大変お待たせいたしました。ただ今から夏の文学教室、第2日目を始めます。本日は吉本隆明先生おひとりの講座で、講演時間は4時20分までとなっておりますが、真ん中ほどで一度15分くらいの休憩時間を挟みたいと思います。会場が大変混雑し、かなり会場が大変混雑しておりますが、最後までじっくりとお聞きください。それでは夏目漱石『吾輩は猫である』『夢十夜』『それから』と題しまして、吉本先生、お願いいたします。
今日は漱石の『吾輩は猫である』、それから『夢十夜』、それから『それから』っていうみっつの作品についてお話しするということなんですけども、このみっつの作品についてお話しするっていうことは言い換えるとまだ混沌とした漱石と言いましょうか、混沌として渦巻いてる漱石っていうのをお話しするのと同じことだと思います。
僕は昔、吉田六郎さんの『作家以前の漱石』っていういい本、とてもいい本なんですけど、それを読んだ記憶がありますけど、この作家以前っていうふうに言うわけにはいかないんですけれども、いずれにせよこのみっつを論ずるとかみっつの話をするっていうのは混沌とした漱石って言いますか、まだ混沌とした漱石について語るっていうことに匹敵するって言いましょうか、該当すると思います。
で、さっそく『吾輩は猫である』から始めたいと思うんですけども、『吾輩は猫である』っていう作品はみなさんは名前って言いますか、表題って言いますか、それは大変よく耳に慣れたものだと思うんですけれども、この中身、作品の中身はそれほど面白いもんではないですから、それでいろんなことが今も言いましたように渦巻いて、しかも断片的に投げ込まれてありますから、そんなに読みいい作品ではないので、お読みになった方はたぶん少ないんじゃないかっていうふうに思います。でも、とても当時評判になった作品です。で、この作品について何か申し上げるとすれば、まずいちばん申し上げたいことはふたつあります。ひとつは、つまりなぜ猫っていうものを、猫が人のように口を利き、人のように何かしゃべって、猫の飼ってる主人公である苦沙弥先生っていうんですけど、その友達である迷亭とか越智東風とかっていう友達ですけれども、しょっちゅうやってくる、それから寒月って理学者です。つまり寺田寅彦をモデルにしたっていうふうに盛んに言われる人物ですけども、このよったりぐらいがいつでも会話を交わしたりしてることを猫が聞くって言いましょうか、盗み聞いて感想を述べるみたいなかたちで作品が展開するわけです。
で、まず申し上げたいことはふたつありまして、なぜ猫っていう設定の仕方をしたかっていうことなんですけども、あるいは猫っていう設定をしたためにどういうところが作品の特徴になったかっていうことなんですけど、それは少なくとも第1章から第8章ぐらいまでは猫っていうのは何かって言いますか、要するに一種の移動していくことができる、どっかに入り込んでいくことができる、人のうちでも入り込んでいくことができる、移動する耳ですね。耳という意味を持つと思います、この猫は。で、移動する耳という役割を猫はしながら自分のうちの主人公の部屋とか台所とか、そういうところに忍び込んでいったり、また人のうちへ入っていったり、また人のうちの庭で聞き耳を立てたりっていうようなかたちで作品が展開していくわけで。
ところで、この8章ぐらいから後になりますと、この猫が演ずる移動する耳っていう役割が今度は移動する目っていう役割に変わっていきます。で、作品としてはがらりと調子が変わってしまいます。つまり、猫は少なくとも、この『吾輩は猫である』の中の猫は少なくとも初めは移動する耳っていうことで、おしゃべりを聞くっていうような、あるいは盗み聞きするっていうようなことが主になるわけですけど、あと後半のところに来ますと移動する目っていうかたちで、よく観察する、移動しながら観察する目っていう役割を猫は演ずるっていうことになります。それは第一に、この作品の特色と、それから変わり方って言いましょうか、猫の演ずる変わり方っていうものについてで申し上げたいことのひとつです。
で、もうひとつ何か申し上げるとすれば、猫っていう設定、つまり移動する耳っていう設定と移動する目っていう設定が作者である漱石にとってどんな意味を持ったかっていうことなんですけど、これはなかなか大変なことで。移動する耳っていう役割をしながら、だんだんその移動する耳が高じていきまして、一種の幻聴する、幻聴ですね。つまり何も声が聞こえてこないのに聞こえてるがごとくなっていくっていうのは多少病的なことなんですけど、移動する耳が幻聴する耳っていうところまで入り込んでいくっていうところがあります。で、これはやっぱり作者漱石にとってやっぱり大変な意味合いを持つんだろうっていうふうに思います。もし、だんだん申し上げることができればと思います。
それから、移動する目って言った場合にはどうかって言いますと、移動する目に転化したときには、すでにもう作品が一種緊迫するって言いますか、急迫するって言うんでしょうか。つまり猫であるのか作者が言ってるのであるのか、あるいはこの『吾輩は猫である』物語の語り手が言ってるのであるのか、その三者が全部一緒になってしまって、一種白熱した文明批評みたいなものを猫自体がやるっていうことになってしまいます。つまり目で観察しながら、それでそれをいわば元にして、非常にかなり深刻な文明批評を始めてしまうっていう。それで作品としても面白さっていうことは、ユーモアっていうことで言うんならばユーモアの影は否定してしまいまして、なくなってしまいまして、それでなかなかに急迫した鋭い文明批評になっていきます。そして作者はそういうふうにやっちゃってからときどきはっと気が付いて、いや、というふうに主人公は言ったとか、誰それは言ったって言って、猫だってそれくらいのことは分かるんだみたいなことをちょっと言葉として差し挟んだりしますけども、本当はもう猫なんかそっちのけで、どっちでもいいっていうかたちで、もう猫も作者も、それから語り手も全部おんなじになってイコールになってしまうっていうようなところへ作品が行ってしまいます。それもまた大変、漱石にとって大変な大きな意味を持つだろうっていうふうに思います。
で、少しそれじゃあ細かくって言いましょうか、少しだけ細かく、移動する耳から始まるこの『吾輩は猫である』という作品について少し申し上げてみます。
移動する耳っていうふうに猫が設定されてるっていうことはどういうところで分かるかって言いますと、いちばん特色のあるのは、例えば作品の中に寒月っていう理学者ですけども、理学者が理学協会で講演をやるっていうのがあるんです。それで首吊りの力学っていう講演をやるっていう設定があるわけですけども、そのときに寒月が苦沙弥先生のうちへやってきて、それで講演の草稿って言いますか、原稿を読むからそれを聞いてくれないかっていうふうに言って、それでやってくるところがあります。ちょうど迷亭先生っていうのも一緒に居まして、それで寒月が明日からやる理学協会での演説の草稿を読んで聞かせるっていうところがあります。で、読んで聞かせるっていう。つまりこういう設定っていうのはもし猫が移動する耳でなければ、つまり耳としての猫じゃなければこういう設定をする必要はないので、すぐに寒月が理学協会で首吊りの力学っていう面白いテーマで講演する、その場の様子をそのまんま書けばいいわけですけども、猫が主人公で、主人公と言いますか、移動する耳としてナレーター、つまり語り手の役割をしていますから、どうしても耳に入ってくるように描かなければいけないっていうことで、その講演の原稿をわざわざ苦沙弥先生のところへやって来て、それでそれを読んで聞かせて、それで批評してくれみたいなことを言うように描かれています。で、この描き方自体が非常にまだるっこしいんですけど、それは猫を、耳を利かす猫として設定したためにどうしても作品の構成上、そうせざるを得ないので。それでそういう設定の仕方をしてるっていうふうに思います。
それで、そういう箇所っていうのは至るところにあります。それで、例えば作品の中で手紙なんかが読まれることがある。つまり誰かから来た手紙を主人公が読む設定のところがあるわけですけども、それもたぶん普通の小説だったら、手紙が来て主人公がそれを開けて、それで黙読したところで書かれてある内容の要旨をそこに書けば作品としてはそれで済んでしまうわけですけども、これもわざわざ手紙が引用されるっていうかたちが取られています。それで引用されて、それを主人公が読む、同時に読者が読む、同時に猫が聞くっていうそういうかたちの設定の仕方をしています。つまりわざわざ猫を主人公としたために、特別作品の中でそういうふうな特異な作り方をしてるっていうことが少し注意してお読みになるとすぐに分かります。つまりどうしても猫がそれを聞いているっていう、あくまでもそういう設定を崩すことができないもんですから、いろいろな工夫を漱石はやっております。
で、その手のことはたくさんあるわけです。それで、だんだん、例えば寒月っていう漱石のところへ出入りする理学者が居るわけですけども、理学者と縁談がある金田家っていう大金持ちのうちがあるわけですけども、そのうちで例えば寒月先生のことをどういううわさをしてるか、それから自分の主人である苦沙弥先生のことをどういう評判の仕方をしてるかっていうのを猫が聞こうと思いまして、それで金田の屋敷へ猫として忍び込んで。それでどっか、縁先かどっかに隠れるようにしてうわさ話をしているのを聞くっていう設定のところがあります。で、そこでは例えば寒月については縁談のある金田家の令嬢が、あんなおかしな男は居ないっていうようなことを、つまり寒月先生の悪口を言ってるのを聞き届けたりします。それから寒月の学校の先生だった苦沙弥先生についても、あんなわけの分からず屋の、学校の先生だっていうけどあんな分からず屋居ない。それで、自分の金田家の書生が苦沙弥先生のうちの前を通って、ちょっとなんか言ったらいきなりステッキを持ってあの教師は追っかけてきて、それで怒りだしたっていうような、そういうこと、それであんな分からず屋でえばってる教師は居ないとかっていうふうに苦沙弥先生の悪口を言ってるのを猫は盗み聞きするわけです。つまりそういう場合、猫が盗み聞きするっていう設定の仕方をしないで、これももしナレーターって言いましょうか、語り手っていうのを作品の中に設定すれば、語り手は金田家ではこういう話をしたと。それで苦沙弥先生のところではこういうことがあったとかっていう書き方をすればいいわけですけども、一匹の猫をいわば語り手として、それで作品が構成されているために、猫が潜んで行って、それで金田家の話を盗み聞きするっていうような、そういう設定をする必要がありますし、それがまたひとつの特徴になってる作品の特徴になってると思います。
で、この作品の全般はほとんどが、つまり苦沙弥先生と迷亭とそれから寒月とが、つまり苦沙弥先生の周辺のいつでもやってくる常連の4、5人の会話から成り立っています。で、会話の中で文明批評がなされたり人のうわさ話がなされたり、寒月の縁談の話がなされたりっていうような、つまりそういうほとんどが作品が会話から成り立っています。で、この会話から成り立ってること自体も猫を主人公として設定した、いや、猫を語り手として設定したっていうところからどうしても作品上やらざるを得ない構成だっていうふうに言うことができます。
で、逆に言いますとこの『吾輩は猫である』っていう作品の大部分の印象、つまり少なくてもユーモア小説としての意味を持って性格を持ってる『吾輩は猫である』っていう作品の大部分は会話の面白さっていうところから成り立っています。で、会話の面白さっていうのは印象で言えば何にいちばん近いかって言いますと、それはたぶん落語の語り口にいちばん近いと思います。まことに見事、名人芸の落語家が語ってるような、無駄のない会話っていうのがいつも登場する3、4人の常連の間で交わされていくわけです。それが面白くもあります。つまりくすぐるような面白さじゃないんですけれども、話が自ずから面白くて、それで大変高度って言いましょうか、つまり知識教養から言えば大変高度な会話が交わされるんですけど、大変ユーモラスな語り口で無駄がなくてって。それでポンポン話が進行してっていうようなかたちを考えますと、いちばんよく似てるのは落語家の落語の語り口っていうのにいちばんよく似てると思います。つまり漱石は小さんが、先代か先々代の小さんが好きだったって言いますから、そういう小さんの語り口なんていうのを大変よく研究してって言いましょうか、大変よく耳についていたんだと思いますけど、この会話の面白さがこの作品の、少なくとも前半を支えているっていうことになると思います。
で、そこの前半の会話でもって進行させるところ自体は、つまり落語家の、名人の落語家の、今で言えば古典落語なんですけども、古典落語の持ってる生真面目さと同時にユーモラスなっていう語り口っていうのとおんなじ調子のユーモア小説としての性格が多分にあります。それが会話から成り立っているっていうふうに、会話から成り立っているってことが言えます。で、その会話が、どうして大部分が会話だっていうのが作品になるかって言えば、それは猫をナレーター、つまり語り手として設定したために、それは当然そういうふうになっていったっていうふうに言うことができます。つまりこの猫、それから会話作品、それからユーモア小説としての性格っていうこのみっつはひとつの糸みたいなもんで、これは『吾輩は猫である』っていう作品の特徴を多く表していると思います。
で、ところでだんだんそういう話になっていくわけですけども、本当にこれが当時のそういう批評も、批評もそういう批評が多かったわけですけども、本当にこれがユーモア小説かっていうふうに、ユーモア小説として書かれてユーモア小説であるかっていうふうに言いますと、なかなかそう言い切れないところがあります。で、そう言い切れないところに作品はどうしても入っていくっていうところがあります。
で、このころ、漱石夫人の『漱石の思い出』っていうおしゃべりを筆記した思い出話をした本がありますけども、その『漱石の思い出』で奥さんが語ってるところによりますと、このころいちばん漱石は精神的に、あるいは神経的に怪しいときで、盛んに異常な言動っていうのを漱石が取って、それで大変、実生活上では大変神経症的に悩んだっていうときだっていうふうに語ってる時期と一致します。で、こういう精神状態がやや危険なときにこういうユーモア小説と見紛われるような作品を書いたわけです。だからこれは漱石自身にとっても一種の精神の逃げ道と言いましょうか、癒やしって言いましょうか、そういう意味を持っただろうというふうに思われます。つまりユーモラスな会話を、あるいはユーモラスで辛辣な会話っていうのを交わせば交わすほど、つまり面白おかしさを人に提供すればするほど、実は内面って言いますか、内面の状態は惨憺たるものだったっていうふうにも言えますし、また逆に内面の惨憺たる状態を惨憺たる状態として作品に表現するんじゃなくて一種のユーモアとして、つまり悲しいユーモアと言いましょうか、そういうもんとして表現したっていうふうな言い方もできると思います。
で、ところでこの『吾輩は猫である』っていう作品は、だいたい、だんだん後半に近付いていくにつれて、だんだんやっぱり普通猫が盗み聞きしたっていうような設定、あるいは主人公たちの面白おかしそうな会話を聞いて、それを表現してるっていうようなそういう設定の仕方では枠が収まらないところに作品が入っていくところがあります。つまり一種、猫がつまり盗み聞きっていうようなところから一種の幻聴へっていうようなところに踏み込んでいってしまうところがあります。例えばいろいろな場面があるわけですけど、例えば漱石のうちのそばに郁文館中学って、当時の、今の郁文館高校ですけども、郁文館中学っていうのがありまして、それで漱石はそこの学生さんと盛んに喧嘩をするわけです。で、それも『吾輩は猫である』の中に出てきます。郁文館じゃなくて落雲館っていう名前で出てきます。で、一種の落雲館事件なんですけども、それは初めは郁文館の学生さんが要するに休み時間とかそうじゃないときとかっていうのを構わずに漱石の庭とか敷地のところへ入ってきちゃうとか、そういうような、入ってきたりって割合に勝手なことしちゃうって。で、勝手なことで騒いでるっていうのはそういうことが初めは苦情の始まりなんですけども、だんだん、例えばボール投げをしてそのボールが漱石のうちの庭の中に入ってきちゃうと。そうすると郁文館の学生さんが漱石のうちの中へ黙って隙間から部屋の隙間みたいなところから、垣根の隙間みたいなところから入ってきて、黙って球を探して黙って取っていっちゃうっていうようなそういうことになってきて、漱石がだんだん怒りだすわけです。で、怒りだす場合に漱石は、つまりここが、つまり盗み聞きから幻聴へっていうところの境目になるわけですけども、漱石はだんだんとそういうことが高じてくると、郁文館の学生さんは要するにわざと自分のところに球をわざと転がしてきて、それでわざと垣根を分けてそれでそこから自分のうちの庭にわざと入ってくるんだっていうふうに、だんだん漱石はそういうふうに思うようになります。で、そういうことと一緒に郁文館の学生さんががやがや騒いでるっていうことが、だんだんあれは自分の悪口、つまり自分のことをうわさして自分の悪口を言ってるんだっていうふうに漱石はだんだんそういうふうに思ってきます。そうすると、ここらへんが大変微妙なことになるわけですけど、漱石夫人の『漱石の思い出』っていうのを読みますと、要するに郁文館のそばに下宿している、2階に下宿してる学生さんの姿がちょっと見えて、庭から見えたりすると、いきなり例えば、おめえら俺の悪口を言ってるんだろうみたいな、分かってるんだぞとかっていうふうに怒鳴ったりなんかするっていうようなことを、漱石がそういうことを書いていて、それはことごとく幻聴で、漱石がちょっと異常状態に陥っていたのでそうだったんだっていうふうに、一種のそれは被害妄想なんでちっともそういうふうには受け取れないんだけどそうだったっていうふうに言っています。
で、漱石はこの『吾輩は猫である』っていう作品の中で徹頭徹尾逆に解釈して、それであの郁文館、あるいは落雲館ですけど、落雲館中学の学生たちはわざと自分のところへ球を落として転がして、それでわざと取りに来てわざと騒いで邪魔するんだっていうふうに受け取るわけです。それであるときとうとうひっ捕まえてしまうわけです。それでひっ捕まえると郁文館の先生がやってきて、先生に、どうしてこんな断りもせずに人の庭に入ってきてボールを取るっていうようなことをどうして許すんだっていうようなことを文句をかけた。それで、それは大変すまなかったんでよく注意します、みたいなことでそこの場は収まるわけですけども、ところでなおその後もボール投げの球が飛んでくるわけです。そうすると今度は郁文館の学生さんが、今度はわざわざやってきて、それで断るわけです。それでボールが転がってお宅へ入ったから取らしてくださいって言って断るわけで。断って取っていくようになる。で、初めはそれでいいんですけど、だんだんそれがせわしなくなってうるさくなってくるわけです。それで、そうするとまた漱石は、この作品で言えば苦沙弥先生なんですけど、苦沙弥先生は、あれはわざと俺の邪魔したりわざとからかうために、わざと頻繁に球を転がしてきて、それで頻繁に俺のところでボールを取らしてくださいって言う。頻繁に断ることで俺はなんにもできないようにわざとやってんだっていうふうに、漱石はそういうふうに取るわけです。
