POMPEII
「ポンペイに学べ」
素手で叡知を発掘する方法。
最近、TBSで「幻の都市ポンペイ」が特集されたり
朝日新聞で「ディオニュソス像発見」が記事になったり
青柳正規・東大教授の名前を目にする機会が増えてます。
現代の考古学界が沸く、ヴェスヴィオス火山における
ローマ時代の遺跡大発掘の団長が、青柳さんだからです。

それなら、こんな今の時期にこそ、
発掘の1年前、2001年に「こんなことをしたい!」と
意気ごんでいた会話を、聞いてみたいと思いませんか?

「ほぼ日」で大発掘前夜の会話を取材したものを、
再編集して、まとめて、おとどけいたしましょう。
ふつうに読むだけでも、青柳正規さんの言葉には、
価値や知識についての、大きなヒントが詰まってますよ

回 歴史はヒントに満ちている


青柳正規さんは、
「政治の天才が生まれる時代には、共通点がある」
のだとおっしゃっています。
常に決断を迫られているような危機的な時にこそ、
大天才が、生まれざるをえない中で登場する……。

「無理なシステムは、かならず崩れる」などなど、
歴史家の青柳さんが、たんたんと語る言葉からは、
自然と、今の時代のものの考えかたについても、
ヒントをいただけるような気がします。

アーカイブ発掘企画、最終日の第3回目をおとどけです。


装飾せずにいられない人々

青柳 流行という言葉がありますよね。
「はやり」、これはローマの前史の
ギリシャではあんまりなかったんですよ。
美術でもいったんあるものを表現できると、
今度はいろいろ他のかたちで表現したくなる。
だから男だけを裸にしようというんじゃなくて。
糸井 最初は男だけだったんですか?
青柳 そうです。
それで女の裸も表現しはじめてます。
要するに、
何かがはやりだすと、飽きが来ます。
飽きが来るのが流行の原因なんです。
流行というものを社会的に見間違えたところから
今まで続いてしまっているわけだけど、
ぼくも流行については「あるものは認めろ」
というようなものだと思うんですね。
これからもわれわれには飽きが来るから、
また違うものが来る。そして広い意味での作家は
前とは違うものをつくらざるをえなくなって、
そのために苦労していくというこの構造を、
われわれの社会は本質的に持っていますよね。

この流行を否定することはもうできないんです。
今の「ヤマンバ」の女性たちを見ても
われわれはだめだとは言えないと思いますよ。
糸井 あれを否定したときに
「それじゃあこれだ」と
オルタナティブなアイデアを出せるかと言えば、
そんなのは出せないわけですよね。
ヤマンバを批判した以上は批判したひとが
違うアイデアを出さなきゃいけないんだけど、
これは、やれるわけがないんです。
人間っていうどうしようもない生き物に
「全部ここについて来い!」と言うことなんて
できるわけがないというのは、ソ連崩壊のときに
もうよくわかっちゃったんですよね。
青柳 日本で残念に思うのは、政治家についてです。
そういう流行を認めていかなくちゃいけないし
それを前提にしていい方向にしてもらいたい。
こういう舵取りをするのが政治家だと思うんです。
ぼくは政治にはまったく興味がないんですけど、
日本の政治家もかわいそうだなあ、と思います。
なぜかというと、いい政治家を輩出させるには
いい「政治家の教室」が必要なわけですが、
その教室というのは何かというと、
民族問題と宗教問題と国境問題があることで……。

歴史的に言って、
そういう解決不可能な環境のなかで
はじめて政治家というものは育つんですね。
だから日本の政治家が悪いのではなくて、
解決不可能なところで育っていないからなのです。
だからわれわれは政治家に対して
過大な要求をしてはいけないわけですよね。

そこで誰が社会的なシステムを提示するか、
そこでアメリカやイギリスでは
シンクタンクに情報が集まるような、
たとえば保険会社などを持っています。
日本には国際的に通用するシンクタンクが
残念ながらまだひとつもない。
日本には何があったかというと官僚システムで、
官僚って日本の官営シンクタンクなんですよ。
そのシンクタンクが今死にかけているので、
日本をいつかは乗り越えようとしているか、
あるいはもうすでに追い抜いている周囲の国が
日本が自滅してくれてると非常によろこぶんです。
手をつけなくてはいけないのは確かで、
小さな政府にならなければいけないんだろうけど、
そうしたらどこかでシンクタンクになる
官僚以上の組織がしっかりつくられないと
いけないなあという気がしますね。
糸井 今のシンクタンクは企業から注文を受けていて、
発注を受ける大工さんのようなかたちですよね。
その大工さんが報酬を得られる仕組みのために
マクロの見方を思想として提示しなければ
いけないからそうしているというだけで、
果たしてこのサイズでシンクタンクをうまく
運営できるかというと、難しいと思います。
基本的には施主が民間にある私企業ですから、
「ある企業のために」と考えたときには
ある限度を超えて考えてはいけないんだ、
という仕組みにある程度ならざるをえない。
シンクタンクのひとが情報ソースを取ってくると、
人間を点に数えて上から動きを見るまでには行く。

