1 司会

 たいへん長らくお待たせいたしました。ただいまより第60回紀伊國屋セミナー吉本隆明講演会を開催いたします。本日のプログラムを簡単にご紹介申し上げますと、『門』と『彼岸過迄』のあと、すこし休憩をいただきまして、『行人』のお話がございます。最後までどうぞごゆっくりご聴講くださいませ。それでは早速ながら吉本隆明先生をご紹介いたします。どうぞ皆さま拍手でお迎えください。

2 『門』はいちばん好きな作品

 今日は、漱石について2回目なんですけど、ちょうど中期から晩期にかけての作品ですけど、『門』と『彼岸過迄』と『行人』とその3つについて、お話したいと思います。初めに『門』から入っていくわけですけど、この作品については、今まで何回かしゃべったことがあるように気がしています。ここでいまお話するところで、何か新しいといいましょうか、付け加えられた視点というのがあるとすれば、今度、すこしまた『門』を読み返してみて感じたことなんですけど。
 つまり、クライマックスである宗助が鎌倉の禅寺へ行って、じぶんの不安・動揺をなんとか解決したいみたいなふうに座禅にいくところがあるわけですけど。そこの描写から「門」という、この主題が出てきているわけですけど。
 今度、感じたことは、宗助と御米という、奥さんなんですけど、奥さんがひっそりと山の手の崖の下の借家にひっそりと平穏に暮らしているわけです。平穏に暮らしているという、その暮らし方の描写というのが、たいへん見事なものだなというふうに、殊更多く感じました。その観点から、『門』という作品を、つまり、アンチクライマックスといいましょうか、クライマックスでない点から『門』という作品というのは理解することができるんじゃないかと思います。
 そうすると、『門』という作品は、非常に、中年までいかないんですけど、壮年のひっそりした宗助と御米という夫婦が子どももなくて、借家住まいして、ひっそりと生活して、ひっそりと無事平穏に、そして、もしかすると、たいへん大きな愛情を持っているんだけど、その愛情をそんなに表面に出てこないというようなかたちで生活している、その生活の仕方というのがひとつあって、それからもうひとつ、平穏な生活の中に変化が起こるわけですけど。その平穏な生活が変化していく要因とがちょうどぶつかったところが、『門』という作品の頂点になるんじゃないかというふうに理解しますと、この作品は一種の日常生活と日常生活が波乱含みになるという、そういう変化との二重性というのを、いつでも含んでいる作品だというふうにいうことができると思います。
 その波乱含みというのは何なのかというと、それは過去なわけですけど、そうすると、過去というのはどういうふうに現在のところに登場してきて、そして、どういうところが無意味なものとして消え去ってしまい、どういうところが、過去が現在に生きていくというようなことになるのかということを、たいへんよく書き分けているというふうに言うことができると思います。
 その2つのことがこの作品の眼目になっていくとおもいます。典型的にその2つの場面といいますか、事柄というのを申し上げてみますと、これは『門』という作品の冒頭の場面というのがとてもよく平穏無事なひっそりした男女の日常生活のあり様というのをとてもよくあらわしていると思います。
 それは、宗助という亭主のほうが、縁側に出て、座布団をひいてあぐらをかいていると、それでごろんと寝転んで、空を見上げていると、奥さんの御米は縁側の障子の向こう側にいて、縫い物をしていると、じつに悠々侃々とした生活なんですけど、また、退屈であるといえば、退屈である生活なんですけど、そこで会話が交わされるわけで、御米のほうは、そんなゴロッとしているなら、ちょっと散歩でも行ってきたらどうですかというふうに言うわけです。それで生返事して、宗助のほうは、奥方に、「おまえ、近代の『近』という字を知っているか。」と、「どう書くのか知ってるか。」と、「忘れちゃったんだ。」というんです。そうすると、「それは近江という字の『近』というのがそうでしょう。」というと、「その近江の『近』というのがわからないんだ、忘れちゃった。」というふうに言うと、細君が障子の向こうに長い裁縫のあれを持って、障子の向こうから「近」という字を書いて見せるみたいな、そういう場面なんです。で、「お前はそういうことないかな、じぶんはしばしば、いままでちゃんと覚えている字が、突然わからなくなっちゃうことがあるんだ。」と、おれだけかなみたいなことを言うという、そういう場面がありますけど、そういう場面が典型的に二人の日常生活の描写だとおもいます。
 その手のエピソードというのがいくつか積み重なって、つまり、いくつか並べてあって、それが宗助と御米の日常生活の描写になっているということです。その描写というのは、じつにうまいといえばうまいわけです。つまり、どこにも読者の興味をひく場面もなければ、登場している宗助と御米が、殊更なにかに興味を覚えるということもない、そういう生活の一コマ一コマの描写なんですけど、それを繋げていくと、やっぱり読ませられちゃうといいましょうか、それだけのたいへん見事な描写をしているというのを、今度は殊更よく感じました。
 ぼくは、漱石の作品の中で、この『門』というのは前からいちばん好きな作品です。いちばんいい作品だとは決して思いませんけど。いちばん好きな作品です。好きだということを、どうして好きなんだろうかということを、そういうことでちょっと考えてみたんですけど、それはひとつはそういう日常の一コマで、ちっとも興味深い場面でもなんでもない夫婦の生活の場面というのの重なりなですけど。それが実に見事だということがひとつあるんだなというふうに感じました。

3 ひっそりとした生活

 それからもうひとつ好きだというのは、やっぱりひっそりということ、ここで表現されているひっそりさというのが好きなんだと思いました。このひっそりさというのはどこから来るのかということは、あとで変化の要因が出てくると説明しやすいわけですけど、とにかく何かからひっそりした雰囲気というのが伝わってくるわけです。
 宗助のほうは区役所かなんか、役所に勤めている下っ端の職員で、毎日、出掛けては働いて帰ってくるということを繰り返しているだけなわけです。それから、御米さんという奥方というのは、漱石はある意味で理想的な女性の類型として描いているわけですけど。じつに、いいなと思わせる雰囲気を持っているわけです。そういうことがきっと僕なんかが好きだということの大きな要因なんだなというふうに、今度、改めてそういうことを考えさせられたといいますか、考えていました。
 それで、宗助と御米の生活というので、もうひとつ特色を申し上げるとすれば、二人のひっそりした日常生活というのが、季節感というのととても関係がある描写をしているわけです。これは漱石が、自分が好きだということもあるわけでしょうけど。とにかく季節感というのと、それから日常生活の移り行きと、それから、そのなかに入ってくる変化の仕方というのとは、とても関係があるように描かれています。
 まず変化というのが、そういうおっとりした静かな生活の中に変化がどういうふうに起こってくるかということが描かれているわけですけど、それは過去の要因が現在にどうやってやってくるのかということをとてもよく漱石が描き切っていることがいえます。それもまた、うまいなといいましょうか、いい作品だと思わせる大きな要因だと思います。
 その二人のひっそりした生活の中に、過去がいずれにせよやってくるわけですけど、ひとつは何かというと、宗助の弟がいて、高等学校の学生なわけです。それは叔父の家に引き取られて、そこから学校へ通っているのですけど、その叔父さんが死んでしまったために、その叔母さんというのと、叔母さんの息子というのがいるわけですけど。叔母さんと叔母さんの息子のほうは、弟、小六というんですけど、弟を寄宿させて学校に出してやるというのが、だんだんだんだんきつくなって億劫になってくるというような、それでむしろ宗助のほうにそれを引き取ってもらいたいというような、そういう感じというのが、小六という宗助の弟の口を通じて、二人の無事平穏な生活の中にやってくるわけです。
 宗助のほうはどう思っているかというと、過去にじぶんの父親が亡くなった時、家財とか家屋敷とかの処分を叔父に任せて、それで処分したお金を叔父が受け取って、また、その中から小六の学費を出すという約束があって、そういうふうにやってきたんだから、当然、叔父が亡くなったといっても、小六という弟の学費というのはまだあるはずだから、当然、叔母さんと息子が小六を学校にやってくれると思っているわけですけど、それがそうはいかなくなっているということがひとつあるわけです。

4 変化の要因

 ふたりはいい夫婦でいい無事平穏な生活をしているので、そこに小六という弟を寄宿させて、そして、そこから学校へ出してやるだけの資力というのは、役所勤めの下っ端の職員である自分にはないというふうに考えると、どうすべきかということが、叔母の家との交渉の材料になってやってくる、宗助はそんなに積極的でないから、いつか行って交渉してこなくちゃということがあるわけですけど、それを一日延ばしに延ばしているということがあるわけです。それがひとつ、無事平穏な生活の中に入ってくる変化の要因なわけです。そういう要因がいくつかあるわけですけど。
 もうひとつは偶然あるとき、じぶんの借家の崖の上のところに、家主の家があるわけですけど、その家主の家に泥棒が入って、泥棒が黒塗りの蒔絵の手文庫みたいなものを崖の下へ落としたまま泥棒がいっちゃう、それで、それが宗助の借家の庭のところに落っこちてきて、それでどうしたんだということで、書類やなにかが散らばっていて、それをどうしたのかと考えて、家主の家に泥棒が入ったんじゃないかと、これを返しに行かなくちゃいけないということになって、家主との交渉というのが始まるわけです。それまではただ家賃を払う段になると、雇っている老婆がいるわけですけど、その老婆に家賃を持っていかせるぐらいの交渉しかなかったのに、落っこちてきた黒塗りの蒔絵の手文庫を自分が持って、初めて家主の家へ行くわけです。行って、今までよりも親密になるということがあるわけです。
 ところで、叔母のところに宗助がいくと、叔母のほうは、小六の学費に当てるお金というのはなくなっちゃっているんだよというふうに言われて、それで引き取ってもらいたいんだということを聞いて帰ってくるわけですけど。そのときに、抱一の屏風絵があって、骨董品としてあって、これが父親の形見みたいで、叔母の家にあるわけですけど。これを持っていっていいよみたいに言われて、それを持ってくるわけです。それを古道具屋さんに売って、着物を買うお金に当てようとするわけですけど、古道具屋さんはとても安い値段しか付けてくれないで、躊躇するんですけど、その父親の形見である屏風絵を売ってしまうわけです。その売ってしまった屏風絵が偶然、坂井さんというんですけど、家主の家に行くと、その屏風絵を出してきて見せてくれるわけです。よく見せてもらうと、それは自分たちが売った屏風絵であるわけです。どのくらいのお金で買われたのかというふうに聞くと、じぶんが売った金の4,5倍ぐらいの値段で買っているわけです。
 そういうことから、小六の学費の問題と、それから、叔母の家から引き取るか引き取らないかという問題と、坂井という家主さんとの間の親密さとの問題とが、だんだんにじり寄るように、だんだんひとつの変化を醸しだそうとするみたいなことになっていくわけです。
 日常の平穏な二人の生活の中に入ってくるひとつの波乱といいましょうか、変化といいますか、それが少しずつ少しずつ色んな要因を、少しずつ取りながら、だんだんだんだんひとつの変化になっていくように拵えられている作品の構成の仕方というのが、じつに見事なものだというふうに思います。
 つまり、漱石の作品というのは、なかなか主人公たちに、等身大といいましょうか、漱石自身との等身大の主人公というのは、なかなか出てこないわけです。たいていは、漱石の中の非常に病的な一部分とか、非常に知識的な一部分とかというふうに凝縮されたかたちでは出てくるのですけど、等身大ではなかなか出てこない、この宗助という主人公の描き方というのは、たいへん好きだと先ほどから言いましたように、とにかく、非常にしっとりしたといいましょうか、そういう雰囲気を珍しく出しているわけですけど。
 その要因はなぜかといったら、宗助という主人公を自分よりもちょっとだけ下げてといいますか、下のほうに置いて、しかも一部分を取り出すというのではなくて、それを全面的に出してくるみたいな形で、ちょっとだけ漱石自身にゆとりみたいなのがあって、そのゆとりみたいなのが、たぶん、この『門』という作品の雰囲気を作っているというふうに思います。つまり、なぜこういう雰囲気ができたのかなというふうに考えると、どうしてもそういうところにいきつくわけです。
 それから、この作品の中にやってくる過去のほうからの変化というのは、これは漱石の独壇場といいますか、独壇場の世界で、『門』の前に『それから』という作品から始まって、『こゝろ』という作品に至るまで、終始一貫存在している一種の、一人の女性を巡る親友同士とか、兄弟同士の三角関係といいますか、恋愛の葛藤みたいな、そういう漱石の得意のといいましょうか、固執した主題と、同じ主題がここでもあらわれてくる、それが変化の主題になっているわけですけど。そこはいずれにせよ漱石の貫徹している主題であるのですけど、この作品自体の雰囲気を作っているのは、そうじゃなくて、ややゆとりをもって、全面的に宗助と御米という夫婦の日常生活をかなり細かく丁寧に描いているというところから作品の雰囲気がやってくるんだというふうに思います。

5 理想の日常生活

 先ほど申し上げました日常生活の中のしっとりした雰囲気なんですけど、そのなかで、御米さんという奥さんの描き方で、とくになぜこの作品の雰囲気がこれだけ温和でしっとりして、しかも非常に細かくデリケートなところまで描かれているということになるのかということがあるわけですけど。それをちょっとひとつぐらい読んでみます。
 御米さんというのは、宗助が役所に行く時間になると、それを起こしにくるわけですけど。その起こしにくる起こし方というのが、いつも決まっているわけです。判で押したようにそういう言い方をして宗助を起こすわけです。そこの描写で、御米さんという奥方がとてもいいなと思わせるところというのをひとつだけ読んでみましょうか。

 火鉢には小さな鍋が掛けてあって、その蓋の隙間から湯気が立っていた。火鉢の傍には彼の常に坐る所に、いつもの座布団を敷いて、その前にちゃんと膳立がしてあった。
 宗助は糸底を上にしてわざと伏せた自分の茶碗と、この二三年来朝晩使い慣れた木の箸を眺めて、「もう飯は食わないよ」と云った。

 これは宗助が勤めの帰りに、珍しくどこか飲んで帰って遅くなったときの描写です。そうするとそれに対して、

 御米は多少不本意らしい風もした。「おやそう。余り遅いから、おおかたどこかで召上ったろうとは思ったけれど、もしまだだといけないから」と云いながら、布巾で鍋の耳を撮んで、土瓶敷の上におろした。それから清(雇っている老婆)を呼んで膳を台所へ退けさした。

 それから、これはまだ後で、変化の頂点のところなんですけど。宗助が役所には病気で少し休ませてくれと言って、御米さんにはちょっと頭の神経の調子が悪いからすこし旅行して休んでこうと思うんだよというふうに言うところなんですけど。