つまりその種の設定っていうのは言ってみれば作品の中では盗み聞きっていう、『吾輩は猫』の猫が盗み聞きするっていうような設定のところからごく自然な延長線で幻聴のところに入っていくわけです。入っていくことができるわけで、作品としてはできるわけです。しかしそこにはあるひとつの言ってみれば正常と異常の境界があって、それでそれは幻聴であるかもしれないっていうようなことになるわけです。で、この『吾輩は猫である』中ではそれにまつわる設定としては、隣の車屋さんの家族の連中がよく垣根の外で立ち聞きしているって。で、それは金田夫人に頼まれたんだって。頼まれて立ち聞きしてんだっていうふうに、作品の中ではそういうふうに設定されています。それから、郁文館、つまり作品の中での落雲館ですけど、落雲館の生徒がしきりにボールを取りに来て、それでしかもボールが入りましたから取らせてくださいなんて頻繁にそれを言ってくるっていうのも、それも本当を言うと金田夫人の差し金なんだっていうふうに作品の中では設定されています。
もちろん作品の設定としては、つまりこれはフィクションですからどういうふうな設定の仕方をしてもいいわけなんです。しかしそのときの漱石自体の精神状態と、一種『吾輩は猫である』というユーモア小説とを、一種対応付けをしてみますと、漱石がいかに、つまり普通猫が盗み聞きという設定で進んでいくところの場面で、いかにうまくって言いましょうか、うまく、あるいはいかに本気で、つまりすべては誰かの差し金でやってくるんだって、あの学生さんたちが自分のうちの庭にボールを取りに来たりボールを投げ込んだりするのもやっぱり金田夫人の差し金なんだっていうふうな、そういう設定の仕方に作品の中では持っていくわけです。つまりこれはフィクションの設定としては一向に差し支えないわけですし、想像力をたくましくすればそういうふうにしたほうが面白おかしくなるからいいってことにもなりますし、一向に差し支えないわけなんですけども、もしここに漱石の現実生活と漱石の現実の精神状態っていうのを一緒に照合いたしますと、そうすると、一緒に照合して対応させてみますと、この種の設定は一種の盗み聞き、猫の盗み聞きから一種の漱石自体の幻聴と言いましょうか、幻聴なんだ。つまり言いもしなかったことがそういうふうに聞こえたんだとか、そうじゃないんだけれどもそれが故意に自分を困らせるためにやってるんだっていうふうに、やってる行いなんだっていうふうにだんだん見えてくるっていうのは、つまり漱石の一種の異常状態と言いますか、異常状態の神経っていうものがこの種の設定をさせているっていうふうに受け取ることもできます。ここのところがとても微妙なところなわけです。
で、この微妙なところがまた、漱石の一種の笑いの後ろっ側にものすごく血の涙が出ちゃってるんだって。出てる漱石が居るんだみたいなことが読む人の側からは受け取れるところでもあるわけです。だからこの猫という作品は、漱石の混沌状態って言いましょうか、初期の混沌状態ですけども、本格的な作家って言いましょうか、作家と、それから作家以前の漱石とその中間にあるその混沌とした漱石、渦を巻いている漱石。そしてその渦巻きの中には知識ある人としての漱石が居たり、それからやや異常な神経に時として陥ってしまうところの漱石が居たり、孤独で人間嫌いで世間嫌いな漱石が居たり、それらが全部ごちゃ混ぜになってって言いましょうか、全部が前後の区別なく秩序なく、混沌として渦巻いてるっていうふうな作品のひとつとして読めるわけです。で、こういう、もし『吾輩は猫である』っていう作品をそういう読み方をしますと、この作品はかなり複雑な作品で、しかも強いて言いますと、つまり混沌とした漱石って言いましょうか、ちゃんとした軌道が定まった漱石以前の、混沌とした漱石のすべてのものが全部投げ込まれている作品だっていうふうに受け取ることもできます。
で、だんだん『吾輩は猫である』の猫がだんだん移動する耳、あるいは盗み聞く耳を持ったナレーターって言いましょうか、語り手っていうところから、だんだん幻聴か盗み聞きか分からないような設定の中を出入りする、自在に出入りしていく猫っていうのは、猫という語り手っていうようなところから、だんだん目で見る、つまり目で観察して何か文明批評や人物批評をやる猫っていうような設定にだんだん移っていきます。
で、まだ移動する耳としての猫っていう場合には、作品にゆとりがありますから、作者と、それからこの作品の物語を語っている語り手っていうのと、それから『吾輩は猫である』っていう盗み聞きをしながら近所中を歩いていく、そうやっている猫っていうのとが同じところもありますけれども、三者三様に、つまり作者と猫とそれから物語の語り手っていうのが、だいたいまだみっつとも分離して描かれています。で、もちろん一緒のところも、全部一緒になっちゃってるところもありますけども、三者が全部分離してるっていうふうに描かれています。それだけ構成にゆとりがあったっていうことを意味していると思いますけども、だんだんこれが後半になって、今度は観察する猫っていうふうになっていった場合には、先ほど申し上げましたように作者と猫とそれから語り手って言いましょうか、物語の語り手とが全部ほとんど、全部イコールになっていってしまいます。で、全部いきなり作者が猫になり変わって、それで何か文明を批評したり人物批評したり辛辣なことを言ってみたりっていうのと、あるいは自分のことを、苦沙弥先生ですけども、猫の名を借りて自分のことを批評してみたりっていうようなことを作者自身がやってるっていうふうに受け取っても一向差し支えないところようなふうに作品がなっていってしまいます。
で、これはいろんなことが言えるわけで、これは作品としての破綻だって言いましょうか、破綻でユーモア小説としての意味はなくなってきちゃったっていうふうな言い方で、これは後半に至ってこの作品は失敗してるっていうような言い方ももちろんできると思います。しかし逆に言いますと、この『吾輩は猫である』という会話体で始まってユーモアな落語家がやるようなユーモラスな小説としての性格を持っていたこの作品が、だんだん作者自体が本気になっていきましてって言いますか、作者自体が言ってみれば身を乗り出して作品の中に、自ら身を乗り出していってしまって、だんだん自分の主観的な告白とか主観的な批判とか、主観的な人物批評とか自己批評とかっていうものにだんだん転化してしまった。つまり作者漱石自体にそういうゆとりがなくなってきたんだって。それでこのゆとりのなさっていうのは、いわば作者にとって、つまり必然的なんだ。つまりどうしても漱石っていう人はいつでもそうなんですけども、作品をこしらえているんですけども、こしらえていながらあるところへ行くと自分の主観が乗り出していってしまう。で、乗り出していってしまうっていうことは作品としての出来栄えを問えばいろんなことが言えるんですけども、しかし大なり小なり、例えば現在でも漱石はいちばん読まれているそうですけども、漱石がわれわれに訴えてくる、作品が訴えてくる一種の感動みたいなのがあるんですけど、感動はどうも漱石自体が我を忘れて身を乗り出してきて、身を乗り出してくるとうそがつけないもんですから、つまり普通、いわゆる小説の枠だったらこのくらいしか言えない、このくらいにとどめておくべきだみたいなことがあるとすれば、つまりそれを自分でもってまたぎ越しちゃって、で、言うところまで全部言ってしまうみたいなところが。で、それが真面目で真剣だもんだから、真剣に言うもんだから、決して悪いこと、つまり悪い感情を僕らに、読む人に与えないんですけども、しかし枠を乗り越えていつでも身を乗り出して、自分の自己告白がどっかに入ってきちゃう。で、それは、その自己告白は大変、割に万人に共通な悲しみっていうものに訴えるところがありまして、それでそれが非常に強烈な強いかたちで出てくるもんで、で、漱石の作品はそこで感銘を与えるみたいな。それでそれがたぶん多くの人にいつまでも読まれているっていうことの原因になってるんだっていうふうに思います。
そういうふうに考えると、この『猫』の後半もひとりでに作品としての破綻とかそういうことはどちらでもよくなっちゃって、作者自体が猫の代わりになって乗り出してきちゃって、ときどきはっと思い出して、それで猫がこれを聞いたんだみたいなことをちょっと差し挟んでみたりするんですけども、それは一種の言い訳にしか取れないような具合に、もう自分が猫の代わりに乗り出しちゃってるっていうような文体になっていきます。それは、そうすると観察する猫が、今度は移動しながら観察する猫っていうようなことになっていくわけで。
それで、例えばその後半の観察する猫っていうようなふうになっていっていちばん面白いところは、苦沙弥先生ですけども、主人公ですけども、苦沙弥先生が夕方になると手ぬぐいと石けん箱を持って、それでぶらりとうちを出て3、40分帰ってこないっていうことがよくある。それで、それはたぶん銭湯へ行くんだっていうことで、それで猫が銭湯へ追っかけて行って、銭湯の横っちょの高いところの窓がありますけど、そこの窓の棚のところに猫が、まして下の湯船とかそういう洗い場とかっていうようなところのごった返した、そういうのを観察してる記述があるわけです。つまりまさに移動する目なんですけども、目はちょっと上のほうから、斜め上のほうから観察、窓から観察してるあれがあるんです。ですけども、湯船の中もごった返しているし洗い場はもうごった返している。で、よく見ると湯船の隅っこのほうで苦沙弥先生が、つまりうちの主人が縮こまって、押し付けられて縮こまってゆでダコみたいになって、それでしっかり縮こまって入ってるのが見えたって。あれじゃあかわいそうで上がってこれないじゃないかって。かわいそうだなっていうふうに思ってるっていうのは観察と、それから湯船の中の一般に銭湯の観察が大変細かく、それで見事に描写されています。それで、その中でそれは漱石についてのエピソードになってることで太宰治なんかは書いてますけど、つまり漱石先生は銭湯行って相客を怒鳴りつけたっていうようなそういう逸話があるけども、さすがに漱石先生は偉いとかって太宰治が半分からかった文章の中で書いてありますけども、それはたぶんそうだと思うんですけど、『吾輩は猫である』のこの後半の観察してる猫が、窓から観察してる猫が見てると漱石が自分の前のほうで湯をまき散らしながら洗ってる、そいつに対して「お前のあれは俺の桶の中入ってるから気を付けろ」とかって言うところが、言っているのをよく見るとうちの主人だったっていうところがあるわけですけども、たぶんそこから出てきてるんだと思います。
つまり後半に行きますと観察する猫って言いますか、観察する語り手と言いましょうか、そういう役割は顕著になっていくわけで。で、その銭湯の場面はユーモラスで、それで大変よろしいわけなんですけども、ところでだんだん、つまりナレーターとしての、あるいは語り手としての猫っていうのが消えてしまって、それから猫イコール作者っていうふうにだんだんなっていって、作者が身を乗り出していくっていうようなところになっていきますと、もう一種の文明批評みたいなことになっていくわけです。
で、例えばどういうことが出てくるか、どういうエピソードが出てくるかって言いますと、例えばこういうところがあります。ひとつ、うちの主人は、つまり苦沙弥先生ですけども、うちの主人はあばた面をしてるっていうところが出てくるわけです。して、このあばた面をしてるっていう。それでどうしてうちの主人があばた面になったかっていうと、疱瘡の、腕に子どものときにちゃんとしたんだけれども、それが顔のほうに疱瘡の菌がくっついて、それで疱瘡に、天然痘に掛かってしまったと。それでかゆいもんだからかゆくて、子どもの時代で、それで掻くとどんなふうに痕が残るかなんていうことを考えなかったもんだからやたらに引っ掻いたりなんかして、その痕が疱瘡の痕ができてしまった。で、それっていう猫の観察があるわけで。で、これはつまりうちの主人はこういう顔を学生さんの前で晒しているわけだ。で、学生さんのほうでは英語を習うと同時にうちの先生の顔のあばたを見ながら前世紀、前世代の前世紀の遺物だみたいなふうなことを顔を見ながら観察することができるわけだ。で、この疱瘡って言いましょうか、疱瘡であばた面になるっていうようなのは徳川時代にはまだ居たと。しかし明治ご維新以降にはこういうのは大変少なくなって、それで町で見付けようと思ってもなかなか見付かんないくらい少なくなったと。で、どうしてかって言えばそれは人ができてからこれが絶滅に近くなったからだと。で、そんなのにうちの主人は、つまり苦沙弥先生はあばた面をしてると。これは要するにどういう意味かって言ったら、これは要するに前世紀の遺物っていうのを引きずってるようなもんなんだっていうふうに猫が観察するところがあります。観察して批評するところがあります。つまりこの批評は自己批評として読んでいいわけです。つまり作者が身を乗り出して言ってることですから、作者が自分の顔について、つまり自分の顔があばただったっていうことは大変気になるところだったと同時に、それをどういうふうに解釈していたかっていうのが、で、どこを気にしていたかっていうことがとてもよく分かるところだと思います。それはあばたになって人相が悪くなったっていうところを気にしているっていうよりも、こういうあばたみたいなものをぶら下げているっていうことは、要するに前世紀の遺物をぶら下げているようなもんだっていうところがとても漱石の羞恥心って言いましょうか、それを掻き立てるもんだったっていうことがこういうところを読むととてもよく分かります。
で、僕が読みました、たまたまですけども、たまたま読みました『漱石論』の中で、このあばた、漱石のあばたっていうのはかなり重要だぜって。重要だっていうことを言っているのは江藤淳さんの『漱石論』だけだったんですけども。それでたぶんどこから重要だっていう意味を持ってきたかっていうと、たぶんこの『吾輩は猫である』のところから江藤さんはそういうことを考えたと思います。で、江藤さんはなぜ重要だったかっていうことについて、これはつまり女性関係でいつもそれでもって劣等感みたいなものを持ったっていう意味合いで江藤さんはこの漱石があばただったっていうことはとても重要な意味を持つっていうふうに、そういう理解の仕方をしています。
で、ところで漱石自体は少なくとも猫っていう、この『吾輩は猫である』っていう作品を読む限りはそういう意味では少しも劣等感を持ってないことが分かります。極めて明朗って言いますか、明朗闊達に言っちゃっています。ただ劣等感を持っていると強いて言うとすれば、要するにこんなもの、あばた面をしてるなんていうのは要するに前世紀を引きずっているようなもんだっていうことがなんとなく劣等感を掻き立てるっていうのは、そういう意味では受け取ることができますけれども、女性関係でっていうふうなことはちょっとなかなか受け取れないような気がします。
で、だけれど、これはやっぱり、これが相当重要だったっていうことは確かに言えるというふうに僕は思います。それは漱石がかなり真剣に猫になりすまして自分のあばた面について自己批判してる、自己批評しているところを読みますと、とてもよくそれは分かるような気がします。で、漱石はちっともそういうところでは悲しくないんですけど、だんだんだんだん深刻になっていくと。悲しくなっていきます。
で、漱石っていうのはわれわれに偉大だっていうふうに感じさせるところがあるとすれば、とにかく、つまりわれわれだったらばこのひとりでに目に見えない枠があって、この枠の中で収まるところならばどんな辛辣なこともどんな批評もどんなこともどんな悪口もなんでも言うっていうことはあり得るわけですけども、漱石はそれをそういう場合には真剣になって、度を越えてって言いますか、度を越しちゃってる。あるいは枠を越しちゃって言い切ってしまうところがあります。それは自分に関することもそうですけども、文明批評に関することでも、あるいは他者の批判に関することでも、あるいは世間に対することであっても全部枠組みを越えて言い切ってしまうところがあります。それも、しかも非常に言い方が大胆で率直だもんですから、少しも悪感情を持たせないんですけども、しかし常人だったらここで止めるっていうようなところをはるかに枠を越えて言い切ってしまうところがあります。
で、そういうのを見ますとっていうのは読みますと、やはりこの作家は偉大だなっていうふうに思えるわけです。つまり何が偉大であるか何が偉大でないかっていうことは、いろんな視点とかいろんな角度があるわけなんですけども、漱石の場合にはたぶん度を越えてって言いましょうか、あるいは域を越えてって言いますか、境を越えてひとりでに入っていってしまうところ、そういうところが自分についての批評でも他者についての批評でも、あるいは社会批評でも文明批評でも、すべて度を越して言ってしまう。して、その中に別にためらいもないし、また利害打算って言いますか、計算高さっていうのもどこにもなくて、本当に心から言い切ってしまうみたいなところがありまして、やはりこういう魂の大きさっていうのはなかなか普通の人が、普通のわれわれが持てないものですから、やっぱりこれは偉大な人だなっていうふうに言うより仕方がないって言いましょうか、とにかく仕方がないわけです。つまり大変偉大な作家であるわけで。
で、だんだん自分が猫に乗り移ってしまいますと、例えば自殺の哲学みたいなものを、一種の文明批評の論文みたいなかたちで猫が言うっていうんですけども、自分が、作者が言うっていうのもおんなじことで、おんなじ文体でなんら区別なしに、いきなりストレートに自殺の哲学、つまりなんかをやってしまいます。それで自殺の哲学っていうのは何かっていうと、だんだん文明が発達していくと、そうすると自殺する人が増えていくと。つまりそれは神経衰弱になる人が増えているからだと。して、自殺、そして精神がいつでも不安と恐怖に駆られるから自殺する人はだんだん増えていくと。で、しまいにそれが極端になっていって、極端に文明が発達していけば人間はみんな自然死する人が居なくなっちゃって全部が自殺死っていうことになっていくだろうと。それで要するに自殺死っていうことになってくると、今度は警察官みたいなものの役割は何かって言ったら、いつでも殺人棒みたいなのを持ってて自殺したいやつを引っぱたいて自殺させてやるとか、そういう役割になってくると。つまりだんだん文明が発達していけば自殺者が増えていけば、しまいには自然死の人が居なくなって自殺者だけになっていくだろう。で、これが文明が与える、文明の高度化が人間の神経に与えていく衰弱の極まったところだみたいなことを非常に大真面目に、猫がやる論議として、実際は作者自身が身を乗り出して本気になってそういうことを論じてるところがあります。
