YAMADA
天童荒太さんの見た光。
対話するように書いた物語。
ベストセラー小説『永遠の仔』大反響の中で倒れてしまい、
まったく起きあがれないほど、疲弊してしまった天童さん。
再起のきっかけは、対話するように物語を書くことだった?

五か月連続刊行の『家族狩り』(新潮文庫)が大人気の中、
執筆を通して見つめた風景を、静かに語ってもらいました。
見ないようにすると、絶望は、人をもっと苦しめてしまう。
解決策が見えなさそうな問題に向きあうって、どんなこと?

第1部
「幻世の祈り」
第2部
「遭難者の夢」
第3部
「贈られた手」
第4部
「巡礼者たち」
第5部
「まだ遠い光」

『家族狩り』はこの5月下旬に完結を迎えた5部作です。
天童さんの言葉への反応は、件名を「天童さん」と書いて
postman@1101.com に、対話するようにお送りください!
インタビュアーは「ほぼ日」の木村俊介でおとどけします。

23
失うということ・書くということ


※最終回は、これまでの内容を
総決算するような質問に、
天童さんが正面から応えてくれています。

インタビューの内容は、
ご本人にチェックをしてもらうのですが、
その最後に、「ほぼ日」読者のみなさんに、
メッセージをいただいておりました。
それを、まずは、お伝えしておきますね。

「まだまだ話していないことは多くありますけど、
 これまでは誤解を恐れて、プライベートなことは
 ほとんど話さずにきた自分としては、
 よく話したほうだと思います。
 『ほぼ日刊イトイ新聞』さんに
 乗せられたこともあるし、どれだけ長くなっても、
 ぼく自身の言葉で話しつづけることを
 許してもらえた編集方針に甘えもしました。
 みなさんもさぞ読みつかれたことでしょう。
 長々おつきあいいただき、ありがとうございました。
 では、いずれまた次の作品で」

こうおっしゃる天童さんにとって、
核になっている実体験とは、どういうものか──?
静かに、じっくり、語っていただきました。

ほぼ日 天童さんが小説を書いてきた
十数年間のなかで、
実際の家族との関係も
変化していったのではないかと
想像するのですが、
資料にあたるというものではなく、
実生活が作品に
大きく影響を与えたというときは
ありますか?
天童 やっぱり、実生活も、
かなり影響しているとは思います。

短い時間では
うまく話せないんですけど、
小説の中に
自分の実体験はとてもたくさん入ってます。

子どもの頃のことから最近のことまで、
ある意味、私小説だと言えるくらいに
入っていたりもします。

ぼくの祖母は
五年間寝たきりで、
うちは裕福ではなかったので、
ぼくはその祖母と
12歳からの思春期、
同じ部屋で暮らしてました。

母が祖母のおむつを替えるときの
音も臭いも記憶に残っている。
家族はつねに
いい時間をもてるわけではないと、
当時から理解していました。

祖母にやさしくしたい気持ちと、
うとましく思う気持ちの揺れが、
罪悪感へと結びついて、
自分を責めもしました。
そうしたことは
小説内の人物の心情に反映されてますね。

二八歳のときに、
親友が亡くなっているんですよ。
いわゆる突然死なんですけど、
そいつとは兄弟以上に親しかったんです。

趣味も興味も価値観もほぼ同じで、
ジョバンニとカンパネルラのような感じで、
この先ずっと一緒に
やっていこうと思っていたんです。
でも、それがほんとに突然死んでしまいました。

彼は宮崎出身で、
東京にひとりで出てきているから、
倒れたときには
ご両親からぼくに電話がきて、
病院にいちばんにかけつけたんですよ。

くわしく話す場所でもないので、
ちょっと省かせてもらいますけど、
ともかくこちらからすれば、
「いきなり親友が死んでしまった」
というショックが非常に大きいのに、
やっぱり病院側や救急隊側からすれば、
日常の業務の一つに過ぎないんでしょうね。
いわゆる「冷たくみえる」ような
職業的対応をするわけです。

