戯曲に沿って、ヴェイユについて解説するというのが、僕が承った役目です。この戯曲は、ヴェイユの主な生涯の問題点が全部尽くしてある、大変よくできた戯曲だと思います。それに沿って、ヴェイユの生涯をお話しするということになると思います。
ヴェイユは、ユダヤ系のお医者さんの家に生まれて、兄さんがひとりいます。兄さんは、僕らにはそっちのほうが親しいんですが、アンドレ・ヴェイユといって、代数関数論など、今世紀で指折りの数学の大家です。ヴェイユは、子どものときに兄さんと比べられて、自分の凡庸さにほとほと嫌気が差して死にたくなってしまったと書いています。それくらい今世紀4つか5つ指を折ればその中に入る大変な数学者です。
幼年時代、別に何がどうということはないんですが、ヴェイユは乳児のときに育ちが悪いというか、シモーヌ・ペルトマンという人が書いた伝記を見てみると、生後6カ月ごろ、母親が虫垂炎の発作を起こして、授乳ができなくなり、栄養補給ができなくなった。それで虚弱体質になってしまった。それから生後11カ月ごろ、おばあさんの手で離乳をするわけですが、母親と同じ虫垂炎の発作があったり手術をしたりして、離乳がうまくいっていないということがあります。生後16カ月目で哺乳瓶しか口にできなくて、そのほかの食べ方、たとえば白湯で食べるというような食べ方は全然受け付けないで、哺乳瓶に大きな穴を開けて食事を取る。だいたい22カ月目まで病気がちだったと書いてあります。
さらに2歳のとき、アデノイドにかかっています。そして3歳半のとき、虫垂炎の発作を起こして手術をしたけれども、回復はなかなかできなかった。お医者さんからは回復が不可能だと言われたりした。そういう育ち方をしています。
このことは何に影響するかですが、僕らの考え方では、ひとつは思春期のあり方に影響するだろう。もうひとつは晩年のあり方に大きな影響を与えたに違いないと思います。そのほかの点では、頭のいい子だったという以外に特筆するところは幼少年期にはありません。しかし、これはとても重大なことのように僕には理解できます。思春期までは、兄さんと比べられてほとほと弱ってしまう、自分が天才的でない、凡庸だということに大変コンプレックスを抱くみたいなことはあったにしろ、格別なことはないと思います。
そして、いろんなことを考えているわけです。ただ戯曲の中では、自分は兄に比べられて、頭がよくない、平凡だということにコンプレックスを感じたけど、別にそれを自分の生涯の成功と結びつけて考えたわけではなくて、だんだんと思いを追い詰めていくうちに、誰だって能力はそんなに問題でなくて、努力を重ねていけばだいたい自分の望みどおりのことはできるものだと思えるようになったということを強調しています。そこらへんのところは普通誰でもが体験する体験とそれほど違った思春期を持っているわけではありません。
学生時代にはすでにラジカルな社会思想を身に着けていて、いつでも取り巻きの男性の学生を2、3人連れて学校の中をのし歩いていたと、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『娘時代』を読むと書いてあります。ボーヴォワールはもう少しおもしろいことを書いていて、自分と出会ったとき、いま貧困で飢えているやつを解放するという以外に課題なんか世界には何もないんだとヴェイユが言った。ボーヴォワールが、いやそうじゃない、人間の実存性というのはいままで考えられていたよりももっと深く追究するに値する問題だと思っていると言うと、あんたは飢えたことがないような顔をしているとか言われてしまったと書いてあります。つまり、大変ラジカルで、屈折のない学生時代を送っている。これもそれ以外に特別なことはないと思います。
その延長線で、教師の資格を得て、女子中学校の哲学の教師になるわけですが、教師になったころには、社会活動もはじめていて、たとえば失業者のデモなどに加わったりして大変ラジカルな振る舞いをします。また、それ相当の政治論文を書いています。アナキスティックなマルクス主義というか、アナルコサンジカリスムというか、そういう立場に立って大いに文筆でも活動し、実際でも運動して、文部省などから顰蹙を買っているという時代を経過するわけです。それが教師時代のヴェイユの姿で、そこまではごく普通のラジカルな若い女性というところでヴェイユのイメージが決まっていくと思います。
ただ、だんだん突き詰めていくうちに、ヴェイユらしい考え方というのが出てきます。ヴェイユらしい考え方というのは何かというと、いちばん大きな問題、それは生涯のうちでもいちばん大きな問題のひとつですが、当時のスターリン体制下のソビエトは少しも労働者の国家ではないじゃないかということに疑問を生ずるわけです。あれは官僚が支配している国家で、ちっとも労働者の国家ではないということが、ヴェイユの大きな疑問点になります。この疑問点はさまざまな角度から、さまざまなイデオロギー、理念から出されているし、いまでも出されるわけですが、ヴェイユは、あれは官僚的な国家であるだけで、ちっとも労働者の国家ではない、労働者はただ官僚にいいように引きずられているだけだと理解します。
ヴェイユがそこで批判の観点として本質的に突き詰めていったことは何かというと、社会主義的な思想というのはどのように突き詰めていっても、究極的には精神労働をする人間と肉体労働をする人間という区別だけは永久になくならないんじゃないか。それがなくならない限り、労働者の解放みたいなことはありえないんじゃないかというのが、ヴェイユの生涯突っかかった大きな問題です。つまり、ソビエトは官僚国家だというのを、片方は理念と頭脳だけで労働者の方向づけをしようとするし、片方は肉体労働を主体として生活していく以外にないわけで、その区別がどこまでもつきまとう限り、労働者は解放されたとは言えないと考えるわけです。肉体労働と精神労働の区別がある限りは、どんな社会が来て、どういう体制を取ってもだめなんじゃないかということが、ヴェイユの非常に基本的な観点になってきます。
そういうことでいちばん目立ったことでは、トロツキーがスターリン体制から弾き出されて国外へ亡命していくとき、フランスに立ち寄るわけですが、そのときヴェイユの家を宿泊所として提供します。そこでトロツキーとヴェイユと論争するところがあります。ヴェイユはその論争のときの要旨をメモに書き留めており、どういう論争をしたか現在わかるわけですが、それを見ると、やはり同じ問題です。ヴェイユは、ソビエトなんてちっとも労働者の国家ではない、あれは官僚国家に過ぎなくて、労働者は従属しているだけじゃないかという観点を打ち出します。
それに対してトロツキーは何と答えたかというと、それは違う、労働者が自分たちの合意でソビエトの政府の存在を承認している限り、ソビエトの政府は労働者を代表する国家だと言えるんだ。だからヴェイユのようにファナティックに、労働者は解放されていないという観点は成り立たない、あんたの考え方はすこぶる反動的だと言います。
ところがヴェイユはそうじゃないんだ、ソビエトは全然お話にならない国家で、労働者がちっとも解放されていないというのは自明のことなんだと主張します。ヴェイユの主張の根底にあるのは、肉体を使って労働する労働と頭だけ使って労働するという人間の労働のしかたの区別がある限り、いくら何と言ったって労働者の解放にはなっていないということで、あれはただの官僚独裁国家だと主張するわけです。
ここのところはトロツキーの観点というのはすこぶる危なっかしいことになっています。ヴェイユはそのとき皮肉を言って、そんなことを言ったら資本主義国家だって、労働者は黙って資本主義の政府を承認しているじゃないか、それなら資本主義だって労働者の国家だということになるじゃないかと反論します。この反論にはトロツキーがほとほと参って、お前は本当に反動的なやつだと言って、論争は終わりになります。しかし、ここは重大な問題であって、僕らがいま考えると、トロツキーというのはそういうところが甘いから、スターリンにしてやられることになったと思います。
ところで、ヴェイユの観点ですが、精神労働、事務労働でもいいんですが、そういうことと肉体を働かせてやる労働との区別がどこまでたってもある限り、精神労働をするほうが頭脳になって、肉体労働をする人たちが手足になるということはどんな社会になろうと避けがたいというのがヴェイユの考え方の基本ですが、それは妥当だろうか、その考え方はいいことかどうかということになります。