流体力学を応用するところまでは行ってるけど、
でも石や水じゃない人間たちは、
不慮の行動を取るわけですよ。
不慮は不慮で、こちら側としては別勘定で
別プログラムをつくってわかろうとしているけど、
そうじゃなくて現状をどれだけマクロに見ようが
人への見方みたいなものをもう少し鍛えなおして、
マクロで見ているひとが自分のお客さんを
どれだけ認識できるかっていうのが、
たぶん、次の鍵じゃないかなと思うんですよ。

昨日眠りを専門に研究している先生に
行って話をうかがってきました。
このひとサイエンティストなんですけど
認識がすばらしい。不完全な生き物である人間、
という前提をされているんですね。
人間は生きのびてきたというのは
不完全な生き物だったからなんだと言う前提で。
人間の生態リズムは25時間ですよね。
でも、自然のリズムは24時間。睡眠ひとつでも
毎日1時間ずつ遅刻するのが一番リズムにあう。
ところがあわないので人間の苦しみが生まれる。
この発見をしたのが解剖学の三木成夫さんですね。
三木先生の理論というのはこうまとめるんです。

「24時間の自然のリズムにぴったりの人間が
 生きてきたんじゃなくて25時間にずれた
 不完全さをベースにした種族だけが生きのびた」。

睡眠の先生とお話をしていても、
そういう思想がもとにあったりするんです。
これはマーケティングなんかやるときには
いちばん不都合なやりかたなんですけど、
やっぱりじーんときちゃうんですよ。

シンクタンクの外堀のあたりにいるひとが
いっぱいいて、そこを発言する場所ができて
それをちゃんときく場所ができたら
おもしろいなあと思うんですよ。
青柳 ネパールなんかに行くと、寒い鉱山で
生き抜くために自分自身を温室のように
おおっちゃう植物があるんですよね。
そこで胞子などの重要な部分を保護するので
けっこう強い。これは明らかに24時間なら
24時間として設定したタイプの植物ですよね。

地中海世界の人口で言うと、
人の数は2000年前には4〜500万人だった。
現在には約2億5000万人くらいのひとが
あの周辺に住んでいるので、50倍くらいです。
もし進化生物だったらそれだけの短期間に
こんなに増えっこないんですよ。
そういう意味では下等動物なんです。
地球上の生物の動物の総重量の約25%〜30%まで
来ているものが、何万年か前までは全体の1割を
きっていたわけです。「鼠算式に増える」なんて
言うのはとんでもない話で、人のほうがすごい。
糸井 よく断食道場に行ったひとが
山降りた途端に病気になるんですよね。
不純物の一杯入ってるところに戻るから。
自然食おたくのひとって病気しますよね。
こういうこと言うと怒られなんそうだけど、
完成形に近づこうと思うほど、不完全なところが
こぶのように出たりするんですよね。
あるモデルがあってそのモデルに
近づこうとする哲学ってあるじゃない?
この考え方がとっくに通用しなくなっているのに
先生というひとが立派な人間図を考えては
「みんなでここに来るように勉強しましょう」。
科挙もそうでしょ? でも本当は違うよね。
ポンペイで言うと美の基準が勝手なんです。
ぼくは、既にあそこではモデルから外れることが
行われていたというような気がするんですよね。
青柳 ポンペイでは貧しいひとも金持ちも、
自分の家を、壁画で
きれいに装飾する気持ちが顕著なのですが、
貧しいひとは絵の具をあんまり使わなかったり、
画家も普通は10日かかるのを
1日で仕上げちゃう。
さっささっさした筆づかいで。

