大変長らくお待たせいたしまして申し訳ございませんでした。それじゃあただいまより、第59回でございますけど、筑摩書房協賛によります紀伊国屋のセミナーを始めさせていただきます。時間も遅れましたんでくどくど申し上げるよりも、早速ながら本日の講師、吉本隆明先生をご紹介申し上げます。皆さまどうぞ拍手でお迎えくださいませ。
漱石についておしゃべりをここ1年の間してきたんですけど、今日は『坊っちゃん』と『虞美人草』と『三四郎』と、その三つをテーマにしまして、それでお話しするっていう段取りになっております。大変遅れまして申し訳ありません。不注意で(笑)。
で、『虞美人草』はやや皆さんが敬遠されてる作品かと思いますけれども、『坊っちゃん』とか『三四郎』とかはたぶん漱石の中で割合に『こころ』と一緒にたくさん読まれている作品じゃないかっていうふうに思います。で、『坊っちゃん』から始めるわけですけれども、この『坊っちゃん』っていう作品は日本の悪童物語といいましょうか、悪童日記といいましょうか、悪童物語の一つの典型であるわけです。で、この典型っていうのは今に至るまであんまり破られていない、つまり今でも通用する悪童の典型物語だっていうふうに言うことができます。例えば皆さんがきっと去年か今年か読まれてる村上龍の『長崎オランダ村』っていう作品がありますけども、それは決して『坊っちゃん』以上っていいますか、漱石の『坊っちゃん』的な感性っていいますか、感覚っていうもの以上のものは何もないっていうふうに言っていいと思います。逆にいいますと、『坊っちゃん』の悪童物語っていうのはいかに典型として象徴的なもんかっていうことを示しているっていうふうに言うこともできると思います。
で、この『坊っちゃん』の悪童性っていうのは非常に大枠でいいますと一度だけ破られたことがあります。つまり破られたのは第二次大戦が終わったとき、つまり敗戦になったときに、いわゆる戦災孤児っていいましょうか、戦災浮浪児っていうのが巷に、新宿にも居ましたでしょうし、僕らの近所でいうと上野界隈なんか、上野の地下道とか公園とかっていうのにたむろして、悪いことをして、たくさんたむろしてたわけですけども、その戦災孤児っていいましょうか、戦災悪童といいましょうか、それが唯一このタイプと、漱石が描いた『坊っちゃん』のタイプと違うタイプを現実に表したと思います。それは近代文学でいいますと第一次戦後派の非常に初期の作品が、やはりそれまで日本の文学に全くなかった言葉っていうのをみんな使いまして、表現しまして、そしてつかの間のうちに消えてしまったって、その言葉は消えて日本文学通有の言葉に返ったっていう、文学でいうとそういう歴史がありますけど、それとおんなじで悪童っていうこと自体も戦災孤児が唯一この漱石的典型っていうのを破ったっていいましょうか、と別な問題を、ものを出したわけです。で、しかしそれもやはり社会秩序が整うと一緒にやっぱり消えてしまって、そうするとやっぱり漱石の『坊っちゃん』の悪童性っていうのはやっぱり日本の近代以降の悪童性の典型だなっていうふうなかたちになって、今も通用してると思います。潜在的には違う兆候もあるでしょうけども、通用してると思います。
それを一口にいいますと、要するに慈母っていいましょうか、盲目的ではあるけれども子どもを一生懸命かわいがって育てたみたいな、そういう母親に育てられた悪童性であるわけ。だから悪いことをするんですけど、ちょっととてつもない悪いことをするわけですけど、ちっとも、つまりどこかに一種の正義感とか正直さとか、率直さとかみたいなのがあって、さっぱりしてる悪童っていう印象を与えるっていうのが非常に特徴的なわけです。で、悪いことだけを取ってきますと、この悪童性は世界通有性だっていうことになるんですけども、このなんか知らないけどどっかで悪いことばっかりするけど、どっかで一種の正義感みたいなのもあってとか、反抗心の中にも一種の正直さとか正義の味方みたいな、そういう倫理観があって、それが日本的な悪童性っていうのの特徴だと思います。
もっと本当をいうと悪童性だけっていうのを取ってきますと、人間、本当ならば悪童になる以前ですけど、幼児期ですけども、幼児期に、つまり本当はうんと、もっと小さい、つまり1歳未満のときから、母親の胎内に居るときに、母親からいってみれば潜在的には母親の持ってる豊富な性の物語っていいますか、その性の物語みたいなものを全部受け継いでいますから、つまり全部内面的には全部受け取っていますから、それが幼児期になると解放されるから、これはこれを本当に解放、そのまんまであれば誰でもものすごい悪童で、しかも相当性的な意味でも大変な悪童で、そういう意味合いで悪いことばっかりするみたいなふうになるわけです。しかし、それは例えば5歳とか6歳になって、児童期っていいますか、学童期っていいますか、そういうふうになったときに、家とそれから学校で規律を植え付けられて、その母親から受け取った奔放な性的な体験とか心理状態とか、そういうのは全部抑圧、意識下に押し込められて、まっとうな子どもらしさみたいな、あるいは学童らしさみたいなものを獲得するのが普通なんですけども、悪童っていうのはその時期になってあんまり抑圧しきれなかった、つまり乳胎児期以降に、あるいは幼児期までに受け取ったものを下のほうに、規律のもとに抑制できないで、それが出てきちゃうっていうのがこの『坊っちゃん』なんかの持ってる悪童性だと思います。
ただ、要するにこの『坊っちゃん』っていうのにもし母親を想定するとすると、大変盲目的ではあるけれども、大変愛情を持って子どもを育てて、それで子どもを一生懸命かわいがって、で、一生懸命おっぱいやってみたいな、そういうイメージがこの漱石の『坊っちゃん』の母親を想定すると、そういうイメージが浮かんできます。
そしてそういう母親が漱石に居たかっていうと、それは違います。居ませんでした。つまり、ですから『坊っちゃん』の中にお清っていう老女が出てきますけど、これがたぶん漱石が描いた盲目的な愛情を持って、ちょっと見当外れなんだけど、しかしとにかく心からの愛情っていうことで(???)だっていう、そういうイメージがつまりお清っていう老女のイメージなんですけども。それで坊っちゃんがいたずらしてもかばうわけですけども。本当の漱石の母親っていうのは、もっと割に知的な、つまり和歌の一つも詠もうみたいな、そういう当時でいえば割に知的な母親であって、漱石も、それから漱石の奥方である夏目鏡子の『漱石の思い出』を見ても、それから女性っていいましょうか、つまり、確か長女の旦那である松岡譲ですけども、その三者三様も、父親に対して漱石はあんまりあれを持たなかったけども、母親に対しては大変愛慕と尊敬を持ってたみたいなふうに、三者三様なかたちで、そういうレゲンデっていいますか、神話を作り上げていますけど、僕はそう思いません。
つまりそれよりも漱石の無意識の中に入ってる母親っていうのは、要するに自分たちの晩年っていいましょうか、年取ってからの生まれた末っ子であって、当時の世間的な考え方によれば年取ってから子どもを生むっていうのはちょっと恥ずかしくてっていうか、みっともなくてみたいな、そういう習慣があって、それですぐに漱石は里子にやられてしまいます。それで里子にやられて、一説によればそこの道具屋さんの縁日に(???)道具屋さんのむしろのところに籠の中に入れられて置かれてたって。それを見て姉さんが通りかかって、姉さんっていうのは異母姉っていいますか、つまり母親が違うんですけど、姉さんがそれを通りかかってかわいそうだって言ってうちへ連れてくるわけですけども「なんで連れてきた」っていうのでまた返されちゃうって。それで里子が終わると今度は養子にやられて、養父母で育てられるわけで。で、その養父母に育てられたときにめちゃくちゃな乱暴な時代を過ごすわけです。つまり欲求不満もあって、乱暴で。それで例えば自分の要求が通らないと地べたに寝っ転がって、その要求が通るまで寝っ転がって泣きわめいてるみたいな。すると養父母が、養父母っていうのは父親母親の元部下をしてたとか、ああいう書生をしてたっていうような、そういう人だもんで、ちやほやして、それでその要求を通してやるみたいな。それでそういう時代を漱石は過ごしてるわけです。それで養父母が夫婦喧嘩が盛んになって、つまり女性問題で夫婦喧嘩が盛んになって居られなくなって、また実家へ返される。実家へ返されるけども名前が養父母の名前であって、夏目っていう名前に返ったのはだいたい20歳前後っていいますか、そういうときになって初めて返ったくらいで。そういう体験を経ています。
それで、僕は思うには、母親は、つまり漱石自体も敬慕しているみたいに書いていますし、漱石の奥さんもやっぱり『漱石の思い出』の中でそういうふうに言ってますし、松岡譲もそう書いてますけど、僕はそう思っていません。つまり相当潜在的に愛慕すべき母親だっていうふうに思ってなかったっていうふうに思います。ですから『坊っちゃん』の中に幼時、自分はいたずらもんで、例えば学校でもって、要するに学校の同級生から、窓から首出してると「お前そこから飛び降りてみろ」「飛び降りらんねえだろ」なんて言われると「飛び降りられるさ」とかなんとか言って本当に飛び降りちゃって腰骨を打っちゃうとか、その手の、それからナイフかなんか、西洋のナイフかなんか持って見せびらかしてると「お前そんなのは光ってるだけで切れねえんだろ」とか言うと「そんな馬鹿なことあるか」っつって自分の親指の手のひらのところを切っちゃうとか。で、つまりその手の無鉄砲っていうことがたくさん『坊っちゃん』の中に描写されてるわけですけども、それは漱石自体の体験でいえばややそれより前、つまり養父母のところに養子にやられて、それでそこで育てられているときの自分の姿っていうのをそこに反映していると思います。つまりもう学童期っていいますか、学校へ行くようなそういう年齢になってからは、たぶんそういうあれはあんまりしてないので、それ以前の自分の振る舞いっていうのをそこの中に投入しているっていうふうに思います。
で、漱石が『硝子戸』の中で自分の母親、敬慕すべきっていいますか、愛慕すべき母親だったっていうことを言うためのエピソードを書いていますけど、それでそのエピソードは本当に愛慕すべき母親だったっていうふうなことの材料に使われているわけですけど、しかし僕にはそう思いません。そのエピソードはどういうエピソードかっていうと、自分が子どもの、養家からうちへ返らせられて、それでうちへ返らせられて、それで自分の父親母親のことをおじいさんおばあさんっていうふうに呼ばされてるし、そういうふうに呼んでるわけです。で、そのときに夢を見まして、それでそういう夢をたびたび見たわけですけど夢を見まして、その夢は自分がたくさんのお金を、子どもではとても背負いきれないようなお金を自分が借金していて、それを返せなくて、どうしようもなくなってるっていう、そういう夢を見るわけです。で、その夢を見てうなされて、それで目が覚めたっていいましょうか、目が覚めたか覚めないか自分でも分かんないって書いてるんですけど、つまり夢の中だったか外だったか分かんないっていうふうに書いてるんですけど、それで下に居るお母さんを呼ぶわけです。して、呼んで、今自分は要するに半分寝ぼけて、自分はたくさんのお金を人から借りて返せなくてもうどうしようもないんだよっていうふうに訴えると、そしたら母親が下からやってきて、それで「いいよいいよ」って「私が払ってやるから」っていうふうに母親が言って、それを聞いて安心してまた眠り込んだっていうような挿話を書いて、それで母親をそういういい母親の思い出だっていうふうに書いてるんですけど、僕はそれは違うでないかっていうふうに思います。つまり幼児なのに背負いきれないほどの借金を持って、それでそれが罪の意識になって、それでうなされるような夢を見てって、そのことのほうが重要なんで、それは僕はいい母親、いい父親じゃなかったことの僕は証拠だっていうふうに僕には思います。ですから漱石の理想の母親像っていうのは必ずしも書かれて、自分でも書き、それで近親が書きっていうようなかたちで通説になってるように、そういうふうには思ってなかっただろうっていうふうに、心の中を正せばそう思ってなかっただろうっていうふうに思います。
そうするとどれが理想の母親像になるかっていいますと、それはお清っていう老女が、落ちぶれた旗本の家の未亡人なんですけども、その人が居まして、それで坊っちゃんが、例えば兄貴ばっかり父親がえこひいきして面白くないっていうふうに思ってて、坊っちゃんが兄貴と将棋なんか指してて、それで待ち駒なんかして「卑怯だ」なんて言うんで、将棋の駒をばーって放ると兄貴のここに当たって、それで血が出ちゃって、そしてまた父親からどやされて、それで「お前は勘当だ」っていうふうに言われちゃうわけ。そうするとそれをお清っていう老女が「どうか勘弁してやってください」って言って、それで涙を流して父親に詫びを入れて、そうすると、それでやっと許されるみたいな挿話がこの『坊っちゃん』の中にありますけども、そのお清っていう老女がたぶん漱石が描いてた理想の母親像であるわけで。それで『坊っちゃん』の父親母親っていうのは、父親は「お前は将来ろくなもんにならぬ」っていうふうに、いつでもそういう口癖のように言ってて、母親のほうは「お前のような乱暴者は本当にこれからのことが思いやられる」っていうふうにしょっちゅう口癖のように言うっていうふうに、『坊っちゃん』の父親母親についてはそう書かれています。つまりそれはたぶん漱石の本音っていいますか、父親母親に対する本音じゃないかっていうふうに思います。それで描いたのがお清っていう老女だと思います。
で、お清は盲目的で見当はずれなことばっかりするんですけども、父親や兄貴に内緒でごちそうしてくれたり、お菓子をくれたり、内緒で小遣いをくれたりって、それで「あんたは真っ正直だからきっと偉い人になる」とかいうふうに言ってくれるわけで、それで「もしそうなったら私をそのときは雇ってください」なんていうふうにしょっちゅう言ってるっていうのがお清っていう老女のイメージなんですけど、これがたぶん漱石の理想の母親のイメージだったっていうふうに思います。
