東北の仕事論。気仙沼 石渡商店 篇
「いま、気仙沼でお話をうかがうとしたら
 誰がいいと思う?」と
気仙沼に住む乗組員サユミに相談したら
「いまさらな気もするけど、
 石渡商店の石渡久師専務がいいと思う!」
と勢いよく言いました。
たしかに、これまで何度となく
「ほぼ日」にご登場いただいておりますが
「インタビュー」というかたちで
お話をうかがったことはありませんでした。
そういう意味で「いまさら」なんですが
いやいやこれが、おもしろかった。
気仙沼の「ふかひれ」と石渡商店の歴史。
斉吉商店、八木澤商店、
アンカーコーヒーと切磋琢磨するブランド
「madehni(までーに)」のこと。
そして何より、石渡専務の深い「サメ愛」‥‥。
全5回の連載で、おとどけします。
index
第1回 メガロドンの歯。
第2回 震災直後。
第3回 「ここは、宝の山だ」
第4回 最高のオイスターソース。
第5回 までーに。
セキュリテ被災地応援ファンドのこと
第1回 メガロドンの歯。
──
石渡さんといえば「ふかひれ」ですけど、
もうひとつ、
「夏になると、たまプラーザのお祭りに
 来てくれる人」
というイメージがあります。

以前、たまプラーザに住んでいたもので。
石渡
はい。毎年、行ってます(笑)。
──
気仙沼ホルモンや
気仙沼の焼きそばなどを販売されてますね。
石渡
ええ、石渡商店というより、
気仙沼のうまいものを食べてもらうために
みんなで車に鉄板積んで行ってます。

もうけは「プラマイゼロ」って感じですね。
──
なんか、楽しそうにやってますものね。
石渡
ええ、楽しいです。はい。
──
今年で震災からまる5年になりますが、
何かが変わってきている感じは、ありますか?
石渡
そうですね、周囲の状況もそうなんですけど、
こっちが変わろうとしてますよね。

震災後は、それこそ「包丁」から何から
すべてを流されて、
それを、みなさんからの義援金で
そろえさせていただくところからスタートでしたが、
いまは、自分たちのまわりのために
使えるようになっています。
たとえば、
気仙沼ホルモン同好会の移動費や出店費なども
「サメのグループで持ちますよ」とか。
──
あ、「サメのグループ」というのが(笑)。
石渡
あるんですよ。
──
サメについては、数年前に
気仙沼シャークミュージアムの監修もされている
仲谷一宏先生に
インタビューさせていただいたことがあるんです。

そのとき、サメって‥‥おもしろいな、と。
(仲谷一宏先生インタビュー
『鮫のおはなし。』はこちら。)
石渡
そうそう、おもしろいんですよ。
──
ものすごいデカい口の「メガマウス」とか、
東京湾の下の方にいる、ゴブリンみたいな‥‥。
石渡
ミツクリザメね。
──
その名前がスっと出るところがプロですね。

なにしろ、石渡さんは
「ほぼ日手帳」に「ホオジロザメの歯」を
忍ばせてる人ですから。
石渡
いやいや(笑)‥‥今も忍ばせていますが。
──
気仙沼って、昔からサメで有名なんですか。
石渡
ええ、このあたりでは「アブラツノザメ」が
たくさん捕れたんです。

カマボコ発祥の地のひとつとも言われてます。
小田原と気仙沼、
同じくらいの時期に始まってるそうなんです。
──
ふかひれという食材も、
昔から食べられてきたものなんですか。
石渡
ええ。江戸時代には、長崎の出島から
「俵物三品」として中国に輸出していました。
──
タワラモノ、サンピン。
石渡
俵に詰めて、金・銀・銅の代わりに、
貿易の手段として使われていた品物で、
三品の内訳は、
イリナマコ・干しアワビ・ふかひれ。
──
石渡商店さんの「ふかひれの姿煮」を
いただいたことありますけど、
のどに絡みつくほどねっとりしていて、
ちょっと、すごいなと思いました。
石渡
最大限、コラーゲンを残してというのが、
うちの特徴なので。
──
石渡商店さんの歴史は、
いつごろから、始まってるんですか。
石渡
昭和34年です。

