以降のっていうよりも、ひとつに集約した現在のといってもいいんですけど、現在までに至る共同体の展開過程っていうもの、それが、たいへん大きな刻印をしているってふうに思います。
それを、もうすこし、詳しく申し上げますと、乳児期っていうのは、なぜ不可解かって云いますと、ほかの動物ですと、そういうことは、あんまりないのですけど、人間がいちばん、極端にそうなんですけど、ようするに、一人歩きもできないし、一人で生きてもいけないうちに、とにかく生まれちゃうわけです。そこは、ものすごく不可解なことなんです。その間はどうしても、主に母親ですけど、母親の授乳と、それから、母親に代わるものの授乳と世話っていいましょうか、そういうものなしには生きていけないわけです。その時期が、1年ないし2年間あるっていうことは、まったく人類に特有な不可解さなところなわけです。
たいていは生まれたら、1週間か3日でもいいんですけど、翌日からかもしれないですけど、よくみなさんがご存じの動物の、馬の分娩とかっていうのを、よくテレビなんか出てきますけど、2,3日か翌日か知りませんけど、すぐに、よろよろと立ち上がれるようになると、すぐに歩けるようになるというふうになります。ところで、人間だけが、そういうふうにならないうちに、乳児のうちに、つまり、絶対的に他人の世話、ことに母親の世話なしには、絶対的に生きてはいけないっていう、そういう時期にもう生まれて、外界に来てしまうわけです。このことは、人類だけが、原始未開の共同体を形成する過程でもって、人類だけが刻印してきた特徴が、そのなかに出てきているんだと思います。
ひとくちに言っちゃえば、簡単なことであって、ようするに、身体の発達っていいますか、生育っていいますか、そういうものと、精神の生育っていうものが、ずれているまんまに生まれてきちゃうっていうこと、あるいは、もっと簡単に言っちゃえば、身体が、自分で動けもしないし、食べ物も、自分で補給できないのに生まれてきちゃうってこと、そのずれっていうことがあるってことが、たいへん、人類の歴史的な共同体で、未開の共同体以来の、共同体の刻印が色濃くそこに押されていることだっていうふうに、ぼくには思われます。
その時期っていうのは、どうするかっていったら、母親がもっぱら、未開原始の共同体の蓄積みたいな、一身に体現した人間として、もっぱら、乳児に世話をする、つまり、授乳したり、抱いたり、排せつの世話をしたりっていうことをしたり、また、自分のその時期の心に抱いていることっていうのは何かっていうと、この子どもがかわいいとか、この子は、ほんとは憎らしいんだ、なぜならば、うちの亭主が憎らしいからだとか、いまは経済的に困って、こんなこと、授乳なんかしてられないんだ、私は働かなくちゃいけないんだっていうふうに思いながら授乳するとかっていうような、つまり、母親の精神状態も全部含めまして、それから、母親が未開原始の共同体から、経緯っていうのは全部自分が体現しちゃうんであって、それを全部、乳児に植え付けなければ、乳児のほうは生きていけないっていう、こういう仕組みになっています。これが、非常に不可解なところです。不可解なところですけど、これが人類っていいますか、人間のたいへんな特徴だと思います。
もちろん、この時期なしには、精神の病っていうのはありえないってことがわかります。もちろん、動物だって、人工的に精神の病に似た状態っていうのをつくろうと思えば、実験的につくれますけど、それは、精神の病とは、いちおう云わないわけです。ところが、ほんとに精神の病というものが、どうしてできるかっていうことの、非常に大切な時期っていいましょうか、根源も乳児のところに非常に大きくあるっていうことは、いま言いましたように、母親自体が、未開の共同体の体現者でもあるし、また、そのとき母親がいろいろ当面している精神的な状態も、それも全部集積して、乳児に植え込みますし、それから、もちろん栄養も、同時に、授乳っていうようなかたちで与えると、身体的にも乳児の生命を維持させる、いってみれば、歴史的にも、現在的にも、それから、栄養的にも、全部集約したものとして、母親が乳児に対して、全部植え込みます。全部を乳児に移します。乳児が何もわからないなんていうのは、大嘘であって、全部わかります。全部それは植え込まれます。
それは、間違いなくそうでありますから、それは、非常に特徴のある、ある意味では、非常に不可解じゃないかって、人間だけがどうして、そういうことになってるんだ、不可解じゃないかっていうことも含めまして、不可解であるし、これは、貴重なことで、尊いことだという、ヒューマニズムの観点からいえば、人間のみが、そういうあれをもってるんだ、非常に尊いことだという云い方も、もちろんできるわけです。つまり、さまざまな意味で、これがひとつ、不可解な時期であるわけです。
もうひとつ、いま言いました不可解な時期があります。それは、幼児期を過ぎまして、思春期っていうふうな、その間にある時期なんです。この時期は、国際的な発達心理学者みたいな人たちの定義は、一様に、児童期とか、学童期とかっていうふうな言い方をしています。しかし、よく考えてみて、児童期とか、学童期っていうのは、そんなものあるのかっていったら、ぼくには、本質的にはないような気がします。
つまり、それはいってみれば、学校制度っていうものと、込みでもってできている時期のような気がするんです。そこが、不可解なところなんですけど、この児童期っていうものの長さっていうのは、その共同体、あるいは、破壊され、壊れてしまった共同体でもいいんですけど、現在のような文明社会でもいいんですけど、そういう文明社会の、つまり、共同体の発達度っていいますか、あるいは、文明の発達度っていいますか、そういうものとたいへん関係が深いっていうことなんです。
つまり、文明が発達すればするほど、この児童期なるものは延びてしまうんです。人工的に延びていきます。児童期は、ご覧のとおり、生理的、あるいは、生理に伴った精神的な部分からいえば、幼児期から思春期の間にあるわけです、ところが、その間だけでは、現在の文明の状態でもそうですけど、間だけでは、児童期なるものは終わらないわけです。
まだ、大学もいかなくちゃならない、高校もいかなくちゃならない、今度、大学院にもいかなくちゃならないことになると、この児童期なるものは、文明の発展とともに、どんどん人工的に延びてしまうわけです。本来的にありえないはずの時期っていうのが、どんどん延びていってしまうってことはありえます。どこまで延びるかは知りません。つまり、人間は、死ぬまで学校に行ってるっていうふうに、やがてなるのかどうか、それは、わかりませんけども、しかし、あきらかに、児童期なるものは、ようするに、思春期と幼児期の間に、不可解なつくり方をしているにもかかわらず、この児童期に該当することは、基本的になにかと申しますと、それは、ようするに、性的発現の時期にあたるわけですけれど、性的発現をとにかく抑圧しまして、あるいは、弾圧しまして、その代わり、禁欲的に、知識を勉強する、技術を勉強する、あるいは、道徳を勉強する、学校へ行って、とくに、学校制度ができてから、学校へ行ってですけど、そういう時期が、だいたい児童期にあたります。つまり、いってみれば、それが児童期っていうものの特徴であるわけです。
この特徴は、文明が発達すればするほど、いまでもそうですけど、児童期だけでは終わらなくて、見かけ上は、制度上は、高校もある、大学もあるっていうようなかたちで、まだ、見かけ上は、性的発現および成熟っていうのを弾圧しといて、第二次的、潜在的にしといて、それで、顕在的には知識を学べ、それから、技術を獲得せよ、それから、道徳を学べとか、社会的な振るまい方を学べとかってことになって、まだ続いているってふうになっています。つまり、このずれっていうものは、いってみれば、共同体の展開と発達とともに、どんどん増えていくし、人工的につくられる、そういう時期に該当する。
しかし、人口的につくられることと、生理的に区分されることとは、まるで違います。だいたい、区分することすらおかしいというふうに、本質的にはおかしいことと思えるんですけど、しかし、とにかく区分ができちゃってると、しかし、それにもかかわらず人工的に、どんどんどんどん、その時期は延びていっている。このことが問題でないはずがないというふうに、ぼくには思われます。
つまり、そこから云ってしまえば、登校拒否とか、家庭内暴力とか、学校暴力とか、いじめとかっていうのは、全部、児童期の延長線で起こることです。なぜ起こるかってことは、非常に、基本的には簡単なことであって、単純なことであって、ようするに、性的発現の時期なのに、それを抑圧、弾圧してっていいますか、それを引っ込めて、とにかく、きちっとした規律とか、きちっとして知識とか、きちっとした技術とか、きちっとした道徳とか、それを学べっていうふうに、建前上、学校はそうしてありますから、それでもって、もうひとついけないことは、要件が重なりますけど、それについていけなければ、劣等だってなるわけです。ついてきて、知識を獲得し、技術を獲得し、道徳を獲得した奴は、優等生だってことになるわけです。そういうふうに、等級が決められるわけです。
これでもって、ついていけなかったら、それで劣等生だって言われて、それ以上の学校も行けないとか、それ以上、どうしようもないわけです。やることなんか何にもなくなっちゃうわけです。だから、暴れる以外に方法はないわけですから、暴れるわけです。学校で暴れるし、家でも暴れるし、もう方法はないです。そこでもって、ついていけないってことと、それから、劣等だって烙印を押されたら、もうやることないでしょう。
ぼくだって、やることありませんよ、そういうふうに言われたら、やることないから、暴れたり、ガラスでも割ってやろうと思いますから、それは当たり前の事であって、基本的には、そのことがなぜ起こるかっていったら、個々のケースでは複雑さまざまでしょうけど、基本的には非常に単純なことです。つまり、児童期の問題です。
児童期とは何かって云ったら、いま言いましたように、性的発現の時期っていうのであるんだけれども、なぜか、そのとき、それを抑制して、そして知識とか、技術とかを獲得せよっていうことをやるっていうのが、児童期の特徴なんです。
これはまったく不可解な、人類だけに特有に、たぶん、ある、特有に、人工的につくれる時期だっていうふうに思います。つまり、どんどん、大学とか、大学院行くとかふうに、大学院じゃまだ足りないっていうふうに、やがてなるかもしれませんけど、そういうふうになっても、まだ学校行ってる、まだ児童期の延長だってことになります。それで、その挙げ句、死ぬまで児童期だってことになるかもしれませんけど、それは、わからないことですけど、そういうことになっています。
この時期も、不可解なことでありますし、また、同時に不可解じゃないといえば、やっぱり共同体が高度に発展した、あるいは、共同体が崩壊して、文明がどんどん直進していくってことの産物であり、また、それとともに、つくれる時期だってこと、あるいは、つくられた時期だっていうふうに云えます。
それから、この乳児期も、じつは、本当いうと、つくれるんです。つくれるし、現につくりつつあるというふうに思います。どういうふうにつくれるかっていうと、この場合には、前へつくるわけです。胎児の時につくるわけです。胎児期の教育とか、胎児期の母親と子どもとの関係をつくるっていうことが可能であるわけです。
すくなくとも、自然分娩によれば、0歳から、人間ははじまるわけですけど、現在の段階では、そうではありません。胎児の時期に母親と子どもの関係っていうのはつくれるっていう考え方から、つくっていたり、つくろうとしたりっていうことの、やられかたっていうのはしております。この時期も、不可解な時期ほどつくれるわけです。つくれるから不可解な時期なんですけど、乳児期っていうのも、また、つくれます。
この場合には、遡ってつくれます。つまり、胎児の時期まで遡りまして、母親との関係を調節するとか、どういうふうにもってくとかっていうふうに、そういうことができます。当然なわけです。できるわけです。それは、なぜかっていうと、不可解な時期だからです。人間に特有な時期だからだっていうふうに、言えるからだと思います。