それで、『坊っちゃん』という作品に返りますけど、『坊っちゃん』っていうのは父親母親がそうやって死んだ後、それで兄貴が後を継ぐわけですけども、兄貴がうちを売っぱらって「自分は独立するからお前も勝手にこれからやっていけ」って言ってお金を分けてくれるわけです。それで坊っちゃんは兄貴なんかに別に頼ろうとは思ってないということで、その600円っていうふうに書いてありますけど、600円のお金をどう使おうかなんていうふうに考えて、それでいろんな使い方があるんだろうけど、要するにこれでもって自分は学校へ行って少し勉強して、それから何かしようっていうふうに思うわけです。それで物理学校へ行くわけです。物理学校っていうのは今の理科大学です。なんですけど、つまりそこへ行くわけです。それで僕らのころはまだ物理学校っていいましたけども、入るのは易しいんだけど出るのは難しい学校で、大変厳しく理工系の科目を仕込まれるっていいますか、叩き込まれる学校で、なかなか卒業するのが難しいっていうのが僕らの間の通例だったんですけども、その物理学校へ行くわけです(笑)。それでどうにかこうにか卒業して、卒業して少し経ったときに「お前松山の中学の数学の教師で行かないか」っていうふうに言われて、それで行く気になって、坊っちゃんは松山へ行くと。それでお清とは仕方がないから自分は、お清は「仕方がないからおいのところに厄介になっているけど、坊っちゃんが立派になって自分の家を建てられるようになったらなったら、どうかまた私を引き取って雇ってください」って言って、そこでお清とは別れて、それで松山に行くわけです。
それで松山中学で松山地方の地方性っていうのと、そのころの地方の中学校っていうのはそれこそ悪童ぞろいですから、悪童も一人一人ならいい悪童っていう、典型的な日本のいい悪童なんですけど、大勢集まるともう悪い言葉ばっかりするっていうんで、新任の教師で少しおっちょこちょいである坊っちゃんのことを盛んにいたずらをするわけです。例えば坊っちゃんがどっか街へ出て、おそば屋さんなんか入ると、どっかでそれを見てて、それで翌日学校へ行くと黒板にそば何杯とかっていうふうに落書きしてあったりっていうような、その手のいたずら。それから寝てると取ってきたバッタをかやの中いっぱいに放されてて、そのバッタが暴れまくってっていうようなことになってみたりっていうふうに散々いたずらをされて坊っちゃんのほうも憤慨するわけです。憤慨するっていうことで、それでまた喧嘩した挙句、先生方とも喧嘩した挙句、それでまたうちへ帰ってくると。帰ってきてそのまんまストレートにっていいますか、お清のところに、お清があれしてるお清のおいのところに真っすぐに行って、それで「帰ってきたよ」っつって、それで「これからうちを持つから一緒に来な」って言うと喜んで、それでそんな立派なうちでも偉い人になったわけでもなんでもないうちなんだけど、お清は満足してやって来て、それで満足して亡くなるというところがだいたい終わりのところの、『坊っちゃん』の終わりっていうことになるわけです。
そして、この『坊っちゃん』っていう作品は、今申しました通り日本の悪童っていうものの典型なわけですけど、この『坊っちゃん』という作品で何が現在のところ問題になるかっていいますと、今言いましたように一つは典型的な日本の悪童物語を書いたっていうことが一つあるわけです。けど、もう一つはやっぱり松山中学の数学の先生になっていくっていう主人公の坊っちゃんの描き方なんですけど、松山中学っていうのは実際的にいいまして漱石が松山行きっていうことをやってるわけです。それで、その体験がこの『坊っちゃん』の舞台になってるわけです。
ところで漱石はそのときに東京高等師範学校ですから、今でいうと筑波大学ってことになりましょうか。つまり少し前の教育大学っていうことになりますか。つまりそこの先生をやってると。それから早稲田大学、東京専門学校っていったんですけど、そこの先生をやっておった。つまりちょっと漱石は後に秀才として知れ渡った人だったんですけども、それだけじゃなくて、そういうふうに東京高等師範学校と、それから東京専門学校、つまり早稲田大学ですけども、そこの先生をやってて、もうそういう意味合いではちょっとあれなんですけども、それを全部辞めましてそれで松山中学へ行ったわけ。つまり地方の中等学校へ赴任したわけです。それでもちろん実際の漱石は格段の力がある、実力がある人ですから、校長よりももっと高給を取ってたといわれています。それから校長よりも高給を取ってたし、それでよくできる人だから生徒がそれこそ、生徒たちが意地悪して散々前の日に英語の辞書かなんか調べてなんか言っても全部答えちゃうし、またあるときには「お前それ辞書のほうが間違ってるから直しといたほうがいいよ」とか言うくらいによくできる人でしたし、大変尊敬されてたっていうふうにいわれています。それで、そのほうが本当だと思います。
そうすると『坊っちゃん』の中に赤シャツっていう英語の先生が出てくるんですけど、この赤シャツっていうような、やっぱり松山中学へ行ったときの漱石の分身であります。つまり知的なエリートであるところの漱石は赤シャツのほうに投影され、そして漱石が幼児期、あるいはもっと小さいとき、母親に育てられたときの自分っていう、その悪童性っていいましょうか、それが坊っちゃんっていうのに表れてっていうことで、必ずしも坊っちゃんが漱石の自画像ではないので、赤シャツもまた漱石の優れた英文学者としての姿っていうのは赤シャツの中に投影しているわけです。それで、ですから『坊っちゃん』で赤シャツは煮え切らない、それで陰険なっていいますか、影でコソコソ策略をろうする人間で出てきますけれども、たぶんそれも漱石が自分の自画像の一部分をそこに移し入れたっていうふうに考えるのが一番いいんだと思います。
それで、ただここでどうしてそれじゃあ早稲田大学の先生をし、それから東京講師の先生をしっていうように、すでにそういう人であった漱石がどうして松山中学へ赴任していったんだろうかっていうことになるわけです。で、その研究者の間にいろんな説があるわけです。で、そのいろんな説を紹介してもいいんですけど、そうしてもつまんないですから、僕は二つ問題があるように思うんです。
一つは親友っていうことなんです。つまり親友っていうのは親しい友達っていうことですけど、皆さんももちろん親友の方がおられると思いますけども、親友っていうのが漱石にとってはとても意味深いものだったっていうふうに言えます。で、特に例えば親友の中で後に札幌農大の先生になった橋本左五郎っていう人が居ます。これは一緒に学生時代にお寺に下宿して、それで共同自炊みたいなのをして、学校へ通ってたっていうそういう人です。
それからもう一つ言いますと、ややそれよりも上級になって大学予備校みたいな、だから今の東京大学教養学部みたいなところですけど、そこの学生だったころ「十人会」っていう自分たち成立学舎っていうその私立の学校なんですけど、そこで一緒に勉強した連中で作ってた、10人居るわけですけど、10人の友達と一緒に共同生活して下宿に居たことがあります。で、これがもう一つの漱石の親友像です。
それからもう一人挙げますと、この人は大学を出て留学する直前に死んだっていうふうに伝記では書いてありますけども、米山保三郎っていう親友が居るわけです。で、この親友は一種仏教に凝っていてっていいますか、禅に凝ってなかなか禅の修練をした人だったんですけども、それで腸チフスで死んじゃったって。それで漱石に対しては、要するに漱石は建築家になりたかったわけですけども「建築なんかやったってお前、日本でどんなに立派な建築今時作ったって、それはもう西欧の大建築には及ぶわけはないんだから、そんなのやめてしまえ」って。それで「文学でもやったほうがいい」と。「文学とか哲学とかやったほうがいい」っていうふうに勧めてくれて、それでそれでもって漱石は文科志望に転じたっていうふうにいわれてる人ですけど、この米山っていう人は割に夭折してしまったわけですけど、それでこれは腸チフスで死んじゃったっていうふうにいわれているわけですけど、この人がやっぱり漱石の親友っていうイメージで、私は大変漱石にとって重要な人だったっていうふうに思います。
それで漱石の親友像で、その3種類ぐらいがとても重要な人になります。それでたぶんこの三つを全部ごちゃまぜにしてっていうことになるんでしょうけど、その中で一番イメージがあれなのは米山保三郎なんですけど、これがたぶん後に『こころ』っていう小説を書くわけですけど、そして同じ下宿に居る親友のKっていうふうになってますけど、Kっていうのが、で、一人の女性、下宿の娘さんなんですけど、娘さんを二人で好きになって、それで自分は親友のKを出し抜いてその娘さんと一緒になってしまった、そういうことも含めてKっていうのは自殺してしまうっていうのが『こころ』っていう小説の眼目なんですけど、その場合の自殺してしまうっていうのは、これは腸チフスで死んだっていうのとだいぶ違いますけども、たぶんそのイメージは、このKのイメージはこの米山っていう人から取ってきたっていうふうに思います。
で、漱石のそういう親友像っていうのはとても僕は重要なような気がします。それでその何が重要かっていうと、漱石が、この後申し上げますけど、漱石には奥さんの『漱石の思い出』を読むとほとんど明治40年ごろまでひっきりなしに、漱石はいわば被害妄想と追跡妄想と恋愛妄想にかかって明け暮れてたっていうふうになっていますけども、漱石の妄想性の病気っていいますか、異常っていいますか、それはいろんな人がいろんなことをまた専門家が言いますけども、僕はそれはパラノイアだと思います。今でいうパラノイアっていうことだと思いますけど、その場合に親友って、つまり自分の親しい友とか兄弟とか、つまり自分にとって極めて親しく重要で親愛感を持ってる、そういう人がパラノイアの発作っていいましょうか、その病状が激しくなってきますと、そういうのが逆に今度は憎悪に転換します。そしてそういう人が、例えば被害妄想の場合には自分をいつでも監視したり追っかけてきたりするのはそれだっていうふうになってしまいます。それがパラノイアの病状の非常に重要な一つの特徴です。
で、漱石の場合に親友っていうのがとても重要な理由はそういうところにあると思います。つまり漱石、あると思います。それでつまり漱石が一人の女性をめぐって、例えば二人の男性で三角関係になるっていう小説が漱石の作品の主流を占めているわけですけども、本当ならばこれは西欧だったらば、一種の姦通小説といいましょうか、姦通小説になったり、もっとあっさりいえば浮気小説になったりっていうだけで、それは近代小説の一つのタイプなわけなんですけど、日本の場合、あるいは特に漱石みたいな人がそういう小説を書くと、それは姦通小説とか浮気小説にならないんです。それで三角関係の小説になるわけ。三角関係の小説とは、一人の女性をめぐって二人の親しい人間が一人の女性をめぐって葛藤するっていう、そういうのが三角関係の小説。これは不倫小説とか浮気小説とはまるで違うことなわけです。何が違うかっていうと、二人が親しいっていうこと。親愛感を持ってるって。もしかすると同性愛的に、広い意味での同性愛的に近いかたちで親愛感を持ってるっていうことが、要するに三角関係小説の非常に大きな特徴なわけなので、これがなければ単なる姦通小説で、例えばトルストイの『アンナ・カレーニナ』とかフローベールの小説とか『ボヴァリー夫人』みたいな小説とか、そういうのになるわけなんですけど、そうはならないで、漱石が書くと三角関係小説になってしまうわけです。つまり三者三様にギリギリ追い詰められて、それで『こころ』の場合だったら親友はそういうふうにして自殺し、そして自分は下宿の娘さんと一緒になって暮らすわけですけども、やがて年を経てから明治の終わりとともに『こころ』の先生もまた自殺してしまうっていうふうになって終わるわけですけど、つまりそういう三者三様に自滅していくみたいな、そういう小説に持っていきます。そしてそれは漱石の、大なり小なり主題になっていきます。これは兄弟の場合とか、親友の場合とか、要するに親しい人っていうことになります。そういう意味合いで漱石の親友の、親友体験っていうのはおかしいですけど、親友体験としての今申し上げました三つのことは重要だっていうふうに思います。
それで漱石がなぜ、大変いい、つまり世間的な地位からいえばいい大学とか学校とかの先生であるのを放擲して、それで松山中学へ行ったかって、もちろん松山中学を紹介する人は居たんですけど、なぜ中学校、それも地方の中学校へなぜ行っちゃったのかっていうことについて、僕なりのあれを申し上げますと、これは漱石のそういうパラノイアの体験と結びつくわけですけども。
二つあります。一つは伝記的な事実から言いますと、だいたい学生時代ですけど、明治20年ごろ目を悪くしまして、それで井上眼科っていう、今もお茶の水にありますけど、その井上眼科に通うわけです。そしてそのときにそこに居る、一人の娘さんが居るわけです。それは非常に漱石が好きなタイプの人で、それは細面の美人でっていうふうに書いてありますけど、細面の美人で、それで控え室で見てると、例えば老人が診察を受けにやってくると、親切に手を引いて椅子に座らせてあげたりとかっていうふうに、実にいい振る舞いをするそういう娘さんが居て、漱石はその娘さんに恋愛感情を持つわけなんです。
で、ところでその恋愛感情を持つわけですけども、その明治20年ごろそういうことが始まって、明治22年には自分は2月11日、今の成人の日(建国記念の日の間違い?)ですけども、昔でいえば紀元節っていうことになるわけですけども、紀元節の日にその娘さんに会ったっていうふうに言うわけです。で、自分はその娘さんに会ったっていうふうに近親の人に言っています。それで、それから今度は明治27年ごろ、これはもう大学へ通ってるころですけども、そのときちょっと肺結核の兆候みたいなのがあって少し学校を休んだり、それで休んで試験を受けなかったために落第して留年したっていうようなそういう体験があるわけですけど、そのときにやっぱり先ほど申し上げました十人会の中に入ると思いますけども、菅虎男っていう親友が居まして、その親友の家から学校へ通ってるわけです。で、ところでその親友の家から通ってるんだけど、あるとき置き手紙みたいなのをして、そこから黙って出て行っちゃうわけです。黙ってどっか行っちゃうわけです。それでどっか行っちゃって、それでそんなに遠いところじゃないんですけども、要するに尼さんのお寺にしばらく経ってから下宿している漱石っていうのが、そこへ下宿してそこから学校へ通い始めるわけで。で、その間何をしてたかとかどこへ行ってたかっていうことは一切分からないと言っています。つまりその間は分からないけど、とにかく現れたときには小石川なんですけど、表町って書いてありますけども、法蔵院っていう尼寺に漱石は下宿して、そこから学校へ通い始めるんです。
ところでこのときに、やはり何が悩みなのか、何が精神的な危機なのか、それは分かりませんけども、このときに初めて鎌倉の円覚寺へ行って、やっぱり菅虎男の紹介で座禅を組みに行ったりしています。これは『門』っていう小説の中に出てくる、座禅を組みに行ったことのあれが出てきますけれども、そういうこともしています。