 「遊びに行くってどこにいらっしゃるの」と眼を丸くしないばかりに聞いた。
 「やはり鎌倉辺が好かろうと思っている」と宗助は落ちついて答えた。地味な宗助とハイカラな鎌倉とはほとんど縁の遠いものであった。突然二つのものを結びつけるのは滑稽であった。御米も微笑を禁じ得なかった。
 「まあ御金持ちね。私も一緒に連れてってちょうだい」と云った。宗助は愛すべき細君のこの冗談を味わう余裕を有たなかった。真面目な顔をして、
 「そんな贅沢な所へ行くんじゃないよ。禅寺へ留めて貰って、一週間か十日、ただ静かに頭を休めて見るだけの事さ。それもはたして好くなるか、ならないか分からないが、空気のいい所へ行くと、頭には大変違うと皆云うから」と弁解した。
 「そりゃ違いますわ。だから行ってらっしゃいとも。今のは本当の冗談よ」
 御米は善良な夫に調戯ったのを、多少済まないように感じた。宗助はその翌日すぐ貰って置いた紹介状を懐にして、新橋から汽車に乗ったのである。

 こういうのは我々の夫婦の日常生活のイメージからいうと、たいへんいいなというふうに思っちゃうわけです。だいたい宗助のほうは、ほんとうをいいますと、先ほどの変化のところのクライマックスなんですけど。変化のクライマックスは、あるとき坂井という家主の所に行くと、色んなよもやま話の末に、じぶんの弟の、満州に行って蒙古辺りに流れている自分の弟が東京に来ていて、もしかすると、数日中に来るかもしれないんだと、家主が世間話しだすわけです。友達を一人連れているんですといって、友達というのは安井と申しましてねというふうに言うわけです。それで宗助は青ざめてしまうわけです。
 その安井というのは、じぶんの学生時代の親友で、その人の奥さんを奪ってしまったということになって、御米さんというのはその人と一緒にいた女の人なんですけど、それを奪ってしまって、それで、安井自身は学校を辞めて、満州へ放浪していくみたいになっちゃうし、じぶんは世間を隠れるようにして、ひっそりと生活するみたいなことになっていくというような契機になった安井という名前をそこで聞くわけです。
 青ざめてしまって、家へ帰ってきても、何も口もきけないというくらい青ざめてしまって、奥さんのほうはやっぱり、なにかあったのと言うわけですけど、いやっと言うわけで、何も言わないのですけど、動揺著しくて酔っ払って帰ってきたりとか、夜遅く帰ってきたりということは、それでも奥さんには、つまり、御米さんには、何がどうなってどうだったのかということは何も言わないわけです。
 じぶんはもし安井が崖の上の大家さんの家へやって来て、何日かでもいることがあったら、じぶんはしゃにむにここを引っ越ししてしまおうかとか、どうしたらいいかわからないということで、不安と動揺で激しいわけです。それで鎌倉の禅寺で、精神をなだめるために、不安をなだめるために座禅を組みに行こうと、たいへん大まじめというか、真剣な煮詰まった状態なんですけど、奥さんには、それを言わないわけです。言わないで、ただ鎌倉に頭を休めにいくんだぐらいなことを言う問答なんですけど、それに対して奥さんのほうは、どういうことなのとか、そういうことは一切聞かないで、そんなあれだったらいってらっしゃいというふうに、すぐに言っちゃう奥さんなわけです。
 こういうのは漱石が描きたかった理想の日常性なんでしょうけど。我々から見ますと、こういうことというのはありうるかなという、たいてい詮索されて、にっちもさっちもいかないところまで、詮索されて追い詰められちゃうみたいなことになるのが普通なわけですけど。
 この御米さんというのは、そういうことは一切なくて、容認して、冗談を言っても、それは冗談なんだからいってらっしゃいみたいなことを言って、なんの疑いもはさまないで行かせてくれるわけです。
 こんないいことはないわけですけども、これはたぶん、漱石の理想とした女性のひとつのタイプであるし、理想とした日常生活だったんだというふうに思います。この御米さんというのの役割というのが非常に影みたいにしか描かれていないのですけど、ほんとうはじつに見事に、影が逆に鮮明なイメージになって、御米さんという女性のイメージがとても鮮明に出てくるふうに描かれています。

6 ためらうということ

 そういうふうにして日常生活にあれしてきた変化というのは、ひとつはそこでもってクライマックスにきまして、宗助は非常に動揺して、動揺をなんとかして静めにいこうとするわけです。
 もうひとつは、いいこともあって、つまり、そのときに同時に弟の話も話題に出て、弟さんは私のところはどうせ書生さんがいたほうがいいのだから、書生として私のところに来てもらってもいいですよみたいなことを言って、それじゃあ大家さんのところへ寄宿して、そこから学校へ行って、学費については自分と叔母の家とが分担して出せば、それは解決なんだとやって、ひとつはとてもいい知らせなんですけど、同時に極端に不安動揺をきたすというようなことになっているわけです。
 そして、それがなければ漱石の作品というのは、ほとんど主な作品は成り立たないといってもいいくらい成り立たないのですけど。つまり、そういう場合に宗助が、じつは大家のところに行ったら大家の弟が東京へ満州浪人で来てて、それが友達を連れてきて訪ねてくると言っていると、その友達がじつは安井なんだよというふうに奥さんに言っちゃえばそれで終わりじゃないかと思われます。つまり、そこを言えちゃったら、三角関係も何も生じないわけです。
 たとえば、『こゝろ』でも同じで、じぶんとKという親友が下宿している家の娘さんを両方一緒に好きになって、Kという親友から自分はあの娘さんが好きなんだというふうに打ち明けがあって、そのときに俺も好きなんだから、それじゃあしょうがないから二人で競争しようというのはおかしいですけど、どっちにくるかって言っちゃえば、それは小説にはならんのですよ。つまり、漱石の主たる小説の主題はそれで成り立たなくなっちゃうわけです。
 だけど、その場合でも同じで、Kという親友にそれを言えないわけです。じぶんのほうの気持ちは言えないで、それでKを出し抜いたかたちになって、下宿の奥さんに娘さんが好きだから嫁さんにくださいというふうに言っちゃって、それで下宿の奥さんと娘さんの承諾を先に得ちゃう、それを知ったということを契機にしてKは自殺してしまうということになっていくわけです。それで主人公も非常に長い後ですけど、明治の終わりで明治天皇が死んで、乃木大将が殉死してということと同じ時期に『こゝろ』の主人公もまた自殺しちゃうわけです。
 つまり、生涯、それを罪として背負うみたいな形になっていく、漱石の三角関係の無類の世界というのは、そういうときになぜいえないか、おれも好きなんだから、どっちになびくか競争だというふうに言っちゃえばお終いという、作品にはならんということになりますし、この場合も家主の家に安井が家主の弟と一緒に訪ねてくるというのを、じぶんだけ青ざめないで言ってしまえば、この『門』という作品は成り立たないわけです。それでもって、きっと御米さんが、来てもそれはいいじゃないかと、何か起こったら起こったでいいじゃないかというのか、それとも宗助が考えたように、来る前にここを引っ越してしまいましょうかと言うか、どちらかそれはわかりませんけど、そういうことによってそれは解けてしまうわけなんですけど、宗助はそれを御米さんに言うことができないわけです。言うことができないということは、これは一種の契機であって、これをある瞬間に言えなかったらずっと言えないみたいなことになって、ずっと自分が抱え込んでいくというようなことになっていくわけだと思います。
 つまり、これは、『こゝろ』の場合でも、『門』という場合でも同じです。つまり、そういうふうになっていくと思いますけど。漱石は、ここのところで言えないという性格を主人公に与え続けることで漱石の主な作品を成り立たせているということをいうことができます。
 これが問題だといいますか、ここでためらうというのは一体何なんだということになるわけです。このためらいというのは、もちろん誰にでもあるとおもいます。それで、もちろんどこから見ても明朗闊達、体は丈夫、スポーツマンというような人だったら、なんだ俺も好きなんだとか、家主の弟と一緒に安井が来るんだってよみたいなことを言っちゃって、それで済んじゃうわけでしょうけれども、漱石の主人公というのはそこができない。できないでどうなるのかというと、『門』の場合には、動揺をおさめるために禅寺へ行って坐禅をしてくるというような、それで解決してくると考えますし、それから、『こゝろ』の場合には、長い年月を背負い込んで、逃げ場は自殺してしまうというところまでいってしまうわけです。
 こんなことはありうるかといいますと、ぼくはありうると思います。それから、こんな馬鹿馬鹿しいことはありえないという観点からいえば、そこで言っちゃえばすぐに済んじゃうということになるとおもいます。そこで、誰でもが持っているのは、その中間のところを自分の心として持っているわけで、なかなか言えないという要素を誰でもどこかに持っているのかもしれませんし、非常に闊達な人は、そんなことはどうってことないということで、あいつが来たんだってよということで済んじゃうのかもしれません。

7 漱石の無意識の核

 ためらいというのは、漱石の小説の主人公達みたいに極端な形で、このためらいというのがでてくるのかというと、もちろん、それは漱石の資質の中にそれがあるからだと思います。漱石の資質の中にある、ためらわせる要素というのは何なんだろうかというふうに考えますと、ぼくは漱石の内向性といいますか、漱石が自分自身を自分がどう考えているかということと、それから、人が漱石をどう考えているかっていうこととの間に、著しいギャップがあるということを意味すると思います。
 つまり、じぶんの内面性にどんどん入っていくと、そうすると、外とのギャップがたいへん著しくなっちゃうという、そういう資質というのを、漱石自身がもっていて、それに漱石自身は散々悩まされたということがあって、それで主人公にそういう資質を与えずにはおられないということになっていったというのが、順序といえば順序だと思います。
 じゃあ、そういう資質というのは何なのかということになっていくと思います。何なのかということは人さまざまな解釈をするでしょうけど、ぼくらの解釈でいうと、漱石の考え方とか、ふるまい方のなかで、無意識というものが規定している要素というのがたいへん大きいんだというふうに言うことができると思います。
 非常に意識に近いところの無意識というのは、それは内省すればちゃんと意識に上ってくるわけです。だから、それはそれでふるまい方というのも、対処の仕方というのもわかってしまうわけですけど。無意識というものの核にある特徴というのは何かといいますと、それは自分でも自分のふるまいのなかで、どうしてそう自分がふるまったのかということが自分でもわからないで、そうふるまっているという要素が人間の中にあるとすれば、それがいちばん核のところにしまいこまれている無意識だとおもいます。
 それは、漱石の資質はそこだとおもいます。つまり、漱石の無意識の核のところにたいへん大きな牽引力がありまして、それが漱石の意識的構造とか、意識的思考方法を絶えず引っぱっていて、それで、漱石自身も半ば気づくこともあるし、気づかないこともあるということに終始しただろうというふうに思われます。
 それをもし病気というふうに考えますと、その病気というのは何かといえば、一般的にいえば、お医者さんがパラノイアというふうに言っている病気だとおもいます。漱石はある場面はパラノイアというふうに言ってしまったほうが良い場面を日常生活でもしばしば演じていますし、また、漱石の作品、今日、申し上げる作品のいちばん後にくる『行人』なんていう作品の一郎という兄と二郎という弟がいるわけです。それが一郎の嫁さんを巡って、やっぱり一種の三角関係だという妄想というのを一郎が持つということが、『行人』という作品のモチーフなわけですけど。
 その妄想というのは、どうして三角関係としての妄想をもたれるかといえば、それは漱石の資質のなかに、病的な要素としていえば、パラノイアの要素があるからだというふうに思います。パラノイアのほとんど全部の精神についての病の、全部の中にパラノイアの要素というのは、ぜんぶ入っているといえば入っているわけですけど。でも、どこを特徴とするかといいますと、まず2つあるわけです。
 ひとつは、親友とか、兄弟とか、つまり、ごく親しい者同士の間で愛憎がきわめて深刻化していくという、つまり、相手を兄弟なり、親友なりということの、親しければ親しいほど、妄想の中では自分に敵対するものとか、じぶんを追い詰めるものというふうに思われてくるということが、パラノイアのいちばんの特徴だとおもいます。
 もうひとつの特徴はやっぱり、一種の同性愛的な要素だというふうにおもいます。たぶん、漱石には資質として、その2つの資質が完全にあったというふうに、ぼくには思われます。それが漱石が、親友同士とか、兄弟が一人の女性を巡って葛藤を演ずるといいますか、三角関係を演ずるというような、そういう小説に漱石が固執した非常に大きな理由だというふうに僕には思われます。
 でも、病気だという段で解釈するならば、それは意識として、少なくても他人からは病気だとわかるわけですから、他人がそれを病気だというふうに判断すれば、漱石自身も、たとえば、奥さんがそう判断し、周囲の者がそう判断するということから、私は周囲から神経衰弱きわまってキチガイだと言われていると漱石は書いていますけど、他人がそういうふうに判断してくれれば、他人の判断は自分でもわかるということで、意識の中にのぼってくるわけですけど。
 そうじゃなくて、病気だというところまで、他人にわかられない形での資質のあらわれ方というのは、やはり自分でもわからないという、だけども自分がひとりでにそうやっているというような、そういう無意識の要素の核にあるものが非常に大きい力があって、それが漱石の意識的な構造とか、考えというものを絶えず協力にひっぱっていたというふうにいえば、それは解釈がつく問題だと、ぼくには思われます。
 つまり、『門』のところで、宗助は決して異常じゃないわけですけど。なぜ、それを奥方に、その時に言えなかったのか、言えない主人公を設定したのかということになるわけですけど。それはたぶん、病的でないところで、しかし、漱石のと言ったらいいんでしょうか、この場合、宗助のと言ってもいいんですけど。宗助の資質を引っぱっている強力な無意識があるというような、それが、言ってしまうことをためらわせるということになっているんだというふうに理解できると思います。
 かくして、徐々にやってきた色んな要因での変化というのと、それから、宗助と御米の日常の無事平穏な、密かではあるけど、この広い世間で二人だけが味方なんだといいましょうか、二人だけで、あとは全部、じぶんたちは世間から疎まれているんだというふうにしながら、でも二人だけでひっそりした愛情を持ち合ってというふうにやってきた、そういう生活というのと、変化の要因というのが、クライマックスのところでぶつかって、それで、『門』という作品のクライマックスを出現しているわけです。
 宗助は鎌倉の禅寺へ行って、紹介されたとおりに住みこんで、それで、そこで座るわけです。それで座って、和尚さんからは、それはよくそういうあれがあるわけですけど、公案というんでしょうか、あるわけですけど、父母未生以前の本来の面目はなんだと、その公案を考えてみなさいといわれて、それを考えるために座るわけです。座って色々考えるんだけど、なかなかどういうふうに考えたらいいかわからないと、父母未生以前の本来の面目如何ということは、ようするに、父親と母親から宗助なら宗助は生まれているわけですけど、父親も母親もいないという以前のお前はどういう姿だったんだということだとおもいます。
 それに対して、それぞれの答え方をすればいいということになるわけですけど。宗助は一生懸命、その禅寺で、その公案を考えては、じぶんが考えたところをもって、和尚さんの所へ行って、それを披歴するわけですけど。そんなのはぜんぜん問題にならない。つまり、そんなことは少し知識があれば誰だって言えることだといわれて返されちゃうと、また公案を考え続けるという、紹介された若いお坊さんは、頭の先から、足の先まで、ぜんぶ公案ばかり考えて、公案だけで全部満たされたみたいに、そこまで考えを集中すると解けたりすることがあるものですよみたいに言われて、やるんですけど、とうとう期日がくるまでに何も解けないで、そのまま帰っていっちゃうわけです。
 それで帰って、そこも御米さんのとてもいい所だと思うのですけど、休息にいくんだというふうに言って行ったときより、なおさら頬はこけて、髭はボウボウになって憔悴して帰ってくるんですけど。御米さんは、なんかかえって痩せたみたいだというのですけど、それ以上は何も言わないで、そんなに別にうまいものを食ったわけでもなくて、そんなにいい所に泊まったわけでもないんだよみたいなことを言って、そこで済んでしまうというふうになるわけです。宗助は何も解決しないで帰ってくるわけです。
 御米さんに、それとなく、家主の坂井さんから何か言ってこないかいと聞いたりするけど、いや、何も言ってきませんということで、それじゃあ、じぶんで確かめようとおもって、家主さんの所に行くわけです。やっぱり、よもやま話の果てに、弟さんたちはやってきましたかみたいなあれを、なにげなくふれたという感じで、そういうふうにふれると、いやぁ、あの弟たちは満州ずれしちゃって、こんなせせこましい都会の空気なんかは嫌だとか言って、もう帰ってしまいましたよ、早く帰るんだと言って帰ってしまいましたと言うわけです。じゃあ、お友達も一緒ですかと言ったら、そう、一緒に帰ってしまいましたというわけです。
 それで宗助は安堵するわけです。安心するわけです。思い悩んで座禅を組みに行ったという、そういうことというのが、いっぺんで空気が抜けたように解消してしまう、つまり、その解消してしまうというのは、考え詰めたあげくに、その問題を乗り越えたということじゃなくて、ようするに、偶然がそれを解決してくれたみたいな形で、その問題は解けてしまうわけです。これもとてもいい解き方といいましょうか、漱石のとてもいい解き方のように思います。

