糸井重里
・「昔はよかった」と人は考えやすい。
ぼくも人のうちの一人なので、つい考えたりもする。
思えば、よかったことがたくさんあったよなぁ、と。
それはそうなのかもしれないけれど、
その「昔はよかった」と言われる昔は、いまはない。
残っているものはあっても、いまはないのが昔である。
「よかった昔のようなもの」を、つくるしかない。
残っていたなにかにツギハギしたり温め直したりして、
「よかった昔のようなもの」をつくるのは、高く付く。
それでもあったほうがいいとみんなが決めたり、
ほしい人がたくさんいたら、
「昔のようなもの」はなんとかつくれたりもする。
「よかった」と人に言われるものがつくれるのは、
たいへんよろしいことではあると思う。
ただ、なんでも「昔はよかった」と思いすぎるのは、
「今」に期待がなさ過ぎなんじゃないのだろうか。
たしかに、毎日、ひっきりなしに、
うれしくない「今」のニュースが飛び込んでくる。
もっとわるくなる「今」についても、おおぜいが語る。
こんな非道い状況は、いまだかってないと言われるが、
よくよく考えてみれば、ぼくの知っているかぎり、
いつの時代も、ずっとそんなふうに言われてきた。
世界中の歴史の年表を引っ張り出してきても、
たぶん「今はとてもいいぞ」なんて時代はなさそうだ。
だから、つい、なんとか過ごしてこられた「昔」が
よかったと思われがちになるのだろう。
もちろんっ、じぶんのなかにもそういう気持ちはある。
でもなぁ、そういうことになるとさ、
最近生まればかりの子どもたちは、
いいことなしの「今」から、
悪くなるばかりの「未来」を生きることになるのか?
そういうことでもないような気もするんだよな。
現実にここにある「今」をよく見ながら、
この先の「未来」に希望が探せなきゃいけないよな。
けっこう「昔」からずっと生きてきた大人としてね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
雨や風暑さ寒さがしのげて腹が減らず明かりがある幸を。