つまり、それでもう一つ問題っていいますか、つまり漱石の奥さんが漱石が語ったこととして、あるいは分かったこととして書いてることがあるんですけども、そのときに尼寺の、つまり尼さんたちが自分のことをいつでも監視しているんだと。で、監視しているんだと。で、自分はかつて眼科の病院で出会ったその女の人と出会って、それで一緒になろうというふうにするんだけども、その女の人の母親が割合に性悪な玄人筋の女の人で「うちの娘をもらいたいんなら頭を下げてこい」とかっていろいろ言ったり、その尼さんたちに何か言付けして、それで尼さんたちがその母親のあれでもって、自分をしょっちゅう監視していて、しょっちゅう後をつけたり監視したりしてるんだと。それであまりのそれで、ほとほと嫌になっちゃってるっていうようなことを漏らしたりしています。
それからもう一つそういうことがあるんですけども、漱石の兄が居るわけですけど、兄で割合に長く生きてたのが三男なんですけども、和三郎っていう兄が居るわけですけども、その兄のところへ法蔵院から兄の居る実家へ行きまして、それで「これこれこういう娘さんから結婚の申し入れがやってこなかったか」っていうふうに兄さんに問いただしたりしてます。そうすると兄さんのほうは「いや、そんなことは全然なかったよ」っていうふうに。そしたら「いや、あんたは俺に何も言わないでそういう申し入れがあったのにそれを知らんぷりして追っ払ってしまったんだろう」と。つまりぶち壊してしまったんだろうっつって、兄さんのことを散々恨んで怒って帰っちゃった。そして兄さんのほうは心配になってその法蔵院へやってきて、それで尼さんに、つまり漱石は、要するに金之助っていうんですけど「金之助の近ごろの様子はどうだろうか」っていうふうに尼さんに聞くと「いや、ちょっとでも目線が合うと、そうすると睨みつけられちゃうんだ」って。それで「どう思ってるのか知らないけど、とにかく睨みつけられて、ちょっとそういうのがおっかなくてしょうがないんだ」っていうふうに尼さんが言うっていうふうに、兄さんのほうはそういうふうにその当時の漱石について言っています。で、漱石のほうは、俺はとにかくどんなところへ行っても近親の者と、それから知り合いの者から監視されたり、あいつは頭がおかしいんだっていうふうに思われたりしてるみたいな手紙を正岡子規やなんかにやったりしています。
で、どちらの言うことが本当なのか分かりませんけれども、分かりませんけどっていうのは例えば奥方の書いた『漱石の思い出』を読みますと、ほとんど40年ごろまでそういうおかしな振る舞いが多くてほとほと参ったっていうふうに書かれていますし、漱石の自伝的小説『道草』を読みますと、逆にこの自分のそういうことっていうのはあんまり書いてないわけです。それで奥さんは時々ヒステリーの発作を起こして、それで自殺未遂をやらかすので、それで奥さんが川に飛び込んだりしないように紐でもってっていいますか、帯でもってっていいますか、結いて、それで自分は一方の端を持って、それでそういうふうにして寝てるんだっていうようなことは『道草』を読むと書かれています。つまり両方ともあまり自分の悪いこと、悪いっていいますか、自分のあんまり印象がよくないことについては両方ともそれぞれ書かないで遠回りをしています。つまり避けていますから、いずれが真実なのかどうか分からないっていうふうに言ったらいいんじゃないかっていうふうに思います。
それからもう一つ、その時期に重なる問題でいいますと、これは今日の最後のところに『三四郎』っていう作品があるんですけど、その『三四郎』っていう作品の中で三四郎たちの寄り集まる中心になってる広田先生っていう先生が居るわけですけども、広田先生があるとき三四郎が一人で訪れたとき、その広田先生が眠ってるわけです。それで眠ってるから起こさないようにしていると、目を覚まして「今夢を見てたんだ」っていうふうに言うわけです。で、どんな夢なんだっていったら「いや、自分が生涯にたった一度会った女が夢の中に出てきたんだ」っていうふうにその三四郎に、その広田先生が語るわけです。で、「どんな女ですか」って言うと、「12,3歳のきれいな女なんだ」って言うわけです。で、「それはいつごろ会ったんだ」っていうふうに三四郎が聞くと「それはもう20年ぐらい前に会った」ってこういうふうに先生が答える。で、「よく20年前に会った女だっていうことが分かりましたね」って言ったら「それは夢だから、それは分かったんだ」っていうふうに言えば言えるんだっていうふうに言うわけです。
で、どういうところで会ったかっていうことなんですけど、それが明治22年っていう、さっきの伝記でいいますと、つまり年譜でいいますと、要するに2月11日の紀元節に初恋の女の人に会ったっていうふうに書かれているわけですけども、その三四郎に聞かれた広田先生は、やっぱり明治22年に会ったっていうふうに答えるわけで。
で、明治22年にどこでどういうふうに会ったかって。そうすると明治22年っていうのは憲法発布の日だ。そしてそのときに森有礼っていう、当時の文部大臣で西欧かぶれだとかいうことで暗殺されちゃった文部大臣が居るわけですけども、その森有礼のお葬式っていいますか、お葬式が明治22年にあったんだ。で、そのとき自分は高等学校の学生だったと。それで学生だったけど、森有礼の葬式の列を弔うっていうことで学校から連れて行かれて、それでその葬式の行列が通るところに並んで待ってた。そしたらば、その行列の中にその女の人が居たんだっていうふうに、広田先生はそういうふうに語るわけです。それで、つまりすこぶるこれはおかしいわけで。っていうのは、つまり森有礼のそういう葬式の行列の中の、馬車とか車とか、そういう中にその女の人が混じってたっていうならば、それは森有礼の姻戚関係とか近親とか、そういう人でなければならないはずですけど全然そんなことはなくて、要するに小説によればその行列の中にその女の人は居たんだっていうわけですね。それで、それまでは全然忘れてたけどそれでもってまた自分は思い出したんだっていうふうに言うわけです。
で、その後それじゃあどこかで「またその女の人に会ったことがありますか?」っていうふうに三四郎は聞くわけです。すると「いや、その後は会ったことがないんだ」っていうふうに『三四郎』っていう小説の中の広田先生はそういうふうに答えるわけです。で、三四郎が「つまり先生が今も独身でおられるのはその女の人のことが忘れられないからか?」っていうふうに三四郎が聞くわけです。すると広田先生は「いや、自分はそれほどロマンチックな人間じゃないんだ」って。「ただ要するに自分は独身で居るのは、その女の人のことが忘れられないっていうことと独身で居るっていうことをもし関連づけるとすればないことはないんだ。それはどういうふうに関連づけるかっていえば、一人の男があって、父親が早く死んだ。で、母親が一人残った。で、母親が病気にかかって死に際に自分を呼んで、それで「お前はあたしが死んだら誰それの世話になりなさい」っていうふうに言ったとすると。それでそんな初めて聞く名前なんで知りもしないで、会ったこともないと。そういう人の世話になれっつって母親が死んだとすると。それでどうしてだって聞くと母親が死に際のかすかな声で「その人がお前のお父さんだよ」っていうふうに言って、母親が死んだ。で、そういうことをもし、だけどその人に会ったこともなければ全然知らない人だと。そうだとすると、その男は結婚っていうことっていいますか、夫婦っていうことでもいいんですけど、そういうことに不信感を持って独身で居るっていうことはあり得るんじゃないかなっていうふうに自分は思うんだ」っていうふうにその広田先生は、そういう人ごとのような比喩でもってそういうことを語るわけです。三四郎に語るわけです。それで「自分の母親が死んだのはその憲法発布の翌年だった」っていうふうに広田先生は語るわけです。
で、この『三四郎』の中の広田先生の夢物語っていうのは、僕は前に、これは『夢十夜』っていう作品が初期にありますけど、これは夢の、漱石の『夢十一夜』っていいましょうか、11番目の夢だっていうふうに言ってもいいもんだと思うっていうようなことを言ったことがありますけど、この『三四郎』の中にある広田先生のこういう夢の挿話の中に、漱石自身の自分の母親との関係とか、なぜお清さんっていう人が理想的な母親像なのかということとか、あるいはやっぱり『硝子戸』の中に出てきますけれども、あるとき寝ていて夢うつつで居ると、自分のところに雇っている女中さんですけども、女中さんがあるとき自分の耳元で「あなたがおじいさん、おばあさんって言ってる人は本当はあなたのお父さん、お母さんですよ」っていうふうにささやいてくれたっていうことが『硝子戸』の中に出てきますけども、つまりそういうときのささやいてくれた人の問題とか、それからまた『坊っちゃん』に出てくる父親、母親の問題とかっていうようなことがこの挿話の中にやっぱり現れていると思います。
これらを総合しまして、僕はやっぱりこのときに漱石は一種の恋愛妄想といいましょうか、恋愛妄想っていうものをきっかけにして、一種のそういう妄想状態といいましょうか、思い込み状態にあったっていうふうに言うことができるのではないかっていうふうに思います。この思い込み状態っていうのを自分でもってなんとかして抜けようっていうモチーフがあって、それでこの抜け出るにはどうしたらいいのかっていうふうに考えて、いっそのこと今までの職業、就職関係とか学校の関係とか、友達の関係とか、あるいは近親の関係とか、全部断ち切っちゃってどっか行っちゃおうというのが、この妄想状態っていいましょうか、思い込みの状態から離脱する唯一の道なんだっていうふうに、漱石はそういうふうに考えたんじゃないかなっていうふうに思います。そのときにたまたま松山中学にこういう教師が必要なんだっていうような話がたまたまあったので、漱石は今までのよりよい職業っていうのはあったんですけど、それを投げ打って、それで松山中学に行っちゃったんじゃないかっていうふうに思えるわけです。
つまり僕なんかは、この一連の漱石の恋愛妄想っていうようなものから始まった妄想状態っていうことは、あるいは追跡妄想とか被害妄想っていいましょうか、尼さんからも監視されてるとか、あるいは誰かからいつでも見られてるんだって。それで近親とか友人から「あいつ頭がおかしく今なってるんだ」っていうふうに思われてるとかっていう、そういう一切のそういう被害的な妄想状態から逃げようっていうふうに、断ち切っちゃおうっていうふうに考えたっていうのが松山行きの動機なんじゃないかっていうふうに、僕はそういう理解の仕方を取るのがいいと思っています。
で、この松山行きっていうことがなければ、もちろん『坊っちゃん』っていう作品は生まれてこなかったわけですけども、それだけじゃなくて、これによって漱石がずいぶん癒されるっていいましょうか、癒やされるところがあったんじゃないかっていうふうに思います。そして妄想状態、つまり追跡妄想とか恋愛妄想とか、いろいろそれぞれの種類によっていろいろ、場面場面によっていろんな言い方っていうのがあるわけですけども、要するに根底的に言えば、要するにあれだと思います。つまり母親の問題だっていうふうに僕には思えます。つまり母親が妄想の場合に追っかけてくる、初恋の人に代わったりしますし、また母親が逆に追っかけて自分を絶えず監視している尼さんになったりしますし、つまりかつて一番愛した人が一番憎悪の対象になってくるっていうのがこの種の妄想っていうものの非常に大きな特徴なわけですけども、漱石には、僕はそれをどう名付けようと、それを病気じゃないと言おうとそれはいいのですけど、僕は漱石の妄想状態っていいますか、妄想の体系といいましょうか、そういうものがありまして、それが一番集約的に現れた時期がこの松山中学へ出かけていった時期じゃないかっていうふうに僕には思われます。これが松山行きの動機だったっていうふうに僕には思われるわけです。
そうするともちろん漱石の『坊っちゃん』っていうのは最初に申し上げました通り、そういう妄想的な主人公なんていうのはおくびだに出てこないわけです。つまりすこぶる気風がよくて、悪童ですけどもさっぱりしててっていう、そういう主人公なんですけども、この主人公を描く裏っ側のところっていいましょうか、裏のところにはかなり惨憺とした漱石の精神状態っていいますか、精神の危ない時期っていうのがひそんでいるんだっていうふうに考えたほうがよろしいと思います。
つまり一般にユーモア小説とか風刺小説とかっていうのはたくさん書かれていて、たくさんあるんですけども、ユーモア小説とか風刺小説とかっていうのの一番根底に必要なのは何かって言ったら、やっぱり一種の悲劇性っていうことが必要だと僕は思うんです。つまり悲劇性のないユーモアっていうのはやっぱりその場限りっていいましょうか、その場限りの、つまり言葉だけでどうにでもなっちゃうようなユーモアっていうものだったらそれでよろしいわけですけども、多少でもユーモアっていうこと自体に一種の永続性とか、人にも通じるとかっていう普遍性とか、そういうものがあるとすれば、それはかなり難しい精神状態っていうものが根底にあることが重要なような気がします。で、これがあるっていうことが漱石の例えば『坊っちゃん』を日本の近代小説の中で悪童の典型だっていうふうにさせていて、今も読むと大変面白おかしい小説で笑えるわけですけども、そういう明治時代に書かれた小説が今でもなんとなく悪童小説として通用しちゃうっていう、それだけの永続性っていうのは別にその場限りの言葉のあやみたいなことではたぶん駄目なわけで、その永続性がたぶん漱石の奥のほうにそのとき隠されていた一種の悲劇性っていいますか、生涯の悲劇性なわけで、これはちょっと大会社の重役として勤めてた人が突然辞めて中小企業の平社員になったっていうのとおんなじぐらい、言ってみれば大変なことなわけですけど、なぜそんなことをしたんだろうかっていうふうに考えると、やっぱりそこの問題で、相当漱石が持ってた精神状態っていうのはそんなことには変えられないっていいましょうか、そんなことをなんとかグズグズ言ってられないっていうような、そういう状態にあったくらい、やっぱり大変な生涯の危機の一つだったっていうふうに理解することができるんじゃないかと思います。この種の理解があったほうが『坊っちゃん』っていう小説を読む場合に分かりやすいんじゃないかっていうふうに思います。
この漱石の、この『坊っちゃん』で描きました、僕は理想の母親像だっていうふうに申し上げましたお清っていう老女ですけども、この母親像はもう少し若くしますと次の作品である『虞美人草』っていう作品の宗近くんっていう人物の妹として出てくる、糸子っていうのがやっぱりこのお清を若くしたようなもんで、あるいはもっと言えば漱石の理想の若い女性像だっていうことになるんじゃないかっていうふうに思います。
