男性の作家って、どこかで嘘を付いてるっていうか、 ファンタジーを簡単に混ぜ込んでる気がするんです。 「あいつ、俺に惚れてるに決まってる」的な。 ファンタジーだったらファンタジーで 説得力がほしいなぁって思う。 その点、女の人は体と心のことを ほんとに上手に描(えが)くんで、 見てるとしびれるんですよ、ぼくは。 よしながさんのところでも、 結構、ぶった切るように体を出しますよね。 “最中”は描かないわりに 体はじゃんじゃん出てくる。 そして絵としては あんまり汗をかかない感じの人たちが出てくる。 そういう自分の作家性の元みたいなものは、 影響を受けたものってあるんですか? |
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はい。でもマンガはたくさんありすぎて、 挙げていくと、 これもこれもみたいな感じで、 たぶん一言だと言い表せないです。 |
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おおぜいから少しずつ? |
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そうですね、あとはテレビドラマです。 たとえば山田太一さんの『日本の面影』は 10歳ぐらいのときに初めて見たんですけど、 夢中になっちゃって。 ビデオもない時代でしたから、 再放送をもう1回食い入るように見て。 そしてついに家にビデオが来たときに、 何度目かの再放送を録るみたいな感じで また、見たりとか。 そして向田邦子さんの、 お正月とか年末にやってたシリーズとかも。 現代もので家族を描くときに、 たぶんそのお二人の影響があると思います。 |
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そうか。ああいうドラマは今ないですね。 |
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そうですね。向田さんみたいなのは なくなっちゃいましたね。 ああいうものがほしいときは、 結局向田さんのものをやってますものね。 |
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そういうことですね。 ぱっと外を見たときの状況設定が こんな(現代の光景)じゃつまんないですよね。 外を見たときも向田さんの世界(昭和)じゃないと、 沁みないですよね。 |
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そういえば『魂萌え』っていう、 桐野夏生さん原作のドラマがあったんですが、 それは久々に向田邦子さんを思い出すものでした。 旦那さんが突然亡くなった後に 愛人がいたことが分かって、 普通の奥さんがとってもびっくりするっていう 話だったんですけど。 |
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今、そういう設定で描(えが)くと 濃いめに、くっきり描くみたいになってますよね、 昔に比べたら。 歌謡曲なんかもそうなんだけど、 そこんところを隠してるんだか隠さないんだか、 うまいこと表してるなっていう歌謡曲が かつては結構あったんです。 それがいま、ないんです。 |
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そっか。親切なのかな、今の方が。 |
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わかんないって言われるのが怖いみたい。 言わないセリフがいいとか言われても わたしは困りますみたいな。 その、そういうセリフが言いたいんだったら、 そう言ってくださいって。 それをいちばんうまく表現できているのは やっぱりマンガじゃないかな。 |
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そうなんですかね。 |
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役者さんに頼んなくていいじゃないですか、 マンガって。 そのときには、 絵で描けるか描けないかっていうようなことは ありますか? |
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やっぱり限界はあります。 マンガの限界というよりも、わたしの限界ですけど。 やりたいけどやれないことがある。 けれどもマンガがいいのは、 ドラマだったらこんな役者さんをいっぱい使ったら 予算オーバーだけど、 マンガならこの人とこの人を一緒に連れてけます、 みたいな、そういうことができる。 すごいって思います。 あと、キャラクターが次のページめくると 平気で5年経って歳を取ってるっていうのが 簡単にできます。 |
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あぁ! |
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1巻読み終わると最後おじいさんになって 亡くなっている、みたいな。 ほんとにマンガは何て便利で素敵なのかしらって思って、 ついそういうのばっかり描いちゃって、 いざ実写にしようとすると 大変なことになるんです(笑)。 |
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ていうことは、そういう場面があればあるほど 嬉しくて、そう作るんですか、やっぱり? |
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そう、そうです! |
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実際こんなことできちゃうんだーって 嬉しさをもとに、飛ぼうとする? |
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できるからやろうと思ってるのか、 どっちなんでしょうね。 でもその経年変化がとても好きで。 たとえば萩尾望都先生の 『ポーの一族』っていうマンガがあるんですけど、 不老不死のヴァンパイヤの話なので 彼らは少年の姿のまま、 あらゆる時代に生きてる。 あるときは現代のイギリス、 あるときは1959年のドイツって、 1冊の中で1話読み終わったら舞台が飛んで、 前になったり、後に行ったり。 手塚治虫先生の『火の鳥』も そうだと思うんですけど、 そういうことは、 マンガだからできることだし、 わたしも楽しく享受してきました。 |
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うん、そうだね、うん。 映画は実写なんだけども、 CGが入っちゃったおかげで、 マンガとかアニメにどんどん近づいてますよね。 あった方がいいものだったら描けばいいじゃないか、 みたいな。 |
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はい、はい。 |
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そうなると、実写の映画が 人間型の人に演じさせるアニメーションみたいに どんどんなってきてるなぁっていうのは、 このごろずーっと思ってて。 けれど今度の『大奥』は、 マンガに忠実でしたね。 |
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役者さん自体のプロポーションとかも、 自分のマンガのことではないですが、 たとえば『NANA』っていう映画のとき、 あんなに細い人はマンガだからだって 思ってたんですけれど(笑)。 |
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なるほど(笑)。 |
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今の人は本当に細い、頭が小さい。 こんなにマンガそっくりになるんだって。 たぶん日本だけじゃなくって、 ハリウッドもヴィジュアルをコミックスに、 ほんとに笑っちゃうぐらい近づけてますよね。 こんなに似せちゃって、みたいな。 |
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フィギュアみたいな人たちがばんばん大活躍。 逆に、『スパイダーマン』が ニューヨークの通りをぐぁー、ぐぁーって 行くのとか見てると、 だれが発明したんだか知らないけど(笑)、 これは現実のアニメ化で、 東京では誰もやれないなぁと思う。 こちらは絵を実写がマネしてく。 なーんかちょっとこう、みんな、 マンガ家に頼り過ぎてるぞ! って。 |
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わたしとしてはマンガが別のメディアになるときは、 原作だけど、素材の1つだと思っているんです。 |
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「どうぞ」って感じで? |
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はい、ほんとに。 だからその素材の味を生かすもよし、 エッセンスだけ取るもよしだと思っているんですね。 映画なら映画としておもしろいかどうかが いちばんなので、何かそこは本当に、 脚本も含めてお好きにって思っています。 |
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『大奥』は、そこを素材に合わせてましたね。 |
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はい。 わたしはあんまりカメラが上下しない コマ割が好きなんですけど、 そういうのとかって、たぶんまさに昔、 自分が観てた『東京物語』(小津安二郎)とかの 影響だと思います。 それにしても、そんな頼られているのかな。 わたしのっていう意味じゃないですけど、 「ね、いいでしょ、マンガって!」 ってちょっと思っちゃいます(笑)。 (つづきます) |
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2013-01-21-MON |
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