私の祖父は神奈川の川崎出身で、
大手食品会社の研究員をしていたんですが、
視察で気仙沼に来たとき、
市場にサメがバーッと並んでいる光景とともに
傍らに捨てられている
「ふかひれの部位」を見たんです。
──
そのときには、まだ商品価値はなかった?
石渡
当時の気仙沼では、まだ、ありませんでした。

腹ビレ、尻ビレ、第2背ビレ、小さいヒレ。
祖父は、それらに目をつけて、
最初のうちは拾って商売を始めたそうです。
──
じゃ、川崎から移住されたんですか?
石渡
そう、「気仙沼は宝の山だぞ」って言って。

昭和30年代ですから
当然インターネットなんて便利なものはなく、
「気仙沼にふかひれがある」というのは
知る人ぞ知る、貴重な情報だったんでしょう。
──
初代のお名前は‥‥。
石渡
石渡正男、といいます。

うちの屋号は「竹印」というんですが、
気仙沼で最初に友だちになった人の屋号が
「松」と「梅」だったので
「じゃあ、おまえは竹印だ」ということで。
──
そんなわけで、石渡さんも
幼いころからサメが身近な存在だったと。
石渡
ええ、いつも目の前にありました。サメ。
──
好きですか、サメ。
石渡
好きですね、サメ。
──
食べる、ということ以外でも。
石渡
ええ、生態的にも
解明されていない部分がまだまだ多いので
知れば知るほど不思議で、飽きないです。
──
サメの本なども、読んだり。
石渡
読みます。そこは趣味みたいな感じで。

何でしょう、サメのことを
ぜんぶ丸ごと知っておきたいんですよ。
──
先ほども言いましたが、
石渡さんの「ほぼ日手帳」のポッケに
ホオジロサメの鋭い歯が
仕舞われているのみたときは
びっくりしつつ、笑ってしまいました。
石渡
あはは、そうですよね(笑)。
でも、ずっと入れてます。お守りなんです。
──
なにせ、ホオジロザメというと
映画『ジョーズ』のモデルになったサメで、
あらゆるサメの中でも
もっとも人間を襲う、凶暴なやつですから。
石渡
そういう意味では「メガロドンの歯」も
いいものがあれば手に入れたいんですけど。
──
‥‥メガロドンと言いますと、
「恐竜を食べていた」可能性も指摘される、
ホオジロザメの凶暴さと
ジンベエザメの巨大さとを併せ持っていた、
本気でおそろしすぎるやつ。
石渡
とっくの昔に絶滅していますが、
歯の化石が、海の底に落ちているんですよ。
──
ぼく、仲谷先生の函館のご自宅で
メガロドンの歯を見せていただきましたが
手のひらよりも大きくて、
真っ黒で、まるで怪獣のキバみたいでした。
これが「メガロドンの歯」だ!(仲谷一宏先生所蔵)
石渡
ネットオークションで探しているんですが、
なにしろ高いんです‥‥15万円とか。
──
はああ。
石渡
黒というか、よーく見ると
むらさき色のグラデーションになっていて、
これが‥‥うつくしいんです。
──
石渡さん、そんな、ウットリされて(笑)。
石渡
ともあれ、フォルム、色合い、質感、
パーフェクトなメガロドンの歯を探してます。
──
見つかることを祈ってます。
石渡
いつか自然に、自分の元に来るんじゃないか、
という気もするんですが‥‥。

スペイン、インドネシア、南アメリカ‥‥
世界中のどこを回っていても、
メガロドンの歯のことは
あたまの片隅に、ずーっと、あるくらいです。
──
でも、メガロドンの歯って、
「ほぼ日手帳」には絶対挟めないですよね。

もし手に入ったら、どこに飾るおつもりで?
石渡
やっぱり、ここですね。会社に飾りたいです。

スポットライトで上から照らして‥‥
あのうつくしい色を、毎日、堪能したいです。
──
まるで、アート作品のように。
石渡
新しいお客さんがいらしたときでも、
話のタネに、1時間くらいは語れますし。
──
そこまでいくとサメの歴史の講義ですね。
石渡
聞きたいかどうかわからないけど‥‥(笑)。

<続きます>
2016-02-19-FRI