1 他界という考え方

 吉本です。今日は、「死を哲学する」って表題になっておりますけど、死を文学するって言ってもいいし、死を考えてみるっていうふうに言ってもいいと思います。どこからはじめようかっていうふうに考えてきたんですけど、今日そこに書いてありますように、他界、つまり、簡単にいえば、あの世ってことなんでしょうけど、他界っていう考え方が、どういうふうに変わっていったかってところから、はじめてみたいっていうふうに思います。
みなさんもご存じのように、よく姥捨てとか、姥捨て山とか、あるいは、姥捨て伝説とかっていうのが、日本にありまして、そうすると、その姥捨て伝説っていうのは、どういうのかっていいますと、だいたい村里の、60歳以上のおじいさんになりますと、そうすると、村のはずれとか、村のはずれの山の上とか、中腹とか、そういうところに、地名でいいますと、蓮台野、つまり、「蓮」の「台」の野原の「野」、蓮台野とか、ダンダラ野とか、いろんな地方によって、言葉のなまりがありますけど、そういうふうに地名がなっている場所っていうのは、だいたい60歳以上のおじいさん、おばあさんを、子どもたちが連れていって、それで、そこに放ってきてしまうっていう、そういう伝説があります。
この伝説は、ある意味で、伝説だけだっていう面もありますけど、ほんとうにそうだったっていう痕跡もちゃんとあります。だから、映画なんかでも、『楢山節考』みたいな映画になってあったし、外国の映画ですと、もう封切られているかもしれませんですけど、『山の焚火』なんてスイスの映画が、やっぱり同じようなのを描いています。
この60歳になったら、おじいさん、おばあさんを蓮台野とか、ダンダラ野っていうところに連れてって、置いてきてしまうっていうことになっておりますけど、そこで、おじいさん、おばあさんはどうするかっていいますと、だいたい蓮台野から、まだ、体が動くときには、そういうふうに、そこへ連れてかれた後でも、村里へ帰って来まして、そして、農業の手伝いなんかをして、体の動く間はそういうことをして、そして、お米をもらったりとか、そういうふうにして、また、蓮台野ってところに帰っていく、そういう生活をして、そして、なんか死を迎えるみたいな、そういうふうなかたちが、日本の姥捨て伝説っていうものの、いちばんありふれたかたちっていいましょうか、ふつうのかたちなんで、映画『楢山節考』みたいに、極端に、山の奥、老人たちの骸骨がたくさん放置されているようなところに、老人を背負っていって、そして、ほっぽり出して帰って来ちゃうっていう極端なのは、たぶん、ぼくは、ほんとうじゃないじゃないかと思います。
ほんとうは、そうじゃなくて、つまり、60歳以上のご老人を、なんか村里のはずれのところの場所に、一定の場所に、老人だけで住むっていうようなかたちのところに連れていって、そして、そこで老人たちは、村の手伝いをしながら、生計を立てていくっていうのが、たぶん、日本の姥捨て伝説の、ごくふつうのかたちじゃないかっていうふうに思います。
そうすると、蓮台野とか、ダンダラ野とか、つまり、老人が60歳以上になると、村のはずれのそういうところに連れていった、その場所のことを他界っていうふうにいうことができます。そこから完全に帰ってくることはないので、また、そこから村里に帰ってきて、農業の手伝いなんかすることを、死の世界、他界から、生きている世界にやってくるっていうような考え方を、ちゃんととっていたと思います。
だから、他界っていうのは、そういう村里のはずれにある60歳以上の老人たちが行く場所っていうふうな意味で、他界っていうのが考えられた。それが、姥捨て伝説のなかでの、ほんとうの部分だっていうふうに思われます。
そうすると、それは、いまはそういうことはないのですけど、いまより20年か、30年くらい前まであった、ご隠居さんっていいましょうか、ある年齢になると、家督を子どもたちにゆずって、自分は一切の家業みたいなものから手を引くっていうようななかたちの、ご隠居さんっていうのがあるわけです。
ご隠居さんっていうのも、いるのは、べつに場所を、どっか村里のはずれっていうのではなくて、町の真ん中でもいいわけですし、もちろん、農村でもいいわけですけど、自分は子どもたちに、主な仕事っていうのは、全部ゆずってしまって、自分はのんびりと、できるならば、隠居家みたいなものをつくって、そこに住んで暮らすっていうのが、それが、だいたい隠居のかたちでして、それは、姥捨てと違って、他界っていうのが、その場合でも、あの世っていいますか、他界っていうのが、その場合でもあるとしますと、それは、家の、同じ家の中に、隠居部屋があってとか、あるいは、ただ家督を子どもたちにゆずって、脇部屋にいるっていうようなところになりますか、そこが、いわば他界だっていうことになります。
それから、もうすこし、現代のかたちでいいますと、これはだいぶ変わりつつありますけど、60歳になりますと、大部分の会社で、定年退職ってことになります。60歳っていう区切りは、やはり、姥捨てとおんなじ区切りでして、60歳になったときに定年退職になって、会社はいちおうやめるかたちをとる。そのときは、やはり、一種、目にみえない、この世から他界へ移ったっていうふうに考えれば、定年退職っていうのも、ひとつの、現在もまだある他界っていうもののかたちだっていうふうに考えることができるわけです。

