厳しい状況で微笑む人たち(11月22日)
・「悲しいことなんか、あるに決まってるさ」
なんてことも言わずに、微笑んでいる人がいます。
つらいとか、苦しいとか、悲しいとか、怖いとかを、
感じない人は、おそらくいないと思います。
悲しい悲しい、怖い怖い、と連呼したがる人と、
それを感じても黙って笑っていようとする人と、
どこがちがうんだろうと考えました。
厳しい状況で、どうして微笑んでいる人がいるのか。
ぼくは、たくさんの「そういう人」を見てきました。
彼らひとりひとりの繊細な感受性については、
ぼくはよく知っているつもりです。
恐怖にしても悲しみにしても、
感じてないはずはないのに、落ち着いて微笑んでいる。
そういう人は、ぼくが思うには、たぶん、
「そういう人でありたい」と思っているから、
そういう人でいられるのだと思うんです。
だいたいのふつうの人は、
「そういう人でありたい」と思ってないんです。
とても自然に悲しんだり怖がったりしているだけで、
どういう場面で、どういう人間でありたいかなんてこと、
考えないでふるまっているのだと思うんです。
おそらく、ちがいは、それじゃないかなぁ。
どういうじぶんでありたいのか?
これは、自然な裸のふるまいの上に、
じぶんで着られる衣装かもしれないです。
「おしゃれ」っていうのも、そういうことなのかも。
今年は、あの震災があったせいで、
特にたくさんの「そういう人」に会えたと思います。
男性もいるし、女性もいる。老人も、若い人もいます。
自然なふるまいももちろんできるし、
他の人を守るための笑顔も絶やさない人たちです。
実際に、「そういう人」はちゃんといる。
そういう人のことを、いいなぁと見ていると、
じぶんもだんだん「そういう人」に近づけるかもです。
「そういう人でありたい」と思うもの、やっぱり。
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