おいおいそこのところへ次の『虞美人草』で入っていきたいっていうふうに思うわけですけども、『虞美人草』っていう作品は皆さんはあんまり読んでおられないかもしれないんです。その理由は非常にはっきりしているので、なんか描かれ方っていいますか、描き方っていいますか、描き方はもう装飾過剰で、文語調と口語調も混じった美文でもって、それでもう読むのがめんどくさくてしょうがないっていうふうになっていながら、筋といいましょうか、物語としての、ストーリーとしての筋は大変、ある意味で通俗的な人物の扱い方をしてるっていうふうになっています。ですから、皆さんはたぶんこれは敬遠する以外にないんじゃないかっていうふうに思って、あまり読まれていないっていうふうに思います。で、そこのところをちょっと申し上げて、少しだけ『虞美人草』の中に読みやすくなるようなふうに入っていってみたいっていうふうに思います。
で、そういう『虞美人草』っていうのの根本性格の一つなんですけども、一つは今言いました、実に難解な美文調の説明っていうのが加えられているわけです。それでその美文調の説明っていうのを二つに分けますと、一つはもう文字通り、字句の難しさです。それからもう一つはやっぱり説明っていうのが、言ってみれば、おしゃべりでいえば、あるいは芝居でいえば一種のナレーションなんですけども、つまり登場人物がいろいろ会話を交わしたり筋が運んだりっていうのに対して、ナレーションがそれを舞台裏で説明するって、ナレーションが流れてくるっていうようなことが、そういう芝居を思い浮かべてくれれば一番いいわけですけども、つまり一種のナレーション、あるいは地の文なんですけども、その地の文が大変、普通のナレーションにならないで、つまり凝ったナレーションになってるんです。その凝り方は非常に単純に言ってしまいますと、一つは風景描写っていうことになります。この風景描写は大変美文調の風景描写っていうようなことになります。もう一つはやっぱり、例えば登場人物の会話があると、その会話に対していちいち作者が顔を出して、それで注釈を加えるわけですけど、その注釈の加え方がいかにも講釈しいっていうか、講談しいっていうか、落語家がなんか講釈を加えるみたいな、割合に俗っぽいっていいますか、通俗的な講釈の加え方をしています。ですからその二つが大変やりにくいなっていうか、作品を読みにくいなっていうふうにさせている大きな特徴じゃないかと思いますし、またその二つがこの『虞美人草』っていう作品の大変大きな特徴だっていうふうにいえばいえると思います。
で、この字句の難解さっていうことから説明いたしますと、つまり読めないわけですよ。僕らの教養では読むことができないんです。つまりなんて読んでいって、どういう意味なんだっていうのがだいたい分かんないんですよ。つまり分かんなくっても、つまりナレーションですから、ナレーションの端々ですから、それが分かんなくったって大筋では作品を読むに不自由はしないわけです。ですけれども、分かんないっていうよりも困ってしまうわけです。つまりちょうど古典の作品を読んで分かんないなっていうのとおんなじで、この分かんないって作品を読むのは実に嫌なもんだなっていうことになるわけです。僕らはそんなに教養がないですから分かんないっていうこともあるんですけど、分かんないのをいくつか、分かんない字句っていうのをいくつか挙げてみますと、だいたいこうです。さんずいに戸板のこのあれがあって、その中に子どもの子っていう字が三つあるっていうの、これを読めっていったって分かんないんですよ。それで辞書を僕は調べたわけですよ。それで遅くなったわけでもないんですよ(笑)。そしたらこれはセン(潺)と読むわけですよ。それでその次にさんずいへんにやっぱり(???)っていう字の側ですけど、これはまた分かんないんですよ。で、なんて読むかっていったらカンって読むんです(湲)。そうすると潺湲(センカン)っていうことになります。で、潺湲っていうのはどういう意味かっていうことになるわけです。これは水が流れているありさまを形容するときにこの潺湲っていうふうに言うんだと、辞書には書いてあります。
それで『虞美人草』の本文では、これは引用なんですけど「脚下に奔る潺湲の響」っていう、足のそばに、足元に水の流れが響いていたっていうことだと思います。それでそれを、これは詩の言葉、これも辞書を引きますと、楚辞っていう中国の古典があるわけですけど、これは詩経って、詩のお経ですね、詩経っていうのを北方系の中国の古典詩っていうふうに考えて、この南方系の中国の詩っていうのを集めたのがこの楚辞だそうですけども、その楚辞の中にある言葉を漱石は引用してるわけです。つまり引用してるのはいいんですけど、とにかく全然読めないわけです。全然、『虞美人草』以外のところでこういう字にお目にかかることも、こういう単語にお目にかかることもないんです。つまりそれは漱石の漢文学の教養がいかに大変なもんだったかっていうことをもちろん表しているわけですけど、僕はそんなことよりも、それもそうなんですし、またはいかに僕らが教養がないかっていうことを表してるっていうことには違いないんですけど、僕はこういうのは、『虞美人草』っていうのは漱石の最初の新聞小説ですから、つまり新聞小説にこんな言葉を使うわけですよ。
で、それは何を表してるかっていうと、僕が一生懸命善意に解釈いたしまして申し上げますと、それは漱石の教養っていいますか、教養課程っていいますか、それがいかに孤独だったかっていうことを表してると思います。つまり一般的に同時代の文学者っていうのは、子どものときは漢文学を習って、それで文学者になろうというほどの人ですから、西洋の翻訳小説を読んだり、多少語学を勉強して、で、原文で向こうの小説を読んだりっていうようなふうなのがだいたい一般的な教養だと思うんです。すると一般的な教養っていうことに比べて、その中に漱石っていう人を置いてみますと、いかに孤独かっていうことが分かります。つまり一般的教養ですと、昔、青年時代に漢文学を習ったと。で、少し外国語も習って、そして外国の小説も多少は読んだっていう人の小説を読んでも、こういうふうなのは出てこないわけです。そうすると漱石が特別に、漱石だけに出てくるっていいくらいの字ですけど、それはなぜかっていいますと、漱石が自分の持っている教養、つまりやっぱり若いときには漢文学を大変よく習い、よくできた人ですけども、できて習い、そして漢詩を作ったりとかっていうようなことを盛んにやってたりして、そういうよくできた人です。そして英語の学校へ行って、それで大学へ行って、それで英文学をやって、それで留学して向こうへ行った。そうすると英語もよくできる。そういう教養、だからだいたい外国に行ってとか国内に居るとかっていう別があるとしても、だいたい同時代の文学者と教養の多少工程は、程度はちょっと違ってもだいたいおんなじじゃないかって。つまりおんなじようなもんじゃないかっていうことになるわけです。それなのにどうしてこういう、漱石がこういう言葉遣いをするかっていうと、自分の受けた教養に対してもちろん自負っていいましょうか、つまり自負っていうか疑問っていうか、つまり自負と疑問が同時になるわけですけども、そういうものを漱石だけが割合に手放さなかったっていうことを僕は意味すると思います。
なぜかっていうと、同じ漢文学の教養なんだけど、つまり漱石はどこまで考えるかっていうと、西洋でいう文学っていう概念と、文学とはなんぞやっていう概念と、漢文学がいう、自分が若いとき一生懸命勉強したりして習った漢文学でいう文学っていう概念とはまるで違うじゃないかっていうことがものすごく疑問になって、もう帰る1年ぐらい前になって相当大疑問になって、要するに俺は何しに行ったんだろうかっていうことになりまして、それで疑問を生じて、それでもうそれから下宿へこもりっきりになって、本だけ買い集めて、それでノートを取りって。それで何をしたかって文学とはなんなんだっていうことをはっきりさせたくて、そういう勉強っていうのを帰る1年ぐらい前になってから、もう遅いんですけどね、やるわけですよ。それでもう下宿へこもりっきりになって、周囲の人は、下宿のおばさんはもう「ちょっと夏目は頭がおかしくなった」っていうふうに言うし、それから留学してる日本の留学生の人たちは帰ると「夏目はおかしくなってる」っていうふうに「ちょっとおかしくなってる」っていうふうに帰ってから言うしっていうようなかたちなんですけど、ご本人はそのときになって初めて、ちょっと自分が持ってる漢文学、あるいは東洋文学でもいいんですけど、東洋文学でいう文学っていうものと西洋文学でいう文学っていうのはまるで違うって、このまるで違うこういうことに対して疑問を解かないであれするのは嫌だっていうふうに思って、それで一生懸命帰ってからも通用するようにそうなってから本を集めて、盛んに文学とはなんぞやっていうことを、問題をめぐって盛んにノートを取るわけです。それでそれはやっぱり文学そのものでっていうふうにしないで、考えないで、それで文学の周辺からって、文学の社会学みたいなものから、それから文学の心理学みたいなもの、そういう周辺から攻めてって、文学とは何かっていうことを、そういうことをはっきりさせたいっていうんで盛んにノートを取って、それでフラフラになって、それで帰ってくるわけです。つまりその疑問の持ち方っていうのが、おんなじ教養なんだけど国内で、若いときは漢文学習って、少し長じて西洋の語学も少し習って、西洋の小説も読んでっていうようなふうにした同時代の小説家ののほほんさっていうか、のんきさっていうか、馬鹿さ加減っていうか、そういうのに比べると漱石っていうのはめちゃくちゃに自分を突き詰めていくわけです。
それで、つまりは簡単なことでして、本質的にいえば簡単なことで、東洋の文学っていうのは要するに自然と人間との間のやり取りっていうのが主たる文学のテーマであるわけです。だけど西洋の近代文学っていえば、要するに人間と人間との葛藤の仕方とか関係とか、そういうのがやっぱり文学の大変な、根本的なテーマになります。これはまるで違います。違うわけです。漱石はまるで違うから違うもんだなって思って帰ってくればいいんですけども、これはおかしいって、本当は文学っていうのはなんなんだっていうふうに考えて、それを神経衰弱になるまで突き詰めていくもんですから、自分の持ってるこういう漢文学っていうのの素養に対しても簡単に捨てて、西洋近代文学に付いていくっていうようなふうにもできないわけですよ。それから逆にこんなものにこだわるっていうのにも、理由だけでもできない、そういうふうにもできないわけです。その、つまりなんともいえない漱石の文学者、あるいは文学研究者としての、そのなんともいえない孤独な筋道っていうのがこういう難しい字を新聞小説の中で使ったりすることになってると思います。
つまりもしかすると、もっとつまんねえ動機があって、つまり俺はこれだけできるんだぞっていうようなことで新聞小説にこんなことを書いてるのかもしれません。それはそういう要素も入ってないことはないかもしれないですけども、僕は善意に解釈しまして、漱石がいかに孤独な筋道で自分の教養課程っていいましょうか、自分の文学へののめり込みの過程っていうのをいかにそういうふうに考えていったかっていう、その孤独さっていうのがこういうのに表れてるっていうふうに考えます。それは言ってみれば善意な解釈じゃないかっていうふうに思います。
で、この次のこれも、シュクっていうのはにんべんで、これは修身の修の異体字ですけど、ここが羽なわけです。で、これはシュウと読むのかなと思ったらやっぱりそうじゃなくて、シュクっていうふうに読むんだそうです。?然っていう。?然ってなんだっていうと、慌ただしいっていう、あるいは急にとか慌ただしいっていうありさまっていうことだそうです。で、例えばこれは地の文のナレーションの文章の中にあるわけです。「薄き雲の?然と消え」っていうのは、つまり薄雲が、要するに空で急に消えちゃったって。消えて晴れ間になっちゃったっていうことを言ってるんだと思います。だけど「薄き雲の?然と消え」っていうふうな言い方をしています。これはどこかの文章を漱石が引用してきたわけじゃなくて、これはナレーションの文章でこういう字を使っています。で、冗談じゃねえよって思うんですけど、それはこっちのほうが悪いので、僕みたいなそういうやつが批評家として通用しては本当はいけないんでしょうけど(笑)、だけど漱石はもう断然すごいあれで、すごい大した教養ですね。そういうふうになって。
それからもう少しあります。「罩むる」っていう字です。これは籠の中に押し込めちゃうっていう、入れちゃうっていう意味だそうで。花を入れたり鳥を入れたりっていうそういう字だそうです。四っていう字にテーブルの卓っていう字ですけど、これは「罩むる」っていうふうに読むんだそうです。
で、もう一つ、もう二つばかりありますけど、これは大小中の大の下に文京区とか新宿区とかの区っていう字を書いて、そしてこれはレンと読むんだそうです。辞書を引くとレンとなってます。で、どういう意味かっていいますと、箱っていうような意味です。つまり当時でいえば鏡を入れとく箱とか、くしを入れとく箱とかってそういう小箱だと思いますけど、それを奩というんです。これはやっぱり漱石が引用してる詩の言葉の中に入っています。
それからもう一つ、これぐらいです。これはもう絶対的に読めなかったんです。センカイっていう単語があります。これはにんべんにひな壇とかなんとかの壇上の壇ですね。を書いて、これをセンと読ませています。それからこれは、カイはだいたい、めぐるっていいますか、回るっていう意味だっていうふうになります。そしてそれは、やっぱりこれは地の文の中にあるんです。つまりこの世に、僕が間違えてるか、漱石がそう読ませてるのかです。「この世に生まれるのは解けぬ謎を、押しつけられて、白頭に」白い頭ですね、「白頭にセンカイし、中夜に煩悶するために生まれるのである」っていうふうに書いてあります。つまりここはよく分かんないですけど、白頭っていうのは白髪頭っていうことですかね。つまり白髪頭になったまんまで居たり、夜中すぎに煩悶したり、そういうのが要するにこの世に生まれた人間の宿命みたいなもんだっていうことを言いたいんだっていうふうに思います。
