── |
世界的に見ると、人形アニメが盛んな国って
やはり、イギリスやアメリカですか。
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峰岸 |
そうですね。
エンターテインメント作品といいますか、
商業的な意味で言うと。
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── |
他の地域ですと?
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峰岸 |
もっと規模がちいさくて、
アート寄りの作品なら、やはりチェコとか。
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── |
あ、有名ですものね。
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峰岸 |
あるいは、フランスなどにも
おもしろい作品をつくってる人がいますよね。
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── |
峰岸さんにとって
「おもしろい人形アニメーション」とは
どういうものですか?
やはり、人形の動きなども関係してきますか?
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峰岸 |
お話のおもしろさですよ、それは。
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── |
アニメのうまさではなく。
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峰岸 |
どんなに凝った動きをしていても
話がおもしろくなかったら駄目ですから。
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── |
そうか、そうですよね。
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峰岸 |
それに、人形の動きについては
下手くそってことは、あんまりないんです。
少なくとも
商業的な作品として公開されているものについては
一定のレベルは超えてます。
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── |
なるほど‥‥では、峰岸さんのお好きな
人形アニメの作品を、いくつか教えてください。
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峰岸 |
有名なところでは
『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』
とかね。
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── |
あ、即答。
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峰岸 |
あとは『メアリー&マックス』というね、
オーストラリア映画がありまして。
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── |
そっちは、観たことないです。
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峰岸 |
おもしろいですよ。おすすめです。
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── |
どういったお話なんですか?
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峰岸 |
これがね、テーマが「病気」で、重たいの。
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── |
え、そんな「人間ドラマ」っぽいテーマを?
人形アニメと言うと、
壮大な歴史物か、ファンタジーか、
かわいらしい動物のお話か‥‥というような
イメージしかないんですが。
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峰岸 |
いじめとか、アルコール依存症などの問題も
設定として出てくるんですが
ただね‥‥重たいけど、なぜか笑えるんです。
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── |
へぇー‥‥。
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峰岸 |
たぶん、人間じゃなく人形が演じているから、
ユーモアを交えて
重い話ができてるんじゃないかなあ、あれは。
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── |
なるほど。
そういうところは
人形アニメの「強み」なのかもしれませんね。
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峰岸 |
それは、あると思いますね。
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── |
ちなみにですけど
人形アニメに「洋の東西」の差というのは
あるのでしょうか。
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峰岸 |
あります。
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── |
具体的には‥‥?
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峰岸 |
動き。
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── |
人形の、動き? ‥‥に「和洋」が?
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峰岸 |
はい、動きには「和洋」があります。
わたしの場合、
師匠の川本喜八郎の手伝いをしていた時期が
けっこう長いんですね。
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── |
ええ、ええ。
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峰岸 |
ですから、まだ若いころは
だいぶ「和風」なアニメをしてました。
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── |
和と洋では、どう違うんですか?
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峰岸 |
まずは「歩きかた」からして、ぜんぜん違います。
日本式の場合は
人形の頭が「緩やかな山なり」を描くように
歩かせるんです。
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── |
つまり、いわゆる「なんば歩き」的な。
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峰岸 |
でも、西洋式の場合は、
頭が真上に上がって下がるというかな。
草履や着物の文化と
靴や洋服の文化の違いなんでしょうけど。
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── |
当たり前かもしれませんが
その国の人の動きが、人形に反映されるんですね。
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峰岸 |
あと、おもしろかったのは
本のページのめくりかたの違いとか。
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── |
‥‥と言うと?
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峰岸 |
あちらでは、ページの上の端をつまんで
めくるんです。
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── |
へぇ、日本では「下の端」ですもんね。
おもしろーい。
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峰岸 |
まあ、そんなふうに、駆け出しのころから
ずっと和風の作品ばかりだったので
動きから
決めのかたちから、みんな和風だったんです。
そこから脱却するのが、大変だったくらい。
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── |
どのように、脱却されたんですか?