私たちはそれを見て
「あ、これは古代の印象画だ」
なんて言ってます。
一方金持ちはそれこそ最高級の絵の具を使わせて
画家に丁寧に描かせて素晴らしいものにする。
何て言うか、レンジがべらぼうにあるんですね。
それをみんなが楽しんでいたと思うんです。
糸井 あのばらばらさに感動した。
いいものは今見ても明らかにいいわけです。
それで、
風呂屋のペンキ絵に近いものもある。
教養主義者はそこまでのレベルのものも含めて
「古いからいい」って言っちゃうけど、俺は
そのペンキ絵は低いと思う。高さがあるとすれば。
でも、低いとしても、住んでいたひとにとっては
きっと感じとるものがあったんだろうから、
素晴らしいと思うんですね。
青柳 自分の神様への信心を示そうとしたら、
「こういう人間のおごりたかぶりが
 このような神罰を与えるんだ」
というのばかり描かせて、それで
自分が信心深い人間だとお客さんに言うとか、
あるいは自分はもうそんなのどうでもいいから、
すけべだと思われてもいいから、壁には
ゼウスが女神に言い寄っている場面だけを描く。
糸井 あれ、気持ちよかったでしょうね。
青柳 ええ。一歩距離を持って
「芸術は崇高である」「芸術のための芸術」
というのではなくて、彼らにとっては
もっともっと身近なものでしたからね。
あそこの家の壁画は好きだとか嫌いだとか、
「金がないからあの程度しか描けない」
という批評をお互いにやっていたと思うんです。
糸井 そこらへんは遺跡ではわからないものだし、
想像でおぎなっていると愉快なんですよ。
趣味も転換するでしょうね。おもしろいなあ。
青柳 さきほど
自然食のひとについておっしゃったけど、
当時はやはり生薬と健康法しかない。
長生きするためにはそのふたつをやる。
病気になると瀉血とかいろいろ方法があって、
成功する場合もあるし失敗する場合もある。
そこで「弱い人間」を認識するから
その頃のひとたちはどうしても信心深くなる。
われわれ現代人と古代人の一番の違いは、
神をどれだけ信じたか信じてないかという
やはりこのへんだと思いますね。
天変地異の起きる原理を知らなかったので、
彼らはそれらが起きたときにはすべてを
神の怒りか喜びがひきおこしたとみなします。
糸井 人間にコントロールできない領域が広いほうが、
ああいう豊かさっていうのは生みやすいのかな?
うーん、大きい問題ですね。
新聞をこのところ注意してみてると、
宗教観について宗教学者的なひとが
一生懸命に警鐘を鳴らす文章がよくあるんです。
オウム真理教以来、宗教全体に対して、
宗教と言えばある種の精神病理だ、
うさんくさい、とみんなが思っている。
今はようやく学者のかたたちが、
科学以外の引き出しが小さくなる状態に
「それはどうだろうか?」
と言えるようになってきた。
オウム事件の頃にもしそういうのを書いたら
大変なことになってましたよね。
最近そういう記事を見つけると、
「これみんな読んでるかなあ」と思いますけど、
ぼくは気になっていたから読んでいますけど、
気にならないひとはいまだに読まないんですよ。
例えば新しい宗教なんかに入っちゃったひとは
それこそ十把一からげで、
「科学やお金で買えないものを信じる変なひと」
という風に心の村八分にしますよね。
それはまずい、と新聞みたいなマスメディアが
最近ではちゃんと載せるようになってきたので、
このゆり戻しをもうちょっとやってくれると
いいのになあ、という気がするんですよね。
宗教そのものを語ることじゃなくて
文化を語ることで自然に出てくると思うんです。
青柳 われわれの世代でおわりかもしれないけど、
ここに天皇の写真がかかってるとすると、
ぼくはその写真を足で踏むことはできないんです。
この感覚は、いろいろしゃべってみると、
どうも欧米人にはあんまりないようですね。
その意味でわれわれは宗教に転化できるかどうか
わからないけど、一種のアニミズムとかを
持っているのではないか?と思うんです。
糸井 日本を航空写真で見ると
神社仏閣の面積がすごいっていうんですよ。
こんなに信心深い国ってないんだって。
青柳 ああ、そうかもしれないですね。
糸井 余談的に言うと
漁港の数の多さもすごいらしい。
これは利権がからんでるからだけど(笑)。
漁港と神社仏閣の面積がすごいんですね。
でもいちおう宗教はないことにして
全部タブーになっちゃってますよね。
子供のときに遊んだな、と神社をイメージで
語るぶんにはいいけど、信心を積極的に出すと
変わったひとになってしまうという。

趣味についていくら語ってもよくなったのは
ここ最近のことですよ。おたく文化があって。
これも宗教のかけらだとおもうんですけどね。
その意味では日本には宗教的な土壌が
たくさんある。カルト宗教を生む土壌なんかも
全部そのへんから来てると思うんですけど。
青柳 ただひとつ、これは日本の特殊事情か
たまたまなのかわからないんですけど、
人口あたりの美術をやっているひとの数、
スキーをやるひとの数、
神社仏閣の数などなど、
そういったものはそれだけ多いわけですよね。
それだけすそ野が広くなっていれば、
峰も本来は高くなっていてもいいですよね。
それがなかなかならない。これはなぜですかね?
糸井 そのへん、おもしろいですね。
前に話に出た「飽き」っていうことと
関わりがあるのかもしれないですね。


常に決断を迫られるということ

青柳 古代都市として
ローマとポンペイを比較すると、
都のローマにはトップに皇帝がいるわけです。
その下に元老院議員、更に下には騎士階級。
騎士階級は必死の思いで出世してきたので、
今のエリートサラリーマンのようなものです。

