似てませんか(4月3日)
・ぼくが大学生だった短い時間は、
学園紛争のまっただ中にありました。
当時、学生たちの組織は、
五流十三派とか言われるくらいに分裂していました。
どの派閥にいて、どんな意見を持つか、
すべてを考え合わせて決める新入生など、
いなかったと思います。
どこの大学の、どの学部に入って、
どんな人と出合ったかという偶然で、
「党派性」というものが決まってしまう。
そうでない人も、少しいたかもしれませんが、
ほとんどがそんな感じだったと思います。
偶然によって決まった「党派性」は、
それなりに鍛えられていき、
他の党派の考えを否定するようになっていきます。
ときには、そのちがいによって、
殴り合いにもなるし、殺し合いさえも起ります。
じぶんたちの立場は、絶対に正しくなくてはいけない。
そのためには、他の党派の立場は認められない。
ひとたび「党派性」の黒魔術がかかると、
なによりも、党派を守ることが大事になっていきます。
他の人たちが正しそうだったりする場合は、
卑怯な手を使ってでもじゃましてやる、
なんてこともいくらでもあったと思います。
・そこまで極端じゃないかもしれないけれど、
似てませんか、あのこと、このこと、原発のこと。
ひょっとしたら、ぼくも、
じぶんではそのつもりもないのに、
「原発推進派」という党派の人だと、
思われてる部分もあるかもしれない。
ちがうよ、政治も党派も、なにより大嫌いだ。
この「神話的エネルギー」を持つ原子力を、
使わないでもいいなら、誰だってそっちがいいでしょう。
それだけのこと、個人として考えればいいことです。
幸いだったは、ちがう意見を持っている友人がいること。
党派的に争うのではなく、友人の意見として聞けました。
ちがう考えに「いやだなぁ」とか思いながら、
「ここはわかる」とか「それはちがう」とか考えられた。
ここでも「信じる」の基盤が大事だということですねー。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
東京の桜三分咲きくらいだけど、まだ明るくなれないねー。 |