霊安室まで行って、
いちばん最初に彼に対面する。

救急隊側からは
事件性がないか、
いろいろ質問されつづける。

こっちはまだ信じられない、
ショック状態にあるのに、
彼のことをきちんと確認することさえ
許されない時間がしばらくありました。

ようやく周りから人がいなくなって、
彼の顔にもはじめてちゃんとふれられた。

でも信じられない、信じたくない。

ヒゲの感触は豊かにある、
でも肌は冷たい……。

近しい人の死は当時、
祖母につづいて二人目でしたけど、
祖母の場合は寝たきりが五年で、
ずっとそばにもいましたからね。

東京にいる他の友人や知り合いが来るまで、
狭い霊安室でじーっと待ちながら、
彼に話しかけたり、
なんでこんなことになったのかと茫然としたり、
天を呪ったり。ときには彼に怒ったり……。

そいつとふたりで、
じーっと待つ体験をしたことは、
大きかったですね。

親友の死によって、彼のご両親とも
おつきあいがはじまるんですけど、
『永遠の仔』を書いている最中に、
その親友のお父さんが
病気で亡くなられたんです。
ぼくは「お父さん、お父さん」と呼んで
何回も親友の故郷のほうへも
行ったりしていたけど、今度は、
残された親友のお母さんが、ひとりになられて、
失われた息子と、夫のことを想いながら
生活していくことになったわけですね。

ぼくなんかが
死んだ親友の代わりになれるわけがない。
誰にだって死んだ者の代わりはできない。
でも、気持ちとしては
そのお母さんの側に
立つわけじゃないですか。

ぼくは親友と、親友の父を亡くし、
お母さんは息子と夫を亡くした。
その重みを比較するのじゃなく、
立場によって違うはずの
悲しみの深さを思いやる……
それによって見えてくるものって、
やっぱり、あるわけです。

夫に先立たれた自分自身の母親や、
残された親友のお母さんの悲しみも
身近に引き受けて見ていたことが、
たとえば『永遠の仔』には
確実に反映されていたと思います。

『永遠の仔』の執筆中には、やはりずっと
大事に想ってきた祖父が亡くなり、
でも、傷ついている子どもたちの心を
生きている時間のなかに
浸りきっていた頃で、
葬式にさえ行けなかった。
こうしたことも影響しているように感じます。

読者のなかには、やはり大切な人を
失っている人が少なからずいて、
敏感に感じ取られたのか、
人を喪失することへの共通する想いを、
作品に読んだという反響を
いただいてもいます。

『永遠の仔』に対する声を受けとめた後には、
大切な人を亡くしたり、
大切な心をつぶされたりした人々の存在が、
さらにぼくの中に
生きはじめることになりました。

被害者とか
大事なものを喪失した人の立場から
ものを見る視点は、
実生活と作品と、両方によって、
与えられたものなんだと思います。
ほぼ日 『永遠の仔』も、『家族狩り』と同じく、
時間のかかった作品だと思いますが、
どんなことを考えて書いていたのかを、
ふりかえって、教えていただけますか?
天童 『永遠の仔』の人物たち、
また彼女らをとりまく
社会の様々なつらい出来事を、
ひとつの現実として書き続ける過程は、
やっぱり、キツかったです。

傷ついた子どもたちの人生を
生きなければならなかったので、まず、
自分が、笑えなくなっちゃうんですよね。

書いていた三年間は、
登場人物になりきっていると、
どこへも行きたくなかった。

ことに最後の一年は
まったく外に出たくなくなったんです。
たとえば登場人物の誰かが幸せだったら、
その誰かになったときは
外に出かけられたのかもしれないけど、
主人公の三人ともが
虐待を受けていましたから──
内輪の話になっちゃうけど、
いとこの結婚式に
仲のよい親戚が呼んでくれたんだけど、
もう、どうしても行けなかった。