2 老人たちに訪れた変化

 ところで、問題なのは、そういう他界っていうのは、だんだんだんだん、なくなりつつあるんじゃないか、つまり、隠居とか、定年退職っていうのを、仮に目に見えない他界であると、目に見えてない死の国にいくんだっていうふうな考え方をとったとしても、それは、だんだん消滅しつつあるんじゃないかっていうふうに言うことができます。だんだんなくなりつつあるんじゃないか。
どうしてなくなりつつあるかっていうと、ひとつは、平均の寿命っていうのが、著しく延びている。たとえば、男はだいたい74歳でしょうか、いま平均寿命だと、女性は、76,7歳だと思います。つまり、そのくらいまで平均寿命が延びてしまっては、だいたい60歳で他界だ、あの世とおんなじなんだ、おんなじところにいくんだとか、隠居だっていっても、あと何十年も残っているわけです。つまり、何十年も生きるわけです。そうすると、60歳で定年退職だとか、あるいは、60歳で姥捨てだっていうような、そういう考え方っていうのは、もう平均寿命ってところから成り立たなくなります。
ですから、もし人間が生まれてから死ぬまでに、あるカーブを描いて、生涯を生き続けるって考えますと、カーブの描き方をまったく変えてしまわないと、いけなくなっているっていうのが、現在の状態じゃないかっていうふうに思います。つまり、現状は60歳になったら定年退職で、あとは、のんびりしていればいいんだとか、あとは、子どもの世話に任せるんだって考え方をしたら、命のカーブを間違えたことになります。だから、ぼくの理解の仕方では、現在では、命のカーブっていうのを別様に考えていかないといけない、つまり、新しいつくりかたをしないといけないみたいに思います。それくらい、昔ながらにある他界とか、姥捨て山とか、姥捨ての場所とかっていうような、そういう考え方っていうのは、だんだん消えつつあるってことが云えると思います。
それから、もうひとつ、ぼくなんかが思うには、これは、どこにいってもそうなんですけど、もちろん、街中でもそうですけど、地方いきましても、農村でも、漁村でも行きましても、ようするに、遊ぶ老人っていいますか、遊んでるっていう意味合いは、積極的に、つまり、遊戯するとか、ゲートボールやるとか、そういう意味合いの、つまり、積極的になんか遊んでいるっていいますか、遊ぶことを覚えたっていいますか、知っている老人っていうのが、めちゃくちゃに増えてきたわけです。
これは、昔、ぼくなんかでいいますと、ぼくの親父はそうでもないけど、親父の親父ぐらいの時には、時代のことを子供のときみても、それこそ、60歳も過ぎてしまって、いちおう子どもに、仕事のこととか、生活のことを任せてしまった後のご老人っていうのは、寝たり起きたりしながら、元気がいい時には起きて、ちょっと体の調子が悪い時には寝込んで、それで、家の部屋の片隅で、寝たり起きたりしながら、ぼんやりと過ごしているみたいなふうな状態だったですけど、いまは、ご老人が積極的にっていいましょうか、ゲートボールをやったり、あるいは、連れたってどっかに遊びにいったりとか、温泉に行ったりとかっていうようなかたちで、つまり、積極的に遊ぶ老人っていうのが増えてきたっていうことがあります。
それは、生活状態が向上したってことも、もちろん、入っているわけですし、もうひとつは、やっぱり、ご老人の考え方が、ずいぶん積極的になったといいますか、変わってきたってことが言えると思います。こういうことも、いってみれば、他界っていいますか、あの世っていいましょうか、生きながらあの世に隔てられるみたいな、そういう昔ながらの日本の考え方っていうのを、どんどん壊していっている、どんどん消滅させていっている原因になっているって思います。これも、とても大切な、重要なことのように思います。ただ、ぼんやりと家督をゆずったら、あるいは、生活のあれをゆずったら、ぼんやりと、あとは心衰えて、死ぬのを待つだけだっていうような考え方をとっていたご老人たちは、積極的に遊んだり、なんかすることを覚えましたし、そして、それをやるっていうようになったっていうことは、ものすごく画期的なことっていいましょうか、たいへんみごとな変わり様でして、これがやっぱり、他界っていいましょうか、あの世っていう、死の向こうにあるもの、あるいは、死っていうようなものの考え方をずいぶん変えていっている、ひとつの原因だっていうふうに思います。
それから、もうひとつ、これは、このことを数字にあらわしてみますと、数字にあらわした例がありますけど、それはどういうことかっていいますと、ご老人たちに、60歳以上のご老人たちにアンケートをとって、老後は、老後はっていうことは、つまり、生活とか、家督とかを、子どもにゆずった後は、子どもの世話になろうっていうふうに、思うか、思わないかっていう統計をとった数字があります。
それで、ここに書きましたけど、昭和25年には、年とって、自分は子どもの世話にならないようにしようと思うっていうふうに言うご老人が、16.6%っていう数字になってる。ところが、2,3年ばかり前の、昭和58年では、63.5%のご老人が、自分はできるならば、子どもの世話にならないで、老後を暮そうと思うっていうような人が、六十何パーセント、つまり、少なくとも50%、半分以上の数字になっています。これはまた、たいへんな変わり方でして、つまり、極端なことを申しますと、年とって、体が不自由になっていったり、生活の糧っていうのを、子どもに任せるようでなければならないみたいな年齢になっても、自分は、なお、子どもの世話にならないっていうような、原則を立てて、できるだけそうしたいと思うっていうご老人が、少なくとも、そういう気持ちのご老人が、半分以上の数字をもっているっていうことは、たいへんなことのように思います。たいへん重要なっていいますか、たいへんな変わり方だっていうふうに思います。
どうしてかっていいますと、そのことは、極端なことをいいますと、老いっていうものと、それから、死っていうもの、それが、だいたい半分以上のご老人が、老いとか、死っていうことを、少なくても、生活面とか、物質面っていいましょうか、そういう面では、解決してしまっているってことを意味していると思います。
つまり、老いても、死ぬまで、子どもの世話にならないで、自分のことは、自分でしていきたいっていうふうに希望する、希望してできるかどうかは別なんですけど、希望するご老人が、50%以上いるってことは、つまり、半分以上越しているってことは、だいたいにおいて、物質的な、あるいは、生活的な意味でいえば、死っていうもの、人間の死っていうものを、だいたい死の問題は、解決しちゃっているってことを意味すると思います。つまり、完全に解決してしまったっていう状態を考えれば、100%全部のご老人が、自分の老後の生活のこと、それから、老後の生活のあとにくるかもしれない死のこと、そのことは全部、子どもの世話にならないでやろうと思うっていうふうに、100%のご老人が、そういうふうに考え、そういうふうにやろうとするっていうふうに、なっていったとしたらば、死の問題は、全部、少なくとも物質的、あるいは、生活的には、解決されてしまったってことを意味すると思います。それは、極端に100%と言わなくても、50%以上のご老人が、そう思っているっていうふうになったっていうことは、たぶん、生活的、あるいは、物質的な意味でいえば、死の問題っていうのは、人間が解いてしまった、解決してしまったっていうことを意味すると思います。このことは、とても重大なことだと思います。

3 物質的に解けつつある死の問題

 だけれども、死っていうことの精神的な問題っていいましょうか、その問題は、そういうかたちでは解けないのであって、これは別様な問題として残ると思います。そのことは、別な意味でとても大切な、重要な問題なんですけど、だけれども、すくなくとも、どういう状態っていうのが、人間の理想かっていいますと、老いっていうこと、年を取るっていうことと、年といて老いるっていうことと、死っていうことを、年とってから死までの生活とか、物質的なこととか、そういうことを国家の福祉事業にゆだねるのではなくて、それから、子どもの世話になるっていうゆだね方でもなくて、自分たち自身でもって、それをやってしまいたいんだ、少なくとも、やってしまおうっていう気持ちがあるんだっていうふうにご老人たちが、半分以上のご老人たちがいうってことは、非常に重要なことなんで、そういうふうにおっしゃるご老人自身にとっては、死の問題は、ほんとうは解けちゃっていることを意味します。つまり、宗教に頼るわけでもないし、なにに頼るわけでもなくて、死の問題を、そのご老人たちが解いちゃっていることを意味すると思います。すくなくとも、物質的には解いちゃってる、あるいは、生活的には解いちゃっていることを意味すると思います。つまり、昔の宗教の言葉でいえば、悟っちゃってることを意味すると思います。すくなくとも、物質的には、悟っちゃってることを意味すると思います。
なぜならば、そのことが、人間にとっても非常に理想だからなんです。おおざっぱなことでいえば、福祉事業を国家が担当して、それで、国家がたくさんの予算を企業に割いて、そして、老人のなにくれとなく面倒を見て、国家が補助していくみたいなことは、ちっとも理想ではないのであって、それは、理想に至る前段階で、そういうことはあって、それで、福祉の予算が削られたとか、増えたとかってことが、いろんな争点になっているわけですけど、それは、いずれにせよ、増えようが、減ろうが、そんなことは、瞬間的な意味しかないので、ほんとうは、国家なんかに頼らないし、国家の福祉事業に頼るのでもなくて、また、血気盛んに子どもさんに頼るのでもなくて、自分たち自身で、老後のことと、それから、老後の生活のことと、そういうことは全部、自分たちの手でやっていきたいんだっていうことを、そういうふうに思って、実際にそういうふうに実行して、できるようになったっていうことが、半分以上のご老人がそういうふうになったとしたらば、それはいってみれば、人間の生き方のなかの、非常に重要な部分の問題が、物質的には解けてしまったっていうことを意味すると思います。
そういうことは、また逆からいいますと、死っていう問題、人間の老いっていうもの、その後にくる死っていう問題が、解けてしまったっていうことを意味すると思います。だから、そうしますと、それはもう完全に、姥捨てっていうような、昔の風習からはじまった他界といいましょうか、あの世の問題、あるいは、あの世に降りられるんだっていう問題は、完全に物質的な意味でいえば、解けてしまった、で、消滅しつつ、現在、あるんだってことを意味していると思います。
まだ、たくさんのことが解かれていませんし、また、国家の福祉予算みたいなものに頼らなければ、老人問題が解けないみたいなことになります。それから、たくさんの子どもの年代の世話にならなければ、老後を安全にやっていけないっていうような状態が、まだ、たくさんあるわけですけど、すくなくとも、気持ちの上だけでは、数年前の統計で63%の人が、世話になりたくないっていうことを、アンケートで答えているってことは、相当重要な死の問題っていうことが、だんだん解けつつあるっていうふうに、考えてもいいんじゃないかっていうふうに思います。
それが、やがて解けてしまうってことは、何年後とかっていうふうには言えないんですが、きっと、そんなに遠くないところで、そういう問題が解けてしまう、すくなくとも、ご老人自身が、それを解いてしまうってことが、できるようになるんじゃないかっていうふうに考えることができると思います。
そうしますと、そこで、大昔からある日本の村里で、伝承となり、習慣となっていた姥捨ての伝承っていうのは、全部、消滅してしまいます。姥捨ての伝承のもとになっている他界、つまり、あの世っていう考え方っていうのは、全部、消滅してしまうっていう、そういう兆候っていいましょうか、兆しがだんだん見えつつあるっていう状態にあるっていうことが云えるっていうふうに思います。