つまりその種のことをもうひとつぐらい申し上げますと、例えばそこで夫婦別居論っていうようなこともやっぱりとことんまでやるわけです。つまりどういうことかって言いますと、女の人はだんだん偉くなる、利口になる。そうすると、そしてだんだん家庭っていうようなものは親子の関係も保ちがたくなる。そうすると家庭っていうのは壊れていくだろう。そして夫婦が別居するっていうようなことが、別居して生きていくっていうようなことが非常に普通の状態になっていくと。して、これは文明が発達していけばいくほどそうなっていくっていうことは、もう疑いないことで、それはもうどこからも止めることができないで、そういうふうになっていくだろうっていうふうに、漱石はそういう一種の夫婦別居論みたいなものをこの『吾輩は猫である』の後半の中で、いわば猫の文明批評として展開したりしています。
つまり、これはここまで来ますと猫であっても作者であってもちっとも文体を変える必要がないことになっていってしまいます。つまりこういうふうになってしまいますと、つまり猫と、『吾輩は猫』っていう猫とそれから語り手とそれから作者と、それら全部イコールでつながってしまうわけです。で、つながっていってしまうわけです。そうすると、これはある意味で漱石自身が作品っていうふうに作るっていうことの必要はないわけで、漱石が文明批評の論文なり随筆なりをそのまんまストレートに書けばいいっていうことになります。書いたものとおんなじだっていうことになります。それで、確かに『吾輩は猫である』の後半はそれとおんなじになっていってしまいます。で、初めは猫と語り手と、この物語の語り手と、それから作者とは一応別なんだっていうふうに設定されていったものがだんだん全部イコールなんだっていうふうに変わっていってしまいます。それと一緒に作品としてはユーモラスな余裕っていうのがなくなって、それで非常に世知辛く、ある読み方をすれば大変深刻な漱石の自己告白とそれから文明批評と社会批評と人物批評っていうようなふうに変わっていってしまいます。
して、『猫』はこれだけのひとつの作品ですけど、ひとつの作品の中にこれだけの変化っていうのをひとりでに作ってしまっています。それから前半と後半ではもう作品の雰囲気自体が変わっていってしまいます。で、だけれどもよくよく考えますと、初期の渦を巻いて混沌とした漱石って言いましょうか、それが非常にはっきりと、非常に全面的にさまざまな要素の中に出てきている作品だっていうふうに言えると思います。だからこれは、この作品は簡単に読めばユーモラスな作品で、つまり滑稽小説として日本の近代文学の中では珍しい作品なんです。ユーモラスな作品なんですけれども、読み方いかんによっては初期の混沌とした漱石のあらゆる要素がこの中に全部含まれているっていうふうに読むこともできると思います。そのふたつの読み方を両端として、その間で私たちは『吾輩は猫である』っていう作品を読んでいるわけです。
ところで、それじゃあこの『吾輩は猫である』という作品は漱石自身は本にするときにこれは頭もしっぽもない小説だっていうふうに、作品なんだっていうふうに言っていますけれども、頭もしっぽもないといえばそのとおりかもしれないんですけども、この作品の主な内容をなしてるものを強いて言ってみますと、これは寒月っていう寺田寅彦をモデルにしたといわれる寒月という理学士と、それからその縁談の相手だとされる富豪、金田家っていう富豪のうちがあるんですけども、その富豪のお母さんとその令嬢との縁談の持ち上がり方と、その持ち上がり方で相手の人物が、つまり寒月先生の人物はどうだっていうことを探るために金田家でさまざまな探り方をすると。その探り方が漱石の被害妄想って言いましょうか、被害感とか幻聴とかっていうことと非常に関わりを持ってきまして、それで金田家では隣のうちの車屋さんを使ったりとか、郁文館、落雲館中学の学生を使って寒月の先生である苦沙弥先生をいじめてみたり、あるいは、つまりなぜいじめてみるかっていうと、寒月との縁談に対してあんまりいい感情を、いい返答を、感情を持たないっていう、そういうことが分かって、それでいじめるわけですけども。それで苦沙弥先生をいじめるとか、で、寒月の人物像を苦沙弥先生周辺の人物を介して探っていくとかっていうような、そういう筋立てって言いましょうか、それがたぶんこの一編の作品の中でいちばん大きな山になっていると思います。
で、これは漱石にとって寒月、つまりモデルでいえば寺田寅彦ですけども、寒月っていう人物が一種の大変重要な人物、つまり重要で好きであった人物だったっていうことを意味してると思います。つまり漱石は寺田寅彦、つまり理学士である寒月さんと話していると文学以外のところで話が通ずるっていうのは珍しいタイプですから、それで文学自体も介するっていうような人ですから、大変そこで寺田寅彦、つまり寒月と話をしてる、あるいは寒月と付き合ってるっていうことが漱石にとって大変憩いであり、それでまた重要であったっていうことを意味してるんじゃないかなっていうふうに思います。主として寒月と富豪である金田家との縁談、なんとなく縁談が始まってきたっていうようなことがこの『吾輩は猫である』っていう作品の内容としてみれば、大きな山になっていると思います。
それで、この山は漱石の後の作品にちゃんと尾を引いていくと思います。つまり例えば『三四郎』という作品の中で野々宮さんっていう理学士が出てくるわけですけども、その野々宮さんと、それからなんとなく結婚したっていうふうに周囲から思われている美禰子っていうモダンな女性が居るわけですけども、その女性との関係っていうのもたぶんこの『吾輩は猫である』の寒月と金田令嬢っていうのとの関係っていうのからずっと尾を引いたもんだっていうふうに言えば言えると思います。
つまり寒月についてのエピソードとか寒月についての苦沙弥先生や迷亭先生なんかのうわさ話とか批評とか、そういうようなものが、つまり『吾輩は猫である』の内容をなしていると思います。で、その内容的に見ていちばんのクライマックスは寒月が知人の家でバイオリンの合奏会を開いて、その帰りに吾妻橋の上から隅田川を眺めて、隅田川の水の面を眺めていると、そうすると水の面のほうから、ここで言えば金田令嬢ですけども、金田令嬢が寒月さんを呼ぶ声が聞こえるって。それでその声が聞こえて、初めはやっぱりどっかから聞こえてくる幻聴かなっていうふうに思っていると、だんだん本当らしく思えてくる。そしてしまいに盛んに呼んで「今行きますよ」っていうふうに寒月さんが言って、吾妻橋の欄干の上に乗っかって、水の中へ飛び降りようとするんですけれども、で、気を失うわけですけども。水の中へ飛び降りたと思ったら橋の真ん中のほうに飛び降りてたって、そして目回しちゃうっていうところがあるんですけども、そこらへんが内容的に見た『吾輩は猫である』のクライマックスだっていうふうに思います。これも寒月先生にまつわるエピソードなわけです。
それで、そういうことと、それから猫の目を借りて自分の批評をしてる、自分の日常生活の批評をしてる、日常の習慣、例えば内緒でジャムをよくなめるっていうのは苦沙弥先生の癖みたいなもの。それからうがいをするときにはガラガラ、カラスみたいな声を出してうがいをするっていうような、そういう日常生活における漱石というふうに思えるものを非常によく描いています。それで漱石の奥さんが頭の真ん中にハゲがあったみたいな、そういうこともやっぱり書いてあります。つまりそういうふうに漱石の日常生活についての観察、それから批評みたいなものもたくさん出てくるわけです。つまりそういうことは周辺の問題として出てきまして、それが寒月の縁談をめぐるエピソードと、それから漱石の被害感覚、それからもしかすると幻聴っていうことですけど、幻聴っていうようなものも合わさったフィクションと結び付いて、それで内容的に言うとこの一編の『吾輩は猫である』っていうようなものが作品ができあがっているところがあります。
例えば漱石が自分は、で、苦沙弥先生なんですけど、苦沙弥先生は自分は学校の教師なんていうのは大嫌いだって。で、だけどもっと嫌いなのは金持ちだとかっていうふうに金田夫人の悪口を言うついでに言うところがあるんですけども、それで、それじゃあちょうど来てた多々良君っていうのが「じゃあ好きなのは奥さんだけか」って言うと「それはいちばん嫌いだ」っていうふうに言うわけです。「いちばん嫌いだ」。で、すると奥さんが鼻白んじゃって「あなたは生きているのも嫌いなんでしょ」っていうふうに言うと「実はあんまり好きじゃない」っていうようなことを言うところがあります。つまりそんなところは何気なく読み過ごせばそれまでなんですけども、もしこれを漱石の実生活っていうのと一種の対応させて読みますと、なかなかこれ、そういう言い方をしながら漱石はかなり、つまりユーモラスなふりをして、あるいは猫の口を借りたふりをして、かなり本当のことを言ってるっていうようなふうに受け取ることもできます。
で、だからこの『吾輩は猫である』っていう作品はある意味で言うと漱石の、つまり作家になってから作家としての軌道が定まるまでの漱石の全部の作品って言いますか、これは今日のテーマで言えば『それから』っていう作品の前まで全部が入ってくるわけですけども、それらをある意味では全部総合した作品だっていうふうに見ることができます。で、逆に言えば『吾輩は猫である』っていう作品でいろんな部分的に、あるいは断片的に言ったことをひとつずつここに拡大して、で、一編の小説に仕組んでいったっていうのが『それから』っていう作品で、作家としての1個の軌道が定まっていくまでに書いたたくさんの作品がありますけども、その作品はいちいち『吾輩は猫である』の一部分をここにちぎっていってそれを拡大したもんだっていうふうに解釈することもできると思います。
つまり非常に多面的な、『吾輩は猫である』っていう作品は多面的な作品です。ですから少なくとも前半の部分は読み過ごそうと思えば非常に楽々として読めて、そういうふうに読むと本当に頭もしっぽもないんだけど、猫が面白おかしいことを言ったり観察したり、辛辣なことを、主人を辛辣に批判してみたりっていうようなことがあって、大変面白く読めるっていうことになって、ただ筋としては格別の筋もないっていうことになるんですけども、全般的に見ますとかなり漱石の軌道が定まるまでに漱石が持っていた、さまざまな要素があるわけなんですけども、それらを大変断片的に全部総合した作品だっていうふうに読むことができると思います。つまりここは漱石の『吾輩は猫である』っていう作品の非常に大きな特徴なんじゃないかっていうふうに思えるわけです。
で、この作品を書きながら、つまり後半にかけてはあれなんですけど、つまりみなさんがご存じのあれでいえば『草枕』なんていう小説とか『虞美人草』っていうような小説はこの後半に入って書かれるわけです。そして後半に入って書かれたときの『虞美人草』とかそれから『草枕』なんかの文体があるわけですけども、その文体はやはりこの『吾輩は猫である』の半ばから後ろにかけての漱石の文体とほぼおんなじようなところに、おんなじような位置にあるっていうふうに考えれば考えられるというふうに思います。つまりそこでは猫というような語り手を設定することをやめてしまって、そして直接に登場人物を持ちだして、そして1人の語り手がその登場人物の動きについて、あるいは言葉について語るっていうような語り方になっていくわけなんです。それが『吾輩は猫である』の断片がそれぞれの小説としてだんだん凝縮されていくっていうような過程にあるもんだっていうふうに言うことができると思います。
次の『夢十夜』につながっていくこのつながりのために、もうひとつ申し上げてみたいと思うわけですけども、漱石はこの『吾輩は猫である』を書きながら同時に、例えばこれもまたみなさんが割に敬遠する作品で、僕もそうですけども、敬遠する作品で『倫敦塔』とか『幻影の盾』とか、つまり幻の盾とか、それから『カーライル博物館』とかって、つまり英文学ないしはイギリス留学を主題にした、やや騎士物語のエピソードをアレンジしたような、随筆とも研究論文とも作品ともつかない短い作品があるわけです。つまり『幻影の盾』とか『倫敦塔』とかっていうのはロマンチックな色彩がありますけど、『カーライル博物館』みたいなのはあるときカーライル博物館を見学に行ったっていう文章なんですけど、見学に行ったっていう文章ですけど、その中にカーライルの生前のエピソードみたいなのを挟み込んで一種の見学記兼英文学研究記みたいな、そういうものが混ざったような作品なんですけど、つまりその種の作品を同時に書いております。
そうすると、後から出てくる、あるいは作家としての軌道が定まってからの漱石っていうのを関連付けるために申し上げますと、この『吾輩は猫である』という時期っていうのは何なのか、あるいは混沌とした漱石の時代っていうのはなんなのかっていうことがあると思います。で、なんなんであって、それからそれはどこへ、どの方向へ行こうとしたのかっていうことがあると思います。
で、先ほど大変巨大な渦巻きなんだっていうふうに、混沌とした渦巻きなんだっていうようなふうに申し上げましたけれども、つまりこの渦巻を一種、あるいちばん大きな断面で切ったところがこの『吾輩は猫である』っていう作品に該当すると思います。で、その渦巻きっていうのはどういうふうにできていたかって言いますと、それは漱石の勉強家としての漱石といいますか、知識人としての漱石と言いましょうか、そういうものが具体的に言えば一生懸命勉強して、それで一生懸命日本の大学、初期の日本の大学の官立大学の、国立大学の英文学科、外国文学科を出てるわけですけど、それで言ってみればそこの大秀才であるわけです。
つまりこれを英文学と言わないでヨーロッパ文明っていうふうに、文化っていうふうに言いますと、日本におけるヨーロッパ文化の最初の移植者っていうのはいわば、つまり現地からって言いますか、本国から来た、つまり外来の教育者って言いますか、外人の教育者っていうのは、外からやって来た、外のヨーロッパの本場からやって来た教育者っていうのが日本における近代文学、あるいは近代文明の最初の移植者であるわけです。で、それが日本の学校、大学で教えたときの第1回目の教え子って言いましょうか、最初の外国文明の移植者っていうのは、例えば漱石の文学でいえば漱石の世代に、漱石・鴎外の世代に当たるわけです。つまりそこに該当するわけなんです。
それで、漱石はそこで大変な苦労をして、それで留学して、それで向こうの知識を盛んに背負って帰ってくるわけですけども、言ってみたら全然ヨーロッパでいう文学っていうものと自分が教養として小さいときから築いてきた漢文学、中国文学ですけども、漢文学を主体にした、つまり江戸時代の文化なんですけども、それを主体にした自分の知識教養でいう文学っていうのとまるで違うっていうことが向こうへ行ってみて初めて分かるわけです。それで、向こうへ行って移植者としての自負と、それから責任感があるものですから、一生懸命勉強して英文学、英語学、それから英国を中心としたヨーロッパ文化っていうのを自分が背負い込んで、それでできるだけ吸収して帰ってこようとするんですけども、もうちょっとやり切れないわけなんです。つまりあまりの落差とあまりの異質さっていうことで、東洋における文学っていう概念とあまりに異質だっていうこと、それからあまりに巨大であってっていう。で、到底自分の中に背負い切れるもんじゃないっていうようなことを感じて、もうほとんどそれこそ神経衰弱になって帰ってくるわけなんです。
それで、つまり作家になってきて、その『吾輩は猫である』という断面で切れるところの漱石の巨大な渦巻きっていうのはなんなのかって言ったら、それをとにかく日本へ帰ってきて、なんらかのかたちでそれを返したいっていうこと。つまり吐き出してしまいたい。それで吐き出してしまうっていうことはもうお返しするっていう意味合いとか、それからもう捨ててしまうっていう意味合いとか、あるいはせっかく勉強してきたんだからこれを、吸収したものをこれを吐き出すんだ。つまり表へ出すんだっていう意味合いとか、たくさんの意味合いがあります。つまりこれは漱石自身の中に全部あったもんです。つまり、俺は全部こんなものは捨てちゃえって、嫌だから捨てちゃえっていう意味合いと、それからせっかく勉強してきたんだからこれ、吸収したものは出しちゃおうと、出して身を軽くなろうとかっていうような意味合いも両方も含まれています。つまり、で、嫌で嫌でしょうがないっていう意味合いも含まれています。つまりこういう漱石のさまざまな思いっていうようなものを全部とにかく吐き出していくっていう、吐き出してしまう。それがたぶん漱石が、漱石の混沌とした渦巻きがたどっていく方向性だっていうふうに言うことができます。
だから『倫敦塔』とか『カーライル博物館』とか、それから『幻影の盾』みたいな、そういう騎士物語をアレンジしたそういう挿話とかっていうようなものは、文章の性格といえば小説ともつかないしエッセイともつかないし、研究ともつかないし、あるいは旅行記、見聞記ともつかない。つまりさまざまな、なんとも言いようがない作品なんですけども、この言いようのなさは何かって言ったら、漱石の中にそれを吐き出すことが言いようのない思いだったっていうことを意味します。つまりせっかく学んできた学問だからそれをちゃんと出しましょうっていうこととか、もうこれは重くてしょうがないから吐き出してしまいましょうとか、あるいはこんなものはもう自分が考えてる文学とはまるで違うんだから、これはもうどんどん捨ててしまいましょうとか、そういうさまざまな意味合いを込めているものですから、それは例えば『倫敦塔』でも『幻影の盾』でも、つまり名付けようがないんです。