からだが動かないし、
心が拒否しちゃってたんです。
晴れやかな場所に、
優希をはじめジラフ、モウルといった
登場人物のあの子たちは行けないんだから。

そこで「おめでとう」とか言うことが
とてもできない状況に、
ぼく自身がなってしまったんです。

出るのがイヤだし、
人前に出てもひどく暗い顔をしているし、
ということが続いた時期だったですね。

あえてこんなことを話すのも、つまりは、
虐待経験のある人たちの日常の現実も
そうしたものかもしれないと、
一般の人たちに理解してもらいたいから
です。

忘れることなんてできないし、
毎日毎日がつらい。
心の底から
笑うなんてことはできないのはもちろん、
心の底から泣くことさえできない。

自分の感情を
コントロールできているつもりでも、
実はできていない。
だから周りから忠告されても
責められているように聞こえるし、
励ましも警戒して
素直にきけなかったりする。

そのくせ、なんでもないことで
うれしくなったり、
苛立ったりすることもあって、
周りからは付き合いにくいと
見られてたかもしれない。

もちろんすべての人に
あてはまることでもないとは思います。
傷の程度や、そのときの状況、
その後の支えてくれた人の有無で、
変わってくるはずです。

ただ一般の人に、
こういうことが起きる
可能性があることなんだと、
一つの例として、
知っていただけたらと思うんです。

日常生活だけで言えば、そういうことは、
ほんとにキツイ体験でした。

だけど、作家としては、登場人物が
のりうつったような体験をすることで
「こんなことも書けるんだ」
「こんなことも思うんだ」
というのがありましたから、
新発見はいくつもあったんです。

表現の面では、
ワクワクすることが続いたし、
それまで自分ができなかったような
表現ができたので、
そこはすごくおもしろかったんですけど。

ほんとうは、傷ついた子どもたちが
心情を吐露している場面は、
あまりたくさん続けると
作品が壊れてしまうし
読者もキツイだろうから、
ある程度カットはしているし、
整理していかなきゃいけなかったのですが
「こんな魂の叫びみたいなものが
 せっかく出てきたのに、
 カットしなきゃいけないのかよ?」
と思うことはよくありました。

児童虐待について
書きだした頃というのは、
ぼく自身の問題意識も、一般的に人が思う
「ひでぇことだなぁ」というくらいの
感想から、はじまったわけです。

「そういうことをされた人たちが
 成長したら、何が起きるのだろう?」

それが、最初の
シンプルな問いかけだったと思うんです。

ところが、児童虐待を
本気で勉強していくうちに、いかに
虐待が人間のなりたちに関わる問題なのか、
そしていかに、それが
社会の根底と関係してくるのかというところに、
どんどん考えが拡がっていったんです。
「虐待をした・された」という問題だけでは、
止まらなくなってしまったんです。

ある面で言えば、誰しもが虐待されていて、
それは程度の問題なのかもしれないと
思うようにもなりました。
まったくストレスなく
子どもが育つことなんて、
ありえないですからね。

「しかられたことで
 モノを覚えていくわけだから、
 それを虐待と呼ぶのはおかしい」

例えばそんなふうにつきつめていくと、
どこを虐待というのかがわからなくなるでしょ。

ある程度の虐待のレベルについては、
誰しもが、家族から、大人から、友人から、
そして社会全体から、
多少は受けているんだということに
気づきはじめました。

暴力のレベルの問題、
言葉の持っている力──
傷つけもすれば支えもする力、
越えてはならない一線を、
人はいかに守り、破ったとき
相手をどれだけ深く痛めつけるか……。

こうしたことは
児童虐待だけの問題でなく、
社会や世界の構造に
深く関係づけられることなんだということも
見えてきて、そう考えていくと、
人という存在が
生まれて死んでいくという歴史の連鎖や、
関わってゆく社会との相互の影響など、
この世界の成りたちみたいなものが、
サーッと霧が開くように見えてきたわけです。

「ヒットラーも幼い頃に虐待されていた」
という説があったり、
「ドイツでは国民全体が
 きびしくしつけを受ける秩序があったから、
 父権を強く押し出す人間の主張に弱かった」
という意見もある。
一家庭の個人の問題が、
世界の大きな悲劇とつながっている場合があり、
社会や国の風潮が一家庭の個人を追いつめ、
さらには民族を、世界を
追いつめる可能性があるということです。

