糸井 | この会場は、何かの工場だったんですか? |
奈良 | 日本で最初のシードル工場なんです。 |
糸井 | 関わったすべての人がいなければ 「A to Z」は成り立たなかったという意味でいうと、 この工場だって、そうですよね。 |
奈良 | そうですね。ここの持ち主の人が、 使っていいよって言ってくれなかったら、 何もはじまってなかったかもしれない。 |
糸井 | もういまじゃ、この場所以外考えられないね。 |
奈良 | この場所があって、このくらいの大きさの町で、 自分がそこ出身で、いまこのくらいの年齢で‥‥ どの条件が欠けていても、 「A to Z」はできなかったと思う。 |
糸井 | この場所は、ふだんは何に使われてるんですか。 |
奈良 | 何も。 |
糸井 | え、じゃあ、ふだんは閉まってるんですか。 |
奈良 | そう。もう、何もない。 ぼくはここで2回ほど展覧会をさせてもらったんですけど、 市が「使いたい」って言ってきても全部断ってるそうです。 持ち主の方は僕より3回りも年上なんですけど、 この倉庫に対する信念があって、ぼくらみんな大好きなんです。 |
糸井 | ‥‥いい話だなあ。 そんな人とよく出会いましたね。 |
奈良 | たまたま本屋さんでぼくの本を見て ぼくの絵を気に入ってくださって、 「青森県弘前市出身」って書いてあったから ぼくの関係者に突然電話してきたんです。 |
糸井 | え、直接? |
奈良 | そうなんです。 「赤煉瓦の倉庫っていえばわかるから」って(笑)。 でも、会場があっても、展覧会にはお金がかかるし、 それだけではやっぱりむつかしいなと思っていたら、 ぼくの昔の友人たちが、その話を聞きつけて。 捨てたはずのふるさとの人々が 放蕩息子の帰還を祝ってくれるように、 みんなで実行委員会をボランティアでつくってくれて、 2002年に、はじめてここで 展覧会をすることができたんです。 |
糸井 | 2002年。思えば、最近だね。 |
奈良 | それと並行して、grafと出会って。 一緒に台湾やタイ、ロンドン、ニューヨークと 世界のいろんな場所を回りながら小屋をつくっていった。 知らない場所でやるわけですから、 当然、いろんな問題が起こりました。 その問題を、ひとつひとつクリアーしながら来て‥‥。 だから、そういうすべての経験があって、 この時期に、この場所で、 すべてがぴったり合って、できた感じなんです。 |
糸井 | 簡単に言いたくないけど、運命だね。 |
奈良 | はい。はじめてgrafといっしょに組んだとき、 「S.M.L.」っていう3つの小屋をつくったんです。 そのとき、酔っ払って冗談で 「AからZまで全部の小屋をつくろうよ」 とか言ってて、それは本当に冗談だったんだけど、 もしその場で、誰かが急に 「うちにすごいでっかい倉庫があって、 お金もいっぱいあるから AからZまでつくったらいいじゃない」 って言ったとしても、できなかったと思う。 やっぱり、いろんなところで、 少しずつ作ってきたことがたまっていって、 それがあってはじめてここで実現できたことだから。 |
糸井 | 流れた時間っていうものの存在が、 ものすごく大きいってことですね。 |
奈良 | ええ。これまでのすべての経験が この展覧会に活きてるんです。 ・・・・・「06 美空ひばり」へ続きます |