つまり、初期の日本の明治の文学の中へ入れようとしても名付けようがないんです。写生文でもないですし自然主義文学みたいなもんでもないし、名付けようがない作品です。だけれども漱石にとってはこの名付けようもない、それでわれわれからするとこれどこが面白いんだって、ちっとも面白くはないって、ただ難しい字で難しい表現がしてあってって、漱石の知識教養のほどが大変よく分かるし、漱石のロマンチシズムも分かるし、いろんなことが分かるけど、これは言いようがない作品だって、なんとも言いようがないじゃないかっていうようなふうに思ってわれわれは敬遠してやまない作品なんですけど、漱石自身にとってはそういう意味とは違って、逆にこれを吐き出さなきゃ自分が軽くなれないっていうような意味合いを持っていたと思います。それで、もちろん知識自慢である漱石っていうようなものもここに入っていますし、英文学徒としての学識のあるところがひとりでに出てきちゃってるっていうような面ももちろんあります。それからもちろん漱石の東洋の文学、つまり漢文学ですけど、漢文学に対する郷愁のようなものっていうようなものもこの中に込めてあります。それから一種のロマンチシズムもあって、騎士物語って、中世の騎士物語に対する自分のロマンチックな思い入れっていうようなものもこの中に含まれています。つまりさまざまなものも含まれていて、これ、言いようがないわけですけども、これはわれわれが考えるほどつまんない、漱石にとってはつまんない作品じゃあなかったっていうことを意味しています。つまり混沌とした漱石が自分の方向を見付けていくためには、どうしてもこれを吐き出していくって言いましょうか、これを書いていく必要があったっていうような、そういう作品だったっていうふうに思います。
今の作家っていうのはだいたい漱石とは全部逆なんです。もういい加減方向がついて、どんどんいらないものは捨ててったらいいのになっていうふうになってから学者めかした小説を書いてみたりするような人が多いわけですし、また小説家やってりゃいいのになっていうのに学校の先生やりたがったりとかって、そういう、つまり漱石がやったことと全部反対のことをやるわけですけど、漱石はやっぱり文明って、西欧文明っていうのを担って、つまり担って来いっていうのが一種の国家的使命みたいに感じていった真面目な人ですから、で、また大秀才ですから、いっぱい背負い込んできていっぱい分からなくなってくるわけです。それで、いったい文学とはなんかっていうのが全部分かんなくなって帰ってくるわけですね。その代わりいっぱい、勉強家ですからいっぱい背負い込んでくるわけです。で、背負い込んでくるんだけど自分では主観的には自分は駄目だっていうふうに思ってる。全然なんにも勉強してこなかった、なんにも分かってこなかった。つまり英文学も分かってこなかった、英文学もちょっとなめただけだって。それから英語学としても駄目だ。それじゃあ文学とはなんぞやっていうことが分かったかっていうとそれも分からない。つまりそれはどうしてかっていうと自分の知識教養として持ってきた漢文学系の文学の概念とヨーロッパにおける文学の概念、まるで違うって。
で、何が違うかっていえばヨーロッパにおける文学の概念は近代に、20世紀に近付けば、つまり漱石が行ったのは20世紀の初頭ですけども、20世紀に近付けば近付くほど、人間関係の物語なわけです。人間と人間との関係がますます内面的に複雑になっていくみたいなかたちで出てくる文学が、ヨーロッパにおける文学なんです。で、東洋における文学っていうのは大ざっぱにたった一言で言えば自然と人間との関係についての文学、関係についての渡り合いっていうようなものが漢文学、つまり東洋の文学なんで、漱石はそういう教養を青年期までに積んでいくわけですけれども、まるで文学の概念が違うと。そうすると文学とはなんぞやも分からない、英語もいい加減にしか分からない。つまり英国人に比べたらまるでお話にならないし分からない。それで英語学も分からない。なんのために来たか分かんないって思って帰ってきて、それでただ背負い込んだものはたくさん背負い込んできますからそれを吐き出すっていうようなかたちになっていくわけ。
そしたらこれを吐き出すっていうかたちが初期の騎士物語をアレンジしたような、そういう作品に象徴されるものがだいたい、漱石はこれを吐き出さなきゃ俺はもう生きていけないっていうくらい切羽詰まった感じで吐き出していったものなんです。そういうところが、それは僕ら、現在の僕らから見るといちばん漱石の作品の中でつまんなくて読みにくくてっていうような作品になって、それでただあるのは漱石の学問のほどって言いますか、勉強してきたほどは大変よく分かりますよっていうくらいしかよく分かんないでちっとも面白くない作品だっていうふうに、今のわれわれからはそうにしか見えないわけです。で、だけれども漱石にとってはこれを脱ぎ捨てなければだいたい自分は方向付けができない、つまり文学はなんぞやっていうことにこだわってきた自分自身も、また行く道が分からないっていうほど重要な作品だったっていうふうに言うことができると思います。
つまりある意味で言いますと、成熟し、そして軌道も定まり、そしてまた作品としても大変立派になっていった後年の、つまりそれから以降の漱石よりも、ある意味で言ったらこの『吾輩は猫である』っていうのをひとつの大断面としてそこの後ろに点綴してるって言いますか、点々とある作品群で本当はちっとも面白くないんだけれども、漱石にとっては非常に重要な混沌をどっかに、混沌の渦巻きをどっかに方向付けて整理していくためにどうしても必要だった作品っていうふうに考えると、漱石にとってはとても重要な作品だっていう読み方をもしされるならば、この初期の作品っていうのは大変面白い作品っていうことになっていくと思います。つまりそれほど、やっぱりこれは重要な作品だっていうふうに言うことができると思います。
で、こういうふうなところを最後に『吾輩は猫である』っていう作品とその作品の背後にある作品群ですけど、つまりなんとも日本の近代文学のジャンルの分け方はなんとも言いようのない作品なんですけど、それらの作品群の位置付けをって言いますか、意味付けをそういうようにやってしまいますと、後の、今日お話しする後の作品につながっていくんじゃないかっていうふうに思います。で、早速次の作品に入っていこうっていうふうに思います。次に与えられた作品っていうのは『夢十夜』です。で、このテーマを、もう鳴りましたかね? それじゃあ少しお休みして、後の作品。
司会:
どうも申し訳ない。じゃあここで10分間ほどの休憩時間を取りたいと思います。
吉本:
『吾輩は猫である』と『夢十夜』と『それから』っていうのは主催者のほうで設定したテーマなんですけど、大変力のある人が設定したんだと思います。流れが、とてもうまく流れるような気がします。
『夢十夜』っていう作品も専門家はきっと大変重要な作品なんだっていうふうに言ってる作品だと思います。でも一般の読者のほうから言えば、やはり、つまり物語として見たら別にどうっていうことはない物語だし、それから夢として見ても中にちょっとすごいなっていうのはありますけども、夢として見てもそんなに今のわれわれの興味を引く、関心を引くような夢っていうことでもないから、やっぱりなんとなく評価が付けにくいし、またこれだけを読もうっていうような人はなかなかないんじゃないかっていうふうに思います。例えば聞くところによりますと『こゝろ』っていう作品がいちばん今でも読まれているそうですけども、『こゝろ』をいいと思って読む読者が例えば『夢十夜』がいいと思って読むっていうことはとても考えられない。ですからそういう意味では、やっぱりなんとなく脇に避けられた、あるいは初期でまだ漱石が漱石らしくなっていないときの作品なんだっていうところで読まれているような感じがします。
ところで、先ほどの流れから言いますと、やはりこの『夢十夜』っていうのはとても重要な作品だっていうふうに僕には思われます。で、どこが重要かっていうところから申し上げてみますと、この『夢十夜』っていう作品は、それも人さまざまに読んで分析できるわけだと思うんですけども、僕はいちばん大づかみに『夢十夜』っていう作品の性格付けをしろって言われたとすれば、僕は宿命の物語だっていうふうに要約すると思います。つまり宿命、人間の宿命っていうのはどこで決まるかっていうことなんですけども、あるいはもっと限定しまして、漱石の宿命っていうのはどこで決まったんだっていうふうに申し上げますと、まず第一次的には、つまり母親の胎内か、あるいは乳幼児のときか、そのときの母親との関係の中で第一次的に宿命っていうのは決まっていくと思います。
つまりこの宿命っていうのは何も別に人間がそれに従わなければならないっていうことではなくて、人間っていうのは何かこういう意味から言えば人間っていうのは何かって言いますと、自分の宿命を越えていくって言いますか、乗り越えていくっていうことが人間なんだと思います。乗り越えていくっていう場合の宿命っていうのはなんなんだって、それはどこでできるんだって言ったら、母親のお腹の中に居るときか、また出てから数年の間、そのところで第一次的には決まってしまいます。で、これを決まってしまいますと人間はもう決定論になってしまうわけですけども、人間はこの決定論に抗うためにって言いましょうか、この決定論を越えるために生きるわけでして、あるいは越えることが生きるっていうことであるっていうふうに言うことができます。つまりこれは極めて内在的に人間っていうのを理解した場合には、社会的人間じゃなくて、あるいはその他の制度としての人間じゃなくて、内在的な人間っていうところから人間っていうのを解釈しますと、理解しようとすると、この宿命っていうのを越えるために、越えることが人間の生きるっていうことなんだっていうことになりますし、その生きるっていうことを絶えず引っ張ろうって引っ張っていくのが宿命だっていうふうに考えますと、この宿命っていうのは第一次的に形成されるのはその時代です。つまりそのときに形成されてしまいます。ですから、もちろんわれわれはそれを知らないわけです。つまり誰も成人してから後、そんなものは知らないわけです。知らないけども、いわば無意識のうちに引っ張っているものだっていうふうに理解されればいいと思います。これが宿命だと思います。
で、漱石にとってもやっぱりこの『夢十夜』っていうのはそういう意味合いで、自分の宿命についての、漱石の宿命についての物語だっていうふうに読むのがいちばん、僕なんかに言わせればいちばん妥当って言うか、いちばん読みやすい、流れとして読みやすい読み方だっていうふうに思います。で、それを前提としましてこの『夢十夜』っていうのは多少細かいところに触れていきたいと思います。
で、細かいところに触れる場合に、どこでどういうふうに触れたいかっていうと、まずいくつかあります。で、ひとつは一体わけの分からない、分からないなっていう、分からない作品だなっていうふうに読めるものと、それからこれはとてもよく分かるっていうふうに読めるものと、それから一種の夢っていうものが、人間の夢っていうものが単に自分の乳幼児っていうことにつながってるつながり方だけじゃなくて、人間の乳幼児期って言いますか、人間のずっと奥の、あるいは大昔でもいいんですけども、大昔のところにつながっていくっていう意味合いに受け取れる。
つまり民俗学とか人類学が言う、対象とするところですけども、そういうところにつながっていくような夢っていうのと、大ざっぱに言いますと分けて、だから民話とか伝承とか、少し高級に言えば神話ですけども、そういうもんとどっかで糸を引いちゃうっていうようなそういう夢と、そういうもんに分けて、それで考えていったらどうかなっていうふうに思うわけです。で、つまりそういうふうに分類していったらどうかなっていうふうに思ったわけです。で、じゃあとにかくその分類に従いまして、読んだけどよく分かんないんだって夢から申し上げてみます。
で、『夢十夜』の中でまず『第四夜』っていうところにある夢なんですけど、おじいさんが縁台のところにお膳を置いて、それでそこでちびりちびりお酒を飲んでるっていうところから始まるわけです。それで、お酒を飲んでいるとそれが中庭みたいになっていって、中庭の向こうに表のほうに川が流れてるんだって。で、そこのそばのところに柳の木が生えている。で、おじいさんがちびりちびり鮭を飲んでいると。それでおかみさんがやってきて、それでおじいさんはどこに住んでるんだっていうふうに、住んでるんですかって聞くと、おじいさんは「俺はへその奥に住んでるんだ」っていうふうに言うわけなんです。それで言うわけなんです。それでおじいさんは立ち上がって、それで子どもが柳のそばのところで遊んでる、4、5人遊んでる、そこのそばへ行って、それから川の中に入っていくわけです。で、川の中入っていって、それで夢を観察してるナレーターが居るわけですけども、つまり語り手が居るわけですけども、それが後を、おじいさんの後をついて行って見てると。で、そこで子どもとからかっていって、それで手ぬぐいかなんかを出してきて、で、「これは今にヘビになるんだ、ヘビになるんだ」って言うんですけどなかなかヘビにならない。で、そのうちにおじいさんは「これはいつかヘビになるんだ」みたいなことを口で言いながら流れている川へどんどん入っていっちゃって、それでナレーターである観察者が「ああ、あのおじいさん川の中へ入っていっちゃったけど今に向こう岸に出てくるぜ」っていうふうに思っているけれども、おじいさんはなかなか、つまりとうとう川の中へ潜っていっただけで向こうの岸へ出てこなかったっていう、そういう夢です。
で、これは、つまり普通の意味で言えばおじいさんはそうやって川に入って、ひとりでに入って、それで帰ってこなかった、つまり出てこなかったんだからおじいさんは死んじゃったんだって。死んじゃったんだっていう夢だと思います。ところがおじいさんが死んじゃったっていうような、ただ死んじゃったっていうのはおかしいのであって、で、つまり進んで死ぬ意志がなかったらどっか背が立たなくなっちゃったところで引き返してくるとかなんとかそういうことをするはずなのに、そのまんま入っていっちゃって、それで出てくると思ったら出てこなかったっていうんですから、やはり死ぬ意志があってって言いますか、自殺する意志があって死んだんだっていうふうに普通だったら受け取れるわけなんです。
ところが、これ読んだ印象で言えば本当は分からないし、よく分からないんです。つまり僕は分からないんです。たぶん専門家でこれを解析してる人が居るんじゃないかと思うんですけど、僕は読んでおらないので分からないですけども、僕にとっては分からない、これは分かんない作品だよなっていうふうに読めたひとつなんです。で、何が分からないかっていうと、つまり誰でもそうでしょうけど、つまり背が立たなくなって息が苦しくなったら引き返してくるとかなんかするはずなんだ。そうじゃなければ初めっから自殺の意志を示しといてそれで行くはずだっていうのが普通夢じゃないところのおじいさんのふるまい方の、当然なふるまい方なんですけども、そのどちらもしないっていうこの『第四夜』ですか、『四夜』のあり方っていうのがよく分からないわけです。
それで、さればといってこれが夢で、この当時漱石なら漱石がこのとおり見て、それでそれをアレンジしたんだ。アレンジしてここへ書いたんだってそういうふうに受け取るのもなかなか大変受け取りにくいって言いましょうか、受け取りにくいわけです。そうするとこの作品っていうのはよく分からないっていうことになるわけです。大変よく分かんない。して、分かることがあるとすれば要するにある、例えば死っていうこと、死ぬっていうことですけど、死っていうものがある、考えがあるとすれば死っていう考えはどっか生と比べて、生きているところからどっかで境界、病気になるとか事故にあうとか、どっかでなんかがあってそれで死に行くっていうふうに普通ならばそうあるべきところを、この作品はスムーズに死のほうへ行っちゃうわけです。初めっから死の予告もない代わりに、スムーズに死のほうへ行っちゃうっていう、そういうことっていうのは普通は現実にはあり得ないわけだけども夢ではあり得んじゃないかっていうふうに思えるところがあるんです。つまりそこだけは物語としては分かんないけれども、あるいは現実の話しては分かんないけど、夢だったらそれはちょっとそこは見れるんじゃないかなって。誰でもそういうものは見れるんじゃないかなって。スムーズにだんだん潜っていっちゃって出てこなかったっていう、そういうあれっていうのは見れるんじゃないかなと思いますから、そこだけはもし分かるって言いたければ分かると思えるわけです。
だけれども、全体として見ますとこの物語がよく分からないっていうのが僕の印象です。この分からないっていうことは、とても分かるっていうことと同じくらいとても大切なことだと思います。それから分からないということがあることは、とても重要なことだっていうふうに僕には思います。つまり人間に分からないことがあるっていうことは、とても重要なことなんで。夢っていうのはしばしば分からないところをすっと境界を越してしまうっていうことがあるわけで、これはその一例っていうふうに見れば夢はそこにあるなっていうふうに思えば分かんないことないんですけども、でも全体の物語として見たらまるでよく分かんない物語だっていうことになります。物語として分かんなくても夢で分かればいいっていう物語もあるわけですけども、物語としてもよく分かりません。夢で、夢物語としてもよく分からん。ただ夢の断片として見るならば、今のすっと川の中へだんだんだんだん入っていって、それで出てこなかったっていうその入り方と出方っていうのは夢の中ではあり得るっていう意味合いでは夢らしいところが1点あるっていうような意味では分かると言ってもいいんですけど、だいたい分からない話だと思います。
もうひとつ、『第四夜』っていうのも分かりません。それから『第五夜』っていうのもとても分かりにくいものです。つまり『第五夜』っていうのは自分は戦をして負けて、それで敵の大将に捕まっちゃったって。で、捕まっちゃって「お前は死ぬのを選ぶか、生きるのを選ぶか」っていうふうに聞かれるわけです。死ぬのを選ぶっていうことは嫌だぞって、降参するのは嫌だぞって言って首をはねられて死ぬっていうことで、それから生きるのを選ぶっていうのは降参したってお前の言うとおりにするっていうことを意味すると。それでこの私は、つまり自分は大いに突っ張るわけです。それで、ただ死ぬ前に女の人に、知ってる女の人に会いたいんだってこういうふうに言うんです。そうすると明け方のニワトリが鳴く前までならばその女と会ってもいいと。しかしそれ以降は会うことはできないっていうふうに敵の大将は言うわけです。そしてあれしてると、それで向こうから馬に乗ってその女がやってくるわけです。それで自分がかがり火の前に引き据えられて結かれてるんですけど、そこへやってくるわけ。そうするとそのときに馬に乗ってやってきた女が岩のところに馬のひづめみたいなのが掛かって、そのまま突っ掛かってそれですっ転ばってしまうんです。で、そのときにニワトリが鳴いて明け方になってしまうわけです。それで『第四夜』(『第五夜』の誤り)の結末のところの文章は、あのニワトリを鳴かしたのはあまのじゃくだっていうんですね。あまのじゃくが鳴かせたんだ。で、だからひづめを突っ掛けてしまった女の子のひづめが、女の子が馬のひづめが取れてそれで起き上がってこない間はあまのじゃくは自分の敵なんだっていうふうに書いてあって、それでそこで終わるわけです。