4 人間は自分の死を体験できない

 かつて宗教みたいなものが解こうとして、人間はかならず死ぬもんだっていう考え方があって、死んだ後には、宗教は、死後の世界、あの世っていいましょうか、死後の世界があって、ほんとうに肉体が死んだ後にも、魂は生きていて、そして、死後の世界に住むんだって考え方が、宗教の考え方のいちばん根本にあるわけです。
これも、大昔から、日本のそういう考え方がありまして、仏教が日本に到来する以前には、人間は死ぬと村里のはずれに、非常に高い、形のいい高い山があるとすると、その山のてっぺんに、死んだ村人の魂がそこにいって、いつでも、村里へ還ってくるんだっていうふうに、考えられていたっていうことがあります。それから、海辺に近い漁村では、海のちょうど向こう側のところに、何々島っていう島があるとして、その島に、村の人の、死んだ人の霊魂っていうのが、魂が、そこに、いつでも寄り集まっていて、それで、なにかというと、それが村里へ還ってくるんだ、それで、子どもが生まれると、生まれた子どもの中に、死んだ人の霊が、その中に、子どもの中に宿るんだっていうような、そういう考え方が、もちろん、仏教が伝わる以前から、日本の社会、村里には伝えられているわけです。
そういうふうな考え方っていうのがあって、それが仏教に変わりまして、そして、仏教はやっぱり、人間はかならず死ぬもんだって、かならず死ぬ「死」っていうものの後に、どういう世界がやってきて、どういう世界で、人間は救われるんだっていうことを解こうとして、それで、仏教なんかが、死と、それから、死後の浄土の世界みたいなものを考えたわけです。
これは、大昔からと、それから、仏教が伝わってきた以降と分けることができますけど、だんだんだんだん、そういうふうに、死の世界と、死後の世界っていうことが、非常に宗教と結び付いて伝えられたり、一般に、私たちの考え方の中に、そういう考え方が深く染み透っているっていうふうに、考えることができます。
ところが、ここに死とは何かっていうふうに書いてありますけど、ほんとうは、死っていうのをよくよく考えてみると、なかなか宗教が、人間は必ず死ぬもんだって前提と、それから、死後には、浄土、あるいは、天国みたいなところにいくんだっていうような、そういう2つの考え方が、大きくあるわけですけど、よく考えてみると、この考え方っていうのは、危なっかしいことが、たくさんあるわけです。厳密に考えていくと、細かく考えていくと、危なっかしいことが、たくさんあるわけです。
ひとつはなにかっていいますと、ぼくらのなかには、ひとつ、死についての不安とか、恐れとかっていうのが、たくさんあるわけです。若い血気盛んのときには、そういうのはないのですけど、毎日毎日が楽しくてしょうがないってことで、過ごしているわけですけど、年を取ってきてからと、それから、ほんとは子供の時と、両方なんですけど、子供の時にも、みなさんがだれでも、経験がおありだと思いますけど、4歳頃か、5歳頃か、人によって違いますけど、夜、ふと目が覚めちゃうと、真っ暗で、風の音なんか聞こえたりすると、ものすごくそのときに、死んだらどうなるんだろうかとか考えて、おっかなくて眠れないっていうような経験っていうのは、だれでも子どものときにあるんだと思います。
それとおんなじように、血気盛んなときには、死の問題の恐れがないですけど、ご老人っていうふうになってくると、いろんなことが絡んで、死の恐れとか、不安っていうのが、再現されていきます。
しかし、よくよく考えますと、だれでも、自分の死っていうのを体験することができないわけです。つまり、よくよく考えてみると、自分の死を、自分が体験する時には、恐れも何もないのであって、自分が死んでしまったら、自分が考えることもできないわけですし、死なない前は死なないわけですし、死んでないわけですから、よくよく考えてみると、たいてい死の恐れとか、不安っていうのは、どっから人間が、そういう考え方をつかまえてくるのか、それは、いつでも、他人の死からつかまえてくるわけです。つまり、友達が死んだとか、親戚の人が死んだとか、親が亡くなったとか、そういうところ、つまり、他人の死っていうものを、見ること、目撃することから、死っていうものの体験っていうのを、体験とか、恐れとか、不安とかを、自分が身につけるのであって、けっして、自分の死っていうのを、人間は、だれでも体験することができないわけです。
だから、厳密にいいますと、ほんとは、人間は死ぬものだっていう考え方っていうのは、漠然と成り立っているようにみえますけど、人間は死ぬもんだと、漠然と考えて言う言葉と、それから、わたしは死ぬもんだっていう言い方とは、ほんとうは、全然違うことだと思います。つまり、わたしは死ぬっていう言い方は、ほんとうは、なかなかできないと思います。わたしは死なないと思います。すくなくとも、わたしはわたしの死を体験することはできないと思います。だから、わたしは死ぬっていう言い方も、人間は死ぬもんだっていう言い方も、ほんとうは、よくよく考えてみると、あんまり当てにならない考え方だっていうふうにいうことができると思います。そのことはとても重要なことだと思います。