この2つの不可解な時期っていうのは、逆な言い方をすれば、人間にとって最も重要な時期だっていうふうに言うことができます。最も重要な時期だっていうことは、それぞれの発達心理学者、この4人か5人、日本では、ぼくは、村瀬さんって人を挙げましたけど、村瀬さんも含めて、5人なら5人の権威の人たちが、それぞれの時期について、特徴的なことを言って、挙げておられます。それぞれの言い方で、それぞれ挙げております。これは、基本的に云えば、子どもを産んで、育てたことがある人ならば、だれでもわかってることが云われていたり、エリクソンなんて人は特にそうですけど、それを自分なりの、自分の考え方っていいましょうか、考え方でもって、分類したりしています。
たとえば、エリクソンなら、0歳、つまり、生まれてから1歳になるまでの時期を、基本的信頼と、不信っていうのを、対立する時期だっていうふうに言ってます。基本的信頼っていうのは、先ほど言いました、母親から植え付けられるものを指してると思います。
母親から植え付けられたもの、あるいは、植え込まれた栄養とか、精神状態とか、それから、また、母親が体現しているだろう、原始未開時代からの共同体の核心といいましょうか、そういうものを全部、母親から与えられるわけですけど、そのとき与えられ方が、非常にいい与えられ方をすると、基本的な信頼っていうのは、0歳から1歳までの間にできるんだよっていうのが、エリクソンの考え方だと思います。だから、そういう時期の分け方をしています。それは、それぞれの人が、それぞれの分け方を、精神的にか、身体的な基準にかしています。
でも、ぼくが言うとすれば、いま申し上げたことに尽きます。つまり、共同体の体現者であり、それから、現在の精神状態の体現者であり、そして、栄養の補給者である母親のすべてが、子どもに移し植えられる、まったく不可解といえば不可解な時期、あるいは、人間特有な時期といえば特有な時期だっていうのが、ぼくが定義すれば、そういう定義になります。そういう時期だってことの認識では、間違いないと思います。その2つの時期、つまり、学童期、あるいは、児童期って云われる時期と、それから、乳児期と、その2つの時期っていうのは、人間の生涯にとって、非常に重要な時期だってことが、逆な意味でいえるっていうふうに思います。
それぞれの心理学者の説明をしてもいいわけですけど、きっと時間がなくなっちゃうだろうと思いますので、ぼくが調べました人の、文学者が多いんですけど、例を挙げて、その問題がなぜ、その2つの時期が重要なのかっていう例を挙げてみようと思います。
一等初めのところに、ジャン=ジャック・ルソー、これはルソーの『告白録』、あるいは、『告白』っていうのが、岩波文庫で、3冊本で出ていますから、やさしくて優れた本ですから、もしあれだったら、お読みになってくださればいいと思います。
で、ルソーが自分の生涯を告白しているのがあるわけですけど、そのなかで、特徴的なことを拾って申し上げますと、まず、自分が弱くて、長くは生きていられないだろうっていうような、弱い胎児として育って、そして、弱い乳児として、育ちそうもないって云われながら、生まれたっていうふうに云っています。つまり、非常に弱かったっていうふうに云っています。
それから、母親が自分を産むと同時に、死んでしまったっていうふうに、つまり、産後の肥立ちというんでしょうか、そういうのが悪くて、すぐに死んでしまった。死んですぐに、父親の妹、つまり、叔母ですけど、叔母に育てられたっていうふうに云っています。つまり、叔母が母代わりだったっていうふうに云っています。
ですから、独身の叔母っていうふうに書いてありますから、お乳はでないでしょうから、たぶん、人工授乳で、育てられたっていうふうに思います。叔母の性格は、とてもいい性格で、愛嬌があって、やさしくて、かわいい顔してて、音楽の素養があって、たいへんいい性格だったって、そのことは、そういうふうに云っています。
しかし、ここで申し上げますと、第一に授乳ってことが、人口の授乳しか受けていない、それから、母親から抱かれて、育てられたことがないっていうことがあります。それから、もうひとつは、非常に体が、自分は、弱いってことがあると思います。その2つのことは、すでに、母親がその時期に乳児に与えるべきもののなかで、たいへんな障害、欠損のあるってことが云えます。
誤解のないように申し上げますけど、欠損があれば、みんなおかしくなっちゃうかっていうと、そんなことはないのです。おかしくなったら、逆に、この欠損があるってことが問題になるっていうふうに思います。しかし、欠損があれば、みんなおかしくなっちゃうのか、ルソー自身も、そういうおかしいどころじゃなくて、近代思想の始祖であり、世界的な始祖でありますし、大思想家でありますから、ちっともおかしくないっていえばおかしくないわけです。おかしいどころじゃないってことにもなるわけです。つまり、そういうことは、ちっともおかしくないんだけども、おかしくなったら、どこが問題なんだっていったら、ここが問題なんだっていうことになることは、間違いないことだと思います。そういうふうに理解してくださればよろしいんじゃないでしょうか。
人間っていうのは、たえず、超える存在ですから、自分に欠損、欠陥があったらば、つまり、育ち方に欠陥があったらば、いつでも超えようとするわけですし、性格に欠陥があれば、それを超えようとするわけですし、たえず、自分を超えようとか、現在の自分を超えようとかっていうふうに、超えるってことが、人間ってことですから、だから、それを超えようと、だれでもするわけです。
ただ、ルソーは、『告白』の中で云っていますけど、自分の生涯は不幸だったっていうふうに云っています。その不幸だったっていうことは、なにものにも代えがたいわけで、代えがたい主観でありますし、それは、ルソーがたとえ生前に、ルソーがどのような評価を受け、どのように世間からもてはやされたってことがあろうと、なかろうと、そういうことは、人間の幸・不幸の主観性っていいましょうか、存在論的な幸・不幸ってこととは、関わりのないことです。ですから、ルソーは、自分の生涯は、やっぱり、不幸だったっていうふうに云っています。そのひとつの問題はここにあります。
それから、もうひとつあります。これは、幼児期の問題ですけど、8歳で、父親の家を出て、牧師さんのところに預けられるわけですけど、それまで自分は、往来で、よその子とかけまわって遊んだことがなかったっていうふうに云っています。これもまったく、不可解な育て方のような気がしますけど、これは、近所の悪ガキと遊ぶなっていうふうに、叔母さんの教育がそうだったのか、それとも、自分の体が弱くて、虚弱で、かけまわって遊ぼうにも、外へ出て遊べなかったのか、どちらかと思いますし、あるいは、両方かもしれませんけど、そういうことだと思います。
しかし、幼児期っていうのは、ひとつのあれとして、遊びを覚える時期ですから、そのときに往来で、外で、よその子と遊ばせられなかったってことは、たいへんな問題の育て方をされたってことを意味すると思います。これは、とても重要なことのように思います。
それから、もうひとつ、外で遊ばなかったことの代償であるわけでしょうけど、5,6歳の頃に、母親が残していった小説、文学書の類とか、そういうような類の本は、全部、読み尽したっていうふうに云っています。つまり、そういう知識的な意味では、とても早熟に育ち、その代わり、外でほかの子どもと遊んだりしたことはなかったっていうふうに云っています。
つまり、こういうことは、ルソーが『告白』の中で、特出して書いているわけです。自分にとって大切だったと思ってることを選んで書いているわけですから、自分が重要だというふうに思っていることなことは確かです。外で遊ばせられなかったっていうのも、それから、5,6歳で、母親の残した小説を読み尽したってことも、それも重要だというふうに、自分で思っていたことを意味します。
自分の性格のことを、自分で触れていますけど、つまり、自分の性格の中には、そんざいさと柔和さっていいましょうか、そういうものが、両方共存している。それから、女性的であって、強情だ。それから、非常に弱点の多い人間であり、とくに、非常に決断力があって、つまり、いったん決断すると、途方もないことをしでかすというんでしょうか、勇気があるってことと、弱気とが、共存してるっていうふうに、自分の性格を規定しています。幼児期の性格を規定しています。
それで、児童期に入った時ですけど、叔母さんに預けられたわけですけど、叔父さんの子どもと一緒に、牧師さんのところの寄宿舎に預けられるわけです。寄宿舎生活、それから、田園生活をするわけです。そのときに、いくつか事件をしでかすわけですけど、そのひとつの事件はなにかっていいますと、あるとき、牧師さんの妹なんですけど、ランベルシェっていう牧師さんの妹にいたずらをして、悪さをして、折檻されたと、折檻されたら、そのときに、性的な快感を感じたっていうんです。それからは、その性的な快感を感ずるために、わざといたずらをしたと、そうすると、また折檻される。それを、何回か、ある期間やったと、そのうちに、とうとう牧師の妹に見破られてしまった。見破られて、そのときまでは、寝室も一緒だったんだけど、部屋も追い出されて、違う部屋で寝ろっていうふうに、追い出されちゃったっていうことを云っています。
そういうことの体験以降に、自分はきれいな美しい女の人を見ると、全部、この牧師さんの妹とおんなじように見えるようになったと、いつでも、美しい女の人を見ると、折檻されたいっていう、マゾヒックな気分にいつでもなったと、それは自分の生涯、それはそうだったっていうふうに云っています。
つまり、マゾヒックな性格っていうのは、牧師さんの妹に、この児童期に、折檻された時を、それを契機にしてはじまったって云っています。しかし、もちろん、こんなところで、最初にはじまるわけはないので、ここではじまってるわけです。そういう云い方をすれば、ここではじまってるわけです。つまり、乳児の時に、もちろん、はじまってるわけですけど、きっかけになったのはそうだっていうふうに云っています。
もうひとつあって、その牧師さんの妹の持ってる櫛なんですけど、髪を削る櫛なんですけど、櫛の歯があるとき、全部折れてたと、ルソーは叔父さんの子どもと一緒に寄宿していたんですけど、おまえがやったんだろうっていうふうに、責め立てられたと、だけど、自分は全然やった覚えがないっていうふうに、全然ないんだっていうことで、あくまでも自分じゃないっていうふうにあれして、突っ張ったっていうんです。ところが、全然信用してくれなかった。つまり、牧師さんの妹は信用してくれなかった。ようするに、おまえは強情で、嘘つきで、悪ものでっていうふうに、そのとき、レッテルを貼られたっていうふうに云っています。
それから、もうひとつあって、牧師さんからもそういうことがあって、牧師さん所の庭に、クルミの木が植わっていた、そのクルミの木に、おまえは水をやれって、毎日、日課のように水をやれって言われたと、水をやったんだけど、つまり、そういうことは、ぼくらにもよくわかんないんですけど、この教育ってことが、よくわからないんだけど、ようするに、水を汲んできて、井戸から汲んできて、それで、クルミの木に水をやって、それをある時間にやって、明日もそれをやれって、こういうふうに言われた。だけれど、それ以外のことをしちゃいけないっていうふうに、そう言われたんだって云うんです。
つまり、それ以外のことをしちゃいけないと、それを日課にやれって、こういうふうに言われた。ところが、クルミの木のそばに、ようするに、柳の木があったと、あの柳の木にも水をやりたくて、しょうがなかった。クルミの木に水をやるついでに、すこし離れたところにある柳の木にもやったら、それはいかんっていうふうに怒られたと、クルミの木に水をやれって言ってるんだから、クルミの木だけに水をやれ、ほかのことをしたり、ほかのところで遊んだりしちゃいけないっていうふうに言われたと、そこで、しょうがないから、牧師さんが見ていない時を見計らって、クルミの木から、柳の木に、シャベルでもって水を掘ったっていうんです。それで、暗渠みたいに、そこに葉っぱかなんかを載せて、また土をかぶせて、それで、知らんぷりして、それで、クルミの木に水をやると、いくぶんかはちゃんと柳の木に流れるようにしたんだっていうんです。そしたら、それをやってたら、やっぱり、牧師さんに見つかって、どやされた、つまり、ものすごく怒られたっていうんです。
