久米 |
田中さんが「ほぼ日」の
臨時編集長になるのって、いつですか? |
田中 |
12月30日です。もう、来週ですねぇ。
なんかこう、突然、
「一日編集長、どう?」
という話をいただきまして‥‥。
糸井さんのねらいとしては、
「無名のサラリーマンが、いきなり、
編集長として出て来るのがいいんだ」
っていう、いじられ役の設定でして(笑)。
そこで、ぼくの仕事の話なんかも、
あったほうがおもしろそうだということで、
こうして、久米さんたちと、
また、お話をさせていただくんですけれど。
糸井さんが言うには、
「田中さんは、感心するのがうまい。
もう、『感心力』の鬼だよ!」
ということだそうです。
今度、栗山英樹さんの野球の話が
おもしろいので、お話をうかがって
ぼくが感心しにいくというコーナーだとか、
そういうことをやろうとしていまして‥‥。 |
久米 |
あぁ、そういうこともやるんですか。
じゃ、ここでは、田中さんの仕事の側面が
なるべく、よく見えるように話しましょうか。 |
田中 |
おねがいします。
久米さんたちとお仕事をするようになった
きっかけは、98年にさかのぼるんですよね。
あの時というのは、一般的に、すごく不況が
実感されていたことをよく覚えています。
(※山一証券が潰れたり、
北海道の銀行が潰れたりしたのは97年)
その時、うちの会社の営業部長から、
来年のライオンさんのマーケティングテーマを
新商品発表会で出したいと‥‥。
「その時に何か発表できるテーマを、
キーワードのように提案できないだろうか?」
という話がぼくのところに来たんですね。
そこで、糸井さんのことを思ったんです。
その前年の97年に、ぼくはたまたま、
『もののけ姫』のビデオキャンペーンで
糸井さんとは印象に残るお仕事をしており、
ちょうどその98年の夏には、
「インターネットのホームページをはじめました」
というお知らせを糸井さんからいただいていたんです。
もしも、そのインターネットで
調査ができればおもしろいだろうなぁとふと思って、
相談させていただいたんですけれど‥‥。
それで、糸井さんと話した結果、
「ほぼ日マーケティング局」ができました。
いまでも、まだ、その時の調査が、
「ほぼ日」に残っているんじゃないかなぁ? |
ほぼ日 |
残っています。ここですね。
|
田中 |
ライオンさんは、不況にもとても強く、
2度のオイルショックの時も、
金額ベースで売り上げが落ちこむことはあっても、
数量ベースで落ちこむこむことはなかった、
という歴史があるんですね。
しかし、
今回の不況は、どうやら違うようだぞ、と。
数量ベースでも落ちこんでしまうかもしれない、
それは、いわゆるトイレタリー
(体を家庭を清潔に保つもの)製品の
業界全体として、その動向を見せているのでは‥‥?
という話だったんです。
そんな状況の中で、その時期の
マーケティングのテーマとして
何を見いだせるだろうかというお題だったんですよ。
それで、糸井さんと一緒に、
調査票というか質問項目を作る時に
話をしていたのは、
まず、もともと、
「生活必需品だから不況でもだいじょうぶ」
という考え方が、まちがっているのではないか、
という角度でのハナシでした。
実際に市場でトイレタリー製品の売り上げが
減っているということなら、
それは節約をされているはずですよね。
そこで、どういうふうに節約されているのかを、
ライオンという会社の色を出さないまま、
ニュートラルに調査をしよう、というのが、
あのアンケートだったのではないでしょうか。
そこで、「ほぼ日」で
「アルバイト募集」と告知させていただいたら、
すぐに、500名ほどの
アンケート参加のための応募がありまして、
今の「ほぼ日」なら、そんなに何ていうことのない
当然の数字なのかもしれませんけれども、
これは、今から3年前のハナシですから‥‥。
「ほぼ日」が立ちあがって、
半年経つか経たないかの時期です。
糸井さんも、「まさかこんなにくるなんて」と、
驚いていました。
「みんな、今まで受け取る側にいたけれど、
何かを、こっちにも伝えたかったのかなぁ。
きっと、やりとりを求めていたんだ」
