「将棋について思うことを書いてみませんか?」
そんな連絡があったのは、
「ほぼ日の塾」の第3期が終わって、
少し経った6月の終わり頃。
中学生棋士・藤井聡太四段の連勝記録が、
連日ニュース番組で報道されていた時期でした。
たまたま将棋に関わる仕事をしている僕は、
いま、おそらく将棋ブームの真っ只中にいます。
この盛り上がりの中で感じたことを書くのは
たしかにおもしろそうです。
いろいろなことがつながって、
よくわからないままにここにいる僕ですが、
どうぞ、よろしくお願いします。
ほぼ日の塾、第3期生の松谷一慶です。
製薬会社を退職後、3年間の世界一周を挟んで、
今は将棋に関わる仕事をしています。
自然と音楽とお酒と言葉とトライアスロンと
晴れの日と蝶ネクタイとバンジージャンプと
甘いものとキリンと祭とぶり大根が好きです。
将棋は運の要素がほとんどないゲームで、
棋力の差がそのまま、勝ち負けの結果としてあらわれます。
そのため、勝ったり負けたりの緊張感を楽しむには、
なるべく棋力の近い相手と対局する必要があります。
「将棋ウォーズ」という将棋の対局アプリでは
過去の対局結果から自分の棋力が級位や段位で認定され、
オンラインで対局相手を探すときに、
同じくらいの級位の相手とマッチングされるので、
いつもギリギリの白熱した勝負になるのですが、
対局相手として自分より明らかに強い相手がでてくると、
驚くほどあっさりと負けてしまいます。
棋力で劣っているので、
負けること自体はそんなに不思議ではないのですが、
それ以上の差がついてしまっているように感じ、
不思議に思っていました。
今年の1月、abemaTVの将棋チャンネルで放送された
「藤井聡太炎の七番勝負」の収録に立ち会うことがあり、
そこではじめて藤井四段に出会いました。
七番勝負のうちの第4局目、中村太地六段戦の撮影を
待合室のモニターで見ていたのですが、
その時の棋士の先生たちの
モニターを見る目つきや興奮した話し方から、
将棋の内容が深くは理解できない僕にも、
そこに映る中学生がただ者ではないことはわかりました。
何人かの棋士が意見を出しあって、
次はこの手がよさそうだと結論づけた一手を
少しするとモニターの向こう側の少年が指し、
控え室に感嘆の声が漏れる、
ということが繰り返され、そのたびに
部屋の温度があがっていくのを感じていました。
対局が終わり、収録室から出てきた藤井四段は
熱戦を制した後とは思えないほど飄々としており、
その場にいた棋士の先生に挨拶をして、
すぐに控え室へと戻って行きました。
自分が生み出した控え室の興奮には
全く気がつかないような足取りで歩くその後ろ姿からは、
最善を尽くして勝っただけで
それは特別のことではない、というようなかっこよさが
溢れているように見えました。
棋士の先生と藤井四段のすごさについての話をするとき
棋力とともに話題にあがるのが、その「気負わなさ」です。
対局相手が誰であっても、
臆することなく、いつも通りの将棋を指すことができる、
それをデビューしたての中学生がやってのける、その凄さ。
「藤井聡太炎の七番勝負」の最終局の相手は、
藤井四段が「奨励会時代はただ遠い存在として憧れていた」
と話す、羽生善治棋聖でした。
そんな憧れの棋士を前にしても
藤井四段は王者の空気に飲まれることはなく、勝ちきります。
後のインタビューでも
「萎縮してしまうことはなかった」と答えており、
それは勝負事に向き合う姿勢として、
理想的な姿であるような気がしました。
人と人との勝負が面白いのは、その場の空気や心理状況など、
いろいろな外部の要因が影響するところだと思います。
だからこそ、いかにそれらに左右されないか
ということが大切で、
「どうせ勝てないんだろうな」と思うことは、
一番の勝てない要因になるのかもしれません。
この先、たとえ将棋アプリの対戦であっても、
格上の相手と対局するときは、
藤井四段のような余裕と、
その余裕を持てるだけの自信を持つこと、
そしてその自信を持てるだけの努力をすることが
必要なんだろうなと思いました。
(つづく)
2017-10-21-SAT