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峰岸 |
川本さんの仕事のおともで
4ヶ月くらいチェコに行ったことがあるんです。
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── |
ええ、ええ。
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峰岸 |
イルジー・トルンカという
有名な人形アニメーション作家がいたんですが、
昔、川本さんは1年半くらい
トルンカスタジオで、勉強したことがあって。
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── |
つまり、武者修行的な。
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峰岸 |
そんなご縁から
西洋の作品である『いばら姫またはねむり姫』を
合作しようということになって
トルンカスタジオに行って、撮ったんです。
でも、その作品は
川本さんの「和風な動き」では、駄目でした。
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── |
もともと西洋の話だから。
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峰岸 |
川本さんの意図は「和洋折衷」だったんです。
つまり、人形自体は西洋のデザインなので、
動きは「西洋式」なんだけど
作品全体を通じては
和的な「静けさ」を感じる作品にしようと。
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── |
なるほど。
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峰岸 |
ですから、
わたしたちがチェコで西洋の動きを学ぶ反面、
向こうのアニメーターも
日本の「お能」を見に行ったりとかして。
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── |
お互いに、学び合ったんですね。
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峰岸 |
そのときに、わたしも
和風のアニメーションでない西洋の動きを
学ぶことができたと思っています。
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── |
峰岸さんは、
実写でもなく、二次元アニメでもなく、
「人形アニメ」だからこそ出せるものって
何だと思われますか。
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峰岸 |
そうですね‥‥ひとつ言えるのは
人形って、人間の代わりじゃないんです。
それは、他ならぬ「人形」として、
ひとつの、独立した、固有の存在である
ということ。
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── |
‥‥なるほど。
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峰岸 |
わたしたちは、人形が一生懸命に動いている、
その姿や表情などを見て
感情移入するんだと思うんですね。
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── |
かわいらしい‥‥だとか、
ものがなしい‥‥だとか。
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峰岸 |
怖い‥‥だとかね。
川本さんの作品に
人形自体はまったく動かないんだけれども
涙を流したメイクだけを施して
固定で撮っているシーンがあるんです。
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── |
ええ。
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峰岸 |
不思議なことに、
それだけで、ものすごく悲しくなる。
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── |
‥‥動かないのに。
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峰岸 |
そう。
おそらく、人形アニメーションという手法は
「ひとつの行為や動作を
印象的に、象徴的にやらせる」ことに
すごく向いてるんだと思うんです。
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── |
なるほど、動きや表情に制約があるぶん、
そうなのかも知れないですね。
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峰岸 |
だから、文楽などもそうだと思いますけど、
「情念」みたいなものを描かせたら
人形アニメって
怖いくらいの色気を醸し出すんです。
それはもう、ある意味では
人間の演技では、出せないくらいの深さで。
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── |
たしかに、そう考えると
「人間の代わりじゃない」という言葉は
とても腑に落ちます。
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峰岸 |
そのことは、川本さんから教わったんです。
神様と人間のあいだにいるような‥‥
人形というのは、そういう存在なんだって。
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── |
神様と人間のあいだ、ですか。
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峰岸 |
ですから、そういう意味で言うなら
やっぱりわたしは
「人形アニメらしさ」を残している作品が
好きなんだと思います。
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── |
逆に「らしさ」が残っていないものも‥‥?
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峰岸 |
ありますよね。
たとえば、最近のアメリカ映画は
あまりにも、リアルになり過ぎてる気がして。
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── |
冒頭「CGと見紛うようなものもある」と
おっしゃっていましたが‥‥。
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峰岸 |
はい、とくに「顔の表情」です。
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── |
ははあ。
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峰岸 |
顔の表情がつき過ぎてると思う、わたしには。
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── |
つき過ぎてる?
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峰岸 |
いまは、話しているときの口の動きなど
細かい顔の表情をコンピュータでつくって
削り出してくれる機械があるんです。
立体プリンターって言うんですけど。
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── |
そんなハイテクなものが。
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峰岸 |
その機械で削り出してつくった表情を
パペトゥーンで、
つまり「置き換えのコマ撮り」で撮ったら
まるでCGアニメみたいに
顔の表情を動かすことができるんです。
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── |
それは‥‥CGですね。考えかたとして。
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峰岸 |
見えかただって、まるでCGなんです。
わたしなんかからすると
だったらCGでやったらいいのにって
思っちゃう。
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── |
そこまで自在に動かせるようだと
人形でやる理由が‥‥薄くなってきてしまう?
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峰岸 |
悲しいという感情ひとつを表現するにしても
人形の動きや照明の当てかた、
顔の角度などで表せるし、
そうしたほうが
人形アニメのおもしろさが出ると思うんです。
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── |
コンピュータでつくった表情を変えるだけで
喜怒哀楽を表現してしまうのは‥‥。
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峰岸 |
なんか、味気ない気がしちゃいますね。
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── |
わかる気がします。
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峰岸 |
人形アニメが
せっかく持っている魅力やおもしろさを、
削いでしまっているんじゃないかなあ。
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── |
魅力や、おもしろさというのは、つまり‥‥。
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峰岸 |
やっぱり、動きに制約があることです。
人形アニメというのは
人間のようには動けない人形が
一生懸命、
動こうとするから感情移入できるし‥‥。
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── |
ええ。
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峰岸 |
こころを打つし、驚きがあるし、
おもしろいんじゃないかなって思いますから。 |
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<おわります> |