そうおっしゃってました。
それまで、「ほぼ日」は、あまり
読者に問いかけるという企画を
やってこなかったんですけれど、
あれがきっかけになって、
ちょうどいいタイミングで、
「ほぼ日」にコール&レスポンス型の企画が
はじまりだした、という時期だったと思います。
そのアンケートの結果をまとめまして、
糸井さんと一緒に
ライオンさんにうかがってお話をしたのは、
「いま、トイレタリー製品というのは、
生活必需品ではなくて、
生活消耗品というものに、
なってきているんじゃないですか」
ということでした。
要るものだから、じゃなくて、
消耗してゆくものだから、
みんなが、よろこんで節約している。
台所用洗剤のかわりに、
スパゲティーの茹で汁を使っているだとか。
それは、もう、
「たのしみ」として、そうしているわけで。
トイレタリー商品に限らず、
まず全般的に節約を喜んでいるっていう結果が出て、
その中でも、調査の結果では、
必需品と言われているトイレタリーが
節約対象として、挙がっていたんです。
衝動買いやまとめ買いが減っている状況が
あきらかになってきて、家庭生活の中でも、
意識を持ってマネジメントをすることが
増えていきている‥‥主婦じたいの意識が、
いまは、変わってきているのではないでしょうか、
というお話を、したんですよ。 |
久米 |
そのへんがキーポイントで、
「消耗品こそ、好みや趣味、すなわち
自分自身を反映させたくなる嗜好品じゃないか」
という発想が、出てきたんですよね。 |
田中 |
「だったら、詰めかえのための容器を
立派にするみたいな考え方になるんじゃないか?」
「思いきり嗜好に肩入れするような商品開発が、
これからは、できたりするんじゃないか?」
そんな考えを、断片的にお話をしたんです。
当時の宣伝部長をはじめとしたみなさんに、
この調査の結果をお話してゆくと、
「これ、おもしろいから、社内で話をしてくれないか」
ということになっていったんです。
糸井さんとぼくとは
ライオン内の研究所にお話をしにいったり、
マーケティング本部の方々にお話をしたりで、
いろいろなところに、行きました。
その時は、商品開発というかたちは
まったく、とっていなかったんです。
|
田中 |
ただ、調査結果がひととおり出た
98年の年末ごろ、
糸井さんから急にメールが届いたんです。
「あのさー、商品をひとつ、思いついちゃったんだ!」
その時にふと出てきたのが、
GUEST&Meという商品のひながたになるもので。
「GUEST&Me」というブランド名だけでなく、
「お客さまのためだから、自分と同じものを。
自分のためだから、お客さまと同じものを。」
という、のちのコピーになる文章も、
その時、すでに糸井さんの中ではできていました。
糸井さんは、ホテルグッズのようなものが
できないかなぁという発想をしていまして、
ぼくも「これはいけるな」と思いました。
ただ、その話を早々にライオンさんに出しても、
受け入れられるかどうかがわからないので、
「ちょっと、タイミングをおきましょう」
と、ふたりで、話していました。
その後99年が明けて、1月や2月は、
ひたすらライオン社内での調査レポートのように
講演会をしていたんです。
そういう中で、
「じゃ、その考えで、1回、
商品を考えてみてくださいよ」
と当時のマーケティング部部長に
言っていただいたわけです‥‥。
「お待ちしてました。やらせていただきます」
みたいになったのが、99年の2月でした。 |
久米 |
その時に糸井さんたちから
ご提案を受けたのが、
「トイレタリー会社の考えている像よりも、
ほかの世界に、
トイレタリーの本来の魅力が見いだせる。
たとえば高級ホテルや輸入トイレタリー。
ああいう、使うのが惜しくなっちゃうような
高級トイレタリーの魅力があるのでは?」
というような話だったと思います。
節約とは対極にあるあの魅力はなんだ?と。
うちのマーケティング本部長は、
「ま、どんなものができるか、
まったくわからないけども、
ちょっとプロジェクトを作ってやってみたら?」
と言っていまして。
そこから、5月に当社の5人からなる
プロジェクトを編成しまして、まずは
