嘘つく商売は、人より自由。 [対談]よしながふみ × 糸井重里

ボーイ・ミーツ・ガールが描けなかった。
糸井 今は世の中がなんだか
ドキュメンタリーじみていますよね。
何でも事実、事実で──。
けれども物語を描(えが)くっていうことは、
まだ見ぬ恋愛の追体験だったり、
ラブロマンスしかないんじゃないか。
そんな話を、先日、よしながさん原作の
映画『大奥〜永遠〜[右衛門佐・綱吉篇]』に
主演なさった
堺雅人さんとしていたんです。
世界最古の小説は『源氏物語』だ、
とさえ言われてるわけで、
おおもとは好いただの、好かれただの、
ふられただの、嬉しかっただの、
っていうことが文学だったんじゃないのかなと。
よしなが 糸井さんのそのお話、マンガ家として
突き刺さる感じです。
というのも、わたし、
恋愛ものが描けなくて。
読む分には大好きなんです。
なのに“ボーイ・ミーツ・ガール”が描けなかった。
だから長らくボーイズラブという違う場所で、
男性同士の恋愛を描いていました。
でも、男性同士だって愛は愛なので、
それなりには大変でしたけど。
糸井 うん、ラブロマンスですよね。
よしなが けれども何とかして男女の話で
ラブロマンスを描きたいっていう欲求が
自分の中でもあって。
そうして『大奥』を描き出してみて、
「ああ、わたし、こんなに世界を歪ませないと、
 描けないんだ!」っていうことに気が付きました。
悲しくはなったけど、でもやっと念願叶って、
今、描けてるんだなって思っているんです。
設定(男女逆転)としてはいろいろあるんですけど、
すごく正統派の少女マンガを
やっと描けたなと。
糸井 よしながさんは、もともと正統派だと
ぼくは思えるんですよ。
よしなが そうでしょうか。
糸井 しつらえをちょっと変化させないと
描きづらいっていうだけで。
つまり、好きだ、好きだ、
アイ・ラブ・ユー、っていうまんまじゃ、
今、歌にだってならないわけだけれど、
メロディーがあれば別ですよね。
よしなが でもやっぱりマンガとして
王道ではない、っていうこともあって‥‥。
糸井 よしながさんの作品は
『きのう何食べた?』を最初に知ったんです。
そのときから、
恋愛の話って、もう女の人しか描き手になれないな、
っていうことを、まず、思ったんですよ。
で、もうひとつ思ったのは、
女の人が描くにしても、
その設定を男と女が愛し合うもんだって
決めて描く人以外じゃないと描けないな、と。
「愛」っていう言葉で語られてるものを
信じ切ってる人たちが
「あるに決まってる」って描いても、
読んでる人としては
「はい」って言うしかないんですよね。
でも、女の人がいま描いてるものは、
みんな、どこかのところで、
しょうがなく、くっついていくものだとか、
あるいは全部「愛」って呼べるのかしらと考えながら、
でも一緒にいるだとか、
何ていうんだろう、
「ほんとはそういうふうにできてるんじゃないの?」
っていう部分を触ろうとする。
それがおもしろいですよね。
よしなが そうですね。『きのう何食べた?』は、
愛は終わっちゃった後の話で、
それはそれで描きたかった話なんだと思います。
恋愛の「わーっ!」ていう気持ちが
暮らして3年過ぎてて全部なくなってしまったあと、
家族として生きてくっていう話を、
わたしは描きたかった。
でも、家族だって、
きっと大きい意味で言ったら愛なんですよね。
それは確かに愛の話なんです。
彼らが、恋のドキドキが終わったっていっても
一緒に暮らしてるのは、
やっぱり愛なんだよねとも思います。
糸井 たまたま、フランス映画で
『最強のふたり』っていうのがあって。
何でも物事をはっきり言う黒人の男が出てきて。
それが体が不自由だけどお金がある人を
介護する役なんですね。
で、時々、昔から言われるパターンなんだけど、
勉強できないけども言うなぁー、こいつ、
っていうセリフがあったんです。
それは、「女は何に付いて来ると思うか」
っていう質問で始まるんです。
よしなが はい。
糸井 車椅子のだんなの方が、
教養と忍耐かな、みたいな、
しゃれたことを言うんですよ。
すると、
「違うよ、お金だよ」って言う。
よしなが (笑)。
糸井 つまり生きていく能力に
女は付いてくんだ、っていうことなんです。
見た目は明らかに、その黒人の子は
ムッキムキで、生きてく能力強そうなんだけど、
実は彼は雇われてる側。
首から下が全部思うままにならない人のほうに、
女は付いてくんだってことを、
信じてるセリフなんですね。
よしなが しかも、そのぶっちゃけて言った言葉が
むしろその人を救ってくれるわけですよね。
糸井 その通りです、その通りです。
よしなが そこ、素敵ですね、とっても。
糸井 よく感じることなんですけど、
そのへんがやっぱり今の女性の作家たちの
得意としていることなんじゃないかと。
ドラマの中ではなかなか
描(えが)きにくいはずのことを、
女性のマンガ家はものすごく描けるんですよ。
『大奥』にしても、将軍の権力の話と
愛の話っていうのが、
もう織物みたいになってる。
どっちかだけでできるはずがないんです。
男の作家は、男と女は愛し合うっていうことを、
自然なあり得る行為として、
前提として描(えが)いちゃうんですよ。
「わたしがあなたを見つけて
 あなたがわたしを見つけて
 恋に落ちました」って描けるんだけど、
その「恋に落ちました」の正体には
ものすごく複雑なものがあるのに。
よしなが ‥‥でも、素直にダイブしたいです。
ほんとはトキメキの世界に
行きたいって思うんです。
糸井 何で描けないんでしょうね?
よしなが ひとつはまず自分が
(恋愛に対して)低体温ということが
あるかもしれませんね。
けれども、ドキドキはあるんです。
たとえば尊敬する女性マンガ家さんと
初対面でおしゃべりが弾んで、
明け方帰ってきたみたいな体験については
もうほんとに熱に浮かされたみたいになって。
連絡先も交換したからメールしたいんだけど、
しつこいって思われるかな、
どうしよう? みたいな‥‥。
同性でも、それはよく考えると恋だなって思います。
それにともなって肉体的な欲求は付いてこないけど、
考えるとドキドキするし、もっと会いたいって思うし、
「あ、ないわけじゃないんだな、自分」
と、ちょっと思ったりします。
糸井 うん、うん。
その短い時間に心が燃え立つっていうことは、
まずありますよね。
だけど、それがどのくらい、どう続くだとか、
続かせるために結構知恵がいるだとか、
あるいは、だめかもしれないっていうときに
どうやって戻すかとかっていうことを考えるとき、
人間て全体像になるじゃないですか。
よしなが そうですね。
友だちでも蜜月と倦怠期みたいなものもあって。
だから好きだと自分の中でもストッパーがかかって、
連絡取れるようになっても
あんまり会わないようにしないと、
きっと飽きられちゃうし、
面白い話のネタがたまってからにしよう!
みたいなちょっとした駆け引きがあったりとか。

(つづきます)
2013-01-18-FRI
 

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