いまのところ僕のその問題に対する解き方はもちろんヴェイユとは違います。僕はどう解くかというと、国家で言えば、ソビエトであろうとどこであろうとそうなんですが、仮に政府をつくっているのは官僚であって、労働者は肉体労働をやっているという国家であっても、国家自体が開かれていれば、まず過渡的にはそれでよろしいんじゃないかという解決のしかたをします。だからヴェイユのように、肉体労働と精神労働との区別がある限りは、どんな社会が来たって絶対に、肉体労働をするやつは従属し、頭脳で労働するやつは上に立って支配することになるんだという観点までは僕らは現在のところ行っていなくて、国家なら国家を開くことができれば、だいたい過渡的にはそれで成り立っていくんじゃないか、労働者の解放ということは言えるんじゃないかと考えるわけです。
国家を開くというのはどういうことかというと、ソビエトでも資本主義国でも同じですが、要するに国家を労働者も含めた一般大衆、われわれみたいに普通の人の過半数なら過半数、3分の2なら3分の2の直接投票でリコールすることができる。
つまり、直接投票で3分の2以上が政府に対して不信だとなったらば、その政府は替わらなくてはいけないという法的な規定を設けておけばかろうじて、労働者自体の国家でなくても、一般大衆自体の国家でなくても、官僚が事務的には支配している国家であっても、それは労働者あるいは大衆の国家だと言えるんじゃないか。議会ということではなくて、そのことだけは一般大衆の無記名の直接投票で、たとえば3分の2以上の人たちが、この政府は気に食わない、取っ替えたほうがいいとなったらば、その政府はやめなくてはならないという法律規定をひとつ設けておけば、だいたいにおいて過渡的には大衆、労働者の解放された国家と言えるんじゃないかと僕らは現在までのところでは考えています。
たとえば一昨年あたりからソビエトとか東欧で共産党の国家権力がどんどんずり落ちています。あんなのは当たり前のことであって、要するに大衆からリコールされているということを意味します。ソビエト、つまりレーニン、スターリン以降の国家が3分の2以上の無記名直接投票で承認されなかったら、政府は替わらなければいけないという規定がはじめからあれば、一昨年あたりから東欧、ソ連でもめているようなことは、とうの昔に実現している。そうしていないから騒ぎになって、共産党が国家からずり落ちてしまう事態にいまなっているということになります。これは現在ほかの社会主義国でも同じことであって、その規定がなければ、どこかでいつかそういう目に遭うだろう、そういうことになるだろうと思います。
僕らの到達している、いま考えているところまでで言うと、僕はそういう解決のしかた、考え方というのはありうるし、ヴェイユもそういう考え方を取ってもいいはずだったと思いますが、ヴェイユはほとんど絶望的に、頭脳労働と肉体労働との区別がある限り、どんなふうに理想的な社会を思い描いても、平等な社会というのは実現されないよとだんだん考えていくわけです。それがヴェイユの考え方の、またヴェイユの生涯の転換点の非常に大きなポイントになる点です。
ヴェイユはそういう観点から自己主張していくわけですが、彼女なりに徹底的に自分の考え方を突き詰めていると言えるのはどういうことかというと、ヴェイユは女子中学の先生をしているとき、女子の工員さんとして工場で働きたいという発想を取ります。僕らは推理的に、ロシアマルクス主義を中心とする政治的な動向に対して絶望したためにそういう考え方を取ってきたと思っていましたが、そうでなくて、ヴェイユの書いたものを読むと、自分はずっと前から工場で働く体験をしたいと考えていた、もしこれが実現しなかったら自分は死んでしまうと思っていたと言っています。
文字どおり工員さんとして工場に雇われるわけです。アルストンという電機会社の工場に勤めたり、ルノーの自動車工場に勤めたりというふうにして、ただの工員さんとして肉体労働に従事するという勤め方をします。いってみればヴェイユは、頭脳労働者である自分、あるいは頭脳的な自分と、肉体を使って労働する自分という両端を自分の一身の中で総合したいという考え方が強くあったと思います。結果的には、それをまずやってみる、やってしまおうということだったと思います。
僕らがヴェイユという人の思想、生涯を考えてきて、すごいねと思うのは、何はともあれやってしまうんだからねということです。飛び切り優秀な政治思想家であり哲学者であるヴェイユがわざわざ肉体労働を体験するために、工場の女子の工員さんになってみることはないじゃないか、頭脳労働に従事する者、あるいは社会革命を主張する人たちと、実際に社会で肉体を働かせている労働者の人たちとがいかに懸け隔たっているか、また懸け隔てざるをえないかは頭で考えればすぐわかるじゃないかと思えるわけですが、ヴェイユは自分の一身の中で両方を総合体験したいという観点から、工場に女子の工員さんとして雇われて労働します。
それはものすごくきつい労働です。一刻の猶予もならないし、製品が失敗したりノルマを果たせなければすぐに上役から叱られるし、大変過酷な労働に従事して、ほとほとへたばってしまいます。同時にヴェイユは、先ほど乳幼児のときに病弱ということを申し上げましたが、そういうことと関連すると思いますが、頭炎といって、鼻骨と顔の表面の皮膚との間に菌がたまって化膿すると頭が痛くなったりということがあって、ヴェイユはしょっちゅう頭が痛いということに悩まされます。疲労したりするとなおさらそうであって、工員さんの体験をするんですが、疲労と頭痛でへとへとになるみたいな工場体験をやるわけです。
その工場体験をやって、ヴェイユはヴェイユなりの考えの決着のつけ方をします。ひとつはロシア革命の指導者であるレーニンでもトロツキーでもそうですが、革命だ革命だと言っている政治運動家というのは一度も工場で働いた体験はないだろう、それを全然わからないで主張しているに過ぎないんだということです。
しかし僕らがヴェイユの工場体験の中でいちばんヴェイユならではと思える体験というのは何かというと、ヴェイユは工場体験をしたことを知り合いの人に手紙を出して言っていますが、一寸のゆとりもないような肉体労働をして、へとへとに疲れてしまう状態を毎日続けていると、こういう体験をする前は、さぞかし反抗心が募って、ますますラジカルな社会変革の思想を身に着けていくと思っていたけれども、自分が体験してみると、そうじゃないことがわかる。こういう体験をしてみると、受け身になって、過酷な条件でも何でもとにかく承認して、別段反抗するわけでもないし、文句を言うわけでもなく、これに慣れてしまう。つまり、奴隷的な状態というのは反抗心を募らせるものだと一途に考えていたけれども、実際に体験してみると、それを承認して慣れてしまうということが人間にはあるんだということがはじめてわかったという手紙を出しています。
この目覚め方、体験の会得のしかたというのは、もちろんラジカルな社会変革の思想から言うと、ついに現実に妥協してだめになってしまったじゃないかと言うかもしれませんが、そうではなくて、あらゆる体験の中にある内在性というか、内面的な体験性というのがあるんだなということをヴェイユははじめて会得した。いままで自分はプライドを持っていたけれども、そんなプライドなんか全然お話にならない、それはひどい目に逢ったことのないやつの知的なプライドであって、本当に体験してみると、人間のプライドというのはそんな簡単じゃないということがはじめてわかったと言っています。
もうひとつ言っていることがあります。これは自分の女子中学のときの学生さんにあてた手紙ですが、どういうことを言っているかというと、人間は頭脳だけではなくて、肉体的に不器用だということがどんなに大変なのかを自分ははじめて体験した。だからあなたも勉強ばかりしないで、親を説得して、スポーツをしたり山登りをしたりして遊ぶということをやって、体を丈夫にしたり、反射神経を大切にしたりしたほうがよろしいですよ。
これもなかなか大変な目覚め方だと僕には思えます。一見するとつまらないことだし、そんなことはわかりきっていると言いそうな気がしますが、本当はそうではなくて、ヴェイユにとっては、また一般的に言って、知識でもって何かしようという人にとってはとても重要なことのように思います。体が生まれつき丈夫であるということではなくて、進んで体を丈夫にするということが、単に健康だという意味合いだけではなくて、いろんな意味でとても重要なことなんだ。ヴェイユは自分が不器用で、さんざん上役に叱られたり、同僚にいたわられたり、逆に意地悪されたりという体験をしたので、その体験を通じて、そういうことを学生さんに手紙で言っています。
