1 司会

2 選択的消費が50%を超えていること

 1年か2年前だと思うんですけど、おしゃべりしまして、その続きをやるようにというお話でしたので、今日はパート2として、現代はどういう状態で、どういふうに理解すればいいかということについての、僕なりの考えかたをお話ししたいと思います。
 この前お話ししたことで、ぜひとも復習しておいたほうがいいことがひとつあります。日本は、世界的に見ますと、アメリカと西欧四カ国の欧州共同体、日本と、その3つの先進的な地域、地域国家の平均値をとりますと、所得の50パーセント以上が、半分以上が消費に使われていまして、それからもうひとつ、消費額、消費支出というもののなかで、選択的消費という、つまり選んで使える部分というのがまた50パーセント以上を占めている。おおよそそのふたつの条件があるのが世界でその3か所ですけれども、その3か所になっていればまぁ、消費のほうが所得の半分以上になっているということが、たいへん大きな特徴になります。
 つまり、所得の4分の1から、極端にいえば2分の1です。その2分の1という額は、要するに、選んで使える部分ですから、例えばこの月には旅行に何回行ったとか、映画館に何回行ったとか、レストランに何回行ったというふうに、それを加減することができる部分の消費、それが選択的消費というわけです。それから、もうひとつ必需消費という、光熱費とか家賃とか、その他必ず毎月いる消費というものがありますけど、それが必需消費といいますと、生活レベルに即して一定しているわけです。選んで使える部分が、世界の3つの先進的地域では、要するに消費の内の半分以上は選んで使える、だから加減することができるといいましょうか。使わない、使うまいと思えば使わなくてもいいというふうになっている部分が、だいたい四分の一から、極端にいえば2分の1くらいあるということを意味します。
 そういう先進地域の何が特徴なのかといいますと、そうなってきますと、すぐにわかるように、例えば国民の大部分の人たち、9割なら9割の人たちが、一斉に半年なら半年、映画館なら映画館へ行くのをやめたとか、選択的に、選んで使える消費をやめたというふうにしてしまいますと、日本国の経済的な規模は4分の3から2分の1に減ってしまいます。それだけ減ってしまいます。そうすると、それはちょっと成り立たないということに、つまり、政策も成り立ちませんし、経済も成り立たちませんし、あらゆることが成り立たないということを意味します。つまり、いい換えますと、3先進地域ではだいたい9割の国民の力というものが、潜在的にいいまして、よしっということで一斉に使うのをやめた、生活水準は落とさなくてもいい、使うのをやめたというだけで、だいたい、どんな政府も成り立たないというふうになっているということが非常に大きな特徴です。潜在的にそうなっているということがたいへんな特徴だと思います。それは、かって人類の歴史が体験したことがない状態を意味します。つまり、その3地域では、そういう新しい時代のところに入って行くということを意味していると思います。それは、この前申し上げたことからすぐに導きだせる、とても重要なことだと思います。

3 消費資本主義の段階

 ですから、あとで申し上げますけれども、不況というふうに今いわれていますけど、不況というのは、要するに、国民のひとりひとりが個人的消費、選んで使える部分を使わなかったら、どんなことをしても不況から脱出することは不可能です。現在、いろんな不況対策というものが行われてますけど、それがどうして功を奏さないか、○○○○をもっと多角(?)にやれば功を奏すると思いますけれど、どうして功を奏さないかといいますと、要するに個人個人の消費というものを、みなさんのほうでちっとも脇を緩めていないからだと思います。脇を緩めないかぎりどんなことをしてもだめです。企業にいくらお金を公共投資したってだめだし、建設業に公共投資しまして港湾を整備したり、道路を整備したりとか、そういうことをしたって。建設業をうるおして、それがまわりまわって景気がよくなるというような大昔の、大昔といいますか、つまり、消費資本主義の段階に入らない前のやりかたです。それがケインズのやり方であり、またマルクス主義の時代の考え方ですね。それはもう、世界三先進地域では通用しません。つまり、そんなことをいくらやったって、みなさんひとりひとりが脇をしめていたら、脇を緩めなかったら、不況というのを脱出するはずがないわけです。それが現在の状況だというふうにお考えになったほうがよろしいと思います。だからどんなことをしてもだめです。 みなさんがゆったりと脇を緩めて、今月は余っているから旅行に行こうかとか、そういうところで使う、選択して、選んで使うということをやり出さない限りは、だいたい不況から脱出することはどんなことをしても不可能だということになっております。つまり、そのことが、この前申し上げました、どうしても復習しておきたいということになります。で、その問題を。
 最近の、去年度のデータが出ていまして、例えば、全国民の家計の支出総額は、月平均33万4千円ということになっている。で、そのうち、学費とか交際費とかいうやつを除いてしまいますと、24万4千円になります。そのうちの、いまいいました、選んで使える支出が12万3千円ということになっています。そうすると、12万3千円というのは、だいたい50.4%、つまり半分を越えています。また、交際費というものを、選んで加減できる部分というふうに考えますと、それを入れますと、だいたい87%が選んで使える部分というふうになっています。それが現在の現状です。それから、いわゆる必需消費、必ず毎月いる光熱費とか食費とか、借地だったら地代とか、水道代とか保険とか、それが12万3千円というわけで、選んで使える部分よりも少なくなっています。この特徴が要するに、日本もそうですけれども、世界の三先進地域の特徴だということになります。
 これは、例えば半世紀、50年経ちますと、50年たった後もそのとおりかということは、なかなか断言できないわけです。例えば、日本は戦争に負けた時から50年ぐらいたっているわけです。その時には、アジアの中心国ないしは後進国みたいなところだったわけですけど、現在では世界でいちばん目か2番目ということになっていますから。つまり、半世紀たちますと、どんなことでも起こりうることを意味します。ですから半世紀後にこんなことがまだ通用するか全くわかりません。通用するかもしれませんし、通用しないかもしれません。しかし、少なくとも10年とか15年の単位でいいますと、この状態は続くと思います。つまり、アメリカと欧州共同体とそれから日本と、その3つが世界経済を支える3つの柱ということになると思います。それで、面白いというか、興味深いことは、要するにアメリカと日本は一国でもって世界の経済の3分の1を支えるという力がありますけど、欧州は4カ国、つまりフランス、ドイツ、イタリア、イギリスですね、その4カ国を合わせないと、だいたい日本一国とかアメリカ一国に該当するだけの、世界経済を支える力はないわけです。それが現在、欧州共同体が、ある部分については国境を撤廃しようとか、ある部分だけは国家を保とうとかということでもめている段階なのはどうしてかといいますと、欧州の一国ではとうてい世界経済を支える力がなくなっているからです。4カ国を合わせますと、だいたいアメリカとか日本とかに匹敵して、世界経済を支える三分の一のシェアにはなれる、というのが現状です。それが、欧州共同体がいま当面する矛盾、国家としての矛盾であり、また共同体として、国家エゴイズムをどう相互に調節するかという問題になっているわけです。10年、15年というのは、たぶんこの状態は変わらないというふうに僕は思います。だけど、半世紀たったらどうなるかっていうのはまったくわかりません。つまり、韓国が世界で一、二を争う経済的大国になるかもしれませんし、東南アジアがそうなるかもしれません。それはまったくわかりません。しかし、10年、15年はたぶんその状態でいくだろうというふうにいえると思います。ですから、そのことはとても、欧州共同体にとっても重要なことになってくると思います。
 僕は、もともと文芸批評が専門ですが、ここ1年、ちょっと本気になって経済問題、そういうことをやってきたんですよ。どうしてかというと、この不況というのはね、どうも僕が今年度のはじめに、あるいは昨年の後半期から考えていたよりも遥かに深刻であり、根底が深いというような感じをもちまして、よし、これを自分は追求してみよう、本気になってどういうことなのか追求してみようと考えて、少し本気になってそういうことを1年から1年半やってきました。そして、僕なりに、あっそうかというか、こうなんだよな、ポイントはここなんだよなということを、僕なりの理解のしかたと僕なりの結論的なことを自分なりに出してきました。文学というのは、つまり、心の内面とか感覚の微細な動きというものの表現であるわけですからね。こういう大雑把なことをやって、大雑把であって大きなテーマといいましょうか、そういうことをやっていますとね、なんかね、気持ががさがさしてくるわけです。こういうことをやってていいのかねぇ俺は、ということをいつでも考えながら、いやいや、とまた思い返してというふうなことでやってくるわけです。これはしかたがないんですが、文学みたいなものが好きで、そういうものを出発点としてきた人間が、そういうものから、少し大雑把なことをばっかりしていると、そういう気持になるわけですよ。しかし、僕の経験ではかってそういうことをしたことがあるんです。大学紛争側が華やかなるころといいますか、盛んだったころ、僕やっぱり状況という文章をあれして、やっぱり大雑把なことになったことがあるんですよ。その時もやっぱりそういう気がしまして、こんなことしてていいかねとしきりに思いましたけれども、結局後から考えますとね、もっとやっときゃよかったと、もっと徹底的にやればよかったというふうに、あとからするとそうなるわけです。つまり中途半端ということになるわけなんです。だから、今度もそんな感じがしましたけど、またそれを思い返して、もっとやれという感じになってきながらやってきたわけです。で、僕なりの結論といいますか、僕なりの考え方ができるようになったということをお話しします。

