100やれそうなら、130やれないものか(5月3日)

・思えば、あの9月11日は、
 ぼくもアメリカにいたのでした。
 日本に帰るために空港に向かおうと早起きしていて、
 テレビを点けたらあの画面でした。
 なにがなにやらわからなかったなぁ。
 どこもかしこも、あんなふうに炎上するのではないかと、
 ばくぜんと恐怖したりもしましたっけ。
  
 あの日にスタートしたカレンダーが、
 とうとう閉じられた‥‥ような気もしないのですが。
 つまり、ものごとは終わらないものですねー。
 終わりの背中には、はじまりの胸がくっついている。
 ほっんとに、そう思うなぁ。
 だから、「終わり」をつくるというよりは、
 いい「はじまり」を考えるほうがいいのかもしれない。
 
・前々から決っていた仕事や、
 震災があったことがきっかけでやろうとしてること、
 ものごとが動いていくうちに新しく決っていくこと。
 いろいろと、じぶんのなけなしの力を使うことが
 多くなってきています。
 じぶんにできることを、いつも
 少なめに見積もるようにして、
 ひとつひとつを「やる気」のある仕事にしていこうと、
 「ほぼ日」をはじめてからのぼくは思ってきました。
 いまは、そのルールをちょっと破って、
 「100やれることは、85に」ではなく、
 「100やれそうなら、130やれないものか」と、
 逆の方向に進んでいます。
 
 おかげで、というのは変かも知れませんが、
 過剰に考えてばかりいる、というひまがありません。
 目の前の仕事をしっかりやっているせいで、
 無用な悩みから距離を持っていられるのは、ありがたい。
 むろん、「多忙は怠惰の隠れ蓑」は承知しています。
 それでも、仕事というのは、いつも具体的なもので、
 それをしっかりやろうとしていると、
 過剰な不安に足もとをぐらぐらさせてる時間もなく、
 「じぶんのやるべきこと」を忘れないでいられます。
 あと問題は、やはり「休みのクリエイティブ」ですねー。
 
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
明日も黄砂がひどいようなら考えがある!(マスクをする) 。

「今日のダーリン」より