いろいろちょっとやってみましょうということに。
その時のコーディネーターを
田中さんにお願いしまして、とにかくまぁ、
いろいろな場所でミーティングをしましたねぇ。
田中さんの会社の閉鎖になった寮とか
区民会館とかで、
もちろん糸井さんも毎回入って、
かなり密度の濃いブレストをくりかえす日々‥‥。
おもしろい議論も綿々とできました。
その時の議事録はいまでも残っています。 |
田中 |
やってましたね。
確か、週1でやってたんですよ。 |
久米 |
ええ。
これぐらいやったんですよ。(図を見せる) |
木村 |
あ、「合宿」って書いてある。 |
田中 |
合宿も、ありましたね。
半年みっちり、ミーティングをしてた。
インターネットで専用掲示板を作って、
みんなでたくさん書きこみもしましたねぇ。 |
久米 |
最初のほうは、
いきなりトイレタリーの話をしてしまうと、
型にはまった商品化に走りがちだから、
ということで、トイレタリーの話題を禁止にして
付加価値だとか、商品だとか、消費動向だとか、
ホスピタリティーだとか‥‥
そういうことに関して、まぁ自由に、
毎週、半日を使って話していましたよね。 |
木村 |
いまはミネラルウォーターが台所洗剤よりも
高いけど、それはなんでだろう、だとか、
おコメがブランドものになっているだとか、
具体的に、いくつもトピックを思い出せますね。 |
久米 |
田中さんは議論のなかで、
「じゃあ、宗教はどうだろう?」だとか、
豊富な引きだしの中から、
われわれが考えないような視点を出してくれて。 |
田中 |
いま思えば、あの時に
すでにやっていた商品開発の話って、
非常に、今の「よくあるブランド論」の話と
議論の流れが、似通っているんですよね。 |
久米 |
ええ。
だから、あの時に
ああいう話に関与させてもらったんで、
いま花盛りの「いわゆるブランド論」の話は、
非常によく理解できていましたね。 |
田中 |
そもそも、
そうやって部署をまたいで
メンバーを編成していただいて
プロジェクトをはじめるっていうのが、
ライオンさんとぼくのいる会社との関係のなかで、
はじめての試みだったんです。
いろいろ、刺激的なことをやっていましたよね。
「はじめから、トイレタリー製品を出すという
前提での会議だという考えかたは、やめましょう」
「いかに、いままでのライオンから
アンチなものを生みだせるかを、半年やりましょう」
そんな話を、最初に、一緒にしましたね。 |
久米 |
「外国人から見た『和』の心だ」だとか、
「日本の気候風土に根差したホスピタリティー」
だとか、そんな話も出たなぁ。 |
木村 |
人が旅行で味わう気分の仕組みだとか、
ある会社がスポーツ選手をスポンサードしている
その理由と意味だとかも、丁寧に話しましたね。
「じゃあGUEST&Meは誰に使わせるの?」
「大統領のファーストレディーが
日本に来た時に、おみやげに買って帰るもの」 |
田中 |
あぁ、そういう話も、ありましたね。 |
久米 |
その2年後ぐらいに
日経が時代のトレンドはこうだ、
と指摘するようなことを見るにつけても、
「あのころ、ぜんぶ話してたことじゃない」
っていうように思うことが多くて。
そんな風に非常に濃密にやっていたので、
「ピラミッド型組織が倒れて、
みんなフラットな組織の中にいるから、
生活は『シェア』の価値観を前提にするんだ。
そうすると、商品環境が問題になる‥‥」
だとか、言い方は抽象的になりますが、
のちに糸井さんが『インターネット的』で
書かれるような話も、
その2年前に、たくさん出ていましたね。
忙しいんだから、時間のコストも馬鹿にならないとか。 |
田中 |
あ、消費時間コストですね。あったなぁ。 |
久米 |
だからこそ買いものは、
楽しくなきゃいけないんだっていう。 |
木村 |
うん。
「いいものを買いたいんだよ」
「確実なものをゲットしたい」
という話にも、なりましたね。 |
久米 |
そういう中で、
徐々に商品開発のための報告を、
当時のマーケティング本部長にしたんです。
それが、99年の10月ぐらいだったと思います。
ただ、議論はとても盛りあがりましたし、