4 不況を判断する基準

 まず第一に、不況ということなんです。不況というものをどこではかるか、ということなんですけど、世の経済専門家とか、政府とか経済学者とか、そういう人たちがどこで不況というのを図っているかというと、例えば大企業、特に製造業とか工業というところを目標に、そういうところの営業利益が、前の年の同月、あるいは同期に比べて、利益のパーセンテージが減っていたら、それは不況だというようなことになるわけです。また、そういう製造業だとか工業とかの社長さんや重役、つまり起業家に、百なら百の大きな企業をとりまして、そこの社長さんに、お前のところの企業はこれから後何ヶ月、景気がよくなると思うか、あるいは利益が減ると思うかとアンケートを取りますとね、どうも経常利益が減ってくるような気がする、パーセンテージが減ってくるような気がするというのが50%を越えますと、それが不況だというふうに判断したりとか。つまり、いい換えれば、そういうところで不況であるか好況であるかというのを判断するのが、専門家とか経済学者というものの、だいたいの判断のしかただということがすぐにわかります。
 しかし、僕らがそれを考えるとき、ふたつだけ疑問を、そうじゃないんじゃないかというふうに考えるとふたつだけ。つまり、今申しました世界の先進3地域、アメリカと日本と、欧州共同体の場合にはそうじゃないんじゃないかな、それじゃだめなんじゃないかな、それで不況とか好況とかを判断したり、そこにテコいれすると不況から脱するというふうに考えたりするとだめなんじゃないかなと考えてみました。どうしてかといいますと、ひとつには、要するに、みなさんのそういう判断のしかたがどういうふうになりたっていくかといいますと、全企業といいますか、全産業のなかで製造業が主体である社会、製造業に働いている人がいちばん多く、そして製造業で得られる総利益、つまり国民総生産といわれているものですけども、そういうものが大部分を占めるというような社会的な段階だったら、それはそれはいいということになるわけです。そういう段階だとすれば、例えば、製造業や、工業や、建築業というものを合わせて第二次産業といいますけど、第二次産業、建設業のところに政府は公共投資をしまして、例えば、港湾を整備したり、道路を整備したりというようなことをやって、そこで働いている人と企業を活性化しますと、その活性化している部分が、働く人としても国民総生産としても、大部分を占めているものですから、そこが活性化すれば、活性化が全体に及ぶという考え方だとおもいます。やっぱり消費というものが興隆期といいますかね、旺盛で盛んになっている時期、これから伸びていくというような時期にはそれでよろしいわけですし、また、製造業が全産業の大部分を占めている時にはそれでよろしいというので、ケインズ法、ケインズによる方策が取られたわけです。つまりマルクス主義も同じようなものです。そういうふうに考えたわけです。
 しかし、今申し上げましたとおり、少なくとも世界の三地域、日本を含めてそうですけども、そこでは、国民の大部分というものがどこで働いているかというと、製造業とか工業とかというところで、もちろん農業で働いているわけじゃないんですが、大部分の人たち、50パーセント以上の人たちは第三次産業といわれているもの、つまり、流通業とか、サービス業とか娯楽業とか、教育産業とか医療とか、そういうところで働いている人たちが、労働者の大部分を占めている段階になっているわけです。
 だから、現在も容易に、この前のデータを出しましたけど、それは容易にいうことができます。例えば、人口の割合としまして、農業と漁業に従事している労働者は、全働いている人たちの6.4%ぐらいです。国民総生産に占める割合は2%から3%、つまり、第二次産業、製造業、工業、建設業に働いている人は30%ちょっとぐらいです。ところが、第三次産業に働いている、つまり今申しましたように、流通業とか、娯楽業とか教育業とか医療とか、そういう関連産業で働いている人たちは、だいたい60%以上を占めるようになっています。そうだったら、政府がやっているように、経済専門家がいうように、第二次産業、つまり建設業に公共投資の大部分を投入して、もう2回ぐらい数兆円の投資をやっているんですよ、それだって、ちっとも不況から脱していないでしょ。それは当然じゃないかと僕には思われるんです。つまり全体の30%しか働いてないところに、政府が公共投資をしたって、それがめぐりめぐって全国、全働いている人に及ぼすっていうのはちょっと考えにくいでしょう。そういうふうになっちゃってるわけです。つまり、世界の先進三地域の工業産業の状態、社会というのは、ちょっと恐るべき段階に入っちゃっているということを意味します。ですから、瞬間的に第二次産業に公共投資したって全然だめだよ。全然でもないですけどね、やっぱり額をうんと多くすれば少しは全体に及んでくる。それで、みなさんの懐も、といいますか、脇も甘くなって、ちょっと海外旅行に行こうじゃない、というようになるかもしれないですけど。絶対に駄目ですよ、建設業に大部分公共投資したって、みなさんの懐が緩むまでにはたいへんにめぐりめぐっていくわけです。その途中にゼネコン何とかみたいに収賄かなんかでみんなとられちゃって(笑)。
 そんなふうな話になってくるというのも含めていいますと、そういう30%の労働者、働いている人のところに公共投資したってそれはだめでしょうということは、非常に常識的に明瞭じゃないでしょうか。だけど、なぜそうしているかというと、従来までの近代経済学の概念からいっても、マルクス主義経済学の概念からいっても、だいたい第二次産業に投資すれば、活性化して景気が回復するみたいな、そういうことになっていたわけですよ。ですから、それを破って大胆な事をするということは、非常に大胆にしないとだめなわけです。ですから、できないわけですよ。できないから不況から脱しないというふうになっております。そのことはみなさんがよくよく知っておられたほうがいいと思います。違う論理を与えられて、つまり、企業が景気が良くて儲からなければ、そこで働いている君たちは儲かるはずがないみたいなことをいわれるかもしれないけど、本当はそうじゃないですよ。そうじゃないっていうのは、別に進歩的な思想でそういわなくてもね、要するに、世界の三地域ではそうなっています。つまり、みなさんのほうが、懐が、脇を緩めないかぎりは、不況からは脱しない、全社会が不況からは脱しないというように、その三地域はなっている、なっちゃっているということを、よくよくみなさんのほうではおなかに入れておられたほうがいいと思います、それが現在の、不況だ不況だといって不況を脱せられない理由であるわけです。

