みうらじゅんさんは
2018年2月1日に60歳の誕生日を迎えました。
これからじわじわ老年期に入っていく暮らし、
高齢化社会になっていく日本。
還暦になったみうらさんに、
真正面からこれからの「老い」について
訊いてみました。
みうらじゅんさんのプロフィール
みうらじゅん
1958年2月1日、京都生まれ。
武蔵野美術大学在学中に漫画家デビュー。
以後、作家、ミュージシャンなど多方面で活躍。
1997年にはみうらさんの言葉「マイブーム」が
新語・流行語大賞のトップテンに選出。
「ゆるキャラ」の名づけ親でもある。
2005年に日本映画批評家大賞功労賞を受賞。
近著に『人生エロエロだもの』、
『雑談藝』(いとうせいこうさんとの共著)など。
好物は竹輪の磯辺揚げ。
第6回
走馬燈は
自分で作ろう。
今回の動画をすぐに見たい方はこちら
- ──
- 最期を迎えたい場所を
「自宅」と答えられた高齢の方が
半数を超えているらしいんですけれども。
- みうら
- 特に妻帯者の場合は、
「愛人宅では倒れられない」
という気持ちが昔はあったんです。
ですから、もし愛人宅で倒れそうになったら、
這いつくばってでも自宅に戻る余力を
残しておかなきゃならなかったんです。
ところがいま、文春砲の時代でしょ?
今後はそういうことも
どんどん減っていくでしょうね。
男たるもの、這いつくばっても
自宅に戻らなきゃならないという思想が
いまはなくなったので、
そのアンケート結果も
「ま、自宅でいいんじゃないスか」
ぐらいな感じなのでしょう。
そのあとの風評、葬式でのゴタゴタ、
これまではいろいろあったんでしょうね。
「あの人、実はコレんとこで亡くなったらしいよ」
「腹上死か」
みたいな話をされるのだけは
勘弁してほしいということで、
昭和はやってきたもんです。
- ──
- えっと、これは、
病院よりは自宅がいいということで‥‥。
- みうら
- あっ、そういう意味ですか。
あ、病院よりは‥‥。
- ──
- はい、病院です。
病院よりは、自宅で最期を迎えたい、と。
- みうら
- でも、最期はやっぱり病院のほうが
看取ってもらえる確率が高いのではないでしょうか。
病院だとベッド脇に
ピーピーピーの機械があるでしょ。
- ──
- 心拍のモニターですね。
- みうら
- あれを自分でも薄目で確認しないと、
ほんとうに自分が逝った感じが
しないんじゃないでしょうかね?
自宅だとあのピーピーがついてませんよね?
あのピーピーを見ないままだと納得できず、
息を吹き返すこともあるんじゃないでしょうか。
その点、ピーピーがついてる場所は
「死にました」というおすみつきがあるでしょ。
- ──
- 自分も「あ、死んだ」とわかるんですね。
- みうら
- ピーーーーっというあの音を聞いたら、
スッと逝けると思います。
そうなると、自宅にもあれを
つけたほうがいいのかもしれませんね。
もしくは誰かが
「ピーーーー」と
枕元で言ってあげると
あきらめもつくと思いますよ。
- ──
- そうですね。
- みうら
- 迷って出ること考えると、
自宅のほうが怖いんじゃないでしょうか。
- ──
- みうらさんは、自宅で
女の人に手を握られて死にたいとか、
そういう願望をおもちではないですか。
- みうら
- ああ、男は必ずそういうこと言いますよね。
でもそれはイメージ戦略だと思います。
「俺はやっぱり女好きだった」という豪快さを
最後まで見せようとしてるのでしょう。
でも、死ぬときってほんとは
シーツをもつかむ思いなのではないでしょうか。
人間って、死期が近づくと、
必死でもがくんじゃないかと思います。
だから、女の人の手を握ってきれいに逝くなんて、
広告代理店の最後の演出ですよ。
- ──
- 言われてみればそのとおりですね。
- みうら
- ぼくの最期のひと言は
「ああ、楽しかった」で死にたいんです。
でもそのためには、
「ああ、楽しかった」を
言い慣れてないと
スッと出ないと思うんです。
昨日今日考えたことなんてね、
死ぬときにはきっと出ないです。
- ──
- たしかに。
- みうら
- 急に「スッポン鍋」とか、
ぜんぜん違う単語が頭をついて、
「俺いちども食ったことねえじゃねぇか、それ!」
と思いながら死ぬのかもしれませんね。
意識が朦朧としていますから、
意外な言葉が出てくるに決まってますね。
それまでせっかくいい人だったのに、
最期のひと言で台無しに
なることもあります。
できれば
「ああ、楽しかった。人生はプレイだった」
みたいな演出で行きたいんですけど、
それはぜったいに口噛むと思うんですよ。
- ──
- その長文はちょっと無理っぽいですね。
- みうら
- 死に際にシーツをもつかむ思いで
必死になってますからね。
- ──
- では、残されるほうも
最期に注目しすぎないほうがいいですね。
- みうら
- みなさん終活とか、最期の一言とか、遺書とか、
期待しすぎではないでしょうか。
「今年も落ちた」みたいな
芥川賞ぐらいのレベルでいいのに。
「やっぱりいい遺書のこしたい」
なんて思ってるからよくないんです。
ぼくは、この前やったスライドショーで、
自分で走馬燈を作ってみたんです。
死ぬ寸前にいろんな思い出がオーバーラップして
走馬燈のように見えるっつうじゃないですか。
あれも考えようで、
自分で編集できるんじゃないかと思ったんです。
- ──
- それは、自分で自分を騙す、ということですか?
