── |
いま「団地」と聞くと
ちょっと「昭和ノスタルジー」的な響きを
覚えると思うんです。
なんか「夕陽が似合う」と言いますか‥‥。
|
千葉 |
そうですね、一般的には。
|
── |
ふるい団地の佇まいを写真に収めたりする
「団地萌え」といった
趣味の人たちも、いらっしゃるとかで。
|
千葉 |
ええ。
|
── |
千葉さんは、東京R不動産という
ちょっと個性的な不動産サイトに関わりながら、
「団地」の情報を専門に紹介する
「団地R不動産」を立ち上げたとのことですが
なぜ「団地」に特化しようと?
‥‥「団地」がお好き、なんでしょうか?
|
千葉 |
ええ、好きですよ。
|
── |
それはつまり、どのへんが?
|
千葉 |
団地マニアと呼ばれるみなさんとは
ちょっと、方向性が違うと思うんですが‥‥。
|
|
── |
ええ。
|
千葉 |
団地というのは
時代のエネルギーが凝縮したもの
なんです。
|
── |
おお! ‥‥予想だにしなかったお答え。
|
千葉 |
ぼくは、もともと「建築オタク」出身の
不動産屋なので(笑)、
あくまで建築的な観点というか
お客さまにご紹介する「住居としての団地」に
興味があるんです。
だから、「感傷にひたる対象としての団地」が
好きだというわけでは、必ずしもなくて。
|
── |
あくまで「仕事」目線であると。
|
千葉 |
郷愁を誘うような団地も嫌いではないんですが、
少なくとも
「お客さまにおすすめできる物件」でなければ。
|
── |
さっきの「時代のエネルギーが凝縮」というのは
どういう意味なんでしょうか。
|
千葉 |
まず「団地」というと、高度成長の時代に
増大する「団塊の世代」の人口を
「どう収容するか」という視点から建設された、
ハコ型の、大規模で、
いまや老朽化しつつある無味乾燥な建物‥‥みたいな
イメージがあるかもしれません。
|
── |
はい、あります。
工業的というか、人工的というか、
高度成長時代の象徴というか、
それゆえに、ノスタルジーを感じちゃうというか。
|
千葉 |
ええ。
|
── |
いわゆる「マンモス団地」、
つまり広大な敷地に建つ巨大な集合住宅群を見ると
大戦後の人口圧力というものが
いかにすさまじかったかを、感じます。
こんな大きな建物を
建てなきゃならなかったんだ‥‥というか、
人間の数が爆発的に増えたことは
社会や都市や制度などを
劇的に変えてったんだろうな‥‥というか。
|
千葉 |
でも「団地」が建てられた事情というのは、
必ずしも「住宅の大量供給」というだけではなく、
時代によって、さまざまなんです。
|
|
── |
へー‥‥。
|
千葉 |
まず、団地が建ちはじめたころの団地って
豊かさの象徴、
あこがれの住まいでしたし。
|
── |
え、そうだったんですか。
|
千葉 |
それまで日本中に建っていた木造建築を
「近代化」しよう、
鉄筋コンクリートの集合住宅を建てるんだと
建築家を海外に学びに行かせたりして
国が本気でつくったのが団地なんです。
|
── |
それは、いつごろの話ですか?
|
千葉 |
1955年に「日本住宅公団」という組織が
できたんですが‥‥。
|
── |
現在のUR(都市再生機構)の前身ですね。
|
千葉 |
そう、1950年代の半ば以降、
日本住宅公団が建設をスタートした団地は、
ダイニングキッチンや水洗トイレ、
ベランダなどの設備をそなえた近代住宅で
当時としては、相当まぶしい建物。
|
── |
なるほど。
|
千葉 |
団地に住む人々を「花の団地族」と呼んだり‥‥。
|
── |
それはつまり、「ヒルズ族」的な意味で?
|
千葉 |
そうです。
だから大会社の重役が分譲で買ってたり、
聞いた話ですけど
なんか文豪が住んでらしいとか‥‥。
|
── |
「文豪」が「住んでたらしい」というのが
伝説っぽいですけど、
それだけ
「庶民のあこがれ」だったという感じが
なんか、しますね。
|
千葉 |
そうそう(笑)。
|
── |
あの‥‥もう建て替わってますけど
東京のあちこちに
「同潤会アパート」ってありましたよね。
表参道とか、代官山とかに。
|
千葉 |
ええ。
|
── |
表参道にあった同潤会アパートは
表参道ヒルズになり、
代官山にあった同潤会アパートは
代官山アドレスになりましたが‥‥あんな感じの
ちょっと高級なイメージですか?
初期の団地というのは。
|
千葉 |
同潤会アパートについては、
ちょっと時代がさかのぼりますけれど、そうですね。
|
── |
表参道にあった同潤会アパートのことは
うっすら覚えてるんですが、
たしかに「おしゃれ感」があったような気がします。
|
|
千葉 |
1923年に起きた関東大震災で、
当時の木造住宅が、軒並み燃えちゃったんですね。
同潤会というのは、それを受けて
「燃えない」住宅の供給を目的とした組織ですが、
東京や横浜に
「鉄筋コンクリート造の集合住宅」を
たくさんつくっていくんです。
|
── |
へぇー‥‥。
|
千葉 |
ぜんぶで16箇所、だったかな。
|
── |
そんなに。
|
千葉 |
東大の安田講堂を設計したことで有名な
「内田ゴシック」の内田祥三や、
日本の鉄筋コンクリート建築の先駆者である
佐野利器(としかた)など
当時の建築エリートたちが、
寄ってたかって
知恵を絞って造ってるんですよ。
|
── |
そんなリキの入ったものでしたか。
|
千葉 |
80年も前に建てられた
代官山の同潤会アパートには
水洗トイレやガス設備、
ダストシュートまで備えられていました。
1934年に竣工されて
当時「東洋一のアパート」と呼ばれた
江戸川アパートメントも
セントラルヒーティングや電話、
ラジオの共聴システム、
社交室や理髪店や食堂まで完備した
おしゃれで高級、
モダンなアパートメントだったんです。
|
── |
はー‥‥。
|
千葉 |
同じように、
初期、つまり昭和30年代の団地の場合にも
名だたる建築家や
都市計画に携わるエリート官僚たちが
とにかく世界中の事例を見て
「これからの日本は
こう近代化していくんだ!」
という気概を持って
造り上げたという雰囲気が、随所に。
|
── |
それは機能としても、デザインとしても?