それで、ルソーの方は牧師さんの兄弟です、牧師さんと、妹の、両方に不信感を抱くようになったんです。逆に牧師さんも、妹さんの方も、ようするに、ルソーっていうのは強情で、陰日向があって、嘘ばっかりついて、よくない子だっていうふうに、むこうも自分に対して、失望感を抱いたと、両方でそうであって、いずれにせよ、家に帰されたって、そういう体験があったって云っています。
ここで典型的にやっぱり、児童期の問題が出てきてると思います。これは、性的な問題が発言すべき時期であるわけなんですけども、それがなぜか、この児童期っていうのは、第二次的なこととして、押し込められて、規律を学べとか、知識を学べとか、技術を学べとかっていう時期に、人間の社会っていうのはあてているわけです。とくに、学校制度ができてからは、だれもがある年数は、そこを通らなければ、義務になっておりますから、かならず通るっていうふうになっています。
この不可解な時期に、やっぱり、あるきっかけさえあれば、性的な問題が噴出してくるってことは、まったく明瞭なことですから、ルソーの場合にも、典型的な、あんまりいいかたちじゃなくて、出てくるわけです。それから、また、こういうことは、ぼくらの教育では、ぼくらにはよくわからないところですけど、これは、西欧流の教育なのか、あるいは、18世紀とか、19世紀とかの西欧の教育なのか、それは、僕にはわかりませんけども、とにかく、この折檻とか、クルミの木に水をやれって言ったら、クルミの木だけにやれっていう、そういう意味の厳格さっていうんでしょうか、そういうのはちょっと、ぼくらにはわからないわけです。
ほんとうをいいますと、児童期っていうのは、いまよりも、もっと徹底的に、解明される必要があるような気が、ぼくはします。この発達心理学者たちの本を読んでも、解明していないです。一番なおざり、ある意味では、一番なおざりにしてあります。つまり、よくわかんねぇんだと思います。不可解な時期なんだと思います。つまり、人間にとって、ある意味で、性的な欲望をはじめ、さまざまな欲望を、ある時期に限って抑圧している、意識的に抑圧して、あるいは、制度的に抑圧して、厳格な規律の下に、知識、及び、技術っていうのを覚える期間っていいますか、それを植え込む期間っていうのは、人間にとって、ほんとうに必要なのかどうか、あるいは、ほんとうは全然必要でないのかってことについて、徹底的にやっぱり、解明する必要があるように、ぼくには思います。つまり、いい加減なことを言っちゃいけねぇって思うんです。いい加減な意味で、自由放任教育主義者っていうのは、そんなの弾圧以外のなにものでもないっていうふうに、だから、子どもっていうのは、自由にすればいいんだ、こういうふうに言う、言われ方をするでしょ。ぼくは、あんまり信用してないです、それを。さればといって、ぼくにはよくわからんような、折檻するとか、罰するとか、そこをやれっつたら、そこだけをやればいいんだ、ほかのことをやっちゃいけねえとか、そういう意味合いの厳格さ、規律っていうのが、はたして必要なのかどうか、つまり、欲望の周辺のことを弾圧して、抑圧してまでも、規律、知識、それから道徳っていうものを植え込むってことが、人間にとって、ある時期は必要なんだっていう、それはほんとに必要だろうか、あるいは、弾圧は一切必要でないっていうふうに、考えるべきだろうかとか、自由に放任すべきだろうかってことについては、徹底的に、ぼくは解明する必要があるように思います。これは、やっぱり、乳児期っていうのは、徹底的に解明した方がいいのとおんなじだと思います。
つまり、いまの解明の度合いだったら、ぼくは断然だめだと思います。いい加減だと思います。いい加減な自由放任的発言と、いい加減な規律主義、道徳主義的な発言とは、相対立しているのが、現在の図式だと、児童期に対する図式だと思いますけど、そんなのは全部だめだって、ぼくには思えます。全部あてにならないって思います。つまり、ほんとうに徹底的にやったほうがいいと思います。徹底的に解明した方が、専門家も、もちろんそうでしょうけど、そうじゃない人も、自分の体験として、徹底的に解明した方がいいと、ぼくには思われます。つまり、解明の行き届いていない、たいへんな時期のように思います。
ルソーはまさに、ぼくに云わせれば、児童期、つまり、思春期に入りかけのところですけど、そこのところと、それから、乳児期の問題とが、相まって、ルソーの実存的な不幸といいましょうか、存在論的な不幸っていうのを形成してるっていうふうに思います。
もちろん、ルソーはたいへんな意志力の強い人ですから、もちろん、それを超えよう超えようと、生涯したわけで。超えようとしたことが、ルソーを偉大にしたことにもなるわけでしょうけども、その種の偉大っていうことは、実存的な幸・不幸っていうのと、取り替えることができません。なぜならば、ルソーは、たまたま偉大だったかもしれない、一世紀に何人もいないほど、偉大だったかもしれないけど、たくさんのルソー、つまり、百万のルソーっていうのが、ちゃんと歴史のなかにはいるわけです。存在しているわけです。百万のルソーっていうのは、それを超えきることができなかったっていうようなことがあるわけですから、ルソーはたまたま、それを超えきったから、われわれがそれを読むことができたり、学ぶことができたりするわけですけれど、これは、やっぱり、実存の不幸っていうものは、そんなことには、とても代えられないほど、重要なことのように、ぼくには思われます。だから、そこのところは徹底的に解明された方がいいと思います。
ルソーが問題にしているのは、やっぱり、おんなじことです。つまり、思春期に入って、まさに顕在化してくるわけですけども、父親がリヨンってところにいまして、それで、父親のところに会いに行ったと、そうすると、父親の家のところに、父親の知りあいの婦人がいたと、その夫人に娘さんがいるわけですけど、その娘さんは23歳で、ルソーは11歳です。で、娘さんと、姉さんのような恋愛関係っていうようなものを結んだ。姉さんであり、恋人であるっていうような、そういう奇妙なっていいますか、まさにマゾヒックとしか言いようのない、そういう恋愛関係を結んで、一人前に、この娘さんが、どっかほかの男の人とデートしたりなんかすると、一人前に嫉妬したりして、まさに、自分が姉さんと恋人と、あいの子みたいな感じの恋愛関係を結んだっていうふうに云っています。
もうひとつ、その娘さんとは別の娘さんがいて、その人と恋愛関係みたいなのを結んでいるわけ、そのときは、その娘さんに対しては、まったくのマゾヒックなあれで、その娘さんに怒られたり、服従させられたりすることが、楽しくてしょうがないって、そういう関係を自分は結んだっていうふうに、この思春期に入った時ですけど、そういうふうに云っています。
ここいらへんのところが、いってみれば、児童期、乳児期における、ルソーが自分で告白してる重要な体験です。この2つの時期の、不可解な時期に起こるできごとを通じて、人間の実存っていうのは、危機に陥ったり、病に陥ったり、回復したりってことをするわけなんです。この2つの時期が重要だってことを、ルソーは物語っています。
今度は、三島さんのこと、太宰さんのことを、ぼくなんか、ちょっと本なんか出たりしてますから、抜かしまして、三島さんのことを申し上げますと、三島さんはやっぱり、『仮面の告白』っていう作品の中で告白しています。そのなかで、これは重要だなと思うことを申し上げますと、誕生した時の光景を自分は覚えているっていうふうに、盛んに言い張ったと、しかし、だれも信用してくれなかった、だけど自分は、産湯をつかわれて、たらいのふちのところに、日の光が当たるあれを、自分は覚えているっていうふうに言い張った。だけど、家の人は、ようするに、おまえが生まれたのは、午後9時頃であって、日の光なんかあるはずがねえっていうふうに言われたんだけど、それでも自分は、そういうふうに言い張ったっていうふうに云っています。
ぼくは、この光景は違う光景なんだと思いますけども、たぶん、そうとう重要な光景なような気がします。つまり、これは、胎児期のところに、乳児期の問題を、逆に胎児期のところに拡大していった場合に、このことはとても重要なような気がします。
気がするだけっていえば、気がするだけなんですけども、それで、生まれてから49日目に、おばあさんがいまして、おばあさんが脳神経症だっていうふうに、『仮面の告白』の中で、書いていますけど、脳神経症的に過敏で、病的な、神経をもった、そして、寝たり起きたりしている、病室で寝たり起きたりしているおばあさんに、母親から、2階でなんか育てるのは危なくてしょうがないっていうことを理由にして、母親の手から離されて、おばあさんの病室に連れてこられて、もっぱら、おばあさんに育てられたっていうふうに云っています。それで、それは49日目に、すでに、おばあさんに、そういうふうに育てられたと、それは病気とおおいの匂いがする、そういう病室に、おばあさんのわきに寝かされて、それで、そこで育てられて、狂ったようなっていいますか、狂おしいような、かわいがられ方みたいなのをして育ったっていうふうに云っています。
自分の幼年期を象徴するような、ひとつの事件があると、それはなにかっていったら、おばあさんは、近所の若い衆っていうのと、わりに仲良くしていて、近所の若い衆が、夏祭りのとき、御神輿をかついできた時に、うちの庭に入って、御神輿を子どもに見せたいから、かついでやってくれって、おばあさんが交渉して、文字どおり、夏祭りのとき、若い衆がかついで入ってきて、わっしょいわっしょいもんだと、そのときの若い衆の恍惚とした表情とか、男臭さっていうんでしょうか、そういうのは、忘れがたい幼児期の印象だっていうふうに云っています。それから、そのときに神輿が庭の中で暴れて、それで、庭の木やなんか折ったり、壊したりしたっていうふうな、それもまた、衝撃であるけど、まことに楽しかったり、苦しかったりする体験として、おばあさんの影に隠れて、おっかながりながら見てたっていうふうに云っています。夏祭りのとき、そういうことするっていうのは一切ありますから、そうだったんだと思いますけど、それが、幼児期を象徴する体験だったというふうに云っています。
これは、まるでルソーと判を押したようにおんなじなんですけど、遊び相手っていうのは、自分が病弱だってことで、遊び相手は、近所の女の子3人くらいが選ばれて、それが家に呼ばれて、その女の子と家の中で遊んでるっていうのが、自分の幼児期の遊び方だっていうふうに云っています。
それで、もうひとつ、幼児期の体験であれなんですけど、これは、5歳頃です。つまり、幼児期の終わり頃、児童期に入りかけの頃ですけども、赤いコーヒー状のものを吐いて、自分は2時間くらい心臓が止まってたっていう、それでまた、心臓が動きだしたっていうふうになって、医者の診断は、自家中毒だっていうふうに云われたと、自家中毒は、そのあと、自分の持病になったっていいますか、繰り返しそれをやったっていうふうに云っています。
自家中毒っていうのは、ぼく、自分の子どももなったことありますけど、お医者さんとこに行くと、いまのお医者さんだったら、食え食えって、たくさん食わせろっていうふうに言うと思います。ちゃんと、食べさせなきゃだめだっていうふうにいうことと、それから、家の人が、とくにお母さんがゆったりした方がいいですよっていうふうに、穏健にそういうふうに言ってくれると思いますけど、それで、治っちゃうわけです。だから、逆にいうと、自家中毒っていうのは、一種の幼児の抑圧には違いないんだっていうふうに思います。それは三島さんの、以降、持病になったって云っています。
ぼくが思うには、いま言いました、乳児期と幼児期の体験をしてるってことは、逆な言い方をすると、ようするに、おまえ、もう生きるの止せってふうに言われているのとおんなじだと思います。そういう育てられ方をされたのとおんなじだと思います。もう、止したほうがいいよ、やめたほうがいい、生きるのやめちゃった方がいいよっていうふうに、無言のうちに、母親とおばあさんから言われたっていうのと、おんなじことだと思います。ひでえもんだって思います。ひでえ育てられ方だって思います。
それで、超えていったんだけど、結局はやっぱり、超えきれなかったっていう、実存的な解釈をすれば、さまざまな解釈ができるわけですけど、実存的な解釈だけをいえば、やっぱり超えきれなかったんだっていうふうに、言ってもいいなんじゃないかと思います。
三島さんは、あらゆること全部、人工的です。肉体をそれ以降鍛えて、あの人は、晩年には、ボディビルはやるし、武道は有段者になるくらい、空手と剣道、達者でありますし、ボディビルで体の筋肉は隆々っていうふうに、鍛えましたし、申し分ないっていうふうに鍛えましたけど、ぼくは全部、人工的だっていうふうに思います。