僕はヴェイユの工場体験の目覚め方の中で、その3つのこと、つまり革命思想なんて本当に肉体労働をしたことのないやつが言っているばか話だという覚醒のしかたと、体を丈夫にしたほうがいいですよという覚醒のしかた、それから人間は肉体労働でぎゅうぎゅうな目に遭わされたら、黙ってそれに耐えるというあり方もあるということがはじめてわかったという覚醒のしかたは大変重要なことだと思います。つまり、ヴェイユの工場体験で重要なのはその3つのことに要約されるんじゃないか。
それはかつてラジカルな学生であり、ラジカルなインテリゲンチャであったときのヴェイユが考えもしなかったくらい、自分の思想、考え方に厚みを加えたということを意味します。また逆に言うと、そういう覚醒のしかたをすれば、一途に屈折なしに、社会を変えれば全部がよくなるみたいな考え方を持てなくなったということを意味します。
ですから日本の言葉で言えば、これは一種の転向と言うことができると思います。ただ、日本人の転向というのは戦争以前から戦争中を経過して戦後にかけてあるし、現在ロシアおよび東欧をはじめとする社会主義圏で共産党の政権が国家からずり落ちてしまったということを契機にして、さまざまなかたちで陰に陽に起こりつつあるわけですが、転向という言葉を使えば、ヴェイユの転向と日本の転向と何が違うかというと、要するに日本の転向のしかたというのは大なり小なり心理の問題なんです。一朝目覚めて、ちょっと発想のしかたを変えたら、ああいままで考えたことはつまんねえことだったとなってしまうみたいな、サイコロジーの問題であるというところが多分にあるわけです。つまり、一朝目覚めたら変わっていた。
ヴェイユにはそんなことは絶対ないんです。初期のラジカルな社会主義者のところから、工場体験を経て、さまざまな屈折を加えるわけですが、その中で妥協とかごまかしというのは僕らが見ている限りはひとつもしていないで、必然的に突き詰めて徹底的に自分でやってみる。何も大インテリが工場に行って女子の工員さんになる必要はないので、そんなことをしたって何も得るところはないと思えるんですが、それをとにかくやってしまって、自分の体験として身に着ける。そうしておいて、自分の考え方を少しずつ修正したり、厚みを加えたりする。その考えの変え方というのは、日本のサイコロジーに過ぎない転向のしかたとまるで違うということになります。
日本の場合、戦争前にはスターリンの言うとおりのマルクス主義をマルクス主義だと思ってやってきて、戦争になったら軍国主義、ファシズムになって、戦後になったらまたマルクス主義だとか社会主義だとか言いだしてというふうに、有為転変を経る。いってみれば大部分は心理の問題です。やさしい言葉で言えば、気の持ちように過ぎない。ですから、ころころ変わってしまう。現在だって、たとえば東欧とかソ連とか、共産党の政権、国家がずり落ちたということは歴史において20世紀最大の事件のひとつで、ものすごく重要なことですが、日本の社会主義的な思想を持っているやつというのは、あきれてものも言えねえよと、けろりとしているだけですから、これではいつまでたっても同じですよ。時代が来たら、またころりと変わるに決まっている。そういうことを考えても、ヴェイユの生き方というのは徹底的なもので、徹底的に突き詰めていくわけです。
ファシズムというのは国家社会主義といわれているものですが、ファシズムを国家社会主義と考えると、スターリン主義というのは社会国家主義です。僕はその視点を重要視しますが、国家というものを開くことができない社会改革の思想というのは全部だめですね。いくらやっても時代によって変わるだけで、国家社会主義に変わってみたり、社会国家主義に変わってみたりというだけです。つまり、どのように国家を開くか、それがない社会改良の思想というのは全部だめだと思います。
ヴェイユはそういう観点ではなくて、精神労働あるいは頭脳労働と肉体労働をしている人の区別、差別というのはいつまでたっても変わらないという視点で、平等社会というのは絶望的にできないんだよなと考えていくわけですが、その観点を持って見ても十分によく現在の世界の社会主義の状態がなぜだめかを見分けることができます。僕は自分の観点から言えば、国家を開く装置がないから全然だめだよと思います。開く装置を考えない社会改良の思想というのは全部だめだと僕には思えます。ファシズムと、スターリン主義というか、社会国家主義と、くるくる循環するだけです。
みなさんはもしかすると違うふうに考えていて、ファシズムというのは悪いやつで、スターリン主義とかロシアマルクス主義というのはいい思想だと思っているかもしれないけど、そんなことは嘘であって、ファシズムだって、僕は戦中派だから日本の軍国主義を知っていますが、みないいことしか言わないんですよ。なるほど、これはいいことだよな、ちっとも悪いことじゃないよなということしか、軍国主義だってファシズムだって言わないんですよ。つまり、いいことばかり言っているから、その思想は正しいというものではないし、悪いことを言うかと思うと、そんなことはないんです。ファシズムだっていいことしか言っていない。要するに、原則、原理的にだめだったらだめだという以外にないと思います。
ヴェイユの観点を貫いていけば、やはりマルクスの観点になっていくわけです。マルクスと当時の社会改良運動をやっていた連中との対立点というのは最後には決まってくるわけで、お前はインテリで理屈ばかりこねているけど、社会改良なんかやったことないじゃないかとマルクスは言われる。それに対してマルクスは、愚か者が栄えたためしはねえんだと言い返す。それがマルクスと当時の社会運動とのギャップです。ヴェイユで言えば、頭脳労働と肉体労働を主体とした運動家との違いというのはそこなんです。結局突き詰めていけば、お前は何もしないで理屈ばかりこねているじゃないかと片方は言うし、愚かなやつが栄えたためしはねえんだとマルクスはテーブルを叩いてやる。それが対立点です。ヴェイユが言った対立点というのも結局はそこです。それを逃れる方法はないんじゃないかというのがヴェイユの観点です。
僕はそうではありません。要するに、国家を開く装置があれば過渡的には大丈夫なんじゃないかと思っています。それからヴェイユ自身も工場体験の中で何をしたかというと、もちろん頭脳労働と肉体労働とを自分の中で総合したいということがあったと思いますが、もうひとつは労働者に、文学的なというか、ギリシアの古典劇を易しくしたり、啓蒙活動みたいなことをしています。啓蒙活動と言えばつまらないことになるんですが、ヴェイユは実際的には開くということをしているわけです。
つまり、頭脳労働と肉体労働の差がある。それをどうやったら開けるかといったら、過渡的に言えばこれしかないわけで、頭脳労働の人はいつでも自分を肉体労働に移行できるし、肉体労働の人もいつでも頭脳労働のほうに行けますというふうに、道を閉ざさない。頭脳労働は頭脳労働だけとしないで、分業化してもいいんですが、どこかで開いておいて、肉体労働の人も頭脳労働をやることができるし、頭脳労働の人も肉体労働をやることができる。両者がどこかで開いておくというのが唯一可能な観点だと僕には思えます。
ヴェイユは実際問題としてはそういうことをしているんです。工場体験の中で、自分の体験だけではなくて、わずかではありますが、啓蒙活動みたいな、労働者に知識的なものを開いていくということをしています。一生懸命考えて、一生懸命やるだけのことをやっているということになるかと思います。ヴェイユはそこらへんまで考えてきたときに、自分なりの屈折点というところに立っていくわけです。
ヴェイユは、晩年、宗教的な考え方に行くわけですが、その中間でもし言うことがあるとすれば、ひとつはスペインの内乱に参加しています。スペインの内乱というのは何かというと、スペインの進歩的な中央政府に対して、モロッコにいた軍部、フランコという将軍が反乱を起こして、内戦が始まる。ヴェイユはアナキズム系、あるいはアナルコサンジカリスムの系統の組織に加わって、スペインの内乱に参加していきます。
