15 ストップモーション・アニメータードワーフ 峰岸裕和さん
第3回 神様と人間の、あいだ。
── 世界的に見ると、人形アニメが盛んな国って
やはり、イギリスやアメリカですか。
峰岸 そうですね。

エンターテインメント作品といいますか、
商業的な意味で言うと。
── 他の地域ですと?
峰岸 もっと規模がちいさくて、
アート寄りの作品なら、やはりチェコとか。
── あ、有名ですものね。
峰岸 あるいは、フランスなどにも
おもしろい作品をつくってる人がいますよね。
── 峰岸さんにとって
「おもしろい人形アニメーション」とは
どういうものですか?

やはり、人形の動きなども関係してきますか?
峰岸 お話のおもしろさですよ、それは。
── アニメのうまさではなく。
峰岸 どんなに凝った動きをしていても
話がおもしろくなかったら駄目ですから。
── そうか、そうですよね。
峰岸 それに、人形の動きについては
下手くそってことは、あんまりないんです。

少なくとも
商業的な作品として公開されているものについては
一定のレベルは超えてます。
── なるほど‥‥では、峰岸さんのお好きな
人形アニメの作品を、いくつか教えてください。
峰岸 有名なところでは
『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』
とかね。
── あ、即答。
峰岸 あとは『メアリー&マックス』というね、
オーストラリア映画がありまして。
── そっちは、観たことないです。
峰岸 おもしろいですよ。おすすめです。
── どういったお話なんですか?
峰岸 これがね、テーマが「病気」で、重たいの。
── え、そんな「人間ドラマ」っぽいテーマを?

人形アニメと言うと、
壮大な歴史物か、ファンタジーか、
かわいらしい動物のお話か‥‥というような
イメージしかないんですが。
峰岸 いじめとか、アルコール依存症などの問題も
設定として出てくるんですが
ただね‥‥重たいけど、なぜか笑えるんです。
── へぇー‥‥。
峰岸 たぶん、人間じゃなく人形が演じているから、
ユーモアを交えて
重い話ができてるんじゃないかなあ、あれは。
── なるほど。

そういうところは
人形アニメの「強み」なのかもしれませんね。
峰岸 それは、あると思いますね。
── ちなみにですけど
人形アニメに「洋の東西」の差というのは
あるのでしょうか。
峰岸 あります。
── 具体的には‥‥?
峰岸 動き。
── 人形の、動き? ‥‥に「和洋」が?
峰岸 はい、動きには「和洋」があります。

わたしの場合、
師匠の川本喜八郎の手伝いをしていた時期が
けっこう長いんですね。
── ええ、ええ。
峰岸 ですから、まだ若いころは
だいぶ「和風」なアニメをしてました。
── 和と洋では、どう違うんですか?
峰岸 まずは「歩きかた」からして、ぜんぜん違います。

日本式の場合は
人形の頭が「緩やかな山なり」を描くように
歩かせるんです。
── つまり、いわゆる「なんば歩き」的な。
峰岸 でも、西洋式の場合は、
頭が真上に上がって下がるというかな。

草履や着物の文化と
靴や洋服の文化の違いなんでしょうけど。
── 当たり前かもしれませんが
その国の人の動きが、人形に反映されるんですね。
峰岸 あと、おもしろかったのは
本のページのめくりかたの違いとか。
── ‥‥と言うと?
峰岸 あちらでは、ページの上の端をつまんで
めくるんです。

── へぇ、日本では「下の端」ですもんね。
おもしろーい。
峰岸 まあ、そんなふうに、駆け出しのころから
ずっと和風の作品ばかりだったので
動きから
決めのかたちから、みんな和風だったんです。

そこから脱却するのが、大変だったくらい。
── どのように、脱却されたんですか?
峰岸 川本さんの仕事のおともで
4ヶ月くらいチェコに行ったことがあるんです。
── ええ、ええ。
峰岸 イルジー・トルンカという
有名な人形アニメーション作家がいたんですが、
昔、川本さんは1年半くらい
トルンカスタジオで、勉強したことがあって。
── つまり、武者修行的な。
峰岸 そんなご縁から
西洋の作品である『いばら姫またはねむり姫』を
合作しようということになって
トルンカスタジオに行って、撮ったんです。