発想としては非常におもしろいのですが、
具体的にそれを、
ライオンの商品に落としこめというところが、
非常にむずかしくて‥‥。
「売り場の商品環境」ということを
真剣に考えたとしても、スーパーやドラッグストアの
トイレタリー売り場では、そういう
「趣味に密接しているもの」は買わないですよね。
そういうジレンマも、出てきました。
結果としては、売り上げ的には少ないですけれども、
従来売っているような場所ではなくて、
お客さんが商品の価値を見いだしてくれるような
良質の売り場に出した、ということになりました。 |
田中 |
商品開発に落としこまれる時に、
いくつか、ライオンさんとしての
挑戦があったのかなぁと思うのが、
「デザインにコストをもっとかけましょう」
「売り場を変えていきましょう」
ということが、いままでの
ライオンさんにおける商品開発とは、
違う点だったと思うんですよね。
実際に商品が出るまでは、
ライオンさんのスタッフの方々は、
たいへん苦労されたと思うんですけど。
清潔さの原点ということで、
「石鹸」を開発の中心におきましょう、
という話にも、いろいろな抵抗がありましたよね? |
木村 |
ええ。
「なんで今さら固形の石鹸なの?」
「ハンドソープのほうが売れてるよ」
みたいなのがあって。 |
久米 |
マーケの結果だとか、
いろいろな考えからしても、
糸井さんや田中さんやぼくたちにとっての
「なぜ今回は固形の石鹸じゃなきゃいけないか」
という反対意見は、あったんですよね。
でも、現実からすると、
石鹸はドラッグストアの店頭で、
3つ198円だとかで売られているのが
いちばんボリュームゾーンなんですよ。
また一方で、千円の高級石鹸も、あるにはある。
でも、ぼくたちの目指していた
「ほんとにいいよね」と言いながら、
一回ではなく使いつづけられるものの市場は、
その時点では、見えにくかったですから。 |
田中 |
石鹸、だいじなところだったんですよね。
ぼくたちの会議の中では、
石鹸の機能は「洗う」だけじゃなくて、
タンスに入れる「におい袋」みたいな機能もあったり、
あとは形自体がオブジェだったり
アートになっているという発想をしていて。 |
木村 |
「考えてみたらうちの会社は、
石鹸から始まってるじゃないか」みたいな。
みんな忘れとるよ、みたいな話もあって。 |
久米 |
石鹸は、世界最古のトイレタリーなんですよ。 |
木村 |
「だったら餅は餅屋で元に戻ろうや、
その技術を誇っていじゃないの」
という話になっていきましたね。 |
久米 |
石鹸を中心にしたブランド作りとして、
真ん中の石鹸は、リーバイスで言う
501という位置づけだったんですけれど。
そういう話が、非常に盛りあがったんですよね。 |
木村 |
石鹸の大きさも、
いっそバーみたいに大きくしようか、とか、
いろいろ話しました。 |
田中 |
ああ、悩んでましたね。
ぼく、京都の実家に帰る時、
「俵屋」の石鹸買ったりしましたもんね‥‥。
|
木村 |
花王さんが作っていたあの石鹸は、
コストが真っ赤っ赤でもやります、
みたいなことが、本にありましたから、
あれはわたしたちの
ひとつの到達目標でしたねぇ。 |
久米 |
99年末のプレゼンが終わって、
ものを作る段階にも、入ることができて、
そこからは具体的な話になっていきました。 |
ほぼ日 |
仕事としては、
ライオンさんに向けて、
広告会社のマーケ担当の田中さんが、
あたらしい開発のやり方を提案した、
ということになると思うんです。
久米さんたちにとっては、
まず、商品を前提にしない
話しあいからはじめようという提案には、
どういう感想をもたれましたか? |
久米 |
実はお客さんのいる日常と
われわれのいる日常とは、地続きなんだよな、
ということは、とてもよくわかりました。
アタマではわかっているんですけれども、
実際に制作現場にいる会社側としては、
「お客さん」のイメージを、
自分たちとは違うあるかたまったものとして、
とらえていたところがありましたから。
商品開発って、ある程度、
「決まった手順」で、できちゃうんですよ。
消費者の調査をやりますよね?