5 景気回復に必要なこと

 企業の人たちが、盛んに我々の企業はちっとも活性化しないみたいなことを新聞なんかでいっていますけれども、そりゃ、あたりまえでしょうって。あなたたちは、働く人たちの懐があったまって脇が緩んでくるようなことをなんにもしてないんじゃないのという。逆のことをしているんですよ、大抵は。けちけちして、電気は早く消せとか、残業はやめろとか、残業費は少なくするとか、そんなことばっかりやってるんですね。それはねぇ、全然、反対なんですよ。要するに、反対になっちゃっているということが世界3地域の非常に大きな特徴ですし、極端なことをいいますと人類がはじめてその段階に突入したのです、その3地域が。やがて全部がそこへ突入してきます。しかし、3地域がいまそこに突入しちゃっているということなんです。だから、そこのところはよくよくね、みなさんが、別に進歩的な思想じゃなくてもいいんですよ。保守的な思想であろうと進歩的な思想であろうと、どんな思想を持とうと、そういうふうになっちゃっているということが重要なことなんです。ですから、別におまえは進歩だとか、おまえはそうじゃねぇ、保守的だとか、そんなことはいう必要もないのであって、もう、みなさんのほうで脇を緩めないかぎりは絶対的に企業も成り立たないし、政府も成り立たないというふうになっちゃっているということが3地域の非常に大きな特徴です。それは思想に関わりません。思想に関わる問題は終わりましたよ。その3地域では終わりましたよ。だからそれはそうじゃないんであって、どんな思想の持ち主であろうと、みなさんが脇を緩めないかぎりは絶対に不況を脱せられないとお考えになったほうがよろしいわけです。つまり、そういう段階に来ているということを、そういうことをお話しできれば、何もいうことはないというくらい重要なことです。それはみなさんが経済に関心を持とうと持つまいと、それから思想とかイデオロギーに関心を持とうと持つまいと同じです。つまり、イデオロギーで、進歩的イデオロギーと保守的イデオロギーが対立してたなんていうことは大嘘であって、そりゃ、昔は対立していましたけど、現在のその先進三地域ではその対立は終わってしまいました、というのが本当のところです。本当のところの僕らの考え方です。
 僕らはついにそういうところに、不況の問題を分析していくうちに、ついにそういうところに到達しました。そういうことをいってくれる人は誰もいませんから。僕しかいいないですから。僕はそういうことで発表してきましたけれども、他の人はいわないですし、いわない方が、要するに、責任を取りたくないわけです。僕だって、別に責任者だなんて一回もいったことはない。勝手なことをいってりゃいいわけで、だけど、例えば政治責任者や、政治担当者が、つまり政府だったら、そういうことをあからさまにいって、それであからさまに失敗したらと考えるとおっかないわけです。誰もやったことねぇことでですから。つまり、理屈は簡単です。要するに世界の3地域では、いちばんどこに公共投資したらいいかといえば、第3次産業といわれている流通業とかサービス業とか教育業とか娯楽業とか、つまりそれに関連する産業に大部分の公共投資をやる、テコ入れすれば、すぐに不況から脱することができます。例えば、みなさんの選択消費、選んで使えるみなさんの消費は、典型的にどこで使われているかということをいいます。仮にここではスーパーとか、百貨店というのをとってくるでしょう。みなさんがたぶん選んでお金を使っているいちばん典型的なところがそういうところです。つまり、選んで使える部分ですから、別に必ずしも必要じゃないんだけど、いい洋服買ってやろうとか、いいネクタイ買ってやろうとかいう、スーパーとか百貨店に行ってそういうものを買うというふうになるわけですから、みなさんの選んで使える金がいちばん使われているところが、例えばスーパーだったり百貨店だったりするわけです。だから、百貨店なら百貨店、スーパーならスーパーを例にとって簡単にいえば、そこに公共投資を集約すれば、九割がた集中すれば、すぐに景気は良くなります。つまり、どうしてかというと、スーパー、百貨店が品物をオープンにして、多少品物を安くすることができるし、そこで働いている人の給料を上げたりすぐにできるでしょう、そこに公共投資すれば。そうしたら給料を上げられたそこの従業員、つまり、働いている国民の大部分の人は、ちょっと俺、旅行に行こうとか、すぐにやりだすにきまっているわけです。つまり選択消費を、脇を緩めるに決まっているわけです。ですから、不況はすぐに脱するとなるわけです。これは非常に簡単な、ソビエトのやり方というのはそれです。
 もっと極端なことをいいますと、みなさん、個々の人に、例えばひとり3千万円なら3千万円でいいんですが、ひとり3千万円、無利子で、無期限返済でいいから貸してやるといえば、みなさんすぐに使いだすに決まっているわけですよ。つまり、何かやろうと思うわけです。やると思うというのは使うということですから、すぐに選択的消費いわれている部分を使いだします。使いだしたらすぐにスーパーとか百貨店が潤ってきます。そうしたら大部分の産業がそこにあるわけですから、やっぱり全体が潤ってくるということになります。そんなことは非常に簡単な原理です。別に経済専門家じゃなくたってみなさんが考えればすぐに分かることです。しかし、どうしてしないかということは、要するにそこは考えどころなので、考えどころといいますか、やっぱり怖いわけです。大胆にそうしないといけないですからね、怖いんですよ。だけど、理屈は非常に簡単です。
 もうひとつはやっぱり、世界のいちばん先進的な三地域は、つまり消費資本主義といいましょうか、そういう段階に入ってしまったという認識をものすごく本気で持っていないとそういう政策はとれないんですよ。まだ、政府とか経済専門家でも、企業を潤せばそこで働いている人が潤う、そうすると、そこの人たちが使いだすだろうというふうに考えている。だけど、それは3地域では逆であって、個々の人たちが潤わない限りは第3次産業は潤わない。第三次産業が潤わない限りは全産業が潤わない、とこういう理屈になっている。つまり、重さが逆転している、潜在的にはすでに逆転しているということ。これはイデオロギーの問題じゃないですから。僕が、ラディカルなことを特にいっているわけじゃなくて、イデオロギー如何に関わらず、そういう状態になっているということの問題であるわけです。そこが勘所であって、それでそこができない状態というのが現在の状態だと思います。現在、公共投資のわずかなパーセントを例えば研究機関、公共研究機関とか公共教育機関とかに政府が入れるというようなことはやってますけど、わずかな部分です。本当は大部分をそうしなければいけませんということになっているんですけど、それは大胆でできないんですよ。できない限りはどうするか。要するに、赤字になってもなんでもいいからたくさんの投資をしないかぎり、建設業に額を投資しないかぎりは、徐々には脱することがあるかもしれませんけれども、それは徐々にです。なぜ徐々にかと、みなさんの懐を上げないから、緩めないからです。それはわかりきったことですから、そういうふうになっているということが非常に重要なことだと。
 それが、僕らが一生懸命、ない知恵をしぼって考えて、一年から一年半めちゃくちゃ考えて、僕なりの勉強をしました。それで、やっぱりははぁって、何をやってるんだろうと、経済専門家ってやつは何をいってるんだおまえという、この人たちはなんなのかというのは、だんだんわかってきましたけどね。僕はやっぱり誰に遠慮することもないですから、ちゃんと本当のことをいう以外にないわけです。僕らが考えていったところでは、結局はそういうことになります。それが、現在の不況の非常に大きな本質、といいますか、大きな主要原因がそこにある、ということを申し上げておきたいというふうに思います。