このスペインの内乱は歴史の中でどういうところが重要かというと、いくつかあるんですが、スペインの内乱というのは要するに進歩的な中央政府があって、労働者や農民がそれに味方するかたちで戦線を組み、片方、フランコ将軍のほうは貴族階級とかカトリックの宗教勢力などをバックにして反乱を起こす。それに対して、ヨーロッパ中の大なり小なり社会主義的な思想を持ったインテリゲンチャが、スペインの中央政府を援護する戦線に義勇軍として参加していくみたいなことをする。ヴェイユは、CNT(労働国民連合)、これはアナキズム系のPOUMという組織の中にあるわけですが、そこの一員として参加していくわけです。
これは何が重要だったかというと、ヴェイユもそう言っていますが、このスペインの内乱について少なくとも妥当なことを公表した考え方がふたつあります。ひとつはベルナノスというカトリックの神父さんの思想家で、本来的にフランコ将軍側に立っているインテリですが、このベルナノスがスペイン戦争に対して発言していて、これは『月下の大墓地』というベルナノス選集の中にありますが、かなり妥当なことを言っています。もうひとつはみなさんもご存じのカタロニア賛歌です。そのふたつがスペイン戦争について妥当なことを言っています。
カタロニア賛歌は政府軍側、進歩的な義勇軍側に立っているし、ベルナノスは保守的な側に立って書いているんですが、両方で言っているのは、ひとつは戦争ということです。
もうひとつはっきり言っているのは、スペインの内乱でどういうことがあったかというと、フランスの国境に近いところ、カタロニアとかアラゴンといった地方における政府軍側に立った勢力というのは、これを機会に、農民運動および労働者運動の勢力が都市や農村を制圧して、革命を成就するんだという考え方を取りました。共産党勢力はそう考えないで、むしろいまある中央政府を擁護して、反フランコであればいいんだと考えて、そういう戦時戦略を取ったわけです。だから共産党およびそれに属するところにだけ武器を供与して、革命を志したカタロニア地方、アラゴン地方の労働者および農民の運動の勢力に対してはしだいに弾圧していった。いわゆるスターリン体制下の勢力とそれ以外の勢力とはそこでみごとに分離、分裂してしまったということになります。
そういうことがひとつとても重要で、カタロニア賛歌を見ると、スペインの外では、この内乱を革命だと言っているやつは誰もいなかった。しかし、スペインの国内では、これは革命以外の何ものでもないとみな思っていた。それほどスペインの中にいる者と外にいる者、あるいはソビエトのスターリン体制下の進歩派と中の革命派とは違っていたんだ。だから外からスペインの内乱を、これは革命なんだと考えたり評判を立てたりしたやつはひとりもいないんだけど、中では、これは革命以外の何ものでもないと思う以外のやつなんかいなかったんだと言っています。それくらいスペインの内乱というのはアンチ・フランコだけではなくて、それを別にしても、世界中のいわゆる進歩的、社会革命的思想が真っふたつに分かれる最初の兆候を示したと言うことができると思います。
ヴェイユもベルナノスもそうですが、どういうことを主体に考えたかというと、ヴェイユはアナキズム系の義勇軍に参加しているわけですが、それは必ずしもスペインの中でいい振る舞いをしなかったと、ベルナノスへの手紙の中で書いています。つまり、人間というのは誰からも罰せられずに人を殺すことができる機会になると、人を殺すものだということがとてもよくわかったと言っています。たとえばカトリックのお坊さんが義勇軍側の捕虜になった。それが射殺されたり、釈放するから行きなさいと行かせておいて、後ろから銃で撃ち殺したりしているのを自分はちゃんと見た。要するに、義勇軍側、進歩派側の内部告発をヴェイユはやっている。ベルナノスは逆に、フランコ政権側のいろんな残虐行為、でたらめなやり方を、『月下の大墓地』の中で告発しています。自分らの本来的に党派的に言えば味方である勢力のだめさ加減を告発しているわけです。
ここでヴェイユは戦争に対して徹底的に突き詰めるということをしています。戦争とは何かということに対していちばん突き詰めて考えたのはヴェイユだと思います。これはいろんな要素があると思います。ヴェイユが女性だったということもあるでしょうし、ヴェイユなりの考え方というのがいろいろあると思いますが、戦争とは何なのかということに対して徹底的に突き詰めたのはヴェイユがはじめてです。マルクスもエンゲルスもレーニンも、革命的な戦争でありさえすれば戦争もやむをえないということで、戦争というものに対する突き詰めた考察というのはしないでやめています。ヴェイユはそこをスペインの内乱に加わった体験も含めて徹底的に突き詰めていきます。
戦争とは何かといったら、ひとつの国と敵対する国との利害の衝突とか政治的、経済的な衝突の延長線上で行われる武器を取った殺し合い、争いとは考えなかったわけです。ヴェイユは最後にどう考えたかというと、ひとつの国と違う国とが利害相対立するとかひとつの国民性と違う国民性との利害が相合わなかったときに争いが起こる、あるいは革命戦争と言えば、革命戦争は善、正義で、非正義の戦争もあるというのが毛沢東の考え方ですが、そのような考え方は全部いい加減なものであって、本当を言うと、革命戦争というかたちを取ろうと何を取ろうと、戦争というのはその国の政府をつくっている支配層と、普段は肉体労働をやっている、戦争になれば鉄砲を担いで戦闘に従事しなければならない人間との対立なんだというところに到達します。
つまり、戦争というのは現象的にどういうかたちを取ろうと、国家対国家の争いのように見えようと、国連対非国連の争いのように見えようと、そんなことは全部見かけ倒しであって、そのときの支配層と被支配層との間の争いだということになるんだよということをヴェイユが突き詰めていった最後の到達点だと思います。ここまでの突き詰め方をはっきりとやったのはヴェイユがはじめてだと思います。
ヴェイユはここまで到達したところで、宗教的な体験を契機にして、宗教的な考え方に……
【テープ反転】
……それはどういう体験を経ているかというと、おおよそふたつに分けることができます。ひとつは社会政治思想、革命思想というところから、なぜ宗教的なところへ入っていったか。これはヴェイユには絶えず強烈な頭痛がつきまとったわけで、肉体的な苦痛から神を見たという体験へつながっていきます。ヴェイユは工場体験をやって、くたびれて体を壊して、休暇を取っている間に旅行をするわけですが、その旅行の中で、カトリックの修道院で修道女と同じような行事に加わっているとき、肉体的な苦痛から精神だけが離脱したという体験をします。肉体的な苦痛の外へ精神が出てしまって、そこでキリストがやってきて自分を抱擁するのを現に見たという体験をするわけです。それはものすごく強い体験で、その体験を契機にして、キリストの宗教というのは本当にあって、苦痛というものを主要な生存の要素としているような人たち、奴隷という言葉を使っていますが、奴隷にとって重要な宗教だとはじめて思うようになったと言っています。
こういう体験がヴェイユにはもうひとつあって、アメリカで見知らぬ男が見知らぬところへ、いい体験をさせてあげようと言って連れていってくれて、その男の人と一緒に何日か過ごした。それはどこであるかよくわからないんだけど、そのときの自分の体験はちょうど神、キリストと一緒にいるような体験だったと言っています。それがヴェイユを宗教的な体験のほうに持っていった重要な考え方のひとつになっています。
もうひとつは一種の自己抹殺、自分が生きているというのはものすごくだめなことなんだ、もっと普遍的に言えば、人間が生きているというのはだめなことなんだという考え方に到達します。もっと個人的に言えば、自分が生きているというのは天と地を汚しているようなものなんだ。自分がいなければ、もしかすると神のつくったものとつくられたものとが和解する、話し合うことができるかもしれないけど、自分みたいなのがいると、それは曇ってしまうんだ、自分なんかいないほうがいいんだみたいな、一種の自己抹殺の考え方になっていきます。
その考え方はヴェイユの基本的な神学といえば神学ですが、自然および人間の世界をつくった神というものがもしあるとすれば、神は人間および自然の外側に存在している。もし外側に存在している神を実在だと考えるならば、それがつくったところの人間の世界というのは全部、実在の影に過ぎないと考える以外にない。だから神を実在すると考えるならば、人間の存在は影に過ぎないと考える以外にないとなっていって、神の存在と人間の存在、生というのはいわば二律背反で相矛盾するんだみたいな考え方をだんだん取っていくわけです。