- みうら
- ええ、まぁそうです。
ぼくは昔、不良だったということにしたいんですね。
過去は作り替えられないけど、
自分しか見ない走馬燈ならいいでしょ。
憧れだった他人の過去を
スライドのように1枚混ぜておくと、
「ああ、あの頃はずいぶん親泣かしたな」とか
「やんちゃだったな」みたいな思い出が
さもあったように思えるでしょう。
もう、そのときは頭がボーッとしてるだろうから、
他人の写真でもわからないんじゃないですかね。
- ──
- えっと、それは自分が見る走馬燈ですよね?
- みうら
- そうです、そうです。
自分が見るということは、
自分がそこにいるわけじゃないんですよ。
自分が見てきた風景や人、
「視野」が見えるわけだから。
ぜんぜん知らないヤンキー軍団の
写真を入れておけば、
「この中にいたっけな?」とか思いながらも
走馬燈を見ることができます。
最期の段階で自分のつじつま合わせをしたいなら、
走馬燈から再プロデュースしていくのは
いかがでしょうか。
- ──
- そうですね。
人の記憶は塗り替えられるって言いますし。
- みうら
- そうです。それをビジュアル化して、
いまから見ておくのもいいでしょう。
- ──
- ああ、なるほど。
- みうら
- ニューヨークの写真も入れたいですね。
「ああ、ニューヨーク、行った、行った。
あの頃はアートに夢中だったからなァ」
などと、死ぬときに気持ちいい演出を
用意しておくんです。
自分が最高の人生だったということを、
人から演出されるんじゃなく、
自分からやるということです。
- ──
- つまりそれが終活っていうことですね。
- みうら
- ええ、まずその編集作業が終活です。
都合悪いところは全部切って、
都合いい他人の思い出も入れておく。
かつてスライド機というものには、
フィルムがおよそ80枚入ったもんです。
ですからおそらく昭和の人の走馬燈の中には
80枚くらい入ると思います。
死ぬ間際なのに
「これは夢かな」と思ってしまったらマズいので、
最初の1枚は「走馬燈」と書いた字を
入れておかないといけません。
だから実際には79枚ですね。
- ──
- タイトルクレジットが必要なんですね。
- みうら
- そうです。
それと、エンディングの「完」も1枚取りますから、
78枚か。いや、スタッフロールも必要なら
もっと減りますね。
そこから走馬燈を逆算していって、
「ちょっと小学校時代が多すぎだな」
とか調整していかれるのがいいと思います。
~それでは、本日の動画をごらんください。~
(火曜日につづきます。次回は最終回)
2018-03-15-THU
みうらじゅんさんの生誕60年を記念した展覧会が
川崎市市民ミュージアムで開かれています。
これまで誰からも頼まれていない
「ない仕事」をつづけてきたみうらさんの
膨大かつ深遠な創作活動に迫り、
「マイブーム」の起源と全貌を明らかにしていきます。
その量と熱に圧倒されること、まちがいありません。
こんなに「出る」ことはそうそうないと思うので、
ぜひこの機会に、
みうらさんの軌跡をごらんください。
MJ’s FES みうらじゅんフェス!
マイブームの全貌展 SINCE 1958
- 開催期間:
- 2018年3月25日まで(月曜および3月22日休館)
- 場所:
- 川崎市市民ミュージアム
神奈川県川崎市中原区等々力1-2(等々力緑地内)