6 消費から見た不況の測り方

 それじゃあ逆に、どこで不況というものを測ったらいいか、どこで確かめたらいいかということになります。世の新聞やなにかの情報、経済専門家というのは、企業における経常利益が前年度同月期に比べてパーセンテージが減っているとか、設備投資の額が前年同月期に比べて減っているとか、そういうところで、不況だというものを出したりしています。ところで、本当に不況かどうかをわかりやすくするには、逆にすればいいのです。つまり、スーパーとか百貨店の利益がどうなっているのかを見ますと、いちばんはっきりと分かりやすいわけです。すなわち即座に、みなさんの選択消費がいかに前年同月期に比べてできているかということを意味しますので、わかりやすいわけです。だから、スーパー、百貨店のそれを比べれるのが、不況を測るのにいちばんいいんです。
 例えば日本チェーンストア(?)協会の中西功、ダイエーの会長ですね、が書いていますけど、現地スーパー?売上高というものが1兆2696億というふうになっています。前年同月期に比べて2.1%減などというふうに出ています。減だ減だというのが、12カ月連続しているといっています。つまり、スーパー、チェーンストアから測れば、だいたい1年間くらい不況の状態が続いているということを意味します。それから、百貨店協会の1年の売り上げ高が、5988億というふうに出ています。前年同月期に比べて4.6%減、減っているというふうにでています。そこで測ると連続18ヶ月利益減が続いているという数字になっています。百貨店で測ると、だいたい1年半くらい不況だよ、不況が続いているよというふうにいっています。たぶん不況が始まった時期は百貨店のほうがよく表していると、1年半くらい不況だと考えてよろしいと思います。つまり、そういうふうにスーパーとか百貨店とか、みなさんが個人的に消費する額がいちばん直接に響いてくるところで不況かどうかを測れば、不況の測り方としてはいちばんいいということがいえると思います。ここで測れば、もう他の全産業がどうなっているか、すぐに同じようだというふうにいうことができますから、ここで測るのがよろしいという結論になります。
 もっと正確な測り方というものがあります。要するに、みなさんの家計を測れればいちばんいいわけです。みなさんの家計のなかで、家計簿をつけている人はすぐわかると思いますけど、例えば去年の12月に比べて今年の12月のほうが、選択消費、電器製品を買うとか衣料を買うとか、旅行に行くとか映画を見るとか、そういう選択消費をどれだけ減らしているかというのは、家計簿をつけている人だったら、去年と比べてどれだけ減ってるかすぐに出てきます。つけていなくてもおおよそ勘でもって、どうもやっぱりなんとなく自分は節約してるよ、家は節約してるよみたいなことがあるでしょうからそれでもわかります。家計簿で、選んで使える金を、光熱費や家賃はいつもはらってるからしょうがないですからね、そういうふうに選択的に選んで使える金を自分が前年同月期にくらべてどれだけ減らしているかというのを見れば、あ、不況だ、ということになります。つまり、個々の人の家計簿における選択消費の減らしかたというものを見れば、全日本社会が不況であるということを判断するにいちばん正確だということを意味しています。だから、不況かどうか、不況を脱するのはいつごろかみたいなことを測りたかったら、そういうふうにお測りになればすぐにわかると思います。それでもって正確です。どんなことよりも正確です。どんな企業よりも、例えば旭化成なら旭化成みたいなところの経常利益はこうなっているみたいなものを新聞で見て、ああ、不況だ不況だなんていう必要はない、みなさんの家計を見て、選択消費をどれだけ自分たちは減らしているか、減らしているか増えているかというのを見れば、それで不況かどうかというのを測るのがいちばんいい、いちばん正確だということがわかります。それが先進3地域の特徴です。だから、それでもって全社会の不況性を測ればいちばん正確にでてくるということになる、というふうに思います。

7 企業よりも個人が強い

 それだけのことがわかりますと、もう怖いものなしだと思います。つまり、必需消費という部分、光熱費とか食費とか、家賃とか地代とかつまり、毎月同じ額が必ず出ていくやつですけど、それはいい換えると何かといいますと、その人の、その人の家庭の家族なりの生活水準ですね、生活水準を規定しているのがそれです。そこをちっとも減らす必要はないんですよ。ただ、選択消費を減らせばいいわけ。だから、みなさんがもしかするとねえ、勘違いしていて、企業でも勘違いしているんだから、みなさんも勘違いしているかもしれない。節約しているといって、夜になってもあんまり起きてるなとか子どもにいって電気を消したり、水道を無駄にするなとかいったりしているかもしれませんけど、それは確かに生活費、家計費のなかで減ったように見えるけど、それは必需消費を減らしてるんですよね。必ず、毎月いるやつを減らしているんです。それはそれでも響きますけどね、それは生活水準を落とすということを意味するんですよ、実質上。おかずをまずい物に変えて落としてるんですよ。だけどそんな必要はないのですよ。今の段階では、今の不況だったら、生活水準は落とさなくていいんですよ。そういうふうに落としますとね、まずいおかずにするとか電気パチパチ消したりするとねえ、うるさくおやじさんやおふくろさんが、おまえ電気無駄にしてるよとかやると、そうすると心が冷えちゃうんですよ。心理的に冷えちゃう、その効果のほうがもっと悪いですよ。悪いからね、そこは減らす必要はないんですよ。要するに、選んで使うところを減らすということで十分ですよ、今の不況だったら。あるいはもっといいますと、選んで使えるところを減らしていれば、つまり、自分の生活はちっとも落とさないでね、それで、選んで使えるところ、旅行を2回行くところを1回にしたというような減らし方をしていれば、誰よりも強いわけですよ。どんな企業よりもね、個人のほうが強いんですよ。そういうふうになっちゃってるんだからしかたがないですよ。僕がいってるわけじゃなくて、世界三地域がそうなっちゃってるんだから。だからそういうふうにすればねえ、どんな企業が潰れても、みなさんのほうはつぶれないんですよ。みなさんのほうは、選択消費というのをゼロにしたって、生活水準は落とさなくていいわけです。だけど、それだけに耐えるような企業なんてないんですよ。ないというのが先進3地域の特徴なんですよ。それはもう本当に重要なことですからね。そんなことを本当にわかっちゃったらびっくりしちゃうと思いますけどね、わかっちゃってるんですよ。しかたがないですよ。本気になればわかっちゃうんですよ、そんなこと。
 今そういうふうになっているわけです。ですから、あんまりパチパチ電気を節約したり、それはしないほうがいい。せめて映画へ行くのを3回だったのを2回にするとか、一家でレストランにちょっと食べにいこうよなんてみたいなのをちょっと減らすとかね、それで十分ですし。ま、煥乎堂さんにはひびいちゃうけども、本を3冊買っているのを2冊にする(笑)、だいたい、そのくらいのことでいいんで、あのあんまり心に響くようなことは何にもしなくて十分大丈夫です。十分最強、だから……
【テープ反転】
……資本主義がといいますか、世界の先進3地域における民衆が、みんな新たな段階に入っちゃったという、いちばん大きな様相はそこなんですよ。最強のね、むかしは最強の軍隊とかいって、今はもうそういうの、いらないんですよ。最強の民衆になっちゃっているんですよ。この民衆の最強さよりも耐えるような企業もなければ、国家もなければ、政府もないんですよ、本当いっちゃうと。つまり、そういうふうになっちゃっているということは、よくよくあれしてくださって、実質上はあんまり変な節約のしかたをしないほうがよくて、映画館とか遊ぶということを多少減らしてゆけばね、それで十分、今の不況ならば個々の人は耐えうることができます。遊び心には多少影響しますけど、生活水準には何も影響しないというところで、まず、自由になるというふうに思います。そこは単純なようですけど、僕、一生懸命1年なり1年半考えまして、一応専門家の本も読みますし新聞も読みますし、いろいろ調べたりしました。結局僕は到達した結論はそういうことになります。そのことをお伝えできたなら十分だと思うくらいです。