8 偶然を重く見る

 つまり、漱石が盛んに偶然ということにある重さというのをいつでもかけている人で、漱石の思想の中には偶然ということをとても重く見るという考え方があるわけで、この場合でも、宗助が苦心して、苦労して悩んで解決したというよりも、せっかくそうしたんだけど、じぶんは何も解決しないで帰ってきて、しかもそれで偶然に解いてしまったといいましょうか、偶然が安井をまた遠ざけてしまったというようなことで、解けてしまうということになっていくわけです。とてもいいと思います。
 つまり、そこをもっと追い詰めて、偶然じゃないものでこの作品のクライマックスを解こうというふうに、もし考えたら、それはあまりいい作品にならないのかもしれませんですけど、ここは偶然がそれを解いてしまったという形で、作品のクライマックスは超えていくわけです。
 日常生活の中で、しばしば偶然がいろんな問題を解いてしまうということは、誰でもが体験することなわけですけど、それからまた、優れた作品というののなかには、しばしばそれがあるわけです。つまり、この優れた作品のなかには2つあって、非常に必然がこれを解決したって、主人公が思い悩んで、この場合でも宗助が思い悩んで、それを座禅によって解いて、それで、一種の超越的な心境になって、この問題を解いたというような解き方もまた、ひとつの優れた文学になり得る要素でしょうけど。
 もうひとつの要素はやっぱりなんか日常生活がしばしばそうであるように偶然が主人公たちの物語を解いてしまったという、その偶然の要素というのが、作品の中で大きな役割を演ずるというのは、やはり良い作品のひとつの特徴だというふうに思います。
 それはドストエフスキーの『罪と罰』みたいな大作品でもそうですし、トルストイの『戦争と平和』みたいな大作品でもそうですけど、しばしば偶然が危ないところをするりするり解いてしまうという筋立てになっています。それからまた、偶然にあまり頼り過ぎるとといいますか、あまり偶然を意図しすぎれば、これはよく読み物小説といいましょうか、そういうなかに偶然が解いちゃうというのはたくさんあるわけですから、そういうかたちでもって作品をダメにしちゃう要素でもあるわけです。この場合でいえば、この偶然の要素が宗助たちの悩みを解いちゃうという解決のさせ方というのは、とても良いさせ方になっていることがわかります。
 宗助はちょうど役所で人員整理があって、それで、もしかすると自分も整理されちゃうのかもしれないということも考えているわけですけど。人員整理されないで残されるわけです。残された後、すこし日にちが経って、宗助の給料が少し上がるという感じになるわけです。この偶然が解いたということ、これもまた偶然なんですけど、偶然の積み重なりなんですけど、偶然がそういうふうに宗助の悩みを解いたということの後で、今度は役所の人員整理というのに自分は無事ひっかからないで、また毎日のように勤めることができるようになって、また多少の給料が上がってということになって、また、ひとつの偶然が解決した、それで次にまた偶然がそういう兆候を解決していくわけです。そういうふうに描かれています。
 もうひとつの偶然は、季節の演ずる偶然なわけです。その季節の演ずる偶然というのは、そういうふうにしているうちに、冬が過ぎて、空が春めいてきたというふうに、作品の中では描かれています。そこで季節の偶然がまたそこに積み重なっていくわけです。この季節の偶然が春めいてきたということが、また自分たちの気持ちを少しずつ軽くさせるし、また、なんとなく、どうせ希望なんかもっている生活というふうに思っていないわけですけど、それにしても、少しずつ、希望みたいな、光みたいなのが見えてくるみたいな、それはそのなかに季節というのがたいへん大きな役割を演じて、それで出てくるというようなことがこの作品を締めくくるわけです。
 そこの最後の季節が締めくくるという所をあれしてみますと、宗助の給料が上がった翌日に御米さんが、宗助の膳の上に、尾頭付きの魚の、

 尾を皿の外に躍らす態を眺めたと、小豆の色に染まった飯の香を嗅いだ。御米はわざわざ清をやって、坂井の家に引き移った小六を招いた。小六は、「やあ御馳走だなあ」と云って勝手から入って来た。

 そこの季節の描写を申し上げてみますと。

 小康はかくして事を好まない夫婦の上に落ちた。ある日曜の午宗助は久しぶりに、四日目の垢を流すため横町の洗湯に行った。五十許りの頭を剃った男と、三十代の商人らしい男が、ようやく春らしくなったと云って、時候の挨拶を取り換わしていた。若い方が、今朝始めて鶯の鳴声を聞いたと話すと、坊さんの方が、私は二三日前にも一度聞いた事があると答えていた。
「まだ鳴きはじめだから下手だね」
「ええ、まだ充分に舌が回りません」
 宗助は家へ帰って御米に、この鶯の問答を繰り返して聞かせた。御米は障子の硝子に映る麗かな日陰をすかして見て、
「本当にありがたいわね。ようやくの事春になって」と云って、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、
「うん、しかしまたじきに冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。

 というところで終わるわけです。ちょうど季節感と、なんとなく光が希望のように、兆候のように見えてきたという所で、この作品を終えるわけですけど。漱石ですから、ようやく春になっていいよねという所でやめるわけにはいかないので、やめるほど単純ではないので、しかしまたすぐ冬が来るよと答えて、下を向いたまま鋏を動かしていたというところで、この『門』という作品は終わることになります。

9 暗い漱石と国民作家漱石

 『門』という作品は、その前の作品である『それから』という作品の後日談というふうにも読むことができるわけですし、また、それとはちょっと違うんだよというふうに、つまり、何が違うかというと、『それから』の代助というのは、漱石は自分の資質の中の一部分を非常に拡大して、代助という人物に与えているわけです。
 代助はお金持ちで、また、親たちも事業家であって、そこから月々お金をもらって、じぶんは悠々と遊んでといいますか、いわゆる高等遊民として遊んでいられるみたいな身分を『それから』の代助には設定しているわけですけど。この場合には、宗助には役所に勤める下級の職員で、なんとなく罪を背負いながら、ひっそりと奥方と借家に住まって過ごしている。将来にべつに希望をもっているわけでもなく、いまが希望といえば希望なだけなんだけれど、そういう自分の等身大よりもっと少し下のほうに人物を設定して、しかも一部分をとってきてそこを広げるというのではなくて、全面的にそういう人物を描いているというふうにいうところで、まるで違うといえば違いますから、後日談というふうに考えることもないわけど、これはこれなりにたいへん見事な、つまり見事なという意味は、たとえば、晩年の作品でいえば『こゝろ』にもつながりますし、それから、逆に『道草』のような一種の家庭小説ですけど、家庭的自伝小説ですけど、そこにもつながっていく要素、それから、『明暗』はどうなるかわかりませんけど、『明暗』にもつながっていく要素というのは全部、この『門』という作品は部分的に備えているというふうに言うことができます。つまり、初めて漱石は日常生活の中で、たしかにありうべき人物というのを描いているんだというふうに言うことができます。
 ありえないのは、ようするに三角関係の描き方であって、それはたぶん、漱石の深い資質に関係があるんだというふうに僕はおもいます。それは他に材料がないからということじゃなくて、漱石の資質としては非常に大問題なんだというふうに僕にはおもいます。
 つまり、暗い漱石というのと、国民作家漱石というのと、両方ありますけど、つまり、『坊っちゃん』のような作品を書く漱石もありますし、つまり、国民作家漱石というのと、暗いキチガイじみた漱石というのと、両方あるとすれば、その両方の要素をひとつの作品のなかに、たいへんよく融合したといいましょうか、そういう作品がこの『門』という作品だというふうにおもいます。

10 魂の探偵小説

 この『門』という作品を書きました後で、『彼岸過迄』という作品に取りかかるわけです。だけど、ここのところで、『彼岸過迄』の途中でもそうなんですけど、その前にも漱石は病気になって、それこそ本当に休養するということがあるわけです。それで義務付けられた新聞の連載小説なんですけど、『彼岸過迄』というのを病気がなんとなく治ったときに書きだそうとして書きだすわけです。
 この『彼岸過迄』という作品は意味ありげな表題ですけども、漱石がじぶんで言っているところによれば、別段意味がないんだと、これはやっぱり寒い時から初めて、彼岸過頃にはこの作品を終わらせようというふうに思っているもので、当てずっぽうに『彼岸過迄』という題をくっつけたというふうに、漱石自身はそういうふうに言っています。
 それから、もうひとつ言っていることがあります。それは少し、読者に悪いことをしたから、つまり、延び延びになって悪いから、面白い小説を書いてみたいというふうに言っています。面白い小説を書いてみたいというふうに言う場合の、面白いということが、たぶんこの『彼岸過迄』の内容を為すだろうと思います。それこそ人さまざまですから、面白い読み方もできますし、面白くない大真面目な読み方もできますし、いろんな要素があると思います。
 そうすると、ここでは面白い作品を書かなくちゃという、面白いという意味を、漱石が言った意味を生かそうと考えますと、生かして読もうと考えますと、これは漱石が書きました唯一の推理小説といいましょうか、探偵小説といいましょうか、そういうものだというふうに解釈することができると思います。つまり、探偵小説を書くつもりだったんだというふうに理解することもできると思います。途中でそうはいかないよとなっていくところもあるわけですけど。でも、いずれにせよ基調となったのは探偵小説をひとつ面白く書いてやろうというふうに、すこし考えたかもしれません、そういうふうに思われます。
 漱石の小説は、いってみれば、初期の作品を除いて全部、探偵小説だよ、あるいは推理小説だよというふうにいえば言えるとおもいます。言えば言えるわけですけど、その場合には、つまり、一種の小林秀雄がドストエフスキーの作品について、そういう言い方をしていますけど、魂の探偵小説だといいましょうか、つまり、ドストエフスキーの『罪と罰』なんていう作品は、これは魂の探偵小説なんだというふうな言い方をしています。だけど、漱石の作品もドストエフスキーとは異質でありますけど、やっぱり魂の探偵小説だと云えば、初期を除いて全部そういうことになるだろうなという感じがします。
 しかし、この『彼岸過迄』はそういう意味はなくて、ほんとうのと言ったらいいんでしょうか、つまり、面白いという意味での推理小説だというふうにいえば言えるとおもいます。
 この主人公たちを次々に変えながら、変えた主人公たちの独白みたいなかたちの構成をとりながら、全体を統一するみたいな、そういうこともひとつの工夫の仕方として漱石はやっています。それで推理小説たる、あるいは、探偵小説たる所以を申し上げてみますと、一等最初に敬太郎という学校を出たてで就職を探しながらフラフラしているという、それで好きなのはロマンチックな事とか、空想とか、夢みたいなことが好きな、そういう青年なんですけど、そういう敬太郎という青年がいて、その親友で須永という、やはり学校を同じように出て、だけれども、こちらはお金持ちの未亡人が母親で、二人で生活していて、別段あくせくと就職するということはいらないという、そういう須永という友達がいるというところで始まりになります。ある意味で、この敬太郎の話と須永の話で、この作品は終始しているといってもいいと思います。
 まず、敬太郎の話なんですけど、敬太郎の話が最初にやってくるわけです。敬太郎という学校を出たてで就職を探して、それで夢みたいなことばっかり言ったり、考えたり、関心を持ったりしている人物がいるわけですけど。この敬太郎というのは何者なんだということから申し上げてみたいとおもいます。
 つまり、何者なのかということは、漱石がどういうふうに設定しているかということになると思いますけど。この敬太郎というのは何者なのかということになってきますと、第一にいま言いましたように、敬太郎というのはロマンチックで夢みたいなことばかり考えて、ある時、須永という親友とよもやまな話をしていて、よもやまな話の中で、お前の親戚の中に俺の就職の世話をしてくれるような人はいないかみたいな話になってきて、よもやま話をするわけですけど、そこのなかで、須永が、お前はそんなことをいうけど、もしお前が衣食の問題を除いたら、つまり、生活問題を除いたら、お前は何をやってみたいんだというふうに須永が敬太郎に聞く場面があります。
 敬太郎がそれに対して何と言うかというと、じぶんはロマンチックで夢みたいなことばかり考えていて、探偵好きなものだから、つまり、探偵とか、推理とか、そういうことが好きだから、俺は警察署に勤めて、探偵になってみたいなとかいうふうに、もし、食べるとか食べないとか抜きにしたら、探偵みたいになってみたいなというふうに答えるところがあります。探偵になって、そういうのは興味深いとおもっているのだけど、でも、ほんとうを云えば、俺はそういうのをやりたくないと思っているのは、なぜかといえば、探偵というのはいずれにしても、人の裏表でいえば、裏をたいへん一生懸命探ってみたいな、いずれにしても、その人をひっくり返すみたいなことが仕事だということになって、そういうことは、おれには全然、そういうふうにしたいみたいな意志は何もないから、ただ物事を探偵したりというようなことが好きなんだ。
 つまり、何が好きかといったら、人間の心の異常さが持っているメカニズムといいましょうか、からくりというものを人間が裏のほうで回転させているという、そういう人間の心というのに対して、たいへん関心を持って、それを探ってみたいというのが、じぶんの関心だなということを、敬太郎という青年は言うわけです。
 これは漱石の推理小説としての工夫なんですけど、敬太郎のいる下宿におかしな得体の知れないことをやって、いまは鉄道に勤めている、新橋の停留所に勤めている森本という人物がいるわけです。その森本という人物が3か月、6か月分ぐらい下宿代を溜めたままトンズラしちゃうというか、どこかに行っちゃうわけです。下宿の親父さんからは、お前はよく付き合っていたから、どこに行ったか知ってたら教えてくれと、家賃を半年も溜めて、そのまま言っちゃったんだと、こういうふうに言うわけです。全然知らないんだと言って、そのうちに行っちゃった人物から無記名で手紙がきて、手紙を読むと、いま自分は大連にいるんだと、大連で何かやっているんだと書いてあるわけです。いつか面白いと思ったら大連にやってきてくれと書いてあるわけです。
 そのなかに、じぶんはステッキをひとつ持っていて、ステッキの手をかけるところは、蛇の頭になっているんだと、蛇の頭が卵みたいなのを半分何か食いついて食わえている、そういう頭になっていると、それを下宿に置いてきた。よかったらあれをあなたにあげるから、まあ使ってくれみたいに書いてあるわけです。
 敬太郎は、そのステッキをじぶんが持っていくと、なんかおかしな事とか、神秘的な事とか、何か非常に異常な事とかというのが起こるような思い込みをするわけです。そういう感じになって、ステッキを出歩くときに持って出歩くというようなことで、ステッキというのを敬太郎が持っている時と持っていない時というのは、たいへん、この作品のなかでは狂言回しみたいな役割をすることになるわけです。