もうひとつ言えることは、これは終始初期からこだわっていることですが、労働、特に肉体労働ですが、人間は神がつくった被造物世界に存在する限り、労働するということは絶対必須条件なんだ。また、人間は労働することによって、宇宙、あるいは神の世界に触れることができるので、神の世界に触れる唯一の手段は人間が労働すること以外にないんだという考え方を取ります。
この労働という考え方には一種の二重性があって、労働するということは自然、環境に対して何か働きかけて手を加えることなので、単に働くとか働いて賃金を取るということだけではない。人間のすべての行為はどんな行為でも自然に対して働きかけるということだ。だから働いて生活をするとか何々をつくるということと一緒に、人間の自分の環境に対する働きかけというのはみな、労働と考えていいんだ。つまり、ヴェイユの中では、労働という概念に二重性があります。
その二重性の中のひとつ、つまり対象、周囲の世界に対して働きかけることはみな、労働なんだという考え方を突き詰めていって、宇宙の存在に如実に触れるには労働する以外にないんだという考え方を取っていきます。その労働という概念が、内面的な考え、つまり宗教的なものに転化していってしまうということがあります。ですからヴェイユの労働という概念は初期の革命思想のときから肉体労働という考え方は変わらないわけですが、肉体労働という考え方が持つ二重性が独りでにヴェイユを内向的にしていく、つまり労働を精神的なものにしていく要素になったと思います。
そのことと、自分は存在しないほうがいいんだ、存在しないということが神の世界へ移行する唯一の方法なんだ。また別の言葉で言えば、ヴェイユは、人間が神の世界に行くにはふたつの方法がある。ひとつは死ぬということだ。もうひとつは労働することで、向こうの世界に触れることができるんだ。そのふたつが道なんだと言っています。
そういう考え方になっていくと、これは日本の中世の宗教家も同じですが、向こうの世界、ヴェイユの言う神の世界ですが、そちらがこの生きている世界よりも重要なんだという考え方にどうしても移っていってしまうことになります。ヴェイユも同じで、自分は存在しないほうがいい、人間は死と労働ということ以外に神に触れることはできない、また労働というのはそういう意味から言えば、毎日の死みたいなものだという考え方になっていきます。
これは日本の中世の宗教家で言うと、たとえばいちばん極端なのは(?ケンショウ)坊という人ですが、要するに、ヴェイユの言う神の世界、仏教で言えば浄土ですが、俺は1日も早くあの世の浄土の世界へ行きたくてしょうがなくて、1日命が延びたらがっかりするんだという言い方をしています。それも同じで、こちらの世界よりもあちらの世界のほうが重要だ、そちらの世界が主体だとなってしまっているわけですが、ヴェイユの宗教的な突き詰め方というのはそれにとてもよく似ています。つまり、日本などで言う中世のお坊さんの浄土思想ととてもよく似ている。向こうが主であって、生きているというのはむなしいことで、1日も早く死にたくてしょうがないんだ、1日命が延びたら嫌で嫌で、つらくてしょうがないんだという考え方です。
ヴェイユの考え方もそれに似たところがあります。自己消去というか、自己抹殺というか、自分はいないほうがいいんだという考え方に傾いていって、だんだん宗教的な体験の中に入っていくということになります。晩年のヴェイユというのは宗教思想的な考え方をどんどん突き詰めて、独特の神学、宗教思想に到達していくわけです。
ちょうど第2次大戦が始まる前後のころ、フランスでもそうですが、ユダヤ人に対する迫害がナチス・ドイツを中心にして始まっていって、ヴェイユはそれを避けるためにアメリカへ両親と一緒に亡命していきます。本当はドイツ軍占領下のフランスに入っていって、抵抗運動、地下運動みたいなのをするというのがヴェイユの理想だったんですが、アメリカに移って、ロンドンに亡命していた自由フランス政府に対して、そういう任務に就かせてくれと盛んに強調します。しかし、それは就かせてくれないということで、自由フランス政府の下働きをするというのが最後のヴェイユのやったことになります。
ヴェイユは看護婦さんの義勇部隊というのをつくって第一線に活動するという計画書を立てて、これを実行させてくれと言うんだけれども、それもあまりに病的な計画だというので退けられて、ヴェイユがそこで最後に与えられた仕事というのは、戦争が終わった後で、フランスというのはどういうかたちを取ればいいか、あるいはどのようになるだろうかということについての考察です。ヴェイユはそれに不満でしょうがなかったわけですが、ヴェイユの考えというのはいずれにせよ過激だということで採用されないで、そういうことに終始します。
ヴェイユの最期は、結核性の病気になるわけですが、自分で絶食して死んだといわれたりしています。ヴェイユはそこで生涯を終えるわけですが、本当を言うと、その時代、つまり第2次大戦中までの時代ですと、ヴェイユの思想がいる場所というのは世界史的に見て、どこにもなかったと言っていいくらいです。どこにもないくらいのところに到達したヴェイユというのは、傍から野次馬的に言えば、何もしなくていいから勉強していればいいじゃないかということになると思うのですが、ヴェイユは何かしたくてしかたがなくて、ドイツ占領下のフランスに入って地下運動をしたいみたいに終始一貫考えるわけです。そんなことをしてもヴェイユが持っている思想ではない思想に加担したことになる以外にないわけで、そんなことをする必要はないわけですが、そこがヴェイユの特徴で、やってしまうんだからねというか、そこまで考えてしまうんだからねということになると思います。
最期は食べることとか栄養を取ることを拒絶して亡くなったとされています。この生涯は、第2次大戦終了前後のところまででは、この世界中に存在する場所がないというくらいのところまで突き詰めていったわけですが、現在だったらばまだヴェイユの考え方が生きる余地があると思うし、ヴェイユが指摘した考え方が社会思想としても宗教思想としても生きて、そこから現在、あるいはこれから後の世界をつかまえていくつかまえ方のあるカギを提供しているということになりうると思います。
いろんな考え方があるわけですが、大なり小なりどうすることもできないというか、どうしようもない考え方ということになるわけですが、ヴェイユの考え方は現在、あるいはこれから以降の世界の移り変わりに対して、ある取っ掛かりを与えることができるんじゃないかと考えます。そして、必ずしもヴェイユが考えたところと同じでないかもしれませんが、僕らもそれを一生懸命考えたいわけで、そういうことが見つかっていかないと、どうしようもないよなと思えてなりません。だからそこらへんでヴェイユが現在の段階では甦ってくる余地があり、また兆しがあるんだと考えたほうがいいんじゃないかと思います。これからヴェイユの考え方が再び、いままでよりももっと突き詰めて追究され、考えられていくことがとても必要なんじゃないかと僕には思われます。
その意味合いで、僕らは自分らの書物には『甦るヴェイユ』という本の名前をくっつけたりしたんですが、本当に「甦るヴェイユ」と言えるものが、ヴェイユの生涯の考え方の転移の中にあると僕には思えます。今日これからやられる劇も、そのことをとてもよく表現しているんじゃないかと思います。これで僕の前座を務めさせていただいたのを終わりにしたいと思います。(拍手)(1日目終わり)
(ここから2日目)昨日もヴェイユの話をしたのですが、そのあと上映された芝居を見せてもらいました。どういう印象を持ったかを申し上げますと、日本でいえば能の舞台みたいなもので、僕は言葉がわかりませんから、能と同じでセリフはあらかじめ調べていかなければわからないのですが、何となく感じだけはよく伝わってくる気がしました。もうひとつは、ヴェイユという人は、やはりこういうやり方しかできないのではないかという感じがあります。かなりドラマチックな生涯ですからドラマ仕立てにすることはできるのですが、そうすると、ヴェイユという存在の特異性がだんだん薄れてしまうような気がしますし、卑俗化されてしまうような気がして、やはり物語化することができないという感じがしていますので、やっぱりあれでいいのかなというのが僕の感想でした。
ヴェイユ自身がギリシアの古典劇にはわりに詳しい人で、独特の考え方を持っている人です。あまり動かないほうがいいという考え方を持っている人で、たとえばシェークスピアの戯曲の中で、いいのはリア王だけだと書いているのがあります。あとはそんなによくはないのだといっているところがあります。そういう意味で、ドラマに関して厳しく特異な考え方を持っていたと思います。