8 農業革命の必要性

 そして、現在の問題で、もうひとつ重要で盛んに出てきているのが、お米の問題なわけです。さて、これはいわざるを得ないからいいますけど、お米の部分的な自由化というものがはじまったわけです。で、なぜお米の部分的な自由化というのをしなければいけないかということがあるわけです。もちろんみなさんもそうお考えになるかもしれませんし、けしからんって反対する人たちもいるくらいなんですよね。だから、いいじゃないか、反対するやつもいるんだから自由化なんかしなけりゃいいじゃないかと、そんなこと勝手じゃないか、そんなものしようがしまいが勝手じゃないかとなるわけです。ですけども、僕らの考え方はちょっと違うんで、お米の自由化はしないとだめだと思います。だめだということになっております。で、どうしてだめかということになる。お米の自由化というのは、しようがしまいが自由化をしたのと同じことになるのは間違いないわけです。つまり、先進3地域では、いちばんそれが響いてくるわけですけど、申し上げましたように先進3地域では、第一次産業、農業みたいなものに従事している人は、全働いている人の6%くらいです。あとの人は農業以外のことで働いています。この6.4%から5%、利益としていえば2%から3%ですけど、この人たちは、先進3地域では非常に徴候が顕著にあらわれていて、イギリスなんかでは2%くらいだと思いますけど、農業というのはだんだん、自然減といって、自然に減っていくわけです。自由化しようがしまいが、農業というものは自然に減っていきます。ですから、どこかでは、2%でも1%でもいいですけども、農業が何パーセントのところで均衡点を作らなきゃいけないということがいずれ、当たり前というか、当然やってくるわけです。これはいくら反対したって、僕の理解に至ってはそうです。先進3地域では真っ先にそうですけども、農業のパーセンテージというのは文明が発達するとともに減っていく一方なわけです。ですから、自然に減ってゆきます。これを増やすことはできません。できませんというのは、政府がどういうふうな対策をとろうと、一時的にはできますけれど、運命といいますか、人間の歴史の、僕は必然といっちゃうんですけども、不可避的に農業は減っていく。つまり、第一次産業は減っていき、第二次産業もだんだんと減っていき、第三次産業が多くなっていくというという方向にいきます。文明が発達するということは、大なり小なり人工的なものですから、人工的あるいは技術的、科学的ことが多くなっていくということを意味しますから、自然を相手にする産業はどうしてもその分だけ減っていく、文明が発達すると反比例といいましょうか、減っていくわけです。ですから、必ずなしくずしに、黙っていても減っていきますし、どこかでは均衡点をつくらなきゃいけないということが生じてくるわけです。
 で、そうだったら、というのが僕らの考えです。そうだったらどこかで、日本でいえば、戦後の、第二次の農業革命をやる以外にないということであるわけなんです。どこかでやる以外にない。第一次農業革命は、もちろんお年寄りの人は御存知でしょうけど、占領軍が主体になって農地改革というものをやっちゃうわけです。地主から土地を取り上げまして、小作人に土地を与えるということを占領軍がやったわけです。それが、戦後の第一次の農業革命です。これは農地改革といわれている。すると、地主の土地は減っていきます。大地主は土地を没収されて、小作人が自分の土地を持てるようになった。こういうことは、日本人にはこれだけの大胆なことはなかなかできないんですよ。要するに、怨みをかいますからね。出来ないんだけど、占領軍はこれをやっちゃった。でも、これをやったということで、農業の近代化、近代革命化というのは終わったというのでたいへんだったんです。今、当面しているものは何かというと、農業革命の現代化ということなんですよ。だから、第二次の農業革命なんですよ。
 農業革命というものはどうしたってやらなければいけないと、僕は思います。そうじゃなければ、なしくずしにそうなっちゃうってだけなんですよ。だから、農業革命というのはやります。農業の自由化というのをやりますと、それで、同時に例えば農業をばかばかしいからやめたいってひとに対しては、十分の保障を、農業以外の職業についたほうが農業をやっているよりもよかったというようなくらいの大きな保障をとりつけます。やめるひとにはそうするし、現状の人には現状を知らせますし、土地を、農地を売っちゃいたいという人には十分な額でもってそれを保障するということを明瞭に決めまして、それで農業を自由化しますということをはっきりと宣言してやるというのが、現在必要な、不可避な農業革命だと思います。
 ところが、自民党よりはまだましだけど、今の政府、連立政府というんでも、そういうことは全部怨みをかうわけです。農協に怨みをかうわけです。食管法というのをやめるとかやめちゃえということになるかもしれないですし、非常に穏健に考えても修正するとかそういうことになるわけです。するとこれ、怨みをかうわけです。だけど、農協に怨みをかうということと、農家に怨みをかうということとは違いますよ。同じじゃないです。そのことをよくよくわきまえて欲しいわけですけれども。しかしいずれにせよ農協の影響下にある農家にある怨みはかわざるを得ないと思います。またそういうのじゃなくて、本音をはけば、農業なんて、こんな手間がかかって貧乏するのやだ、ということで農地売っちゃって転業したいという人がいるかもしれないけど、そういう人たちは農協に抑えられて声が出せないわけですよ。だけど、そういう人にだって、農業やってたよりもずっと良くなるように保障するというようなことはちゃんと決めまして、それで農業革命をやると、そういうのがいちばんいいわけです。だから、要するに日本人にはできないんですよ。できないから小出しにするわけです。

9 日本の農家の実力

 では、どうして日本だけそういう自由化の目標になっちゃったかといいますと、世界経済のなかで、日本のお米の受ける政府の保護、食管法による保護ですけど、保護している農協があれしているものですから、日本の国産米というのは生産価格でいいますと、日本の国産米の価格を例えば一とすると、アメリカ米というのは0.13なんですよ、値段が。これは生産者価格で、小売り価格でも0.34なんですよ。タイ米、タイ国の米だったら、0.09なんですよ。つまりそれくらい値段が違うわけですよ。値段が違うでしょ。そうしたら、まず世界経済からいったら、おまえのとこ、おかしいじゃないかと。つまり、農業を保護すると称して、国際的な米の価格に比べて何倍も高い価格でもって、鎖国をやってないしょにして国内だけで、高い金で消費者にお米を売っているじゃないかという、おまえのところがいちばんインチキだぞというふうにいわれちゃうのは、その価格差があまりにはげしいからですよ。この価格差というものが、要するに日本が、自由化しろといわれている大きな理由です。一般的に、この価格差を是正するために関税率を加減するわけですが、あと六年間は待つぞということをいわれているわけです。ですから、それまでに要するにおまえのところの農業革命というのをやれと、やらなきゃ嘘だぜっていわれているのが現状です。
 それじゃどうしたら価格が減るか、国内米の価格を下げられるかということなんです。誰が考えてもそうなんですけども、要するに農地を集約して大規模に、つまり小さい農地を談合によって集約しまして大きな農地にすると、開墾するにも種を撒くにも機械でもってそれができますから、そうすると、生産者価格っていうのは低くするのができるわけです。効率がよくなって。ですからだいたい、農地を大規模化するということはね、ものすごく重要な、農業革命の重要な要素になります。これは誰がやっても同じです。誰がやってもそうする以外にはないわけだということになっていきます。それからもちろん、先ほど申しました、転業するとか廃業するとかという人に対しては、十分な保証を取り付けて、十分保証してやって、農業やって生活しなくてもいいよ、楽でいいよっというようなところまで持っていく。、そういうことをやらないとだめだということになっていきます。だいたいそれは保守的に考えても進歩的に考えても革命的に考えても、あるいは改革的に考えても、日本の農水産省は、改革案としては、その待遇もちゃんと打ち出しています。どうしてもそうせざるを得ないということになっていくわけです。どうしようもないですよ。そういうふうになるわけです。それで、価格を下げるということによって、世界の農業市場に対して、あるいはお米市場に対して、日本の農業は競争していかなければならないということがあるわけです。競争して打ち勝っていかなきゃ。
 そうすると、どういうことが起こるかというと、少なくとも、自然に農業が減っていく、6%から減っていくよりも、少し早めに減るかもしれない。というところも、日本の農家というのは優秀ですから、必ずどこかのパーセントで踏みとどまって、集約農業にして、国際競争に十分太刀打ちしていくだろうと思います。さしあたって、そういう検査をした例があります。日本の赤堀という料理学園の人たちが、日本の例えばブランド米というもの、コシヒカリとか日本晴れとかいろいろあるでしょ。それと要するにカリフォルニア米とかタイ米のいいやつですね、それと喰い比べをした例があります。で、喰い比べてみますと、日本のコシヒカリとか日本晴れとか、ブランド米ですね、それは圧倒的においしいという結果がでています。つまり、確かに高いけれどおいしい、しかし、あまりに高すぎるよということで、高くておいしいお米を喰うか、あるいはそれよりはまずいけれど安いお米を喰うかという問題に、自由化の問題は当然そういう問題になると思います。どちらかを懐具合によって、先ほどいいました選択消費というのがありまして、懐具合で選ぶだろうというふうに思いますけども、そういうことの問題にさしあたってはなっていくと思います。いずれにせよそういうことで、あるパーセンテージで太刀打ちしていくだろうと、僕らはそう考えます。それが不可避であるというふうに考えます。

