戦い方がきれいだということ(4月12日)

・ぼくみたいな上品とはいえない人間が、
 そういうことを言うのも、なんなんだけど。
 こういう状況のときの、けんかの仕方にも、
 たまらない下品なやり口ってあってさ。
 見ていて、つらいんだ。
 そういうやり方をするのか、とか、
 そういう言い方で攻撃するのか、とか、
 やり方の汚さにがっかりしちゃうことがあるね。

 争いごとって、どうしても、
 弱いものの側を応援したくなるものでね。
 で、そのついでに、
 弱いものの側に理があるようにも思いやすい。
 そういう場合もあるし、そうでない場合もあるのにね。

 弱い側ほど、正々堂々をやらなきゃだめだよ。
 そんなんじゃ勝てない、と思っちゃいけない。
 ほんとうの力になるためには、
 戦い方がきれいだということは、
 勝つより大事なことだと思うんだ。

 やっっっぱり、強い弱いもあるし、
 正しい正しくないもあるんだとは思うけど、
 土壇場のところでは、きれいなほうに、
 人の気持ちは引かれるものじゃないかな。
 これは、決して、子どもっぽい意見じゃないと思うよ。

・昨日、一日、ツイッターを休んでいました。
 読むのも、書くものも休もうとしたのですが、
 読むほうは、少ないなりに読んでしまいました。
 つまり書くのだけ休んだのですが、これはよかったです。

 すぐに、遠くまで、じぶんの声が届く。
 これがツイッターのよさだと思うのですが、
 そんなに「すぐに、遠くまで、じぶんの声が届く」ことが
 大事なことだったのだろうかと考える機会になりました。
 この「ほぼ日」だけでも、
 「すぐに、遠くまで、じぶんの声が届く」
 と思っていたはずなのにねぇ‥‥。
 「超速遠距離拡張」に慣れすぎちゃ、いけないかもね。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
「癒し系」と「本格派」の両立‥‥それが『KOTI』だぞー。

「今日のダーリン」より