「おまえは、泳げるんだ!」(4月24日)

・昔、『週刊文春』に『ちょっといい話』という
 戸板康二さんの連載エッセイがありました。
 たしか、そこで読んだのだと思いますが、
 こんな話があって、これをよく思い出すのです。
 (多少の記憶ちがいもあるでしょうけど、
 言いたいことは同じだと思うので、ご容赦を)
 
 父子で出かけた河川敷のキャンプ場。
 息子が川に入って流されてしまった。
 流れの速い川に、抵抗できずに流されていく息子。
 父親が見つけ、川沿いを並走しながら助けようとする。
 そして、あることに気づき、息子に向って叫ぶ。
 「おまえは、泳げるんだ!」
 いま川を流されている息子は、
 スイミングスクールにも通っていた水泳のできる少年だ。
 しかし、驚きと恐怖で為す術を失っていたのだった。
 「泳げるんだ!」と言う父の声を耳にした息子は、
 我に返って、自力で岸まで泳ぎ着いた。

 そういう話でした。
 「泳げる」と思って川を流されているのか、
 その「泳げる」を忘れておぼれているのかで、
 助かる可能性は、まったくちがうのでしょう。
 「おまえは、泳げるんだ!」は、ただただ事実です。
 人というのは、そのことを忘れてしまうほど
 あわててしまうということも、事実です。
 しょっちゅう、思い出す「ちょっといい話」なんです。

・仕事や用事がないのに、ともだちに会うということが、
 年をとるとなかなかできなくなります。
 昨日は、「ただ会いたい」と言って知人に会いました。
 あの人がなにを思っているのか、知りたかったし、
 なんとなく、ぼくの思ってることを話したかったので。
 たくさん話して、ほんとによかった。
 そのなかで、こんな話にもなりました。
 「しかし、わたしたちのご先祖さまは
  強かったんだねぇ」と。
 災害ばかりでなく、幾度となくあった戦争も、
 すべてをくぐりぬけて、子孫のじぶんたちがいる。
 「おまえは、泳げるんだ!」ですよ、ぼくらも。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
嫌いな人の言ういいことも、いいこととわかりますように。

「今日のダーリン」より