で、ざっと僕が全く読めないって、これは全く読むことができないっていうふうに思った字だけでもこれだけあります。だからもうこれは抜群のっていいますか、漱石の漢文学の教養が新聞小説に表れてるっていうふうに言うほかはないのですけども、これはしかし『虞美人草』っていう作品の大変大きな特徴だと思います。もちろんいろんな気負いっていうのもあると思います。最初の新聞小説ですし、最初の、つまり大学の先生を辞めて朝日新聞社に社友として入社してっていう、で、最初の新聞小説を書いてっていうんだから、気負いとかなんとかいろんなものがあると思いますけども、それが一つの大きな、こういう分かんない字をたくさん使ってるっていうこと、それが大変大きな『虞美人草』の特徴だと思います。そしてこの特徴は、僕が今言いましたように、漱石がいかに孤独な人だったかって、つまり日本へ帰ってきても孤独な人だったかっていうことを僕は象徴してるっていうふうに思います。
それからもう一つが、これは近代小説としてはあんまりいい特徴じゃないんですけど、地の文、つまりナレーションの文章っていうのが非常にはっきり、講釈師の講釈っていうか、注釈みたいなものと、それから景物描写みたいなものとにはっきり分かれちゃってるんです。つまりこれは今の作家の小説だったら、さり気なく、地の文っていうのはさり気なくやるわけですけど、それは漱石がここではやってないんです。できてないっていうか、やってないわけです。で、景物描写っていうのと地の文っていうのと、それでしかも地のナレーションの文章っていうのも大変講釈師的なナレーションになってるわけ。ちょっとだけ景物描写のところでも、ちょっとだけ読んでみます。これは京都の景物を描写してるわけですけど、
「山に入りて春は更けたるを、山を極めたらば春はまだ残る雪に寒かろうと、見上げる峰の裾を縫うて、暗き陰に走る一条の路に、爪上りなる向うから大原女が来る。牛が来る。京の春は牛の尿の尽きざるほどに、長くかつ静かである。」
っていうのがナレーション。つまりすごく凝った文章であるとともに、漢文調で、つまり一種の対句的なっていいますか、対句的な表現で展開していくみたいな名残がどっかにあって、誠に古めかしい文章だっていうふうに言うことができます。
それから、もう一つ講釈師的な地の文章に入ると思うんですけど、ナレーションの文章をあれしてみますと、
「女の二十四は男の三十にあたる。理も知らぬ、非も知らぬ、世の中がなぜ廻転して、なぜ落ちつくかは無論知らぬ。大いなる古今の舞台の極まりなく発展するうちに、自己はいかなる地位を占めて、いかなる役割を演じつつあるかは固より知らぬ。ただ口だけは巧者である。天下を相手にする事も、国家を向うへ廻す事も、一団の群衆を眼前に、事を処する事も、女には出来ぬ。女はただ一人を相手にする芸当を心得ている。一人と一人と戦う時、勝つものは必ず女である。男は必ず負ける。具象の籠の中に飼われて、個体の粟を喙んでは嬉しげに羽搏するものは女である。籠の中の小天地で女と鳴く音を競うものは必ず斃れる。小野さんは詩人である。詩人だから、この籠の中に半分首を突き込んでいる。小野さんはみごとに鳴き損ねた。」
っていうのが地の文章(笑)。何を言おうとしているのか分かるような気もするわけですけど、大変な講釈っていいますか、注釈が付いています。つまりこれが『虞美人草』の地の文章です。
で、この地の文章がもっと極まっていきますと、もう作者がじかに登場しちゃうわけです。ちょっとそこをあれしてみましょうか。
「この作者は趣なき会話を嫌う。猜疑不和の暗き世界に、一点の精彩を着せざる毒舌は、美しき筆に、心地よき春を紙に流す詩人の風流ではない。閑花素琴の春を司どる人の歌めく天が下に住まずして、半滴の気韻だに帯びざる野卑の言語を臚列するとき、毫端に泥を含んで双手に筆を運らしがたき心地がする。」
っていうような塩梅で、作者がじかに注釈師として登場してしまいます。地の文の中にまた登場してしまうっていうようなやり方をしています。この種のやり方っていうのは、言ってみれば落語とか(???)時代の戯作とか、あるいは講釈とか、そういうようなものにはこういう言い方っていうのは登場するわけです。それでこれは、夏目漱石はそれをずいぶん意図的にも無意識的にも使っているっていうふうに思います。これが『虞美人草』の非常に大きな特徴っていうことになるわけです。
で、『虞美人草』っていうのは皆さんあんまりお読みになってないからあれかもしれないですけども、漱石、作者があんまり好きでない藤尾っていう主人公の女性が居ます。で、この藤尾っていう女性は傲慢で、どうしようもない傲慢な女性として描かれていて、それが文学を非常によく解する小野さんっていう、学校を出て、それで学位論文を書こうとしてるっていう小野さんっていう男が居て、それでそれを仲良くなっていく。で、小野さんを自分の相手であり、また将来の夫であるっていうふうに擬する(?)わけです。で、この藤尾には母親が違う甲野さんっていう男性が居るわけです。で、これも学校を出て、学校の哲学科を卒業して、あんまり何もしないでフラフラしてるっていいましょうか、ぶらぶらしてるっていう、そういうふうに描かれて、これは漱石の一連の作品、つまり『それから』にも出てきますけど、一連の主人公として出てくるタイプです。で、甲野さんっていうのの中には周辺から「あいつは神経衰弱でおかしくなってる、変人なんだ」っていうふうに周辺からいわれていた漱石の面影がやや投入されています。で、この甲野さんをよく理解している友達が宗近くんっていうんですけど、その宗近くんがとてもよく理解している親友であるわけ。それから宗近くんっていうのの妹がまた甲野さんに好意を持ってて、とてもまたよく理解してるっていう。それで今度は小野さんというのには昔貧乏なときに書生をしてた先生が居て、それで先生とその娘さんが居て、先生は京都に居て、で、娘さんも先生も、もう小野さんはやがて自分の亭主になって、それでその先生と一緒に住むみたいなことを、いわば規定の事実として居るわけです。つまりそういうふうに小さいときから書生さんとして面倒を見てきたっていう。ところが小野さんのほうは、知識が増殖して話が分かるようにあれしてくると、その藤尾っていう女性が好きになってくるわけ。それから藤尾はまた宗近くんと親が一緒にさせようって口約束みたいなのが昔あるわけですけど、宗近くんっていうのは劣等生で、きっぷがいいんですけど劣等生で、外国科の試験に落第ばっかりしているっていうようなそういうあれで、藤尾からはもう全然馬鹿にされて、一緒になる気はない。だけど宗近くんのほうは藤尾がやっぱり好きで、それで一緒になれるっていうふうに思ってるっていうような、そういうシチュエーションなわけです。
で、このシチュエーションが漱石の一種の小説の一つの方法としていってもいいんですけど、どういう方法かっていうと、初めは遠回しに、例えば『虞美人草』でいえば甲野さんと宗近くんっていうのが京都へ遊びに旅行に行って、それで宿屋に泊まると、そこの同じ宿のところに先生と娘さんが同じところへ泊まってて、それで娘さんは琴を弾いたりしていて「あの琴の音はいい」とか「あれは美人だ」とかっつってやってるわけです。で、そういうふうに出会うわけです。それで今度は東京へ帰る汽車の中でもやっぱり先生、孤堂っていうんですけど、孤堂先生っていうのとその娘さん、小夜子っていうんですけど、その二人となんとなく出会うわけです。それでだんだんだんだん無意識のうちに出会ってたのが、だんだん孤堂先生と娘さんは小野さんと結婚するためにっていいますか、結婚してくれるだろうと思って小野さんを頼って上京していくっていうようなことになるって、これは小野さんのほうは藤尾っていう女性が好きになってるわけです。だから親切にはするけども結婚する気はないっていうふうになってる。
っていうふうにして、つまり初めはなんでもなく偶然のようにして出会った人たちが、だんだんだんだん狭まって、なんか一つの物語のつながりができるところまで近寄っていくっていう、この小説の構成の仕方っていいますか、作り方っていうのは漱石の一つの特徴であります。
で、この特徴はもちろん『三四郎』っていうのは皆さんがお読みになってると思いますけど、『三四郎』の場合にはつまり三四郎が九州から熊本から上京してくるというところで、列車の中で広田先生っていうのとは知らずに、そういう桃ばっかり食ってる老人と一緒になって言葉をかわすとかっていうふうなところから始まるわけですけども、だんだんだんだん広田先生を中心として物語の圏内にだんだん狭まっていくっていうような構成の仕方をしています。この構成の仕方は漱石の小説の構成の仕方の一つの特徴であるわけです。
それ、僕はどうしてそういう構成の仕方を漱石が取ったかっていうふうにいいますと、僕はやっぱり漱石のそういう、ある意味では病的なっていう資質に関係があると思います。つまりそういうふうに偶然のように出会った人たちが、者たちがだんだん一緒の物語の中に入ってくるくらい、この圏内に入ってくるくらいになっていって、またそれが本当は夢かうつつか分かんないんだっていうふうになっていっちゃうっていう、それはやっぱり漱石の一種の妄想性の資質といいましょうか、それと大変深い関わりがあるっていうふうに僕は思います。つまりそれは、その小説のやり方っていうのは漱石の大変大きな特徴の一つになってるっていうふうに思います。それはたぶん、漱石の資質に由来するだろうっていうふうに思えるわけです。
で、じゃあ『虞美人草』っていうのもそういうふうにして、それで宗近くんっていうのは藤尾と結婚できない。それからまた小野さんは宗近くんにお説教されてって「あんたは要するに先生や上京してきた娘さんをどうするつもりなんだ」って。そして「そんなことでいいのか」って。「一生に一度ぐらい真面目になれ」みたいなことを言われてしまうっていう。それからもう一つは藤尾とおふくろさんが甲野さんに対して、つまり財産を譲ってくれって、それで藤尾と小野さんを一緒にして、それで自分の家を継いでくれて、甲野さんは外へ出てくれればいいっていうふうに心の中では思ってるんですけど、あからさまに甲野さんを追い出す口実がなくてっていうふうに、だから口で言うのは全く反対のことを言って「早く結婚してうちを相続してもらわないと困る」みたいなことを言うわけです。そして甲野さんのほうは財産とかそういうのは全部いらないって。全部財産も家もいらないから、全部藤尾にあげてしまうと。で、自分は外へ出るっていうふうに言って、最後にはそういうふうに出ていっちゃう。出ていっちゃってどこへ行くのかっていうことになるわけですけど、宗近くんがうちへ来いっていうふうに、うちへ来ないかっていうふうに言うわけです。で、「お前のところへ行ったってしょうがない」って言うんですけど「いや、俺のためにじゃなくて、自分の妹のために来てくれないか」。妹っていうのは、つまりあらゆる人があなたを要するに変人だとか精神が狂ってるとかっていうふうに言っても、自分の妹だけはあなたを本当に理解しているって、そういういい女だっていうふうに、だから自分の妹のためにうちへ来ないかっていうふうにして、うちへ誘っちゃう。そして宗近くんも藤尾が小野さんが自分の先生の娘さんのところに行くので、藤尾はまた宗近くんに遠慮して昔の約束をって言うんですけど、そんなことは俺は全然いらないっていうふうに、俺はこれから、つまり今年は外交官の試験に通ったんで俺はもう外国へ行くんだっていうふうに言って、藤尾はそこで、つまり傲慢さっていうのをへし折られて、それで自殺して死んじゃうっていうのが『虞美人草』っていうのの、つまり物語としての筋なわけです。
つまりこの手のめちゃくちゃなわけの分からないような美文と、それからいわば講談師調の注釈と、それから(???)筋立てと人物の描写といえばそんなにいい描写の仕方をしてないっていう、この作品は言ってみれば読む人が少ないに比例して、あんまりいい小説じゃないっていうことになりそうな感じがするんです。しかしこれ、新聞小説になったときには三越から虞美人草浴衣とか、つまりその商品が出て大変騒がれた、そういう作品なんです。当時の人は一般読者は教養もあったんでしょうけど、大変そういう評判を呼んだ作品なんです。ところが後世の人はあんまりこれを読んでない、敬遠してるっていうのが本音のところって言いますか、本筋のところだっていうふうに思います。
すると、それじゃあこの小説に何も取りえがないのかっていうことになると思います。でも僕は一つだけ取りえがあると思うんです。そしてその取りえはかなり重要なことなんじゃないかなっていうふうに思うことがあります。それは何かっていいますと、文学っていうのは、つまりもとを正せばこういうもんだったんじゃないかなっていうもんがこの作品の中にはあるわけです。例えば一つ申し上げますと、最後のほうで、要するに宗近さんが甲野さんに「うちへ来ないか」って。そして「あらゆる人があなたのことを変人だとか病気だとかって言っても、うちの妹だけはあんたを信じているし、ちゃんと分かっている。今までもそうだし、分かってた。そういう女なんだ」って。「だからうちへ来ないか」って誘うところがあるんですけど、そこなんかの描写を見ますと、やっぱり文学の初源性といいましょうか、文学っていうのはもともとはやっぱりこういうもんなんだよなっていう、そういうものがその中にあるんですよ。で、ちょっとそこのところをちょっとあれしてみましょうか。宗近くんが「うちへ来ないか」って言うと「いや、行ってもしょうがないじゃないか」っていうふうに甲野さんが言う。そうすると「嫌なのか」って言うと「いや、嫌じゃないけど仕方がないよ」っていうふうに言うわけです。
宗近君はじっと甲野さんを見た。
「甲野さん。頼むから来てくれ。僕や阿父のためはとにかく、糸公」
糸公っていうのは妹ですけども、糸子ですけど、
「糸公のために来てやってくれ」
って言うわけです。
「糸公のために?」
「糸公は君の知己だよ。御叔母さんや藤尾さんが君を誤解しても、僕が君を見損なっても、日本中がことごとく君に迫害を加えても、糸公だけはたしかだよ。糸公は学問も才気もないが、よく君の価値を解している。君の胸の中を知り抜いている。糸公は僕の妹だが、えらい女だ。尊い女だ。糸公は金が一文もなくっても堕落する気遣のない女だ。――甲野さん、糸公を貰ってやってくれ。家を出ても好い。山の中へ這入っても好い。どこへ行ってどう流浪しても構わない。何でも好いから糸公を連れて行ってやってくれ。――僕は責任をもって糸公に受合って来たんだ。君が云う事を聞いてくれないと妹に合す顔がない。たった一人の妹を殺さなくっちゃならない。糸公は尊い女だ、誠のある女だ。正直だよ、君のためなら何でもするよ。殺すのはもったいない」
宗近君は骨張った甲野さんの肩を椅子の上で振り動かした。