で、この『第五夜』っていうのもとてもよく意味が分からない作品だと思います。で、漱石自身はそれじゃあ書きながらこれ分かったかっていったら、僕は分かんないんじゃないかなと思うんです。自分で分かんない作品じゃないかなっていうふうに思えて仕方がないんですね。それで漱石はそれを連想したかどうか知らないけど、僕はこれで、この話では連想したのはただひとつの『平家物語』の中で木曽義仲がやっぱり最後に戦に(源)範頼の軍勢に敗れて、それで側近の家来を1人連れて、1人か2人か連れて、それで逃げていくんですね。そしてもうこれまでっていうところで自分の好きだった女の人に会いたいっていうことで、それで会ってから死のうと思って会いに行くわけですね。会うんですね。それで側近のあれがそれじゃあ会ってる間だけ自分が、敵が来たら自分が防いで敵を入れないようにしようって2人で、義仲が会うわけです、自分の京都時代の恋人と会うわけです。それで、だけどなかなか出てこないわけですよ。名残が惜しくて。それで出てこない。そうするとその側近の勇者なんですけども、それがお腹を切っちゃって、腹切っちゃって、それで大将軍が死に際に女性とたわむれててそれで死に遅れたっていうふうに聞こえたらとても恥ずかしい、恥と思うから、自分はまず先にお供をするつもりだって言って腹を切って死んじゃうんですね。それで義仲が女の人と別れて出てきて、それで義仲も死んじゃうっていうそういう話が『平家物語』の中にあります。とてもいいところなんですけども、話がありますけども、僕はそれをなんとなく連想しました。
しかしこれは全く僕には意味不明であるって。つまり物語不明であるっていうふうに思いました。そして物語が不明である小説っていうのはもともと成り立ち得ないわけです。つまりそれは文学でもなんでもないわけで、成り立たないわけですけども、僕はこれはちょっと意味不明だっていうふうに思いました。漱石がもしかすると重要な意味、あるいはしかるべき意味を込められていたのかもしれないですけど、僕にはそうは思えないで、むしろ最後の1行で、これはあまのじゃくの、ニワトリを鳴かせたのはあまのじゃくでっていうようなのがまずいお話に、つまりあり得ないお話をまずいお話に仕立てようと思ってそれをくっつけたんだっていうふうにしか思えないんですけど、これはよく分からない作品だと思いました。
つまり第一に物語として分からないっていうことがあります。それからもうひとつは夢として分からないなと思います。つまりどちらでもないような気がするんです。つまり漱石が本当に見た夢の断片がこの中に込められているっていうふうにも思えないし、さればといってこれがまともな物語だっていうふうにもとても読めないって。するとこれは全く不明であるっていうふうにより仕方がないので、不明であるっていうふうの中に入れとくことにします。
それからもうひとつ、『第六夜』っていうのがあるわけ。『第六夜』っていうのは物語としては非常に分かりやすんですけど、護国寺の山門で運慶が、これは国語の教科書で僕は読んだ気がするんですけど、教科書になりやすい文章だと思います。つまり運慶が護国寺の山門で盛んに仁王さんを彫ってるっていうんです。それでそれを見物に、みんなが騒いでるので見物に行ったっていうんですね。そしたら周りのやつはみんな明治の人間だった。そして運慶が明治まで生きてるっていうのはおかしいなと思いながら、でもなかなか見事に仁王さまをだんだん彫っていくもんだから、それを見ていたっていうんですね。で、したら脇に居るやつが「あれは仁王を彫ってるんじゃなくて、あの木の中には仁王がちゃんと埋まってんだ」って。「埋まってて、それで運慶がそれを掘り出してるんだ」っていうふうに周りに居るやつがそういうふうに言うわけです。して、自分はなるほどと思う、ちょっと感心するわけで。それでなるほどと思って、うちへ帰って木のきれをあれして、それで彫ってみたんだけども中になんにも埋まってなかったって。それで落ちは、だから運慶、それだから運慶が明治の今になっても生きている理由はとてもよく分かったっていうんでその話の落ちになってるわけです。
で、これは物語としては極めて明瞭なわけで、非常に分かりやすくて、国語の教科書に入れるくらいですからものすごく分かりやすい物語なんです。ところが物語として分かりやすいっていうことは『夢十夜』として分かりやすいっていうふうに思えない、僕には思えないわけ。夢として分かりやすいとはとても思えないわけです。つまり夢としては無意味なんじゃないかなっていうふうに。だからこれは夢じゃないんじゃないかなっていうふうに逆に考えたわけです。つまりこれは漱石が、いちばん考えやすいのは、つまり名人の彫刻家が彫って彫刻を作って素晴らしい、いい彫刻を作るっていう、そういう、彫って彫刻を作るっていうそういう考え方をちょっと裏に返して、いやもともとちゃんとこの素材の中にはちゃんとあるんだって、そのものがあるんだって。ただ名人といわれる人は、つまり優れた芸術家といわれる人はただそれを掘り起こしてるだけなんだっていう、その言い換えっていうのがもとにあって、それで漱石はこの話を作ったんじゃないかな。つまりこの物語を作ったのは漱石じゃないのかなっていうふうに思えたわけです。ですから物語としては分かりやすくてどこにも疑問の余地はどこにもないわけで、ただ見ている人が明治なのに彫ってる運慶は鎌倉時代だって、それは言葉としては大変矛盾でありますけども、それは物語としてはちっとも矛盾じゃあないっていうふうに言えば言えるわけです。
そうするとこの話は、つまり僕には宿命、先にそういうふうに僕は性格付けたわけですけども、この宿命の意味を成さないんじゃないか。つまり漱石がこれを作ったとしても、これはなんら宿命っていうことを象徴する、あるいはなんらかの意味で象徴する話として見たら、全然話になってない、物語になってないんじゃないかなっていう。つまりこれはただ作られた物語、短編っていう意味合いでしか意味がないので、これは宿命の物語っていう観点から言ったら全然意味が不明であるって、分かんないっていうふうに思えたわけです。
ですから、まず僕は分かんない作品っていう、分かんない夢っていいますか、そういうものとして今のみっつのものは避けてしまうっていうふうに考えたわけです。そうするとあと今度は早くこの次に分かる夢っていうふうなものを申し上げますと、例えば『第一夜』っていうのはとてもよく分かるっていうふうに思えたわけです。
つまり『第一夜』っていうのは要するに女が死にそうになってて、そのそばに居て目を覗き込んで、ちっとも死にそうに思えないんですけども、女のほうは「もう私は死にます」っていうふうに言うわけです。それで「私が死んだら100年後にまたやってきますから、そのときは会いに来てくれますね」って言うわけです。それで「会いに来る」って言うわけです。して、それを聞いて女は死んでしまうわけで。それでそのときに「自分を貝殻でもって穴を掘ってそこへ埋めてくれ。それで埋めたら空の星のかけらを上に墓標の代わりに置いといて、それであと100年間待ってくれ」っていうふうに言われるわけです。それでそのとおりに女を抱えてそれで穴を掘って、掘った穴の中に埋めてやって、それで土をかぶせてそこを星のかけらをそこに上に置いて、それであと待ってるわけです。それで日が昇ってまた日が暮れてっていうふうに、そういうのが何回も何回も繰り返された。それでそのうちに墓石のあれを通って白いユリの花の茎が自分のほうに向かってきて、自分の胸のあたりのところでユリの花が開いてそれで止まったっていうんですね。それで、つまり空を見たりするんですけど、これは要するにもしかするとこれが死んだ女の生まれ変わりって言いますか、じゃないかなっていうふうに思うわけです。それでよくよく考えてみたらやっぱり100年経ってたんだっていうふうに自分は思ったっていう、それだけの、話としてはそれだけの話なんです。
で、これはつまりいくつかのところが夢だっていうふうに思います。ほんとの夢だっていうふうに思います。それで、例えば墓石のところのそばからユリの花が出てきてっていうようなところ、そういうところはやっぱり夢、ほんとの夢、こういうこの種のほんとの夢を見たんじゃないかなっていうふうに思えるわけです。それで来る日も来る日も、日が昇ってまた落ちて、日が昇ってまた落ちてっていうそれが繰り返されたっていうのもなんとなく夢の感じっていうのがちゃんと、夢の実感っていうのが出ています。それから、じゃあなぜこんな夢を見たんだろうかっていう夢の動機っていうのまでさかのぼってみますと、これはたぶんあれじゃないでしょうか。つまり好意を寄せてた兄嫁が居るわけですけども、兄嫁のことがどっかに心にあって、そして死んだ兄嫁のことがこういうかたちで夢に出てきたっていうことがすこぶる漱石にとってあり得ることのように思えますので、これはとてもよく分かりやすくて、それでいい夢で、それを多少の脚色っていうのは、物語としての脚色っていうのは漱石がやってるでしょうけども、基本的なところはたぶん間違いなく、これは漱石の宿命っていうようなものにかなった夢のように思われます。つまりこれは分かりがいいっていうのが僕は、分かりがいいもんだっていうふうに考えました。
で、『第二夜』っていうのも大変分かりがよくて。『第二夜』っていうのは何かっていったら、自分は禅寺へ行ったんだって。禅寺行って、盛んに禅寺で座禅を組んで修行をしたんだけどなかなか悟りが開けないって。して、お前は侍のくせに、和尚に「お前は侍のくせにだらしない」と。「ちっとも悟りを開けないでだらしないやつだ」っていうふうに言われるわけで。それで大いに憤慨して、それでもし悟りを開けなかったら俺は死んじゃうっていうふうに思うわけで。それから悟りが開けたらあの坊主を殺しちゃって、それで俺も死んじゃうっていうふうに思って、一生懸命座禅を組むんだけどなかなか悟りはやってこなかった。それでそのうちにもう時間が来て、それで和尚のところに悟りを開けたか開けないか、そのあれを持っていく、その公案を持っていく時刻がやってきてしまったって。だからもう自分は死ぬより仕方がないんで、そばに置いてあった短刀を取り上げたみたいなところで終わっているわけです。
これもたぶん漱石が実際に若いときに、20代のころに鎌倉に座禅を組みに行って修行って言いますか、したことがあるので、そのときの体験っていうようなものがこういう夢になって表れてきているっていうふうに思えば、多少の脚色っていうのはしてあるとしても、つまり言葉として整えてはありますけれども、これは分かる夢、つまり本当に夢としてあり得た夢っていうふうに受け取れます。
それで『第三夜』っていうのも、これもとても分かりがいい夢っていうふうに言えると思います。この『第三夜』っていうのは何かっていうと、自分は赤ん坊を背負ってるって。六つぐらいの赤ん坊、めくらの赤ん坊を背負って歩いてる。して、そのうちにめくらの赤ん坊がどうもおかしいって。妙な、つまりおかしいっていうのは、つまりおっかないことを言ったりささやいたりするようになるわけです。で、これは自分の子どもだと思って背負ってるんですけど、だんだんおっかなくなってくるんですね。それで前のほうに森が見えて、それであの森の中へ行ったらこの背中の子どもを捨てちゃおうと思って行くわけです。おっかながりながら行くと、背中の子はすぐに、自分を捨てようとしてるっていうのはすぐに分かっちゃって笑ったりするわけです。それでますます気持ち悪くなっちゃって森へ着いたら捨ててやろうっていうふうに思ってるわけです。そのうちに、要するにいつか、ここは自分は見たことがあるっていうような、そういう木の、杉の木の下かなんかにやってくるわけです。そしてそういうふうに思えたころ、思い出して、背中の子どもは「俺はお前に今から100年前で文化5年に辰の年にお前にここで殺された」っていうふうに言うわけなんです。それで自分は思い出してみると、確かに文化5年の辰の年にここでめくらの男を1人殺したっていうふうにあれがよみがえってくるわけです。それで怖くなっちゃってっていう途端に背中の子どもが急に重くなったっていう夢なわけです。
それで、これは僕は徹頭徹尾分かりやすい、分かる夢だっていうふうに思いました。つまりこれは精神分析学者だったらば、つまり漱石の原罪と言いましょうか、現抑圧と言いましょうか、最初の罪の意識って言いましょうか、それがこの夢を見させているっていうふうに思えるわけです。つまり漱石には母親との関係から来る恐れと不安っていうのがえい児のときにありまして、それが漱石の現抑圧で、あるいは原罪に該当するわけですけども、まさにそれを象徴する夢なんで。背中に背負った子どもっていうのは自分の親でもあるし、また自分の子孫でもあるし、また自分でもあるみたいな、そういう一種の原罪を象徴するそういうもので、それが子どもとして自分が背負ってるんだけどそれは父親であるかもしれないし、また母親であるかもしれないっていうような、そういう原罪関係、エディプスの関係っていうのをよく象徴する夢だと思います。それからもうひとつ言えることは、この種のあれは『ゲゲゲの鬼太郎』の中にも出てくるように、つまりずっと遠いところの、つまり民話とか伝承とか、つまり説話とかあるいは神話とか、そういう遠いところから綿々と語り継がれているようなあるひとつの感覚があって、それとずっとつながっているような、そういうものもこの『第三夜』っていうのはよく示していると思います。ですからこれは夢としても典型的でって言うかおあつらえ向きで、また夢としていい夢ですし、また物語としてもこれとてもよく、いい物語になっている夢で。この『夢十夜』の中では傑作な夢のひとつだっていうふうに思います。つまりこれは生まれ変わり伝説って言いましょうか、生まれ変わりの民話と言いましょうか、そういうものと人間の持っている原罪と言いましょうか、現抑圧と言いましょうか。つまり乳幼児のときまでに母親との関係でもって何か自分が持って、無意識の中にちゃんと入れて、入ってしまっている。そういう原罪っていうものと、それから民話の世界の生まれ変わりっていう説話とが一緒になった、大変いい夢で、かつ分かりやすい夢だっていうふうに思います。
で、『第七夜』っていうのがまた分かりやすい夢です。要するにどういう夢かっていうと簡単なんで。大きな船に乗って航海をしてると。そうするとなぜかその船に乗ってることが怖くて怖くて不安で悲しくてしょうがなくなっちゃって、死にたくなっちゃうようにしてその船へ乗ってるわけです。して、ところがそういう悲しくてしょうがないっていうのは自分ばかりかと思ったらそうじゃなくって、ほかに乗り合わせてる人も悲しそうに涙をこぼしたりしてる人が居たりして、ほんとにそういう雰囲気を持った大きな船に乗って航海してるわけ。それでとうとうやり切れなくなって、で、もうここから飛び込んで死んじゃおうと思って、それで飛び降りるわけです。それで飛び降りたんだけど、要するになかなか飛び降りてから、要するに水面まで着くのがとても長くて、つまり大きな船で長くてなかなか水面に着かない。で、そのうちに船自体は先へ行ってしまうわけ。それで、だけどもまだ水に着かない、まだ水に着かないっていうところで、それでその水に着かない、落っこちてる途中ですが、こんなに怖いんならまだあの船へ乗ってたほうがマシだったなっていうふうに後悔するっていうふうに。それで、だけどまだ水に着かないっていうところでこの『第七夜』の夢っていうのは終わりです。
で、これも大変夢として分かりやすい夢じゃないかなっていうふうに思います。それでこれは言ってみれば分析的に、精神分析的に言えば一種の胎内の体験みたいなもんなんだって。それでこの恐怖と不安っていうのは胎内のときに母親に与えられた、そういう恐怖と不安っていうのの象徴っていうふうに解しますと、とてもよく分かりやすいと思います。それでなかなか下へ、水面に着かないっていうのもとても分かりやすいし、この種のあれを一般に落下の夢っていうふうに言うならば、われわれはどっかで何回かはこの種の、どっかから落っこっていく夢みたいなものをやっていて、そんなに気持ちのいい夢じゃないんですけど、それは大抵の人が持ってるはずなんですけども、その夢としてとてもまた分かりやすい夢だと思います。だからこれなんかは物語としてはそんなにいい出来じゃないですけれども、夢としてみたら大変分かりやすい夢だっていうふうに言うことができます。
で、もうひとつ分かりやすい夢っていうのは言ってみますと、街の床屋さんに入って、で、床屋さんの鏡の前に座ってる。すると鏡に外の風景が映るわけ。外の道を歩いて行く人のあれが、腰から下みたいなものが分かるわけで。それでそれを鏡を見越しているわけですね。それで、つまり鏡を見越しながら散髪をやりながら表の風景をよく見てる、見えるわけです。で、帳場みたいなところをちょっと鏡越しに見てみると、そうするとそこで女の人が居て立膝をしてる。それで盛んに10円札を100枚ばかり勘定してるんですね。して、勘定しても勘定しても女の人の手元にある10円札っていうのは減らないわけです。で、こっちには10円札がどんどん数え終わるんですけど、まだそれは減らない。変だなと思って、で、理髪が終わってからその帳場のほうを実際に振り返ってみたら女の人は居なかったって。それで外へ出てみたら、外では金魚屋さんが屋台に店を出してて、それで金魚の前で突っ立っていたってそれだけの夢なんですけれども、たぶんこの夢の中心は帳場越しのところで女の人がお札を勘定してて、それでいくら勘定しても女の人の手元にあるお札の束の数は変わらないっていう。それで自分が実際に理髪が終わって、そこの鏡越しじゃなくて本当に見てみたらそんな女の人は居なかったっていう、それがたぶんこの『第八夜』の夢の中心じゃないかなと思います。
それから、そしてこの中心っていうのは漱石自身の体験的な、つまり宿命の割に中心のところにあるものだっていうことが言うことができます。先ほどの『吾輩は猫である』でもありましたけれども、漱石の幻視とか幻聴とかっていうことがしばしば起こっていますけども、そういうことで一種の幻視に類するものがこの女の人の、お札を数えている女の人となって現れて来ているんだっていうふうに思います。で、漱石の奥さんの『漱石の思い出』を読みますと、やはり若いときに御茶ノ水の、目が悪くて井上眼科っていうのに通ってるわけですけども、そこで出会った女の人が居て、その女の人が自分と結婚する相手の人だっていう、そういう妄想って言いましょうか、妄想にとらわれて、それでお兄さんのところに怒鳴りこんでいって、それで「こういう女の人が来たろう」って。それで「自分と結婚したいっていうふうに言ってきたろう」ってお兄さんのところに行って、お兄さんは「そんなの知らない」って「そんなの来ない」って「そういうのは知らないよ」って言ったら「そんなばかなことはない」って言って大変憤慨したっていう話を漱石の奥さんが書いていますけど、その日のことは時として漱石の中に表れてくるんで、その問題が夢の中に表れてきたっていうふうに考えると、この『第八夜』っていうのも大変分かりやすい夢のひとつだっていうふうに言うことができると思います。