「こういうニーズを前提にした
こんな機能の提案は、いかがですか?」
と、まず調査にかける。その結果を受ける。
「香りはどうですか?」
要素をひとつずつ調べて、
全員がいちばんいいというものを選ぶ。
そうすれば、商品は開発できちゃいますよね。
実際に、ぼくらは、そうやってきましたし。
ただ、糸井さんや田中さんとのお仕事は、
「そういう、最大公約数的な
価値観じゃないところを考えてみませんか?」
ということだったと思います。
やってみて、そのほうが、本来的なんだなぁと思います。
もちろん、最大公約数を目指さないがゆえの、
ボリュームが出にくいところの悩みは、
あるんですけど。
|
ほぼ日 |
ライオンさんの中から
その会議に参加されていた人たちの
仕事の分野は、どういうものでしたか? |
久米 |
大きくわけると、管理と開発ですね。
ぼくは管理、木村は開発です。 |
ほぼ日 |
今回の開発のやり方は、
木村さんのいままでのやりかたとは違いました? |
木村 |
トイレタリーは大量生産が基本ですから、
ここまで商品開発に深くコミットするということは、
恥ずかしながらやっていなかったんですよ。
「どうしてこういう製品?」という
なぜ?の根本に入るというよりは、
市場の流行すたりの中でしか動いていないのが、
従来のトイレタリーの商品開発だ、と言いますか。
わたしは、それ以前にも、
たとえば制汗剤の開発をやっていましたけれど、
制汗剤を使うのは高校生が多いから、
「ターゲットは10代の高校生だ」など、
すべて具体的なところからのスタートです。
ただ、わたしは今にいたるまで、
自分のことで言うと、
好みや価値観のおおもとのところは、
年齢が変わったとしても、
あんまり変わっていないと思うんです。
そういう趣味や価値観や人となりということが
商品には反映されるべきなのに、
やってきたのは常に、
性別や年齢で切ったターゲットからの出発です。
「20歳から24歳の女性」と決めたら調査に走る。
そういうのが、商品開発の現状でしょう。
「この商品を買う人がどういう生活をして、
どういうことが好きで」というのを
全然無視して商品を作ってるってところが、
わたしは今まで、ちょっと恥ずかしかったんです。
だからこそ、会議のなかで、
「わたし、今までぜんぜん
商品開発なんてやってこなかったじゃん」
と、そういうことに気づかされたなぁ、
というところがありました。
あれから3年、今になると、ブランド論も盛んですし、
ライフスタイルということも、どこにいっても
聞かれるようになりましたけれど‥‥。
最初にあのミーティングを続けていた時には、
新鮮で、ショックも受けましたし、
やっぱり、おもしろかったですね。
ただ、石鹸の開発に入った時に、
ライフスタイルの提案はきちんとできていたけど、
ターゲットがあまりにも漠然としすぎていたので、
イメージから具体的な香りへのおとしこみなどで、
ちょっと、苦労したんですけれど。 |
久米 |
形にするのは、
ほんとに苦労も多かったですし、
非常に時間もかかったんです。
ただ、当時石原都知事が何かの時に
「オレはその件に関しては小骨一本抜かねぇ!」
と言ったんですけど、そういうスタンスでやろうかと。
GUEST&Meは、現在も
ビジネスとしてのボリュームを、
これから大きくしようと思っています。
社内でも、何百万個も売れる製品と比較されては
肩身の狭い思いをする時もありますけれど、
競っているジャンルが違うわけですし。
そうは言っても、みんな、
お得意先にお土産として持っていくのは、
やっぱり、「いいものだと思ってるから」だろうし‥‥。 |
田中 |
本当に、商品が出てよかったですよね。
途中で、営業とかと話していると、
「だいたいそういう、
最初から商品を前提にしないような会議から、
商品が出たためしがない」
ときついアドバイスを受けたりしたんですね。 |
木村 |
いま思えば、この商品って
「会社としてどうなっていくか」
まで含んで、開発されたんですよね。
最近よく語られるコーポレートブランド
(企業の活動が生む無形の資産)まで
意識されていました。 |
田中 |
消費者の人が大量に支持してくれる商品も
いいでしょうけど、
こういうブランドがひとつあると、
違うかなぁという話をしましたね。
ただ、挑戦的な試みなだけに
社内で通すのは大変だったんだろうと思います。 |
ほぼ日 |
社内でどういう声が聞こえましたか? |
久米 |
まぁ、「売れるわけないよ」っていう。 |
木村 |
うちの中では100万個作るものとかが
現実にいっぱいありますので‥‥。
100万作って、3万店にまくものと、
だいじに20店舗に置くものとは、
かなり意味が違ってきますよね?