5 死への恐れはどこからやってくるのか

 それから、もうひとつあるんです。死に対する不安、恐れっていうのは、ほんとうは、もっと死っていうものを、もうすこし距離をつめて考えることができるようになりますと、その不安とか、恐れっていうのが、案外、あいまいだっていうふうになっていきます。案外、これは、当てにならない感情だっていうふうなことが、言えるようになるはずです。
それは、死に対する、ある他人の死を目撃して、それを記憶にとどめているか、自分は子どものとき、おじいさん、おばあさんの死を目撃したとか、それから、父親、母親の死に立ち会ってとか、親戚の死に立ち会ってとか、友達の死に立ち会ってっていうようなことの体験の中から、死の恐れとか、不安っていうのをつかんでいくので、これは、自分の死からつかんでいくわけでは、けっしてないですから、これは、他人の死からつかまえた、死に対する不安や恐れっていうのは、自分の死についての恐れとは、ただちにおんなじではないわけです。自分の死についての恐れとは、ほんとはつなげてはいけないわけです。ぜんぜん違うことです。
自分の死についての恐れっていうのは、ほんとは、あんまり意味のないことであって、他人の死から体験する不安とか、恐れっていうのは、人間にあるわけですけど、だれにでもありますけど、それは、自分の死についての恐れと結び付けては、ほんとはいけないことだってことは言えるわけです。まるで違うことだって言えると思います。
それから、もうひとつ、人間の死に対する恐れとか、不安っていうのは、もうひとつ出てくるところがあります。それは、子どもの時って、もっと極端なことをいいますと、乳幼児とか、人間が、母親からお乳をもらわないと、まだ生きて、生活していけない乳児の時です。つまり、1歳とか、2歳とか、1歳半とか、そういう時期の母親とのかかわり合いの中で、ほんとうは、死についての、恐れとか、不安というのは、得てきていることがわかります。つまり、人間が死に対して、不安を抱いたり、年とってから、死に対して、不安を抱いたり、恐れを抱いたりするのは、ほんとうは、先ほど言いましたように、他人の死を目撃して、その体験から来ているわけですけど、もうひとつは、やっぱり子どもの時に、もっと自分では意識していない、母親のおっぱいを飲んでいた、そういう赤ん坊の時に、母親との関係の中で、生まれてきた恐れと、不安っていうのを、死にかこつけて再現しているんだっていうふうなことがわかります。
ですから、もしも、死についての不安、恐れっていうのは、とてもたまらなく、あるとき訪れたっていうふうなことがあるとしたらば、その方はようするに、自分の子どもの時に、幼児よりもっと小さいとき、乳児のときに、つまり、母親からおっぱいをもらっていたときに、自分の母親と、自分との関係は、どうだったんだろうかなっていうふうなことを、考えてごらんになると、考えてごらんになるとっていうのは、乳児のときの、それは自分ではわからないのですけど、自分の兄弟に聞いたり、母親に聞いたりすると、だいたいわかるわけですけど、そのときのことを考えてごらんになると、死についての不安と恐れが、存外、そこのところから、赤ん坊の、乳児のときに、母親との関係でもって与えられた不安と恐れが、そこで、死っていうことをめぐって、再現しているんだっていうようなことに気づくと思います。
つまり、人間の死についての不安っていうのは、その2つのことからしかやってこないっていうようなことがわかります。そうすると、これはとてもむずかしいっていいますか、厳密なっていいますか、細かくしていきますと、どう考えても、一般的に、他人の死を目撃したり、あるいは、自分の赤ん坊の時の、母親との関係っていうものが、不安とか、恐れっていうふうになるのは、どうしてかっていいますと、これは、どの母親でも、どの父親でも、体験があることですけども、自分の子どもに対して、子どもが赤ん坊の時に、どの母親をとってきても同じです。どの父親をとってきてもおんなじですけど、子どもに対して、完全無欠に子どもを世話したり、子どもにお乳を含ませたりとかっていうことを、ほんとうに100%満足するように、そういうふうに子どもにやってやったっていうようなことが言い切れる母親とか、父親っていうのは、誰もいないわけです。つまり、かなりうまく子どもを育てたつもりでも、20%ぐらいは手を抜いたとか、20%ぐらいは生活が苦しいものだから、子どもにろくに乳を、おっぱいをちゃんとやるっていう暇がなくて、なんかあくせくあくせくいつもしながら、おっぱいをあげてたんで、ちっともゆったり子どもにおっぱいあげてたことはなかったとか、いろいろ思い出せば、だれにでも思い当たるわけです。どんな父親、母親にも思い当たるわけですけど、子どもに対して100%うまく、乳児のときに、お乳をやったり、世話をしたりしたっていうふうに言い切れる親っていうのは、誰もいないわけなんです。一般的に、70%ぐらいはうまくやったけど、30%ぐらいは、だいたい手抜いちゃったよなとか、仕方がなかったんだよとかっていうふうに、どの父親、母親でも、たいていそういうふうに思っているわけです。そういうところからの、30%の手抜いちゃったところから、たぶん、乳児、赤ん坊の不安とか、恐れっていうようなものは、生まれてきているわけです。
それは無意識に入っていて、それが、死の恐れとか、不安とかに、触発されて出てくるっていうようなことになっているわけなんです。一般的に死の恐れだけじゃないんだけど、人間の不安とか、恐れとかっていうものの根源になっているのは、乳児のときの、あるいは、もっとさかのぼれば胎児、おなかの中にいる時ですけども、そういうときの母親との関係の中でうまれてくるっていう要素が多いですから、そういうところで、人間が100%うまくやれない限り、大なり小なり、人間は、不安とか、恐れとかを、ある事柄に対して持つことをまぬがれないので、だから、死に対する不安、恐れっていうのも、たぶん、そこから、ひとつは原因にしているってことがあると思います。だから、こういうことをどんどん考えていきますと、死っていうのの不安っていうのは、どんなふうに考えていっても、どんなふうに悟りを開いていこうとしても、いつでも、また、ひるがえって付きまとうわけですけど、その付きまとい方が、どこからやってくるのかっていうようなことを、どんどんどんどん、突き詰めていきますと、死の問題っていうのは、あるところまでは、突き詰められていくことがあります。
死っていうのは、人間はかならず死ぬものであるっていうことは、一見すると真理のように見えますけど、ほんとうに厳密にいいますと、人間がかならず死ぬものであるっていうことと、それから、わたしは必ず死ぬものであるっていうこととは、まるで違うことがわかります。そうすると、なにが問題なのかっていいますと、人間が一般に、かならず死ぬものであるっていう言い方と、それから、私っていう個人はかならず死ぬものであるっていうような、死ぬもんだっていう言い方のなかには、ぜんぜん違うところがあるんです。その違うところが、誰にとってもあいまいになっているわけです。もちろん、宗教にとってもあいまいになっているわけです。だから、そのあいまいになっているところが、たぶん、死とは何かっていう問題の精神がかかわる部分が、あいまいになっている部分に、差し当たって、該当するだろうっていうことが言えます。
われわれが、先ほど言いましたように、物質的な意味で、あるいは、生活的な意味で、死の問題が解けたっていうふうになったとしても、なおかつ、精神的な意味での、死の問題は解けないっていう問題が、残るとすれば、それは何かっていいますと、一般的に人間は死ぬもんだっていう言い方と、かならず死ぬものであるっていう言い方と、それから、私はかならず死ぬっていう言い方とは、言い方との間には、全然まるで違うことだっていう、一種のすきまがありまして、そのすきまっていうところから、精神的に、死とは何かっていう問題を、いつでも、むくむくと頭をもたげてくることが言えるのではないかと思います。