で、これらが漱石の夢の中で大変わかりやすい夢なわけです。
それで、もうひとつ先ほどの民話とか神話とかにつながるって言いますか、糸を引いてるって言いましょうか、そういう夢の話っていうのをお話してみますと『第九夜』っていうのは、『九夜』と『第十夜』っていうのがそういうことになると思います。で、『第九夜』っていうのは若い母親がみっつぐらいの男の子と一緒に住んでいるわけです。して、父親はある晩「用事がある」って言って夜中に頭巾をかぶって、それで裏口から出て行ったまんま帰ってこないわけです。それで母親とみっつになる子どもは毎日近所の社へ行ってお百度参りをして、それで帰ってくるわけで。それを毎日のようにあれして、それで父親がやがて帰ってくることを願ってるわけですけども、それでお百度参りをしてる。ところが父親は本当はもう帰ってこないんだって。どうしてかっていうと旅先で浪人に切り殺されて、それでもう死んじゃって居ない。それで、だからこれは帰ってこないんだっていうのが『第九夜』の話です。これもやはり一種、民話の世界って言いましょうかね、そういう伝承の世界っていうのとどっかで糸がつながるような夢の話だっていうふうに言うことができます。
それからもうひとつ、『第十夜』っていうのもやっぱりそうです。これは素材は現代っていうか同時代なんですけども、町内の庄太郎っていう女好きの遊び人が居て、それでその遊び人があるときぼんやりして道を通る女の人を見てたら、それで女の人が買い物をしてると。それで買い物をして、荷物をいっぱい買った荷物を持ってると。それで庄太郎が遊び人だからそれで一緒に行って「それを荷物を持って一緒に行ってあげようか」って言って女の人の後をくっついていくと。女の人はどんどん電車に乗って、それで山のほうへ行って。山のほうに行って、それで「あの山に登ろう」とか言って山の高いところへ登っていって、それで行くと女の人が庄太郎に「お前ここから飛び降りてみろ」と。「飛び降りないと豚が来て、それであんたのことなめるよ」って言うんですよ。「だから飛び降りろ」って言うんです。すると庄太郎は豚と、文章には豚と雲右衛門が嫌いって書いてあります。雲右衛門っていうのは桃中軒雲右衛門っていう浪花節語りですけども、あの雲右衛門が嫌いだって。で、豚になめられちゃかなわないと思うんだけど、飛び降りることはおっかなくてできない。で、そうすると言ったとおり向こうから豚がやってきた。して、仕方がないからそこらへんの棒っ切れ持って、して豚をぼんとぶん殴って、そしたら豚がころりと横になって死んじゃって、それで崖の下から落っこってったっと。して、そうしたらまたもう次の豚がやってきた。それで次の豚を引っぱたいてそれでまたころっと殺して、それで崖の下へ落っこった。それでとにかく7日間、6晩とも豚が、来る豚来る豚殺してはまた崖へ落っことしてっていうふうに、豚を引っぱたいて、いくら引っぱたいても殺しても豚が後から後からやってくる。それでとうとうこらえ切れなくなってそこで伸びちゃったんだっていうふうに庄太郎は帰ってきて話して、そのまんま庄太郎は寝込んでしまうわけで。それで結末は要するに、庄太郎は本当はもう起きらんないだろうと。つまり病気は治んないだろうと思うっていうようなことがこの物語の結末になってるわけです。
それで、この話もいかにも夢であるし、夢としてあり得るわけです。つまり豚じゃなくてもいいんですけども、なんでもいいんですけども、殺しても殺してもまだ後から来るっていう不安と恐怖感っていうのは夢の中にしばしば、違うかたちで誰でも表れてくるので、これもいかにも夢らしい夢であるし、また人さらいとか神隠しとかいう民話の世界ともつながりがありますし、大変、言ってみれば奥が深いって言いますか、根が深い夢のひとつだっていうふうに見ることができると思います。
すると、漱石はそういうことが好きでないから、そういうものはちっとも作品として描いてないんですけれども、この種の非常に自分の原罪にとっても重要であるし、またその原罪っていうのだけじゃなくて人間の歴史的現在みたいなものにつながっていくような、そういう糸っていうのもちゃんと引いてるっていう。この種の夢っていうのは漱石の『夢十夜』の中で、いちばん根拠のあって、またさまざまな解釈がきいて、きくような夢だっていうふうに思います。で、しかもそれは決して気持ちのいい夢ではないのです。ひとつとして気持ちのいい夢っていうのを漱石は『夢十夜』の中で描いていないと思います。いずれも不気味であるとか不安であるとか恐怖であるとか、それがどっかすごく深いところで原罪につながっていくみたいな、そういう夢っていうのを描いていると思います。
で、漱石が持っていた宿命っていうのは、この『夢十夜』の中にとてもよく表れていますし、また漱石はこの『夢十夜』ぐらいでしか、あとは『硝子戸の中』っていう随筆でしょうか、それの中でしか自分の原罪に類するもの、あるいは現抑圧に類するもの、つまり自分が乳幼児期までに受けたであろう傷と言いましょうか、心の傷と言いましょうか、それについては触れていないし、また触れる場所を持っていなかったわけです。ですからこの『夢十夜』っていうのはとても漱石の作品の中で特異な位置を占めていて、漱石が時として自分の宿命っていうことを考えざるを得ないときが生涯の中に何回かあるわけですけど、そのときの漱石、つまり宿命に従順じゃあないんですけど、宿命っていうことを考えざるを得なかったときの漱石っていうのはこの『夢十夜』がいちばんよく象徴しているんじゃないかっていうふうに思われます。
で、『夢十夜』に匹敵するって言いますか、対合する物語って言いましょうか、同時期の物語っていうのを取ってくるとすればそれは『三四郎』っていう小説になるわけです。つまり『三四郎』という小説は『夢十夜』と時代的に、時期的にも同じころですし、また対応関係から言いましても『夢十夜』と表裏の関係にある作品というふうに読むことができると思います。漱石の作品を時間の流れに沿って読みますと、そうすると『三四郎』はその次に来る『それから』という小説、それから『門』という小説みたいなふうにつながっていく最初の小説ですけれども、そうじゃなくて、もし漱石の作品を同時期的に、あるいは共時的にと言いましょうか、共時間的に、つまり同じ時間的に読もうとする読み方を取るとすれば、『夢十夜』という作品は『三四郎』という作品と対応し、そして『三四郎』という作品といわば表裏を成す作品だっていうふうに理解できると思います。
それで、それはどうしてかって、どこでそう言えるかって言いますと、『夢十夜』っていう作品は今もし挙げましたように、漱石の宿命の物語だっていうふうに、宿命を描いた物語だっていうふうに考えるとすれば、『三四郎』っていう小説は宿命に抗うっていうか、登場人物たちはいずれも自分の宿命に抵抗し、そして宿命を越えようとする、言ってみれば全部青春物語っていうことになるわけです。つまり青春とか思春期っていうのは何かって言いますと、最も力沸き起こって、しかも宿命を越えようとするっていう意欲がいちばん、つまり宿命に逆らおう逆らおうとする世界の物語だっていうふうに、世界だっていうふうに言えると思います。で、『三四郎』っていうのはまさに青春物語っていうような意味合いで自分の宿命っていうものに対して逆らおうとする人たちが全部登場人物なわけなんです。
ところでいちばん続きが、流れから言っていちばん分かりやすいですから、いちばん分かりやすくて面白いからそこを最初に申し上げてみますと、『三四郎』の中に広田先生っていう先生が出てきまして。つまり偉大なる暗闇っていうふうにあだ名されて、それで三四郎とか与次郎とか野々宮さんとか園周辺に居る人たちに大変尊敬を受けている高等学校の先生なんです。それで万年高等学校の先生なんですけども、その広田先生っていうのが、で、三四郎や友達である与次郎が広田先生を大学のほうの先生に推薦しようとして運動して、それで失敗する話が出てくるわけですけども、その失敗するっていうのはつまり新聞にたたかれて、それで広田ってその教師は学生たちを使って自分を大学のほうの先生になりたいもんで運動させてあれした、みたいなそういうふうに新聞に書かれたりして、それが失敗するっていうところがあるんですけども、その失敗した後で「そんなことはどうでもいいことだ」っていうふうに広田先生が言いまして、それで三四郎が居たときに夢の話っていうのをしてくれるところがあるんです。で、もし『夢十夜』の続きに『夢十一夜』っていうのがあるとすれば、広田先生が『三四郎』っていう作品の中で語る自分の夢の話っていうのが『第十一夜』に相当すると言ってもいいくらい、大変面白いって言いますか、興味深い夢の話を広田先生がするところがあります。で、それを最初にあれしてみますと、広田先生がする話は三四郎が広田先生を訪ねて行くと、広田先生は昼寝をしてるんです。で、そのときに広田先生が昼寝のときに夢を見たって言うんですね。で、その夢を三四郎に語って聞かせるわけですけども、聞かせてくれるわけですけども、その話によると今から20年前に12、3歳の女の子とたった一度だけ会ったことがあるんだって。で、その女の子が夢に出てきたんだって。して、自分が道を歩いていると向こうに20年前の12、3のまんまの女の子が向こうに立っていたと。で、自分が歩いてって「あなたはちっとも変わってないじゃないか」っていうふうに。そうするとその女の子が「いや、あなたはずいぶんそのときと比べると変わった」、つまり年を取ったっていうふうに言うわけです。で、「あなたはこの20年の間にずいぶん美しい」って。つまり「美についての観念がずいぶん変わったんだ」って。「だからしてあなたは年取ったんだ」って。「私は要するに20年前に12、3のころ、あなたと会ったときの私がいちばんいい私だっていうふうに思って、今も思ってるからちっとも変わんないんだ」っていうふうに女が言うって。「そういう夢を見たんだ」って言うわけですね。で、三四郎が「その女の子は実際に居たんですか?」って。「夢物語ですか、それとも実際に居たんですか?」って言うわけ。そうすると広田先生は「実際に会ったんだ」って。それで、じゃあその女の子が今、その広田先生っていうのは独身なんですけど「今ここに居たら結婚なさいますか?」って聞くと、広田先生は「うん、すると思う」っていうふうに言うわけです。
それで実際に会ったのはどこでいつかっていうことを三四郎に語って聞かせてくれる。それは三四郎の文章によりますと、要するに憲法発布の日に森有礼っていう文部大臣が、当時の文部大臣が居るわけですけど、あまりにモダンな教育方針をあれするんで殺されちゃうわけですけど、森文部大臣なんですけど殺されちゃうわけですけど、で、森有礼の、殺された森有礼の棺がどこそこを通っていくっていう、それを広田先生はまだ高等学校の学生で、それで高等学校からそれを沿道で送るあれがあって、それで沿道で行列って言いますか、棺の行列を待ち構えているわけです。そうするとそこがよく分かんないところなんですけども、森有礼の棺が通っていく。それでその後から親類縁者か、あるいは係の人か分かりませんけど、そういう人たちの車が通っていく。して、そのときに12、3歳のその女の子はそこに居たんだって言うんです。で、居たんだ、そこに居た女の子なんだっていうふうに。で、三四郎が「それ以後一度も会ったことないんですか?」とかって言うと「一度も会ったことない」って言うんですね。して、それだけでとにかく夢の中で20年前とそっくりおんなじ姿で出てきたんだっていうふうに三四郎に語って聞かせるわけです。
それで三四郎は先生が独身でいるのはそのときの女の人のことが気に掛かって、そして「その女の人が忘れがたいから要するに未だに独身なのか」っていうふうに三四郎が聞くわけです。そうすると広田先生は「いや、そういうわけじゃないんだ」と。「そういうんじゃないんだ」って言って自分の幼児体験みたいなものをさり気なく語って聞かせてくれるわけです。で、自分のこととして語って聞かせるんじゃなくて人ごとのように語って聞かせてくれるんですけど、ここに1人の男の子が居て、それで母親が死ぬ間際に「お前の本当のお父さんは」、父親はもう死んだっていうふうに言われてたんですけど「お前の本当のお父さんはどこそこに居る誰々だ」っていうふうに母親がそういうふうに言って死んだって。で、それを聞いた子どもは愕然として、それでそれが心に引っ掛かってしまって、それが消えない。で、この男の子が将来結婚するって、女の人と一緒になって結婚して暮らすっていうようなことに対して懐疑的になる、つまり疑わしくあんまり乗り気にならないっていうふうになるっていうことはあるんじゃないかっていうふうに広田先生が三四郎に語って聞かせるわけです。で、三四郎に「それはあなた、つまり先生自身のことですか?」っていうふうに聞くと、ただ笑っただけで広田先生は自分のことだともそうじゃないとも言わないわけです。それが広田先生が語ってくれた夢の話なんです。
これは『三四郎』の中に出てくるんですけども、それでそれはたぶんほんの少しだけ、ほんの少しだけ変えれば漱石自身の幼児体験に置き換えることができます。つまり漱石っていうのは両親が非常に年取ってから生まれた子で、その当時の風習として言えばあんまり年取ってきてからの生まれた子どもっていうのはなんとなく両親が恥ずかしいっていうようなことで、その子を里子に出しちゃうっていうような習慣があって、それで漱石は養子にやられちゃうわけです。それで浅草のほうの総長さんみたいなのしてる人のところへやられちゃうわけです。で、そこの養父母がまた女性関係で仲が悪くてもめ事が起こって、それでまたうちへ帰ってきたりするわけ。して、それからどこか四谷あたりの古道具屋さんのうちに引き取られたりするわけです。で、古道具屋さんの店先にかごに入れられてそういうふうにちょんと置かれていて、そこを姉さんが通りかかってかわいそうだっていうんでうちへ連れてきてっていうようなことがあって、本当にまた夏目姓に返るのはだいぶ後になってからなんで。つまり漱石っていうのは幼児期に大変苦労しているわけです。で、乳幼児のとき苦労してるわけですけども、それは広田先生の、言ってみれば第十一夜目の夢に該当する広田先生の夢っていうのをほんのちょっとだけずらせば、たぶん漱石自身の乳幼児体験っていうのに当てはまってくるわけです。つまりこれは漱石の『夢十夜』の続きで言えば十一夜に該当すると言ってもいいわけですし、広田先生っていうのは必ずしも漱石自身のことを語ってモデルにしてるわけじゃないわけですけども、しかし漱石の考え方、その他をどんどんその中に入れ込んであります。で、だから広田先生の夢っていうのは『夢十夜』の続きで言えば11番目の夢っていうふうに考えてもよろしいんじゃないかっていうふうに思います。
で、『三四郎』という小説はみなさんは、つまり『坊っちゃん』の次にやってくる大変気持ちのいい青春物語なんですけども、この気持ちのいい青春物語っていうのはもう少し違う読み方を言いますと、宿命に逆らう人たちを登場人物とする初めての小説だっていうふうに言っていいんじゃないかと思います。そういう意味合いでは本当に『夢十夜』の宿命の物語っていうものと表裏一体っていうふうになってくる作品だっていうふうに思われます。
で、そこで『三四郎』っていう作品の中心のモチーフになるのはなんなのかっていうと、野々宮さんとなんとなく結婚相手だとされている美禰子っていう女性が居るわけですけども、この女性のふるまい方っていうのが大変当時としてみれば新しくて、それで複雑でっていうようなかたちを取ってて。この女性を中心にして、三四郎とそれから野々宮さんとか、それから原口っていう絵描きさんが出てきたりするんですけど、そういう人たちが美禰子っていうのを中心としていろいろそれぞれの宿命に抗おうとして、つまりコウショウをシソウする(?)っていう物語が中心になっていくわけなんですけども。例えば三四郎っていうのも性格からいってはいちばん宿命に従うとすれば郷里に母親が推薦してるお光さんっていう、大変素晴らしく気立てがよくて素朴でいいお嫁さん候補が居るわけですけども、そうじゃなくて三四郎は、そこじゃなくて美禰子っていう到底自分なんかのような単純で、それで一介の学生だっていうようなそういう人間だったらちょっと手に負えそうもない近代的な女性なんですけども、その女性のほうに心が引かれていくっていう物語なわけです。
で、登場する人物がことごとくそういうふうなかたちで、自分の宿命に逆らって生きていこう、それを越えていこうっていうような話になって。野々宮さんも結婚相手である美禰子っていうのと一緒になりそうでなかなかならない。で、美禰子は違う原口という絵描きさんと一緒になっちゃうっていうところが結末なんですけども、そこいらへんでことごとく登場人物たちは自分の宿命と自然っていうのに従えばいちばんいいだろうと思われる方向っていうのを取らないで、ことごとくどっか違うところに、つまり宿命に逆らう方向に全部行ってしまって、全部が同じところに相合うっていうことがなくなっちゃって、いちばん美禰子っていう女性にいちばん縁遠いと思われていた原口っていう絵描きさんが、ただモデルとして幾日か付き合ったっていうだけの絵描きさんと美禰子が一緒になっちゃうっていうところでその作品は終わりになっちゃうんですけど、要するに全部が宿命に逆らおうとした欲のあまりに、全部自分が思ってたところと違うところの運命のほうに引かれていっちゃうっていう物語がこの『三四郎』っていう物語だっていうふうに思われます。
それで、これは言ってみれば漱石にしてみれば、漱石自身が宿命の続きだと思っていた勉強と、それから留学生活と、それから帰ってきてからの教師生活とっていうような、そういうようなものに全部どっかに宿命に従えばそれがいちばんいいはずなんですけども、それをどっかで越えたいというのか、それに逆らいたいっていう気持ちが漱石のどっかにあって、それでやっぱり学校はやめてしまって新聞社に入って、それで小説を書くっていうようなふうに自分を変えていっちゃうっていうような、そういう漱石自身も宿命っていうものを越えようとして、それでやっぱり自分のコースをだんだん、そのために留学したりそのために知識を蓄えたりしたっていうようなことからどんどんどんどん遠ざかっていってしまうっていうようなところに漱石自身も行ってしまう。その最初のきっかけっていうふうになっていくわけなんです。
