糸井 | 奈良さんって、修行に渡ったのはドイツだし、 ヨーロッパからアジアまで、 いろんなところで活動しているから、 一見、土着的なものなんて どこにもないみたいに見えるじゃないですか。 |
奈良 | うん、うん。 |
糸井 | なのに根っこのところには、 きっと、何かがあるんでしょうね。 民謡のような、りんごのようなものが。 |
奈良 | うーん、あるのかなぁ‥‥。 |
糸井 | あるんじゃないのかなあ。 ここで、こうして「A to Z」をやってる 奈良さんを見てると、そう思えますよ。 |
奈良 | そうかもしれないですね。 うーん‥‥でもねえ‥‥ 久々にこっちに帰ってきてみると、 消えていったものがすごく多い。 |
糸井 | この土地から消えたものが? |
奈良 | そう。 正直、がっかりすることも多いです。 町の郊外に新興住宅地ができて、 東京の街道沿いによくあるような、 大型店がどばーっとあって、 昔は田んぼばっかりだったのに、 なんか東京のはずれにある都市みたいだなぁって。 |
糸井 | 日本中が同じ町に見えるんですよね。 |
奈良 | そう。 |
糸井 | でもさ、これも今日、ここに来て思ったことだけど、 道の正面に、お岩木山が見えてて、 「こいつは、どかないんだな」っていうふうに思った。 |
奈良 | そうですね。 それは美空ひばりの映画の中でも同じ形で。 |
糸井 | うん。「お岩木山のてっぺんを」っていうね。 |
奈良 | そうそう、そうなんですよ。 だから変わったところの中に、 変わらない家が一軒あったりすると、 すごくそこで記憶が戻ってくるんです、ぱーっと。 で、思ったのは、 記憶とかふるさとっていうのは、 いまあるこの状態で存在しているもんじゃなくて、 もう自分がどこにいようと、 自分の心の中、頭の中に存在している、 それがふるさとなんだなって。 だから「ふるさとでやる展覧会はどうですか?」 って聞かれても、ぼくは答えられない。 なぜなら、ふるさとは自分の頭の中にあるもので、 どこに行ってもある。 |
糸井 | 田んぼやりんご園は、 なくなっちゃったのかもしれないけど。 |
奈良 | 心の中のりんごは一生消えないと思う。 |
糸井 | なまりみたいに。ちょうど。 |
奈良 | そう。 だから、消えないものの方が印象に残ってる。 自分の中で掘り起こされて、出てくる。 |
糸井 | 海外で展覧会をやったとしても、 自分の中にあるものっていうのが 表現されてるわけだからね。 ふるさと成分も、たくさんのレコードも、 みんな出ちゃうんだよね、きっとね。 |
奈良 | うん。 |
糸井 | にじみだすようにね。 |
奈良 | そう、だと思う。いま、気づいた。 いま、そうなんだって思った。 ・・・・・「08 自分の中」へ続きます |