意思でもって鍛えたんで、意思でもって超えたんで、実存的にいったら、いま言いました体験のところで、もう十分すぎるほど十分で、つまり、なにかっていったら、ひとつは、性的な異常です。つまり、三島さんが同性愛だと思います。同性愛者っていうふうになってきます。
それから、もうひとつ、三島さん自身が云っていますけど、だいたいこの頃、乳児期から児童期にかけてっていいましょうか、おまえ、将来何になりたいんだっていうと、ぼくらの年代だと、大将か学者、博士かって、そういうふうになりたいってなってくるわけです。そのとき、自分は、そうじゃなくて、おわい屋さんになりたいとか、花電車の運転手になりたいとか、地下鉄の切符切りになりたいとか、そういうふうに、ふつうの子が大将になりたいのとおんなじ意味で、自分はおわい屋さんになりたいんだって言うようになったって云っています。
それで、マゾヒックな光景みたいなのがあると、絵やなんかで、マゾヒックな絵があって、苦悶したりしてるような、そういう血を流したりするような、そういう絵があると、ものすごいショックを受けて、快感を感ずるっていうような、そういうふうに、自分はそういうふうになったっていうふうに云っています。
ここいらへんのところで、三島さんの、実存的意味の生涯っていうのは、ほぼ決定的なわけです。あとは何することがあるかっていえば、それを超えるってことが生きることだとしか、残っていないわけです。だから、三島さんは、あとは刻苦勉励の生涯を終えるわけです。超えるってことは、あらゆる意味で、知的にも超える、心理的にも超える、生活的にも超えるっていうような、あるいは、肉体的にも超えるっていう、その課題しか、三島さんには残っていないわけですから、ほんとうに、ぼくらは、たぶん年齢的に同じなんですけど、ものすごい刻苦勉励したと思います。才能ももちろん、それなりにあったんでしょうけど、そんなことは、大したことじゃないんで、そうじゃなくて、超える為に、刻苦勉励したっていうふうに思います。
それで、三島さんは、作家としていえば、ぼくらの同時代でいえば、世界的な作家だと思います。世界的な水準にある作家だと思いますけど、しかし、それは、超えたっていうことの象徴みたいに存在するので、実存的にいったら、たいへんもう決定的で、生きるの止せっていうふうに、乳児のときから、幼児のとき、それから、思春期に入る前のときに、もう生きるの止せって言われるのとおんなじような、ひでえ目に遭いながら、それで、生きたんですけど、意思的に生きたんですけど、それが老いに至るまで、いく前のところで、やっぱり、自分で死んじゃうってことになったってことに、実存的にいえば、そういうことになったと思います。つまり、意思的に生きようとしたんだけど、とうとうそこがもう限度であったっていうことになるんだと思います。
もちろん、人間の生涯は実存的にのみ生きてるわけじゃありませんから、社会的にも生き、あるいは、さまざまな意味で生きてるわけですから、家庭的にも生きっていうようなかたちで、生きてるわけですから、実存的にそこで終わったっていうような解釈の仕方をして、それで、三島さんは解釈しきれるわけでは、けっしてありませんけども、しかし、実存的解釈からすれば、そういうふうになってると思います。そういう構造になっていると思います。
ところで、これからすこしまた、理屈、理論っていいましょうか、理屈のところに入っていきたいっていうふうに思います。ほんとうは、ここにもうひとつ、エリクソンが挙げている分裂病の女の子の、ジーンっていう女の子のケースを書いているんですけど、これも、おんなじようなことなんです。つまり、母親が、0歳で生まれたときに、すぐ肺結核になって、生後7か月頃には、母親の室の出入りしちゃいけないっていうふうに言われて、母親がいるし、母親は入れたくてしょうがないんだけど、入れさせてくれないし、また、母親も入ろうとすると、それを拒絶しちゃうっていうような、うつるといけないからっていうんで、拒絶されちゃうっていうような、そういうかたちで、7か月以後は、母親の部屋に入ることもできなかったっていう、そういう体験、それから、授乳っていうのは、1週間後に、母親の乳房が化膿症になって、それで、授乳も中断されたっていう、それから、生後10日目に自分の口唇部に腫れが生じたっていうふうに、瘡ができたっていうようなことがあります。
それから、1年1か月になって、やっと母親の部屋に入れるようになった、しかし、そのときには、しゃべるのも、小さな声でしか、しゃべれなくなっちゃうし、それから、花模様のカーペット、つまり、母親の寝室にあれしてた、布団の模様だと思うんですけど、そういうのを見ると、そこから逃げようとしちゃう、それから、汚れたものがあると、それを、触れられなくなっちゃう、それから、枕っていうのに対して、母親のあれでしょうけど、枕に対して、異常な執着をもつようになったっていうふうに、ジーンっていう女の子のケースについて、そう言っています。だから、非常に乳児のときに、母親のおっぱいを吸うことっていうことを中心に、ひとつの外傷を負っちゃったってことを、非常に事細かに書かれています。
こういうケースっていうのは全部、超えようとして、うまく超えられたっていうふうに見える場合と、超えようとして、なかなか超えられなかったっていうケースと、別々に、さまざまなケースっていうのがあるわけです。しかし、超えようとして、いちおう、超えられたように見えるっていう、あるいは、超えられたっていう場合と、超えようとして、超えるのがうまくいかなかったっていう、いかないっていう例と、その例を、同一に、同じに扱えるっていう扱い方っていうのは、ありうるかって考えますと、ただひとつ、ありえます。
それは、宮沢賢治流にいえば、だれもが、自分のあとに、自分の生活自体において、生活のふるまい自体でもって、芸術をだれもが描くんだ、描いてんだ。つまり、芸術家だけが、描いたり、表現したり、あるいは、そういう趣味を持っている人が、それを描いたりするだけじゃなくて、だれもが、生活の一コマ一コマっていいますか、個々の生活の動きかた、それから、ふるまいかた自体でもって、芸術を描いているんだっていう、そういう観点に立ちますと、ルソーとか、三島さんであろうと、小児分裂病の娘さんであろうと、同じように扱うことができると思います。同じだと思います。
全部、生活自体のふるまいの表現において、それは芸術を描いているんだ。それは、殊更、それを言葉にするかしないかってことは、あんまり全然かかわりないんで、全部、生活自体において、芸術を描いているんだっていう、そういう観点に立ちますと、同等に扱えるっていうふうに、同じように扱える場所っていうのが、得られるように思います。そういう扱い方をしたほうが、いいような気がするところがあります。
そのほうがいいんじゃないかと、実存的に人間を、あるいは、存在的に人間を見る場合には、別に職業が何だったとか、専門が何であったとか、そういうことはあんまり、かかわりはあるんでしょうけど、第二義的なかかわりで、やっぱり、生活自体において、だれもがなにかを表現しているんだっていうような、考え方をしたほうがいいし、もっと極端にいえば、だれもが、生活それ自体のふるまいかたで、芸術を描いているんだ、あるいは、物語を描いているんだっていうふうに、考える考え方のほうがいいような気がします。つまり、範囲を拡大することができるような気がします。そういうところから、入っていきたいと思うんですけども。
超える人、超えない人、一時的にミスをした人とか、あるいは、永続的にミスをした、超えられなかった人とか、さまざまいるわけですけど、そういう人は、どういうふうに、たとえば、生活の中で表現したのかっていうことを、全部、異常の分散っていうふうに、全部そういうふうに云ってしまうとします。
そうすると、その異常の分散っていうのは、いま申し上げましたとおり、母親っていうものの生活、あるいは、物語でもいいですけど、そういうものとたいへん関係が深いわけなんです。
ところで、母親の物語っていうのは、やはり、物語の一種だっていうふうに言うことができます。物語の原型っていうのは、どういうふうになっているかってことを申し上げますと、ぼくは前に、そういうことをおしゃべりしたことがあるんですけど、物語の原型っていうのは、いちばんわかりやすく言いますと、ようするに、登場人物が、ある事件にぶつかって、それで、さまざま思い悩んで、挙げ句に、その事件を解決して、そして、ハッピーエンドになったとか、また、解決しなくて失敗して、極端な場合には死んでしまったとか、それじゃなきゃ、またそこで、落ち込んでしまったとか、つまり、あらゆる物語は、そういうパターンからできているわけです。事件があって、それにぶつかって、さまざま、すったもんだ思い悩んだ挙句に、主人公が、ハッピーエンドな生涯を迎えたとか、落胆して、それ以降、落ち込んでしまったとか、また、その事件を克服できないで、自殺してしまったっていうような、それが、だいたい、物語の基本的なパターンなわけです。どのような、文学作品も、全部、基本的には、そういうふうにできています。そういうものが基本になっています。
もちろん、近代小説、あるいは、現代小説っていうのは、そのなかのひとつのパターンは抜いてあったり、あるいは、もっと極端な場合には、物語の筋書きっていうのは、全部抜いてあったりっていう、そういう物語も、もちろん、存在しますし、つくることができます。
しかし、基本的にいえば、全部そうです。ある事件にある登場人物がぶつかって、どういうふうな感じをもち、どういうふうにそれをふるまって、避けたり、また、ぶち当たったりってなことをしながら、それを、どう解決したかとか、解決しなかったかっていうのは、だいたい、物語、文学作品の基本的なパターンなわけです。
その基本的なパターンっていうのは、どういうふうになっているかっていうのを、いちばんよく類推できるのは、ロスっていう人の『死ぬ瞬間』っていう本がありますけど、この人が、よく致命的な病気になって、死ぬ人っていいましょうか、死んじゃった人っていうのを、何回もそういう人にぶち当たりまして、怒られたり、いろんなことをしながら、さまざまな例にぶち当たって、ひとつのパターンをつくっています。だれでもがそういう致命的な病気とか、もう死病だっていう病気になったとき、だれでもがたどる心の経過っていうのには、パターンがあるっていうふうに、パターンをつくりあげています。
そのパターンは、まず、おまえは致命的な病気だってことを宣告されたり、自分でわかっちゃったりすると、そのことはものすごい衝撃をうけると、その衝撃の次に、何がやってくるかっていうと、否認がやってくる、つまり、そんなことはありえない、そんなことはねえはずだっていうふうに、まず、否認がやってくると、その次には、だいたい怒りがやってくると、なんで俺だけが、こんな病気になって、死ななきゃいけないんだってふうな、怒りがやってくる。その次には、何がやってくるかっていうと、その次には取引だ、取引っていうのは何かっていいますと、おれをもう少し生かしといてくれたら、こういうこともしたいことがあるんだ、しとげなくちゃいけない、それから、もし、生かしといてくれたら、代わりにどんなことでもするし、どんな代償をあげてもいいと、そういうふうに、心っていうのは、その次にはやってくる。それも過ぎてしまうと、だいたい、抑うつ状態がやってくるっていうふうに言っています。
で、抑うつ状態が過ぎてしまうと、受け入れというのか、あきらめというのか、そういうかたちになっていって、それで、死を受け入れるっていうふうに、そういうパターンがあるってことを、ロスって人が、たくさんの致命的な病気になった人と、面談したり、怒られたり、ぶん殴られたりとかっていう、そういう体験を経た挙げ句に、そういう誰でもがたどるパターンがあるっていうことを、取り出してきています。
で、これは物語のパターンとおんなじなわけです。つまり、死っていうのは、致命的な病気、あるいは、死っていうのは、最大の出来事、事件なわけです。ですから、それに対する、人間のぶち当たり方っていうのは、いってみれば、極限の物語で、物語の原型だっていうふうに言ってもいいわけで、ですから、これは、そのまんま、物語として、われわれが読む文学作品の類の、物語の原型として、まったく通用するものです。同じものだというふうに考えます。
