日々「ちょっと」が加算されている(9月11日)

・よその子どもに、久しぶりに会うと、
 びっくりするくらい背丈が伸びていたりする。
 毎日、ちょっとずつ伸びている、
 そのちょっとを、足し算していくと「ずいぶん」になる。
 子どもの背丈は、たしかに伸びているんだけれど、
 伸びているのを見ようと思っても、見えやしない。
 
 時計でも、秒針の動きは目に見えるけれど、
 短針の動きは、どうしても見えない。
 (長針だったらどうだろうと、いま試してみたけれど、
  やっぱり針の動きは見えなかった)
 しかし、一日経ったら360度も回転しているのだから、
 動いているのは確実なのだ。

 春ににょきにょき伸びるタケノコには驚かさせる。
 ほんとうに、一日とか一晩とかで、
 別ものと言いたいくらいの高さに育っているけれど、
 やっぱりその伸びるようすは、目では見えない。
 
 「みるみる成長していく」だとか、
 「あれよあれよという間に大きくなる」だとか、
 ことばでは、よく言うものだけれど、
 勉強の成果にしたって、企業の規模にしたって、
 「みるみる」というわけにはいかないだろう。
 
 しつこく、同じようなことを言ってみたけれど、
 見ていたら「見える」ほどの変化というものは、
 なかなかあるものじゃないということが言いたいだけだ。

 ちっとも変化してないように見えても、
 実は、日々「ちょっと」が加算されているものだ。
 ものごとは、螺旋(らせん)状に同じ場所に戻っては、
 少しだけ高さが上がっていく。
 だいたいのことは、そうやって変わっていく。

 「なにも変わってない」と怒って見せる人が、
 テレビの画面にはよく登場するけれど、
 離れたところで怒って見せてもなにもならない。
 「ちょっとずつ」「なにをすればいいのか」‥‥。
 それが、誰もがいちばん知りたい希望というものなのだ。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
9月11日です。そして、3月11日から、半年が過ぎた日です。

「今日のダーリン」より