リア王は何がいいのかよくわからないので、ヴェイユはどういうつもりで言っているのかわからないのですが、一般的に古典的で原型的なドラマはたいてい主人公がいて、それがいろいろな意味合いで艱難辛苦であり、ひとたびにっちもさっちもいかないところに乗り上げてしまいます。そこでどんでん返しが起こる。いってみれば、幸福になるとか、あるいは悲劇のまま終わってしまうというふうに、クライマックスに向かってさまざまな起伏があるのですが、結局そこへ到達してあとは一気に終わりまで持っていかれるのが説話伝承というパターンです。
ヴェイユはギリシアの古典劇でもそういう説話的な理解のしかたをしていますし、たぶんリア王がいいという意味合いもそういうことだと思います。つまり、説話性あるいは神話性でもいいですが、それに耐えるということ。これだったら耐えるという意味合いだということかもしれないと思います。よくわかりませんが大変特異な厳しい考え方を持っている人で、たぶん今日も上映されると思いますが、そのやり方はもしかするとヴェイユを主人公とした一種の古典的な形式のドラマと考えると、それがいいやり方で、あれ以外のやり方はできないのかもしれないという感想を持ちました。
昨日と同じ話をするのはいやだと思っていたのですが、(笑)ヴェイユの考え方を少し先のほうまで延長していったらどうなるか。昨日の続きでもないのですが、昨日とは少し違うニュアンスでお話をしたいと思います。昨日申し上げましたとおり、ヴェイユの考え方の生涯のポイントは3つくらいあって、ひとつは革命思想がどういうものなのか。もうひとつが、やはり工場体験に付随するわけですが、労働とはどういうことなのかということ。そしてもうひとつは宗教です。これはキリスト教的な宗教ですが、宗教的な意識がどうなのか。その3つがヴェイユの生涯の思想のポイントだと思います。
日本の思想と違って、はじめは革命思想を持っていたのがだんだん宗教思想のほうに変わっていってしまったという意味合いはないので、当初の革命思想は、多少の変形をしながらも全部引きずっていきます。思想というのは点ではないということです。その時々の点が思想ではなくて、幅が思想なのだという考え方だと思います。また、それが妥当な考え方のように思います。明日ころりと何かが変わってしまったというよりも、当初持っている自分の思想を全部引きずって、どこに集約点を持っていったかということになるのだと思います。
ヴェイユが工場体験をしたくて文部省に休暇届を出して、女子の工員さんとして働きに出るわけです。そのときは、重工業の基礎になっている現代技術と、それにまつわる現代社会の諸相、現代文化の姿の関連性について研究したいから休暇をくれという申請書を出しています。何を申し上げたいかというと、重工業の基礎になる現代技術という言い方をしているわけです。
みなさんはご承知だと思いますが、現在のフランスの社会も日本の社会もそうですが、一般的に先進的な社会というのは工業を中心にした社会ではないわけです。だいたい流通業やサービス業、医療教育という産業を主体的にした社会に移っています。そこが重要なことで、重工業が課題になった時代が過ぎていったということ、その課題を迎えたということと、ヴェイユが若いころ突っ込んでいった社会主義的思想とは、パラレルな関係にあるわけです。
社会主義的思想とは何かというと、工業化が社会の課題になっていたときの思想が社会主義思想なのです。その終焉とともに、ロシアで発明されたロシア的なマルクス主義が、たぶん終焉しているわけです。つまり、日本やアメリカ、フランスなどの先進諸国では、ロシアマルクス主義を主体とする社会主義思想は終わってしまっています。終わってしまった兆候は、ここ数年のソ連・東欧のもめ事に非常に象徴的に表れていますが、社会主義思想とは何かを産業の観点から言いますと、工業化社会、特に重工業にどうやって持っていくかを課題とした思想といえると思います。ヴェイユが当面したのも、まさにそういうことなのです。
それでは、スターリンはなぜ失敗したかということになりますが、重工業化、工業化とを推進したいがために、農業、農民を人工的に動かそうとしたわけです。土地に根を張って農業をやっている農民たちを、ここらへんは農業の区画だからこっちに移住させてというようなことを人口的にやったのです。それで農民から猛烈な反撃を食らって、それに対して農民を弾圧して多量に虐殺してしまいました。なぜかというと、工業化を企画化、計画化して速やかに高度に進めようがために、農民を勝手に、計画的に動かそうとして、大変な失敗と反撃を食らったわけです。
農業などの土地に根付いた産業は非常に生え抜きで、政府首脳部が計画すれば九州の農民を北海道に持ってきてとか、北海道の農民を九州に持ってきてというのはそんなに人工的にできるものではないし、土地に対する執着は簡単なものではないですから、それをやろうとしたのはスターリンのいちばんの失敗だと僕は思います。ヴェイユが、どれが理想的な社会主義思想かと考えたときの考え方の課題は、重工業の基礎になる現代技術の問題が、どういうふうにして職場や社会のいろいろなところでなされているか。それを自分はテーマにするのだという申請をして工場に入っていったのです。
工場でヴェイユは自分なりにいろいろな体験をするわけですが、昨日も申し上げましたが、ヴェイユの考え方の基本になっているのは農業と工業ということではなくて、肉体労働と精神労働はどこまでもつきまとうのではないかということです。これがつきまとっている限り、精神労働、頭脳労働をする人たちが上に立っていろいろ命令したり企画を決めたりして、肉体を動かして働く人たちはそれに従属して従っていくという構図はいつまでたっても終わらないのではないか。そういう人たちの従属はいつまでも続くのではないかというのが、ヴェイユが工場体験から究極的につかんできたものだと思います。それはヴェイユにとって生涯変わることがなかったわけです。
ところで、そのことを現在に延長したらどうなるか。たとえば日本の社会をモデルにしますと、農業をやっている人は9%くらい、工業をやっている人は30%前後だと思います。あとの半分以上は、サービス業や流通業、医療関係や教育関係というところに働いているということになっています。そうしますとどういうことが言えるかというと、サービス業、流通業が産業の大部分を占めてしまった社会では、頭脳労働と肉体労働の境界が非常に曖昧になっているし、ある意味合いでそれは非常に区別がついて、片方は従属して片方は威張ってということにならないで、ひとりの人間の中で頭脳労働と肉体労働が混合している。まさにヴェイユが工場体験で理想として描いた社会が実現しているのではないかといえそうになります。
第3次産業といわれていますが、流通業、サービス業に従事している人たちは、肉体労働も頭脳労働も両方をやっているはずなのです。それが大部分になってきたわけですから、そういう社会では、ヴェイユが心配した頭脳労働と肉体労働をする人が分かれてしまって、頭脳労働と肉体労働をやる人が威張ってそれに従ってという構図は壊れてしまったといえるわけです。僕はそう思います。アメリカや日本、フランスなどだけを取ってくれば、そうなっていると思います。
しかし、そうは問屋が卸さないということがあるわけです。それはどういうことかというと、日本でも相当切実な問題になっています。フランスだともっと切実でしょう。肉体労働に携わる人は、だいたい外国人の労働者になるのです。日本だと東南アジアやフィリピン、中近東など、そういうところから出稼ぎに来る人たちが肉体労働をやっています。その代わり日本の労働者の大部分は、肉体労働もやりますが肉体労働と頭脳労働が一緒に混合したようなところに従事する。両方とも純粋に肉体労働は、外国人の出稼ぎ労働者がやるというかたちになりつつあるわけです。日本でもそうなりつつありますが、もちろん西欧でも大きな問題になっていて、自分の国の労働者の職場が奪われてしまうから、反対だから追い払ってしまえという右翼的な人もいますし、そんなばかなことはないので、人間はみんな同じなのだからどんどん受け入れるべきだという左翼的な人もいて、大もめにもめています。日本の場合にも、潜在的には大変いろいろな問題が生じてきて、もう少したつと社会問題や政治問題になるのではないかと思います。