ただ、物語の、文学作品の事件っていうのは、架空の作り話の中で起こる事件なわけですし、また、致命的な事件とは限らないわけです。かならず主人公は死ぬとは限らないわけで、ですから、そういうところは違うんですけど、極限まで推し進めれば、致命的な病気だっていうふうに言い渡されて、それから死に至る、その過程の踏み方っていうのと、それから、登場人物が事件にぶつかり、それをどういうふうに切り抜けるか、どう衝撃を受けるか、どう否認するか、どう怒りを覚えるか、どう取引する感情をもつかってことは、全部同じだっていうふうに考えることができます。だから、これは物語の原型として、このパターンっていうのは、物語の原型として、通用することができます。
ところで、今日みたいな場合、何が重要なのかっていうと、まず、結局は、母親の物語っていうのが、重要なわけです。つまり、母親の物語とは何かっていったら、子どもとの間の物語です。母親と子どもの間の物語っていうのは、どういうふうになっているのかってことが、今日の話の場合には、非常に重要なことになってきます。
それは、どういうふうになっているかっていうと、非常に簡単な要素からできあがっています。乳児を考えますと、それは、抱くっていうこと、それから、授乳する、おっぱいをやるっていうこと、それから、とにかく睡眠をとらせる、眠らせるってこと、それで、睡眠のはっきりしたパターンっていうものを、ちゃんとつくりあげることです。それから、排せつの世話をする、あるいは、始末をするっていうことです。これは、動物だったら、お尻をなめてやったりっていうふうに、母親はしますけど、つまり、それと同じことですけど、排せつの世話をするっていうのが、だいたい、母親の物語を構成している基本的な要素です。母親と子どもの、乳児との物語の構成要素っていうのは、いま申し上げました、抱くとか、授乳するとか、眠らせるとか、排せつの世話をするっていう、これだけの要素からできあがっています。
この要素が、どうして物語になるのかっていうことがあるわけなんです。どうして物語になるかってことは、2つあります。ひとつは何かっていいますと、それは、夫婦の性的なふるまい方の基本的なパターンが同じだからです。この抱く、授乳する、眠らせる、眠らせるっていうのはわかんないけど、つまり、安心するっていいますか、安堵感、安息感ってことだったら同じわけです。排せつの世話をするっていう、こういうふるまい方を、母親は、子どもを産む前にやってるわけです。
どうやってるかっていったら、夫婦の間でやってるわけです。つまり、夫婦の性的なふるまいの間で、すでに体験しているわけだと思います。その体験を、ある意味で繰り返しているわけです。逆にいいますと、この母親の物語っていうのは、それが夫婦の性的なふるまい方と同じパターンであるってことを介して、夫婦の間の関係の問題に、物語が拡張していくことができるっていうことを意味しています。
ですから、母親と乳児の関係の中には、絶対的といっていいくらい、夫婦の関係がどうなんだっていうことが、絶対的に含まれています。これは、いろんな意味で含まれます。経済的な意味でも含まれますし、精神的な意味で、たまたま、亭主とものすごい喧嘩をしてたとか、別れ話の最中だったとかっていうときの授乳のされ方っていうのは、それなりに決定的なあれをもちますから、だから、夫婦の性的なふるまい方と同じパターンだっていうことを介して、夫婦の問題っていうのに、母親と子どもの物語っていうのは、つながっていってしまいます。
つまり、物語はそのようにして、一見すると違う物語のほうに展開していきます。それがひとつの、母親の物語の発展していく仕方だっていうことができます。もうひとつは、文字どおり、幼児期まで授乳したり、世話していたら、この中のひとつくらいは、どこかに入るわけですけど、幼児の場合も入るわけですけど、その関係を介して、やっぱり、母親の物語っていうのは、この基本的要素が展開されるわけだというふうになります。
母親の物語っていうのを、物語の原型と同じようにとったとします。母親と乳児との物語っていうのでは、何が問題なのかっていいますと、母親の物語と、もし、乳児に物語があるとすれば、一種の陰画と陽画の関係とか、顕在化したものと、潜在的なものとの関係とか、どういう云い方をしてもいいわけですけど、それから、逆立する関係っていうふうに云っても、ある意味で、間違わないだろうって思いますけど、そういう関係にあるっていうことが、非常に母親の物語の、非常に特異なパターンだって思います。
ですから、乳児が衝撃を受けた場合には、最も単純なパターンを考えれば、母親の物語っていうのは、衝撃を回避されている。つまり、乳児の衝撃の中には、母親の物語を吸収しているってなことが起こりえます。それから、もし、乳児に拒絶、あるいは、否認っていうようなものが、乳児のふるまいの中に無意識に起こっているとすれば、そこでは、母親の物語は、肯定されているのかもしれません。
これは、ある意味で、逆立する関係にあります。つまり、逆立する関係っていうと、母親と子どもっていうのは、対立しているように、利害も相反するし、対立しているように受け取られると、困るところがあります。つまり、対立する場合は、異常の分散ってことが問題になったときには、対立と回避との不都合でないことになることがあります。
しかし、普通はそうじゃありません。普通はそうじゃなくて、母親は慈しみ、子どもは慈しまれって、母親はやさしくふるまい、子どもは安堵して眠るっていう、こういうパターンになるわけで、そこでは、基本的な信頼感が、100%成立すれば、そういう関係になるのでありますけど、いったん、もし、乳児っていうものの異常、あるいは、乳児期を介しての、人間の実存的な異常というようなことが、問題になるっていうふうに、考えられた場合には、母親の物語と、乳児の物語っていうのがあるとすれば、無意識の物語があるとすれば、それは、逆立する構造をもちます。
それから、いちおうの、極端なっていいますか、基本的なパターンをいえば、全部、母親の物語の写しだって、乳児の物語っていうのは、結局、母親の物語の写しなんだっていうふうに、そういうふうに云っても、基本的には間違いでないくらい、母親と乳児の物語っていうのは、逆立する構造になるっていうふうに考えたら、とても考えやすいんじゃないかっていうふうに思われます。
つまり、そこだけが違うので、ですから、母親が乳児に写したところの、精神のふるまいっていいましょうか、その範囲を超えてしまうような異常ってことは、まず、人間にはありえないってことになります。最も異常な場合を考えたとしても、やっぱりそれは、母親の物語を全部写し取られたっていうふうに、そういうふうに考えればいいくらいに、この範囲を超える物語っていいましょうか、異常の分散の仕方っていうものは、ありえないんだってことが、図式的には言えます。
個々のケースではありません。また、個々のケースについて言うべき、ぼくは立場にありません。だから、そうじゃなくて、基本的なパターンとしては、それ以上の物語っていうのは、人間のふるまいの中ではありえないんだってふうなことが云えると思います。
それじゃあ、異常な物語として、分散された場合の、乳児、あるいは、乳児期の問題が出てきたとき、異常の分散になるきっかけになるのは、どういうことかっていうと、単純化してしまえば、いま申し上げました、母親の物語と乳児の物語っていうのは、母親の写しなんだっていうふうなところから、写しの部分と、写しじゃない部分っていうふうに、二重化していくってことが、それが異常の分散の物語の発端になります。
それは、たとえば、母親がいま、乳児を抱きたくもなんともないんだ、つまり、いま忙しくてっていいますか、もっと単純な場合で、いま鍋をかけて、それをグツグツ煮立ってるんで、子どものおっぱいなんか飲ましていられないんだっていうふうに、母親が心の中で思いながら、でも、子どもがむずがって、おなかを空かしてなくので、気になってしょうがないんだけど、抱いておっぱいを飲ますってかたちで、もし、母親がふるまうとすれば、結局それは、抱きたくないんだと、だけど、そうじゃないと子どもが、おっぱいを欲しがって泣いているので、それで抱いているんだってことになります。それは、いってみれば、母親が自分のふるまいと心の中にあるものとは、二重化してる発端になります。
この種の二重化が起こるってことは、もちろん、乳児に与える影響っていうのは、たいへんあります。たいへん複雑にあります。しかし、この種の、鍋かかってて、いま鍋が干上がりそうなんだっていう、行きたくてしょうがないんだけど、仕方なしにおっぱい飲ませてるっていうような、この種の二重化っていうのは、それほどたいした、異常の分散に対して、たいした意味合いをもたないと思います。もっと深刻な場合があるわけだと思います。
つまり、母親が、子どもを抱きたくないとか、授乳したくないっていう動機には、もっと深刻な動機と、永続的なっていいますか、ある期間続く動機っていうのがあります。自分はどうしても、子どもを産みたくなかったんだと、しかし、亭主は産みたい、産みたいって言うから、仕方なしに産んじゃったんだ、だけど、ほんとに産んじゃって、いやで、いやで、しょうがないんだっていうふうに、いつでも思っている母親が、ほんとう言うと、この子を抱きたくもないし、おっぱいだってほんとうはやりたくもないんだっていうふうに思いながら、授乳してるってことが、ある期間永続的に続いて、ある期間、そういう深刻な意味合いで、二重化しているとすれば、これはもう歴然として、ぼくの理解の仕方では、この人の実存的な生涯における異常の分散ってことに対して、たいへんな意味合いをもつっていいますか、たいへんな関わりがあるってふうに思います。
しかし、鍋がどうなったとか、そんなことはだれでも、どんなお母さんでもやることで、そんなことは、確かにあれは与えますけど、しかしそれは、たいした意味合いをもたないだろう、また、その種のことは、与えられた方がかえっていいんだ、かえって人間っていうのはそういうんだっていうふうに、無意識のうちに会得するっていう意味合いでは、いいことなのかもしれません。だから、それはたいした意味合いをもたないんですけど、もし、かなり深刻な意味合いでそうだったら、やっぱり、ぼくはかならず、実存的に、生涯に対して及ぼすだろうって思います。
それは、みんなおんなじで、授乳するゆとりがないんだ、ゆとりっていうのは、気持ちのゆとりとか、経済的なゆとりとか、さまざまなことがあるでしょうけど、ゆとりがないんだ。だけれども、もし、授乳してやらなければ、乳児が栄養失調になっちゃうとか、死んじゃうんだから、仕方がないんだ、仕方がないからおっぱい飲ませてるんだとか、自分自身でさえ不眠症になって、眠られないようなそういう精神状態にあるんだと、まして、子どもなんか、眠ろうが、眠るまいが、どうでもいいいんだっていう、それどころじゃないんだっていうふうに思いながら、安息感をもてないで、でも、眠らせなきゃっていうふうに思って世話すると、そうすると、なかなか眠らないっていうことは、だれでも体験することですけども、そういうことが、永続的なっていいますか、ある期間続く、かなり深刻な理由でもって、そういうふうになった場合には、これは、たぶん、生涯にわたって、異常が分散されるされ方に影響を及ぼすだろうっていうふうに、ぼくには思われます。
それから、排せつの世話ってことも同じことです。排せつの世話が汚いなっていうふうに、汚いってことは、母親が子どもを、ほんとは、愛着をもってないことから発するわけでしょうけど、汚いっていうふうに思っている母親が、汚い汚いと思いながら、子どもの排せつの世話みたいなものをして、それがまた、永続的な深刻な理由によって、つまり、子どもをほんとは好きじゃないだとか、ほんとはあの人の子どもは好きじゃないんだとか、そういう永続的な理由っていいましょうか、深刻な理由で、そうだったとしたらば、これはたいへんな影響を及ぼすだろうっていうふうに思います。
エリクソンなんかが、ようするに、人間の驚異とか、つまり、驚きとか、おっかないこととかっていうのは、おしりからやってくるんだと、おしりのほうから、背後のほうから、それが来るんだってことは、非常にはやく覚えるんだっていうふうに言っていますけども、そういう意味合いから云っても、排せつの世話を、いつでも、汚いとかっていうふうに思ってされた子どもっていうのは、やはり、もしそれが、永続的な、しかも、根拠のあるっていいましょうか、非常に深刻な理由からそうだとしたらば、それは、相当大きな影響を生涯にわたって及ぼすだろうってことは、間違いないっていうふうに思われます。