っていう、そこが最後のところのクライマックスの描写の一つなんですけど、僕が読んだってちっともなんとも思わないでしょうけど、この作品をお読みになる価値があるっていうのは、つまりこういうクライマックスになったところで、つまり文学っていうのはこういうものだったんだよなっていう感じっていうのが悠然と湧いてくるっていう感じがするんです。少なくとも僕の感受性だったらそういうふうになります。そしてこの種の文学っていうのはもともとこういうもんだったんだよなっていう感じをふうっと出させる作品って、あるいは作家っていうのが居たら、そういう作品を書いた作家が居たら、それはやっぱり第一級の作家だっていうふうに考えていいと僕は判断します。僕はそう思っています。つまりそれ以外がどんなに精緻でどんなにあれな作品があっても、それはやっぱり一級の作品ではないですね。つまり二級以下の作品ですね。でも第一級の作品にはこういうもんがあるわけです。
こういうもんっていうのは何かっていうと、一面から見ると悪くすると通俗小説、つまり読み物小説になっちゃうわけです。それで通俗的な環境、つまり一杯のかけそばっていうものにもなっちゃうんですよ。この種の、文学とはもともとこういうもんだったんだよなっていうものっていうのは、つまり通俗化すると一杯のかけそばにもなっちゃうんですよ。で、こんなのは感激することもある面でできますけども、別の面では別の面の自分の心が白けちゃってるっていうことになっちゃうわけですけども、これは通俗化するとそうなっちゃうんですけども、これを高度化すると、これは第一級の作品にしかない、そういうものになるわけです。これが一種の文学の初源性っていうふうに思います。つまりこれを作品の中に出せる人っていうのは、高度に出せる人っていうのはやっぱり第一級の作家だっていうふうに考えたらよろしいと思います。これがない作品っていうのはどういう作品を取ってきても、誰がどう言ってもそれはあんまり一級の作品じゃないよっていうふうに思ったほうがよろしいと、僕はそう考えます。
すると、この種の、どうしてかっていうと文学っていうのはこの種のものがありますね。例えば失恋した、なんでもいいんですよ、男女の関係でいえば失恋した切なさとか諦めとかやるせなさとかいうようにいえるものがあったり、それからある事柄にぶつかって挫折してしょげちゃったっていいますか、どうしようもなく気分が落っこっちゃった、憂鬱になっちゃったっていうような、そういう体験っていうのがあるわけでしょ。つまりその体験に対応(?)するのがつまりこの種の文学の初源性っていうことは、それに対応すると思うんです。
ですから逆なことを言いますと、文学とはこういうもんなんだよって、もともとこうなんだよっていう異名(?)は、逆な面で言いますと、例えばどんなに素晴らしい、恋愛を例に取りますと恋愛小説、つまり例えばゲーテの『若きウェルテルの悩み』とかバルザックの『谷間の小百合』(バルザック『谷間の百合』)みたいな、そういう非常に世界文学の中で第一級の恋愛小説なんですけども、こういう小説を取ってきたって、現に恋愛してる人の心躍りっていうのをこの小説に向かせるっていう力は小説にはないんですよ。つまり文学にはないんですよ。つまり文学は架空のものなんです。いくらやったって作りものなんです。それで言葉なんですよ。言葉のもんであって、これは実際に恋愛真っ最中っていう人をそういう恋愛小説でいくら釣ろうったって、それは無理だよって、絶対かなわないんだよっていうふうに、逆にいえばそうなります。しかし逆にいえば、例えていえば男女が恋愛の真っ盛りで両方とも夢中になって、無我夢中になって、本当は今別れてももう次の瞬間に会いたくてしょうがないみたいなくらいまでになってる、そういう一種の心躍りみたいなものっていうのを文字の中に、つまり言葉の表現の中に持ってるっていうものがあったとしたら、それは文学の初源性であるわけなんです。それからまた、別に恋愛に限らない、そういう事柄、つまりある事柄にぶつかって挫折したとか、めちゃくちゃな目にあったとかってもう落胆して死にそうなんだっていう体験でもいいんですけど、その体験の切実さを描かれていってもいいんだけど、そういうものが描かれていてやっぱり文学っていうのはこういうんだったよなっていうふうに思う作品っていうのはあります。しかしその場合だっておんなじで、現にそういう体験にぶつかっちゃって、もうしょげて、今日死ぬのか明日死ぬのかみたいに思ってるやつをそういう作品を持ってきたって、その作品のほうに向かせるっていうことは文学にはないんです。できないんです。つまり文学にはそういう力はないんです。それは逆にいえばそういうことになります。しかし逆にいえばそれに匹敵するだけのものを持ってるっていうことが文学の初源性だっていうふうに思います。
この漱石のほかの作品には、この『虞美人草』のある場所が持っている、場面が持っているこの感じっていいますか、文学っていうのはこういうもんだったんだよな、もとを正せばって、つまりどんなに複雑にし、どんなに高度に表現の仕方が発達したとしても、もとを正せばこれだったんだよなっていうものは漱石の作品の中で、たぶん『虞美人草』だけが感じさせるもんです。つまりほかのものにはちょっと、もっといい作品はたくさんあるんですけど、ほかのものにはそれはないって言っていいくらい、この作品にだけあるものっていうのはあるわけです。ですからそれを、つまり楽しみにすればっていいますか、それを目当てにすればこの『虞美人草』っていう作品は、ほかのすべての欠陥にもかかわらず、やっぱり読むに値する作品だっていうふうに言っていいんじゃないかっていうふうに、僕にはそう思います。
これは僕らの持ってる文学に対する考え方の非常に根本にある問題です。もちろんさまざまな文学に対する考え方があるんでしょうけど、僕はそういう考え方を持っていますし、それを本当に第一級の文学作品っていうものと、あるいは文学者っていう作家っていうものとそうじゃない作家との、僕はこのあれにしています。つまり区別にしています。つまり本当に第一級の作家っていうのは、必ずの作品の中には必ずそれがあると思います。あっていうふうに思っちゃうところ、つまり文学っていうのはこういうんだったんだよなっていう、そのあって思っちゃうものがあると思います。このあっと思っちゃうものは、必ずしもそれ自体が高級なわけでもなんでもないです。つまり低級にもいくらでもなり得るわけです。つまり低級っていいますか、つまり通俗的な読み物になって、あるいは通俗的な読み物にある倫理観っていいますか、善悪観っていいますか、それにもなっちゃったりっていうふうにしますから、必ずしもそれ自体が高度だっていうことじゃないんですけど、それを高度に持ってったものっていうようなものが僕はあるかないかっていうことは大変重要な区別だっていうふうに、またそれを感ずるか感じないかっていうことも重要な問題だっていうふうに僕には思えますから、皆さんがあんまり今まで敬遠してたとしたら、やっぱり『虞美人草』っていうのは一度読んでごらんになったらいいなっていうふうに、僕はおすすめできるんじゃないかっていうふうに思います。
で、あとこれから『三四郎』に入っていくわけなんですけど、少し休んでほしいっていうことで、ちょっとだけ休みます。
司会
本日は大変長らくお待たせして申し訳ございませんでした。ただいまより約10分間ぐらい休憩をいただきたいと存じます。どうぞロビーにも音が入っておりますので、その間を利用いたしましてわたくしのお話を聞いていただければと思います。どうぞお立ちくださいませ。
この後、今先生からご説明がございましたように『三四郎』、少し休憩なすっていただきまして、『三四郎』の講演がございます。なお、このセミナーは来年…。
この『虞美人草』の藤尾っていう女性がもし自殺してなかったとしたら、『三四郎』の美禰子っていう女性になるんだっていうふうに思います。そういう漱石の女性像の系譜がそうなっていると思います。それから糸子にあたるのが野々宮さんっていうのの妹のよし子っていうのだと思いますけど、よし子っていうのにあたるというふうに思います。で、現在のフェミニストとか女流の作家のあれを見たことがありますけれども、どれが理想の女性像だったか、それは藤尾だっていうふうに言いますね。それで、ところで漱石の理想像は全く逆で、糸子だっていうことになると思います。それでそれは『坊っちゃん』のお清っていうのを若くしたものとおんなじだっていうふうに思います。漱石は女性についていろんなことを言っていないけど、いろんなことを考えてた人です(笑)。で、別に自分の理想像は糸子だって言ったわけでもありませんし、俺が殺したくてしょうがないのは藤尾みたいなあれだっていうふうに言ったわけでもないわけです。だから本当は分かりませんけれども、本心は分かりませんけれども、僕は母親像、漱石の乳幼児体験っていいますか、それを核にした漱石の思春期までの育ち方のひどさっていいましょうか、それを考えますと、やっぱり考えて、そこから理解していきますと、どうしてもお清とそれから糸子っていうのが漱石の理想像だろうなっていうふうに思い描くことができるような気がします。
で、漱石には、つまり男女っていうものがあったとして、その男女っていうのは本当は非常にある距離まで近づいたときには何も言わないでも、つまり分かっちゃうもんなんだ。つまり相手を分かっちゃうもんなんだ。で、分かっちゃうものがまた理想なんだみたいな、そういう考え方が漱石にはどっかにあって、それが少し病的なほうに傾いていきますと、そうすると一種の思い込みの体系っていうのができてしまうと。思い込みの体系っていうのは誰でも恋愛関係みたいなときには誰でもあるわけですけど、その思い込みの体系っていうのがもっと、もう少し、また脇へそれていくとやっぱりそれは一種の妄想の体系っていうことになるんだと思います。で、漱石にはやっぱりところどころで現れるそういう妄想の体系っていうのが、やっぱり確実にあったような気がします。それは漱石の悲劇であるわけですけども、その悲劇はもし遺伝子のせいにしないとすれば、それはやっぱり漱石の乳幼児体験というところから始まりのところがあって、それでそれはそういうふうに形成されていったっていうふうに考えることができると思います。
で、漱石は『虞美人草』のところから今度は、『虞美人草』の藤尾から『三四郎』って作品の美禰子へっていうふうに移っていくわけです。で、それら一連の藤尾とか『三四郎』の美禰子とかっていうのは、たぶん当時表れ始めた新しいやっぱり女性のタイプだったんだっていうふうに思います。
この新しい女性のタイプっていうのは、漱石がずいぶん一生懸命追求してるっていいますか、一生懸命追いかけているように思えるんです。で、ある場面では新しい女性のタイプっていうのよりも、いかにお清とか糸子ほどではないけれども、いかにきちがいじみたっていいましょうか、きちがいじみた主人公っていうのをいかに理解するかって、あるいはいかにそれに応えるかっていう女性を描いていると思いますけれども、こういう『坊っちゃん』とか『虞美人草』とか『三四郎』とか、一種の青春の小説なわけですけども、この青春の小説では大変新しいタイプの女性っていうのを追いかけているっていうふうに思います。
で、この追いかけ方は、例えば『三四郎』が出たときに、この『三四郎』を読んで自分も、俺もこういうのを書いてみせるって言ったらいいんでしょうか、あるいは俺の『三四郎』を書いてみせるっていうふうに森鴎外はそういうふうに考えたわけです。で、森鴎外は『三四郎』に該当する作品『青年』っていう作品を書いています。で、その『青年』っていう作品ではどこが違うかっていいますと、『青年』の中で出てくる女性っていうのは年上の、それで性的な体験も豊富だし、精神的な体験も豊富だっていう、そういう女性っていうのを描き出しています。それでそれに対して青年がどういうふうに振る舞うかって、振る舞うかっていうのは別な言葉でいうとどういうふうに遊ばれちゃうかっていうことだと思うんですけど、そういうことを非常によく描いています。それからもう一人、鴎外が固執したのはいわば向島でいうと、つまり玄人筋の女の人なんです。それをやっぱり相当、よく関心を持って描いています。で、漱石と鴎外っていうのは時代はそんなに10年か15年ぐらいしか違わないんですけれども、女性観っていうことになってくるともうずいぶん違ってしまいます。鴎外がなんとなく紅灯の巷に居そうな女性とか、あるいは年上の非常に世慣れをしたっていいましょうか、世慣れをして男慣れをしたっていう、そういう女性っていうのを新時代の青年の相手として連れてくるわけですけども、小説の中に登場させるわけですけども、それはだいぶ漱石とは違う感じ方だっていうふうになります。漱石のほうがそういう意味合いではとても生真面目だっていったらおかしいんでしょうか、その種の遊びみたいなことっていうのは、性的遊びみたいなことはあんまりあれしない、できない人だしやらない人だったっていうふうに思います。だから漱石が、つまり自分の奥さん以外に関心を持ってたのは友達の奥さんである女流作家である大塚久寿男みたいな、そういう人が唯一あの人はいいなって、いいなっていうのはつまり距離感を持って見ればいいなっていうふうに言ってた唯一の女性だと思います。そのほかにはそういう意味のあれはないと思います。その体験もないし、実生活上の影もないし、作品としてもあんまり出てこないっていうことだと思います。
そこいらへんのところで漱石が『三四郎』っていうのを描いているわけです。で、『三四郎』という作品で鴎外の『青年』だったらどうしても絶対に描けないよなって、こういうのは描けないよなっていうふうに思われるところがいくつかあるんです。それは大ざっぱにいってしまえば一種の心理主義なわけです。つまり心理小説の要素なわけです。鴎外の『青年』にはほとんど心理小説的な要素っていうのは、ほとんどないわけです。
だから鴎外が、つまり後々までいえば『青年』とか『雁』とかっていう作品をある意味で描き終えてしまって、史伝小説っていいますか、歴史小説っていいますか、そういうところに入っていって、言ってみれば封建社会における、武家社会における女性みたいなものには多少の関心は持ったでしょうけれども、そういう史伝小説に入っていっちゃうっていうのはある意味ではとても分かるような気がします。たった10年か15年の違いで、ずいぶんそういう女性をめぐる体験っていうのは鴎外と漱石では違うというふうに思います。
そして漱石っていうのは、そういう意味ではあんまり鴎外ほどそういう体験っていうのは、実体験っていうのは豊富でないんですけど、豊富でないけれどもその豊富でない部分だけ心理小説としては大変鴎外の描けなかった見事な、微細な心理の陰りみたいなものを描いているっていうふうに思います。