10 農業革命の課題は何か

 政府でも農家が転業する廃業することに対する保証というものを打ち出していくし、また農地を売っぱらっちゃう者に対しては、政府がそれを買い上げるみたいな案が農水産省のなかに含まれています。でもそれは、骨組みは誰がやっても考えてもそうだと思いますけど、革命ではありませんよね。だから、みなさんのほうが主体で、あるいは農家主体に考えるならば、要するに僕は政府とか公共機関にあまり依存しないで、例えば、あるAっていう農家とその親戚筋のBって農家とか、Cって農家という人たちが集まって農地を合併しようじゃないか、それでもって利益は折半するといいますか、平等に分けることにして、耕すのも、3人で一緒に耕して、売るのも3人で売るというようなふうにしようじゃないかという。さしあたって自分たちの知り合いとかでもいいわけですけど、そういう人たちが寄り集まって大規模にします、経営主体は三人で平等にやって、平等の利益をあげようじゃないかみたいなことをやるというような形をとれれば、たぶん現在、本当の意味での第二次農業革命というものの、非常に大きな要素になると思います。そこまで日本の農家がやるか、日本の農家のそういう動きを農協が後押ししてくれるかどうかは別なんです。別だけど、わかりませんけども、しかし、それが第二次農業革命の主体だということは明らかです。ですから現在、お米の自由化反対といっている人、つまり農協の影響下にある人たちとか、それから社会党、共産党なんてそうですけどね、自由化反対といっているけど、しかし反対が通らなかったらどうするんですか? あなた責任持ちますか? というふうになりますよね。責任を持てるわけはないのです。なぜなら、我々人類の、人類の歴史の歩みがそうなのですから、反対したってそうなるってことは明らかなのです。だから、僕だったらそういう反対のしかたはしませんね。
 つまり、そうじゃなくて、保証をいかに高くとりつけるか、高くといいますか、農家の人が仮に転業する、そういう人たちに対して今までよりもずっといいという転業の条件を、社共、農協が主体になって画策するという、それを政府に約束させるとか獲得するとか、そういう闘争を僕だったらやります。命がけでやりますね。政治生命をかけたらいいと思いますね。自分は反対だなんてかっこいいですけどね。そんなものはいくら反対していたって、文明?に逆らうことですからね、絶対に成り立たないですから。そんなのは私ということ。格好だけですよ。いい格好しているわけですよ。そんなんじゃないんです。つまりどれだけ高い保証を取り付けて、政府に約束させて、農家の人が仮に転業したって廃業したって、いままでよりはいいよという状況を獲得するということが戦いの主体なんです。そんなことやろうとしないんですよ。格好だけ、見かけだけ、いっていることだけいいじゃないかお前はと、いってるだけですよ。嘘ですよ、そんなのは。僕らの理解のしかたでは嘘です。先進3カ国ではなおさらそうですよ。そんなことではないんです、お米の問題というものは。全部違います。そういう問題じゃないってことですよ。それが、お米の自由化の問題なんです。だけど、農家の人にいかに、自分たちだけいいかな、農家の人というのはそれなりのエゴイズムがありますし、農地というのは所有地ですからね。つまり、農民にとって持っている土地というものはとても大切なものなんですね。ただ残っている土地というんじゃなくて大切なもの。ですから手放すのもたいへんだし、廃業するのもたいへんなんだけど、それでも十分な保証をして今までよりいい生活ができるという保証を取り付けるということが、だいたいの進歩政党のやるべきことなんだというふうに、自由化反対なんて、要するにそれは歴史に逆らうことだから、僕は成り立たないと思ってますね。だからそれはだめだ。それは格好をつけてるだけだ。格好をつけてないつもりかもしれないけど、僕にいわせればそうです。僕だったらぜったいそうしないですね。いい条件を取り付けます。できるだけ民間でもってそういうふうにやるというやり方をしますね。

11 自主的な大規模集約化農業の姿

 ところですでにそれをやっているというのは、少なくとも研究的に、僕が新聞を見ているだけでもふたつあります。ひとつは砺波市でやってる農業公社です。砺波市がお金、資金をだしてくれまして、12人ぐらいの農家の人の農耕を請け負って耕して、利益があったら利益のいくら分を、田んぼを提供してくれた人たちに分配するというやりかたをやっているところがすでにあります。兼業農家なんてものは、それをやってくれると非常に気が楽にあるということがありまして、けっこうはやってるといいますか、よくやっている。それで、だいたい米の価格、生産価格は、新聞に出ていた数字では6割ぐらいに減っています。つまり、四割がたは価格を下げることができています。そういう米がすでにあります。秋田のほうでも、村全体が田畑を大規模に一緒にしまして、村が資金を出したりして、機械化して耕して種蒔いて収穫してということをやって、それをどう農協に売ってもらうかとか、どう分けるかとか、すでにそういうことをやっているところというのがあるわけです。
 要するに、談合できる人間、田畑というものをとにかく集約しておいて、一種の経営体みたいなものをつくるということだと思います。経営体みたいにして、利益は分け合うという。それをできるだけ政府のお世話にはならなくて、民間でやる、自分たちだけでやるということが、第二次農業革命の非常に大事なポイントだと思いますから、僕だったら、そういうふうに農家を説得するということをやると思いますね。だけど、そうじゃなくて、俺たちと一緒に自由化反対してくれ、デモしてくれなんていうふうにして、デモに動員したりしているでしょ。そんなの僕にいわせりゃ、ちょっと違うよそれは、まるで違うよ、となります。そういうことじゃないんですよ。やるべきことってのは。それは違います。僕だったらそうします。世界の農産物市場に十分に対抗していくそういうやり方というもの、価格も対抗するし、品質は申し上げましたとおり、ブランド米をもってくれば、絶対他の国よりもいいお米をつくっていますから、それも主張します。これはご飯を焚いたときの試験ですから、加工米、何かに加工する時のお米というものだと、タイ米とかアメリカ米とかというのは存外よかったりするわけです。その時はまた別な試験ということになるでしょうけど、少なくとも焚いて食うかぎりは、日本のブランド米というものは遥かに優秀だということがわかっています。それはやっぱり農業国たる理由がありというふうに、僕はそう思います。
 いわゆる世界の三先進地域みたいに、文明化が世界のなかで進んでいる、そういうところで農家をやるということは手間がかかって、利益はあんまり手間のわりにないんだよなぁというふうになっていくものなわけです。したがって兼業農家になっていって、専業農家は少なくなっていくというふうにだんだんなっていくわけです。ですから、そういうところでは、農業のいいやり方というものをどこかで見つけ出していかないといけないということは明らかなことですから、それをやっぱり農業革命の問題として考えれば、農業の部分自由化というものは、いわばそのいちばん最初の兆候だと、僕は思います。これは、なしくずしよりは少しはいいだろうというやりかただと思います。だけど、やっぱり姑息ですよね。本当ならば大胆にこうなんだ、農業の現状というのはこうなっているんだ、先進地域ではこうなっているんだと。だからこういうふうになるというのはわかりきっていることなんだから、今我々は、自由化をやって価格を下げる方策というものをとる。それから、保証はできるかぎりやって、従来農業をやっているよりいい保証、生活がよくなるような保証は必ずする、約束するというようなことを、きちっといって、やればいいわけだけれども、今の連合政府にはそれはできませんよね。できませんし、それから社会党、共産党というのは、なんていいますか、昔の、戦中からの、全日本労働農業組合みたいなものがあるわけですけど、前のねぇ、資本主義の興隆期のときのね、考え方を脱することができないんです。今は全然違うんですよ。だから、そういうこといわないで逆に、反対というんだろうね。とっくにやっちゃって、もう奇想天外だよっていう。奇想天外、そういうものは自民党だけが、自民党と農協議員??だけがいえばいいのに、自民党と農協議員??と社共と、3つがいっているわけなんですよ。だけど、それは違いますよ。と、僕は思います。