今度は、異常の分散っていうことが、あるパターンをもった場合っていうようなものを、すこし、例に挙げてみました。パターンとして記述したりできるっていうようなことを、いくつか、挙げてみました。ひとつのパターンは、「回避」っていうことです。ほんとは、このことに触れたいんだけれど、このことに触れることを避けるっていう、避ける、そういう避け方っていうのが、異常の分散の仕方の中にあるわけです。
つまり、本来的に、そのことが問題じゃないんだけど、このことが問題だから、正面から話の話題になっていいはずなのに、それを避ける避け方っていうのが、異常のパターンの中にあります。
これは、ユーモラスな例を申し上げますと、たとえば、ぼく、そういうこと経験あるんですけど、知り合いの人が来たときに、うちは猫をたくさん飼ってますから、5匹くらいいますから、猫の缶詰やると食べるんですよとかって、いつか猫の缶詰、お客さんに、料理にあげて、食べさせたら、おいしいおいしいって食べたんだっていうふうに、話をしたら、そのお客さんが、猫の缶詰ある?って言うわけです。あるよ、それは、どこだって売ってるじゃないのって言ったら、ほんとう?そんなことありえないでしょ、わたしのところではそんなのないよって言うわけです。こちらは、猫が食べる缶詰って意味合いで、むこうの、その人は、猫を缶詰にしたものだって、猫の肉を缶詰にしたものだっていうふうに受けとって、会話しているわけです。だから、そんなのあるわけないよっていうふうに、そんな馬鹿なこと、どこだって売ってるじゃないのって言ったら、うちの方じゃ売ってないとかって、つまり、それはひとつの、避け方のパターンであるわけです。
本当は、猫に食べさせる缶詰っていうことが、本意なんだけれども、それを非常に意識的に、あるいは、無意識的に、猫をひとつの比喩だって受け取らないで、文字どおりに受け取って、猫を缶詰にしたものだってふうに受け取って、受け答えをするっていう、異常の分散の仕方っていうものの型があります。
それは、今日の話の続きでいえば、ぼくは、母親が子どもに、乳児のときに、子どもを世話したときの、母親の物語のなかに、枠組みがなかったんだっていうふうに思います。あるいは、ないんだっていうふうに思います。つまり、枠組みがないことと対応してると思います。
つまり、枠組みがないことはどうかっていうと、今日は、子どもに対して、やけにかわいがって、あるいは、かわいがり過ぎて、おっぱいをやったり、ぎゅうぎゅう抱きしめたりとか、ほおずりしたりとかやるんだけど、その翌日は、なにか違う感情上の起伏から、ぶん投げて、泣いてもおっぱいもやらないみたいな、ぶん投げてってふうなかたちで、母親の物語の中に、お乳をやるとか、抱くとかって構成要素の中に、一貫したあるパターンの枠組みがないんだっていうような、そういう育てられ方っていうのを、母親の物語っていうものと、「回避」っていう異常の分散の仕方っていうのとは、ある対応関係があるだろうって思います。
こういうこと言うと、誤解しないでほしいわけですけど、非常に単純化して言ってるわけでして、もっと、うんと複雑な形で、実際には現れるわけですし、実際にはあるわけで、あの野郎が言うほど、簡単なはずがねえっていうふうに、どうか思わないで、そういう受け取り方をされないで、あいつの言うことも、なんかの役に立つかもしれんぞっていうふうに受け取ってほしいわけですけど、ようするに、母親の物語に枠組みがないっていうことは、喩が使えないっていうこと、比喩っていうのが使えないっていうことと、対応がつくように、ぼくには思われます。
ぼくの友人でも、病気の人がいますけど、その人は、前は、その人が書く詩には、メタファーとか、直喩とかっていうのがあったんですよ、ところが、病気になりまして、それから治って以降、書かれている、その人の詩っていうのは、やっぱり、いい詩なんですけど、比喩が使えてないんですね、使えてない分、まったくノーマルです、正常ですけど、使えてない分、まだ、元どおりっていいましょうか、ほんとうの、表現の領域まで、微細に入っていくほどは回復してないんだっていうふうに、ぼくは、そう思っていますけど、それは、たぶん、乳児期の母親の物語に枠組みがないんだっていうことと、かかわりがあるような、あるいは、対応がつくようなふうに、考えております。そう考えると、あるわかりやすさのパターンっていうのが、できあがるような気がします。
それから、常同的なっていいますか、いつでも繰り返し、同じことを語るとか、同じことを、同じふるまいをするっていう、異常の分散の仕方っていうのがあります。これは、パターンとしてあります。
ぼくなんかも、自分がしゃべった話を、速記かなんかで書いてくのに、なんでこう、くどくど同じことを言ってやがんだってくらい、うんざりするような、常同的ふるまいの、言葉があるんですけど、この常同的ふるまいや、言葉っていうのは、そういうパターンが異常の分散の仕方の中にあります。
それはなぜかっていえば、ぼくは、やっぱり、枠組みがないとは言えないですけど、枠組みがやっぱり不安定なんだ、母親の物語の枠組みが不安定だったんだっていうことと、関係が、あるいは、対応がつくように思っています。だから、本音をいうと、どうやってふるまっていいのかとか、どういう言葉を使っていいのか、使う言葉っていうのは、もちろん簡単で、本当は助けてくれって言ってるわけだと思います。
つまり、助けてくれっていうふうに言いたいんだけど、助けてくれっていう言葉は言えなくて、常同的なふるまいとか、常同的な言葉を言っている。しかし、ほんとうは何を言いたいんだ、ようするに、助けてくれって言いたいんだ、あるいは、もう地獄だよっていうことを言いたいんだ、しかし、常同的な言葉やふるまいでしか言えない。そういう場合には、たぶん、母親の物語の中に、枠組みがなかったとは言えないまでも、枠組みが非常に不安定だったんだっていう、それで、それがある期間、持続したんだっていうことと、対応関係が、つまり、物語的にいえば、対応関係がつくように、ぼくには思われます。
それから、ぼくが付き合ってる中におるんですけど、ぼくなんかに付き合う人は、つまり、あれなんです、親愛感をもっているか、親愛感の裏返しとしての憎悪をもっているか、そういうパターンなんで、つまり、素人ですから、それ以外に僕なんかと付き合う根拠がありませんから、理由がありませんから、付き合ってる人は、たいてい、どちらかなわけです。
かつて、愛着をもっていたんだけど、いまは憎悪に変わってるという、もっとそれを根底的に言っちゃえば、同性愛的な傾向みたいなのが、その人の中にあってとか、そういうことも含めまして、そういう人がいちばん多いわけです。そういう人の中には、いつも僕が聞くのは、「回避」の物語です。その人から聞くのは、「回避」の分散物語です。それを、いつでも聞くわけです。
それで、そうじゃなければ、逆に、ぼくの書かれたものの中を、片言隻語をよく覚えていまして、よく読んで、よく覚えていまして、ようするに、この言葉とこれとは矛盾してるじゃないか、おまえは、こういうことを言っていいのかとか、そういう追い詰めようとするとか、それじゃなければ、いわゆる「回避」の物語を聞かせてくれるとか、そのどちらかのパターンに帰着するように思います。
それで、例外なく云えることは、母親が、なかなかしっかりして、男勝りで、経済的にも助けていてっていう、そのご本人を助けていて、父親の存在はあるかないかのごときもんであって、すくなくとも、母親とその人の間に割り込んで、なにかこうせいとか、ああせいとか、こうじゃないかとか、言ってくれるような、父親ではないわいねっていう、そういうパターンを、10人いれば9人は同じパターンです。それで、結局、母親の物語が、非常に大きく作用しているわけですけど、作用し続いているわけですけど、そのどちらかであるように思います。
ベイトソンなんかの云い方をすると、一人称、つまり、君と僕とか、おれとおまえとかっていう言葉を、なかなかさしはさめないっていうのは、非常に大きな特徴なんだっていう云い方をしていますけど、それは、ごもっともなことなんですけど、結局それは、追い詰めるか、あるいは、避けるか、「回避」の物語か、どちらかの二者択一的なところになってきます。
そうすると、それは、たぶん、乳児のときに、母親の物語を全部、その人が、ネガとして、被ったっていう、その乳児がネガとして被ったんであって、母親の物語を全部被ったんだ、そういうことと関係があるような気がします。つまり、被ってしまったっていうことと、関係があるような気がします。
もちろん、まだパターンがあります。ひとつは、作為体験です。つまり、この異常の分散の仕方のひとつだと思いますけど、だれかから、なにか連れられているんだとか、だれかから、こうせい、ああせいって、いつでも命令されているように見えるとか、だれかから、体の内臓をいじられているように見えるとかっていう、そういう作為体験っていうのがあります。
それから、「幻覚」っていうのも、ひとつのパターンとしてあります。それから、妄想知覚みたいなものもあります。おれの内臓は右から左に移っちゃったとか、そういう妄想知覚みたいなものもあります。
こういう、物語の分散の仕方っていうのは、母親の物語から、乳児のときにたいへん深刻に追い詰められたことがあるんじゃないかっていうふうに思います。つまり、深刻に追い詰められたっていうことと、対応するんじゃないかっていうふうに思います。この種の、パターンとして取り出せる体験っていうようなものは、母親の物語が相当強大な影響を与えてて、ほとんどその人のネガとして、心の中に全部、焼き付かれてるみたいな、それを、なんらかの意味合いで受け入れて、もう居所がないんだっていう、母親の物語を全部ここまで受け入れちゃったんで、回避の場所がなければ、結局どこか、これの範囲の外のところに、なにか原因とか、幻覚とか、それを求める以外にないわけですから、たぶん、母親の物語から、非常に深刻な意味合いで、追い詰められたってことが、ありうるんじゃないかっていうふうに思います。つまり、物語っていうのは、ひとつの文学作品っていうのは、典型的にそうですけど。
ひとつの物語を表現するためには、その作者のなかには、物語の物語といいましょうか、メタの物語といいましょうか、物語の物語っていうのが、その作者のなかになければ、物語は作れないっていうことが云えます。つまり、物語の物語っていうのは、いってみれば、物語を作る場合のフィードバックっていいましょうか、背景になっている構造を成しているわけです。このフィードバックがない場合には、ほんとうは、物語は作れないわけです。だから、表現はできません。
たとえば、ルソーの『告白録』でもいいですし、三島さんの『仮面の告白』でもいいんですけど、そこに書かれている、わたしは何々であったとか、わたしはこうであったって書かれている、一人称で書かれているわけですけど、そうすると、ほんとうをいいますと、厳密をいいますと、そこに一人称で書かれている、こうこうこうであったっていう告白のなかの一人称を、作者自身というふうに考えるのは、ほんとうは近似的な考え方で、ほんとうはそうじゃありません。
つまり、どんなにおんなじように、体験をただ、作者の体験を書いているだけのように見えましても、ほんとに作者は体験だけを書いている場合でも、書かれた表現のなかにある、私っていうものと、それから、作者とは、いちおう違うものだっていうふうに考えないと、間違ってしまう、厳密にいう場合には、間違うときがあります。
なぜかっていいますと、物語の作者の中には、告白物語を書いたとすれば、告白の、また告白といいましょうか、告白物語のまた物語っていうものが、ちゃんとフィードバックとしてあるわけです。そのフィードバックっていうものを勘定に入れた上で、そこに書かれた一人称の告白を、告白として受け取らないと、厳密にいえば、間違えてしまいます。
