「戦争」に匹敵する(4月26日)

・昨日は、阿川佐和子さんにお会いしての対談でした。
 「ほぼ日」のほうではなく、
 『週刊文春』のほうに掲載されるので、しばらく先かな。
 
 阿川佐和子さんは、作家阿川弘之さんのお嬢さんで、
 阿川弘之さんといえば、日本の戦争を題材に、
 たくさんの小説を書いてこられた方です。
 佐和子さんにお聞きするところによると、
 御歳九十歳にして、すこぶるお元気とのこと。
 
 いや、ふと思ったのですが、
 海軍の体験のある阿川弘之さんはもちろん、
 若い時期に「戦争」というものに向き合った人は、
 そのままそれと一生つきあい続けてきたんだなぁ、と。

 吉本隆明さんのことも、鶴見俊輔さんのことも、
 戦争との関係を抜きにしては語れません。
 戦争に感じたこと、戦争で考えたこと、
 戦争でわからなかったこと、戦争で変わったこと‥‥。
 たぶん、戦争について語らなかった近所の老人も、
 そういえば、ぼくの亡くなった父親も、
 戦争があったことを忘れての人生は、
 きっと送ってなかったのだろうと思うのです。
  
 先日掲載したばかりの吉本隆明さんのことばも、
 戦争のあと、ずっと考え続けてきたことの、
 ひとつの総まとめのように響いてきます。
 66年間、ずっと探してきたことなのだと思います。

 それほど、戦争というものはでかいんだ、
 ということをあらためて思ったうえで、
 それに匹敵するくらい、
 大きな考えごとをさせそうなのが、
 今回のあの日からの出来事だと、ぼくには思えます。
 おそらく、いまこの一連の災害を経験している人は、
 死ぬまでこのこととつきあうことになるでしょう。
 ここで、ある日考えたこと、ある日迷ったこと、
 ある日わき起こった不信、ある日感じたよろこび。
 すべてが、じぶんの身体に刻み込まれるのでしょう。
 サイレンの音や土足の靴音に惑わされずに、
 光の射す方に歩みを進めていきたいです。

今日も「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ほぼ日ニュースなど読むと、しっかり脱力できるでしょう。

「今日のダーリン」より