今は世の中がなんだか ドキュメンタリーじみていますよね。 何でも事実、事実で──。 けれども物語を描(えが)くっていうことは、 まだ見ぬ恋愛の追体験だったり、 ラブロマンスしかないんじゃないか。 そんな話を、先日、よしながさん原作の 映画『大奥〜永遠〜[右衛門佐・綱吉篇]』に 主演なさった 堺雅人さんとしていたんです。 世界最古の小説は『源氏物語』だ、 とさえ言われてるわけで、 おおもとは好いただの、好かれただの、 ふられただの、嬉しかっただの、 っていうことが文学だったんじゃないのかなと。 |
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糸井さんのそのお話、マンガ家として 突き刺さる感じです。 というのも、わたし、 恋愛ものが描けなくて。 読む分には大好きなんです。 なのに“ボーイ・ミーツ・ガール”が描けなかった。 だから長らくボーイズラブという違う場所で、 男性同士の恋愛を描いていました。 でも、男性同士だって愛は愛なので、 それなりには大変でしたけど。 |
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うん、ラブロマンスですよね。 |
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けれども何とかして男女の話で ラブロマンスを描きたいっていう欲求が 自分の中でもあって。 そうして『大奥』を描き出してみて、 「ああ、わたし、こんなに世界を歪ませないと、 描けないんだ!」っていうことに気が付きました。 悲しくはなったけど、でもやっと念願叶って、 今、描けてるんだなって思っているんです。 設定(男女逆転)としてはいろいろあるんですけど、 すごく正統派の少女マンガを やっと描けたなと。 |
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よしながさんは、もともと正統派だと ぼくは思えるんですよ。 |
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そうでしょうか。 |
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しつらえをちょっと変化させないと 描きづらいっていうだけで。 つまり、好きだ、好きだ、 アイ・ラブ・ユー、っていうまんまじゃ、 今、歌にだってならないわけだけれど、 メロディーがあれば別ですよね。 |
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でもやっぱりマンガとして 王道ではない、っていうこともあって‥‥。 |
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よしながさんの作品は 『きのう何食べた?』を最初に知ったんです。 そのときから、 恋愛の話って、もう女の人しか描き手になれないな、 っていうことを、まず、思ったんですよ。 で、もうひとつ思ったのは、 女の人が描くにしても、 その設定を男と女が愛し合うもんだって 決めて描く人以外じゃないと描けないな、と。 「愛」っていう言葉で語られてるものを 信じ切ってる人たちが 「あるに決まってる」って描いても、 読んでる人としては 「はい」って言うしかないんですよね。 でも、女の人がいま描いてるものは、 みんな、どこかのところで、 しょうがなく、くっついていくものだとか、 あるいは全部「愛」って呼べるのかしらと考えながら、 でも一緒にいるだとか、 何ていうんだろう、 「ほんとはそういうふうにできてるんじゃないの?」 っていう部分を触ろうとする。 それがおもしろいですよね。 |
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そうですね。『きのう何食べた?』は、 愛は終わっちゃった後の話で、 それはそれで描きたかった話なんだと思います。 恋愛の「わーっ!」ていう気持ちが 暮らして3年過ぎてて全部なくなってしまったあと、 家族として生きてくっていう話を、 わたしは描きたかった。 でも、家族だって、 きっと大きい意味で言ったら愛なんですよね。 それは確かに愛の話なんです。 彼らが、恋のドキドキが終わったっていっても 一緒に暮らしてるのは、 やっぱり愛なんだよねとも思います。 |
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たまたま、フランス映画で 『最強のふたり』っていうのがあって。 何でも物事をはっきり言う黒人の男が出てきて。 それが体が不自由だけどお金がある人を 介護する役なんですね。 で、時々、昔から言われるパターンなんだけど、 勉強できないけども言うなぁー、こいつ、 っていうセリフがあったんです。 それは、「女は何に付いて来ると思うか」 っていう質問で始まるんです。 |
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はい。 |
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車椅子のだんなの方が、 教養と忍耐かな、みたいな、 しゃれたことを言うんですよ。 すると、 「違うよ、お金だよ」って言う。 |
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(笑)。 |
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つまり生きていく能力に 女は付いてくんだ、っていうことなんです。 見た目は明らかに、その黒人の子は ムッキムキで、生きてく能力強そうなんだけど、 実は彼は雇われてる側。 首から下が全部思うままにならない人のほうに、 女は付いてくんだってことを、 信じてるセリフなんですね。 |
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しかも、そのぶっちゃけて言った言葉が むしろその人を救ってくれるわけですよね。 |
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その通りです、その通りです。 |
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そこ、素敵ですね、とっても。 |
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よく感じることなんですけど、 そのへんがやっぱり今の女性の作家たちの 得意としていることなんじゃないかと。 ドラマの中ではなかなか 描(えが)きにくいはずのことを、 女性のマンガ家はものすごく描けるんですよ。 『大奥』にしても、将軍の権力の話と 愛の話っていうのが、 もう織物みたいになってる。 どっちかだけでできるはずがないんです。 男の作家は、男と女は愛し合うっていうことを、 自然なあり得る行為として、 前提として描(えが)いちゃうんですよ。 「わたしがあなたを見つけて あなたがわたしを見つけて 恋に落ちました」って描けるんだけど、 その「恋に落ちました」の正体には ものすごく複雑なものがあるのに。 |
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‥‥でも、素直にダイブしたいです。 ほんとはトキメキの世界に 行きたいって思うんです。 |
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何で描けないんでしょうね? |
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ひとつはまず自分が (恋愛に対して)低体温ということが あるかもしれませんね。 けれども、ドキドキはあるんです。 たとえば尊敬する女性マンガ家さんと 初対面でおしゃべりが弾んで、 明け方帰ってきたみたいな体験については もうほんとに熱に浮かされたみたいになって。 連絡先も交換したからメールしたいんだけど、 しつこいって思われるかな、 どうしよう? みたいな‥‥。 同性でも、それはよく考えると恋だなって思います。 それにともなって肉体的な欲求は付いてこないけど、 考えるとドキドキするし、もっと会いたいって思うし、 「あ、ないわけじゃないんだな、自分」 と、ちょっと思ったりします。 |
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うん、うん。 その短い時間に心が燃え立つっていうことは、 まずありますよね。 だけど、それがどのくらい、どう続くだとか、 続かせるために結構知恵がいるだとか、 あるいは、だめかもしれないっていうときに どうやって戻すかとかっていうことを考えるとき、 人間て全体像になるじゃないですか。 |
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そうですね。 友だちでも蜜月と倦怠期みたいなものもあって。 だから好きだと自分の中でもストッパーがかかって、 連絡取れるようになっても あんまり会わないようにしないと、 きっと飽きられちゃうし、 面白い話のネタがたまってからにしよう! みたいなちょっとした駆け引きがあったりとか。 (つづきます) |