6 死は肉体の生を照らしだす鏡

 この問題は、たとえば、偉い哲学者みたいな人たちが、一生懸命になって、その問題を解こうとして、どんどんどんどん、非常にわかりやすいところまで、追い詰めていっています。追い詰めていって、たとえば、いくつかの例を挙げますと、ひとつの詰め方っていうのは、なにかっていいますと、人間の死っていうものは、人間の体、肉体として考えた場合に、どういうふうに考えたらいいかっていうことを追い詰めた人が、ヨーロッパの哲学者でいます。先ほど亡くなりました哲学者ですけど、ヨーロッパの哲学者で、人間の身体とか、肉体とかについて、肉体の死っていうのは何だろうかっていうことを、相当よく突き詰めた哲学者がいます。
その哲学者は、どういうふうに考えているかっていいますと、人間の死っていうのは、たとえば、ある日、ある時、突然、ある地点から、ここからこっちが死であって、ここからこっちが死じゃないっていうふうに、一般的に言われている事柄は、ほんとうに厳密に言ったら、そうじゃないんだ、嘘なんだと、それで、人間の、仮に死っていうふうに、あるいは、死に瀕しているっていうような重体になっているところで、死っていうような問題を考えてみても、人間の体の中では、死の領域と、それから、生きている領域とは、盛んにせめぎ合っているんだって、つまり、刻々とせめぎ合っていて、刻々、死の領域と、それから、生きている部分とが、体の中でせめぎ合っているんだと、刻々と変わっているってことがあるんだと、ある地点からばっさり、ここからこっちが死なんだっていうことは、ほんとうを言うと、人間の体の中でもありえないんだっていうことを言っています。
つまり、非常に微細に、刻々に、死の細胞と、それから、生の細胞とが、刻々にせめぎ合っているんだ。それで、ほんとうに刻々に、目に見えないかたちで、生の細胞と、死の細胞は、移り変わっているっていう状態が、死の状態なんだ。
その場合に、まず最初に、死の兆候が現れるのが、粘膜の部分なんだけど、粘膜の部分からはじまって、それで、各器官の死が起こって、それから、こういう筋肉の死が起こるみたいなふうにして、死っていうのが、徐々にっていいましょうか、どこからどこまでで人間は死んじゃうんだとか、ここからこうなったら、たとえば、脳が死んだら死なんだとか、よく心臓が止まったら死なんだっていうけど、それは嘘だってこと、そんなことは、厳密でない言い方であって、ほんとうに厳密な言い方をすると、人間の体の中で、いつから死っていうかっていうと、全然わからないってことを云っています。
徐々に、徐々に、ほんとうにわからないように移り変わっていくっていう状態があって、一般的に死んだっていうふうに、この人は死んだってふうに言われている状態の中でも、なお、身体の中をあれしますと、中の所々に、島みたいに、生きている部分がちゃんとあって、それで、それはやっぱり、死の細胞みたいなものに、死んだ細胞に取り囲まれながら、なお、取り囲まれながら戦っている砦みたいに、なお生きている部分があるんだ。だから、ほんとうを言うと、肉体的なことを言っても、ここからこっちが死であって、ここからこっちが生だっていうことは、ほんとうに厳密に言うと、言えないんだっていうことを言っています。
ほんとうを言うと、そういう意味合いでは、死っていうのは、いってみれば、ないんだ、つまり、昔の人が考えたみたいに、人間は生まれて、そして、壮年になって、それから、やがて衰えてきて、老年になって、それから、病気になって、それで、死ぬっていうふうに、一般に云われているけど、そういう意味合いで、つまり、時間がこういうふうに、生まれてから、若い時が来て、それで、壮年が来て、年とって、その次に、病になって、それで、死ぬっていうふうに、時間がこういうふうに、一方向に流れるような、流れていくような意味合いでの、死っていう考え方は、間違いだっていうふうに言っています。その人は言っています。
それは、なぜかって言うと、人間の体だけをとってきたって、人間の体は、どこからどこが死だっていうふうに、全然言えない。どこまで、どうなったら死だっていうことは、言えないようにできているってことを云っています。だから、それは、刻々わからないように変わっていっている。変わっていくんだ、それが、死なんだっていうふうに、だから、時間的に言って、人間の生涯が、若い時から、年とって、それで、死が来るんだみたいなことをいう言い方での死っていうのは、ぜんぜん成り立たないって、そういう考え方は成り立たないから、変えた方がいいんだっていうふうに云っています。
その哲学者は、ようするに、こういうふうに人間の体の中で、刻々に、生の細胞と、死の細胞が、刻々に戦っていってっていいましょうか、刻々、死の細胞の領域が増えていったり、減っていったりして、だんだんだんだん変わっていくっていうような、そういう変わり方をしている、その変わり方を見ていると、どういうことがわかるかっていうと、こういうことがわかるんです。死っていうのは、何かっていうと、人間の肉体の生っていうのを照らし出す、一種の鏡なんだ。だから、いまの死の過程、死と生の細胞がせめぎ合っているっていうような場合に、死の細胞が、全部を占めているっていうふうに、全部背景を占めているっていうふうに考えて、それで、生の細胞は、ここまであって、ここは生の細胞が病んでいてっていう、この部分は病んでいてっていう考え方をして、人間の体を、肉体っていうのを照らし出してみると、一般にお医者さんが、病気だっていうふうに言ってるものの、ほんとうの性質っていうのが、よくわかるっていうふうになるんだ。
だから、死っていうのは、けっして時間的に、若い時から年とって、それで死が来るっていう意味合いで、死っていうのがあるんじゃなくて、死っていうのは、一種の背景っていうもの、人間の肉体、体っていうものの背景として死っていうのがあって、その背景に照らし出して、人間の生きている状態とか、ここは病気になっている状態だとか、ここは心臓がちょっと病んでるとか、ここは風邪ひいて、のどの粘膜が病んでるとか、そういう捉え方をすると、病気っていうものの本質っていうのが、病気っていうものの捉え方が、非常に明確に捉えられる。
だから、死っていうのは、けっして生の終わりに死が来るっていうような意味で、死っていうのはあるんじゃなくて、人間の肉体の死っていうのは、そうじゃなくて、人間の病とか、生とか、生きている状態とか、そういうものを捉える一種の鏡といいましょうか、焦点といいましょうか、その焦点から照らし出すと、病気とか、病気の部分とかがよくわかるっていうような意味合いに、死っていうのがあるのであって、けっして、人間の生涯の時間の終わりに死がやってくるみたいな、そういう意味合いで、死っていうのは、ほんとは存在しないっていうことは、体の中の死に瀕したときの状態を、よくよく厳密に詰めていきますと、医学的に詰めていきますと、そういうふうに死の細胞と、生の細胞が、ただ刻々に移っているだけであって、目に見えないように移っているっていうだけであって、けっして、こっちからこっちが死で、こっちからこっちは生だっていうふうになっていないから、そういうことからも、非常に明瞭なので、だから、死の考え方っていうのは、そういうふうに考えると、まったく変えなきゃいけないっていうことを、その哲学者は、そういうことからも主張しています。その考え方はとても重要だっていうふうに思われます。
つまり、人間を、ほんとうは非常に厳密でない言い方で、言われ方で、よく今でも論議の的になりますけど、心臓が止まった時を死というかとか、脳が止まった時を死というかみたいな論議が、盛んにおこなわれていますけど、そんなものは、いってみれば、非常に厳密でない言い方で、死をいう時の言い方でして、ほんとうに死を切実に、自分の問題だって、おれが死ぬとき、死っていうのは、どう考えたらいいんだとか、最愛の奥さんだとか、最愛の父親、あるいは、最愛の母親が死ぬときの死っていうのは、どう考えたらいいのかっていうふうなことを考える場合には、そういう大雑把な言い方、つまり、心臓が止まったら死だとか、脳が止まったら死だとか、その言い方っていうのは、まったく成り立たないし、意味はないのであって、そういうときの死の考え方っていうのは、けっして、時間の終わりにやってくるのが死っていうのではなくて、死っていうのは、なんか細胞の一種の鏡として照らし出す状態をあらわして、それを死って呼んでいるのであって、それに照らし出すと、病の箇所の細胞とか、病の箇所の器官とか、そういうのは、非常によくわかるんだっていう意味合いで、死っていうのはあるんであって、そういうふうに考えなきゃ、ほんとうは厳密じゃないんだっていうことを言っていると思います。
こういう考え方がでてきたのが、非常に最近なんです。近々20年ぐらいの間で、人間がやっとそういう考え方っていうのをつかまえられる、人間の医学と哲学が混ざり合ったところが、やっとそういうつかまえかたができるようになったんです。つまり、人間の肉体っていうものの死についても、そういうことをつかまえることは、やっとできるようになったんです。それは、ほんとに近々2,30年の間になって、やっとそういうことが、医学的な進歩とか、それから、哲学的な考え方の進歩とか、そういうことから、やっとそういう考え方ができるようになった。だから、このことは、とても重要だっていうふうに思われます。
だから、こういう考え方をして、よくよく考えていきますと、われわれが漠然と、死についての恐れとか、死についての不安とかっていうふうに考えているものは、つまり、もっともっと、よくよく緻密にっていいましょうか、細かく、ほんとうに死の現状っていいましょうか、それに合うように、ちゃんと詰めていかないといけないっていうふうに考えられます。そういうふうに詰めていきますと、漠然と死の不安とか、死の恐れとかって考えていったものの、ある部分は、それがぜんぜん意味がなかったっていうことが、だんだんわかってくると思います。
つまり、ほんとは、不安とか、恐れとか、抱くべきじゃなかったっていう問題が、そのなかに含まれているっていうことがわかります。これは、もともと不安がる必要がないんだっていうことが、どんどんどんどん、そういう哲学と医学が、発達していって、そういう状態がわかるようになってきた現在では、無駄な不安とか、恐れっていうのは、どんどん排除していくっていいましょうか、どんどん削り取っていかないといけないし、また、削り取っていけるもんだっていうふうに思います。
それでも、そういうふうにあるにもかかわらず、やっぱり、どうしても、人間には、盛りを過ぎたときに、どうしても、死についての不安とか、恐れっていうのは、残りますし、それから、ある場合には、非常にそれが大きく出てくる場合もある。その場合でも、どうしてそうなのかっていうのを、よくよく詰めていきますと、先ほど言いましたように、もうひとつ、それは乳幼児のときですね、つまり、乳飲み子時代に、なんか母親との関係で与えられた不安とか、恐れとかっていうのから来ている部分もまた、たいへん多いんだっていうことが、ものすごくよくわかると思います。つまり、これは、よくよくお考えになると、すぐわかると思いますけど、よくよく詰めてみますと、そこから来ているなっていうこともわかると思います。だから、それもすこし配慮して考えることができると思います。