確かに、非常に先進的に進んでしまった一国を取ってくればそういうふうになっているのですが、肉体労働は東南アジアの人たちやフィリピンの人たちが代わりにやるということで、いっこうに構図は変わらないではないかということになるわけです。そういう意味合いでは、ヴェイユが重工業を基礎とした社会の時代に考えたこと、頭脳労働と肉体労働のあれというのは変わらないのではないかという考え方は、先進国の一国だけを取ってくれば、それはそうでもない。大部分の人たちは頭脳労働と肉体労働の両方が入った労働に移りつつあるといえるけれども、その補いはどこがつけるのかといったら、そうではないところの外国の労働者が補いをつけるようなことになっていっているのです。
世界的な規模で取ってくれば、依然としてヴェイユが考えた問題の解決はつけていないと思いますし、一国だけでいえば、非常に先進的な国ではヴェイユが考えたような危惧がある程度は解消してしまったことになると思います。ヴェイユの工場体験を通じて出てきた問題の延長線上における現在の実態だと言うことができると思います。それをどうやって解決するのかという問題やどういうことが起こるかという問題は、これからのことになると思います。
もう少し規模を大きくすれば、先進的な国や先進的な地域は、どんどん高度な産業に移ってしまいます。農業や漁業のように自然を相手にする産業はどんどん減っていきつつあり、その趨勢は止めることはできないだろうと思います。そういうふうになってきます。そうすると、世界全体でいえば、たとえばアジア地域やアフリカ地域の人たちが、農業や自然相手の産業に携わって世界中の食料をそこで供給して、先に行ってしまった先進的な国では、農業はだんだんやる人が少なくなって産業はだんだんサービス業や流通業などの第3次的な産業のほうに移っていってしまう。そういう不均衡は世界的な規模でも起こるだろうと思われますし、現に起こりつつあるともいえるわけです。起こりつつあるものだから、先進諸国から資金を融通してもそれを返す目当てはないような状態で、世界的な規模でいっても、地域別にそういう不均衡が生じてきつつあります。
実質上それをどうするかはこれからきっと大きな課題になるので、ヴェイユが工場体験で体験した精神労働と肉体労働、あるいは頭脳労働と肉体労働の区別は変わらないのではないか。どういうところまでいっても変わらなくて、平等にならないのではないかと考えていたわけですが、その考え方は、もっと規模を大きくして一国規模ではなく考えれば、いまもこれからも変わらずあると思います。それで出てきていると思います。それを解決する方途はなかなかなくて、先進的な地域に入ったところから無償で提供したり贈与するかたちを取る以外に、この不均衡を破ることができないのではないかと思います。それほど世界的な規模で大問題になってきつつあります。
昨日申し上げたのですが、僕らはヴェイユが考えたような考え方を取らないで、国家というのは開けばいいんだという考え方をしています。開かなければいくらやってもだめなのだし、国家というのは開く以外にないのだと考えてきたわけです。開くというのは、国家対国家の関係でいえば国境を開いてしまうことになります。国内的な意味で国家を開くのは何かといったら、政府をつくっている頭脳的な部分が、直接無記名投票でやって大多数が反対だといったら政府は辞めなければならないという法律条項をひとつつくるということです。それをつくれば、国家は国民に対して開くことができます。
それは議会を経てではなくて、そのことだけに関していえば、無記名の国民投票で不信任だといったら政府が辞めなければいけないという法律条項をつくってやれば、国家は開けると思います。それをどこまでやれるかが問題なのだと僕は考えてきました。しかしヴェイユはそうではなくて、頭脳労働と肉体労働との区別、差別とを解消しない限り、どんなに理想的なことを政府がやろうとしても、絶対に支配と被支配、あるいは言ううことを聞いて動かされる者と動かす者との区別、差別はなくなるわけがないと考えていったのです。その問題は、いまも新しい国際的な大きな規模で依然としてあるので、どういうふうに解決するのかは、これからあとに起こってくる問題だと思います。
もうひとつ、ヴェイユが考えたことの延長で現在言えることがあります。それは何かといいますと、アメリカや日本、フランスといったかなり先進的なところでは、日本の場合を取りますと、92年度では91%の国民は自分は中流だという中流意識を持っています。つまり、91%の人は自分を中流だと思っているわけです。2年くらい前だったら86%くらいだったと思います。アメリカはたぶん80何%、90%近いパーセントがそういうふうになりますし、フランスは70何%。いずれにせよ、データを取ると半分以上は自分たちは中流の生活をして中流意識を持っているというふうになっています。
中流意識ということは、その社会の中枢を自分は占めていると思うし、自分の生活は中くらいなので、特によくもないけど特に悪くもないから、社会の中枢の部分を占めているということです。文化的にも生活的にもそうだと思っている人が、日本の場合は91%いることになります。これは、2、3年前にたとえば86%だった。いまは91%です。そうしたら、20世紀が終わる前後にはだいたい99%の人が、日本の場合には中流意識を持っているというふうになると思います。それはいったい何を意味するのでしょうか。99%の人が中流意識を持っていたならば、ヴェイユが一生懸命考えたことは全部解決してしまうことに等しいのではないかと言えば、言えそうなことになると思います。
逆にいいますと、99%の人が自分は中流だと思っている社会は、少し気味が悪いということになるのかもしれません。そこは考えどころだと思います。いずれにしろ、99%の人たちが中流意識を持っている社会がやってくるということは自明で、近い将来にあるだろうと思われますが、そのときにはヴェイユが一生懸命考えた、効率を辞せずに考えた考え方がもう一度甦るかもしれないと思います。
99%の人が中流意識を持つというのはまことにおめでたいことで、この社会に文句はないという意味にも受け取ることができますし、冗談じゃないよと、99%の人が中流意識を持っているのは、ちょっと不気味でどこかおかしいのではないかというふうにも思いますし、それは人間がおかしいのではなくて社会がおかしいのだと。99%の人が中流だというのは、社会自体がおかしいのだということになるかもしれません。いずれともいま決しがたいのですが、その3通りのことになると思います。そのときには、ヴェイユが考えたことが本気で問題になってくるかもしれません。
僕らはきっとおだぶつだから、みなさんはそういう現場に立ち会わなければいけないだろうと思います。そのときにどう考えますか。まことにめでたい社会だと思うのか、それとも不気味でおっかかない社会だと思うのか。それとも、人間のほうは思う必要がなくて社会がおかしいのだから、社会を病院に入れたらいいのではないですかとなるのかわかりません。とにかく、そこのところになってきたら相当真剣に考えなければいけないと考えなければいけない事態がやってくるのではないかと思います。
ロシアで、レーニンから始まってスターリンみたいなのがやってきてというような、ヴェイユが相当苦労してそれに敵対して、それは間違っているとか嘘なんだと、ちっとも困っている人が解放されていない国家なんだと盛んに文句をつけているわけですが、そういう考え方自体が、すでに99%が中流になったところに立ち会うことはできないだろうと、僕には思えます。
そこのところで臨床的に立ち会える考えというのは、やはりつくられる以外にないし、真剣に考える以外にないと思います。ヴェイユはいろいろなことを考えているわけですが、そのときにヴェイユの考えたいろいろなポイントを持ってきますと、ヴェイユというのはまことに見事な考え方をしているわけです。ですから、全体像がどうということで、全体像は時代の刻印、制約を負わざるをえないのでしょうが、ポイントポイントでヴェイユが考えて、これは正しいと思うものに対しても一生懸命に異論を唱えてという、一生懸命考えてきたポイントポイントがあるわけです。それはたぶん、僕の理解のしかたでは、99%の人が自分は中流であるといっている社会になったときに、どうしたらいいんだということの処方せんというか、その処方せんに、十分ヴェイユの考え方は耐えるのではないかと、僕には思われます。