これは漱石の宿命と反宿命と言いましょうか、つまり漱石がどう生きようとしたかっていうことと、それからどう生きざるを得なかったかっていうことと、その両方から宿命と反宿命がせめぎ合うわけですけども。で、漱石が選んだのはとにかく宿命からどっか逃れようといいますか、どっか遠ざかろうって。自然な道筋から遠ざかろうっていうような道を漱石はどんどんどんどんたどっていくことになります。で、もちろん漱石の文学自体もそういうことになっていくわけで、漱石自体は早死にといえば早死にですけども、とにかく自分の宿命に逆らうっていうようなモチーフを捨てないまんま『明暗』の途中でばったり倒れちゃうっていうようなことになるわけですけども、これほど典型的に宿命っていうことをよくよく自分で分かって自覚して、分かっていて、そしてまた宿命が自分を吸い寄せていくって言いましょうか、取り込んでいくその力の大きさっていうか強さっていうのもとてもよく心得てよく知ってて、それでまた、なおかつそれに逆らうって言いますか、逆らうっていうことがやっぱり生きていくことだっていうところで力戦奮闘すると言いましょうか、力こぶをどんどん蓄えていって、それで力こぶを発揮してっていうようなかたちを取りながら倒れちゃうっていうような、そういう生き方をせざるを得なかったっていうのも、たぶんこの宿命の大きさと、その宿命に逆らうことの重要さっていうことを非常に初めの、作家としての始まりの時期にどんどん純化していきまして、それでそこの問題をはっきりと打ち出していくことができて、自分の作家としての軌道を定めるっていうようなことになり得たからだっていうふうに思われます。
で、この『夢十夜』っていうものと『三四郎』っていうものと、宿命と反宿命の物語だっていうふうに言うとすれば、『三四郎』、あるいは『夢十夜』以降の漱石っていうのは徹頭徹尾宿命に逆らう物語を作り続けていくわけです。
で、ところで漱石が宿命に逆らうことをやめたっていうふうに言われそうなのは、つまり最後の作品、途中で倒れちゃったわけですけども、最後の作品の『明暗』っていう作品が漱石が宿命に従おう、また再び従おうとしたんじゃないかっていうふうに言われる兆候を見せて途中で終わってしまった作品であるわけです。それで、そのときいろんな漱石説話と言いましょうか、漱石神話っていうのがありまして、漱石はそこで『明暗』のころに天に則って、つまり天に則ってっていうことは自然に従ってっていうことですけど、自然に従ってわたくしを去るんだっていうのが漱石のモットーになったんだっていうふうに言われたりすることもあるわけですけども。つまりそこで漱石は再び自分の宿命っていうのを受け入れようとした兆候が見えるんだっていうような解釈の仕方もまた成り立つわけですけども、そうじゃないんだって。そうじゃなくて、反宿命っていうふうに漱石は突っ張ることはやめたけれども、宿命に従うって言ったわけじゃなくて、人間をすべて相対的な距離から眺めて人間を描くっていうことは、やっと『明暗』まで来てできるようになったんだっていう理解の仕方もまた成り立ち得るわけです。で、それくらい漱石のそれからの作品っていうのは全部、宿命に逆らう物語だっていうふうに言っていいと思います。
これは例えば同時代と言いましょうか、同時代で抜群に大きな存在だった森鴎外っていう作家を一緒に対照してみればとてもよく分かるので、森鴎外が自分の宿命に逆らおうっていうふうにしたのはたぶん初期だけなんです。つまり『舞姫』とか『うたかたの記』とかっていうそういうところでは宿命に抗おうと、逆らおうとしてたんですけども、それ以降の鴎外はだいたいにおいて宿命っていうものを受け入れたうえで何ができるのかっていうようなところで文学作品を生んでいったと思うんですけど、漱石はそうでないって思います。徹頭徹尾宿命に逆らおうっていうふうにしていったんだっていうふうに思われます。
で、その後にやってくるのが、『夢十夜』の後にやってくるのが『それから』っていう作品になっていくと思います。で、『それから』っていう作品が『夢十夜』とか『三四郎』とか『坊っちゃん』みたいなのも入れてもいいんですけど、そういう作品と何が違うかっていうことになっていくわけです。で、そうしますと要するに第一に言えることは、だんだん実生活上はともかく、だんだん作品としてはゆとりがなくなっていっちゃったっていうことだと思います。それから、つまり漱石が青春物語を書けたっていうのは『坊っちゃん』と『三四郎』くらいであって、それ以降もう青春物語っていうのは書けなくなっていくわけです。ですから宿命に対する逆らい方っていうのも、それから漱石が自分に突き詰めていった宿命っていうのも、ややそれよりも複雑で、根深くなっていくっていうことが言えるんじゃないかっていうふうに思います。それがたぶん『それから』っていうところから、作品から始まっていくんだっていうふうに思います。
で、『それから』っていう作品は一種の三角関係の物語です。で、友人が居て、親友が居て、それで親友の奥さんが居て自分が居て。自分が居てって主人公が居てっていうことですけども、主人公が居て、その3人が学生時代から親しい知り合いなんですけれども、で、友人が奥さんになる女の人を好きだっていうのを聞いて、一緒になりたいっていうのを聞いて、それを斡旋してやったりするのですけれども、その友人が年月を経て、それでそばへやってきたときに逆に今度は自分が友人の奥さんにもともと潜在的に好きだったわけですけども、友人の奥さんをそこであからさまに好きになって、それで三角関係になっていく。ものすごく複雑なかたちで三角関係になっていくっていう、そういう物語になっていきます。
それから漱石の宿命に対する反逆の仕方も、単に青春を謳歌するって言いましょうか、つまり自分の宿命に逆らう意味での青春っていうのを肯定していくっていうんじゃなくなっていきまして。そこに一種の文明史的な、文明社会的な、文明社会史的な考え方っていうの、もっと突き詰めて言えば日本対西欧みたいな、そういうものの関係付けっていうようなものをその三角関係のところにもうひとつかぶせていって、ふたつ、その三角関係と日本と西欧とそれを受け入れる、西欧文明を受け入れるものと、それに反発するものとっていう、そういう関係と、いわばパラレルに重ねて、そしてそのふたつが複雑に絡まり合ったところで物語を作るっていうようなかたちがこの『それから』っていう作品の根本的なモチーフだっていうふうに思います。
で、ですからそういう意味から言いますと、例えば『草枕』の作品のように漱石の西欧の文学と東洋の文学とは違うんだっていうことで、東洋の文学とは人間と自然との関わり合いを、あるいは人間がどこまで自然に対して同化できるか、あるいは自然に対して、自然から突き放されてしまうかっていう、そういう問題を描くことを、そういうことを描くことが文学、芸術なんだっていう、そういう芸術観を『草枕』っていうのは正面から押し出していくわけですけど、そういう作品とか、あるいは今度逆に僕もよくこれを解釈することができないんですけれども、『野分』とか『二百十日』っていう作品があります。で、この『野分』とか『二百十日』っていう作品はどういう作品かっていうと、漱石がものすごい勢いで社会的な特権階級とか金持ちとか、それで金持ちのえげつなさとかっていうことをものすごい勢いで作品の中で攻撃するわけです。そしてそういう人たちが知識人とか、知識とか人間の人格とかっていうようなものを軽蔑するっていう、そういう文明の行方はどういうふうに頽落していくか、つまり堕落していくかもう図り知れないんだ、みたいなことを声を大にして作品の中で叫んでいるのが『二百十日』とか『野分』とかいう作品だと思います。で、『二百十日』っていう作品は圭さんっていう男と碌さんっていう男が一緒に阿蘇山に登って、阿蘇山に登りながら2人は、『吾輩は猫』でいえば会話なんですけども、会話を交わしながら、その中で盛んに社会批判をするっていうようなのが作品のありどころで、ちっともいい作品じゃありませんけども。それだけども露骨に、あからさまに金持ちの攻撃と金持ちのやり方のえげつなさの攻撃と、それから知識人が片隅に押し詰められちゃうみたいなことに対する憤激っていうようなものをあからさまにしゃべらせて、登場人物に、圭さんですけども、圭さんっていう登場人物にしゃべらせてるっていうようなそういう作品です。
で、つまり『二百十日』とか『野分』とかっていう作品がどうして急にそういうようなことをあからさまに訴えるような作品、作品としては全く破綻をきたしているんですけども、それでもそういうのを声を大にして訴えるみたいなところを漱石が入っていったのかっていうのはとてもよく分からないところです。つまり解釈しがたいところなわけです。いちばんあっさり言えば、これ日露戦争の終わった直後ですから、曲がりなりにも戦勝国で、それで戦争の兵器とか武器とかっていうことのあれでもって、盛んに金をもうかっちゃった階級があって、で、そのもうかっちゃった階級がえげつなくえばりだしてって。で、知識人はなんとなく戦争が勝ったんだけどもちっとも勝ったような感じがしなくて、景気が不景気になってくるし生活は厳しくなってくるのでなんとなく意気消沈しちゃってるっていう、そういう知識人と、それから日露戦争後の日本の社会の世相ですか。そういうもんとが漱石をそういうふうに怒らせたっていうことがあるのかもしれませんし、その要因はなかなかよく分からないのですけれども、この『野分』とか『二百十日』っていう作品は少なくとも『それから』っていう作品を作るためにはどうしても通過しなければならない作品だっていうことは言えそうに思います。
それから『それから』の主人公である代助っていうんですけども、代助の心理描写って言いますけども、心理描写にとどまらないで一種の存在描写って言いましょうかね。存在描写になるわけですけども、その存在描写が成り立つために『坑夫』っていう作品があるんですけど、その『坑夫』っていう作品もやっぱり通っていかなければならない作品であるかもしれません。つまり『坑夫』とか『野分』とか『二百十日』とか、それからそれとはまるで正反対の宿命の物語の延長に位する、延長にある一種の自然の中に悠々と憩うっていう、そういうモチーフを持った『草枕』っていう小説が正反対な極にあるわけですけど、その正反対な極にある『草枕』っていう小説とか『野分』とか『二百十日』とか『坑夫』とか、非常に深刻で薄っぺらなって言ったらおかしいですけど、露骨に深刻さを出そうとした、そういう一種の社会小説みたいなもんですけども、そういうものとを通過することで、やっぱり『それから』っていう作品ができてきたんだっていうふうに思えば、そういうふうに思えないことはないと思います。
それで、漱石が『それから』っていうことでどういう設定の仕方をしたかっていうと、主人公の設定の仕方が非常に奇妙なかたちで設定するわけです。それでどういうかたちかっていうと、その主人公は、漱石の言葉でよれば高等遊民なんですけども、高等遊民なんですけども、つまりもう30歳を過ぎているような年齢なんですけれども、その年齢で知識教養申し分ないっていうような代助っていうのが主人公なんですけど、それはまだ独身であって、それで生活費っていうような、自分の父親が、父親は直記(父親は得。直記は伯父)っていうんですけど、父親が非常に資本家で、そして大金持ちなわけです。で、その父親から生活費が月々送られてきて、自分は独身で、おばあさんとそれから書生と、その2人を雇って独身生活をして、何もしないで読書をしたり劇を観に行ったり音楽会を聞きに行ったり歌舞伎を観に行ったりっていうような、そういう遊民の生活をしているっていうのを主人公に設定しているわけ。
ところで『野分』とか『二百十日』とかっていう作品のモチーフで、これは『猫』からももちろん始まるわけですけども、漱石が強調してやまないのは、俺は金持ちっていうのは大嫌いだっていう。学者も嫌いだけど金持ちも大嫌いだ。それで、大嫌いだと。それで、だいたいやつらは人間の人格っていうのをばかにしていて、えげつないことばっかりやって、それで金を持ってるためにえばってえばりくさっているっていうのが漱石の考え方なんですけども、この『それから』っていう作品ではその考え方は『野分』『二百十日』で極まっていくわけですけども、その考え方を漱石は捨ててしまいます。で、どういう捨て方をするかっていうと全然捨ててしまうんじゃなくて、それを主人公の父親に持ってくるわけです。それから兄が居るわけですけど、兄も父親の会社の手伝いをしていてやっぱりお金持ちなわけです。で、自分はその父親から生活費を全部貢がれて、それでただ悠々と何もしないで今で言えば消費生活ばかりしてるわけです。それで、そういう主人公を設定してくるわけです。つまり漱石は『それから』で社会批判の的になっているものから生活費を受け取りながら暮らしている知識人という設定を代助という主人公でするわけです。本来ならば代助という知識人っていうのは漱石、生のまんまの漱石でしたらこれは金持ちとかなんとか大嫌いで、もちろん世話にもなんないし風上にも置けないっていうふうに思ってるっていうのがたぶん漱石の本音だったわけですけども、『それから』という作品ではそれを親子として一緒にして、しかもその親から要するに生活費を月々貢がれて、そしてそれをもとにして悠々たる生活を30歳くらいの主人公がやっているっていう、そういう設定をするわけです。で、この設定、それでその両者の間はもちろん両方とも本音を吐けば大変対立的なんですけども、表面の生活、日常生活上は少しも対立してるわけじゃなくて、敬遠し合ってるかもしれないけど対立してるわけじゃなくて、平気で金を貢がれてそれで生活してると。一緒に、つまり日露戦争の上層社会っていうようなことの中に平気で代助っていう主人公も一緒に入っていったりするっていうようなそういう生活をしているっていうふうに設定するわけです。
で、漱石っていう人は『それから』へ来て急に金持ちに対して物分りのいい設定の仕方をするわけです。それから知識人に対しても、本筋の批判っていうのを出さないで、日常生活は無事平穏にやっていくって。それで、そういうあんまり好きじゃない金持ちの親とも仲良くやっていくみたいな、そういう設定の仕方をやっていって、それがちっとも倫理的にって言いますか、気分として違反しないって言いましょうか、引っ掛かってこないっていうような。代助の心の中には引っ掛かってこない。むしろある意味ではそれを肯定してるっていうような、そういう主人公として設定するわけです。
で、これはもちろん漱石の極めて成熟を物語ると一緒に、漱石の宿命の逆らい方っていうようなものがかなり複雑なニュアンスを持ってきたっていうことを意味すると思います。して、この複雑なニュアンスを持ってきたところで、だいたいにおいて漱石の作家としての軌道っていうのは定まっていくわけで。その最初の作品がこの『それから』っていう作品なわけです。
で、代助という主人公は自分の親友であり、それでまた同じ友達の妹であった者と結婚した平岡っていう男が地方から東京へ再び、勤めていた銀行をやめまして、それで少し職を探すっていうことでそこでは失敗の体験、社会的失敗の体験をしてやってきたところで、東京へやって来たところでいわば三角関係に陥るわけです。
それでこの三角関係に陥るっていうことは、同時に言いますと日本が西欧を受け入れると。それで受け入れながら、それで日本っていうのはこれに逆らったり、それからこれを受け入れて神経衰弱になったり、また受け入れてこれをまた否定しようとしたりっていうような複雑な反応を明治、つまり近代の日本は西欧に対してやるわけですけども、その西欧っていうものを中心とした日本人の知識人のあり方ですけども、あり方、それは逆らう者があるかと思えば、またそれを神経衰弱になる者も居る。またそれを肯定して受け入れる者も居る。で、受け入れて自分はそれに乗っかって、それでお金ももうけるし社会の上層に立つっていうような者も居るっていうような、そういう西欧を中心としてやっぱり複雑な関係に入っていく、そういう者のおかげで代助っていうのは自分の生活、っていうのはつまり自分の就職もしないで働きもしないで遊んでいる生活っていうのが余儀なくされてると。自分が、こういう日本の現状で、働いたりすれば必ず自分は社会からも、それから西欧の文明からもますます弾き飛ばされて、神経衰弱が高じていくだけで、それで惨めになっていくだけだ。だから自分は働かないんだっていうのが代助の理屈なんですけども、そういう西欧を中心とした、日本における西欧に対する反発と肯定と、そういう関係、複雑な関係ですが、その関係と三千代っていうんですけど、三千代って友達の妹なんですけど、その妹を中心とする友達と、平岡っていう親友とそれから自分との、代助との三角関係っていうものが言ってみればどちらも一種、ふたつとも重ね合わされて融合されたかたちになっていきます。ですから、かたちになっていきます。それで代助が要するに父親の大金持ちの資本家から生活費を貢がれて生活しているっていうのは、言ってみれば西欧文明を受け入れて、正直に受け入れて、で、それに乗っかって大きくなってしまった近代日本っていうのに対して、自分もまた肯定するわけじゃないけど仕方なしにその中で生きているって。生きているんだって。生きて複雑な思いをさせられているっていう、そういう代助の巻がけ方とが全部おんなじになっていくわけなんで。
それで、何がやっぱり宿命であり宿命の続きである自然っていうのがなんなのかっていうことを代助がしきりに考えていくわけです。そして結局、ここでかつて学生のときに友達に、自分の親友に友達の妹を斡旋してしまった。本当の、心の奥底を探れば自分のほうがその女の人が好きだったんだけども、それを押し隠して親友のためにそれを斡旋してしまったっていうのは、これは斡旋して自分は独身を通してるみたいなことっていうのは自分にとっては宿命に逆らう行為だったっていうふうに自分では思ってきたんだけれども、本当は宿命の続きである自然っていうものに対して逆らうっていうことは駄目なんじゃないかっていうふうに代助は思いだして。
