糸井 | ぼくは人を肴にしながら 自分のことを考えるのが好きなので、 今日もこの展覧会を見ながら、 奈良さんがやってることっていうのを感じて、 そこに自分を重ねて、考えてたんです。 自分がつくられている成分ってなんだろう、とかね。 |
奈良 | うん、うん。 |
糸井 | 奈良さんは、ずーっとこの色を使ってる。 じゃあ、俺は何してるんだろう、とかね。 ずーっと自分を考えてましたね、案内されながら。 |
奈良 | うんうんうん。 |
糸井 | だから、 奈良美智を借りて自分を見てたような気がしますね。 少年少女が描かれていることも、 そういう要素じゃないかなあと思うんですよ。 つまり、少年ってふるさとじゃないですか、いわば。 まあ、奈良さんの絵の場合は少女だけど、 「変わりようがないもの」っていうのかな。 子どもって覚えていることは少ないから、 少ない材料でいろんなことを感じるわけですよね。 |
奈良 | 自分にとってもやっぱり、 これからのことっていうのは不確かだけど、 いままで経験したもの、してきたことっていうのは、 確かなわけなんですよ。 |
糸井 | そうだなあ。 |
奈良 | それってやっぱり自分の実年齢より 下になっちゃうじゃないですか、表現しようとすると。 だから「なんか以上」のものを求めるんじゃなくて、 「なんか以下」の中、そこを掘り返していくと、 なぜかそれが「以上のこと」にもつながるような気がして。 |
糸井 | あああ。 |
奈良 | だから単純な話、宇宙は広くて、莫大に広いけど、 人がどこまで行けるかっていったら、 海の中、地球の中をもぐる広さしかないわけで、 宇宙の広さからするとそれは 比べものにならないくらいちっちゃい世界で。 でもその中だけでも、人が行ける距離としては 限りないともいえるわけじゃないですか。 |
糸井 | うん、うん。 |
奈良 | だから、行けもしないとこだけ見て 広い宇宙に飛び出そうっていうよりも、 ぼくは、中に、中に。 |
糸井 | 自分っていうものをつくった材料は、 無限に過去に広がっているわけですよね。 |
奈良 | うん、そう。 だからどんな人でも、 自分っていうのをどんどん探していけば、 なんかいろんな発見があるんだなぁと思って。 |
糸井 | つまり、この「A to Z」に来た人々は、 ぺたぺた自分を触りにきてくれてるわけですよね。 |
奈良 | それはちょっといやなときもあるけど。 ははは。 |
糸井 | でも、それは不快も含めて、自分だもんねぇ。 |
奈良 | そうですね。 |
糸井 | 自分からすすんでこんなことしてるんだもんね。 |
奈良 | だからやっぱり、 単純に人が入ってないとさびしいと思うし、 じーっとここで佇んで見てる人を見ると、 やっぱりうれしくなってくるし。 ・・・・・「09 円空」へ続きます |