地方都市のトップには村長さんがいたり、
町の旧家や良家が評議会を開いています。
その下にはエリート層として、
はいあがって奴隷から解放された
経済を実際に握っている者たちがいる。
そういうのがパラレルなんです。
糸井 経済を実際に握ってるのが奴隷なんですか?
青柳 そうです。
糸井 うわー、じゃあビルゲイツは今そこなんだ!
青柳 地方都市ポンペイのトップが
都に引っ越したらどうかというと、
せいぜい騎士階級の一番下のあたりです。
そういう
ピラミッド性がきれいにできています。
そういうかたちでローマ帝国ができていたので、
ディレクトリがきちんとできているんです。
日本の場合はそういう構造ができていませんし、
例えば他にアメリカのような競争社会を
持っていたときの問題はですね、
敗者が単なる敗者になってしまうんです。

アメリカの場合はあるクラスで敗者になっても
その次のクラスでトップになったら、
その部分での住み心地のよさはあって
そういう構築性はありますが。

日本では今まで競争社会は持ちこまずに
「領分」という言葉を使っていました。
鎖国であるから富も例えば100しかない。
誰かが金持ちになると誰かが貧乏になる。
だから富の移行はそんなにされなかった。
それが今変わりつつあるというか、
そういう構築性のないままに
この社会を続けていいのかというところで。
糸井 おそろしいですね。
かと言って国際的にひらかないままで
存立するというのはありえないわけですし。
ローマとポンペイの経済基盤は交易なんですか?
青柳 貿易と農業と商業、その3つが
うまーく絡んでたんですね。
古代人は土地の立地条件を非常に考えます。
立地条件が悪かったけれども時代的な要因で
栄えたところというのは、必ず滅びています。
糸井 中国で言うと風水にあたるんですね。
日本の都市の場合は立地条件って
政治的につくってきたものですからね。
青柳 人工的ですよね。
そういう経験があるからこそ今でも
遷都なんかが可能と思われているのでしょう?
糸井 人工的な構造のなかに遷都を考えているけど、
さらにマクロな視点で考えてみると、
また違う議論になりますね。
青柳 都市に重要なものは
その都市の持つ歴史性だと思うんです。
それを見て見ぬふりをして都市をつくるのは、
都市構築ではないですね。
糸井 ブラジルは失敗しましたよね。
青柳 それからオーストラリアもそうですよね。
そういう先例があるのになぜ?というように
ヨーロッパのひとたちは日本について言います。
糸井 おもしろいなっていうのは、
ブラジルについてもオーストラリアについても
失敗したんだけど
別の大衆権力のようなものが
自然に名のつかない首都を組みなおしますよね。
その構造というのがまた愉快ですよね。
青柳 日本ではわれわれ市民の側に果たして
それだけのエネルギーがあるかですよね。
エネルギーがないから人為的に無理して
つくったものをいつまでもサポートしていく。
そうすると無理な負担で財政赤字が増える一方。
糸井 サポートしつづけますからね。
青柳 それこそメンツにかけても。
結局われわれに借金がふりかかる。
糸井 全部古代にヒントがあるんですね。
青柳 確かに失敗例をかえりみないというのは……
ぼくは今日本人論をしてるのではないのですが、
例えば日本の軍隊は、負け戦のときに
自国の戦記を全然取ってない。
これは世界でも非常に特異なところらしいです。
糸井 おそらく言霊思想から来るんじゃないかな。
「縁起が悪い」ということでそうなっちゃった。
「精神的なありかたがすべてを決定する」
というある種の唯心論みたいなのが
その根っこにあるとぼくは思うんだけど。
昨日友達にきいたんだけど、
交通違反で呼ばれたときに、そいつが
「子供が病気なんで、それの送り迎えがある」
と警察に届けを出しておさめようとしたらしい。
「病気じゃない子供を病気と言うなんて。
 本当になったらどうするの!!」
と、奥さんが烈火のごとく怒って、
あやうく離婚寸前まで行っちゃった(笑)。
青柳 (笑)
糸井 つまりその奥さんが持っている、
病気ではない子供を病気と言ったことで
人生全体を覆ってしまうような苦しみが
出るんじゃないか、
と思う言霊の要素があって、一方では
暴走族あがりのアメリカナイズされてる
ぼくの友達のほうが「えいっ」って言って
子供を病気にさせてしまったというその過程で
喧嘩があったというのが「今」ですよね。
戦記を取らないのは直らないでしょうね。

ぼくはそういうことについて学んじゃったので、
おかげで失敗があったときに
話しあうというのは
「ほぼ日」ではなるべくやるようにしてるんです。
キャッチフレーズ的には
「過去は変えられないけど未来は変えられる」。
過去については悔やむんじゃなくて、
変えられない過去を現在からじっと見て、
そこではじめて次がはじまるんだ、と。
まあ失敗の連続ですけど、おもしろいですね。