つまり、文学作品の表現っていうのは、いつでも、そういうふうにできあがっているわけです。これは、やっぱり、母親の物語でも、おんなじなわけで、もし、母親がかなり苦しい場面っていうのに、生涯のなかで当面して、たまたまそのときに、子どもが生まれて、子どもを育てなければならなかった。そうすると、かなりな程度、きつい目に遭うわけだし、きつい物語がちゃんと、乳児のなかに写し植えられるわけですけど、しかし、母親が、そういうきつい体験、乳児に触れることもできない、その体験を、また、体験の体験っていうのを、そのときに思いうかべることができるならば、あるいは、その体験を、きつい体験を、乳児には仕方なしに植え付けちゃっているわけだけど、そのことを自分がよく知っている、よくじゃなくても、それがわかってんだっていうようなかたちで、体験の体験、あるいは、母親の物語の物語っていうのを母親がもっている場合には、かなりまた、違う様相を呈してきます。つまり、違う様相を呈するだろうっていうふうに思われます。
そのときには、母親の物語っていうのは、いちだんと次元が高度になってきます。それから、また、それにともなって、乳児が植え付けられる母親の物語も、受け入れる物語も、また、高度に、複雑になっていきます。
たとえば、ぼくらが、時々おかしくなったりすることがあっても、なんとなくやれている、すくなくとも、三島さんや、ルソーほどの異常さっていうことには陥らないで、まあまあやっているっていうようなことは、なぜ、可能かっていえば、たぶん、母親の中に物語の物語っていうのを、思い浮かべるだけのゆとりが、まだ、すこしは残ってたっていうような、そういう育てられ方みたいなものが、あったからだっていうふうに思います。
だけど、きついっていうことだけいうならば、相当きつい物語を、どの母親も、ある時期に体験したりし、ある時期に、それを乳児に、完全に写し植えたりしているわけです。ただ、そのことが母親にとって、よくわかられていたら、また、もっと物語は高度に、複雑になっていって、また、回避の思考とか、常同の思考とか、作為体験の思考とか、妄想の思考とかっていうのが、もうすこし高度に、複雑になって、容易に、あの大将おかしい、なんていうふうに、人からは結構思われないですんでるというようなことも、また、ありうるわけだっていうふうに思われます。
そこのところの問題は、やっぱり、人間が実存的に自分を超えて、いつでもいける通路といいましょうか、いける口であって、そういう抜け道といいましょうか、出口を介して、ぼくらは、いつでも、自分を超えようとし、また、超えきれなければ、エディプス期に退行したり、乳児期に退行したりっていうようなかたちで、退行が起こったり、また、それを克服したりっていうようなかたちをとりながら、生涯を送っていくっていうようなことになっていくんだろうっていうふうに思われます。
時間もやってきたようですから、これで、いちおう終わらせていただきますけども、この前お話ししました共同体の刻印っていうものが、母親の物語の中にどういうふうに現れるか、どの時期と、どの時期が、人間にとって不可解な時期なのかっていう問題の発端から、たぶん、この前、申し上げたことの、違う意味でも繰り返しということになると思いますけど、ただ、違う観点から、もう一度、その問題を突き詰めていこうっていうようなことで、お話ししてみました。事態をすこぶる単純化してしまって、単純化し、図式化しているために、ご専門の方からみたら、たいへん聞き苦しいところがあったと思いますけど、それは非常にうまい受け取り方をしていただければ、非常に幸いだっていうふうに思います。いちおうこれで終わらせていただきます。(会場拍手)
(質問者)
みやぎと申します、所属はありません。はじめの方に、胎児期に乳児期をつくるのは可能だとおっしゃいましたけど、どんなふうに可能になるのでしょうか。
(吉本さん)
ぼくが知ってる範囲では、3冊くらい、わりに啓蒙的な本が、翻訳されて出ていますけれど、それは、日本でいえば、よく、胎教、胎教っていうふうに、胎教は大切だとか、胎教は影響があるんだとかいう云い方が、昔からありますけど、それと同じようなことを、ようするに、意識的に、妊娠期間中に、意識的に子どもに、毎日時間を決めて、母親がたいへん気分がいい時間を選んで、それで、子どもに童話を読んで聞かせたりとか、音楽を聞かせたりとか、語学の勉強を教えたりとか、数学の1+1=2だっていうことを、繰り返し繰り返し、妊娠何か月に、ずっとやりまして、つまり、早期教育っていうんでしょうか、そういうことを目的としたやりかたで、一種、能力主義的なやりかたがアメリカでやられてて、そのこと自体は、あんまり感心したことじゃないような気はするんですけど、そういうやりかたをしまして、いちばん顕著なのは、自分の子どもが、3人か、4人くらいいて、その子どもに、全部一様に、胎児のときに、そういう教育をしてあれしたら、3人か4人全部が、11歳くらいで大学卒業したとかいうんでしょうか。
つまり、非常に重要なことは、あらゆる伝説と神話を破って、胎児っていうのは、ちゃんと音楽をやれば、音楽を聞いているし、言葉を言ってやれば、それはちゃんとわかるしっていうことが、非常にはっきり、そういうことを非常にはっきりさせたってことだけは、功績だと思うんですけど、意味は、ようするに、早期教育って意味で、その母親がやった記録みたいなのは、翻訳されて出ていますけど、それはちょっと凄まじいものであって、フロイトがいう、胎児期の母親の精神状態は影響を与えるみたいなことは、フロイトはつとに、そういうことは、早くから、予言してるっていうか、言っているわけですけど、それは、実証できるかみたいなことが、すこぶる怪しかったわけですけども、いまでは、ちょっとそれは実証もできますし、超音波聴診みたいなのをして、そういう実験をやったのがありますけど、そういうので、実証ができますし、それを実際に母親が、それをやったら、言葉から何から全部、語学とかそういうのを全部、超早期教育っていうのは可能だったっていう、そういう体験のあれが翻訳されて出ていますけど、そういうことっていうのは、まったく、可能だっていうふうに思います。
ぼくは、そのこと自体は、人よりも能力的に、はやく凄まじい能力を身につけたいみたいな、そういうことが目的とされている、つまり、能率主義的な目的でもってされたものだから、そのこと自体は、ちっともよくないなと思うんだけど、そういう意味じゃなくてだったら、たぶん、これから、ますます、そういう意識的に胎児期の問題が重要だっていうようなところに移行していくようには思ってます。
そういうことは、3冊ぐらいあります。日本で翻訳されて出ていますけど、そういう遡り方、つまり、どこに、異常ってことでもいいんだけど、どこに異常の責任を、責任っていうのはおかしいですけど、異常の根源をどこに求めていくかっていう、そういうモチーフでも、たぶん、胎児期まで遡っていくことは、必至だろうって僕には思いますし、また、悪い意味で能率主義的に、早期教育で、うちの子を、はやくから優秀な子にしてやろうみたいな形で、そういうやりかたっていうのも、邪道ですけど、行われてくるようになるかもしれませんし、だんだん流行ってくるかもしれませんし、良きにつけ、悪しきにつけ、そういう問題の根源をもっと遡らせるところにいくことっていうのが、まったく間違いないことだって、ぼくには思われます。
祥伝社っていうところの、ノンなんとかブックっていう、新書版のあれがありますけど、そこに3冊ぐらい翻訳されて出ていると思います。だけど、そのことは、フロイトは非常につとに、理論的に言いきっていることで、ちっとも、新しいことでもなんでもないんですけど、実際問題で、医学的にわかるようになっちゃったから、なっちゃったっていうことと、体内の胎児のふるまいっていうのは、見えるようになっちゃったっていうこと、それから、そういうことを実際にやっちゃった母親っていうのが出てきちゃったっていうことがあるわけですけど、それは、これからの問題として、展開されていくんじゃないでしょうか。
(質問者)
市内の東大淀の高橋といいます。今日、ここに来ていらっしゃる方は、たぶん、精神医療に関心をもってらっしゃる医療者の方だと思いますけど、わたくしたちは、吉本隆明さんのお話を聞くというようなことでやってまいりましたが、お話を聞いているときに、医療関係者だけではなくて、たとえば、精神的な意味で、困ったり、いろいろしている私も、ここに来てもいい企画があるんだなというふうに思いました。
ですけれど、私ははじめて来ましたんですけれど、前に吉本さんがお話になっていることの関連と、それから、今日のお話を聞きまして、うつ病だとか、分裂病とか、いろいろ、精神科の病気がございますけど、吉本さんの話で、ここで聞いた限りにおいては、すべて、母の物語という言葉に表されているかたちのものが、病気の原因であり、かつてはいない方々の幼児体験とか、母親とのかかわりの間が、含まれたことであるというふうにおっしゃったと思います。
フロイトという人の本を、パラパラと読んでみまして、そういうことが書かれてあったと思いますけど、いま、医学が非常にきちんとしていまして、精神科全体においても、吉本さんが言われている母の物語で表されたことから、いま申しましたような病気は、すべて出ているものでございますか、それを吉本さんは、どう、ちゃんと処分して、この話を再度行うんですか。
(吉本さん)
ぼくは、まったく疑いなく、そうだって思っております。ぼくは素人だからあんまり、あれを言ってはいけないんですけど、素人じゃない人で、ぼくとおんなじように考えている人、たとえば、例を挙げてみますと、アメリカにベイトソンっていう、大きく云えば、行動主義的な精神医学者と云ってもいいと思いますけど、そういう人がおりますけども、その人も、やっぱり、同じように、べつにフロイトの系統の人ではないんですけど、同じように云っております。
ベイトソンの場合には、専門家ですから、何人も実例を積み重ねて、調べてしてっていうふうにやって、そういう結論を出しておるわけです。ぼくがちょっとメモしてありますけど、何例も何例も、自分たちの精神医学者のグループで、何人も何人も、そういう、ご本人と家族等の調査をして、それらに共通な特徴が3つあるっていうふうに云っています。
ひとつは、自分をやさしい母親だと見なされていると、不安になり、身を引いてしまう、そういう母親をもってると、子どもに親しく付き合わなくちゃならない場面になると、不安と敵意が起こるっていう、そういう母親をもっているっていうこと、それから、二番目に挙げていることは、子どもに不安や敵意をもっていると、認めることができない、認めたがらない母親だと、そのためにやさしい態度を示してみせて、子どもにも、自分がやさしい母親だよってことを、そう思うように、子どもに教え込んで、子どもがそうしないと、やっぱり、身を引いてしまうっていう、そういう母親をもってるってこと、それから、三番目に挙げているのは、母親と子どもの関係の間で、両方の気分なり、心理状態なり、そういうものを調節する、そういう父親、あるいは、父親的な役割をする存在がいないってこと、その3つが、やっぱり共通の条件だっていう、家族とご本人をあれしたときに、共通に見つけられることだっていうふうに、三カ条挙げていますけれど、そうじゃないっていう精神医学者、つまり、母親と子どもの物語だっていうふうに、それが第一義的なものだって思わない精神医学者っていうのは、いるのかもしれませんけども、ぼくは、あんまりお会いしたことも、そういう人の本も読んだこともないですけど、だから、ぼくは、まるまるまったく、そういうふうに信じております。
(質問者)
のひらといいます。2つお聞きしたいんですけれど、さきほど、児童期っていうのは、社会の状況などから見て、延びるかもしれない、そういう考えもありうるとおっしゃいましたけど、児童期っていうものを、もうすこし解明していかなければいけないと思うんですが、そこのところを、もうすこしお伺いします。
それと、もう1点が、母親の物語がどう成立するかってところで、おかしな取り方をしているかもしれなんですけれど、夫婦の性的なふるまいを、母親の物語を、母親が植えさせる前に、すでに体験しているっておっしゃってたと思いますが、そのときに、母親の役割っていうのは、わかったような気がするのですが、父親といいますか、父親になる前の、夫の役割みたいなものは、なにかお考えというものはありますでしょうか。
(吉本さん)