ライオンが、
会社の中に機械を持っていて、
設備を持っているということを考えると、
確かに、自社工場を動かす量を作ることが先決です。
大量に売れないとなれば、
関連部署からすると、
「そんな仕事はちょっと待ってよ」
当然、そういうことに、なりました。 |
久米 |
結局、トイレタリー産業の起こりにも
かかわってくるんでしょうけどね。
いわゆる化学品の中でも
いちばん付加価値の低い余りものを、
うまいこと組みあわせて洗剤作ったり、
牛の油で石鹸作るだとか、そういう発想で
「安く作ろう」という産業の起こりかたなんです。
それが今に至る基本的な発想になるわけです。
そして、アメリカのマーケティングと合体させた
最大公約数的なものを作ってゆく流れがあります。
ただ一方で、
企業は消費者に対面していますので、
ヨーロッパで行われているような、
「いいものを、ちゃんと
顔の見えているお客さんに売っていく」
というのは必要なことだと思うんです。
GUEST&Meは、うちの会社のそういう部分を、
これから担っていってくれればいいと思います。
最大公約数的な商品も、もちろん残りますが、
そうではない、生活者に提案をするという部分も、
ひきつづき、着実にやっていきたいなぁ、
と考えています。
|
ほぼ日 |
今回、田中宏和さんの仕事、っていうことで
田中さんの仕事のやりかたを、
一緒に仕事をしている人はどう見ているかを、
うかがっているんです。
それによって、読者から見ると初登場の
田中さんの仕事がわかると言いますか‥‥。
|
木村 |
田中さんは、
おもしろい議事録を作りますよね。
次のミーティングの時に、かならず、
「前回はこういうかたちだったんですよ」
ということを、ひらめいたことや
構築したことを図にして出してくださるんです。
「関係各位、
今までの話を整理すると、
ゴールは見えてきました」
だとか、1ページ目から、
「え?なになに?」と読ませる名作が多い。
言葉は口語体のままですが、
それが一つの提案書になるほど整理されている。
われわれがしゃべってたことが
ちゃんと提案になっていくっていうところが
非常におもしろいなぁ、といつも思っていました。
新しいものを作っていこうという時の
水先案内人として、田中さんはぴったりです。
新しいことを探っていくと、
だいたい、どう動いていいかわからなくて、
混沌としていくじゃないですか。
そういう時に、田中さんが、
ふっとこういう議事録として、
話すための切り口を作ってくださったりすると、
「あぁ、ここまでは進んでいるんだな」
だとか、とてもよくわかるんです。
これはなかなかできないことなんですよ。 |
久米 |
田中さんは、混沌として停滞した時に、
「停滞は停滞として認めましょう。
こういうところが停滞です」
と明らかにするスタンスなので、
そうすると、こちらも肩のチカラが抜けて、
現状を確認できるんですね。 |
田中 |
ツアコンみたいな仕事ですよね。 |
ほぼ日 |
田中さんは、
広告代理店のマーケティングの人間として、
どういう心積もりで、この仕事をしていましたか? |
田中 |
結局ぼくはメーカーの人間ではないので、
いかにいいものをライオンさんに作っていただくか、
というところに徹するわけですよね。
最終的にいま売られている
GUEST&Meの3つのラインナップって
すごく完成度が高いと思いますし。
そういう意味では、本当に
いい商品ができたなあと思います。
ほんとにきめが細かくて、
使っていて気持ちいいものを、実際に
ライオンさんが作ってくださった。
そこに佐藤卓さんのパッケージが乗ってきた。
社内外のいろんな力がうまくかみあってきたので、
これからも、これが発展するといいなぁ、
という感じでしょうか。 |
久米 |
田中さんからの影響って、いろいろあるんです。
話しあいで、たとえば、
「しあわせになれる石鹸」というものを
作ろうとなったとしたら、たとえば今なら、
幸福論を調べたりしているわけですね。
「そもそも、幸福ってどう語られてきた?」と。
これ自体が、田中さんの影響なんです。
で、実際、ふと、アリストテレスの言葉で、
「人が人にものを勧めるか勧めないかっていうのは、
その人の幸福に寄与するかしないかだ」
というものを見つけちゃったりするんです。
「あ、これって、GUEST&Meじゃん!」って。
使って人に勧めたくなる石鹸ってのは、
幸福な石鹸なんだと、バチンと繋がったんですよ。
偶然なのかもしれないんですけど、
ぼくの中ではショッキングなことでした。
田中さんに道しるべをつけてもらったから、
できているということは、あるんですよね。
糸井さんから言わせると、
「さらにその上で、きちんと
適性な利益があるべきだ」ということだとは思います。
だから、そこは直していきたいとは考えていますが、
とにかく、うちのスタンスとしては
非常に特殊な開発をやらせていただいて、
とてもおもしろかったですね。 |