そういうことが、ヴェイユが一生懸命考えて、死にものぐるいで考えていったことの大変大きな意味だというふうに僕には思えます。そこがとても重要なことになって、いずれにしろ、10年なり15年のうちにきちんと検討して捕まえていくと、そういうときに処方せんをつくれる考え方をヴェイユは出していると思います。それはなかなか見事なもので、大変な力量のある思想家だったと思います。
ヴェイユのもうひとつのポイントを持ってきますと、宗教思想ということです。ヴェイユの宗教思想という問題になると思うのですが、ヴェイユの宗教思想はどういうところまで手が届いていたかということがあります。もちろん正統なカトリックの神学からいえば、きっとヴェイユの神についての考え方は異端であると思いますし、ヴェイユ自体もカトリックに入信してどこかの教会に属することは生涯しなかった人ですが、しいて系譜づければ、一種のカトリック系の思想になると思います。
ヴェイユの思想は、ある意味では非常に病的だといえます。現世の人間よりも神の世界のほうが重要なのだ。神の世界に比べれば、人間の世界などはそこから投影される影みたいなものなのだという考え方を取るわけで、そこで一種の転倒が起こるわけです。人間は死の関門か労働の関門を通らない限り神の世界に手を触れることはできないという考え方を取っていくわけで、ここらへんのところではヴェイユの宗教思想は病的になるわけです。
自分では、飛躍的な信仰というのはあまり取らないで、理性が納得しないような信仰のしかたはしないのだと言っているのですが、突き詰めていくところを突き詰めていきますと、一種病的な考え方になっていくわけです。それは極端に突き詰めてあります。ただ、昨日も申し上げたのですが、ヴェイユが見事だと思えることはふたつあります。ひとつはやはり、信仰についての一種の逆説に到達しているところがあります。ここに神を信じている人と神を信じていない人がいたとすると、どちらが神に近いかといったら、神を信じていない人のほうが神に近いのだとヴェイユは言っています。この逆説に到達するのは大変な力量だと思います。
日本で言いますと、中世の親鸞というお坊さんがそういう逆説に到達しています。善人だって往生するのだから、いまの言葉で言えば善人だって天国に行けるのだから、ましてや悪人は行けるのだと親鸞は言っています。それは一種の逆説なのです。そこへ到達するには善悪の問題と倫理の問題、それから何を信じるかという信仰の問題とを極限まで突き詰めていかないと、そういう逆説には到達しないと思います。
ヴェイユは徹底的にそれを突き詰めていますから、そういう逆説に到達します。僕はヨーロッパの宗教家を知らないのですが、日本の宗教家で優秀な人、たとえば親鸞もそうですが一遍もそういう言い方をしています。一遍は一種の病気で病人ですから、人間は執着のあるものは全部捨ててしまって、無一物で生きていて、家も持たなければ妻子も持たないというような、そういう生き方をするにしても、執着があるものを全部捨ててしまえば、現世にいるまま来世といいますか、仏教で言えば浄土ですが、そこに行ける。現世は即浄土というふうにするためには、執着あるものは全部うっちゃってしまえばいいという考え方を取るわけです。
もちろん自分はそれを実行して諸国を放浪して歩くのですが、少し病気なわけです。ただ、一遍は病気ですが、やはり一種の逆説に到達しています。いちばん優れた信仰者は、妻子も持ち家も持ち、もちろん財産も持ちながら念仏浄土を信じることができる人なのだ。2番目に優れているのが、そこまでいかなくても、妻子を持って物質的な執着を持たないで、妻子だけを愛して念仏浄土を考えることができれば、それは中くらいの優れた信仰者だといえるのだ。ただ、自分は優秀ではなく、仏教語は下根というのですが、自分は下根で優秀ではないから、俺みたいなのが何かを持っていると念仏浄土に近づけないから、自分は無執着で全部捨ててしまっているのだという言い方をしています。それがいいというのだけれど、自分はだめだからそういうことをせざるをえないのだと言っているのです。
それも一種の逆説ですが、逆説のところまで、信仰とか、ヴェイユでは神の国、仏教で言えば浄土というのを考え詰めて考えると、ヴェイユは病気で病人だと思いますが、やはり一種の逆説に到達しているといえると思います。そこらへんまでだったら宗教思想としても大変な思想だと思いますが、半分は病人だと思って、真似しようとしても真似できないし、真似するのはお断りだよとなるのですが、ヴェイユが言っていることでわれわれを安心させたり、ある意味で内省させたり、あるいはある意味で鋭く突き刺したりを含めて、ヴェイユはそういうことを言っています。一般的には大変安心させ、人々に安心を強いることなのです。
ヴェイユはこういうことを言っています。人間のやる仕事というのがあって、仕事のうち特に優れた仕事をやった人は、千年か2千年ある人間の歴史の中で、そういう人たちはそういう人たちなりの仕事の跡と名前はちゃんと歴史として残されてあるのだ。しかし本当をいえば、それよりももっと向こうに、まるで深淵を隔てるように、もっと向こうの彼方に一種の無名の領域があるのだ。その無名の領域こそが、第一級の人たちが行く領域なのだ。それは無名であるがために、偶然名前が残されることがあるかもしれないが、たいていは匿名で、だれがそういう人なのかとわからないようにできている。しかし、人々が第一級の仕事を残していくと思っている人たちのはるか向こうに、深淵を隔て、本当の意味の第一級の人たちが行く領域があるのだ。それは無名、匿名であるから、だれにもわからないのだ。わかったとしても、たまたま偶然わかったくらいのものなのだ。という言い方をしています。それが、たぶんヴェイユの突き詰めた宗教思想のいちばん極限だと思うのです。
そこまで言った人は、少なくても僕が知っている宗教家ではいません。逆説でしか真理を言うことができないと言った宗教思想家はいます。たとえば親鸞もそういう逆説で、善人すら浄土に行けるのだから、悪人だとなおさら行けるのだと言っています。同時に、自分は妙技があって、何か名を売りたくて人士を好むなりと言っています。人の師匠みたいな顔をするのを好んでいるのだという言い方で自己反省している和讃があります。親鸞でもそういうことは言っていますが、ヴェイユは、そういう人たちが一級だとか偉大だと思っていることが本当の偉大ではない。その向こう側に本当に第一級のものがある。それは匿名でわからないのだという言い方をしています。
そのことは、われわれを大変慰めるものがあるのです。それは宗派や宗派の信仰者を慰めるものではなく、万人を慰めるものです。万人の生き方、だれでもの生き方を慰安するといいましょうか、そういうところがあるわけです。それが、たぶんヴェイユが到達したいちばん極北にある到達点です。そういう到達のしかたをした人は、僕が知っている限りはいません。僕は信仰はありませんが、きっと信仰がある人はもっと違う受け止め方で感銘を受けるのではないかと思います。僕は、そういう言い方があるということは、とても慰やされるところがあるように思います。そこが、ヴェイユの偉大さのひとつの極限なわけです。
ヴェイユという人を資質的に考えますと、僕なりの考え方でいけば、乳幼児のときの育ち方が相当惨たんたるものですから、やはり最後は惨たんたる、拒食症的なところに入っていって死んでしまうのですね。自己抹殺の願望が非常に強い人で、個人的に、資質的にいったら大変悲劇的な人だったということができると思います。普通の人よりもはるかに悲劇的な人だったんだということができると思いますが、それは資質なので、その資質をどういうふうに越えていくかが人間の意味だとすれば、ヴェイユは自分の資質をどんどん越えていくところまで行った人だと思います。つまり、人間はここまで徹底的にはできないのではないかというくらい徹底したところまで行っていると思います。
これはまだ現在だけではなくて、これからの未来性がヴェイユの思想の中にあると考えられるとすれば、いま僕が申し上げた革命思想に関する部分と宗教思想に関する部分は、これから非常に生々しいかたちで生き返ってくると思います。先進国ではいまの既成の革命概念が無効に近づいてきつつあるわけですが、そういうことを越えて、ヴェイユの考え方というのは、遠い未来はどうかわかりませんが、宗教思想と革命思想の両方の点で少なくても近未来には耐えますし、近未来で光を増すときがやってくるに違いないと僕には思えます。そういう点を芝居の上演の前座として申し上げられたら、僕の役目は済んだことになると思います。これで終わらせていただきます。(拍手)