それで、親友の夫婦があんまり仲が良くないっていうことが少しずつ分かってきて、そして分かってくるとともに代助は親友の奥さんである三千代っていう女性に自分は昔っから好きだったっていうふうに言いだして告白して、それでそれを受け入れてくれっていうふうに言いだすわけです。で、そこから三角関係が始まるわけなんですけど、一方のほうで父親の事業に都合のいいところの女性と見合いをさせられていて、それでその女性と一緒になる話っていうのも進んでるわけですけれども、それを一緒になれば、その人と一緒になれば、要するに父親の事業にとっても大変いい結果をもたらすし万事が好都合なんだ。そして、もしそれが嫌いでないんならば、嫌いならば仕方がないけど嫌いでないって言うんだったらば一緒にならないかって言われて、ご本人も動揺したりして、その気にもなってるわけですけど、三千代っていう親友の奥さんと出会って、それで親友の夫婦が仲が悪くなってるっていうのを知ると、やっぱり自分は自然に着くとすればここへ着くっていうのが自然に着くことだ。で、ここへ着けば自分は父親から生活費を断たれるっていうことは非常に明瞭なことで、自分は職を探しに行かなければならない。職を探しに行けば自分は、あえて就職なんかしたら自分は日本の社会からも、それからヨーロッパ的な文明の世界に対する関係からも、自分は片隅に追いやられていってしまうっていうような、そういうこともまた言っていらんないっていうような、切羽詰まった感じになっていくっていうことになっていきまして、それで結局は家から断ち切られるっていう。お金も断ち切られるし出入りも断ち切られて、ちょっと孤独な格好になっていって、それで親友の奥さんと一緒になるためには自分は働いてあれしなきゃいけないっていうんで職を探しに行く、みたいなところで『それから』っていう作品は終わっていくわけです。それで終わるわけです。
それで代助っていう主人公は、つまり大変知識もあり、そして教養もあり、で、なんでも知ってる、なんでもよく分かっているわけなんですけど、ただひとつ分かんないことは、自分は父親のところから送金を断たれてしまったら自分はこの社会の片隅に押し寄せられて、それで生きていけるだろうかって。就職して生活費を稼ぎながら生きていけるだろうかっていうようなことについては全く自信がないわけです。つまり初めての経験だけども、でも自分はそこへ行くよりしょうがないっていうんで職を探しに行くみたいなところで終わりになっていくわけなんです。して、女の人のほうは大変覚悟はよろしくて、で、いざとなれば死ねばいいんだから自分は平気だって。どんなんなっても平気だって、そのくらいの覚悟はもう初めっからしてるんだからって言うわけなんです。それであんたの言うとおりに付いて行くからっていうふうに言って、大変覚悟を示して、それで自分の亭主にもそれが分かって、で、亭主は代助の父親に手紙をやって、お前の息子はこういうんでうちの細君に懸想して、そしてそのために自分たちはめちゃくちゃになっちゃったみたいなことを手紙で訴えるわけです。それで代助のほうは勘当されてしまうし、生活費も断たれてしまうっていうことになっていくわけなんです。
それで代助の設定の仕方っていうのは言ってみれば今の言葉で言えば金持ちのどら息子なんですけども、金持ちのどら息子っていう観点から代助っていうのを見ていきますと、大変情けないなっていうふうになっていってしまいます。つまり初めは就職するっていうのは、要するにあれは食うために働くっていうような純粋でないみたいな、純粋の労働とはいえないみたいなことを言っているのに、そういうふうに切羽詰まってきたら働きに行くっていうことが一大決心のように出ていく。するとこれは普通の人から見れば働いてんのは食うために働いてんのが当たり前で、それでぷらぷら遊んでるほうがおかしいっていうことになるわけですけど、代助の中ではそうじゃなくて、知識っていうものはこの日本の社会の中のどっかにはめ込まれてしまったならば、もう、要するに西欧文明からも、それから日本の戦後急速に膨張した社会からも、要するに押し詰められてしまうんだっていう観点を持っていて、それで自分は働くのは嫌だって。それで働いて社会の一部分にはめ込まれるのは嫌だっていうふうに固執しているわけですけど、それが知識っていうものの運命っていうのはこういうもんだっていうふうに代助自身は考えているわけなんです。
ところが切羽詰まってくるとそうはいかなくなって、一大決心をして、それで就職を探しに行くっていうふうになっていくところで終わるわけで、いかにもどら息子のだらしないふるまい方っていうことになりそうには思えるんですけど、別な面から言いますと明治の知識人が当面していた問題っていうのを非常によく象徴的に、代助っていうのの中に象徴させているというふうにも言えるわけです。
明治の知識人っていうのは象徴させようとすれば代助のように、つまり夏目漱石のように象徴させるか、それじゃなければ二葉亭四迷のように象徴させるか。二葉亭四迷のようにっていうことはどういうことかって言いますと、下宿の娘さんが居るわけです。それで下宿の娘さんが居て、それで自分は下級官吏になっているわけですけども、その娘さんが好きなんですけれども、下宿のおばさんが娘さんを初めはともかく、後には自分よりも偉く、官吏の世界で偉くなりそうな、そういう人当たりも何も全部いいっていうようなそういう人のほうに娘さんを近付けていっちゃうっていうことで、近付けるように仕向けちゃうっていうことで、主人公は非常に阻害されてって言いますか、孤独感にさらされて片隅に押しやられていくっていうふうな主人公を描いたのが二葉亭四迷なわけです。
つまり二葉亭四迷も大変な知識人ですけども、つまり知識人っていうものをどういうふうに感じていたかっていうと、二葉亭四迷はそういうふうなのが知識人の運命だっていうふうに感じてたわけで。で、漱石はそうじゃなくて、いや知識人っていうものは知識によって達する人間っていうのは、要するに金持ちとか支配者とか社会とか、そういうところに偉くなるなんていうことは全然ナンセンスにすぎないんで、それからまたそういうところに片隅に置かれたら必ずそういうふうに追いやられてしまうんだから、俺はもうできる限りは父親のお金をせしめてもなんでもいいから俺は就職なんかしないんだって。知識人として悠々と本を読んだり教養を積んだりしてやっていくんだっていうふうに思ってんのが代助、つまり夏目漱石の小説の中の主人公の運命なわけです。
もうひとつの運命っていうのは、それは石川啄木が、これは歌の世界でも、それから詩の世界でも、それから自分自身が実生活でも体験したように、文字どおり社会の片隅に筆耕校正とか新聞社の下働きとかして金の苦労ばっかりして、友人から借金もするし、夫婦は仲良くいかないし、陰惨な顔して毎日暮らしていかなきゃいけないみたいな、そういう生活を啄木はして、それで同時にこの社会っていうのはけしからん社会だっていうふうに社会を呪うわけですけども、それが石川啄木が体現し、そして作品に書いた知識人の、明治末年ですけども、末年の知識人の運命なわけなんです。
すると知識人の運命っていうのは、今漱石、それから二葉亭、それから石川啄木と、この3人が三者三様に描いた典型があるわけですけども、この典型以外には明治末年の知識人の本格的なあり方っていうのはなかったっていうふうに言ってもいいわけで。そうでなければ自分が実業についてそこから這い上がって、それで日本の社会が膨張するのとおんなじように自分も膨張していくっていうような、そういうやり方しかなかったっていうことが言えるわけで。漱石、それから啄木、それから二葉亭、ともに典型的な知識人として、明治の知識人として膨張していく日本の資本主義とか社会とか、それから大富豪とかそういうものに反発するんですけど、その反発の仕方っていうのは三者三様っていうことになってくわけなんです。この反発の仕方のどれがいいのか、どれがよくないだろうかっていうことは、もうこれは別にどうっていうことはないので、人それぞれだっていう以外に、あるいはそれぞれの文学者がそれぞれの個性と状況に従って、環境に従って自分なりのやり方をしたんだっていうふうに言う以外にないので、それがいいとか悪いとかっていうのは少しもないんですけども、この三者三様にひとつの典型的な知識人のあり方っていうのを目指したっていうふうに思います。
この知識人から見たときに明治末年の社会っていうのは膨張していく社会って言いましょうか、膨張して大きくなっていく社会っていうふうな、それから貧富っていうのの格差もだんだん広がっていく。そしてそこでは知識人みたいに役に立たざる者よりも、実業に従ってる人たちのほうが大いに尊重されていくし、大いに膨張していくって、日本の社会と一緒に膨張していくって。そういう社会だったっていうことが言えて、三者三様の反発を示すわけで。で、この三者三様の中で、一言で言っちゃえば要するに啄木は社会的反発なんで、社会的反発を自分の宿命に対する反発と同意義に考えたのが石川啄木だと思います。して、漱石、この『それから』に象徴される漱石の反発っていうのは何かって言ったら、つまり一種の今の言葉で言えば実存的反発と言いましょうか、存在自体としての反発と言ったらいいんでしょうか。だから自分の内面的な反発も、それから外に対する反発も一緒に含んだ、自分の存在自体がこの社会に、膨張している社会に反発してるっていうような、そういう生き方の典型を示したのが、描いたのがこの『それから』の代助、『それから』以降の『門』のようなところにいくわけですけども、そういう漱石が描いた主人公たちだと思います。で、二葉亭の反発の仕方はもっとある意味で進んで社会から逃げてしまうって言いましょうか、この社会から逃げてしまうっていうに近い反発の仕方、あるいは敗れてしまうって。敗れてしまうことが反発だったんだっていう、そういう反発の仕方だと思います。だからこの反発の仕方っていうのはなかなか定まり難い運命をたどったわけで。二葉亭自体も結局大陸へ渡って行ったりいたします。日本の文学者ではとても特異な経歴を歩んだ人なんですけども、漱石は都会の真ん中にっていうか、東京の真ん中にでんと腰を据えてって言いますか、と言いたいところですがちょっと地方へ行ったこともありますけども、とにかく都会の日本に腰を据えて、そこでのやっぱり存在的な反発の仕方っていうのがどこまでいけるかっていうことをやっぱり主人公によって描きたかったんだと思います。
して、この人は、漱石の描いた主人公はいずれも三角関係に入っていって、それで例えば『それから』の後『門』っていう作品がありますけども、それでは社会からひとりでにひっそりとしたところに潜んでしまって、それで細君と一緒にひっそりと崖下で暮らしてるっていうような、そういう作品に移っていきます。で、漱石の反発の仕方っていうのはいずれも三角関係、1人の女性をめぐる三角関係っていうようなところで進められていきます。で、その三角関係自体を一種の目に見えない舞台にしたっていうのが漱石が自分の作家としての筋道を見付けて以降の漱石のあり方なわけです。で、この三角関係の見えない磁場って言いましょうか、それをひとつの舞台としたっていうことの意味は、先ほど言いましたように宿命に抗い、そして自然に抗いっていうような生き方をするっていうのと、それから宿命に従い自然に従うっていう心境になるっていうのと、そのふたつが一緒の場で現し得る場面っていうのが三角関係の場面であるっていうふうに言うことができます。
同時に漱石の持っている文明観っていうのがあるわけですけども、つまり文明観っていうのは何かって言いますと、西欧社会から背負い込んできたものが全部出してしまわなきゃいけない。で、出すっていうことは西欧社会を受け入れたっていうことも含まれているし、反発も含まれているし、それから捨ててしまったっていうことも含まれている。そういう意味合いでそれを表していくっていうような場面がちょうど西欧社会っていうのを1人の女の人っていうふうに比喩するとすれば、それに対する2人の男っていうのはやっぱり日本の社会でそれに反発する人、それに乗っかる人、それを捨てようと思う人、それを拾おうと思うもの、あるいはそれを受け入れようと思う者っていうような、こういういつでも西欧文明、あるいは西欧社会っていうのを1人の女性っていうふうに考え、比喩すれば、そういう文明史的な比喩が同時に成り立つ場がこの三角関係の場だっていうふうに言うこともできると思います。
そのために漱石は複雑に知識人をもってして、そしてそれが金持ちからの生活費で生きていると。それで別段そこで日常生活のところでは摩擦も何も起こらなかった。しかしいざ本当に主人公が宿命を選ぶのか、それとも宿命の続きである自然のいきさつを選ぶのか、それとも自然に反発する、宿命に反発する自分というのを選ぶのかっていうようなぎりぎりのところに立たされたときには、やはり富豪の父親ともやっぱりいろんな意味で、精神的にも、それから物質的にも断ち切らなければならない。そして自分が職を探しに行って、どっか社会の片隅に押し詰められて、ちょうど二葉亭の主人公とおんなじような場所にやっぱり落ちていくって言いますか、入っていく。そういう主人公を描かざるを得なくなっていくっていうようなところに漱石は行ったんだと思います。つまりそれがたぶん『それから』っていう作品が持ってる非常に大きな意味だっていうふうに言うことができます。
それで、こういうふうに見ていきますと、すでにもうここまで来たときにはたぶん漱石は留学以来、ひとつは留学以来持っていた、自分の中にあった混沌とした渦巻き、西欧文明と東洋文明が渦巻いてる、それから西欧文化と東洋文化が渦巻いてる。それから知識と、それからべらんめえ口調の、つまり江戸下町のべらんめえ口調の自分の資質がまた渦巻いてると。そういうさまざまなものがここに渦巻いてるっていう、そういう混沌とした渦巻きっていうのはどうやらこうやらこの『それから』っていうところまで来たときには収まりが付いて、方向性も定まっていったんだっていうふうに理解することができると思います。で、ここまで来たときに漱石は言ってみれば作家としての軌道をいわば見付けだして、もう後はその道をまっしぐらに進んでいけばいいっていうようなところに行ったと思います。
しかしよくよくみなさんが注意してご覧になれば分かるように『明暗』という作品がまだ中途でなんとも言うことができないのですが、それまでの漱石の作品っていうのはいつでも原罪が渦巻いている。あるいは現抑圧が渦巻いていると。それで、それから資質が渦巻いている。それから知識人としての自分が渦巻いてる。そうかと言うとそれに反発する自分が渦巻いてるっていうような、そういう渦巻きの中心はいつでも宿命と反宿命というものが、自分の宿命と反宿命っていうものがいつでも反発したり融合してみたり、部分的にそれが別々の方向へ行ってみたりっていうようなかたちで展開されているっていうようなことがとてもよく分かります。
例えばみなさんがって言いますか、今いちばん読まれている『こゝろ』っていう小説が読まれているそうですけど、『こゝろ』の先生っていうのは言ってみれば『それから』と反対に、自分が、親友が好きだった女の人を、同じ下宿に居る娘さんなんですけども、親友が好きだったっていうのを分かっているのに友達を出し抜いてその娘さんと一緒にさせてくださいっていうふうに下宿屋のおばさんに言って、それで一緒になってしまった先生が、友達を出し抜いたっていうことが原罪になって、それで明治の末年になって先生は乃木大将が明治天皇の死とともに死ぬのと一緒に、先生も自殺しちゃうっていうのが『こゝろ』っていう小説だと思いますけど、この場合には逆に友達が好きだっていうのは分かってんのにその女の人を、友達を出し抜いて一緒になるようにしてしまって。で、そのために友達が自殺してしまうわけで。して、それがずっと晩年まで重なっていって、その原罪が晩年に出てきちゃって、そして先生は自殺しちゃうっていう作品なんですけど、それは言ってみれば『それから』の裏返しでもありますけども。つまり、やはり依然として宿命っていうことと反宿命の物語だっていうふうに、それが一緒に絡まったり反発したり、別な方向へ行ったりっていうようなことをめぐる作品が漱石の作品のいわば本筋だっていうふうに言うことができます。
漱石は国民的作家だっていうことになっておりまして、それでお札のあれにもなっているわけです。それでお札にはちょっとあばたのところは消してありますけども、消してありますし、それからいろんなことが消してあります。つまり割合に健全な面の漱石、あるいは明るい漱石と言いましょうか、健全な面の漱石、偉大な漱石っていうようなものは表面に出てきて国民的作家になっていますけれども、漱石には暗い漱石がありまして、それは宿命の漱石です。宿命の漱石っていうのがあります。で、この宿命の漱石っていうのは『夢十夜』の漱石でありますし、もっと実生活上で言えば、要するに赤ん坊のとき四谷の夜店の古道具屋さんの店先にかごに入れられて店ざらしになっていたっていう、そういう漱石です。それが一種の宿命の漱石です。で、この宿命の漱石がどこまで行けたか、あるいは宿命に抗うために漱石はどれだけ刻苦踏んで努力したかって。努力して、きちがいじみたところまで行くくらい努力して努力して、それで頑張って頑張って、それでバタリというふうに倒れてしまった。その倒れ方はともかくとして、頑張り方っていうのがやはり日本国がいろんな文句言われながら明治以降やってきた頑張り方、えげつない面と、それからやっぱりこれはよく頑張ったよなっていう面と、いろいろさまざまあり、また反発も肯定もあったように、日本国の頑張り方とある意味で漱石の頑張り方っていうのは似ておりまして、それでもって漱石は未だによく読まれますし、また国民的作家だっていうことになっているんだと思います。
僕らもやっぱり明治以降、1人の作家を、あるいは1人の文学者をって言えばそれは漱石を挙げる以外にないというふうに思ってます。それから1人の思想家をって言えば柳田國男っていう人がおりますけども、その人を挙げるより仕方がないと思います。だけどこの2人は、この仕方のなさっていうのはいろんな悲劇をはらんだ仕方のなさですし、またこの2人だったらばどこへ持っていったって通用するよっていうような、そういうことでもありますし、この2人を挙げるより仕方がないなっていうふうに思っています。
で、今のお話すればもっと面白いことになってくるわけですけども。つまり先ほど、今の人は漱石と反対のことしてるじゃないかっていうふうに申し上げましたけど、反対のことをしているっていうか、していく課題っていうのも今の日本にはないことはないわけです。今の日本っていうのは別にあれじゃないですから。つまりしけた日本じゃなくて世界で2番目とか言われている日本ですから、反対の課題っていうのもあるわけなんです。
それは今の話になってきますとそういうことがあるので、また漱石に対する読み方もまた違う読み方っていうのもできるように思いますけども、今日大変これは力のある人が選んだ選び方で、『吾輩は猫』と『夢十夜』と『それから』とっていうのをみっつつなげますと、だいたいにおいて混沌時代の非常に重要な漱石っていうのはたぶんたどれるんじゃないかっていうふうに思われます。もしご縁がありましたら、どうかみなさんも一生懸命『吾輩は猫』から始まってお読みになって、もう一度読んでいただきたいっていうふうに思います。結構いろいろ考えながら読むと面白いところが出てまいりますので、きっとよろしいかと思います。これで一応お話終わらせていただきます。
司会:
どうもありがとうございました。本日の講座はこれで終わります。本日は当日券をお求めの方がかなりおられまして…。
テキスト化協力:はるさめさま