『三四郎』っていう小説で例を挙げてみますと、広田先生っていうのと野々宮さんっていう理学者が居るわけですけども、その理学者を中心にして三四郎とか美禰子とかよし子とか、そういう人たちが団子坂の菊人形を見に行くところがあるんです。で、今はそんな面影は団子坂にはないわけですけども、そのころその菊人形の展覧会みたいなのがあると、あそこらへんに店ができたりとか人がお祭りのように賑やかに行き来したりみたいなことがあるわけですけど、そういうお祭りの間を菊人形を見にぶらぶら歩いていきながら交わす会話みたいなのがあります。で、その会話ってお祭りみたいに賑やかなところに乞食、おこもさんが居るわけです。で、おこもさんが居て、死体に手を合わせて、それで言葉で、なんて言ってるのかそれは書いてないけども、大声で一つ、なんでもいいです、哀れなものに恵んでくださいでもなんでもいいですけど、そういう言葉を大声で言いながら死体に手を合わせて、それでお辞儀をしてっていう、そういう乞食さんが居るわけです。それで広田先生が三四郎に、そこを通り過ぎたときに「君、このおこもさんにお金を恵んであげたかね」っていうふうに広田先生が話しかけるわけです。それで三四郎が「いや、あげませんでした」って言うわけですね。そうすると野々宮さんの妹のよし子が、つまりせわしなくっていうか、押し付けがましくてっていいますか、「せわしなくてお金をあげる気がしない」っていうふうにその場で言うわけです。それで美禰子のほうもやっぱりおんなじようなことを言うわけで「あんなに押し付けがましくされたらお金なんかやる気しない」っていうふうに言うわけなんです。で、広田先生は今度は「いや、人が多すぎるんだ」って。で、「人が多すぎるんだ」と。で、「人がやっぱり山奥のように誰も居なかったら、やっぱりお金、ああいうふうに拝まれて、それで恵んでくださいなんて大声で言われたら、やっぱりお金やるっていうことになるな」って。「だからこれは人が多すぎるんだ」って広田先生はそう言うわけです。そして各人各様の感想を漏らして、それでそのとき拝んでるおこもさんにお金をあげなかったっていうことについての感想を言い合うところが出てきます。
それで三四郎はそれを聞きながら、なんとなく二つ考えるわけです。で、それは何かっていうと、一つはこの人たちにはなんとなく、いわゆる、つまりお金をおこもさんに恵んでくださいって言われて、それでおこもさんにお金をあげるっていうことはいいことなんだ。つまりそれは善なる行為なんだっていう、そういう観念がもしかすると自分のようにないんじゃないかっていうふうに、一つは考えるわけです。自分のようにっていうのは、自分もお金をあげなかったんだけど、自分のあげなかったのは心ではあげたいなとか、あげないと悪いなと思いながら、なんとなくそういう調子が合わないっていいましょうか、合わないで自分はあげないで通り過ぎちゃった。だから少し、ちょっと後ろめたいような感じっていうのを三四郎だけは持つわけだ。ところがほかの人たちはあんな押し付けがましかったらちょっとあげる気がしないみたいなことを言うわけです。つまりその種のことを言うわけですけども、それはなんとなく自分が持ってる一種の善悪観っていいましょうか、あるいはナイーブな善悪観っていいましょうか、それとはちょっと違うなっていうふうに一面では思うわけです。
ところがまたもう一面では、もしかするとこれは自分よりもこの人たちのほうが正直なんじゃないかなっていうふうに、そういう正直に思った通りのことを隠すことなく言っちゃうっていう意味合いで、この人たちのほうが正直なんじゃないかって。むしろ自分のほうがやんないで通り過ぎちゃって、それを多少の後ろめたさを持って思い返してる自分のほうがちょっと駄目なんじゃないか。つまり自分の善悪観のほうが一種通俗的なんじゃないかなっていうふうに、駄目な善悪観なんじゃないかなっていうふうに思ったりもするわけです。
つまりその種の動揺みたいなものを三四郎が感ずるっていう。それで、そのところの描写っていうのは一種の心理の揺れの描写なんですけど、その揺れの描写っていうのはなかなか、誠に見事なもので、つまり『三四郎』っていう小説が、今読んだってやっぱり一個の文学作品として充分に、微妙さにおいて充分に耐えるっていうような、そういうあれを持ってるってことはとてもよく分かります。つまり漱石っていうのは抜群の近代性っていいますか、時代性っていいますか、時代の風俗性っていいますか、それに対する非常に鋭敏なあれを持ってた人だなっていうことがとてもよく分かると思います。
で、そこを通り過ぎていきますと、今度は迷子になった子どもが泣きながら連れてきてくれた親かなんかを探してるわけです。それで、そうするとまたみんなが「あの子はかわいそうだな」なんつって「どうしたんだ、親たちはどこ行っちゃったんだろうか」みたいなことをまた語り合うわけで。そして「そんなにかわいそうならお前があの子を連れて親を探してやればいいじゃないか」っていうように野々宮さんが妹に対してそう言うわけです。そしてその妹は「いや、かわいそうだと思うけどそこまではちょっと自分は考えない。つまりその子を連れて、それでこの人混みの中を親たちを探してあげるっていうのは、そこまでは自分は考えられない」っていうことをまた言うわけです。で、またそこで迷い子っていうのをめぐって4人が各人各様の感じ方をするわけです。で、その場合には巡査がやってきて、それでその子どもを保護してよかったっていうことになってしまうわけで。つまりその種の非常に微妙なことに対して登場人物たちがどういうふうな態度を取るかっていうようなことっていうのは、とても微妙に描かれているわけです。
で、三四郎っていうような、つまり九州の熊本の高等学校を卒業して東京の大学に入るために上京してくるわけなんですけども、そこでやっぱり自分、ちょうどお清さんに該当する母親が郷里に居て、それでお金を送ってくれるし、うちの例えば畑は今こうなってるとかっていう近況を知らせてくれたりっていうそういう手紙をくれるわけです。その手紙はちょうど『坊っちゃん』でいえばお清の手紙とおんなじようなんで、慈母っていうか、盲目的な子どもに愛情を持ったそういう母親の、そういう手紙をよこすわけです。それで田舎にやっぱり慣れ親しんでたお光さんっていう娘が居て、その健康な娘さんが居て、それで「お前はお光さんを嫁にもらったらどうだ」なんていうふうに言ってきたりするわけなんです。で、それは三四郎にとって過去を象徴する世界なわけです。で、現在を象徴する世界は美禰子とかよし子とか野々宮さんっていうのは郷里の先輩なんですけども、それとか広田先生とか、そういう人たちの仲間と学校の講義っていいましょうか、それが現在の自分であって、それは一番目新しくてっていいますか、そこに一番現在の関心を三四郎は覚えるわけです。それで将来はどうするんだろうっていうふうに考えると、将来はここでひと角の学問をして、ひと角の者になってっていうふうなのが自分の将来かなみたいなのを、憧れながら考えながら学校に通ってるわけです。
で、ところでそこのところで美禰子という、『虞美人草』でいえば藤尾に該当する、そういう近代的な女性が居るわけですけど、その女性は野々宮さんっていう理学者と夫婦約束に近いことをしてるんですけど、野々宮さんが自分の科学的な実験が忙しくて、それでなかなか構ってやらないって、そういう構ってやれないみたいなところの空隙で、その女性が三四郎に気持ちをちょっと寄せるわけです。で、例えば菊人形を見に行って、それで三四郎とその美禰子っていう女性とがはぐれてしまうわけですけど、はぐれて坂の下の、今はもう埋め立ててありますけど、藍染川っていう川が流れてまして、その川のほとりを二人で歩いて、それで「みんな探してないだろうか」って言うんだけど、女のほうは「冷淡な人たちだから迷子になってちょうどいいんだ」なんて言いながらその川のほとりで腰掛けて、なんとなく今までの親しみよりも親しみが増していくみたいな体験をするわけです。そうすると三四郎のほうは、自分はこの女性に好意を持たれてるっていうふうに思い込むわけです。で、女性のほうも確かにそういうふうに、そういう態度を示すんですけれども、それは三四郎の感じ方では、考え方、思い込みの仕方では、あまりに単純すぎてなかなか本当の気持ちっていうのは分からないし、野々宮さんっていう人に対する気持ちもあんまりよく分からないっていうふうになるわけです。
それで三四郎の友達に言わせれば「お前なんかの手に負える女の人じゃねえ」っていうふうに、つまり「例えてみればはたちの女性とはたちの男性とを並べてみたら、はたちの女性のほうがずっと大人だっていうふうに言えることができる」と。そして「だからお前はどういうふうに思ってるか知らないけど、とてもお前なんかが手に負える女性じゃない」っていうふうに言われるわけですけども、三四郎のほうではどっかでそうじゃないっていう、自分の単なる思い込みじゃなくて、あの女性は自分を好きなんじゃないかっていうふうに一面ではそう思い込みをやめないわけです。で、一面ではやっぱり友達が言う通りで、もしちょっとあの女性と一緒になって同棲するみたいな、一緒になったところを想像するととてもとてもやっぱり、それは自分の手に負えるっていいますか、太刀打ちできるような、そういう女性じゃないっていうふうに一面では思うわけです。つまり三四郎のそういう気持ちの揺れといいましょうか、それを女性を対象にして描くっていうことがこの『三四郎』っていう小説の眼目になるわけです。
で、美禰子っていう女性はその物語の筋書きとしていえば野々宮さんとも一緒にならないし、もちろん三四郎には「やっぱり罪は自分にあるんだ」っていうようなことを言いながら三四郎とも離れていってしまうっていう。そして全く思いもかけない人と一緒になってしまうっていうようなところで、筋書きとしては終わるわけです。
この『三四郎』っていうのは、つまりどういう意味を持つかっていうふうに考えますと、つまり漱石の『虞美人草』っていう作品をもし読み物的、あるいは物語的っていうような感じからある意味合いで近代的な小説の格好っていいましょうか、それを取るとすればどういうふうになるだろうかっていうことを非常によく描き直した作品だっていうふうに言うことができると思います。で、だから美禰子っていうのは藤尾のように二人の男性の両方を操ってるようにあれしながら、しまいには両方から背かれて自殺してしまうっていうようなふうになってるわけですけども、この『三四郎』の中における美禰子っていうのは、つまり野々宮さんと三四郎と二人の間で振る舞いながら、つまり二人になんとなく、どちらにも気持ちを傾けながらどちらにも与しないみたいな、そういうかたちで二人の男性をあれしながら、全く違う男性と一緒になっちゃうっていうようなかたちで、『虞美人草』の物語と違う物語になっていくわけです。
で、しかしこの一人の女性をめぐって二人の男性がという、それはある意味ではもちろん西欧の近代小説の大きなテーマでもあるわけですけども、漱石の場合には『三四郎』っていう小説が、つまり日が当たってるといいましょうか、とにかく日が当たって、ある程度軽やかで、それである程度の甘さもあってというようなかたちで、つまり小説として太陽が照ってるといいましょうか、そういう小説っていうのはこの『三四郎』っていうのが頂点でもありますし、また最後でもあるわけです。つまりこれ以上の野放図に楽しいっていいましょうか、楽しい小説っていうのを漱石はもうその後描くことはなかったっていうふうに言ってよろしいと思います。つまりこれは最後の夕映えみたいなもんで、また最後の青春小説みたいなもんで、なんとなくこれはスラスラっと読んでいって、スラスラっと読み終わって、それである、誰にでもないことはない一種の若いときの思春期の甘酸っぱさっていいましょうか、そういうものをとにかく後に残すっていうようなかたちの最後の小説になるわけです。
で、この中で、要するに漱石っていうのはどこに居るかっていえば、体験的にはいろんなところに反映してるんですけど、やっぱり広田先生っていう中に漱石が一番よく投影されてるっていうふうに言えると思いますけども、いずれにせよ広田先生っていう人物の造形の仕方を最後までたどっていけば『こころ』の先生みたいなふうになっていって、最後は自殺してしまうみたいな、そういうふうになっていくわけですし。
また『三四郎』はその後に出てくる、『それから』っていう小説の代助っていうふうなところに『三四郎』の系譜を移し入れますと、やっぱり親友の奥さんといざこざって言いますか、そういう三角関係を引き起こして、やっぱり最後には家からリョウドを断たれる(?)し、また自分は初めてこれから就職を探してくるなんていうふうに言って、その女性と一緒にどこか行っちゃうとか、どこか隠れて住むとかっていう、そういうことが暗示されて終わりますし、それから『門』っていう作品になっていけば、この代助が宗助っていう名前になるわけですけど、その2人、親友の奥さんだった奥方とはどこか山の手と下町の中間の、つまり境界の崖下のところにひっそりと住んで、それで役所に働きに行ってるっていって、ひっそりと暮らしてるっていうふうな、そういうシチュエーションになっていく。
そしてこれをどういうふうに考えても、つまり『三四郎』以降は一直線に破滅的になっていく、その三角関係の様相っていうのを作品の主要なテーマにしていくわけで。で、この主要なテーマっていうのはもう、漱石の独壇場でありますけれども、漱石の独壇場っていう意味は漱石がいかに、つまり先ほどから女性をいかに、女性の風俗って言いますか、そういうのをいかによく見てたか。つまり鴎外に比べたらはるかによく現状を、現に踏面してる(?)風俗の移り方っていうのはよく見てたっていうふうに申し上げましたけれども、漱石の小説が『三四郎』から後、どんどん破滅的な三角関係を描くことを次第にしていったっていうことは、漱石がやっぱり日本の近代以降の文明って言いますか、文化と言いますか、それをいかによく見ていたかっていうことの一つの象徴だっていうことになるわけです。
つまりどうしてかっていうと、これは西欧の近代小説ではただの、要するに浮気小説になるとか、不倫小説になるとかいう、そういうかたちになっていくわけですけれども、それで個々の人たちの振る舞い方っていうことの問題が小説作品になるわけですけども、漱石の場合にはそれに対してやっぱり1人の女性をめぐって2人の男っていう場合の、その2人の男が必ず一種の親友であるとか、兄弟である、『行人』の場合には兄弟であるわけです。つまり兄と弟であるわけですし、つまり兄弟であるとか、つまり非常に親しくてある意味で抜き差しならない親しさを持ってる、そういう2人の男が1人の女性をめぐってっていう、そういう小説に漱石の場合にはなっていくわけで。それがどうしてなっていくかっていうと、それはある意味で日本のやっぱり特殊性だっていえば特殊性なんです。つまり日本近代小説の特殊性の非常に先鋭な、つまり鋭い表れ方だっていうふうに言うことができるんです。