今食えてるということに対して
過剰に心配しないというのが
一番大事だとぼくは思うんです。
たぶん官僚制度についても軍隊についても、
未来につながっているって考えないままに
「あぶない」という負のイメージを持ったら、
何も前に進ませられないんでしょうね。
でも今日ごはんを食べられているのがあれば
他のことは考えないでどう開拓していけるか、と、
ここのところが日本の未来を考えるときの
ポイントになるんじゃないかなあ。
オプティミズムというか。
過去を変えたり資料を組みかえたり、
捏造しようとすると、絶対失敗しますね。
野球解説者がほとんど文句しか言わないのは、
あれ、ひとがやっているときはそうで、
自分がやるときはぜんぶ逆になるよね。
スポーツ見るときの仕組みみたいなのから
変えていかないかぎりは。
青柳 ポンペイ展は当初の計画で言うともう今ごろ
30万か40万人くらいまで達していいわけです。
それがなぜ来ないのか……?
計画段階でいいものをつくりさえすれば
わかってもらえて、新しい仕組みの展覧会だから
興味を持ってもらえるだろうし、これだけの
いいものを出せば評価してもらえるだろうと、
ぼくたちはそこまでしか考えていなかった。
ところが一方でわれわれ大学のなかでも、
教育レンジ(幅)として研究をどう広めるか、
最終的な成果を易しくて魅力的な言葉で
広めていかないと終わらないんだ、
と言われだしているんです。
糸井 それは国際的にですか?
青柳 そうです。
糸井 いいですねえ。
青柳 いいでしょう?
まだそこまで行ってないんですけど。
そうやってレンジを広げようとしているなら
ポンペイ展といういい素材があったときに
どうしてもっと早くからストラテジーを
考えなかったのか、と反省しているんです。

最終的には展覧会をたくさんのひとに
見ていただくわけなのに、なんで
見てもらえる努力をもっとしなかったのか、
それを今、自分の研究レンジの拡大と
てらしあわせて思います。
糸井 どこの国がそういうのに熱心なんですか?
青柳 おそらく現在の潮流で言うと
アメリカでしょうね。アメリカは
いいものがあったら外からひきつれてくる、
外から来たひとも宣伝してこなければ
決して安定的には着地できないのです。
そういうようなことがあったから
この手法が世界的にひろまったんですけど。
糸井 ぼくは自分の職業で言うと、
商品環境という言葉を発明したんですよ。
商品は環境ごと商品なんだっていう考えです。
シャネルがどれだけいいかはわかりませんが、
例えばシャネルの香水を石油缶に入れたら、
納屋に入れてあるのを出して投げて渡したら、
それはもうシャネルの香水ではない。
田舎のほうで隠していたものを出してきたら、
これはこれでまた別の意味を持ってしまう。
商品というのは環境を含んでの商品なんだから、
お客さんはその環境を全部求めているんだよ、
と、これは簡単な例なのですが、
これまでの工業社会的な言いかたで言うと、
ねじ1個つくるのと香水1個つくるのとが
おんなじ風に扱われているわけです。
建物や土地代から何から考えれば、
どうしてこんなニューヨークのまんなかに?
と無駄に見えるコストをかけて、
しかもきれいで気を惹く店員を雇っている。
こういうブランド論の源になるのは、
全部この商品環境論なんですよ。

ポンペイ展という展示会を商品環境論で見ると、
できたのはすごいけど商品環境の完成度は
おそらく高くない、っていうような気がします。
正確に広く伝えてるのはまだ工業社会なんです。
青柳 そうですね。


歴史を見つめることのおもしろさ

青柳 歴史って映写機のレンズだと思うんですよ。
フィルムという過去があり、
スクリーンに映る未来がある。
フィルムの情報を増やせば増やすほど
レンズから遠のけば遠のくほどにスクリーンで
どでかい画面が見られるようになると思います。
われわれレンズのところで生きている人間には
なかなか手が届かないし自分たちでは
つくれないのですけども情報は増やすべきだし、
スクリーンに映る影はでかくするべきであり、
そうすれば、少しですが選択肢が将来に向けて
増えるんじゃないかなあと思います。
糸井 その話、シンボリックでとてもおもしろいなあ。
20世紀の終わる今のトップの金持ちはビルゲイツ。
ビルゲイツをものとして信号化するとOSですよね。
OSこそこれはレンズですよね。
乗っけるのはソフトであり、ひとに伝えるのはOS。
青柳 ですね。自分自身には何もない。
糸井 ぼくは素人なんでわからないんですけど
リナックスのようなものは、
実は素晴らしいわけじゃないという
理屈があるみたいなんですよ。
素人が自分の使いやすいようにOSをつくると、
ああいうものはできちゃうんですね。

レンズにあたるOSが
20世紀のシンボル商品
だったとすれば、
21世紀にはレンズだけなら
誰でも持ててしまう時代になるかもしれない。
そうすると改めて「フィルムないの?」って。
「フィルムに映す情熱のあるソフトはない?」
こうやってみんながはっきりと求めていくと思う。