11 挿話-敬太郎の探偵趣味

 もうひとつ、つまり、敬太郎のそういう探偵趣味というか、ロマンチックで夢みたいなことばかりあれしてというような、そういうことを物語るもうひとつのエピソードがこの作品の中に描かれています。それはやっぱり占いということなんです。占いに非常に関心をもっていかれているという、そういう敬太郎の一種の資質なんですけど、そこの場面が描かれています。
 それはどこからきたかというと、敬太郎の父親が占い好きの占いに凝った男で、あるとき、敬太郎がまだ小学校の時の日曜日に父親が鍬を担いできて、庭へ飛び降りてきて、敬太郎に、乾の方向に庭に梅の木があると、その梅の木に、ちょうど時計が12時になったら合図してくれ、そうしたら、自分が梅の木のところに行って、梅の木の根っこをほっくりかえし始めるからというふうに父親が言って、12時になったときに父親が鍬でもって梅の木の根っこをほっくりかえすというふうなことをやるわけです。
 その時、敬太郎は小学生なんですけど、うちの親父はやっぱり占いに凝り過ぎたというふうに思うんですけど、ただ、非常に抜けているというふうに思うわけです。つまり、じぶんの家の時計は、ほんとうをいうと、ほんとうの時計と20分も違っているんだ。もし、12時になったら梅の木の根っこをほじくりかえす、そうすると、いいことがあるみたいなことだったら、時計から合わせていかなければならないはずなのに、そのことはぜんぜん気にしないで、12時だと言って、さっそく飛んでいって、梅の木をさっそくほっくりかえしたというふうに、それはおかしいというふうに思うわけです。
 ただ、そういうふうに思っているのですけど、それから少し経ったときに、学校の帰りに堤を通っていると、馬がとめてあって、馬の傍に行って、馬に蹴っ飛ばされて、堤から下に落っこちちゃったということが起こるわけです。だけども、落っこちたんだけど、どこも怪我することはなかったという、そうすると、お婆さんがいて、お婆さんがそれは親父さんのまじないと、お地蔵様のおかげでお前は怪我をしなかったんだということを言われて、なんとなく子供心に敬太郎はそういうことというのはあるのかみたいな感じに襲われてくるという、そういう敬太郎のロマンチックな探偵好きといいましょうか、そういうのの起こりがどこにあったのかということも作品の中に描かれています。
 だいだい、その敬太郎の資質の中に、多少、神秘めかしたこととか、ロマンチックなことというのが何か頭の中に霞のように、雲のように頭を占めるみたいなことがいつでもあってというようなことが、敬太郎の資質として漱石が設定している要因であるわけです。
 そうすると、そこから始まるわけですけど、須永から敬太郎というのはそういうやつなんだ、そういう馬鹿なといいますか、そういう変な奴なんだ、でも、就職がないか探しているからお願いするみたいなことを叔父さんで、事業家でいくつもの会社に関係している叔父さんがいるわけですけど。その叔父さんに頼むわけです。
 そうすると、その叔父さんというのが、ある時、敬太郎のところに手紙がやってきて、ようするに、ひとつ課題があるんだ、就職するについては課題があると、その課題をやってくれといって、それがどういう課題かというと、今日の夕方の4時から5時の間に小川町の停留所で三田方面からくる電車から降りてくる、中折れ帽を被って、霜降りの外套を着て、それで眉と眉との間にホクロがある、そういう40がらみの男が降りてくるはずだと、その降りてきた男の、4時か5時のそこから2時間の間の行動というのを何をするのかというのを探偵して、それを報告してくれというふうに手紙に書いてあるわけです。
 それで敬太郎は4時か5時頃、そこに小川町の停留所をウロウロして見ているわけです。そのうちに、中折れ帽を被って、それで、ホクロは見えないんですけど、霜降りの外套を来た40がらみの男が降りてくるわけです。あれだと思ってると、そこへ若い女性がやってくるわけです。二人で停留所のところでちょっと話していたかと思うと、どこかへ二人で歩いて出掛けていくわけです。そうすると、敬太郎はその後を追っかけていくわけです。追っかけていくと、二人はレストランの中に入っていくわけです。そうすると、そのレストランの傍の席をとって、二人の話を聞いているわけです。そうすると、断片的にはいろんなあれが伝わってくるんですけど。ほんとうは何を話しているかわからないと、とにかく、日常のことを話していくと、二人が立ち上がって外に出ていって、それで、女性のほうは停留所に行って電車に乗っていっちゃうと、そうすると、男のほうは、そこからまた少し歩いて、雨の降りかかったところですけど、車を呼び止めて、車に乗って走っていく、敬太郎もまたその後を追っかけていくわけです。だいたい追っかけていくんですけど、どこか途中のところで降りられて、後はわからなくなった。わからなくなっちゃったところで、家へ引き返していくわけです。
 結局、よく考えてみると、断片的に聞きかじった会話でしか全然わからなくて、男がどういう人間で、女がどういう人間だというのも、ほんとうはよく何もわからないままに、とにかく、しかし2時間ぐらいはあとをくっつけて帰ってきたということになるわけです。
 そこで敬太郎というのは、翌日、下宿で寝転びながら、昨日の事を考えると、なんかちょっと全部が夢みたいに思えるわけです。つまり、そこで男と女があって、それでレストランに入ったということも夢みたいに思えるし、夢の光景に見えるし、後をついていって、そこへ入っていって、聞き耳を立てたということも夢みたいに思えるし、また、車で後を追いかけていったというのも夢うつつに思えるというふうに思うわけです。
 よくわからないんだけど、結局、そういうふうに2時間もつけて歩いたんだけど、結局、その中年の男と女性とはどういう関係にあるかというのもわからないし、そこで何をどういう会話を交わしたかというのもほんとうはよくわからない。結局、服装ということ以外には何もわからないと言ってもいいくらい、何もわからなかったということになるわけですけど。
 それを須永の叔父さんにあたる、就職を頼んだ田口というんですけど。田口という叔父さんのところに報告に行くわけです。これこれこうだということで、つけていって、あったことはぜんぶ報告するわけです。報告して、結局、何を得たかというのは、何をわかったかというと何もわからないに等しい、敬太郎はすこし馬鹿にされたといいましょうか、なぶられたような感じがして、何か言ってみたくてしょうがないわけで、就職を頼んだ田口という事業家にああいうふうにやって、後を追って、いろいろ調べてみたというつもりだけれども、結局いうと何もわからなかったというふうに言うに等しいと、ほんとうによくよく考えてみれば、そんなことをするよりも、結局、直接、停留所で降りた中年の男に直接ぶち当たって、それで、あなたはどういう人で、これから何をしようとしているのかっていうふうに、直接ぶち当たって聞いた方が、結局、早いんじゃないかというふうに自分は思うっていうふうに敬太郎が言うわけです。
 それを田口という事業家の叔父さんはそれを聞いて、あなたがそれだけよくわかっている人とは思わなかった。ほんとうをいえばそうだと、そういうときは直接聞いちゃったほうがずっと早いんだと、そういうことがわかっていたら大したものだというふうに、その田口という叔父さんに言われて、それで、就職は成り立つというふうな感触になっていくわけです。
 そこで、漱石がなぜそんな設定の仕方をしたのかということになるわけですけど。それはたぶん、先ほどの『門』の場合とか、『こゝろ』の場合と関連があるわけで、『門』の場合、『こゝろ』の場合、『門』の場合でいえば宗助は直接御米さんに、もしかすると安井がくるかもしれんぞというふうに言っちゃえば、そこで済んじゃうといいましょうか、言っちゃえば問題が済んじゃうことというのがたくさんあるわけで、小説は成り立たなくても、実際問題としてはそれで済んじゃうということになるわけですけど。宗助はそれを言うことができないで、あくまでも、それをもって回っていくわけです。
 また、『こゝろ』という作品の主人公の先生も、あくまでもKが下宿の娘さんが好きだと言ったときに、じぶんもそうだというふうに言っちゃえば、それはもう違う展開になっていて、物語にはならないとしても、実生活上のといいますか、実際上の解決には、はるかに有効だということになっていくわけですけども。そこで『こゝろ』の主人公の先生はそれを言えないで、それを自分の中で繰り返し繰り返し、罪のように、繰り返し繰り返しそれを心に残し、そして、結局、それをもちこたえられないで、自殺しちゃうということになっていくわけです。

12 動機の展開の仕方

 そういうふうに考えますと、敬太郎にこんな馬鹿なことをするんだったら、いっそのこと怒られてもぶん殴られても何でもいいから、とにかくぶち当たって、あなたはどういう人だと、あなたは何をしようとしているのか、じぶんはこれこれの人からそういうことを調べて報告してもらいたいと言われているので来たんだと、こういうふうに言っちゃえば、ぶん殴られるか、怒られるかどうかは別として、まったく違う展開になっていくということがあるわけで、たぶん、この『彼岸過迄』の中では、田口という須永の叔父さんは世間知に長けた、事業家として人をたくさん使って、人間というのをよくわかっているという、また、人間のあしらい方をわかっているという、そういうふうに設定されていますから、そういうところで、敬太郎がこんなの直接聞いちゃったほうが早いんだって自分は思ったということを、それがわかっていたら大したものだというかたちで、その場面を設定したんだというふうに思います。
 それで、田口という事業家の叔父さんは、あなたがつけていった人間がどういう人間か知りたいかというふうに敬太郎に言うわけです。もしできるなら知りたいっていうふうにいうと、それじゃあ、じぶんが紹介状を書くから、これを持って、どこそこへ行けというふうに、それはまた松本という須永の別の叔父さんなんですけど、つまり、そこへこれを持っていきなさいと言って、紹介状を書いてくれる。
 そこへ持っていくと、松本という叔父さんはまったく違うタイプで、これは多少とも漱石の好きな人物の面影があるわけですけど、その紹介状を見て、あいつは馬鹿だというふうに、田口というのは本当に馬鹿なんだ、あんたは結構、馬鹿に使われたんだ、ああいう悪戯をするというのは、ようするに人間を馬鹿にしているんだという、どうして馬鹿にしているかというのは簡単なことだ、あれは事業か何かやっていて、人間というのをあしらい慣れているんだ、あしらい慣れているからああいうことしかできないんだ、馬鹿な奴だというふうに松本というのは散々批判するわけです。
 あれも須永にとっては叔父さんに当たるけど、じぶんもそうなんだと、おれは能無しみたいなものなんだけど、家の財産を残してくれたものがあるから、こうやっていられるんだ、だけど、あれは事業家として成功していて、それで他人をたくさん使ったり、あしらったりしてきているから、ああいうような形になっちゃったと、しかし、あれはほんとうにダメな奴だというふうに、松本という叔父さんはそういうふうに言うわけです。
 松本という叔父さんが小川町の停車場で降りてきた中折れ霜降り外套の人が、その松本という叔父さんがそうなんです。それで、そこのところで来た若い女というのは、ようするに、田口という頼んだ事業家の叔父さんの上の娘なわけです。その上の娘だということがわかるわけです。
 ただ、松本というほうの叔父さんは、敬太郎に、あいつは馬鹿な奴だけど取り柄もあるんだと、その取り柄というのは、あなたがそういうことをやって、そういうことを言ってそういうふうになったのだったら、たぶん、あいつはあんたの就職というのはちゃんと世話してくれるはずだ、だから、それは安心したほうがいいというふうに言われるわけです。それで敬太郎は田口の斡旋したところに勤めを得て、勤めを始めるというようなところで、敬太郎の話というのは終わるわけです。
 たいへん漱石が面白がって、謎めかしてといいましょうか、面白がって推理小説を書くつもりのように謎めかして、中折れ帽を被った紳士と娘さんとの出会いと、それから、それを追いかけていって誰かというのを探るみたいな、それをたいへん面白おかしく書いているわけですし、また、その中で、敬太郎の資質というのがどういう資質かというのをちゃんと描けていて、面白い作品になっているわけです。
 この作品を推理小説にしていて、『門』なら『門』という作品も、推理小説といえば言えないことはないような作品なんですけど、何が違うかというと、動機といいますか、モチーフといいましょうか、動機というものに対する漱石の考え方なんでしょうけど、処理の仕方というのが、『門』という作品と『彼岸過迄』の敬太郎の話とたいへん違います。
 『彼岸過迄』という作品は、動機が、あるいは変化でもいいわけですけど、『門』でいえば変化でいいわけですけど、それが過去のほうからやってきて、現在にそれが影響を及ぼしてくるという、そういう描き方自体については、ちっとも変わっていないのですけど、ただそれに対する描く処理の仕方というのが、たいへん違っているというふうに思われます。
 つまり、『彼岸過迄』はやっぱり、いわゆる推理小説と同じで、謎めかして描きながら後で種明かしをするみたいなふうに、物語をそういうふうにもっていっています。つまり、後で動機の種明かしみたいなものを後でやるというような形になっています。
 これは『門』なんかだったら、種明かしという感じ方というのはどこにもないので、動機がいかにして現在の中に入ってくるかという描き方はあるのですけど、種を明かせばこうだという感じというようなことというのはないわけです。また、逆にいえば、『門』の主人公たちは種を明かさないんだといいましょうか、種を明かしてもいい場面がやってきても、種を明かさないんだということが、『門』という物語をつくる、いちばん大きなモチーフになってくるわけですけども。
 この『彼岸過迄』の敬太郎の話はそうじゃなくて種はすぐに明かしちゃう、初めは謎めかして描写しながら、すぐに種を明かしてしまうというやり方をここでとっているわけです。そこがたぶん、『彼岸過迄』の探偵性といいましょうか、推理小説性というものと『門』とが違うところだというふうに思われます。

