第6回 僕の「現在地」は。

志谷啓太さんの「面接」は、終わりました。

「ふんふふーーん‥‥」と
鼻歌交じりの面接官が部屋を出ていったあと、
上気した表情で
帰りの身支度をしはじめた志谷さんに
「どうだった?」と
「面接」直後の感想を、聞いてみました。

間髪を入れずに、答えが、返ってきました。

「僕、うぬぼれていました。
やっぱり、甘かったです」

「僕は、この企画が通った時点で
糸井さんに
認めてもらえたんだと、思い込んでいました。
だから、糸井さんと
もっと話が合って、もっと気に入られて‥‥
でも、そうじゃなかった。
最後、ふつうの子だねって言われたときに
すこし、ショックでした」

ふつうの子って、
ぜんぜん、わるい意味じゃないんだけど。

「はい、それはわかってます。
だから、
それくらい、うぬぼれていたんです。
今日は、きびしいことも含めて、
糸井さんに
たくさんのアドバイスをいただきました。
すごく、ありがたかったです。
でも、反対に
『自分にはまだ、何もないんだ』ってことが
ものすごくよく、わかりました」

「ぼくは、コーヒーを淹れるということを
とても大切にしてきました。
最後、
僕のコーヒーを飲んでいただきましたけど、
それだって、やっぱり
糸井さんの心を動かせるようなものでは
なかったみたいです。
いろいろ言ってるくせに、中途半端でした。
次、お会いすることがあるなら
何か『見せられるもの』を持ってきたいです。
だから、
何かやんなきゃ、とにかくはじめなきゃって
今、すっごく、やる気が湧いています」

もちろん、こんなに饒舌に話したわけではなく、
いつもの志谷さんらしく、
言いよどみながら、考え込みながら、
言いなおしながら、つっかえながら、
ようやく、そんな感想を聞かせてくれました。

「就職のことが決まったら、報告します」

そう言って志谷さんは、京都へ帰って行きました。

そして半月後、東日本大震災が起こりました。

日本社会全体が大きく混乱するなか、
志谷くんも
戸惑いながら、就職活動を続けます。

糸井との面接のときに
「何かやんなきゃ」と痛感した志谷くんは、
まずは、以前から興味を持っていた
数社のIT企業に、エントリーしました。

しかし、内定は、もらえませんでした。

やがて4回生(4年生)となり、
周囲が本格的な「就活」に取り組むなか、
志谷くんは
「何かやんなきゃ」という思いと
「就職活動」をうまく結びつけられず、
活動そのものから
だんだん、遠ざかっていったといいます。

この時期、つまり2011年6月から秋くらいまで
おたがい「忙しい」を言いわけに
僕たちは、ほとんど連絡を取り合いませんでした。

就職活動を半ば「放棄」した志谷くんは、
あの1Kの部屋に閉じこもり、
いっとき、
気が抜けたように、なってしまったそうです。

しかし。

ある秋の日、久しぶりにメールが届きます。
今度は深夜でなく、まだ昼の時間帯に。

ご無沙汰してます。志谷です。

突然ですが、
最近、iPhoneアプリ開発の勉強をやっていて、
先日、はじめて独りでつくったアプリを
appstoreにリリースしました。

『殴ればいい』というタイトルの
ゲームアプリなんですけど、
現在、appstoreの無料アプリ総合ランキングで
10位くらいにいると思います。

よろしければ、ぜひいちど遊んでみてください。

へぇ、すごい。10位だって。すごいよね?

僕とページデザイン担当の岡村は
さっそく
「appstoreの無料アプリ総合ランキング」を
見てみました。

そしたら。

appstoreの無料アプリ総合ランキングの画面

‥‥なんか「総合1位」になってますけど。
10位どころか。

NHKのネットラジオのアプリとか、
「駅すぱあと」とか
「Facebook」とか、
そういう、有名っぽいアプリを押しのけて、
志谷くんのゲームが、総合1位‥‥。

うひゃー、すっごいじゃん!

さっそく僕たちも、ダウンロードしました。
ビシバシビシ‥‥と、しばしプレイ。

それは、一定のルールにのっとって
相手にキックやパンチを繰り出すという、
なんともシンプルなゲームでした。

動かすキャラクターも「線画」だし、
これ、たぶん志谷くんの手描きじゃないかな?