7 死に至る5つの段階

 それにもかかわらず、なおかつ、死についての恐れとか、不安とか、残念さとか、そういうのは、やっぱり、残るっていうことは言えると思います。まだ、やっぱり、先ほど言いました、一種、精神的な意味での、死っていうことに対する不安になるわけですけど、なお、残る不安っていうのはあると思います。かならずあると思います。なお残る不安っていうのを、どういうふうに考えたらいいのかっていうことについて、もうすこし、それを突き詰めた考え方と、それから、実行といいますか、実践といいますか、実行は、やっぱり現在は、なされています。これもやはり、近々、10年か、15年ぐらい前から、やっとそういうことがだんだんわかってきたっていうような問題になります。
やっとわかってきた問題っていうのは何かっていうと、日本では、なかなかそういうことは、宗教観念から、社会観念から、なかなかそういうことはできないのですけど、アメリカとか、ヨーロッパでは、そういうことをやってしまうわけです。やってしまって、それで、ある結果を出しているわけですけど、それは、病院のお医者さんと、看護婦さんと、それから、なんか宗教家っていいましょうか、あるいは、哲学者みたいな人が、協力で、そういうチームを組んで、そういうことをやっているわけですけど、それは、病院で、もう死に瀕して、もう助からないっていう、そのご病人を訪ねていって、ご病人に、いまの気持ちはどうだとか、自分が死ぬっていうことについて、どういう不安を抱いているかとか、どう怖いんだとか、そういうことを全部、訪ねて回って、その結果から、ひとつ導き出した答えみたいなものができています。やられています。それも、近々、10年か、15年くらいになってからやられたことなんです。
その結果によりますと、はじめに、たとえば、あなたはがんであるっていう死の宣告をされた、お医者さんからされたと、じゃなければ、お医者さんは、がんだってことを教えてくれなかった、しかし、がんで死ぬって教えてくれなかったけれども、近親の人の態度なんか見たりすると、どうしても、そうだっていうことがわかったとか、そういう、ご病人がそういうような宣告を受けると、どういう反応を示すかっていうことについて、ひとつの型があるっていうことを導き出しています。
その型は、そこにありますけど、ひとつは、一等初めに、死の宣告っていいますか、もうあなたは助からないっていうふうに、お医者さんから仮に言われると、だいたい、そんなことはないはずだっていうふうに、まず、それを否定するっていう感じ方っていうのは、だれの心にもだいたい起こってくるんだ。まず、第一段階として、そういう否定が起こって、そんなはずはないと、人はそうかもしれないけど、おれは助かるはずだとか、おれは大丈夫なんだっていうふうな、その死の事態っていうのを認めないっていう、そういう反応が、かならず、どんな人でも起こるっていうことを、導き出しています。それが第一段階なんだって言っています。
その次に、第二段階として、起こることはどういうことかっていいますと、それは、怒りが起こってくる、それは、なぜ、よりにもよって、おれだけが死ななくちゃいけないんだ、おれはなにも悪いことをした覚えもないし、子どもに対して、悪いことした覚えもないし、人に対して悪いことをした覚えもないのに、どうして、おれだけが、死なないといけないんだ。おれと同じくらいの年の人はいっぱいいるじゃないかとかっていう具合に、自分だけが死ななくちゃいけない、なんて不当なんだ、おかしいんだ、不当なんだっていう怒りの感情っていうのが、次の段階に起こってくるっていう、そういうふうな結論を出しています。
それから、第三段階で起こってくるのは、生き延びたいっていう、そういう希望だっていうこと、それは、だいたいにおいて、神さまとか、仏さまとか、つまり、なんか目に見えないそういうものに対する、自分をもうすこし生かしてくれて、子どもがちゃんと独立するまで生かしておいてください。それで、生かしておいてくれたら、自分は、どんなことでもしますっていうようなかたちで、神さまだとか、仏さまとか、それじゃなければ、目に見えないそういうものに対して、祈るような気持ちで、もし、おれはまだやり残したことがたくさんあるんだっていう、家のこと、後のことも、いっぱい心配なことがあるんだ、だから、もうすこし、おれを生かしてくれ、自分をもし、もうすこし生かしてくれたら、かならずそれに報いるようなあれをしますっていうようなかたちで、なんか、神さま仏さまみたいなものと取引をしようみたいにして、生き延びようっていう、そういう考え方っていうのが起こってくる。それが、第三の段階だっていうふうに云っています。
第四の段階は、それを過ぎてしまうと、一種の憂鬱な状態っていうのが訪れてくる。そういう憂鬱な状態に入った人に対しては、端から気休めに、大丈夫だよ、まだ治るから、がんばるんだとか言っても、全然それは受け付けない、受け付ける側では、何もなくなっちゃってる。憂鬱に打ち沈むっていう段階が、第四段階にやってくる。
で、第五段階になると、それに対するあきらめっていいましょうか、あきらめみたいなものがやってきて、その自分が現にある状態っていうようなものを、ちゃんと受け入れるっていうような感じ方になっていくっていうふうに云っています。
そういう、死に瀕した人、あるいは、病院の重体な人に、面談を求めて、はじめは、嫌がられながら、近親の人、看護している人に嫌がられて、なぜそんな残酷こと、これからかならず死ぬなんて言われた人に、そんな残酷なことを聞くんだっていうようなかたちで、どんどんはねつけられていたけど、だんだんだんだん、それを調べるほうが、そういう死に瀕した人にとっていいんだってことが、つまり、死に瀕した人にとっては、そういうことを聞いてくれた方がいいんだっていうことが、だんだんわかってきて、それを受け入れてくれるような人になって、たくさんの人、そういう人から聞いてみると、ほとんど例外ない反応として、死の状態になった時に、そういう、いま申し上げましたような段階を例外なく踏んでいく、そういう段階を明瞭に踏まなくても、そのうちのいくつかの段階は、踏んでいくっていうようなことがわかったっていうことを云っています。
つまり、こういうことっていうのを、われわれの社会、日本の社会では、なかなか仏教とか、日本の社会風習とか、そういうようなものとか、日本人の感覚、感性とか、感じ方っていうものから、なかなか死に瀕した人、重体の人に、そういうことを聞いて回って、それをちゃんと調べて、どういうふうにあれしたらいいんだっていうことを、対処するみたいなこと、考えだすみたいなことをやるのは、日本の社会では、とてもむずかしいから、たぶん、なかなかなされないでしょうけど、ヨーロッパやアメリカでは、10年か、15年くらい前から、そういうことがなされていて、だいたいにおいて、一般的に、いま言いましたようなかたちをとるんだっていうことを、導き出しています。
これも、死についての、わからない、いままで漠然と、死に瀕した人は、かわいそうだって、同情するとか、悲惨に暮れて、悲しむとかっていうことで済まされていた、そういう死に瀕した人たちに対して、どういうふうに対応したらいいか、いちばんいいのかっていうことをわかるためには、ずいぶん助けになるようなことが、いまの段階の考え方でわかるようになったっていうことが、云えると思います。
こういうことは、一見すると、ある意味からいうと、非常に残酷なことをやるもんだねっていう感じ方にもなりますけど、逆な意味からいうと、死っていう、漠然と遠巻きにして、人間が、死っていうのは恐ろしいことだとか、人間はかならず死ぬもんだみたいなことを言って、済ましていた問題を、よくよくきちっと、こういうふうに、どんどんどんどん、はっきりさせていって、わからない部分は、どんどんどんどん、はっきりさせていっちゃうっていう、そういう非常に重要なことの、ひとつの輪になることだっていうふうにいえば云えると思います。

