3月の原点にもどる(5月15日)

・「ほぼ日」に、こうして、もうじき13年間も、
 毎日なにかしら書いているということと、
 去年はじめたツイッターで、これまた毎日、
 ちょこちょこなにかしら言っていることと、
 どこがどうちがうんだろうか、と考えていました。
 
 まず、「ほぼ日」のほうは、
 読もうと思う人が、アクセスするという手続きを、
 じぶんのほうからしないと、ここに来られないわけです。
 ツイッターのほうは、フォローするという手続きを、
 最初にしておいたら、ぼくのツイートしたものは、
 自動的に送られるんですね。
 そういう意味ではメールマガジンなんかと似ています。

 駅で買う新聞みたいなものが「ほぼ日」で、
 宅配で届けられるのが、ツイッターという感じかなぁ。
 書いているほうのぼくとしては、
 「ほぼ日」には訪れてもらっている、という感覚で、
 ツイッターのほうは、ラジオでしゃべっている感じです。

・レスポンスの速いのは、ツイッターのいいところですが、
 「いっしょにたのしもう」でない人も混じります。
 「ほぼ日」だけやっているときにはなかったような、
 ざらざらした気分になることもあります。
 個人として、ひとりでやっているさみしさもありますが、
 ひょいっと、会ったことのない人に共感したりして、
 うれしくなることもよくあります。
 
 「ほぼ日」のほうは、レストランみたいなもので、
 店の雰囲気は、ある程度じぶんたちでつくれます。
 チームでの仕事も、読者との関係もたのしいものです。
 だからといって緊張感がないわけではありません。
 いわば「客足が遠のく」というようなかたちで、
 メニューがまずかったら、来てもらえなくなります。
 
 どっちもやっているから疲れる、と思っていたのですが、
 問題はそこじゃないとわかりました。
 わかりもしない、できもしないことを考えすぎたのです。
 もういちど3月の原点にもどって、
 「たいしたことないもの」として考え、歩みます。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
ときどき大掃除しないと、考えに水垢がたまるんだよな。

「今日のダーリン」より