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ほぼ日刊イトイ新聞

2025-04-17

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・いまはだれも、「電子メール」とは呼ばない。
 頭になんにも付けずに、ただ「メール」と言っている。
 「電子メール」なのになぁと、ぼくは思う。

 じぶんが「電子メール」をはじめたころのことは、
 いまでもよく憶えている。
 慣れないタイピングで、夜中に無駄話をしたものだ。
 恐竜絶滅の原因になった大隕石の衝突についてだとか、
 「プロデューサー」という単語は、
 どうやって打つのかなどと、質問したりしていた。
 あのころ、ぼくの相手をしてくれた人たちには、
 いまさらながらだけれど、感謝したい。
 電話でもなく、手紙でもなく、ファクシミリでもなく、
 「電子のメール」で人と人とがやりとりするなんて、
 これはもう未来社会かよ、とはしゃいでいた。

 それから、もう四半世紀も経ったけれど、
 「メール」は、いまでも使い続けている。
 ブログだツイッターだフェイスブックだラインだ
 インスタだチックトックだハチの頭だと
 電子の道具は移り変わっているけれど、
 「メール」はずうっと生き続けている。
 ただ、昔のように大事にされている感じはない。
 ってゆーかー、ちょっとめんどくさがられているようだ。
 「受信箱」という箱を開けて見なきゃならない。
 いざ書くことになったら、それなりの長さの、
 文らしい文を書かないといけないような気がする。
 もともと「メール(e-mail)」というくらいで、
 「郵便」の形式を電子化したものなので、
 白い紙に文章を書くようなイメージでできている。
 そういうところが「めんどい」のでありましょう。
 主要なツールが、パソコンから
 スマホに変わっていくにしたがって、
 文章というより記号みたいなものをやりとりするほうが、
 自然だと考える人口も増えていったようだ。

 そんな時代になったのに、「ほぼ日」は毎年、
 GWの期間に、「特大メール企画」を用意している。
 『メールするからメールしてね。』という、あのあれ。
 2025も、もちろんやる気なので、ただいま準備中です。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
乗組員みんなで手分けして膨大な数のメールを用意するのだ。


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