糸井 |
掛園さんは、いつから気仙沼に?
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掛園 |
学生アルバイトから
朝日新聞に入社したんですけれど、
振り出しは長崎でした。
そのあと、鹿児島県の指宿(いぶすき)、
韓国との境目の対馬を経て
佐賀支局、
現在の鹿児島県の薩摩川内市、
山口県の岩国、福岡、東京、札幌、
長野県の上田、
そして青森県の八戸のあとに、気仙沼。
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糸井 |
はー‥‥。
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掛園 |
もう、2年半になります。
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糸井 |
そういう人生って、想像してました?
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掛園 |
いやぁ、どうでしょう(笑)。
ただ、子どもたちには、かわいそうな思いを
させてるなと思ってました。
友だちができたとたんに、転勤なので‥‥。
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糸井 |
そうですよね。
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掛園 |
ところが、住みついてから2〜3年経つと
「お父さん、次どこ行くの?」って。
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糸井 |
楽しみにしてたんだ(笑)。
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掛園 |
結局、ホテルマンになりました。
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糸井 |
「旅人のお世話をする人」になったんですね。
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掛園 |
‥‥そうですね、いわれてみれば。
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糸井 |
地震の前の気仙沼って、
どんなところだったんですか?
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掛園 |
水産都市であり、遠洋漁業基地でもある。
やはり「海」が魅力の町です。
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糸井 |
そうですか。
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掛園 |
わたし、個人的にも
すごく「船」に興味があるんですね。
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糸井 |
ほう。
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掛園 |
船って、捕る魚によって形が違うんですけど、
「あっちはサンマ船だ、
こっちはマグロ船だ」とわかるんです。
‥‥じまんじゃないんですけど(笑)。
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糸井 |
へぇー‥‥。
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掛園 |
九州では、底引き漁船とかカツオ船が
多いんですけど、
ここの港には、あらゆる船がある。
トロール船、マグロ船、カツオ船、
サンマ船、イカ釣り漁船‥‥。
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糸井 |
それだけ水産資源が豊かだってことですね。
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掛園 |
糸井さん、朝市場に行かれたことあります? |
糸井 |
いえ‥‥すごいんでしょうね、きっと。
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掛園 |
震災前には、メバチやキハダ、マグロ類‥‥、
大きな魚がずらーっと並んでいて。
そのとなりに、ヨシキリザメもいたり。
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糸井 |
ああ、フカヒレの。
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掛園 |
不思議なことに、
気仙沼ではサメを食べるという文化が
ないんです。
山陰なんかでは「ワニ料理」とか言って
食べるんですけど‥‥
ともかく、それはそれは「壮観」でした。
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糸井 |
見てみたいです。
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掛園 |
だからやっぱり、
気仙沼は「海」と「食」の町だと思います。
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糸井 |
震災前って、
町に「活気」じたいはあったんでしょうか?
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掛園 |
わたしがここに来たときには、
海の資源の問題で
相当な数の「減船」をやっていたので
元気なかったです。
今後、気仙沼の水産を
どうしていこうというような研究会まで
できていたくらいですから。
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糸井 |
もともと所得の高くない地域だったから
その状態に「復旧」してもダメだという意見を
よく聞くんですけど、
でも、気仙沼の人たちに会うたびに思うのは、
「すごい人たちがいるなぁ」いうこと。
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掛園 |
パワーありますでしょ。なにくそ、というね。
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糸井 |
来るたびに驚いてます。
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掛園 |
でもね、みなさん、震災直後のあいさつは
「ああー!
生きてたよかったぁー!」だったんです。
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糸井 |
そんなあいさつ‥‥ないですよね。
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掛園 |
そう言って、抱き合うんです。
わたしも、何人と抱き合ったかわからない。
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糸井 |
「揺れた」ときは、何を?
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掛園 |
春に行われる予定だった統一地方選挙の
立候補予定者の説明会で、取材をしてました。
そしたら、グラグラっときて。
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糸井 |
ええ、ええ。
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掛園 |
地元の人たちが「この揺れは異常だ」と。
絶対に津波が来るはずだって
説明会を打ち切り、とにかく避難したんです。
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糸井 |
はい。
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掛園 |
わたしは、何がどんなことになっているのか
状況をつかみたいと思って、
市役所に向かったんです。海岸道路を、車で。
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糸井 |
‥‥「新聞記者」ですね。
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掛園 |
でも、途中で思い出したんですよ。
たまたま、1週間くらい前に
津波のことで
大学の先生にインタビューしてたことを。
その先生は
「道路は危ない、津波の通り道になる」
「車が渋滞して逃げ遅れる、
車を捨ててとにかく高台に逃げろ」
と言ってたんです。
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糸井 |
そのことを、思い出した。
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掛園 |
道路は、渋滞していませんでした。
でも、
その話を、急に思い出したんです。
すると、目の前に「魚市場」が見えました。
その建物の3階が
駐車場だったということを思い出して、
そのまま登っていったんです。
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糸井 |
たくさんの人が逃げた場所ですよね。
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掛園 |
そのときにはすでに大津波警報が出ていて
波の高さは「6メートル」の予想。
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糸井 |
でも、魚市場って海のすぐそばですよね?
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掛園 |
ええ、でも意外と人が多くて安心しました。
だから、
よそへ逃げようとは思わなかったです。
漁協のみなさんや
顔見知りの人たちもいて、話もできたし‥‥
ものすごく安心感がありました。
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糸井 |
そうでしたか。
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掛園 |
わたしは、そういう幸運がいくつか重なって
助かったと思っているんですが、
もうひとつの幸運が、
気仙沼の出入り口にある「大島」でした。
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糸井 |
みなさん、そうおっしゃいますね。
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掛園 |
大島が、防波堤になってくれた。
実際、気仙沼では、津波の高さが
「6メートルか7メートル」くらいでしたが
となりの南三陸町では、十数メートル。
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糸井 |
ええ‥‥。
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掛園 |
大島のみなさんには
まことに申しわけなく、気の毒なのですけど、
「大島に助けられた」んです。
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糸井 |
実際に見た「津波」って、どんなものでした?
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掛園 |
どの時点のことだったのか‥‥ふと海を見たら、
ものすごい速さで、
たくさんのゴミが湾の外に流れ出していました。
「これが津波の引き波かな」と思っていたら、
「パッ」と止まったんです。
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糸井 |
ええ、ええ。
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掛園 |
そのとき、海面はまったく滑らかな状態。
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糸井 |
‥‥はい。
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掛園 |
と、向こうから、その滑らかな海面の「上」を
大きな波が、
まるでガラス板の上に水を流したみたいに
サーッと来たんです。
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糸井 |
ええ‥‥ええ。
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掛園 |
湾の外側を見ると、白い泡が立っていて
その泡の後ろ側がせり上がって‥‥
なんというか「海が膨れて」いたんです。
その時点で「ああ、これが津波だ」と。
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糸井 |
やっと。
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掛園 |
誰かが「波が来るぞーっ!」と叫びました。
それでようやく「これが津波だ」と。
<つづきます> |