でも、その作品は
川本さんの「和風な動き」では、駄目でした。
── もともと西洋の話だから。
峰岸 川本さんの意図は「和洋折衷」だったんです。

つまり、人形自体は西洋のデザインなので、
動きは「西洋式」なんだけど
作品全体を通じては
和的な「静けさ」を感じる作品にしようと。
── なるほど。
峰岸 ですから、
わたしたちがチェコで西洋の動きを学ぶ反面、
向こうのアニメーターも
日本の「お能」を見に行ったりとかして。
── お互いに、学び合ったんですね。
峰岸 そのときに、わたしも
和風のアニメーションでない西洋の動き
学ぶことができたと思っています。
── 峰岸さんは、
実写でもなく、二次元アニメでもなく、
「人形アニメ」だからこそ出せるものって
何だと思われますか。
峰岸 そうですね‥‥ひとつ言えるのは
人形って、人間の代わりじゃないんです。

それは、他ならぬ「人形」として、
ひとつの、独立した、固有の存在である
ということ。
── ‥‥なるほど。
峰岸 わたしたちは、人形が一生懸命に動いている、
その姿や表情などを見て
感情移入するんだと思うんですね。
── かわいらしい‥‥だとか、
ものがなしい‥‥だとか。
峰岸 怖い‥‥だとかね。

川本さんの作品に
人形自体はまったく動かないんだけれども
涙を流したメイクだけを施して
固定で撮っているシーンがあるんです。
── ええ。
峰岸 不思議なことに、
それだけで、ものすごく悲しくなる。
── ‥‥動かないのに。
峰岸 そう。

おそらく、人形アニメーションという手法は
「ひとつの行為や動作を
 印象的に、象徴的にやらせる」
ことに
すごく向いてるんだと思うんです。
── なるほど、動きや表情に制約があるぶん、
そうなのかも知れないですね。
峰岸 だから、文楽などもそうだと思いますけど、
「情念」みたいなものを描かせたら
人形アニメって
怖いくらいの色気を醸し出すんです。

それはもう、ある意味では
人間の演技では、出せないくらいの深さで。
── たしかに、そう考えると
「人間の代わりじゃない」という言葉は
とても腑に落ちます。
峰岸 そのことは、川本さんから教わったんです。

神様と人間のあいだにいるような‥‥
人形というのは、そういう存在なんだって。
── 神様と人間のあいだ、ですか。
峰岸 ですから、そういう意味で言うなら
やっぱりわたしは
「人形アニメらしさ」を残している作品
好きなんだと思います。
── 逆に「らしさ」が残っていないものも‥‥?
峰岸 ありますよね。

たとえば、最近のアメリカ映画は
あまりにも、リアルになり過ぎてる気がして。
── 冒頭「CGと見紛うようなものもある」と
おっしゃっていましたが‥‥。
峰岸 はい、とくに「顔の表情」です。
── ははあ。
峰岸 顔の表情がつき過ぎてると思う、わたしには。
── つき過ぎてる?
峰岸 いまは、話しているときの口の動きなど
細かい顔の表情をコンピュータでつくって
削り出してくれる機械があるんです。

立体プリンターって言うんですけど。
── そんなハイテクなものが。
峰岸 その機械で削り出してつくった表情を
パペトゥーンで、
つまり「置き換えのコマ撮り」で撮ったら
まるでCGアニメみたいに
顔の表情を動かすことができるんです。
── それは‥‥CGですね。考えかたとして。
峰岸 見えかただって、まるでCGなんです。

わたしなんかからすると
だったらCGでやったらいいのにって
思っちゃう。
── そこまで自在に動かせるようだと
人形でやる理由が‥‥薄くなってきてしまう?
峰岸 悲しいという感情ひとつを表現するにしても
人形の動き照明の当てかた、
顔の角度などで表せるし、
そうしたほうが
人形アニメのおもしろさが出ると思うんです。
── コンピュータでつくった表情を変えるだけで
喜怒哀楽を表現してしまうのは‥‥。
峰岸 なんか、味気ない気がしちゃいますね。
── わかる気がします。
峰岸 人形アニメが
せっかく持っている魅力やおもしろさを、
削いでしまっているんじゃないかなあ。
── 魅力や、おもしろさというのは、つまり‥‥。
峰岸 やっぱり、動きに制約があることです。

人形アニメというのは
人間のようには動けない人形が
一生懸命、
動こうとするから感情移入できるし‥‥。
── ええ。
峰岸 こころを打つし、驚きがあるし、
おもしろいんじゃないかなって思いますから。
<おわります>
2013-01-11-FRI
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