13 須永の話

 たぶん、こういう面白さでもって、この『彼岸過迄』という作品は漱石自身でいえば、貫徹したかったんじゃないかというふうに思います。こういう面白さで貫徹できれば、この作品はやっぱりそれなりに漱石にとってはとても面白い試みだということになったのでしょうけれど、次の須永の話という、今度は敬太郎の友達の須永の話になるわけですけど、須永の話というのは、須永の一人称でもって描くところが次にやってくるわけですけど。
 ここではもう、ちょっと推理小説性というか、漱石が面白がっているところというのは、全部無くなってしまうというふうに思います。無くなってしまうわけです。非常に大真面目であり、また、大真面目になってきますと、もう漱石の本質的なテーマといいますか、テーマというのが作品の中に全面的にあらわれてきてしまいます。
 で、須永の話というのの発端というのは、結局、二人が、つまり、須永と敬太郎が柴又の帝釈天へ行って、帝釈天の料理屋で休むところがあるんですけど、休んだ時に、須永のところに敬太郎がいつか行った時に、女性が来ていたように思うんだけど、気配だけして顔を見せなかった。その女性はたぶん小川町の停車場で、松本という中折れの紳士と会っていたその女性じゃないかというふうに自分は思っていると、あれはいったいお前の何なんだというようなことを須永に聞くわけです、敬太郎が。それに対して、須永がじぶんの生い立ちの経緯から、自分と女性とのかかわり合いみたいなものを語り始めるというのが、次にやってくる須永の話になってくるわけです。
 この話の特徴は、漱石の本質的なテーマの特徴そのものであって、須永が子どもの時に、自分とその女性、千代子というのですけど、田口という叔父さんのようするに長女なわけですけど、長女と子どもの時に親同士が一緒にさせようというふうにさせて、よかろうという話になっていた、そういう女性なんだ。だけれども、どうして、その女性がそういうふうになっているんだけど、どうしてダメになっちゃったかということを須永が縷々説明するというのが、この2番目の須永の話の内容を為すわけです。
 大雑把にいえば、自分が子どもの時に親同士がそういうふうに言っていた時は、子ども同士で遊んでいて、わだかまりなく遊んでいて、それでよかったんだと、じぶんは言ってみれば、子供の時から比べれば、だんだん無邪気じゃなくなって、内向的になっていって、それでわけのわからんといって、外からみれば、わけのわからん、何を考えているのか得体の知れない男だみたいなふうに思われるような性格に、つまり、内向的な性格に自分はだんだんなっていってしまった。それでも、子どもの時に決められた千代子という女性は普通の女性だけども、だんだん話具合、感じ具合がだんだん合わなくなってきたということがひとつあると。
 もうひとつあるのは、ようするに、その頃、約束した時は、田口という事業家の叔父さんというのは、じぶんの親父さんが世話してやっていた人物だったのだけど、その後、事業家として成功していくうちに、その叔父さんは自分のように内向的に育って、何を考えているのかわからないみたいな男がだんだん嫌いになってきちゃっているということがとてもよくわかると、その2つの要因が、なんとなく現在、その女性とぎこちなくなっちゃっている理由なんだということを、まず須永が説明するわけです。
 敬太郎は、考えているよりずっと話が須永の生い立ちとか、親類関係とか、そういうことが思っているよりずっと複雑だということが知って、それを聞いているわけですけど。最後に須永がいうことは、結局、傍の事はともかくとして、じぶんとその女性との間はいったいどういうふうになっているか、普通いう意味では、特別、親類でもあるし、子どもの時から知っているし、親しくしているし、親しい口もきいていると、だけれども、よく考えてみると、たぶん、もし親がむかし決めたように一緒になるという所まで考えていくとすると、たぶん、それは成り立たんだろうと思うというふうに、須永がいうわけです。
 どういうところが成り立たないかというと、じぶんは千代子という女性がいとこなわけですけど、いとこの女性が持っている生一本さとか、向日性といいましょうか、明るさとか、そういうものに到底耐えないというふうに自分は思うと、つまり、ギリギリまで詰めていったら、その千代子のほうは、ようするに、自分に対して、たいへんほがらかに明るく親切にふるまうだろうけど、じぶんのほうはどんどんそれが内向的になってそれが苦痛になっていって、やっぱりそこから逃げよう逃げようというような気分にどうしてもさせられると、だけども、千代子のほうはそういうふうにやって世話を焼いてくれて、その代償としてということではないけども、その代わりに、じぶんが世間に出て、立派に一人前にやっていって、あわよくば自分の父親のように事業家として成功していくみたいなふうにきっと代償を求めるということではなくても、きっと無意識のうちにそういうことを期待するというふうになるに決まっているといって、じぶんはそれには到底、内向的になっていって、それに堪えないから、やっぱり、ダメじゃないかというふうに自分は思っているというふうに敬太郎に説明するわけです。
 その問題というのはあるときに、鎌倉の海水浴場へ、これは『こゝろ』の場面と同じようなことなんですけど、海水浴場に田口の一家が泳ぎに行っていて、そこに須永と母親と二人を一緒に来ないかというふうに招待がくると、母親は行こう行こうと言って、そういうことはあまり好きじゃないんだけど、嫌々ながらといいましょうか、ついていく、そうすると、そこについていって海岸で遊ぶということをやるわけですけど。
 その遊ぶ仲間の中で、千代子の妹の友だちの兄さんという、これがおあつらえむきにスポーツマン的で明るくて闊達でという、そういう男がそこに一緒に遊びに来ているわけです。一緒に遊ぶのですけれども、須永のほうはその男性に圧迫を感ずるし、ジェラシーも感ずるし、千代子のふるまいを見ていると、やはりその男に気持ちが惹かれているようにも見えるし、また、そうじゃないようにも見えるという、そういうことで、須永のほうはそこで一緒に遊んでいるんですけど、相手の男性はすこぶる闊達にほがらかに口きいて、ほがらかにやってくるのですけど、須永のほうはますます内向的になって、しかもジェラシーを感じてということになっていって、だんだん嫌になって、須永は黙って一人で家へ帰ってしまうというようなことがあるわけです。
 その須永という男性には、漱石の主な作品の主人公が負うような資質が全部そこで須永に被せられているわけです。その資質はもちろん漱石自身の資質のいくぶんかを分かち持っているというような、そういう性格を与えられているわけです。
 須永が帰ってきちゃう、それでそれに対して、千代子が須永の母親を送って、数日後に家へ帰ってくるわけです。帰ってきたときに、そこで衝突が起こるわけです。千代子のほうは、あなたは卑怯だって言うわけです。それは、高木というんですけど、闊達な、来ていた男というのが話題になったときに、衝突が起こるわけですけど、あなたは卑怯だと、なぜ卑怯か、どこが卑怯なんだっていうと、いやそんなことはあんたが自分でわかっているだろうというわけです。あの男の人は非常に分け隔てなく、わだかまりもなく、あなたにも誰にでも付き合おうとしていると、それなのにあなたは心を閉じちゃって、なんでこんなところに来ているのかわからないみたいなふうな形になっちゃっていると、そういうやり方というのは卑怯極まりないというふうに言うわけです。
 それは卑怯ということじゃない、つまり、じぶんはこういう性格で、こういうふうに内向していく、ジェラシーを感ずるということはないとは決して言わないと、しかし、じぶんには自分なりに他意がないんだというふうに、ただ自分はこういう性格だということは、どうすることもできないというふうに言うわけです。

14 須永の性格

 そこのところで須永がいうところがあって、それが漱石が須永に与えた性格の要だというふうに思うのですけど、そこで須永がなじる千代子に対して言うところがあるわけですけど。じぶんはもし、一人の女性を、じぶんも好きになって、じぶんと同じように好きになった男がいたとすると、一人の女性がそういうふうに二人の男から好かれているというような場面になったいたとすると、そうしたらば、じぶんは別にジェラシーだとかそういうことじゃなくて、そうしたらば、すぐに自分は圏外に出ていくというのが、じぶんだったらそれは疑いなくそういうふうにするというふうに、須永が言うわけです。じぶんにはそこでもって競争心というのは一人の女性をめぐって競争するといいますか、競争心というのは自分には全然ないんだ。
 競争心がないならば、それならばジェラシーを感じたりするというのはおかしいじゃないかって言うわけですけど。つまり、競争心はないけれど、ジェラシーを感ずるというのは、それは真実だと、しかし、じぶんはもしそうだということがあれだったら、じぶんははっきりと圏外に飛び出てしまって、別にそれを残念だとも悔しいとも、そういうふうに思わないと、それが自分の考え方だというふうに須永が言うところがあるんです。
 そこのところが漱石の主なる作品の主人公たちを大変むずかしくしているところだというふうに思います。むずかしいところにしているけれど、それなくして、漱石の主たる作品は成り立たないということになっていると思います。つまり、これは漱石自身のことに還元していいますと、漱石もやっぱり自分の資質がそうだというふうになると思います。
 漱石がそこでそういうことに固執してやまないっていうことは、そういう自分の資質が半分はわかっているといいますか、意識的にわかっている、しかし、どうしてもあとの半分というのは、なぜ自分がそうなのかというのは、漱石には自身にもよくわからない、しかし、わからないながら、いつでも自分の心の働かせ方というのは、そういう働かせ方をするという、そういうことが漱石のいってみれば本質的な問題であって、そこでもって須永にはそういう性格を与えたんだというふうに思います。
 須永の話のところまできますと、『彼岸過迄』というのは単なる一遍のかなり面白く設えた推理小説という面をなくして、ひとりでに失ってしまって、ひとりでに生真面目といいますか、非常に真面目きわまりない問題になって、作中の人物たちは全部そういうふうになっていってしまうということになります。しかし、そこにしか漱石の本質的な資質というのはあらわれてこないっていうことになっていくわけです。そこいらへんのところが、この『彼岸過迄』という作品を一種の失敗作にしている理由だというふうに思います。
 そのあと、今度は松本という叔父さんの話になっていきまして、敬太郎がそれを聞くという筋立てになりまして、松本の話というのは出てくるわけですけど、松本はようするに、じぶんと須永とは、つまり、甥っ子とはとても資質がよく似ていると、それはいってみれば、わりあいに思春期の時に、じぶんの持っているものを全部つぎ込んでしまったというようなことがひとつあるんだと、それはいまだと後悔しているけど、その時はそう思わなかった。しかし、じぶんはそのなかに余計なものまで須永のほうに背負わせて、それで、須永をたいへん内向的な、世の中といいますか、いわゆる実社会には役に立たないような、そういう得体の知れない心を持った人間にじぶんはしてしまった。それはやっぱり自分の失敗だといえば失敗だったっていうことを松本が語るところがあります。
 もうひとつ語るところは、須永が内向的になる理由というのはもうひとつあると、それはいつか須永にそういう話をして聞かせたんだけど、須永と母親というのは、ほんとうは実の親子ではなくて、須永にとっては母親が継母になるんだ。そういうことというのをおぼろげに、幼児記憶みたいなものをたどっていくと、須永にはなんとなくそういう雰囲気というか、感じというのがわかって、それが須永を内向的にしている理由だし、また、千代子といういとこと一緒になるということを須永が躊躇している理由になっているというふうに思うということを松本が言うわけです。
 これらを終始、敬太郎は森本という満州浪人みたいな、同じ下宿にいた人物がくれた蛇の頭をもったステッキを持っている時と、持っていない時というようなことでもって、感じ方とか雰囲気がぜんぶ違っていっちゃうということを筋立てにして、じぶんは須永の親類筋にある内向的な話というのは全部それで聞いてしまったというようなことを敬太郎がいうところで、『彼岸過迄』という作品というのは終わっているわけです。