それで、ソフトのないことに気づくんですよ。
それで探し出してくるなかに、今回みたく
ごく少数のひとが研究してきたものだけど、
「おいおい、ポンペイ、展あったじゃない?」
というようになると思うんです。
NHKので以前に力を入れてつくられたものって、
再放送してますけどかなりの視聴率ですよね。
現在、びっくりするほどの数のひとが
NHK特集の再放送を見てたりするんですよ。
これが過渡期の現在をよくあらわしていると思う。
さっき言ったなかにいくつかキーワードがあって、
商品環境論。ソフト欠乏時代のソフト時代。
あとは消費時間コストというテーマがあると思う。

みんながつくることに忙しくなってくると、
使うことに費やす時間にすごいコストがかかる。
青柳先生が靴を探して街に出ても買い切れない。
ひとが見ていいと思い自分も満足するという靴は
一日中探しても見つからないんです。
探すのにものすごいコストがかかる。
この事実のなかに、次のことがあるんだと思う。
今はそのあたりがどうなっているのかというと、
ひとがいいっていうもののベストテンを挙げて
そうすると上のほうから何番目がいいっていう
ことになるから、ブランドの確立したものは
いつでも自動的に売れていくんですね。
だけど、自分にとって素敵なものっていうのは
時間がなくて選べないんです。
おそらくここに未来の事業もあるのだろうし、
未来にソフトをつくるひとたちの
ビジネスチャンスも生きてゆく動機もあると思う。
それで大発明というのがない以上は温故知新で、
歴史のなかにヒントがあって、その歴史は
たぶん「人間の歴史」なんじゃないかと思います。
「欲望を持った動物」とひとを捉えている点で
ポンペイは見事だなあ、と感じるの。

ぼくの後年の人生に
すごいインパクトを与えた言葉があって、
経営のすごい上手なひとが言ったんですけど。
アメリカに開拓時代ってありましたよね?
開拓のときにひとが動いたのはゴールドが
あったからで、欲が人々の流通を支えたんです。
金が取れるからってみんながどっと動いた。
大移動ですよね。欲望が動かしたものだから
ほとんど古代史みたいなものなんですよ。
それで、ぼくに対して、
「誰がもうかったか糸井さん知ってますよね、
 金を一番掘ったひとじゃないんですよ。
 金を掘るひとにシャベルを売ったひとです。
 あるいは、宿屋をつくったひとですよ。
 もっと言うと、売春宿をつくったひとですよ」
そのかたはこんな風に言ったんです。
繁栄は金を掘ったひとがつくったんじゃなくて、
そのひとたちにものを売ったひとのものだって。
「だから糸井さんの考えてるように
 インターネットを一生懸命やるっていうのは
 すっごく『金を掘ってる』んですよ。
 だけど掘るなかで一番上手だったというだけで、
 ひとが2グラム探しているときに
 1トン探す力が糸井さんにはあるんだけど、
 ほんとうにもうかるのはそうじゃなくて
 シャベルを売って売春宿建てることなんです。
 そこは糸井さんは不得意なんですよ」
これはもう目から鱗でした。経営と技術は違う。
「糸井さんは金を掘ることを上手なんだから、
 その金を入れ歯にして売ったらどうですか?
 掘ったものを仕入れ屋に売らずに入れ歯にしたり、
 金で芸術的な彫刻をつくって売ったら、
 掘る喜びも開拓の喜びもアートの喜びもある」
そうも言われてもう参った。すっごいでしょ?
ぼくより年下のひとなんですけどね。

それきいて自分の得意なことは売春宿を
建てることではなかったんだなあとわかった。
ただぼくは「売春宿建てればよかった」に
あとで気づくことは気づくんで、
環境として把握しているデザインはつくれる。
そこに自分の道があるだろうと思いますね。
ぼくは何をやればいいのかっていうと、
みんなが混迷している時代の今に、
とりあえず掘ることが上手だと自分で
思うんだったら、まずは掘りますよ、と。
売春宿で女の子を面接するのを今はできないから、
まず自分のできることを見て、それをやって、
あとはリンクしていけばいいんじゃないかなあ。
しゃべり屋さんや酒屋とリンクしたり……。
そうすると全部の仕事にそれが言えると思う。

ポンペイ展では「金」の純度を高められたし
きれいに展示会として精製することもできた。
でも、そこにひとを集められるかっていうと、
結局噂も立てられなかった……。
それに比べてぼくはわかってたのですが、でも
ポンペイから出発して掘ることはできなかった。
だからやっぱりここからはリンクだなあ、と思う。
おもしろいですよね。事業の話でもあるし
文明史の話でもあるし、政治の話でもある。

さきほどの、国境・宗教・民族の
3つの大きなハンディキャップが
あるときに政治家が進化するというところと、
それに併せて奴隷についての考えかたを
今簡単にレクチャーしてくださいますか?
青柳 まず政治についてですけど、
地中海世界というのはギリシャの頃から、
例えばフェニキアやカルタゴなんかと
しょっちゅうすごい戦争をしてたんです。

