今日のダーリン

・ぼくは、あんまり人の文の引用をしないのですが、
 『俳句のつくりよう』(高浜虚子)という本については、
 読んでいながら、そのまままるごと写して、
 ここに貼り付けてしまいたいとか思いかけています。

 芭蕉について、たとえばこんな言い方をしています。
 「歴史から考えてみても、元禄の芭蕉という人は
 人生を超越した人ではあったけれども、
 しかしながらこの人は
 十分世の中の経験を経てきた人である。
 またどこまでも人生を愚にしなかった人である。」
 「人生を愚にしなかった」ということばは、
 この本の付録のなかで何度か出てきますが、
 短詩の人らしいみごとな表現に、ショックを受けました。
 同じような意味合いで「正岡子規という人は
 決して人間を軽蔑しなかった人である。」と書きます。
 そして、そのあと、人生のことをこう書いています。
 「人生というものはある意味において
 随分俗なものともいうことができるけれども、
 しかしながら我々の祖先が生活しておったのも人生、
 我々の父母が生活しておったのも人生、
 我々の兄弟が生活しているのも人生、
 また自身が生活しているのも人生。
 己の子供がやがて生活するところも人生である。
 俳人どもが集まってともに俳句を作るその場所も
 また人生の一部分である。」
 ここから、かなり手厳しい「俳人」たちへの
 批評が続くのですが、引用はここまでにします。
 気になった人は「角川ソフィア文庫」でも、
 そのKindle版でも読めますので、ぜひ
 (実は無料の青空文庫もあります)。
 
 ぼくは、前々から人生を表す「LIFE」が、
 「生活」「暮らし」という意味や、
 「命」という意味を持っているということについて、
 特別ないい感じを抱いていたのですが、
 「人生を愚にしない」ということばを知って、
 ますますなんだか、「その気」になってしまいました。
 俳句は俳句として学んで行くつもりですが、
 よき俳人の考えも、もっと知りたくなっています。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
我が家、近づく猛暑への覚悟が問われています。もう暑い!