15 モチーフの強烈さ

 『それから』という作品から始まるわけですけども、『それから』を書き、『門』を書き、『彼岸過迄』を書いたのですけど、漱石が資質的に持っていた課題というのは、ここでちっとも終わっていなくて、それでまた次の作品である『行人』という作品に続くわけです。漱石はようするに、『門』、『彼岸過迄』、それから『行人』というこの後くる作品なんですけど、こういう作品の中で、作品としては破綻のほうが多いというふうに言ったほうがいいので、これは『門』はそんなことはないですけど、『彼岸過迄』とかも『行人』というのも作品としていったら、破綻がとても多い作品だというふうに思います。
 でも、逆な意味でいいますと、漱石が何がなんでも、じぶんが持っている資質というもの、それから無意識に演じている自分の実生活上、あるいは作品上の、関心というようなものに対して、なんとかして解決といいますか、じぶんなりの納得を与えたいというモチーフが極めて強烈なことは確かで、この強烈さというのが、どんどん漱石をその後まで引っぱっていったということになるのかと思います。そのくらい、作品上の破綻というのは第二にして、じぶんの追及すべき課題といいましょうか、モチーフというものを、いろんな観点を変えながら貫いていったということができるというふうに思います。
 ぼくの知っている人で、漱石の小説というのは、普通の作家が書く小説と違って、初めに文学についての理論を、文学論ですけど、文学についての漱石流の理論があって、その理論を確かめたいので、確かめるために作品を書いたというふうに言える面があるんだということを、ぼくが知っている限りでは三浦つとむっていう、亡くなりました哲学者がいるんですけど、三浦つとむだけがそういうことを言っていると思います。
 それはそこまで言っているかどうかはわかりませんけど、しかし、この『彼岸過迄』とか、『行人』とか、『門』とかいう作品を見ますと、なんかやはり関わらざるを得ないよというモチーフが先にあって、それをなんとかするために、この作品を書いているんだというふうにいえないことはないと思います。
 つまり、漱石が、悪口をいう人から言わせると、あれは高等講談なんだと言われる所以というのもまたそこにあると思いますし、良くいえば、文学論、あるいは文学理論ということ、文学理論の中に、じぶんの資質の問題がちゃんと入っているというような、そういうことも含めまして、文学理論というのが先にあって、それでなんとかして、資質と自分の文学理論とが融合するといいますか、合致する点で作品をつくりながら、じぶんのモチーフを解決していきたいみたいなことがあって、この作品を書いたんだって言えなくもないのは、やっぱりこの今日お話する作品というのはそうであるように僕には思われます。
 だから、ここらへんのところが漱石の特異なところでありましょうし、ほんとうの文学好きといいますか、小説好きからいうと、玄人受けはしないので、玄人受けはむしろ鷗外の作品のほうがしているということになるのだと思います。
 でも、ぼくらが見ると、漱石のほうが問題意識、あるいは資質ということ、じぶんの資質に対する追求性といいましょうか、そういうこととか、それから風俗に対する洞察力といいますか、つまり、同時代の風俗に対する洞察力というのは、格段の違いだというふうに思いますから、まず、作品の格段の違いだというふうに思うのが妥当だと思います。しかし、ほんとうに小説好きな人、たとえば、太宰治なんかは漱石よりも鷗外のほうをより多く評価していったと思います。そういう人は、いわゆる玄人筋の人にはとても多いんじゃないかというふうに思われます。あとひとつ、『行人』というのが残っていますけど、ここで少し休みまして、また。(会場拍手)

16 漱石の作品のわかりにくいところ

 『行人』について、最後にお話することになります。ちょっと前のあれで余計なことを言いますと、『門』の坂井という家主さんがいるんですけど、それは作品を読んだ印象からいいますと、老人というふうに見えるわけです。ですけれど、中に歳を書いているところが一か所ありまして、それだと、40がらみのというふうに書かれています。ぼくはいつか坂井老人というふうに、おしゃべりしているとき、そういうふうに言って、なんか聞いていた人から、それは違う40くらいだと書いてあると言われてギョッとしたというのを覚えていますけど。漱石の作中人物というのは、書かれている作中のふるまいだけでいいますと、だいたい10ぐらい多いんじゃないでしょうか、つまり、10ぐらい年取った印象を与えるんじゃないかなというふうに、ぼくには思われます。それはある意味で漱石の作品の特徴なような気がしています。
 そこで『行人』ということなんですけど、『行人』の一郎というのと二郎という兄弟がいるわけですけど、『行人』の一郎というのは、やっぱり40歳前後のような印象を受けます。それから、二郎というのはだいたい20代の後半くらいな印象を受けるわけです。だけれども、もしかすると10ぐらい下なのかなという感じもします。つまり、そこらへんのところはとてもわかりにくいところです。
 つまり、一郎の奥方、お直というふうに出てくるのですけど、奥方の年齢というのもわからないんです。これも10ぐらい上のように、作品の印象からはでてきちゃうんじゃないかなというのが、ぼくなんかの漱石の作品についての印象になります。そこはとてもわかりにくいところだと思います。漱石の作品全体のわかりにくいところだと思います。
 『行人』という作品は何がモチーフなのかというふうになりますと、これは一郎という大学の先生をしている書斎派型の人物がいて、その奥さんがいて、その奥さんと、一郎の弟である二郎というのがいて、まず、いちばん重要なところといいますか、いちばん問題をはらんだ作品のクライマックスのところでいえば、一郎一家が母親を含めて、大阪に行きましたついでに、和歌山に観光といいますか、遊びに行きまして、そこで一郎が、二郎に対して、二郎を呼んで、お前が自分の細君であるお直と二人でもって、一晩、和歌山へ行って泊まってくれないかというわけです。
 なんでそんなことをしなきゃいけないんだというふうに二郎のほうは言うわけですけど。つまり、じぶんはお前とお直との、つまり、自分の細君ですけど、自分の細君の間柄を疑っていて、だから、それを試してもらいたいんだというふうに言うわけです。疑っているって何を疑っているんですかってことで、そんなことがあるはずがないじゃないかというふうに言って、じぶんはごめんだと、いくら兄貴の願いでも、それはごめんだというふうに言うと、お前がごめんだなんていうなら、私は一生お前のことを疑うぞというふうに言われるわけです。なんだかんだ言われて、納得したわけじゃないんですけど、結局、お直と二郎が和歌山へ二人だけで行くという場面になっていくわけです。

17 漱石の男女観

 もちろん二郎のほうは一郎の言い草を聞いていて、これは正気じゃない、病気だというふうに思うわけです。病気なんだと思うんですけど、ただ、なぜ疑うかということの理由といいますか、根拠というものを一郎の口から聞く段になってくると、一種の説得力があって、承知せざるを得ないみたいなふうになっていきます。それでそれを実行するというのがクライマックスのところです。
 ところで、一郎の考え方というのは、どういう考え方かといいますと、もちろん、お直と二郎とが仲がよくて、肉体関係があったりして、あるいは、恋愛関係があったりしてというところまで、必ずしも考えているわけではないのです。ただ、どのように考えていようと、同居している二郎とお直との間に恋愛感情の交流がさりげなくあったとしても、それに対して、じぶんはどうすることもできないと、それからまた、そういうふうに考えるとどうしてもお直と二郎との間には、そういう恋愛感情の交流があるような感じがあるように思うというのが一郎の信じ方なわけです。
 なぜそういう信じ方をするかということになってきますと、一郎の人生観というのか、恋愛観ということになっていく、あるいは、男女観ということになっていくわけでしょうし、この男女観はある意味で漱石自身の男女観と同等である、等価であるというふうに言うこともできると思います。
 それはどういうことかというと、作品の中に出てきますけれども、ようするに、男女の間の自然な感情というのは、それは恋愛感情なんだと、それは恋愛感情というのがいちばん自然な感情なんだと、ところが、結婚というのは、仮に恋愛感情というのが多少とも含まれて、そういうふうになったとしても、結婚ということの中には人工的な要素、たとえば、家族的な要素とか、家族の関係とか、姻戚関係とか、あるいは、社会的地位だとか、性格だとか、とにかく、なにか人工的な要素がどうしても介入・介在してくると、だから、そういうふうに考えると、結婚という男女の間の関係というのは、結婚ということよりも、恋愛感情のほうが自然だし、また、そのほうがありやすいんだというふうにいうのが一郎の考え方になるわけです。
 そこまでは言わないのですけれど、ようするに、二郎と細君であるお直との日常の会話とか、ふるまいとか、からかい合いとか、そういうのと聞いていると、お前とお直との間には恋愛感情というのがあるというふうに思えると、それに対して、いかに自分とお直との関係というのは、人工的で冷たいものであるかということを感ぜざるを得ないし、また、じぶんの内向的な性格といいましょうか、そういうのをお直がわかってくれているとは到底思えないと、やっぱり冷たい違和感というのがそこに流れると、それに比べると、お前とようするにお直との関係のほうが、はるかに自然な、その自然ということをもっと云えば、それは恋愛感情があるかのごとく見受けられるみたいに一郎は言うわけです。

18 二郎とお直の旅行

 二郎はとんでもない話だと、それは自分にとってもあれだし、それは義姉さんにとっても、そんなことを言われたら合わないというふうになるわけですけども、いずれにせよ作品の中ではお直と二郎とが、和歌の浦に皆が泊まっているわけですけど、そこから一日、和歌山へ出掛けて遊びに行くわけです。
 その出掛けて行った晩に、夕方に和歌の浦のほうは大嵐になっていって、通信も途絶えてしまうし、また到底歩いて帰ってくることができないというふうになるわけです。それでお直と二郎とは、そこで旅館をとって、旅館に一夜泊まるということにひとりでになっていくわけです。
 その場面というのはお読みになればすぐにわかるように大変見事なといいますか、鮮やかなイメージの湧く場面で、その作品のいちばん勘所にふさわしい場面の描写になっています。そこの場面で二郎はお直に対して、一緒の部屋で寝ているんですけど、なかなか寝付かれない。お直のほうもなかなか寝付かれないというようなところで、もうすこし兄さんに対して温かくしてやってくれたほうがいいんじゃないかというふうに言うんですけど、お直のほうは、じぶんは兄さんに不服をもった覚えもないし、不満を言った覚えもないと、じぶんなりにちゃんとやっているつもりなんだ。ただ、じぶんは馬鹿だから、兄さんには到底満足させるということは色んな意味でできないと、しかし、それは自分が馬鹿だというだけなんだと、決して、じぶんにそういう気持ちがあるわけじゃないんだというふうに、お直のほうは説明するわけです。
 そこで、嵐のために停電になったりなんかするわけですけれども、お直はそこのところで、それは非常に見事に描かれているわけですけど、たいへん大胆なことを言うわけです。じぶんはいつだって死ぬ気でいると、だから、この嵐の中で、もし、二郎さんが一緒に心中しようといえば、一緒に海岸ぺりまで行って心中するわよということを言うし、また、じぶんはいつだって海に飛び込んで死んじゃったっていいと思っているんだからというようなことを言うわけです。
 やっぱりお直が、一郎がいる前で言うことと、それから、二郎と二人でいるときと、言うことが違ってきてしまうし、たいへん大胆なことを言ったり、二郎さんて案外、意気地がないのねみたいなことを言ったりして、たいへん大胆にふるまったりするわけで、それはじつに見事に描かれていて、漱石はそういう考えをいつでも持っているわけですけど、もし、先ほどの続きでいえば、二人の男から一人の女性が同じように同じ強さで引っぱられたら、女性というのはどっちかに傾くということは本質的にできないんじゃないかというのが、漱石の女性観の根底にあるものです。つまり、漱石はそういうところでは、女性はどこか両方とも同じ力で同じように引っ張られたら、どっちに傾くということは女性は選択することはできないんじゃないかという、それが漱石の女性観の根底にあって、それが漱石の、ようするに、一種の疑惑の根底にあるといいましょうか、また、作品の主人公の疑惑の根底にあるのはそういうことだと思います。
 そのことをとてもよく描いているわけです。つまり、二人になったからどうしたということがありうることはないのですけど、そこで一郎がいるとき、あるいは一郎の前でいるときと、二郎と二人きりでそういうかたちで閉じ込められて一夜を明かさなきゃいけないみたいになったときのふるまい方とがずれてくる、変わってくる変わり方というのは、とてもよく捉えているとおもいます。

19 『行人』のアンチクライマックス

 それから、同じことなんですけども、もうひとつ、このクライマックスに対して、まったく正反対な、『行人』という作品のアンチクライマックスというのがあるわけです。アンチクライマックスというのは何かといいますと、一郎や二郎たちの家にお貞さんという女中さんがいるわけですけど、その人と、それから、元書生さんとしていて、いまは別に所帯をもっている岡田という人物の知り合いの佐野という男と、二人に結婚話が持ち上がっていて、お貞さんは佐野のところに結婚していくという話が起こっているわけですけど、明日、結婚のために、お貞さんが家を去るという時に、さりげない描写なんですけど、一郎が自分の書斎にお貞さんを呼ぶところがあるんです。それでお貞さんを呼んで30分くらい出てこなかったというところがあるわけです。お貞さんを自分の書斎に読んだ時に、お直という奥さんが唇に冷たい笑いを、ちょっとした笑いを浮かべたというように描写されています。それだけのことなんです。
 あとは先ほどの動機ということでいいますと、これは動機なき描写というのがたいへん多いわけです。つまり、動機もなければ、動機に対する種明かしもないし、動機に対する解明もないという描写がいたるところにひそんでいまして、それは読むほうがそれを拡大解釈して受け取る以外にないというふうになっています。
 いまのお貞さんが明日、佐野という人物のところへ嫁にいくというような、その前の日に一郎はお貞さんを書斎に呼んで、30分くらい出てこなかったという、それで、ちょっと部屋に来てくれと呼んだ時に、お直が薄い笑いを浮かべていたというような、それだけの描写なんですけど、そのあと何も出てこないわけなんです。そういう色んなことを繋ぎ合わせて、読むほうが推察する以外にないわけです。
 推察してみますと、一郎は、お直と正反対で、従順で素直でひたすら食事の時には自分に給仕してくれてとか、お茶を注いでくれてとか、お茶を運んでくれるとかいうふうに、つまり、ひたすら何も言わないで、じぶんに黙って奉仕してくれて、素朴な人間でという、そういうお貞さんというのが、一郎にとってはたいへん理想的な女性のイメージであって、それで、お貞さんがたいへん好きだったんだ、好きだというのは、恋愛的な意味とか、エロティックな意味で好きだというのではなくて、一郎が好感をもっていたんだと、それは、ちょうどいってみれば、細君のお直という女性とちょうど正反対にあるみたいな、そういう性格と、一種のつつましやかさといいますか、そういうのが一郎にとっては理想の女性なんだということで、お貞さんに特別いままで世話になったとか、ありがたかったというふうに言葉をかけたんだというふうに、その30分間をそういうふうに受け取れます。推察するとすれば、そういうふうに推察する以外にないようにおもいます。
 つまり、これは『虞美人草』でいえば、お糸さんというのと同じで、つまり、漱石の理想の女性というのは古風でひかえめでというような、つまり、御米さんみたいなそういう人なので、そういうのが漱石の理想の女性でということはたぶん言えるんじゃないかとおもいます。
 だから、このお貞さんというのは、もし一郎のなかに漱石が自分の面影を投げ込んだ、落とし込んだとすれば、一郎はお貞さんをいいあれだと思っていたので、最後に30分も費やして言葉をかけたんだというふうに推察して理解するということになるんだと思います。