どうしてかっていうと、1人の女性をめぐって2人の男性が、単なる不倫小説とかっていうんじゃなくて、非常に親友であって、だからそれをギリギリギリギリ詰めていきますと、三者三様がもう自滅する以外に解決の方法がないみたいになっていくっていうような、それをかろうじて救済しようとするならば、なんとかこの世を逃れられるようにして持ちこたえていくっていうような生き方(?)しかもう方法がないみたいなところまでギリギリに追い詰めていくっていうような、そういうところに行くわけですけれども、それは何を意味するかっていうと、西欧の近代文明、あるいは近代文化でもいいんですが、近代文化に対してそれを後追いしている日本の近代文明、あるいは近代文化の中では、つまり西欧的な不倫小説とか浮気小説とか、1人の女をめぐって2人の男がやりあってどうして、それで1人は勝利を得たから1人は敗北した。それはそれで堂々たるもんだっていう、堂々たる振る舞いをするんだよっていうような、そういう小説がどうしても作れないわけです。つまりギリギリ詰めてったらもう三者三様に、つまり親友とか親しい兄弟の間の抜き差しならない、要するに破滅的な葛藤になるか、あるいはその女性をめぐって破滅的な関係になるかとか、もうそういうふうになる以外にないみたいなことが、だいたい日本における近代文明、あるいは近代文化、もっと個人に即していけば日本における近代的自我の形成っていうふうに言ってもいいんだと思いますが、そういうもんが後進性っていうことと、それからやっぱり西欧の近代における個人主義っていうもんとまるで違う個人主義なんだよっていうことの両方があるわけですけども、それでもってどうしても単なる不倫小説、その不倫に敗れようとどうしようとそれはもう堂々たるもんだっていうふうに決していかないで、もう三者三様ギリギリに追い詰められてギリギリになっていくっていうようなところにいっちゃうわけです。
で、いっちゃうっていうことを漱石は自分の小説の、主たる小説の主題にしているわけです。それは漱石がいかに日本近代の文明、それからそれが西欧の近代文明っていうのと何が違うのかっていうことを大変よく洞察し、よくいつでも見ていたっていうことを非常によく象徴しているっていうふうに、別な面から言うことができるわけです。
そしてこの漱石のこういう主題の取り方っていうのは、これは芥川は漱石の晩年の弟子で、文学的にいえば漱石の山脈っていうか系譜なんですけども、系譜に属するわけで。芥川はこの芥川の作品では『開化の良人』とか『開化の殺人』っていうような作品の中に同じような三角関係を描くわけです。でも、それでよく芥川はこれがなんで、どうしてこういうことになるのかっていうことは、つまり漱石の主題がそうなり、そしてこういうことになるのかっていうのは、芥川は非常に鋭敏な人ですから、頭のいい人ですから、よく知ってるわけです。つまり知ってるから、もう始めっから文明開化の開化っていうことですけど、『開化の殺人』とか『開化の良人』っていう主題っていいますか、主題にしてそういう小説を書くわけです。小説作品としてはもちろん漱石の作品に劣るわけですけども、しかし主題の取り方っていうのはあくまでもおんなじ取り方をするわけです。そしてこれがやはり日本における文明開化っていうものの一つの特質っていうのを男女関係の中で象徴させたんだっていうことを芥川は非常によく分かっているわけです。それをよく分かってて、やっぱりそういう小説を半分は意識的に試みなんですけども、それを書くわけです。それでそういうふうになってるわけで。
そしたら、そうすると芥川、つまり漱石の文学的系譜っていうのをもし漱石から芥川へって文学的系譜の頂点っていいますか、それを漱石から芥川へっていうふうに辿っていくとすると、その後に何が来るのかっていうことになると、それは僕の理解の仕方では小林秀雄が来るわけです。つまり小林秀雄は、小林秀雄と中原中也っていうのは、長谷川泰子っていう女性をめぐって文字通りの三角関係、これは小説に書いたっていうんじゃなくて、本当にやっちゃうわけです。現実問題としてやっちゃうっていうところにいくわけで。そうすると、それは別にやったのは別に漱石、芥川のまねをしようと思ってやったわけでもなんでもないんですけども、結局やっちゃうわけです。で、やっちゃう場合にやっぱり三角関係の条件はあるわけです。つまり小林秀雄と中原中也っていうのは割合に気心は知れている、相手の精神的な内容はよく分かってる友人であるっていうことが必修の条件なわけです。それで、1人の女性をめぐってそれが起こるわけです。結局そういう三者三様、自滅のほかはないっていうところにいくわけです。その自滅のほかはなくなったときどうするかっていうことじゃないんですけど、そのとき小林秀雄はそれならば、三者三様自滅するならば、一つの関係でも拾い上げるっていうのはおかしいです、すくう以外にないっていうふうに考えて、一時期小林秀雄は長谷川泰子と同棲したりするわけで。で、中原中也は口惜しいっていうか、悔しいっていうことになってくるわけで、そういう文章を書いたりするわけですけども、そういうふうになってくるわけで。で、悔しかろうがどうであろうがそれは本当を言っても三者三様は駄目っていう、自滅っていうことなんですけど、それで一時期長谷川泰子と同棲するわけです。
それだけども、ほとんど長くは保たないで、そこで小林秀雄はとにかく、つまり完全失踪するわけです。つまり、たいてい姿をくらます場合には、姿をくらましたらたいていあの友達のところに居るはずだとか、あそこ行ってるはずだとかっつって言うわけで、この場合でも長谷川泰子がいろんなところに訪ねていって、友達を訪ねていって、「あんたんところ居ないか」とか「来たことがないか」とか「あんたは知らないか、どこに行ったか知らないか」とか訪ね歩いたり実際にするわけですけども、しかし小林秀雄はもう一種の完全に失踪するわけです。で、ふらりと出たような格好をしながらも完全失踪して、奈良に居るわけですけど、完全失踪するわけで。そうしておいて結局三者三様バラバラっていうことになって、それは終わるわけですけど、このバラバラの状態っていうのはどういうふうに理解したらいいかっていうのは、それは中原中也の研究家とか小林秀雄の研究家がさまざまに研究しているところでしょうけれども、いずれにせよはっきりしていることは三者三様バラバラになって、それが再びくっつくっていうようなことはありえないんです。
それから片っぽうが、っていうのは小林秀雄ですけど、小林秀雄が完全失踪したっていうことが、つまり姿がちらちらしてるっていうんじゃなくて、完全失踪したっていうことがあるために、中原中也は割合に長谷川泰子の消息が割合に分かって見えるところのあたりで、割合にうろうろしてるって言いますか、いろいろ世話を焼いたりとか、いろいろ時々偶然出会ったりとかっていうことをしてるんですけど、それはどうしてかっていうと、小林秀雄が完全失踪したからだっていうふうに言えると思います。つまり完全失踪しなければ、三者三様見えるところで自滅する以外にないっていうことになるわけですけど、小林秀雄がそういうふうにやったっていうことで、つまりその中原中也にはそれがどうっていうことはないんですけど、それだけ小林秀雄の決断って言いましょうか、あれがなかったんだろうなっていうふうに思いますけど、ちらちら影はちらちら見えるっていうようなところで中原中也は、ある年代は終始するわけです。それがそういう状態になっていくと。
これはそれに意味づけることはいけないことなんですけれども、しかしこれはやっぱりいかにこの小林秀雄とか中原中也っていうののグループっていうのが、その時代のっていうことは主として戦争、第二次大戦に入る直前までの日本の時代なんですけども、その時代なんですけど、その時代の日本の近代あるいは現代のあり方っていうことをいかに小林秀雄が洞察して自分の文学の問題とか、そういうことの問題としてそれを引き受けていた人だったかっていうことをある意味では象徴しているわけです。ですけれども、もはや漱石とか芥川みたいに作品でもってそれを書いて現実の体験の影をそこに宿せばなんとなくよかったって、それで済んだっていうか、それでよかったっていうときがもうすでになくて、もう実際にやってしまうっていうか、やってしまう羽目になる以外になかったっていうふうに言うことができます。これがやっぱり漱石山脈と言いましょうか、その山脈の系譜だっていうふうに、頂点を辿っていけばそれは系譜だと思います。
で、こういう人たちは、先ほど申し上げました言葉でいえば、言ってみれば第一級の文学作品を書ける人だと思います。あるいは書いた人だっていうふうに思います。つまり文学っていうのはこういうもんなんだよなっていう、もとを正せばこういうもんなんだよなっていうものを、やっぱり作品なり批評文の中に実現していると思います。つまり、ですからさりげない作品を読んでもやっぱり、これはやっぱり第一級の人なんだなっていう、文学者なんだなっていうふうに思わせるところがどこかにあります。これが言ってみれば『三四郎』という作品が漱石の文学作品の系譜の中で辿った運命であり、またその作品の系譜を出ていくと、弟子である芥川龍之介の作品の中にそれが流れていったって言いますか、受け継がれていったっていう、そういう流れであり、系譜であり、そしてまた今度はもっと日本の近代が、現代といっていいんでしょうか、現代のところに日本の近代が進んでいったときにやっぱりまだ問題があって、それで例えば小林秀雄を時代を代表する批評家っていうふうに考えるとすれば、小林秀雄と中原中也の長谷川泰子をめぐる現実の三角関係の中に、日本の近代とか現代の弱点とか、いい点とか、特別な点、特殊な点とかっていうのがもろに表れて、もろに出てきちゃってるっていうふうに考えれば考えることができると思います。
つまり『三四郎』という作品は、言ってみればそういう恋愛小説が悲劇に立ち入りたる寸前のところで止まってる作品なんですけども、漱石はもう次の作品からはあの安閑とした作品っていうのを作ろうとしてもあんまり作れなくなっちゃったっていうふうに言うことができるぐらい、作品の中では漱石は非常に破滅的に追い詰めて、ギリギリ追い詰めていくっていうことになっていくわけです。それがいかにして、どこで作品の外へ出るかっていうことになっていきますし、その外へ出ていった、小林秀雄と中原中也が象徴した、そういう関係っていうのが現在なら現在になるとどういうふうに変化しちゃったか、あるいはどういうふうに変質しちゃったかっていう問題が、あるいはどういうふうに三角関係から多角関係になっていったかとかいう、そういう問題っていうのが現在ある日本の文学が踏面している一つの主題って言いましょうか、主題であるように僕には思えます。それでそれを、やっぱりこれは第一級の作品だよ、作品だけである文学の初源性っていうのを持ってるよなっていうふうなかたちで、それを描いている作家っていうのは、つまりこれから出てくるかもしれませんけど、僕が見ているところでは、現在のところはなかなかそういう作家っていうのは出てこないって、出てきてないっていうふうに考えるのが妥当じゃないかと思います。
しかし、現在例えば日本の現在の社会における男女の関係っていうようなのは、もし小説の主題になり得るとすれば、男女の関係っていうのはどういう関係っていうふうに描かれたら「これだよな」って言いましょうか、これこそ、この描かれ方こそやっぱり文学の初源性って言いましょうか、「文学っていうのはもともとこういうもんだったよな」っていう、そういうものを保存しているかどうかって、確かに保存しているっていうような、そういう作品が形成されるはずですし、そうあったらよろしいな、いいなっていうふうに思うんですけども、僕は今のところそういう作品っていうのは存在していないと思います。その存在してないっていうことは、現在の日本の文学が、要するに多角的になっているけども、これは一つの山脈だよなっていう、つまりこの山脈を考えるとだいたい日本の文学の系譜を辿れるよなっていうような、そういう山脈が存在しないで、それで多角的に拡散してると言いましょうか、そういう拡散の果てが一種のいい作品であるところの読み物の小説っていうものと、もう境を混合しちゃってるっていうような状態が現在の状態じゃないかなっていうふうに思います。
やがて僕はこれが一つの凝縮した作品として、つまりあるいは恋愛小説として、あるいはそれ以外の現在の現実の中でどういうふうに、人間はどういうふうになっていって、どういうふうに振る舞っていけるのかとかいけないのかっていうような問題を主題とする作品がいい作品として結晶してく、これから結晶していくそういう作品が出てくることを期して待つべきだと言うのか、まだないからなと言ったらいいんでしょうか、そういうふうに考えられる要因じゃないかっていうふうに僕には思います。
つまりそういうふうにこの系譜が辿れたり、未来が辿れたりっていうようなかたちで言えば、この漱石の『三四郎』はその最後の作品だ。つまりここでもって楽しい意味での恋愛小説っていうのは終わっちゃったよなっていうふうなことになるのかもしれません。つまりそれ以降は漱石自身からも、それからほかの作家からも、あるいは漱石の系譜に属する作家からも、そういう野放図に楽しそうな青春小説みたいなものはめったに現れることがないと。で、現れたとしたらそれはちょっとした作りもんだっていう、そういうこと、つまり読み物だっていうようなかたちでしかなくなっちゃったなっていうことになってるんだっていうふうに思います。
で、漱石自身はそういう破滅的な主題に入ったところで終わってしまったわけですけれども、漱石が『三四郎』で一種の区切りを付けてくれた、そういう問題っていうのは現在でも大変、違うかたちですけど、現在は現在のかたちですけども、非常に違うかたちで今も引きずっていて、僕らはそこで期待したり諦めたりとか、がっかりしたりとかっていうことを繰り返してるっていうようなことが言えるのではないかっていうふうに思います。
一応今日の主題についての三つの作品を取り上げて申し上げたんですけども、これで一応終わらせていただきます。
司会:
本日はご来場いただきまして、また長い間ご静聴いただきまして誠にありがとうございました。これを持ちまして第59回紀伊国屋セミナーをすべて終了させていただきます。なおわたくしどもの不手際におきまして開演時間が大変遅れましたことをお客さまに重ねて深くお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。どうぞだいぶ夜も遅くなりましたのでお気を付けて皆様お帰りください。なお本日は1階もシャッターをお開けしておりますので、1階からも地下からもどちらからでもお帰りになられます。階段もエレベーターもございます。どうぞお気を付けてお帰りくださいませ。どうも遅くまでありがとうございました。
テキスト化協力:はるさめさま