児童期の問題っていうのは、たとえば、専門家の先生は、いくつか云っているわけです。つまり、いくつか特徴をあげています。ここにいくつかあげてありますけど、エリクソンのあれが、いちばんわかりやすいと思いますけど、ひとつは、勤勉っていう観念を植え付けられるときなんだっていうこと、それから、道具の法則っていうのを覚え込む、それから、もうひとつ重要なことは、エディプス、つまり、性的なものですけど、性的な発現力ですけど、エディプスが、このときに発現するんだ、エディプスの複合が発現するんだ。つまり、父親と母親の間に、自分が割り込んでいく、性感情の割り込み方、性的な感情の周辺で、割り込んでいく割り込み方、それから、割り込めない場合の失望の仕方っていいましょうか、あるいは、父親に対する非常に強大なイメージをつくりあげる時期なんであって、そのくらいなことを特徴としてあげています。
だから、いくつかの問題が、深刻な問題として、出てくるんだと思います。つまり、勤勉の問題っていうのもそうですし、それから、勤勉の反対なんですけど、勤勉じゃなくて、なまけたっていうと、父親、母親から叱られ、それから、学校に行けば、先生から叱られっていうようなかたちでもって、勤勉じゃない、なまけるってことに対する劣等感みたいなものを植え付けられたりするものですから、エリクソンなんかは、勤勉対劣等感の時期だって云っているくらいなんです。
だから、そのことは、ぼく自分流の言い方で言っちゃえば、性的な発現力っていう問題を、第二義的なことをして、そして、第一義的には、知識とか、技術とか、規律とか、道徳とかを学ぶっていう、ひとつは、それを抑圧しておいて、規律をよく学ぶっていう、そういうやりかたが、二重にある時期が、この児童期なんだっていうふうに、だから、児童期の問題っていうのは、いずれにせよ、抑圧された部分が下の方に、潜在化した部分が表面に露出してきたりとか、それが、規律勤勉の、技術の習得っていうことと、矛盾してきたりとか、じゃなければ、知識の習得で、なまけ者だっていう観念を植え付けられたために起こる問題とかっていうのが、起こってきているわけですから、この問題が、エリクソンがいうように、本当に、勤勉を植え付けられる時期といえるのかどうか、技術の基本が身につく時期だっていうふうに、本当に言っていいのかどうかってことは、もっとたくさん、検討しなきゃいけないような気がするんです。
こんなことはいらないんじゃないかっていう観点も成り立ちうるので、そんなことは必要になった時に、勉強なんかは必要になった時に、それぞれにすればいいので、べつに学校制度をつくって、義務教育にして、それを通らなければ、先に行けないみたいな、通らなければ劣等生だっていう、そういうレッテルを貼って、そういう制度をつくることは、ほんとはいいことかどうかっていうことは、エリクソンの云い方でも、バーカーっていう人の云い方でも、ほんとは、はっきりとは否定できないっていうふうに思います。
この程度のことを云ったって、この程度の、勤勉対劣等感の時期だってことを云ったって、そんなことぐらいで、この時期の問題を言いきることは、ぼくにはできそうもないと思われますから、もっとちゃんと、ほんとに勤勉って必要なのかとか、この時期に必要なのかとか、植え付けるのが必要なのかとか、知識っていうのは、この時期に教育することが必要なのかってことは、本当に確かめてみたり、本当に研究してみたりしないといけないし、もっと根底的に言えば、人間っていうのは、はたして、勤勉であることが必要なのかとか、人間っていうのは、知識っていうのを制度的に学ぶっていうことが必要なのかどうか、あるいは、制度的になんか学ばなくても、それは、自分が必要なときにぶつかったら、そのとき学べばいいっていう問題なのかどうかっていうことも合わせて、ちゃんともっと、徹底的に考えた方がいいっていうふうに、ぼくには思われます。この程度のことで、こんなことは言っちゃいけない、勤勉対劣等感の時期だって言っちゃいけないと思います。この程度のことで、義務教育を肯定してもいけないし、また、否定してもいけないような気が、ぼくはします。もっと、否定するにしろ、肯定するにしろ、もうすこし、勤勉とか、怠惰とか、劣等とか、優等とかってことを、もっと、突き詰めていかないといけないし、どの時期に教育したら、知識を身につけたら、いちばん身につくのかっていうこと、それも、もっと本格的に、探求、研究しなきゃいけないっていうふうに、ぼくにはそういうふうに思われます。
それから、もうひとつおっしゃいました、父親の役割ってことですけど、父親の役割は、乳児に対しては、いま言いましたように、母親を介して、母親との関係を介しての間接性ってことになっていくと思いますが、間接的な役割ってことになっていくと思います。つまり、乳児の精神形成に対しては、父親の役割は、間接的っていうようなことになっていくと思います。しかし、一面では、そうじゃないって人もいるくらいです。
たとえば、典型的なのは、ヨットスクールの、戸塚ヨットスクールの戸塚宏って人は、そうじゃなくて、強大なる父親がいて、ちょっとでもつまらない歯向かい方をするようなあれは、その前に、前面に立ちふさがってっていうような、強大な父親がいたら、こんな学校内暴力とか、家庭内暴力であれするみたいな子どもはできないんだって、だから、自分は、父親の代わりに、子どもを引き受けて、訓練して、ヨットハーバーで訓練したってことなんだっていうふうに言う人もいるくらいですから、父親の役割は、非常に、強大な父親が存在するってことは、非常に大きな意味をもつんだっていう観点もありうるんだって思います。
ありうるんだって思いますけど、ぼくの、自分の考え方からすれば、それはそうじゃあるまい、つまり、間接的だろ、母親との関係を介して、母親に不安を与えるか、与えないかってことの関係を介して、父親の存在とか、ありかたっていうのは、非常に重要だっていうふうに、ぼくはそういう考え方をもちますけれど、そうじゃないって人も、もちろんいるわけです。
だから、家父長時代のような父親が再現された方がいいんだっていう考え方の人もいますし、その考え方に基づいて、実践した、実行した、戸塚ヨットスクールっていうのは、そうですけど、そうしといて、治療の効果をあげたっていうふうに、戸塚さんは、そう云っていますけど、あげてるっていうふうに云っていますけど、そういうふうにやってみて、実績あがってるっていうふうに云ってる人も、もちろんいるわけです。
だから、それはあまり、さまざまじゃないでしょうかと思うんですけど、ぼくは、自分の考え方の経路からいえば、一種の間接的な役割だろうと、しかし、それが存在しないってことは、非常に重要なことで、これは、ベイトソンも云ってますけど、母親と、この場合は患者って云ってますけど、関係の間に、介在するような父親が、介在して、両者を調節してくれるような、そういう父親がいないってことは、非常に特徴的なことだってこと、共通していることだって云っています。だから、ぼくらも、自分がお付き合いしている人は、例外なく、ちゃんとしっかりした母親と、経済的にも、人間的にもしっかりした性格で、テキパキしてっていう性格で、母親がおり、そして、父親というのもいた場合には、影が薄いっていいましょうか、そういう父親で、たぶん、ぼくは、そういう、その知り合いの人たちの乳児期の体験っていうのは、知ってるわけでも、聞いてるわけでもなんでもないんですけど、聞かなくても、だいたいこうだろうなっていうのは、わかるように思いますけど、それは、共通しているように、ぼくには思います。例外っていうのは、ちょっとなんじゃないかなっていうふうにぼくには思われます。
(質問者1)
いちばん大事だと思います「分散」という言葉を、ほかの言葉で置き換えて、あらためて説明してもらえないでしょうか。
(吉本さん)
さきほど言いました、分裂病の女の子の場合と、それから、ルソーでも、三島さんでも、太宰治でもいいんですけど、そういう人と、何が違うかっていうことを考えるでしょ。そうすると、これ小説書きです、つまり。言葉の表現を口でするっていうんじゃなくて、書いて表現するみたいなことがあるでしょ。そうすると、すくなくとも、書いて表現するってことは、結果論的には、書こうが書くまいが、生活において表現すれば、おんなじなんだってことになるんです。
ただ、もうすこし緻密に言うならば、書いて表現する人は、何が違うかっていうと、表現するそのことについてだったらば、意志っていいましょうか、willです、つまり、意志が必要だってことが確かなんです。書く意志がなかったら書けないわけです。それが、もし違うといえば、この分裂病の女の子の場合と、書いて表現するってことにおいて、意志を介在させたか、意志を仲介にしたか、しないかってことだけが違うような気がするんです。
そうすると、ようするに、何かきついことがあった場合に、たとえば、三島さんでも、ルソーでも、そうなんだろうと思いますけど、書いて表現することの非常に初期においては、発端においては、たぶん、きつかったから書いたとか、きつかったから、自分を慰安するために、自分を慰める為に書いたっていうのが、たぶん、文学とか、この種の書いて表現することの発端だって思います。つまり、どんな文学者とか、そういう哲学者でもなんでもいいですけど、なぜ、おまえはものを書くようになったのかって、こういうふうに聞いたならば、ようするに、きつかったから、自分を慰めるために、自己慰安のために、とにかく書いたんだ、書くっていうのが発端なんだ、日記を書いたとか、そういうのの延長でもいいんですけど、発端なんだと、たぶん、言うだろうと思うわけです。
だけど、そこだったら、非常にきつい事態が生じて、きつい自体に対して、異常っていいましょうか、違うかたちで、それをなんか分散させてしまうっていうさせ方と、それから、こういう人たちが、書いて表現することの間には、なにが違うかって言ったら、多少、書いてあれする場合には、書くという意志が、すくなくとも介在するわけです。間に入るわけです。そこだけが違うって思うんです。
そこだけが違うってことを言うために、それでもって分散っていう言葉を使ったんで、表現といったって、なんでもいいと思います。異常の表現と云ってもいいと思いますけど、ただ、表現っていうのは、こちらの場合といっしょに、共通に取り上げるとすれば、表現っていうなかに、多少でも意志が入っていますから、ルソーの場合でも、三島さんの場合でも、文字で書くということの中には、かならず、書くという意志がないと、とてもやれないですから、入ってますから、それをいっしょに扱おうっていうふうにあれする場合に、そういうふうに言葉を言っただけて、表現っていう言葉を使ってもいいわけです。誤解を生じなければいいと思います。
(質問者2)
たまたま、わたしが質問しようとしていたことと一緒だったんですけど、もうすこし、よろしいでしょうか。乳胎児期に受けた衝撃なり、傷なりというようなことが、個人の発達史のなかで、分裂病になる患者さんの場合には、たとえば、そこに書いてありますけど、作為体験なり、妄想なり、幻覚なりというかたちで、症状というふうにして現れてきて、分裂病の患者さんでなければ、ふつうの、わたくしたちでも、文学者でもですけれど、その表現というようなことになると思うんですけれど、受けた傷というか、乳胎児期に受けた傷というのは、その人の発達史のなかで、どういうふうな、ふるまいかたになっていくかとか、表現されかたになるか、たとえば、行動異常になるというふうな、そういうような解釈でよろしいんでしょうか。
(吉本さん)
そうだと思います。それ以上のことは、分裂病的な形とか、うつ病的な形とか、いろんな形、個々の場合とか、そういう問題は、そちらの領域であって、ぼくらの介入できるあれがないので、全般的に、それらを全部異常っていうふうに、異常の分散だって云ってしまっても、節度っていいましょうか、節度で、それ以上のことは、あまり、こちらが言うべきことではなくて、むしろ、そちらのほうの領域に入るので、全般的に異常の分散っていうふうに云うところというのが、ぼくの意図でして、それ以上のことは、ほんとにぼくらにはわかんないので、みなさんのほうの領域に属するんじゃないかなっていうふうに、ぼくには思われるわけですけど、だから、ただの異常の分散っていうふうに、それで、作為体験とか、そういうのは、異常の分散がパターン化したものだ、パターン化してるか、しないかってことの違いだけなんだっていうくらいな意味合いにとっていただければ、ぼくの方はいいんですけど、それ以上は、そちらの専門の領域に入ってしまうから、ぼくらがあんまり、介入する余地がないなって感じをもちます。
(質問者2)
どうもありがとうございました。
テキスト化協力:ぱんつさま