この単純さが、ウケてるんでしょうか。

初代ファミコンからはじまって
家庭用テレビゲーム機で育った僕ら世代には
正直、ちと物足りないと言いますか‥‥。

いや、世代の問題じゃないか。
そういうものであって、別ものなんですよね。

ともあれ、志谷くんの『殴ればいい』は
その後数日間ランキング1位をキープし続け、
いままでに
「47万ダウンロード」の大ヒットとなったのです。

「就職活動もしないでぼんやりしてたら
柿添くんに、
アプリでもつくってみたらって言われて、それで。
で、実際つくってみたら
ようやく『何かやんなきゃ』という思いが
『何かをつくればいいんだ!』
『僕にも、つくれるんだ!』につながったんです」

それにしたって、こんなにヒットするとは。

「はい。ダウンロードの数については、
ただもう、運が良かっただけだと思います。
そのころって、まだ
アプリを自作する人ってあまりいませんでしたし、
適当すぎるつくりが
めずらしがられたんじゃないでしょうか。
ゲームの出来映えとしては
まったく単純というか、簡単なものですから
ダウンロード数に
ぜんぜん僕の技術が追いついていません」

はぁ、そうなんだ。しかし、楽しそうに語るなあ。

「アプリへのレビューは、ほとんど読みました。
褒めてくれる人もいれば
めちゃくちゃにけなしてくる人もいました。
でも、そのなかに、
たぶん中学生くらいなのかなあ‥‥
男の子だと思うんですけど、
僕に『もっとアプリをつくってほしい』って。
僕のこと『応援してますから』って、
何度も書き込んでくれた子がいたんです」

「つくってほしい」って、うれしいですね。

「はい、ものすごく、うれしかったです。
そして、何かをつくることって
なんておもしろいんだろう! ‥‥って
わかったんです」

それって、届くことの、おもしろさ?
それなら僕らも、すこし知ってる。

「はい、そう言えるのかもしれないです。
僕のつくったアプリを
みんながプレイして、感想を言ってくれる。
そのやりとりが、楽しくて、うれしくて」

とまぁ、こんなできごともあって、
志谷くんは今、
「面白法人カヤック」という会社の京都支社で
はたらいています。

まだアルバイトの身ではありますが
りっぱに
「週5日、10時から19時」のフルタイムで
アプリの開発をしています。

社会人に交ざってみて、どうですか?

「やっぱり、はたらいてる人って、すごいです。
そのことを、毎日、感じます。
プログラムを組む人も、デザイナーの人も、
20代の後半くらいですから
僕より、4つか5つ、年上なだけなんです。
でも、正直ふだんは感じないんですが、
専門分野の話になると、オーラが出てるんです。
プロとしてはたらいている人には、かなわない!
そのことに、毎日、気づかされてます」

そうか、大学生のころって、まだ
大人の何がすごいのかが、わからなかったのかも。

「僕はずっと、自分にスキルが足りないことを
コンプレックスに感じていました。
でも、最近は
すこしずつ『わかってくる』のが楽しいです。
プログラム言語にしろ、中身の仕様にしろ、
すごい仕事に触れたとき、
うわぁっ! ‥‥ってこころが楽しくなって
もっともっと、知りたくなるんです」

「1年前、糸井さんに面接してもらったころは
他人の評価ばかりを気にしていました。
それだけがすべてだみたいに、思ってました。
だけど今は、
『毎日、何かをつくっていれば大丈夫』だと
思えるというか」

今、糸井さんとの面接を振り返ってみて、
「あれは、何だった」と思います?

「ただただ、夢中だったんですけど‥‥。
うーーん‥‥そうですね、
あのときの僕の『現在地』を教えてもらった、
そういう2時間半だったと、思います」

‥‥今もコーヒー、淹れてるんですか?

「はい、淹れてます。好きなので」

じゃあ、上達とかも、してそうですね。

「うーーん‥‥どうなんでしょう。
よくわかんないですね、もう(笑)」

そう言って志谷くんは
なんだか照れくさそうにして、笑いました。

最後に、今後の予定というか
将来の展望というか、人生の野望というか、
そんなのがあったら教えてください。

「はい(笑)、えーと、
アプリの開発の仕事を、今後も、続けていきます。
今、雇っていただいている会社で
がんばって、いろいろ吸収したいと思っています。
ただ‥‥」

すうっと、真剣な眼差しに戻りました。

彼がていねいに説明してくれたところによると
なんでも、
この春、同じ大学を卒業して東京に行った友だちが
何人かで、アプリの会社をやっているんだとか。

志谷くんは、そのうちのメンバーのひとりから
「いっしょにやらないか」と
前々から、誘われていたそうなんです。

「だから、こんどのゴールデンウィークに
東京へ出て来て、
彼と、じっくり、話し合うつもりなんです。
おたがい納得したうえで
いっしょにやっていくことができそうか、
確かめたいなと思っています」

へぇ、そうなんだ。

そこで、どういう選択がなされるのであれ、
何か決まったら、連絡くださいね。

「はい、どこでやることになっても
がんばって
何か、お見せできるものをつくりたいです。
そして次は、
糸井さんや『ほぼ日』のみなさんと
仕事の場面で会いたいです」

おお、楽しみだ。そんじゃあ、それまで。

「はい、それまで」

そう言って僕らは、表参道の雑踏で別れました。

志谷くんがメールをくれた2010年12月から、
糸井との「面接」を経て、
東日本大震災を経て、1年と4ヶ月。

ときは2012年の4月に、なっていました。

‥‥ちなみに、ですが。

アプリの会社で
「志谷くんを誘ってくれている友だち」って、
「柿添康大」って、いうんだそうです。

あのー、その人、知ってるんですけど。

<終わります>

2012-04-27-FRI