震災以後の時間の単位(5月2日)

・震災以後の時間の単位が、少しずつ変ってきています。
 最初のころは、とにかく瞬間を争っていました。
 秒単位で、命に関わるようなことが、
 決っていった時期です。
 できるだけ早く、すぐに、待てない
 ‥‥といったことばがどこででも見られました。

 やがては、1日とか3日とかの単位で、
 厳しくがまんを強いられるけれど、
 待てばなんとかなりそうなことが、
 語られるようになっていました。
 少しずつ、事実が見えてくると、
 喪失した巨大なものといっしょに、
 なんとしても生き抜いていくために、
 応急処置でない計画が必要になってきました。

 いま、新聞などで目にするのは
 「数ヶ月」として語られているものが多い感じです。
 原発事故の収束に向けての「工程表」というものが出て、
 そこにも3カ月、6カ月、9カ月という数字が見えます。
 むろん、この数字も激しい批判に晒されていますが、
 どれほど間違っていようが、
 この「叩き台」が出てきたことで、
 代替案やら反論やらも出やすくなったのは確かです。

 しかも、1週間や1カ月ということではなく、
 年をまたぐことも覚悟する道のりなのだということが、
 誰もが認める「公認の現実」になったわけです。
 これは、決してうれしいことではないのですが、
 少なくとも1分1秒を争う問題ではないと
 共通の認識ができたことは、人の心を落ち着けました。
 ぼく個人の感覚で言っても、二カ月弱の間で、
 なによりいちばん怖かった想像は、初期のころの
 「原発から、全員引き揚げる」というウワサでした。
 「手がつけられなくて放りだす」が最も恐怖です。
 どれほどひどい事故現場で、批判されるような方法でも、
 そこに命ある人間がいて、なんとかしようとしている。
 それは、最低限の安心でもあるのです。
 どうかいちばんいい知恵が、そこに集まりますように。
 また、津波被害にあった方々の、この先、数カ月が、
 希望のある日々になりますように、祈ります。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
じぶんのできなかったことだけでなく、できたことを見る。

「今日のダーリン」より