12 消費税の妥当性

 それから、違うことなんだけど、つまり、消費税というものがあるんです。消費税反対と、これは前にいったかもしれないんですけども。今申しましたように、消費税反対というのは、消費する部分がね、所得よりも、国民の所得のうち消費する部分が少ない時にはね、消費税反対でいいわけですよ。所得税でいいわけです。だけどさ、先ほどからいっている世界の3先進地域では、所得の半分以上が消費になっているわけですよ。しかも、選択消費がまた、その消費の半分以上になっているわけですよ。そうしたら少なくとも、半分から4分の1というものは選択消費を緩めるか出すか、緩めるか、脇をしめるかでもって、税金の加減ができることを意味するわけです。つまり、払う税金の加減ができるということ。つまり、少なくとも2分の1から4分の1の範囲内で、選択消費が加減ができるということになっているわけです。ですから、僕はそれも反対だと思います。消費税主体にしたほうが、主体に考えるというほうが、民衆的なんだと思います。民衆のためというのは、そういうことだと思います。それから、政府や企業家は、盛んに所得減税をやれっていってるでしょ。僕は、それは、あまり効果ないよというふうに思います。世界の3地域では効果ないよと思います。それはみなさんのほうがよくご存知でしょう。例えば、みなさん月給20万円だとするでしょ。税金が取られて19九万円なら19万円だというものが会社からちゃんと引かれてくるわけです。税金とられたって思っているわけです。だけど、本当いうと、税金取られたって当たり前だと思ってるからさぁ、19万円が例えば、所得税が2%減税したとして、今まで19万円だったのがね、18万7千円になったって、みなさんそれでちっともいいと思いますか、思わないでしょう。19万円だったのが、18万円7千円になったとか18万5千円になったって、なんだって思うだけでしょ。サラリーマンやった人ならすぐわかる。僕はやったことがありますからわかりますけど、そんなの気にしないですよ。19万円が18万5千円になっても、は? って、減った、は?っていうだけですよ。それぐらいしか効果ないですよ。そんなのは、僕は、悪いことを教えると悪いんですけども、つまり、企業家とか政府にとってはそれを、所得減税を集めますとね、けっこういい財源になるんですよ。だけど、個々の働いている人にとっては、19万円が18万5千円になったって、これで生活に響くと考える人は、まずサラリーマンのうちにはいないと、僕は思いますね。たいしたことねぇやっていうふうに思うだけだと思います。
 つまり、そこをするしかない。本当は所得減税をはじめにやったほうがいいんですよ。いいんだけど絶対にやりませんよ、政府は。政府や企業家はそう考えません。それをやったほうがいいんですよ。だけど、やりませんね。おまけに社共が、それもまたねぇ、所得減税を早くやれとか、そういうことをいうわけで、だけどさ、それは働いたことがない人がいうことだよね。サラリーマンならよく知っているはずですよ。19万や20万の月給が、それで18万5千円になったって5千円という、あるいは所得減税で5千円増えたとか言うけれど、消費税なら使うところで減るわけです。所得税が5千円前後プラスしたって19万円5千円になったって、サラリーマンにとってはそんなに響かない、というか響いたとは思いませんし、それで家計がどうなるということはありません。それよりも、所得の4分の1ないし2分の1、ちゃんと響くはずの選択消費の部分で、減らすことが自由にできたほうがずっといいわけです。いいわけじゃないですか。そうしたら、20万円の4分の1だったらどうなるんでしょうか。もし使わなければ、少なくとも5万円は減るわけじゃないですか、税金が。5万円所得が増えたのと同じってことになるわけじゃないですか。それくらい違う。ですからそれもおかしいと思った。つまり何をやってるの、ということばかりです。要するに先進3地域が消費資本主義の段階に入ったということは、本当によくみなさんのお腹のなかに入れておいてくださることが重要だと思います。
 まだ時間があるのかどうかわからない。時間きたらいってくださいね。すぐにやめますから。

13 思っていたよりいい小沢一郎

 あと、結局は政治課題というものがあるわけです。あれから、1回目をやって以降、何が変わったかといえば、政府が変わっているわけです。自民党から連立内閣になって、細川政府になったということが変わっている。細川政府のなにが、みなさんどう考えているか、僕が考えているよりはいいんじゃないかなと思っています。何がいいかというと、要するにもったいぶらないってところがいいんじゃないかと。もったいぶってねぇところがいいんじゃないかってことと、例えば、日本の戦争、第二次大戦で、戦争というのはやっぱり、西欧諸国のまねして植民地つくろうみたいな侵略戦争で、あんまりよくは??なかったんですってなことをいったって、全然僕はいいと思います。いいことだと、あからさまにいったのはいいことだと思います。ま、僕はそれだけじゃないと思いますけどね、つまり、日本の戦争が、植民地があったアジア地区の解放っていうのに活性化していくわけだから、それも計り知れないものがありますから、悪いことばっかりじゃなかったということもあるんですけど、まあ、そういうことをちゃんといったというのはいいことじゃないかと。その上で、いろいろ補償問題が出て来たらそれはしたほうがいいと思います。お金があるんですから、それはしたほうがいいと思います。つまり、我々の国家は思っていたよりいいんじゃないかというふうに思っています。基本的にいえばこれでいいんじゃないかと、それだけ、連立内閣になっていいことじゃないかと思っています。それだけ買っています。
 この連立内閣の政策の中心というのが、例えば小沢一郎の日本改造計画にあるというふうに考えます。あると考えますと、これはお考えになったらよろしいと思いますけど、これは相当、僕は思っていたよりは、いいものだと思います。何がいいかというと、例えば自衛隊問題といったことでも僕はふわっとしていたほうが、つまり、相当ガミガミ平気でいう人だから、改憲して、自衛隊を国軍にしろってなことをいい出すんじゃないかと思ったら、いってないですね。反対ですね。反対に、今の憲法で、平和憲法で結構であると。第九条もそのままでよろしいと、ただ、第9条2項までありますけど、第3項目に、国連の決議による場合には自衛隊を海外派遣するということも出来るという項目を、九条の第三項として設ければいいんじゃないかということはいってます。僕が思うには、それは要するに現状を肯定するっといっているんだと思います。それだけ、現状は肯定的だ、現状はそうなってるわけですから。それこそ、そのままにしろといっている。僕はもっとすごいことをいうんじゃないかと思っていました。つまり、第九条を廃止して、国軍にしろということを主張するのかと思ったら、そうじゃなくて、そういうふうにいってます。海外派遣というものは不可能であるというのを、第3項目で、国連に関するかぎりそうすればいいじゃないかということをいってます。そこの問題をそういうことにしますと、僕は社会党の穏和な部分といいましょうか、穏和な部分はその中に入ることができる、入れ込むことができるんじゃないかというふうに思います。そのくらいの幅があるんだと思っています。僕はそう感じました。ただ、それは要するに現状肯定ですからね。僕に本音をいわせれば、そこが小沢一郎の、連立内閣のいちばん、問題のいちばんのポイントです。いちばん考えているところだけど、いちばん問題になるところだと思います。つまり、現に、今年も海外派遣というのをやりました。カンボジアにやりました。それからソマリアにもやっているはずです。で、カンボジアでやって、だいたいふたりか三人くらい死傷者を出してるでしょ。つまり行ったら現地の人、現地の武装勢力と、場合によったらチャンバラになって、それで死ぬということがありえるってこと、行ったらあり得る、ソマリアだってあり得るわけですし、あり得ることがあるわけです。そうしたらやっぱり、国外に出て、国連の名のもとであろうとなんのもとだろうと、外国の軍隊と交戦するということになります。交戦するということが含まれてきます。やっぱり厳密にいったら憲法違反になります。憲法違反なのです。これははちょっと出来ないのでね、第3項を設けてそうしたって、戦争するってことはあり得るわけ。戦闘するってことはありえちゃうわけです。向こうが仕かければ戦闘することになりますから。それはおかしいじゃないかということになります。
 ですからこの問題は、1回目に申し上げました時、小沢一郎が、いちばん社会党の穏和な部分まで含むくらいに幅を持たせてありますけれども、しかし同時にそれが限界だと。本来的な考え方からすれば、ふたつ考えなければいけないところがあります。ひとつは要するに、国連、国連っていいますけど、これは、いいですかつまり、各国の国内で起っている事柄については各国の自主性にまかせるという原則が、大原則がないといけないんです。みだりにそこに介入していくということは非常によくないことです。そうしたら必ず、中が反発するに決まっているわけです。仮に中で非常に大もめにもめるということがあっても、本質的に、本来的にいえば、国内で起こった問題は、国内でその国が解決するんだ、あるいは国内の国民が解決するんだ、というのが原則にならないといけないんです。国連がみだりに介入するというのはおかしいんだという原則が、今の国連にはないですから、だから、それがひとつの大きな問題になります。