20 動機なき行い

 つまり、この手の、『行人』というのは、『彼岸過迄』とまた違って、推察しないとこれはちょっとわからんよという動機の解明も何もないよ、解明もなければ種明かしもない。ただ推察する以外にないよという描写がいたるところにあります。
 それから、もういくつか言ってみますと、たとえば、ひょっと一行ぐらいですけど、お直さんというのは、つまり、一郎の細君というのは結婚する前に一郎のことを知っていたという描写が一行だけあります。知っていたというのは、なんかそこでごちゃごちゃ恋愛関係があったとか、そういう意味では全然なくて、ただ、同級生だったのか、なにかわかりませんけど、そういう意味あいで知っていたという、つまり、一郎が結婚する前に知っていたという、ほんの一行ぐらいあります。これは見落とせばそれまでということになりますけど、これはやっぱり一郎がお直さんと二郎の関係を疑う根拠の一つになりえたんだというふうに思います。
 つまり、こういうことはちゃんと書いてくれればいいわけですけど、漱石は少なくとも『行人』では書かないようにしています。つまり、その手のことは、ぜんぶ動機なんかないというような形で書いていますし、一郎が二郎とお直と一緒に一晩、和歌山で泊まってくれというのも、いくら一郎の説明を聞いてもやっぱり動機がないよ、動機がなくてもこんなことを言うのは、ちょっとやっぱり病人なんだ、病気なんだといいますか、と思うより以外にないみたいなふうに推察する以外にないんです。つまり、やっぱり動機が明晰に描かれている、明晰に理屈が立っているわけでもないように思います。それは、二郎が容易に反駁できる程度の理屈しか立っていないということになると思います。
 つまり、その手のことはまだあります。つまり、お貞さん(お直さん?)と一郎は仲が非常に傍からみても冷たくしか見えないわけですけど、何かの拍子に、和歌の浦からの帰りの汽車、帰りもそうなんですけど、10分か15分くらい一郎のところにお直が行って、たとえば、二郎と泊まった次の日、帰って来た日も一郎のところに行って、10分か15分くらいいて、出てきたと思うと、一郎の態度がケロッと変わっていて、ばかにほがらかそうに変わっちゃっていると、それはどういう手腕をもっているのかわからないけど、それは、二郎の描写でいえば、義姉さんのとても不可思議なところだというふうに描写してあります。
 ところで、これまた、ぼくの知っている人の、森さんという人なんですけど、その人の夏目漱石論を見ると、それはやっぱり推察して書いてあります。それはお直が一郎とその時、性的行為に及んだんだよというのが解釈です。つまり、森さんの解釈では、それだから機嫌が直っちゃうこともあるんですよというふうに、森さんの漱石論を読むとそういうふうに書いてあります。
 ぼくはへーっと思って、ぼくもやっぱり二郎と同じで、なぜ10分か15分くらい一郎の部屋に行って帰ってきて、皆のところに来たというだけで、一郎の機嫌が直っちゃったというのは、やっぱりなにかどこか特色があるんだといいましょうか、人間としての魅惑みたいなものがお直さんにあるんだというふうに、二郎と同じように、そういうふうに理解していましたけど、森さんは非常に露骨で、それは性行為したんですよって、性行為したから機嫌が直っちゃったって、そういうことですよというふうに、森さんの漱石論を読むとそういうふうに書いてあります。
 それは解釈ですから、それぞれ適当でいいわけですけど。ただようするに、ぼくが言いたいことは、つまり、『行人』の中にはその手の動機なき行いといいましょうか、動機がわからない行いとか、事実の描写というのが、たくさんあります。それは注意をしなければ読み落としてしまいます。つまり、それだけのものだと読み落としてしまうけれど、注意深く読めば、ヒョッとそういうのが浮かんでくるというふうな、浮かんでくるけど決して何も言っているわけじゃないというかたちで、この『行人』という作品は展開されていきます。これはやっぱり『行人』という作品の非常に大きな特徴だとおもいます。

21 漱石中期の大きな関心

 つまり、もっと言っちゃえば、『門』、『彼岸過迄』、『行人』と、こういうふうに並べてみますと、この時代に漱石がいちばん関心をもったのは、動機というのは何なんだと、それから、それに関与する偶然というのと、それから必然というのは何なんだということは、いちばん漱石の大きな関心の的だったんじゃないかと思われます。
 その手のモチーフをどこかで展開し、展開してはそれをわかりたいみたいなことは漱石にあって、この3つの中期から晩期にかけてのこの作品というのは成り立っているように思います。
 それぞれ個性的で、『門』と『彼岸過迄』と『行人』とは、動機についての描写の仕方がそれぞれ違っております。それぞれの特徴があります。そのなかで、『行人』というのの特徴をいえば、いま申しあげましたとおり動機といいますか、行いの描写というのはあっても、それは、いかなる動機で行われた結果なのかとか、そういうことについての説明はほとんど一切されていないというふうに言っていいくらい、ただ読者のほうが推察していくより仕方がないみたいなふうになっていきます。
 ですから、この『行人』という作品は、破綻の多い、ありうべからざる内容の物語だねというふうにも読めますし、それからまた逆に、これはいってみれば、骨組みだけでできているので、読むほうの読者がここに様々な装飾といいましょうか、背びれといいましょうか、様々なイメージをここに付け加えて、解釈する予知というのは、『行人』という作品にあるなというふうに言ってもいいんじゃないかというふうに思います。
 つまり、和歌山に泊まりまして二郎と二人きりになった時に、お直さんがたいへん大胆なことを言いだして、いつでも私は死んでもいいんだ、死ぬ覚悟をもっているんだみたいなことをいう、その大胆な違い方というのは、二郎だけにはよくわかっているわけですけど、他の人には、一郎にもわからないわけです。だけど、二郎は、普段のお直さんと、自分と泊まってそういうことを言うときのお直さんとは違うということは、二郎だけはわかっているわけです。二郎がどういうふうにわかったんだということが、描写したいところなんでしょうけど、一切描写されていないです。
 だから、これも推察する以外にないので、ぼくの推察の仕方からいえば、漱石の女性観の根底のなかには、女性はそうなんじゃないか、つまり、女性がほんとうに本音を吐いてしまえば、二人の男性から同じくらい好かれたら、ちょっとどちらかに決めるということはできないというのが本質じゃないか。だから、一種、型でいえば、真間の手児奈型といいましょうか、それが女性の本質なんじゃないかというふうに、漱石が考えていたんじゃないかなというのが、ぼくの推察です。
 しかし、ほんとうは様々な解釈ができるのだと思います。また、様々な解釈によってその人の考え方といいますか、女性観というのもまた、そこででてきちゃうんだというふうに思います。歴然と、ぼくは一郎のもっている考え方の中に、非常によく漱石の女性観、あるいは男女観というのが出ているんじゃないかと思います。
 一郎はもっと露骨にそういう問題を二郎に語るところがあります。それは、『神曲』の中のパオロとフランチェスカの弟との不倫の関係があって、それがパオロにわかっちゃって、二人がその夫に殺されちゃうというエピソードが入っているわけですけど、そのエピソードを二郎の前で露骨に一郎が語って聞かせる。二郎のほうは自分も言いたいことは結構言うほうだけど、兄貴ほど凄まじく直進してくるということは、おれにはできねえというふうに思うわけです。
 思っていると、一郎は、我々はどうしてフランチェスカの肝心の夫の名前というのは忘れちゃってるのに、パオロの名前というのは、どうして覚えているか、お前分かるかというふうに言うわけです。
 あんまりよくわからねえというと、その時は、道徳的にいえば、パウロの弟とフランチェスカの関係は不倫の関係だ、不都合な不道徳な関係だということに、そのときの道徳観、社会観では、そういうふうになるだろうけども、しかし、そうじゃなくて、弟とフランチェスカの恋愛関係の中にほんとうに男女間の自然の流露というのがあるから、だから人々はこっちのほうだけを覚えていて、夫がどんなやつでどんな名前だったかなんていうのは、誰も覚えているやつはいないんだというような、そういうことになるんだみたいなことを言って、暗に二郎とお直の関係についての比喩を露骨に語って聞かせるというようなところがあります。
 ここらへんのところで、一郎の男女観というのと、たぶん、漱石の男女観というのが、たいへんよく似ているといいますか、よく投入されているというふうに考えることができると思います。

22 なぜ漱石は三角関係を生涯の主題にしたのか

 なぜ漱石は三角関係、特に特異な三角関係、つまり、兄弟が一人の女性をめぐってとか、あるいは、親友が一人の女性をめぐってというような、そういう特異な形での三角関係というものを生涯の作品の主なる主題にしたかということになるわけです。
 ぼくの解釈の仕方というのは、回答の仕方というのは、ようするに、それは漱石の病気でしょうと、資質の病気でしょう、それは、資質の病気というのは、たくさん深い、浅いというのはあるわけですけど、それはパラノイア性の病気に近いもの、あるいは、そういう性格でしょうというふうに思います。
 それはどこからくるのかといえば、それは乳児体験から来ますよというふうに、ぼくならそういうふうにあっさりやっちゃうと思います。しかし、これは研究者によって様々な解釈がありまして、実際にそういう関係が漱石と兄嫁との間にあったんだという、そういう解釈と理解の仕方、あるいは、いろんな実証的な例もあげて、そういうふうに主張する研究者もおりますし、そこまではないんだという人もおりますし、また、他に漱石にはいたんだという、そういう女性が隠れていたんだ、ひそかにいたんだという人もおりますし、あるいは、いつでも自分の奥さんとそれから若い弟子たちとの間の感情の交換の仕方みたいなものを、漱石はいつでも傍から見ていて、そこに一種のこだわりがあって、こういうテーマを生涯のテーマにしたんだというふうにいう研究者もいるわけです。
 でも、ぼくの考え方は非常に浅いと、つまり、非常に資質的にそうだったんでしょうというふうに、どうしてもそこに固執せざるを得ないものが、漱石にはあったんでしょうというふうに思います。
 これはここのところがたいへん大きな問題だと思いますし、漱石がどういう女性を好いているか、漱石が好きなタイプの女性は決まっているわけです。つまり、『虞美人草』のお糸さんとか、『坊っちゃん』でいえばお清という老女がいるわけですけど、その老女みたいのが好きなんです。それで、漱石の好きな女性のタイプというのは、だいたい決まっていて、漱石は好きじゃない女性のタイプというのは、それがすごいのは『虞美人草』の藤尾という女性だというふうに思います。
 これはいまのフェミニズムの人から云えば、いちばんいい女性なんです。藤尾というのは一番いい女性で、お糸さんみたいなのはいちばんダメな女性だというふうになるわけです。そこいらへんが漱石の本音のところで、漱石はそうだったと思います。それが漱石の固執していった大きなモチーフだと思います。
 非常に極端な場面で、一郎が二郎に対して、つまり、二郎のほうからみますと、まるでキチガイ沙汰だと、一郎の言うことはキチガイ沙汰だと思うわけです。それ以外にいいようがないとなるわけですけど。一郎のほうは極端なところまでいきますと、先ほどのエピソードじゃないですけど、お前はようするに自然に従うことで永久の勝利者になりたいんだろって、そういうふうに言われたいんだろみたいなことを二郎に言うところがあったりします。二郎のほうから見ると、そんなことを言われる根拠はどこにもないわけで、キチガイなんだこの人はと思うわけです。それ以外にないわけです。
 ところで、もうひとつ動機を説明していないんだけど、なぜ二郎とお直との不倫という、あるいは、自然な恋愛感情でもいいですけど、それをあるというふうに疑うかということの、もうひとつ間接的な根拠みたいなのも、ちょっとだけ書かれるところがあります。それはどこかといいますと、二郎の親友で三沢という男がいるわけですけど。その三沢という男としゃべっていて、うちの兄というのは、ちょっといま神経衰弱じゃないかと思うんだというふうに縷々そういう説明をすると、それを聞いていた三沢が、お前がそんなことで兄の心配をしてお医者に診せようとか、休養させようとか、そういうふうに考えるよりは、お前が嫁さんをもらったらどうだというふうに三沢がひょっと言うところがあるんです。
 お前が嫁さんをもらったらどうだということは、その場面の文章からみますと、お前は自分ではわからんだろうけど、無意識だろうけど、ちゃんと一郎の疑いの種みたいなものを無意識に振りまいているんだぞということを三沢が言いたいんだというふうに受け取れるように、その場面は描かれているとおもいます。ぼくの読み方ではそういうふうになります。
 つまり、そういうこともまた一郎がお直と二郎との関係を、何の具体的な関係はありそうもないし、また、理性的にいえばありそうもないということは、よく一郎のほうもわかっているにもかかわらず、そういう疑いをしつこく持つという理由といいますか、根拠といいますか、それも間接的に三沢の言葉で象徴されているひとつだと思います。
 つまり、こういうことは、漱石の理解の仕方からいえば、無意識の自然、つまり、自然なほうが人工的なよりいいし、自然ならば無意識の自然がいちばんいいし、いちばん確かなんだという観点を、男女の問題について、漱石に抜け難くあったというふうに思います。
 漱石はそれに抵抗して、対抗して、様々な考え方をもっていった主人公たちがどういうふうになるかということを執拗に作品の中に描いているというふうに思います。
 結局はこの『行人』におきましても、二郎はとうとう一人で下宿するようになるわけです。そして、そこから勤めに通うというようなことになっていくわけです。それでそういうふうになっていって、一郎とお直との関係は直っていくのかということになるわけですけど、それはちっとも直っていかないで、ますますすれ違いといいますか、キチガイの方向にいくというふうに、作品の中では描かれています。
 それである時、他の家族はやってくることがあるのに、やってきたことがないお直が突然やって来て、火鉢にあたりながら、二郎にこのごろ兄さんはどうですかと聞かれると、あんまりよくないのよというふうに説明するところがあるんです。それは別のところとつなぎ合わせれば、すぐにわかるんですけど、何か衝突が二人の間で起こって、一郎がお直をぶん殴ってしまうみたいなところがあって、そのぶん殴ってしまった挙句のところで、きっと二郎のところへやってきたというふうに推察できるように描かれていると思います。
 お直は、やっぱり兄さんとの間はダメなんだというふうに言うことと、それから、男のほうはいいというふうに、つまり、嫌になったら自由に飛んでいっちゃうことができるからいいというふうにお直が言うところがあります。
 二郎が下宿して別に住んだにもかかわらず、お直と一郎の間はうまくいかない。それで一郎はますます病的になっていくというようなことになりまして、それで家族の周囲の者たちが、一郎の親友に頼んで、どこか旅に連れ出して、休息させてやってくれないかというふうに頼んで、Hという一郎の親友が誘って、その誘いにのって、一郎は湯治場で湯治に行くということになるわけです。
 一郎は湯治場に行って、どういうふうにふるまうのか、どういう状態になるのか、あるいは、どんなふうに平静になっていくのかということを、もし面倒でなかったら知らせてくれないかというふうにHに頼んで、Hがその頼みを受けて、縷々、湯治場を転々として、旅行して歩く間の一郎の気持ちとか、あり様とか、ふるまいというのを逐一報告するというところで、だいたいにおいて、この作品のクライマックスは終わっていくわけです。

