「ほんとのこと」を言う、ひとつの方法(5月6日)

・戦時中、という時代を生きていた人のことを、
 あとで生まれたぼくらが、
 さんざんああでもないこうでもないと言えるわけですが、
 実際にその時代を生きていた人たちの、
 がんじがらめな感じというのは、
 やっぱり当事者でないとリアルにはわかりません。
 
 出征する兵士を見送る駅のホームのその隅で、
 ひっそりと身を隠すように若い人を見送る太宰治。
 高校生のころに読んで、妙に気になった情景が、
 いままでずっと忘れられずに心に留まっています。
 出征する若者に、声をかけることもなく、
 目を合わせるわけでもなく、ただただ、
 「時代の役立たず」として物陰に棒立ちしていて、
 無事で帰ってくるようにと見送る人。
 その短編小説のタイトルは忘れているんですけれどね。
 こういうイメージが、どうしてこんなに強く、
 記憶されたのでしょう。 

 なんだか、未来のじぶんが、
 「そこのところを覚えておけよ」と、
 言ったのかもしれないです。
 
 戦時中の人びとは、お国のための「大事なこと」を、
 大声で語っていたように思えます。
 そこでは、太宰治のことばは聞えてきません。
 しかし、太宰治は
 他の人たちと同じようなことではなく、
 じぶんの視線の届くところで、
 たえず書き続けていたわけです。
 大事なことを語る、立派な人たちからは、
 馬鹿にされるようなことを、ずっとね‥‥。
 
 そんなことを思い出して、家にあった文庫本を、
 取り出してパラパラやってみました。
 なんとまぁ、生きた文章なんだろう。
 こりゃ、高校生のときにはわからない巧さだわ。
 沈黙に匹敵するだけの「しょうもないことば」を、
 唇が乾かぬようにしゃべり続ける。
 「ほんとのこと」を言う、ひとつの方法だったんだなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「なによりも怖いのも人間だ」と祖母が言ってたっけなぁ。

「今日のダーリン」より