|
千葉 |
両方ですよね。
ステンレスの流しがついたキッチン、
風呂、水洗トイレつきの2DK。
|
── |
つまり、とても「いいもの」だったと。
|
千葉 |
入居の抽選倍率は「数十倍」だったそうですし、
皇太子夫妻が視察に訪れたり‥‥とか。
|
── |
当然、家賃も安くない?
|
千葉 |
当時の都市中間層向けの良質な住宅ですから、
庶民にとっては「高い」です。
|
── |
なるほど‥‥。
つまり
同潤会の場合は「震災からの復興」を目指して、
昭和30年代の団地の場合は
第二次大戦の敗戦からの「近代化」を目指して、
国のエリートたちが気合を入れて造った
「夢の住宅」だったと。
|
千葉 |
ぼくは、そんなふうに理解してます。
|
|
── |
でもそれが、時代が下るにつれ
「住宅を大量供給する巨大なハコ」という方向へ
シフトしてくるんですね。
|
千葉 |
時代の要請ですよね。
すでに1950年代くらいからは
都市部にどんどん人口が流入してきましたから。
|
── |
ええ、ええ。
|
千葉 |
それを受け止めるための「容れ物」が
必要になり、
何千人も何万人も住むことのできる
巨大な団地群が建設されるようになるんです。
|
── |
なるほど‥‥。
|
千葉 |
おもしろいのは、
団地っていろいろ「実験」されているので
「考え方」の変遷が
建物のカタチで、わかったりするんですよ。
|
── |
「考え方」が「カタチ」に現れる?
|
千葉 |
たとえば、そうですね、
「団地」と言われてイメージする建物って
「5階建て」じゃないですか?
|
── |
ええーっと、
5階建てかどうかはわからないのですが
階段の左右に鉄のトビラがついていて、
エレベーターがついてなくて、
そこに三輪車が置いてあって‥‥みたいな。
|
千葉 |
そう、エレベーターがついてないというのは
いい目の付けどころなんですが、
団地で最も多いのが「5階建て」なんです。
というのも、5階建てまでは
エレベーターなしでOKなんですよ。
|
── |
なるほど! つまり、法律的に。
|
千葉 |
体力的にも5階くらいが限度でしょうし。
|
── |
そうですね、引っ越し的にも(笑)。
|
千葉 |
そう(笑)、だから6階以上の建物には
エレベーターをつけなきゃならないんですが、
ある時期、
「エレベーターの停止階が
1階、5階、10階」
みたいな団地がけっこう建てられてたんです。
|
|
── |
つまり‥‥2、3、4階には止まらない?
|
千葉 |
はい。
|
── |
じゃあ‥‥2、3、4階に行きたい人は?
|
千葉 |
階段です。
|
── |
7階に行きたかったら‥‥。
|
千葉 |
5階までエレベーターで上り、そこから階段。
|
── |
ようするに5階の人はラッキーってことですか。
|
千葉 |
4階に住んでいる人なら
5階まで上がってから1階ぶん階段で降りる、
というパターンも可能です。
|
── |
なるほど! ‥‥いや、たしかにそうですが、
なんでまた、そんなおかしな構造に?
|
千葉 |
5階ごとじゃなくて
停止するのが「4階と7階」だったりとか、
いくつもパターンはあるんですが、
当時の技術水準や
エレベーターを設置するのにいくらかかるか、
それでも
6階以上の団地を造ることの意義‥‥など、
コストと便益をあれこれ計算した末に
「これがもっとも合理的」と判断したんだと
思います。
|
|
── |
へぇー‥‥。
|
千葉 |
建築的な説明は細かくなるので省きますけど、
この構造にすると、
床の有効率を上げることができ、
採光や風通しの面でも優れた構造になるんです。
|
── |
でも、階段的には不便。
|
千葉 |
そういうメリット・デメリットの組み合わせを
無数に実験してるんですよ。
|
── |
‥‥団地で。
|
千葉 |
そう。
その結果として、
たくさんの「名作・迷作」物件が生まれてるんです。
|
── |
へぇー!
|
千葉 |
当時は高度経済成長のまっただ中ですから、
技術水準もぐんぐん上がりますし、
それにつれて
エレベーターのコストなども変わってくるから、
団地って、細かい部分で
毎年毎年、どんどん形を変えていくんです。
|
── |
団地というのは、規則的で画一的で
どれも同じような建物だと思ってましたが‥‥。
|
千葉 |
そうじゃないんです、じつは。
|
── |
つまり「団地」とは、
日本が上昇エネルギーに満ちていた時代の、
無数の実験と試行錯誤の産物であると!
|
千葉 |
‥‥すこし大げさじゃないですかね?(笑) |
|
<つづきます> |