家族とは何かと問うていくと、
社会ってなんだろう? 世界ってなんだろう?
それが見えてくるんです。

傷つけられた者たちや、
大切なものを失った者たちの側から見ることで、
社会や世界の隠されていた姿も
見えてくるという段階が、
『永遠の仔』に向けて勉強していくなかでは、
すごく大きかったんです。
湧いてくるような実感がありました。
いわゆる被害者側から見はじめると、
社会や世界が違って見えてくるということが
はっきりわかった時期でしたね。

やられた側、
失った側の視点を手に入れることで、
ぼくは『永遠の仔』も、
今回の新『家族狩り・五部作』も
書けたわけですし、
だから多くの人の心にも
届いたんじゃないかと思っています。
それ以後のぼくのなかでは、
こうした被害者、喪失者側の視点というのは
はずせないものになっていますから。

実は今回も執筆中に、
親しくしていた年上の友人を亡くしたんです。
十五年くらい前に知り合い、
素顔のぼくを正当に評価してくれてた。
もう彼にほめられることも、叱られることも、
からかわれることもないと思うと、
寂しくてなりません。
彼の死も、直接どこということではなく、
作品に影を落としていると思います。

新潮社のテレホンサービスで、
叔父が若い頃に自分で死を選んだことを
話しました。
彼のことをくわしく知ったのは、
『永遠の仔』の発表後だし、
彼の存在がぼくの人生に
影響を与えたということはなかったけれど、
今回の作品においては、
その死と、彼をいまも想いつづけている
彼の兄妹、
つまり、ほかの叔父・叔母の感情は、
作品に影響しています。

だからぼくは、自分の体験や記憶、
生きている人たちだけでなく、
亡くなった人、
その遺族たちによっても支えられ、
作品をはぐくんでいる。
これにいまは読者の存在も
加わっているわけです。

今後どういった作品を書くか、
自分でもわからないというか、
あえて決めずにおいて、
全身全霊でいま必要とされる物語を感じ取り、
書いてゆこうと考えています。
でも根底の姿勢というか、あり方は、
いま申しあげたようなかたちを
取りつづけるでしょう。

※新『家族狩り』にまつわるインタビューは、
 今回で、いったん、終わることになります。
 長いあいだ、おたのしみいただいたみなさま、
 ほんとうに、どうもありがとうございました。


 あなたは、天童さんの話を聞いて、
 どんなことを思いましたか?
 いま、家族について、どう思っていますか?
 一連のロングインタビューを読んだ感想などを、
 もしも、できたら、
 postman@1101.com
 こちらまで、件名を「天童さん」として
 お送りくださると、非常にうれしく思います。
 すべて、じっくり拝読し、
 参考にさせていただきますので……。






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「天童荒太さんの見た光。」 これまでのタイトル
2004-04-15 第1回 生きるに値するという出発点
2004-04-16 第2回 世界をギリギリで肯定すること
2004-04-19 第3回 人はごまかせても、自分はごまかせない
2004-04-20 第4回 無関心は、自分自身に跳ねかえる
2004-04-21 第5回 読んでもらうためには、どうするか?
2004-04-22 第6回 シンプルに書くことはむずかしい
2004-04-23 第7回 少年時代
2004-04-26 第8回 映画の世界を目指しはじめた頃
2004-05-07 第9回 「若気の至り」が育ててくれた
2004-05-10 第10回 遠まわりの中で、つかんだこと
2004-05-11 第11回 目標はあるけど、どうすればいいんだ
2004-05-12 第12回 こんなことがやりたくて
    十代の頃から頑張ってきたのか?
2004-05-13 第13回 感情を書けることが、うれしかった
2004-05-14 第14回 もう、生活できないかもしれない?
2004-05-17 第15回 小説家で食べていく決心
2004-06-16 第16回 読者に矢を放つ前にやるべきこと
2004-06-17 第17回 その行動は誰のためになるのか
2004-06-18 第18回 小説は「作者の才能」を超えてゆく
2004-06-21 第19回 作品を生みだすための生活設計とは
2004-06-22 第20回 おもしろさの基準がわかった瞬間
2004-06-28 第21回 この先、どうしていくんだろう?
2004-06-29 第22回 書き直しが成長させてくれた

このページへの激励や感想などは、
メールの表題に「天童さん」と書いて、
postman@1101.comに送ってくださいね!

2004-06-30-WED

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