あの周辺に住んでいたのは約4〜5000万の人口。
周辺で取れる総農産物を4〜5000万で割ると
どうにか生きていけるんですが、余剰農産物を
つくれる場所と地味がよくないところがあるので、
どうしても食料の奪い合戦になるんです。
それが戦争の原因なんですね。
ローマは最初のうちには食料の争奪戦に
参加するわけですけども、徐々に、
大きな国にして足りないところには
あるところから持ってくればいいじゃないか、
というようになってくるんです。
それが、パックスロマーナですね。
パックスロマーナつくるのに約100年くらいで、
それまでに内戦もありいろいろあるんですけど、
ローマの政治家はまず民族問題について考えた。

民族の違いというのは切り抜けられないから、
そいつらには外人だろうが、少なくとも
社会的な権利として平等をあげたんです。
宗教に関してもキリスト教あるいはユダヤ教が
まず存在していて、ちょうどポンペイの火山が
爆発するときに活躍したひとは、そこをいかに
抑えつけることをして皇帝になるんですけど、
トップクラスの人間が怖い宗教に対峙している。

国境をローマのように広めると
国境防備という問題が出てくるんです。
ライン川周辺にはゲルマン人という
とんでもなく強いひとたちがいるのだし、
国境をどう維持するかは大変な課題なわけです。
それで有名なハドリアヌスの長城をつくるけど、
これは万里の長城に比べたらちゃちなもんです。
だからあれは防備じゃなくてむしろ信号的で、
ここから先は私たちも行かないから、逆に
あなたたちも来ないでね、というものなんです。
糸井 約束なんですね。
青柳 約束の線なんですよ。軍事的防衛をしない。
だけどそれで苦労してもいるんです。
そういうところでやっていたからこそ、
ローマは世界に冠たる政治家を輩出してきた。
政治家の動きの情報が、地方都市に
とんでもないスピードで流れていく。
その延長で町長さんになろうというひとたちも
政治レベルが高くて政治的な決断にまちがわない。
これは繁栄のひとつの理由でもあります。
糸井 政治をおこなうための思想的基盤や
憲法的基盤は、どういうものだったのですか?
青柳 いろいろあります。
例えばもうそれこそギリシャの時代の
プラトンなどが共和国論の指針を出しています。
それはもうギリシャのギリシャたるゆえんで、
素晴らしい理念はあるだろうけど応用がないから、
使いようのないほどに粗いものなんです。
ギリシャ人たちはそのまま使おうとするから
がたがたになっちゃったのですが、
ローマ人たちはそれをうまいこと翻訳して使う。
糸井 カスタマイズするわけですね。
青柳 ギリシア人たちは
理念をちゃんとわかっていたし、
現実を分析してはいたのですが。
ローマではそれをどう適応するかということを、
キケロにしてもさまざまに考察して
それを皇帝たちがうまく活用していくわけです。
皇帝たちのまわりに知恵をつけるシンクタンクが
ちゃんと存在してるんです。シンクタンク内には
ギリシャ系の解放奴隷という当時で言うと
最高の知識人たちも入っていました。
糸井 今で言うとシンクタンクって
どのようなジャンルのものなんですか?
青柳 やっぱり一番活躍したのはおそらく
経済面の若いひとたちでしょうね。
糸井 エコノミストですか。
青柳 そうです。あとはギリシャの残した文化を
易しい言葉で皇帝たちに教えられるひとです。
糸井 情報的な、メディア戦略家ですね。
青柳 当時、ギリシャ語は国際語だったんですね。
だからギリシャ語を知る解放奴隷たちはまさに
情報の仲介者であって、そういうひとたちを
当時の皇帝はちゃんとうしろに持っていたんです。
しかも解放奴隷としての身分が明確なので、
その知識人たちはそれ以上の身分になって
皇帝を脅かすような出世をすることはできない。
騎士階級にも元老院にも上がれないんです。
だから皇帝も安心してそばにおいておける。
糸井 奴隷から最高でどこまで行けるんですか?
青柳 最高になると今で言う大蔵大臣くらいです。
だけど大蔵大臣から首相にはなれないんです。
糸井 当時のひとって現世的な富を
蓄積することはできたのですか?
青柳 はい。
国の富よりも
個人の持つ富のほうが
多い、なんて噂話もあったくらいですから。
だからある意味でとてもいい政治環境があった。
政治の天才がでるのはだからなのでしょう。
糸井 答えられないといけないような
問題の出されかただったんですね。
青柳 常に決断を迫られていましたね。
糸井 構造的に肥沃な大地があって商業はまかなえる。
貿易がある。それに経済を支えていた奴隷という
大きな階級、このあたりが生産力の源ですよね。
その人口配分はどういうものだったんですか?
青柳 ポンペイで1万5000人という総人口だとすると、
おそらく4〜5000人は固かったでしょうね。
糸井 3分の1。
青柳 そういうひとたちに労働のインセンティブを
どうやって与えるかがポイントなんですよね。
そのためには、奴隷に出世の飴を与える。
そして、奴隷の所有者であったとしても
理由なく殴ったり殺したりしてはいけない
といった法律がきちんと存在していたんですね。
糸井 奴隷は所有をされはするものの、
大事な生産力であり生きものだと。
経済現地からそうとらえられていたのですか?
それとも倫理原理から来るものなのでしょうか。
青柳 古代人というのは神さまに敬虔であると同時に