23 一郎の不安の根源

 そのなかで、一郎が親友のHにいう、じぶんの現在の状態というのをかいつまんでいえば3つほどあります。ひとつは、じぶんは不安でしょうがないんだということを一郎はHに対して言うわけです。その不安というのはどこから来るんだというふうにいうわけですけど。
 一郎を慰めようとして、Hというのが、君の言っているような不安というのは、いってみれば人間の根源的な存在の不安であって、それは君一人が苦しんだからといって、それが解消するわけでもないというような、そういう意味での不安なんじゃないか。その不安というのは大小はあっても、我々がそれは持ったまま生きていく以外にないんじゃないかというような、そういう慰め方を一郎に対してHがするわけです。
 それに対して一郎は、じぶんの見解を言うところあるわけです。それはどういうふうに言うかというと、じぶん、つまり、人間の存在の不安というけど、人間の不安というのの根底にあるのは、科学の発達なんだ、科学の発達がある限り、人間の不安というのは止まることはあり得ないんだ。それはどこまでいっても、不安は伴うけど、それは誰にでもある不安だというよりも、そういう科学の発達に伴う文明の不安というものを、じぶんの不安と同じものとして受け取ってしまう、そういう人間というのもいて、じぶんはそうですらどうすることもできないんだという言い方を一郎は、不安についてそういう解釈、理解の仕方をするところがあります。
 それに対して、Hが手紙の中で、一郎の不安というのは、やがていつか非常に遥か将来になって、未来になって、人間が、皆が皆、一郎と同じように不安ということを理解することができるようになるまでなくならないんじゃないかというふうに、Hが手紙に書いてくるところがあります。
 それが一郎の占めている不安だし、一郎の解釈している不安の原動力といいますか、原因だというふうに作品は描かれています。ですから、漱石はそういうふうに一郎の不安を位置づけたかったんだというふうに思います。
 しかし、ぼくらはそういうふうに思いません。この一郎の不安というのは資質の不安だから、これはたぶん、乳幼児期に根源がある不安だというふうに理解いたします。一郎の不安というのは、文明の不安だというふうに持っていくことができないところの不安だというふうに、ぼくが理解するとすれば、そういうふうに理解します。
 たぶん、外側に文明の不安、科学の発達の不安というふうにもっていく、一郎の解釈の仕方、あるいは、しいていえば漱石の解釈の仕方というのは、それは違うんだろうなと思います。つまり、漱石はいつでも自分は根源的な不安を持っていた人ですけど、じぶんの根源的な不安がどこからくるかといったら、やっぱり、文明の発達に帰している部分は、あからさまに作品の中に出てきますけど、じぶんの根源的な不安というのは乳幼児の不安だよというふうなことは、解明はそれほど行き届いているわけじゃないと思います。
 また、漱石にとって少しは、半分は意識したかもしれないけど、半分は意識しない問題だったというふうに思われます。そこはやはり、一郎の不安をぼくに言わせればつまらない解釈にしていると思います。
 それから、一郎がまたそこで告白することのなかに、もうひとつ、過敏さとか、鋭敏さということがあります。つまり、中途半端で済ますことができなくて、何事につけても、白か黒ということか決まるまで、突き詰めずにはおられないという、そういう一郎の資質というのは、鋭敏ではあるけれど、一本の針金の上を渡っていくようなもので、やっぱり、そういうところで一郎は生活しているので、それは相手に対してもというのは、奥さんに対してもということでしょうけど、細君に対してもということでしょうけど、相手に対しても、そういうふうなところまで、白か黒か突き詰められるところまで突き詰めていくことを、相手に対しても要求することを避けがたくしている、それが兄さん、つまり、一郎のもうひとつの悲劇であるというようなことを、Hが手紙の中で書いて寄こします。
 一郎はその問題について、じぶんは死ぬか、気が違うか、そうじゃなければ宗教に入るか、それ以外にもう自分には道がないんだ。宗教に入るということはできない。なぜできないかというと、じぶんは神とか仏みたいな絶対的なものを、じぶんの外につくるとか、見つけるということは、じぶんにはできないんだ。つまり、じぶんが神であるとか、じぶんが絶対だということは考えるけど、じぶんの外に絶対的なものがあって、それを信ずる信じないというふうに自分をもっていくことは、じぶんはできないんだと、そうすると、じぶんに残されているのは、気が違うということしか残されていないんだというふうに、一郎がそういうふうに考えているところがHの手紙にでてきます。
 それが、もうひとつ、不安ということと、過敏さ、鋭敏さということについての一郎の解釈になってきます。この一郎の解釈はある意味で、漱石自身の解釈でもありますし、漱石は一般にそういう言い方をすれば、自分で頭が良いと思っている人も、頭が良いと言ってくれる人も、皆さんの中にもおられるでしょうけど、頭が良いということは病気であるわけです。
 それで、どこかで病気に対して、予防策を講ずるとか、なにか違うところで、頭の良いというのをすり減らすといいますか、角をとるといいますか、鈍麻させるということをしないと、するというのがだいたい普通の生き方なわけですけど。漱石もそうしているわけで、そうはできない面もあったですけど、そうしているわけです。
 ですから、女性でも、お貞さんみたいな女性とか、『坊っちゃん』でいえばお清さんみたいな女性とか、『虞美人草』でいえばお糸さんみたいな女性というのが、漱石の好きな憧れの女性であるわけです。
 それは何かというと、それは憧れたってどうってことはないわけですけど、それを実現するわけでもないのでしょうけど、なかったわけですけど、ただ憧れるということで、じぶんの持っている頭の良さというのをなだめているという意味あいは、それで十分に持つわけです。誰でも、頭の良い人は病気ですから、それをなんとかしないといけないということがあると思います。それがやっぱり文明の問題のように、ぼくには思いますけど、漱石もどうすればいいかということは、充分によく知っていた人だと思います。
 実際問題としても、『門』じゃないですけど、座禅に関心をもったり、じぶんも座禅をやってみたりということを漱石自身も、日常生活の中でも、また作品の中でも、それをやっているわけです。この『行人』でも、一郎が最後に言うことはそういうことなんです。つまり、ちょっと怪しげだなということになるわけですけど、たとえば、一郎はこう言ったというふうにHさんの手紙に書いてあるわけですけど、つまり、半鐘がなってそれが聞こえたと、そうすると、それを聞いている自分は半鐘がどこかのお寺で鳴っているのが聞こえたというのではなくて、半鐘そのものと自分が同じになってしまうというような半鐘の聞き方ということがもしできれば、それはいってみれば、じぶんの外にあるものが、ほんとうは自分の内にあることと同じになっちゃう、つまり、相対と絶対とが一緒になっちゃうということになって、それはひとつの救いなんだということを、一郎がHさんに言うところが手紙に出てきます。つまり、その考え方は、禅の考え方をそこで漱石が一郎の言葉として披歴してみせたんだと思います。

24 漱石の偉大さ

 つまり、一郎が最終的に『行人』の中で訴える、きついといいますか、苦痛な状態と、それに対する一郎の解釈というものは、いま申しました3つの点に最終的には帰着します。そのいずれも僕には妥当だと思えないんです。でも、漱石はある程度は妥当だというふうに思ってこういう解釈を一郎に与えたんだというふうに思われます。
 しかし、実生活上の漱石はこんな解釈では、それこそキチガイになるか、宗教へいくか、あるいは死ぬかしかないわけですけど、漱石は漱石なりに生きのびる手段を講じたと、その手段は何かといったら、どこかに対症療法となるものといいましょうか、じぶんのキチガイじみた鋭敏さとか、頭の良さというのをどこかで緩和してしまう、和らげてしまう、そういう何かを設けることによって、漱石自身は実生活上は延命したんだというふうに思います。
 しかし、この作品では一郎がその後、延命したかどうかというのは、すこぶるわからないように描かれています。ただ、一郎の考え方みたいなのをとっていけば、これはどうしても延命はできないですから、宗教にいくのかもしれませんし、また死んでしまうのかもしれないというところに帰着するんじゃないかというふうに思います。
 つまり、『行人』の作品としての特徴は、たぶん、漱石の中にある資質と才能というもののあらわれ方の、あるいは生活、あるいは夫婦間の問題でもいいのですけど、それの一部分を非常に鋭敏に誇張して一郎に被せたというふうにおもいます。
 漱石自身はままそういう状態に陥ったり、実生活上も陥ったりしますから、奥さんの『漱石の思い出』を読みますと、だいたい頭がおかしい時期のほうが多いみたいに書いてあります。また、漱石の『道草』を読みますと、今度はじぶんの頭のおかしい時代、時というのは書いていなくて、奥さんがヒステリーを起こしておかしくなっちゃって、自殺しそこなったとか、そういうことはよく書いてあります。
 つまり、お互いに言っちゃえばいいのになというところを、生きているうちは言えないままにいたんだというふうに思います。それが一方は作品になり、一方は死んでからの思い出になってでてきて、まるで正反対じゃないかというふうに、じぶんのことは書いてないじゃないかというふうにいうことになっちゃうような状態になっていたんだと思います。
 でも、漱石自身は大変よく延命して、いま流でいえば全うしたとは言えないのでしょうけど、たいへんいい生涯を、つまり、頼りなく歩んでいるのに、でもなかなか一方ではゆったりしていたり、自然と同化することもあったりみたいなことをやりながら、漱石は生涯を全うしたみたいに思います。
 たぶん明治以降の文学者で、射程の長いというか、息の長い偉大な作家というのは何人もいるわけですけど、そのなかで、少なくとも作品の中では決して休まなかったといったらおかしいのですけど、いいか悪いかは別として、遊ばなかった。だから、最後まで漱石の自分の資質を基にした自分の考えというものの展開をやりながら最後まで弛むことのない作品を書いたというふうに言うならば、息が長いだけではなくて、たぶん、最も偉大だというふうに言える作家じゃないかというふうに思います。
 そのおかげで、ぼくらでもこういうおしゃべりをしても、他人がどういうふうに書いているか、どういう漱石論を書いているかというのは、全然この中で無視しまして、じぶんの考えだけを言っちゃっても、なおかつ論ずる余地はたくさんあるよというふうな、それだけのあれを持っています。つまり、キャパシティーといいますか、容量といいますか、器といいますか、大きさというのを、漱石は持っている作家で、また、これからも盛んに追及されて、つまり、古典として追及されていくと思います。いまももう古典として追及されかかっているような気がします。つまり、学者の人たちの追及の対象になっていて、微に入り細をうがつというふうにだんだんなりつつあります。
 しかし、漱石が何にこんな思い煩っちゃったんだとか、なんで苦しんじゃったんだとか、なんでこんなになっちゃったとか、こういう小説を書いたんだとかいう、根本の粗大な事といいますか、粗雑な事といいますか、粗雑でもって大きいことといいましょうか、それについて蒸し返し蒸し返し追及していく、そういう追及というのはだんだんだんだんなくなっていくような気がします。やっぱりそれはどこかできっと必ずもう1回この対象は、作品の中、それから生涯の生き方の中、それから、病的なふるまいの中、そういうなかで描き出している人格像というのは、ちょっと徹底的にといいますか、誰に遠慮することもない、つまり、誰がいるから迷惑することもない段階に入っていますから、徹底的にやってしまうようなこと、そこを根本的に追及してしまうというようなこともまたやらないといけないんじゃないかな、やるべき段階にもきているんじゃないかなというふうに思います。
 つまり、ぼくらはそういう段階で、そういう漱石の追及の仕方というのは、もっと露骨に、もっと徹底的に出てくるということは、とても望ましいことなんじゃないかなというふうに思えてなりません。そうでないと、皆そうですけど、つまり、0.01まで計算すればいいのに、0.00005まで計算して緻密になったというけど、それは間違いなんだよという、何を間違えているかというと、ウェイトということを間違えているんだよということに、ぼくはなると思うんです。
 それは、だいたい0.1まで計算すればいいという時には、だいたいそれ以上計算しても、それ以下でもダメだということを意味します。つまり、0.1まで計算すればピタっていくよとなった場合には、0.1まで計算すればいいので、それを0.0000…まで計算したってちっともダメなんだよ、そういうのはってことに、ぼくはなるような気がします。
 だから、漱石についても、漱石が零コンマいくつかわかりませんけど、やっぱり漱石についても、零コンマいくつという、漱石というのはこれだよという、ここだよという、そこもなんか余すところなくといいますか、隠すところなくといいますか、徹底的に追及していく、そういうものが出てきていい時期なんじゃないかというふうに、ぼくは逆にそういうふうに思います。
 これが中期といいますか、中期から後期にかけて漱石が動機といいましょうか、モチーフでもいいですけど、動機ということと、偶然ということとは、いったい何なんだと、どこで結び付くのか、結び付かないのかということに、しきりに拘泥したといいますか、こだわったということの、とても大きな理由だとおもいますし、もうひとつはこの時期だけじゃなくて、漱石の初期を除いた時期に、漱石の文学らしい文学といわれている作品が描かれて以降、一貫して漱石が追及していった問題ということの根底にある問題のように僕には思います。
 つまり、これも漱石が一種、古典のほうにいきつつある現在に、とても条件としてはやりやすい、つまり、こう言ったからそれはけしからんというふうに言われる余地というのは非常に少なくなっていますから、そういう点で根本的な追及というのが出てきていい時期なんじゃないかというふうに僕には思われます。簡単でお粗末ですけど、『門』、『彼岸過迄』、それから『行人』についての、ぼくの感想と理解というのをしゃべらせてもらいました。これで終わらせていただきます。(会場拍手)



テキスト化協力:ぱんつさま