8 死に対する考え方は進歩する

 つまり、人間の死に対する考え方は、けっして、単調でもないですし、また、進歩しないわけでもないんです。人間の死に対する考え方も、どんどん変わっていきますし、どんどん進歩していくし、どんどんわからなかったことがわかるにつれて、漠然と恐れていたことが、恐れじゃなくなっていくっていうような、そういうことがありうるわけです。
それでも、なお残る恐れっていうのは、またそれを、追い詰めていかなきゃいけないんで、それをただ漠然となんか待っているってことじゃなくて、それをまた追い詰めていくって、追い詰めていったら何なんだっていうことを、また、追い詰めていくみたいなことをやっていかなくて、どんどんやっていくっていうようなことで、漠然と考えてきた死っていうものに対して、どんどん接近していかなくちゃいけないっていうことがあるんだと思います。また、そういうふうに変わっていくものだって思います。
また、今日みたいな、講座みたいなものが開かれるってことも、きっと、それをどっかもっとはっきりさせようじゃないかとか、漠然と、死はおっかない、年とったらいやだ、あとは死ぬだけだみたいなふうに漠然と思って、いやになっちゃってたっていうようなものに対して、そうじゃないって、そんな馬鹿なことはないのであって、死っていうのは、よくよく考えてみると、恐れる部分っていうのは、これだけしかないぜって、この恐れる部分っていうのは、ただ待っていたってしょうがないから、これに対して、いかようにも戦いを挑むっていいましょうか、戦いを挑むこともできるよ。それから、これに対して、遊びっていうこと、遊ぶことを積極的にやることで、これをやっぱり、一種の超えていくっていいましょうか、死を超えていくっていうことだって、ひとつのやりかただよとか、さまざまな方策っていうのをあみ出すためにも、どうしても、死のわからない部分とか、漠然と遠巻きに恐れていた部分っていうのを、どうもはっきりさせて、近寄っていって、はっきりさせていかなくちゃならないっていうようなことがあると思います。その一環として、いまみたいなことが、ひとつ出てくることがあります。
それから、もうひとつ、哲学者、日本のじゃなくて、ヨーロッパの哲学者ですけど、現代の哲学者ですけど、死っていうのを追い詰めた、追い詰め方っていうもの、それは、死の精神的な課題っていうことに対する追い詰め方なんですけど、だいたい、死を漠然として詰めている状態っていうのを、たとえば、例え話でいえば、自分も死刑囚であると、いつ死刑になるかはわからないけども、死刑囚だとして、ほかの人も全部死刑囚だと、死刑囚が全部待っていて、あした自分の番か、あさって自分の番かはわからないけど、自分の番が来ない間、人が死刑囚で、刑場に向かって消えてくのを、刻々ながめていて、恐れているっていうような状態が、死の状態なんだっていうふうに、一般的に考えられているけど、そうじゃないんだっていうことを、ヨーロッパの哲学者、これも数年前に亡くなった哲学者、哲学者が云っています。
その哲学者は、そうじゃないと、死っていうのは、人間の死っていうのはそうじゃないんだと、人間の死っていうのは、死刑囚が、自分が死ぬっていうのは覚悟していた、で、覚悟の腹を決めるにはどうしたらいいか、さかんに、宗教を信じたら、あの世っていうのを信じたらいいか、そうじゃないんだ、こうだとか言って、覚悟が決まったっていうふうに思っている死刑囚がいたと、ところが、存外、その人が死んだのは、死刑で死んだのではなくて、たまたま牢獄の中に、スペイン風邪かなんかが流行って、そのスペイン風邪にかかって、ぽっくり死んじゃった。死刑になる前に死んじゃったっていうのと、人間の死っていうのはおんなじなんだっていう言い方をしています。
つまり、人間の死なんか、恐れたり、不安になったりしたってどうしようもない、遠巻きにして、恐れたり、不安になったりしたって、そんなものは、ぜんぜん意味がないんだ。それからまた、おれは死刑囚だから、いつでも死ぬ覚悟ができたぞっていうふうに、腹を決めたぞっていうふうに、信仰でもって決めたり、悟りを開いたりしたって、そんなことは全然意味はないんだって、そういうんじゃなくて、いくら覚悟を決めようが決めまいが、流行のスペイン風邪がやってきて、ぽっくり死んじゃったっていうふうにしか、死っていうのは、人間にはやってこないんだから、つまり、死っていうのは、偶然的な事実だから、偶然的な事実であるし、死ぬ前には、死を体験できないわけで、死んだ後にも体験できないんだと、ただ、偶然に事実として、死はやってくるんだ、だから、こんなもの先回りして考えて、恐れたり、不安がったりしたって、ぜんぜん意味がないんだと、また、死刑囚が、自分を死刑囚だと思って、ほかの死刑囚がどんどん刑場にひかれているのを、ぼんやり見ているとか、恐れながら見ているのだって、明日おれの番かと思ってみているのだって、まったく意味のないことで、そんなんじゃないと、死っていうのは、そういうものじゃないんだ、そんなのは間違いなので、それはそうじゃなくて、スペイン風邪にかかって、明日ぽっくり亡くなっちゃうっていうような、そういう、覚悟しようがしまいが亡くなっちゃうっていうような、それが人間の事実としての死なんで、そんなことは、あらかじめ考えたって意味がないんだっていうふうに、そのひとりの哲学者は云っています。
で、また、ひとりの哲学者は、そうでなくて、人間が生まれたときから、生まれて赤ん坊がオギャーっていったときから、枕の下には、ちゃんと死っていうのは流れているんだと、で、死の流れっていうのは、ずーっと流れていて、それで、生きている自分の姿、生の姿っていうのが、たまたまあるところで、枕の下を流れていた死の流れっていうのに、たまたま出くわしたときは、それが死なんです。
そうすると、逆に考えて、はじめに、人間の生き方とか、生っていうのは、死に対して生きているんだっていうふうに、はじめから、死に対して、生きているんだっていう、あらかじめ、ある死の流れに対して、自分は生きているんだっていう考え方をとれば、そうすれば、少なくとも刻々の死っていうようなものに対して、それを克服することができるのであって、そういうふうに考えていくことは、いわば、死に対して、一種の覚悟っていうものを定める生き方なんだっていうような、そういう考え方をひとりの哲学者はして、ふたりの哲学者は、それについて論争を交わしているっていうようなことがあります。