他方では我々からは想像できないくらいの
違う意味での残虐さを持っていたのですから、
もともとは経済原理からだと思いますね。
経済原理内でのよさが証明されていくので
社会的な倫理観のなかに組みこんだ、と。
糸井 思えば、他の倫理もみんな
そういうものなのかもしれないですね。
青柳 そうなんですよ。だいたいのことは。
例えば紀元後1世紀のはじめごろまでは
外で侵略戦争をしかければ、そこで捕虜たちを
がばっと連れて来ることができたんですね。
だけどそのうちに、もう国が広がっちゃったので
そういうことができなくなっちゃったんですよね。
すると国の中にいる奴隷に子供を産んでもらって
奴隷の再生産をやってもらわなければならない。
そこで「子供を産んだほうが得だよ」という
インセンティブを与えないといけなくなります。
その奴隷たちはかつかつのお金で生きのびれるし、
子供を産んで育てることはできるのですが、
でも財産はない、そういうシステムでしたね。
糸井 それはもう見事に「現代」ですね。
ハリウッドの左翼的な考えで撮った古代の映画は
やまほどあるんですけど、アメとムチで言うと、
ムチだけで奴隷制度が補われていたと
信じこんでますよね。あれを変えたいですよね。
青柳 そうですね。無理なシステムだったら
そんなに長く継続しないんですよね。
糸井 非常にフィルターのかかった左翼思想で
歴史が伝えられてきたというのがあったので、
「人間を牛馬のごとく使う時代が長かった」
という認識を変えさせるというのは、
ほんとにむつかしいものですよね。
青柳 だからおそらく為政者としてはその国民に
たくさん収入を与えるかわりに義務も与えるか、
あるいは収入も義務も少しずつにするか、の
どっちかだと思うんですね。
奴隷は少し与えて少ししかとらない、
そういうシステムだったんじゃないかなあ。
糸井 今、日本なんかだと妻帯者の「妻」で
婦人労働をおぎなったりさせていますよね。
今後60万人の労働者が足りなくなるそうですね。
青柳 大問題です。まだ深刻化していないけど
せまっているという、大変な問題ですよね。
糸井 労働力が足りなくなると、
子孫にお金を残せるかもしれないひとの
労働時間が倍になったりするわけですよね。
働き手はもう休めなくなってしまった。
アメリカ映画を観てるようになってきている。
このシステムが最高でないことは確かですよね。
青柳 アメリカでも10年以上も前ですけど
性差をはじめいろいろな差別を撤廃させて、
労働者を年齢で区別してはいけなくした。
表面的にはかっこいいんですけど、
これはむしろ良質的な労働者というのは
社会的に使い尽くそう、ということですよね。
糸井 エチカとして語られていることって
実はエコノミーなんだっていうのを、
もう冷厳に受け止める必要があると思うんです。
青柳 いい経済システムをエチカのほうに
昇華していくことこそすべきでしょうね。
糸井 これは粗末な言いかたをすると
ほんとうにひとに怒られますからね。
鬼って言われますからね(笑)。
そろそろ時間も限られてきちゃったんですけど、
青柳先生の「現代を知る」っていう動機から
ポンペイをやってきたなかで言うと、
この先の学問的な野心というようなものは
どんなところに結びついているんですか?
青柳 今一番やらなきゃいけないことは……。
われわれは学者として「研究をやれ」と
世間や学会から要求されてはいますが、
研究者集団って30〜40人だけなんですよね。

今まではその部分に7〜8割のエネルギーを
注いでましたが、それを2〜3割にして、
今度はむしろそれまでに時間を割いてきて
自分なりに理解できたもののレンジを
広げるあたりに力を注ぎこんでいきたいなあと。

そうすれば研究することへの世間一般からの
サポートも、もう少し強固になるんじゃないかな。
そうすると同業者の若いひとたちが
もっとしっかり研究できるような、
いい世代交代になっていくような気がします。
糸井 知と富のシェアですね。
青柳 そうです、シェアです。

学問ひとつにしても国からお金をもらっている。
でも国だけに向いていればいいかというと違う、
そのあたりで多様なひとのサポートを受けないと
結局尻すぼみになってしまうような気がします。

(アーカイブ発掘企画は、今回でおわりです。
 読んでくださり、ありがとうございました。
 また、こういう
 「今、再び読むことに価値のある企画」
 を、おとどけできればいいなぁと思います)


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「『ポンペイに学べ』ダイジェスト版」
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2004-10-19  第2回 豊かさとはなんだろう?

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2004-10-20-WED


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ポンペイに学べ - 青柳正規教授と、鼠穴で対談しました。」
(2000年2月1日〜2001年10月25日)

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