14 世界に冠たる憲法九条

 それからもうひとつはやっぱり、逆に言いますとね、憲法第九条、日本の憲法第九条というものは、戦後憲法というのはちっともよくないですけどね、憲法第九条だけはいいと、僕は思っています。つまり、他のことはだめですけど、九条だけはいいと思っている。どうしていいかというと、これは一種の未来性をもっているからです。未来性をもっているから、これは、この条項を持っている国家というのは、現在のところ社会主義国でも資本主義国でもひとつもないわけですよ。社会主義国でも資本主義国でもみんな国軍をもっているわけです。国の軍隊を持っているわけです。で、国の軍隊をもっていたら社会主義なんて成り立たないというのは、原則的に非常にあきらかなことなんです。幸いなことに、日本はちっとも社会主義国でもなんでもないんだけど、そういういいかたをすれば高度な資本主義国なんだけど、憲法に、国軍を持たないということだけは九条でもってちゃんとあるわけですよ。このことは実質上国軍をもっちゃってるじゃないか、自衛隊がそうなっちゃってるじゃないかということの問題はありますけど、条項がないかぎり、こんなのいつでもやめろって、やめちゃおうって、すぐにやめられる、憲法改正しなくてもやめられるわけですから。そういう条項をもっているのは日本の憲法だけなわけです。これは、なしくずしにするには惜しいわけですよ。つまり、人類の未来ということを考えたら非常に惜しいことです。これをなしくずしにすることは。ですからこれはねぇ、この九条っていうのだけはね、持ってたほうがいいんですよ。逆にいえば、国連に行ったら一緒にやらねえか、お前らも核兵器をやんねえかってことで、これは小沢一郎もいっています。『日本改造計画』のなかでいってますね。国連に、核兵器は国連の管理にゆだねる、そのために日本は積極的に先頭になって主張しようということを、小沢一郎の『日本改造計画』にはちゃんといっています。それもやるし、そのあとはどうするかといえば、要するに国軍もやめないかというふうに、日本が先頭になってそこで主張すればいいんです。そういうふうにしたほうがいいんです。いいんですよ。わざわざピカイチの条項を持ってるのに、ピカイチの条項というものを元に戻す必要はないんですよ。また元にもどしたらアホじゃないかってことになっちゃうわけで。
 これは、護憲ということと違うんですよ。護憲ってなもんで、平和憲法を守れるかよって。それは違いますよ。つまり、九条を主張しろってことですよ。国連でもなんでも主張しろ、先頭になって主張しろ。それで、おまえら核兵器を国連管理にしようって、だいたい第一にアメリカとソ連に向かって、ソ連って国はなくなっちゃったですけども、ロシアに向かって、おまえらがもっている核兵器をみんな国連管理にゆだねろってことを、日本が先頭になって主張して。そしてその次に、おまえたちが持っている国軍っていうのをやめないか、やめにしないか、いっぺんにできなかったら少し減らせという、だんだん減らしていけということを具体論に即して日本が主張すればいいということになります。これは日本にやれる非常に大きな役割です。これを大事に使う。これをなしくずす必要はないわけですよ。小沢一郎の言い方は非常に穏健にしてますけど、やはりなしくずしには違いないんですよね。それはそうじゃないほうがいいです。それでまた、護憲なんていうことはいわないほうがいいですよ。護憲じゃなくて九条を積極的に主張しよう。つまり、国連で先頭になって主張しろという。核兵器は、ロシアとアメリカの核兵器をはじめとして国連の管理にゆだねろってこと。それができるようになったら次は、要するに、国軍というものはやめにしろってことを主張する。それは日本第一の■■(?)です。その問題が、問題だと思います。つまり、国連というものは昔、昔といいますか、数年前まで、つまりソビエト連邦があったころまで、日本というのは、日本のインテリ、知識人ってのはさ、それは僕らにも、自分にも何割か責任がある、責任を負いますけども。要するに例えば、ソビエト・ロシアは、あるいはレーニンのつくったソビエト・ロシアはですね、インターナショナルというのをつくりました。インターナショナルというのは、社会主義的な考え方をもった国の人たちが集まって連合体を作って、それが、どこの国とも独立に取り決めをやって、全体の働く人たちの利益のために独立の機関をつくって、そう……。
【テープ反転】
……国連唯一主義みたいな、小沢一郎はそうですけど、そういうふうな考えかたはそういう危険もあります。つまり、その種の危険というのがあるというのが、国連問題のあれだと思います。ソ連の問題は、この間お話しした時に、ソ連邦解体というものが間近にあったわけですけど、それからその後どうなったか。一回だけ、エリツィン政府に対する武力を行使する反乱みたいなものがあって、鎮圧された。それは本質的にふたつの路線があります。ソ連共産党をはじめとする共産主義者の連中が、要するに、エリツィンの社会主義国家管理をどんどん解体していく、解体して資本主義的な市場をつくっていく。そういうやりかたが、うまくいってりゃ別でしょうけどうまくいかないというようなことになってきて、元の、昔のほうがよかったみたいなことをいった、ということがひとつの原因です。それからもうひとつの原因はやっぱり、統制?大ソ連邦が解体しちゃって、個々の国家が、自主的な独立を認めろというようなことと、昔の大ソ連邦国家を復興しろみたいな超保守的な部分とが一緒になって、エリツィン政府のやりかたに反対したということが、この前起こった、そして鎮圧された武装反乱の本質だと思います。それがいちばん大きな問題だと思います。
 概していいますと、だいたいそのくらいのことが、この前お話ししました以降に起こったことの、僕が大切だと思うポイントだと思っています。そのポイントの、非常に基本的な状態、状況というのは、やっぱり世界というものは、先進的な3地域からちょっと新しい段階に入りましたよ、ということが、いろんな意味で挙がって(??)きつつあるというのがいまの現状だというふうに、僕自身は考えています。ですから、基本的にそこのところを踏まえていかれたら、だいたいいま興隆しつつある問題、あるいは、現代の世界というものが、新たな段階でどういうところに行こうとしているのかということの、主なといいましょうか、筋道というものはその理解で、僕はいいんじゃないかなというふうに思います。
 僕自身、1年から1年半、文学のほうを空にしたわけではありませんけれども、ある程度本気になって、少し突っこんで、僕なりの調べかたとか勉強のしかたとかをして、それで到達した結論というのは、今日お話ししたことに尽きると思います。そういうことがきちっと踏まえられておられたら、これから起こってくる事態に対しても、たいていどういうふうに考えたらいいか、大筋のところで間違うということはないんじゃないかなと、僕自身は考えております。僕自身は間違えていないつもりでおりますけども。間違えているという人もいるかもしれません(笑)。それはいたしかたのないことですけども、僕自身は間違えていないというふうに思っております。
 今日、このパート2で、これだけのことをお話しできたらもう、だいたい、もって瞑すべき(???)だといふうに思っておりますので。これで一応、終わります。