9 親鸞の死の考え方

 ぼくの考え方は、どういう考え方かっていうことを、最後に申し上げて、終わりにしたいわけですけど、ぼくの考え方は、ぼくは、日本に好きな思想家っていうのがいまして、中世の思想家ですけど、それは、親鸞っていう人が好きなんです。ぼくは、宗教家っていうよりも、思想家っていうふうにみて、好きなんですけど、親鸞の死の考え方っていうのは、ぼくは、とても好きなところなんです。
その考え方に、たいへん大きな影響を受けているわけですけど、先ほどから申し上げておりますように、その時々の時代時代、現代なら現代における死についての考え方っていうのは、その時々によって、固有な死の考え方っていうのがあります。で、現在には、現在の死の考え方っていうのがあります。
つまり、先ほどから申し上げましたとおり、漠然と恐れた死の部分で、恐れる必要はないんだと、ここのところは、わかってるんだ、死についてわかっちゃってることなんだ。それから、これについても、わかっちゃってるんだと、なおかつ、わからない部分で、やっぱり、不安や恐れの材料になる死っていうのは、なお依然としてあると、しかし、現在の段階では、漠然として、死は恐ろしいものだとか、人間はかならず死ぬものだみたいな、言い方で言われている死っていうのは、少なくてもなくなっちゃって、それは、相当よく解かれてしまう、解決されちゃっていると、そうすると、それでも残っている死っていうのは、現在にふさわしいかたちで、やっぱり現在の死のかたちっていうのはあるんだっていうことがあるんですけど、その死のかたちっていうのは、何なんだっていうのを見つけなくちゃいけないんだっていうことがあると思います。
つまり、親鸞っていう人の云い方ですと、親鸞はこういうことを云っているわけです。人間が死んじゃった後に、死後の世界に浄土があるんだっていうことは、ほんとは嘘だ、ほんとは成り立たないんで、大雑把な言い方であって、ほんとは成り立たないんだっていうことを、親鸞は云っています。
ほんとうの死っていうのは、何かっていったら、肉体の死と、生きている現在の状態との、ちょうど中間のところに、間のところに、ひとつの場所があると、その場所は、どういう場所かっていいますと、その場所にいれば、いつでも、死後の、宗教でいえば、浄土の世界とか、天国の世界ですけど、いつでも浄土の世界に直通している場所なんだと、その場所っていうのが、どこかに肉体の死と、肉体の生との間に、どこかにあるんだと、その死っていうのは、その時々、その時代時代によって、もちろん、ちゃんと決まっているんだけど、それは、何かっていうこともないんだっていうことを見つけるっていうことが、ひとつの課題なんだ。
親鸞にしてみれば、それは信仰の課題なんでしょうけども、ぼくなんかに言わせれば、ぼくは信仰がないですから、ぼくなんかに言わせれば、それを見つけなくちゃいけないっていう、現代において、死っていうのは、こういうので、こういうかたちをして、こういう構造をしているんだと、こういうつくり方になって、できかたになっていることを、つかまえなくちゃいけない。
それがつかまえられて、そこから、現在、生きている状態っていうのを照らし出すことができたら、たぶん、非常に重要なことがわかるので、現代の照らし出し方っていうのは、ぼくらはどうやっているかっていうと、昨日やったことの経験を踏まえた上で、現在の自分の状態っていうのを照らし出しているわけです。つまり、過去の蓄積っていうようなものによって、現在の自分の生きている状態っていうのを照らし出して、また明日こうなるに違いないっていうようなことを、予想をつけて、生きているわけです。遠い予想はつけられないんですけど、そうやって生きているわけです。
それは、言い換えれば、過去の経験っていうようなものを、現在もってきて、それでもって、未来、それから、明日起こることは、こうなるに違いないから、こうしようとかってことを、考えるようにしているわけです。
ところで、親鸞がいう考え方は、そうでなくて、死の構造っていうのを、現在において、どういうのが死の構造なんだっていうことを、一生懸命わかるようにつかまえるんだと、親鸞の場合には、それは信仰によってつかまえられると、こういうふうに云ってますけど、ぼくらは、そう考えないので、それはよくよく、わからないものはわからないもの、わかるものはわかるものって、こう分けて、振り分けていって、どんどんどんどん突き詰めていくと、現在でもわからないんだけど、ああこういうかたちかって、ここまではわかったぞって、それから、ここはわからないぞっていうかたちで、現在にふさわしい死のかたちっていうのは、突き詰めることができるっていうふうに考えます。
それを突き詰められたときには、そこから逆に現在の生き方を照らし出しますと、明日どう生きるか、明日どういうふうになるかっていう問題について、過去の経験からじゃなくて、未来の経験からって言ったらおかしいですけど、未来の経験みたいのから、照らし出して、現在生きている生の姿っていいますか、生きている姿っていうのを、照らし出すことができるはずだっていうふうに考えます。
それを照らし出すことができる死のかたちっていうのを見つけていく、また、それを詰めていって、追い詰めていって、わかる部分と、わからない部分っていうのを、どんどんどんどん追い詰めていって、それをはっきりさせていくっていうことが、重要であって、それがいけたときに、人間はたぶん、逆に未来から、未来の経験から照らし出されて、明日のことがわかるとか、現在のことがわかると、もしかすると、過去のことも、ああ思ってたけど、ほんとはこうだったんだなっていうことが、わかるっていうようなことが、考えられると思います。そのことはとても重要な気がします。
つまり、それを見つけ出すことが、ぼくなんかに言わせれば、たとえば、死っていう課題に対して、最後の問題なような気がしています。つまり、それは、けっして、ぼくの場合には、信仰の問題ではなくて、それを信仰によって、たとえば、ぼくの好きな親鸞っていうのは、信仰によって、それを解くことができるっていうふうに云っています。しかし、ぼくらは、そう思わないので、そこは信仰っていうのは、もつことができないから、そう思わないので、自分がわかるところはわかるところで、どんどん漠然と恐れているとか、不安になっているとか、漠然と人間は死ぬもんだみたいなことを言っているんじゃなくて、現在の科学とか、哲学とか、もちろん宗教も交えて、現在までわかっていることは、全部、総動員して、死っていうものをわからしてしまって、それでもなおかつ、わからない部分、恐れだなとか、不安だなっていうものを交えて、残る部分があります。わかってしまった部分っていうのはあります。そういうふうにして、死っていうもののでき具合っていうのをはっきりさせてしまうっていうこと、そこまでいけば、その死っていうものは、現在のぼくら自身がやっている生きている状態、生き方っていうものを、逆に未来の経験のほうから、照らし出すだろうって思われるわけです。
それを見つける課題っていうようなことが、見つけることは、とても重要なことで、それはたぶん、誰にとっても重要なこととしてあるので、それは、けっして一部の人が考えればいいっていう問題ではなくて、誰でもがそういうことは、よくよく見て、考えて、わかるところはわかるところにしてしまうっていうようなことが、とても大切なんじゃないかなっていうふうに思えます。つまり、そういうところが、とても重要なんじゃないかなっていうふうに、重要な課題なんじゃないかなっていうふうに思います。
そこを、僕自身が、けっして、解けているっていうふうには、ちっとも思っていません。解けないで、わからないでいて、しかし、それをわからせなきゃいけないなっていう課題っていうのを、いつでも、もっているっていうふうに思っています。
それから、たぶん、ぼくらができていることっていいましょうか、あるいは、いままでやってきたことで、できたことがあるとすれば、いままでお話ししましたように、死っていうのは、漠然と人間はかならず死ぬものだとか、あるいは、死は恐ろしいものだとか、これから死ぬのはどうしようかとか、そういうふうに漠然と、遠巻きにして、死を考えているっていうのではなくて、もっともっと死っていうのを、もっと身近にっていうか、目の近くまで、ちゃんと見つめて、追い詰めていきますと、存外、わかってしまった部分っていうのは、存外たくさんあって、わかってしまった部分だけは、あんまり恐れとか、不安とかはなくなってしまって、それでも残っている恐れとか、不安とかがあるみたいな、そういうことがあるんだ。しかし、それもまた突き詰めていきますと、いろいろわかってしまうところがあるっていうような、そういう、つまり、死には死の恐れとか、不安とか、あるいは、人間はかならず死ぬもんだって言えない中に、わかってしまった部分だけ、そういう命題は嘘に転化してしまっているとか、ほんとうであるにしても、たいしたほんとうではないんだとか、そういうふうなものに転化してしまった部分があるんだっていうこと、そういうこと、それで、どんどんそういうところに、だれでもが近づいていくことができるんだっていうことが、たぶん、ぼくなんかが、いままで突き詰めたところで、自分なりにわかったところのような気がしています。
だから、その部分だけは、たぶん、みなさんにお話ししたところの問題で、その部分だけは、相当、確かなんじゃないかなって思ってますし、たぶん、ぼくは、そこでは、自分は悟りを開いているみたいなことは、あんまり、考えてもいませんし、そんなふうな場所からじゃなくて、みなさんに申し上げることができたっていうことは、そこらへんくらいなものじゃないかと思っています。
つまり、現在に残る死っていうのは何なのかっていう、それで、それから現在を照らし出したら、どういうことがわかるようになるのかっていうことについては、やっぱり、わからないことが、いまだにわからないことがたくさんあって、それはやっぱり自分はこれから、いまよりも、もう少しよく、そこの問題は突き詰めて、探求していこうっていうふうに考えております。
まだ、そういう、非常に中途半端なところで、ちっとも悟ってもいないし、明晰にわかっているわけでもないわけですけども、すくなくとも、わかっている部分は、わからしちゃったほうがいいんだっていうようなことについてだけは、なんとなくみなさんにお答えできたんじゃないかってふうに思っています。ほんとにつまらない話でしたけども、これでいちおう終わらせていただきます。(会場拍手)

 

 

 

テキスト化協力:ぱんつさま